第22話 覚醒

 ピーチバレーパラダイスの教会は、みてくれだけの単なる箱だ。本当はとても教会なんてなのれたものじゃない。

 ただの飾りでしかない教会の十字架の上に立ち、月を背負ったピンク色のウィッチガール。

 私の視線に気が付いたのか、彼女はピンク色の瞳に込めた力を和らげる。

 それからにっこり笑い、ステッキをくるくる回した。


「……!」


 それぞれの陣地には立ち入らない。どれだけ厚かましく振舞っても、その不文律だけは守る子だとおもっていたのに、それすら侵すようになったのか。胸の中に怒りと不愉快さがみなぎる。

 昨晩マリア・ガーネットをあんな目に遭わせた当の一人が、のうのうと。

 今ここで私がしなければならないのは、あの子を無視してカーテンを閉めること。だって私は今現在、魔法を使えない。対してあっちは敢えて負けて魅せることができる戦闘上手のウィッチガールだ。しかもマリア・ガーネットをあしらったあの子。私なんかの勝てる望みが、万に一つも無い相手だ。

 冷静にならなくたってそんなことくらい分かる。

 だけど私は冷静になれなかった。というよりも、なりたくなかった。怒に身を任せると胸から光がこぼれだす。

 窓縁に足をかけ、私はウィッチガールを睨む。本物のウィッチは一睨みで人間を石にできたって聞くけれど、私の眼にもそんな力があればよかったのに。

 私の視線を受け止めて、ピンク色の子はステッキを一振りする。私の周りが、花弁を思わせる魔力のかけらに包まれた。

 ほんの一瞬だけ無重力を味わった体が、背中ごと地面におしつけられた。どうやら屋外に移動させられたらしい。土や砂の匂いにくらくらする。


「はーい、ホタルちゃん。こんばんはぁ」


 ピンク色のウィッチガールが倒れている私の胸を跨ぐように立ち、額にステッキのオーブをつきつける。

 月を背負っているその顔は、凡百ウィッチガールの平均値のように愛らしい。ピンク色の瞳の中にまでハート型の光が宿っている。


「人とお話したい時はね、にっこり微笑んで挨拶しなきゃあダメだよっ。──あんな凶悪なメンチ切ってりゃ台無しじゃん? せっかくお人形さんみたいな顔してんのにー」


 ステッキの先端は魔力の輝きがマッチを擦って生まれた火のように灯っている。今はまだ、ただ眩いだけで熱くもなんともないけれど、魔物や怪物を跡形もなく焼き尽くす光線だ。

 でも不思議と怖くない。怒りが体に充満しているせいだろう。


「あなた……どうして、あの子に……っ?」

「だから今さっきにこやかにしろっつったばっかじゃん? 聞けよ、人の話を。──それにあたしはあの子の腕を封じただけで後はなんもしてねえし。シたのはあんたらんとこのボスたちだし」


 視界が真っ赤に染まりそうな怒りの中、腕をつっぱらせて起き上がろうとする私を、ピンク色の子は軽々と制した。光の灯ったステッキの先を私の鼻先に向けるだけで、悔しいけれど動けなくなる。そればかりじゃなく、焼き尽くされるかもしれないとっさの恐怖から、目を背けてしまう。

 強張る私を半笑いで見下ろして、ピンク色の子はステッキで小さく円を描いた。

 ぽん、と白い煙があがってすぐ私の胸の上に何かがぽとんと落ちる。おそるおそる確かめると、それは小ぶりの花束のようだ。

 種も仕掛けもあるマジックのようなマネをされた意味を計りかねる私を、ピンク色の子はニイっと笑って見下ろした。


「はいお見舞い~。それあんたのウィッチガールスレイヤーちゃんに渡しておいたげて。結構頑丈そうな子だったけどサカったおっさん連中相手すんのは心身キツかったんじゃない? 最中ずっとブツブツ言っててヤバかったし」

「──っ!」


 理屈屋のマルガリタ・アメジストなのに言葉が頭から消える。

 胸に落ちた花束をつかみ、工夫の無い可愛らしい顔面めがけて投げつけた。でも、所詮小さなブーケだ。ピンク色の子は笑って身をかわす。


「だから、ヤったのはあんたらのボス連中だっつってんだろ? 怒る相手間違えんなー」


 私を跨いだまま、さらにこちらを徴発するように顔を近づける。私の視界を埋め尽くして、凡百のウィッチガールらしいキャンディボイスでピンク色の子はまくしたてる。

 

