第26話 ピクニック

 その昔、時間を操作する魔法を思うままに使う伝説級のウィッチガールがいたと聞く。

 時間を停めたり進めたりするのは勿論、自分の望む未来を勝ち取るまで何度も過去に戻ったり、とある一日を繰り返す時空間に大好きな人を閉じ込めたり、彼女たちの話はいろんな形で今でも伝えられている。 

 ああ、うらやましい。私もそんな魔法が欲しかった。

 この町は酷い所だ。でも、ガレージのソファに寝転ぶあの子の顔を覗いたり、バイブルを読むあの子の隣に座ったり、楽しそうに洗濯ものを干したり取り込んでいるあの子のそばにいられる、そんな毎日をずっと繰り返していられたら、こんな場所ですら天国だって錯覚できたかもしれないのに。

 ――まあ、たかが私利私欲に大それた魔法を使っていれば、必ずカテドラルの騎士に目をつけられているでしょうけれど。 

 幸か不幸か、ピーチバレーパラダイスに時間を操作する魔法の使い手はいない。時の流れは淀むことなく流れ続け、ショーの前日になってしまった。明日の夕方にはマリア・ガーネットは、ハニードリームの犬耳の子と向かい合っている。

 一体どこから聞きつけてどうやってたどり着いたのか、町を囲むフェンスの外はウィッチガールファンの人垣ができているし、その方たち目当てに商売をしようとする妖精たちで昼間から騒がしい。本当にお祭り騒ぎだ。

 開け放たれたホームの窓からは、騒がしい音楽や食べ物の匂いが漂ってくる。こんな事態じゃなければ、私たちも雰囲気にのまれてしまいそう。この町ではめったにお祭りなんてありませんから。

 実際、ジャンヌ・トパーズなんてお肉を焼く匂いに鼻をひくひくさせては、残念そうにベッドに突っ伏している。


「意味わかんない。どうしてショーの当日にピクニックなの? しかも夜明け前、お仕事が終わり次第すぐ出発だなんて、なにその強行スケジュール?」

「ショーでこの町がどうなるから分からないからよ。シスター・ラファエルが仰ったでしょう」


 マリア・ガーネットと犬耳ウィッチガールのショーは、ピーチバレーパラダイスのすぐ外、赤い砂漠の特設エリアで行われることになっている。そのリングは通常のショーのよりうんと大きい。

 観客を派手に巻き込んだ前回の試合よりも派手で危険な一世一代のショーになると予想されているわけだけど、その分ピーチバレーパラダイスの町だって巻き込まれたっておかしくない。万一流れ弾がとんできたりすれば一大事だ。よって、ホームのお菓子たちはショーの当日は早朝からピーチバレーパラダイスの外に出る。封鎖区域のぎりぎりいっぱいの所にある峡谷キャニオンでピクニックを行う。だから今すぐ準備にかかること。

 今日のお勉強の時間、シスター・ラファエルは皆にそう仰られた。

 

 院長室でマリア・ガーネットを抱きしめた直後、ホームのお菓子たちとシスターで封鎖区域の外へ出るのだとお決めになったシスター・ラファエルのお仕事ぶりはそれはそれは見事だった。

瞬く間に「避難も兼ねたピクニックである」という名目をでっちあげ、フェンスの外へ出る許可も神父様からもぎ取られたのだから。

 お祭り騒ぎを前に気もそぞろな神父さまはというと、今晩全員でフェンスの外にいるウィッチガールファンの相手を務めることだけを条件にあっさりと許可を出されたそう。せっかくの掻き入れ時にしっかりしっかり働いてがっつり稼ぐんならピクニックでもどこへでも行きやがれ、それがご返答だったそう。──ショーの雰囲気にのまれている神父様は未だに今のこの状況にご理解が及んでいない模様。シスター・ラファエルやこの町にいる支社の方々との間で危機感を持たれるのも無理はない(先代ボスが一代で築き上げたという大帝国ピーチバレーパラダイスの衰亡もむべなるかな)。

 ともあれ、ショーを観戦できないと聞かされたお菓子たちの半数が不満の声をあげた。ショーの勝敗に自分たちの未来が託されているという不安や恐怖はあるけれど、いつものショーよりも見ごたえがあるバトルを生で観戦することをとても楽しみにする緊張感に欠ける子も宿儺らずいたのだ。例えばバルバラ・サファイアとか。