「で、あの子元気? 正気戻ってる? ショーに出れそう? 勝てそう? やれそう? やれなさそう? やれなさそうならウチの後輩が不戦勝ってことになっちゃうけど、でもって、そん時はあんたら全員うちのボスと再契約してもういっかい魔法少女やってもらうことに決まってるし。ボス同士でそういう話がついてっから。──ウチのボス、ちょうど欲しがってたんだよねー、汚辱に染まらぬ気高い子ってのをさぁ。あんたんとこのウィッチガールスレイヤーちゃんのこと、逸材だって褒めてたよ? 体も尊厳もいい具合にブッ壊し甲斐があるってー。実際、マニア需要くらいは見込めんじゃね?」

 

 あんたもそう思わない? ピンク色のあの子は嗤う。

 必死で起き上がろうとすると、あの子は足で胸を踏みつけて動きを封じる。その足首を掴んでやる。できることなら、アキレス腱ぐらい引きちぎってやりたい。でも残念ながら私にはそんな握力はない。力の無い私はステッキで殴られる。

 一瞬頭が焼けるような衝撃がやってきて、すぐさま割れるような痛みに襲われる。でもただたんに殴られただけでよかった、魔法で攻撃されたら今頃私は生きていないもの。

 ──でも、ひどく眩暈がするし、勝手に涙がにじみ出るくらい頭が痛む……。


「……はーん、やっぱあんたか」

 

 ぼやける視界の中でぼんやりとステッキのオーブが移動して、私の胸元を指し示す。さっきから強く輝く胸の光へそれを近づける。


「ウィッチガールスレイヤーちゃんにかけた魔法が解かれた気配があったからさ、おっかしーなー、ここのスクラップちゃんたちにそんな芸当できるわけ無いのにって調べにきて大正解~。そっかそっかー、あんたが犯人か。愛だなんだでキレると魔力が湧き出るタイプか。だっる」


 ステッキの先端で私の胸を突く。魔力が《賢者の石》と反応したのか、高圧の電流を流されたように体全体が痺れた。声すら出ない私の耳に、キャンディボイスが流れ込む。


「でもさー、まともに魔法が使えない状態であれを解くのって大したもんだよ? こっちも本気であのめんどくさい腕を封印してやったし、予定なら余裕でショーの当日まであの腕使いもんにならなくなる筈だったし? なのにすっご! 解けるとか普通ありえんし。あれか、愛の力ってやつか? あんた好きなんだ、あの子のことがー。──そういうのクッソきめぇよポンコツウィッチガール」


 まだ頭がくらくらしている所へ、エナメルのストラップシューズに鳩尾を踏まれる。たまらず体を折り曲げて咳き込む。

 丸めた体をあの子はなんども踏みつける。何がそんなにこのウィッチガールの気に障ったのか、痛みの中ですら気になってくるほど、ピンク色の子は私を踏みにじる。苛立って苛立って仕方がない、そんなでたらめな攻撃なのに体を丸めて身を守るしか術がないない。


「ったくさぁ、こんな世界の果てみたいな砂漠で愛の花とか咲かせてんだよ? あ? サボテンかよお前ら。あーもう本当、うざい、シケる。最っ悪! あんたらポンコツどものくっさい芝居連チャンで見させられるほど暇じゃないんだけど、こっちはさぁ!」

 

 蹴られて踏みにじられる中、私は体を丸めて耐える。

 こめかみが酷くぬるぬるしている。ステッキで殴られた時に皮膚が切れたのか。

 マリア・ガーネットを侮辱されても、言いたい放題に罵倒されても、手も足も口すら出せない自分が悔しくて情けない。でもただただ歯を食いしばって耐えるのが精いっぱい。

 嘘ばっかり! と私は心の中でミスター・ラファエルを思い浮かべて詰る。いずれウィッチガール時代の魔法が使えるようにとやみくもに信じてらしたけれど、そんな気配は全くない。大体、こういう時に使えない魔法の力なんて無い方がマシ。胸から光がこぼれるだけなんて意味がないにもほどがある。


 ある程度私を踏みにじると気が済んだのか、ピンク色の子は私を跨いだままその場にしゃがんだ。私の前髪をつかんで持ち上げ顔を近づける。ハートの光が浮かんだピンク色の瞳が私の視界を覆いつくす。


「イッコだけ言っとく。あのな、こんっっな糞田舎で愛なんか育んで充足してるお前ら、相当きめえぞ。だから舐められんだよ、気づけ」


 そして私を地べたに引き倒し、最後の仕上げとばかりに軽く蹴とばして転がした。それでようやく気が済んだらしい。ピンク色の子が立ち去る気配があった。かすむ視界の向こうで、後ろ姿の彼女はやっぱりステッキをくるくる振り回している


 人間――正確には99.9パーセント人間なだけの何かだけど、私は――極限まで腹が立つと却ってすっきりするものなのかしら。

 頭の痛みも、酷い眩暈も吐き気も、どういうわけか徐々に収まってきた。

 薄荷の匂いを嗅いだように頭がすうっとクリアになってゆく。


 あの子はくるくるとステッキを回している。

 マリア・ガーネットのお母様が作った杖を。


 私はそれをじっと見る。ドルチェティンカーの魔法の粋を。異世界の技術の塊を。


「……一つ訊いてもいい?」

「あ、何?」

「そのステッキ、どうしてあなたが持ってるの?」

「は? ボスからもらったんだけど」

「そう──つまり支給品ね」


 私は息を整える。

 ステッキを凝視してその構造をある程度見抜く。持ち主の意志や願いと反応して魔力を生み出す回路が、ハート型のオーブの中にある。


「それはね、あの子のお母様が作ったものなの……っ」

「それがー?」

「それであの子をあんな目に遭わせて……っ」


 その償いは絶対させてやる。

 私は魔法が使えないけれど、魔力の流れにはかろうじて干渉することができる。あのステッキを睨む目に、私が放てる願いと望みを全て込めた。

 直接手でふれるならまだしも、視線だけでは十分な魔力は運べない。きっと静電気程度の魔力しかステッキには届けられなかった筈だ。それでも十分だったみたい。ステッキを飾る宝石が異常な輝きを一瞬放つ。


「っ⁉」


 ピンク色のウィッチガールは素早くそれを投げ捨てた。空中で弧を描きながら、可愛いステッキはパーツごとにばらばらと分解された。そしてそのまま地面に落ちる。

 その瞬間、彼女の体がピンク色の輝きがぱっと弾ける。

 花弁状の魔力のかけらに包まれて、バカらしいひらひらのドレス姿がスカート丈の短いセーラー服姿へと変わった。現実離れしたツインテールの長さもほどほどになる。変身状態が強制的に解かれて、今まで余裕気だった愛くるしい顔が初めて悔しそうに歪む。その瞳の色もブラウンに。

 それを見て私の気は少しだけ済んだ。ああ、うんざりしながらドルチェティンカーの魔法編み物講座にお付き合いしていた甲斐があった。ドルチェティンカー製品のウィークポイントがわかるようになったのだから。


「ああ⁉ ちょ、何してくれてんだよ⁉」


 ずかずかとした足取りであの子は戻り、私の襟首をつかんで引きずり上げる。


「あのステッキ気に入ってたんだけど⁉ ビンテージだから替えもないのにっ!」


 私の襟首をつかむあの子の手首を思い切り払いのけた。あの憎らしい子の顔が取り乱しているのを間近で見られて清々する。眩暈も痛みも吐き気も、すべて一瞬で消えたのはそのせいだろうか。

 意地悪には意地悪を返すのが私の流儀だから、ピンク色の子が一層苛立つようにできる限り優雅に微笑む。そして汚れた白い寝間着の裾をつまんで持ち上げて、膝を折って頭をさげてみせる。

 せっかくお人形だとか天使みたいだとか結構な評価をいただく顔面なんだから、こういう時こそ活用しないと。


「当ドルチェティンカー製品の長らくのご愛顧ありがとうございます。──でもその関係も今日までです。御機嫌よう、ハニードリームのアサクラサクラ様。ご多幸をお祈り申し上げます」


 胸元の光が今まで一番強い光を放っている。そのせいか全身が燃えそうだ。

 目の前にいる子を焼き尽くしたい、徹底的に壊して粉々にしてやりたい。そんな衝動に全身が包まれ──気がつくと手が胸に伸びていた。


「何わけのわかんないこと言って……!」


 口走った端から彼女の表情が一変した。私の言葉の意味が解ったのだ。


「──っはーん、はいはい、だからあそこの道具は今全然生産されてないんだ~。ああそういうこと。残念だなあ、あたしファンだったんだけ、ど……っ!」


 すかさず魔力を乗せた拳を私に浴びせにかかる。変身できなくても、ステッキがなくても、魔力をつかった暴力の振えるんだって言わんばかりに。

 怒りに任せた魔力の攻撃は、私の視界にはやたらとゆっくりに見えた。

 そのせいだったからか。 

 そうだ身を護らなきゃ、と頭が命じたその瞬間に生じた紫色をした光を全身が放つ。それ壁になり私の体をカバーした。


「⁉」


 ピンク色の子の拳は私のこめかみに触れる直前で、紫色の魔力の障壁に阻まれていた。彼女にとっても予想外だったのだろう、にくたらしい顔が驚きで歪む。どうやら間一髪だったみたいだ。