 でも、もう半数のお菓子たちはうすうす何かを察する程度にカンがよく、号令がかかるやいなや速やかに避難準備を始める。カタリナ・ターコイズもその一人で、お菓子たちに一人につき一つ支給された籐編みのトランクに荷物を詰め込み始めていた。余裕があるのか、不貞腐れているジャンヌ・トパーズの荷造りも手伝ってあげている。下着を含めた着替えが雑に詰め込まれていく様子を見たジャンヌ・トパーズの目がじとっと半眼になる。


「ピクニックにお洋服や下着なんて持っていく必要なくない?」

「ただのピクニックじゃないからだよ。ショーの規模によってはここも無事じゃすまないんだから。下手すりゃ二、三日帰れなくたっておかしくない。そのとき困るよ~? あんた一人だけ何日もおんなじ服着る羽目になるんだから」

「うう~、かなりイヤかも。それは」

 

 カタリナ・ターコイズにいたずら小鬼のような顔でからかわれて、ジャンヌ・トパーズもあからさまにしぶしぶと準備をはじめた。できるだけお菓子をたくさん詰め込もうとしているのが彼女らしい。

 私物をたくさん持てない私たちとはいえ、小ぶりのトランクはすぐにいっぱいになる。

 カタリナ・ターコイズなんて、今まで集めてきたコミックブックが入らないからって私のトランクに入れるように厚かましく頼んできたくらい。


「ほらやっぱりにらんだ通り、あんたって私物少なそうだもんね」

「――勝手に人のトランクの中を開けないで頂戴」


 確かに私の私物は、衣類とわずかなお化粧道具にお小遣いくらい。それを見透かしたカタリナ・ターコイズに、コミックブックの束を手渡されるのはちょっぴり面白くはない。

 でも、悪びれもなくいひひと笑う彼女を前にしてしまうと怒る気も失せた。カタリナ・ターコイズなりに仲直りをしようとしてくれているのだろうから。

 ショーの当日にここを去る、それが何を意味しているのかぴんときてくれたのだろう。不安の質が目に見えるものへ変わったからか、彼女からケンカした夜の不機嫌がやっと消えて、普段の皮肉屋な小悪魔らしさが戻ってきた。 

 仲直りのため、結局私はコミックブックを数冊預かることにしてあげた。


「ところで、何これ?」


 カタリナ・ターコイズが私のトランクからチェリーソーダの瓶を取り上げる。常温で放置された、封もきってないソーダの瓶を手にして首をかしげる。


「これがトランクのスペースとってるじゃん。今、飲んじゃえば?」

「駄目。仕舞っておいて」


 思いのほか硬い声がでてしまったけれど、カタリナ・ターコイズは「はいはい」といい加減に返事をして元の位置にしまってくれた。私の様子に思うところはなかったみたい。

 この瓶は私が地下室に入れられた日にマリア・ガーネットが差し入れてくれたものだ。シスター・ラファエルがやっと返してくださったのだ。それにしても、あの日このソーダを届けてくれたのはジャンヌ・トパーズとカタリナ・ターコイズだったのに、本人はまるで気づいていない。紙袋の中に入っていたから仕方ないけど。

 それに気づいてくれない方がいい。好きな子との思い出の品を持ち出そうとするようなセンチメンタルな行為に浸っていることが分かったら、この皮肉屋さんは絶対からかってくるはずだもの。

 

 そのマリア・ガーネットとは、今日はまだ会えていない。

 かなり回復したとはいえ体中まだ傷だらけなのに、神父様主導の最後の広報活動に戻っている。そうやってよくしつけられた番犬のふりをしているのだ。主人の顔に泥を塗って罰せられて、より一層忠実になった毛並みのいい犬のふり。

 

 逃げる準備は着々と進む。私にもやらなきゃならない仕事が残されている。

 逃げ出す前にあの子に会えるだろうか。ちゃんとお別れを済ませられるだろうか。


 窓辺から中庭を見下ろすと、メインストリートの向こうから黒塗りの車がこちらへやってくるのが見えた。神父様へのお客様だ。

 神父様に招かれた方は車を中庭の傍に駐車なさることが多い。砂利をふみしめる音をたてながら、特定のスペースに車を停められる。ここまでは見慣れた光景。

 しばらくして後部座席の扉が開き、女の子が一人、ぴょんと降り立った。

 黒い髪をショートに整えた頭の両脇から、子犬のような三角耳を生やした女の子。昨日の晩に私の覚醒を阻み、明日マリア・ガーネットと対戦することになっている、あのウィッチガールだ。