 一度思い出せてしまえば、後の作業はあきれる程簡単だった。

 私の胸から今までにないくらい強い光が漏れ、その源へ向け、手をぐっと突きつける。光の中へ手が潜り込む。そうそう、それだけでよかったのだ。そうすれば勝手に私の杖の柄が手のひらに収まる。

 それを引っぱりだしさえすれば済む。本当にこれだけのことだった。

 それなのに、だ。


「――っ、キッカ!」


 ピンク色のウィッチガールが背後に向けて叫ぶ。

 その瞬間、私の体を覆っていた紫色の魔力の障壁が粉々に崩れ落ちた。強い力をぶつけられたような衝撃を受け手、私も勢いで後ろに倒れる。魔法による攻撃を受けたのだ。その拍子に胸の光は消え、杖の感触は手から消えて空をつかむ。せっかく最大限に高ぶっていた気持ちが煙みたいに散ってしまった

 ──ああ、やっとあの憎たらしいウィッチガールに一矢むくえるところだったのに……。

 気が急いても、体が思うように動かない。倒れたまま目だけを動かす。

 攻撃の相手はピンク色の子ではない。この町にはめずらしくない廃屋の屋根の上に、小柄な影があった。あの影には見覚えがある。

 影は屋根の上から姿をふっと消え、瞬きより速くピンク色の子の傍に姿を現した。

 ショートカットの黒髪に、頭の両脇から生えている子犬のような三角の犬耳。セーラー服にショートパンツを組み合わせたコスチュームに身を包む、小柄な女の子。それはあのショーでマリア・ガーネットで引き分けた子。今度あの子と再戦することになっている、あの犬耳のウィッチガールだ。

 ここにもう来ていたのか。

 黒目勝ちの大きな目があどけないのに、自分の身長ほどもある大きな杖を両腕で抱えているのが酷くアンバランスだ。その杖の形が鈍色で銃を連想させるのが、なんだか不吉だ。どうやら私はあの大きな杖で遠距離からの攻撃を受けたらしい。魔法の効果なのか、指先一つ動かせない。

 犬耳の子は、変身の解けたピンク色の子を見やる。


「何やってんですか、サクラさん。ヘルプがヘルプの対象にヘルプられてたらヘルプの意味ないです。はい」

「るっさいな~。ありがとうって言ってやろうかと思ったけど止めだ、止め」

 

 犬耳の子は、間近で見てもやっぱり庇護欲を掻き立てるようなあどけない顔立ちをしている。人の動きをうばっておいて、きょとん、とか、ぽかん、としか言いようのない表情のままでいる。その間ずっと、動けずにいる私に銃の形によく似た杖の先を向けている。


「サクラさん、もう退いた方がいいです」


 犬耳の子は、あどけない外見に似合った舌ったらずな声で隣のピンク色の子に告げた。


「それ、ユスティナですよ。下手に刺激すると戦闘形態じゃないサクラさんは即死します」


 淡々と犬耳のウィッチガールは事実を言い当てた。

 この世界ではまだ、ユスティナが大量破壊兵器だってごく一部の層にしか知られてはいないはずなのに。その証拠にピンク色のウィッチガールは眉間にしわを寄せて確認する。


「──何こいつ? ヤバイの?」

「ユスティナ掃討作戦に参加した経験上言わせていただきますと大変ヤバイです。目の前のこれはいい具合にぶっ壊れてるみたいだからまだ安全ですけど、下手に刺激するとあたしらの方がドカンってなります。ていうか実際さっきドカンってなりかけてました。はい」

「なんそれ? ……ったく」


 退くよ、と告げて、ステッキを壊されたピンク色の子は犬耳ウィッチガールの肩をつかむ。犬耳の子はそのまま、ひゅんと移動魔法で遠ざかった。   

 あと数日で完全に満ちる月の下、あたりは再び静まり返る。

 