 彼女に続いてハニードリームの支社長も車から降りる。ショーの前のご挨拶にお見えになったのだ。


「うわ、あの犬耳の子だよ」


 私につられたのか、隣に並んで窓の外を見たジャンヌ・トパーズが興奮した声を上げた。

 犬耳の子は、なんとも冴えない藍色のブレザーに同色のプリーツスカート、白いシャツに白いソックス、そして野暮ったいスニーカー。まるでアジアの農村から連れ去られた中学生のようなセットアップに身を包んでいる。あか抜けないファッションに、ぽかん、とか、きょとん、という言葉がしっくり馴染むあどけない表情が程よく調和している様子は、可愛いって言ってあげてもいいくらい。ショーで魔法の銃弾を全くためらわず連射したような子になんて、どうしたって見えない。

 今日は緩い風が吹いている。砂漠からの細かな砂が舞うせいで鼻がむずがゆくなったのか、犬耳の子は不意にくしゃみをした。人目をまったく意識していないようなその仕草がなんともいとけなくて、ついつい微笑みを誘われそうになる。


「素の時のあの子はあんな感じなんだね」

「じいちゃんばあちゃんウケのいい孫って感じだよね」


 カタリナ・ターコイズまで私たちに並び、そんな感想を漏らす。

 孫みたいだと評するカタリナ・ターコイズの評に、私はこっそり頷いた。この子の仕草はどこか乳臭くてたどたどしくて、見る者の庇護欲を掻き立てずにはいられない独特の雰囲気があるのだ。ショーになれば無表情に対戦相手を殺しにくるような子だって分かっているのに。

 ユスティナアルケミーの掃討作戦に参加したこともあるという、過酷な経歴を持つ子だというのに。

 ぽかん、きょとんとしたまま、犬耳の子は私たちが並ぶ窓を見上げた。そして私に注目する。そのままで視線は固定。さりげなく両脚を肩幅に開き両手にうっすら魔力を纏わせる。いつでも戦闘に移れるように、だろう。ぱっと見はただ一点を凝視しているようにしか見えないけれど。


「あの子、すっごいあんたのこと見てるよ?」


 からかってくるジャンヌ・トパーズが不審に思わないよう、そしてあの子を不必要に刺激しないよう、気をつけながら小さく微笑んでみる。ただそれだけで、犬耳の子の右手がさっと反応した。

 彼女が何かをしようとしたその寸前で、黒髪ショートカットの頭に後ろから軽い手刀が打ち込まれた。そのお陰で場外乱闘は避けられる。


「うっわ! 出た、あの子だ。とっとと早く帰ればいいのに~」


 今回は嫌悪感をむき出しにジャンヌ・トパーズは呻いた。犬耳の女の子の頭に手刀を打ち込んだのは、ピンク色のあのウィッチガールだったから。とはいえ髪も瞳の色もブラウンで、ツインテールの長さも常識の範囲内に収まっている。身にまとっているのは短いスカートのセーラー服にニーソックスというものだった。カラーやスカートの色はピンクでスカーフが水色。目に痛い。

 ピンク色の子は犬耳の女の子前に何事かお説教している。犬耳の女の子はというと耳をしょんぼりうなだれさせる。 

 先輩が後輩を叱るそのやり取りは、彼女たちが何者か知らなければ他愛もなく微笑ましい光景として目に映っていたに違いない。

 変身状態ではないピンク色の彼女もこちらの気配に気づいたらしく、顔を上向ける。私に気づいて、挑発するようにニヤリと笑う。

 私もそれにこたえて特別にっこり微笑んだ。あの子がいらつくように最大限優雅に見えるように。

 

 今日の私のお客様は彼女だったから。


 神父様のお住まいから黒い服を着た宣教師が現れて、ハニードリームの支社長と犬耳の子を案内する。お住まいのほうで挨拶をお済ませになるのだろう。

 私は窓辺を離れて部屋を出る。「どこ行くの?」というカタリナ・ターコイズの問いかけには「秘密」と返す。


「ほら、あんたのそういうとこ! そうやって説明をすっとばすとこが人をイライラさせんだからね! 面倒くさがるなっての」


 呆れたらしいカタリナ・ターコイズの声を背中で受けて、一階へ降りる。もっともね、と心の中で同意しながら。

 

 


「当製品の長年のご愛顧に感謝して特別にお直し致しました。保証期間外ですが、今後もよりよいご関係のためにサービスさせていただきます」


 客間で待っていると、シスター・ガブリエルに案内されてピンク色のウィッチガールが入ってきた。私の向かいに座ったこの子は不機嫌ぶりをまったく隠そうとしない。近くで見るピンク色のセーラー服は、生地も安っぽくていよいよ量販店のコスプレ衣装のよう。

 ブラウンの瞳や髪の色で変身前だとわかるハニードリームのウィッチガール、どうみたって彼女の見た目は十三、四。私の設定年齢と同じくらい。でも、変身前の姿までこの年齢なのは何を意味しているのかしら。彼女は最低でも七年はウィッチガール活動をしている筈なのに、素の姿が加齢していないだなんて不自然。ひょっとして、常時変身していることで素の肉体の成長を止めていたのかしら?

 シスター・ガブリエルが退出なさると、私は出来るだけ丁寧な笑顔を浮かべた。そして、ベルベッドを敷いた台の上に修理したブレスレットを乗せて差し出す。

 シスター・ラファエルが本格的に修理してくださったので、完全に新品同様、いつでもショーケースに並べられそうな域にまで磨き上げられている。

 

「どうぞお納めくださいませ。そして我がドルチェティンカー製品を今後とも、、ご贔屓に」


 ピンク色のウィッチガールはブレスレットをなかなか受け取らない。ただただ苦虫を噛み潰したような顔で腕を組んでいる。

 私の言葉の意味をよく噛みしめているのだろう。このブレスレットを受け取ったら最後、私たちとの縁は切りがたくなる。とはいえこれ以上しっくり馴染む魔法の道具は手に入りそうにないって。

 迷っている彼女の決断をうながすため、私はより優雅に微笑みかける。今主導権を握っているのがどちらの方か、意識させるために。

 せっかくお人形だの天使だのと言われることの多い顔なんだから、こういう時こそ有効活用しないと。

 しばらく迷った末、お行儀の悪い舌打ちの後に彼女はブレスレットのチェーンを摘まみあげた。荒々しい手つきで右手首に着けてすぐさま、ステッキの形に変える。

 世にも不機嫌そうな態度で、彼女はソファに座ったままやる気なさげにステッキを一振りさせる。ピンク色をした花吹雪状の魔力に包まれて、見るのも忌々しいあのウィッチガールスタイルに変身する。

 パニエをしこんだひらひらのスカートからのびた脚を組んで、あの子はふんぞり返った。


「――あんたみたいのからサービスは受け取らない主義なんで。いくら?」

「先ほども申しました通り無償とさせていただきます。お互いにとって今後のよりよい関係のために」

「聞こえなかったー? タチの悪い業者からの無料サービスは受け取らないって言ってんだけど?」


 ステッキが手もとに戻ったとたん、目の前の子は早速ステッキの先をこちらに向けてくる。目の前でハート型のオーブが揺れている。全く、誰が直してあげたと思ってるのかしら。


「いくらか知んないけど、あたしが稼いで全額お支払いいたしますーっつってんだけど? 我ながらお行儀のいいお客様じゃないかなーって思うんだけどー?」


 腹が立ったけれど、笑顔のままで指先をハートのオーブに突き付けた。彼女の顔がわずかに怯んだのを見逃さない。一度目の前でステッキを壊された経験が、彼女をそうさせたのだ。おそらくだけど、後天的なウィッチガールにとって魔法の動画を壊されることはかなり強烈な体験になるみたい。いいことを学んだ。痛い思いをした甲斐があると言うものね。


「無償に致します。どうぞお納めください」


 一回限りの金銭のやりとりで終わらせないんだから。そんな意思を込めて私は微笑む。

 ピンク色の子は舌打ちをした。ようやく受け入れてくれたみたい。

 