「じゃあね~、ホタルちゃーん。ウィッチガールスレイヤーちゃんによろしく~」


 姿を闇に溶かしたピンク色の子の声があたり一帯に響いた。その瞬間、私の体を拘束していた魔法の力が消える。

 せっかく高ぶった怒りを、思い出せたかもしれない魔法の力を粉々にされて、あの子の怒りや苦しみをぶつけることも出来なかった。その悔しさが、体のなかでせり上がる。自分があまりにも不甲斐なくて呆れるしかない。直前まで上り詰めたのに、私は結局手も足も出せなかったなんて。

 立ち上がった足元には、砕け散ったステッキがパーツごとに転がっていた。あの憎たらしい子がことあるごとにくるくる振り回していた魔法のステッキ。忌々しくて見たくもない。彼女にされたみたいに、思い切り踏みにじってやりたくなった。

 でも、一番目立つハートのオーブに足を置いた時に気が変わる。持ち主相手には腹が立つけれど、ステッキそのものには罪はない。なにせマリア・ガーネットのお母様が作ったステッキだ。

 それにあの子は「ボスからもらった」と言っていたっけ。


 魔力の輝きを失ってただの樹脂の塊と化したそれを、私は一つ一つ拾い上げた。


 汚れて血と泥だらけになった寝間着の裾を摘まんで、あの子のステッキのパーツをのせてゆく。全て拾い集めたあと、私はあたりを見回した。ここは教会を訪れる信徒の方々がご使用になる駐車スペースだった。今日ここに停められている車は一台きりだったけれど。ころんと丸くて可愛らしいデザインの自動車。

 持ち主のイメージと違いすぎて腹立たしいその車に近づいて、運転席のウィンドウをこつこつとノックする。ほどなくしてウィンドウが下がる。

 シートを倒して横になっている私のお客様の姿が現れた。ご帰宅なさることもせずここに居続け、一部始終をご覧になっていたのだろう。


「……隠れていないで早く止めていただきたかったわ」

「敗北動画の女王に捕まって拷問にかけられた挙句さっきまで動きを封じられていたんだよ。労わってほしいところだね」


 手早く整えた後が見られるけれど、お客様のお洋服は酷く乱れている。一体どんな種類の拷問だったのかしら。すくなくとも私のように痛い目には遭ってはいなさそう。 


「どうやら彼女は自分の魔法が誰にどうやって解かれたのかが気になって仕方なかったようでね、私の口を割らせようとしていたよ」

「……そう、黙っていてくださったのね」

「ああ、結局君が私の努力を台無しにしたようだが」


 お客様は酷いありさまの私を見て、皮肉をこめてお笑いに。


「まさか君が自ら挑発に乗ってのこのこ現れるとは計算外だったよ、マルガリタ・アメジスト。君はもう少し賢い娘じゃなかったのかね?」 

「買い被ってくださっていたのね。嬉しい」」


 助手席に側にまわってドアを開け、車の中に勝手に乗り込む。あの子のステッキの部品を一旦足元へ投げ落としてから、運転席のお客様の上に跨る。

 私の中にはまだ昇華されない怒りが燻っている。

 あのピンク色の子や神父様やこの町のボスたちへの怒り。

 なんの勝算だってないことは分かっていたくせに、結局なすすべもなかった自分の馬鹿さへの怒り。

 それに私たちのデータを盗み取って利用しているこの泥棒のお客様への怒りもある。

 マリア・ガーネットが酷い目に遭ったことで墓泥棒を働くお客様が利することになった流れの醜さに耐えられないし、そもそもあの子があんな目に遭わなければいけなかったことが認められない。

 お客様の共犯者だった自分を忘れてこの町の仕組みに腹をたてている、そんな自分の身勝手さも醜すぎて直視できない。


 どいつもこいつも、みんなみんな。

 

 どろどろとした怒りや恨みや悲しみが渦を巻いて、衝動のままお客様の首に両手をかける。

 私の手はさほど大きくないから、細身のお客様だとしても首を一回りできない。それでも手にぐっと力をこめる。


「……」

 

 首を絞められているにもかかわらず、お客様は指一本動かそうとしない。ただこちらを軽蔑した目で見るだけだ。

 軽蔑したくもなるだろう。だってこれは完全な八つ当たりだもの。普通の女の子とそう変わらない腕力と握力しかない私に成人男性を締め上げる力なんてない。お客様はそのことをおわかりなのだ。