「……あーそう。じゃあとっとと今後のよりよい関係とやらのためにお話を始めたいんだけどー? まだるっこしいのはダルいし」

「そうね。とりあえずショーの邪魔だけはしないでくださる?」


 私を狙撃し後、犬耳のウィッチガールはピンク色の子は自分のヘルプだという旨のことを言っていた。それまでの行動から判断するに、ピンク色の子はハニードリームサイドに有利にことが運ぶように工作するのが命じられたと考えるべき。──そんな真似を続けていたら、いずれハニードリームに対する他の支社からの心象も最悪になるはずだけど(ドルチェティンカー以外の支社が裏でつながりあっていた、なんてことも無いではない。まあもう関係ない話だけれど)。


「それだけ? 靴の裏とか舐めなくていいんだ?」


 彼女はわざとらしく脚を組み替えて、私の鼻先にわざとエナメル靴のつま先をつきつける。まるっこい靴のつま先が目の前で揺れても、私は顔色は変えてやらない。


「結構よ。私、身につけるものは清潔にしたいの」

「お人よしだね~、ポンコツホタルちゃんってば。一丁前のヤクザな癖して」


 彼女は挑発したけれど、私はもちろんなったらなんかしない。土下座だとか指を切り落とすだとか、この子の縄張りで行われいそうな謝罪なんて要らないもの。見世物で水に流してあげたくない。

 私の態度からピンク色の子は意図を読み取ってくれたみたい。かすかに舌打ちをしてから足をおろした。


「――ま、いいけど。うちのキッカはヤバいよ? ショーの約束事とかまだわかってなくてなんでもかんでもガチなやつだから」

「あの子、異世界から来た子でしょう? どういう経緯でそちらのお世話になっているの?」

「さあ? トンネルの向こうにある内戦やってるトコから来たってことぐらいだし、聞いてんのは」


 お行儀は悪いけど、彼女はある程度の雑談には応じてくれる。私たちにとって雑談おしゃべりは大事だ。


「トンネル?」

「界通トンネル。そんくらい知ってんでしょ、こんっな不便で不自由なとこから出らんないつったってさー?」


 こっち側とあっち側がつながって何年経ってると思ってんだよ、と彼女はいちいち私を煽る。もちろんそれぐらいのことは知っている。お客様が持ち込んでくれた新聞や情報端末で勉強したんだから。

 前世紀の末期に時空感を揺るがす大災害が起きた。これがきっかけでこの世界はなし崩しに異世界との交流を始める。これまでは限られた人々だけで行われていた異世界間交流の規模は、ここ二十年で一気に拡がった。人や物の行き来が盛んになり、陸地のあちこちに世界と世界を繋げる魔法のトンネルが作られるようになってから十年は経っている。この国にだって政府が作った大きなトンネルがいくつもあるはず。

 ただこういう知識って、ピーチバレーパラダイスから出られない私たちにとってはあまり価値がない。ピンと来ないせいですぐには反応できない。

 トンネル――と思わず呟いたら、ノックの音が響いた。すぐにドアが開き姿をお見せになったのは、お茶とお菓子を用意したシスター・ガブリエル。客間はしずしずと足を踏み入れると、静かにお茶とお菓子を私たちの前に置く。

 ソファにふんぞり返るという最悪なお行儀をあらためることなく、どーも、とおざなりなお礼を口にするピンク色の子にシスター・ガブリエルが何か仰るはずもなく、苦笑を浮かべて立ち去られた。


「――」

「どうかしたの?」


 なぜか彼女は、シスター・ガブリエルの後ろ姿をじっと見送っていた。不躾にじろじろと。当然彼女が素直に真実を話してくれるわけがない。


「や、別に。シスターってフィクションでしか見たことないわーってなっただけ」


 ずずーっとお行儀悪くティーカップからお茶をすすって彼女はごまかした。うちの教会のシスターだってフィクションの登場人物みたいなものだけど。


「あんたこそ何? トンネルがどうかした?」


 シスター・ガブリエルに対する違和感は説明する気はないということらしい。こちらも「トンネル」って呟いた理由は明かさない。そもそもなんとなく引っかかっただけで、ちゃんとした理由なんてありはしない。

 こんなところにいるわりにはいいもん食ってんじゃん、と失礼なことを呟きながら彼女はぽりぽりとお菓子をかじる。シスター・ガブリエルが手慰みに作った焼き菓子だ。そしてまた音をたててお茶をすすった。どうしてこうわざと下品なふるまいに出るのかしら?