 非力な小娘でしかない私が、どうにもならないことに対して癇癪を起している。小さな子供がダダをこねるのと全く同じことをしている、それだけだってお分かりなのだ。

 それでもいい、私だってダダくらいこねたい。

 私は概ねこの町のルールに馴染んで、大人たちの言うことも聞くべきことはちゃんと聞いて、悪さもするけれど表面的には波風をたてないまあまあいい子でやってきたんだもの。

 どうせ絞め殺すことなんてできない手に力を籠める。血管を押さえられてお客様の顔が苦しそうに歪んだ。

 

 ──そのまましばらく力を籠め続けてから、両手の力を抜いた。


 がはっとせき込むお客様は、息を整える。そして、うなだれる私に相手に勝ち誇る。愚かなものを見下す余裕気な眼差しで仰向けのまま私を見上げる。


「……気が済んだかい?」


 しょせん八つ当たりだもの。ある程度感情が満たされるか、それともそんなふるまいに及ぶ自分のみっともなさに気づいてしまえば衝動は収まってしまう。長続きはしない。お客様はそのことも見越されていたのだろう。

 一層憎たらしくなったけれど、おかげで私はあることを思いだせた。首をしめるよりも効果的なお客様専用の嫌がらせを、私はちゃあんと心得ている。冷静になればこそだった。

 子供っぽく唇をとがらせて、媚びを売るような上目遣いになり、猫撫で声で甘えにかかる。


「おじさま、さっきあの子に意地悪された所がとっても痛いの。お薬つけてくださる?」

「……調子をとりもどしたと思ったらすぐそれか」


 さっそくうんざりした顔つきになったお客様は、私を助手席に押し戻す。そうして、後部座先から大きな鞄を引っ張り出した。

 お客様は猫なで声で甘えにかかる女の子がお嫌いだ。理由は知らない。猫なで声の女の子にまつわる不愉快な思い出でもお持ちなのだろう。



 散々な夜を過ごしたとしても、朝は来てしまう。

 そしてショーまであと二日という日が始まる。


 シスター・ガブリエルが朝のお仕事を始める時間までお客様の車で過ごし、そこからこっそり自分の部屋に戻る。

 頭に包帯を巻いているうえに寝間着をどろどろに汚している酷いありさまの私に驚くお菓子たちの視線を受け流し、世間一般ではお昼と呼ばれる時間帯に朝食を食べ、みんなと一緒にシスター・ラファエルのお話を聞く。

 いつもと同じ、いつものスケジュール。それでも昨日のことや私の有様があって空気はぎこちない。カタリナ・ターコイズはまだ怒っているらしく、明らかに異常な私の方を見ようともしないし。反対にテレジア・オパールは何かというと私を責めるような目で見る。何を隠してるのよ? という圧のこもった視線で体が焦げそうだ。


「どんな寝方をしたら今日のあんたみたいなことになるの?」


 ジャンヌ・トパーズだけがあまり深刻にならないよう気を遣ってくれた。それがうれしかった。 

 

 救護室がわりにも使われる一階の客間を覗いてみたけれど、マリア・ガーネットは既になかった。部屋はシスター・ガブリエルによってきれいに整えられている。 

 となるとあの子がいるのはここしかない。

 ガレージへ向かう私の背中を、ホームの窓からみんなが見ていた気配があったけれど、気にしている場合じゃない。開け放たれたシャッターを駆け足でくぐり抜ける。


「……」


 でも、ガレージは空だった。

 サイドボードには使った形跡の無い灰皿と、また何か書き込まれているバイブルが開いたままで置かれていることから、あの子が一旦ガレージに戻ったことはわかる。でも、いない。

 またあの子がいなくなったと不安にとらわれた瞬間、ガレージの外から足音が聞こえた。

 ざくざくと砂利を踏みしめる、私の不安とまるで関係のない音。人の気も知らないでどことなく呑気なのが腹立たしいその響き。


「ああ、やっぱそこにいた。おはよう、マルガリタ・アメジスト」

 

 私を強い不安に陥れたマリア・ガーネットは、袖を結んだつなぎとインナーといういつもの格好でそこにいた。しかも手には空の洗濯籠を抱えている。 

 生身の左腕に包帯を巻いたり、顔に絆創膏を貼ったり痛々しい所は沢山あるけれど、それでも表情はけろっとしていて元気そうだった。無理をしている風でもない。


 それが泣きそうに嬉しいのに憎らしくって、じれったい。だからいっぱい助走をつけてあの子に飛びつく。

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