 ソーサーの上ににティーカップを雑において、あの子は立ち上がる。


「じゃ、もうおしゃべりは満足した? そろそろ行くから」

「ああ待って。お渡ししたいものがあるの」


 ここからが本題。私も立ち上がって彼女の前に立つ。さっさと部屋の外に出たそうにしているピンク色の子の前に立ち、優雅な自分をイメージして微笑みながら用意していた手紙を差し出した。


「……はい出た、ニッタニタ笑って勿体ぶりやがって。まだるっこしいのはダルいつったばっかじゃん」


 相変わらず口の悪い彼女は、憎らしそうに口をゆがめながら私の手から手紙をひったくる。


「っだよこれ、ラブレター?」

「そんなわけないでしょう!」


 悔しいことに優雅さを維持できなくなってしまった。ああもう、こんなつまらない一言で。

 私の調子を崩せたことで彼女はいい気になったらしい。ふふんと笑い、封筒をかざした。


「で、これ何?」

「招待状よ。明日私たちはピクニックに出かけるの」

「はーん、こんな砂漠でね〜。あんたらもモノ好きだね〜。ま、要らんから返す」


 ただのピクニックではないことを見破ったらしく、ニヤニヤ笑いながら彼女は招待状を突き返そうとする。

 その手をとって私は受け取りを拒否する。


「あ? 要らんつったじゃん? 聞けっての」

「あなたこそ聞いてなかった? 私は招待状って言ったのよ?

「だーかーらー、要らないし! ピクニックなんてダルいもん、行くわけないしっ!」


 彼女のニヤニヤ笑いから余裕が消え、本気で手紙をおし返そうとする。私はそれを全力で拒否する。ピンク色の子と私、二人の腕がぶるぶる震える。

 こういう時にこそ、ということで私は再び微笑む。力を出してるからエレガントにってわけにはいかないのが残念だったけれど。


親睦を深めたいからあなたをピクニックにお誘いしてるの? おわかりいただけました?」

「…………っ」


 私の言わんとしていることが通じたらしく、彼女の顔が本気になる。招待状を押し戻す力が抜けた。


「……今後のより良い関係、だよね?」

「勿論」


 ベテランウィッチガールらしい顔つきで確認する彼女へ向けて、ダメ押しのつもりで微笑んだ。


「あなたにもきっと楽しんでいただけると思うわ」


 舌打ちしながら彼女は、しわくちゃになった招待状をもぎ取った。そしてステッキを一振り、雪よりもすぐに消える花弁の形をした魔力を撒き散らして変身を解き、客間を出ていく。


 

 車のエンジン音が聞こえるまでは客間でこのまま待つ、そのつもりで居続けていたらまたドアが開いた。お茶の片づけをするためにシスター・ガブリエルがお入りに。

 この方はピクニックには参加されない。普段のショーのように、マリア・ガーネットに最後まで同行されるのだ。


 ああ、羨ましい。


「……あの子たちとメラニーを頼みますね、マルガリタ・アメジスト」


 テーブルの上を片付けながら、シスター・ガブリエルは私に語りかける。

 その表情はいつものように、優しそうで頼りない。


「シスター・ガブリエルこそ、マリア・ガーネットをお任せしましたから」


 苦手意識が先に出るのか、どうしてもこの方と目を合わせるのをためらってしまう。

 不機嫌な子供のような態度の私を、きっと問題児をみるような目でご覧になっているのだろう。シスター・ガブリエルは。


「明日を限りにあの子と会えないかもしれないんですから、私は」

「時間を作ってあげます」


 駄々っ子をあやすような口調でシスター・ガブリエルは言う。

 「あげます」か。

 ただ付き合いが長くって、過酷な時間をともに生き抜いたというだけで、この方はまるでマリア・ガーネットがご自分のもののような物言いをなさる。そんな些細なことがどうしても引っかかってしまう。


「時間なんて私にはありません。今晩は皆と同様にお仕事に励むことになっていますから。なんといっても掻き入れ時ですもの」


 私の子どもっぽい嫌味を、シスター・ガブリエルはため息で受け止める。


 しばらくして中庭から車のエンジン音が聞こえてきた。挨拶が済み、ハニードリームからのお客様たちは皆お帰りになった。

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