第21話 起源

 シスター・ラファエルのお耳は早い。教会の敷地内で起こった出来事ならすぐさま把握なさる。とはいえ、町の中で起きたこととなると「すぐさま」というわけにはいかない。まして今は蚊帳の外に置かれているようなもの。だから、シスター・ラファエルがその夜遅くに何が起きたのかを知ったのは私とそう変わらないタイミングだった。

 尼僧服の裾とベールを逆立てるほどの怒りを孕みながら神父様のお住まいへ乗り込んでゆくお姿を、お菓子たちはホームの窓からみていた。


 その余波で今日のお仕事は臨時休業に。でもお菓子たちは皆不安そうな顔を浮かべるばかり。嬉しそうにする子は一人もいない。

 だってお菓子たちには知る権利は与えられていない。私も含めて。


「ねえ、あの子に何かあったの?」

「ショーの前なのに……どうしたんだろ?」


 ひそひそ、ざわざわ、ささやきがホームの中を波だたせる。

 さあ、今日はもうお休みなさい──と、ホームに残ってお菓子たちを監督するように仰せつかったシスター・ガブリエルがパンパンと手を打って皆を静かにさせようとなさる。でもあまり効果はない。彼女はどうしても新米の先生みたいで、シスター・ラファエルのような威厳に欠けるのだ。

 ──それにしても、この人。マリア・ガーネットがあんな目に遭ったのにどうしていつもどおり振る舞えるのかしら? あの子の世話を直接焼くのはこの人の仕事なのに。まるで自分には何も関係がなさそうな顔をなさって。

 疑問とそれとは別の気持ちから、私は彼女の気弱そうな横顔を睨んでしまう。視線の圧にすぐさま気づいて、彼女は振り向き、一瞬怯えたような表情を見せた。


「どうしました、マルガリタ・アメジスト? 早くお部屋に戻りなさい」

「その前に、一つお尋ねしても構いません?」


 この人に抱いている不信感をこの時だけは隠せなかった。


「シスター・ガブリエルは昨晩どこにいらしたんです?」

「どこって、ホームにいましたよ?」

「──いつもあの子と一緒に外出なさるのに?」

「……ああ」


 シスター・ガブリエルの眉が顰められる。すぐにこちらの機嫌を伺うような卑屈な笑みをお浮かべになったけれど、一瞬よぎった嫌悪感は見逃せない。それははっきり、私へ向けられたものだった。


「私は神父様にお留守番を命じられていたのよ、ショーの広報はあの子と二人だけで行いたいとのご意向だったから。あの子もそれを受け入れてくれたのよ?」


 後悔を滲ませながらシスター・ガブリエルは、沈んだ面持ちをお伏せになった。その態度を前にした途端、私の内側で怒りが噴き上がる。いつも一緒にいるくせに、ルーシーなんて呼ばれてお姉さんみたいに振る舞っている癖に、肝心な時にあの子のそばにいなかった上に、自分には責任が無いと言わんばかりな表情ができるのだ。

 胸から光をこぼしながら、気づけば足を一歩踏み込んでいた。また地下室に入れられたって構わない、そんな気持ちで手を振り上げる。どうしてもこの人の顔を叩かないとやっていられなかった。

 なのに、私の手は宙でとまる。シスター・ガブリエルの濡れた瞳が私の視線の先に据えられた瞬間、どくん、と大きく心臓が跳ねたのだ。

 戸惑っている私に、悲しげな声が響く。


「あなたはいいわね。怖いものなんて何もないでしょう?」


 急に何を言い出すのか、脈絡のない彼女の言葉に戸惑ったせいで隙が生まれた。あっと思う間に、シスター・ガブリエルは私の右手を掴む。

 右手はそのまま、すっと私の体に沿うように降ろされた。有無を言わさない力で、なのに無理矢理めいたものはなくやすやすと彼女は私の動きを封じてしまう。

 今のは何? と事態に混乱する私にシスター・ガブリエルは気弱に微笑みかけた。ご機嫌をとるような卑屈な表情が私から怒りと戦意を根こそぎ奪う。


「さあ、質問に答えましたよ? もうお部屋にもどってちょうだい」


 そんなのとても承知できない、私の頭はそう訴えるのに感情に火がつかない。まるで炎に水をかけたように静まりかえってしまう。それでも彼女を少しでも追い詰めようと口を開いてみたけれど、力を持った言葉が出てきそうになかった。

 認めたくはないけれど、私はすっかり飲まれてしまったのだ。この新米の先生を思わせる気弱そうな女の人に。あしらわれたのだ、やすやすと。

 悔しさを吐き出して冷静さを取り戻すために、私は息を吐く。


「おやすみなさい、シスター・ガブリエル」


 なんとかそう答えて踵を返した。彼女からの「おやすみなさい」を背中で受け止めながら部屋へ戻る。廊下を歩きながら、以前マリア・ガーネットが教えてくれたことを思い出していた。

 シスター・ガブリエルは元ウィッチガール。七年前の事件の生存者で、あの子にとっては魔法の先生でもある。その事実を思い浮かべて一つ一つ整理しながら部屋へ戻る。



「……ねえ、女王様に何があったの? ガレージから出てきたとき、あんたすごい顔してたもの」


 臨時休業になったことで、カタリナ・ターコイズが私たちの部屋に遊びに来た。いつものように私のベッドに寝転がって尋ねる。自分のベッドの上なのに、私は枕側にすみに追いやられてしまう。

 所在が無くて、爪を磨きながら窓の外を眺めていた。神父様のお住まいからは灯りが漏れている。シスター・ラファエルとのお話がまとまらないのだろう。

 ドアの外にはお菓子たち気配が数人分。みんなマリア・ガーネットに何かが起きたことを察して、それを探りに来たのだ。

 棒付きキャンディーを咥えているジャンヌ・トパーズも、自分のベッドの上でこっちをじっと見ている。


 パジャマパーティーにうってつけの夜なのに、なんて重たい空気かしら。


 私が黙っていることで、カタリナ・ターコイズはある程度のことを自ずと察してくれたみたい。聞こえよがしに呟いた。


「何? 大切なお友達とだけ共有しときたい秘密ってやつ?」


 やめなよ、とジャンヌ・トパーズがカタリナ・ターコイズをいさめてくれた。でも、私は彼女のこういう皮肉屋な所が嫌いじゃない。黙っている負目もあるから言わせるままにする。


「こっちも野暮じゃないから、あんたらの関係についてはもう訊かない。でもさ、今度のショーが終わったらあたしらは一体どうなるのか、それくらいは教えてくれない?」


 寄る辺ないお菓子たちは、この町の偉い方々が決めたことに従わなくてはいけない。だから今回のショーに行く末を心配せざるを得ないのだ。あの犬耳のウィッチガールとあの子の試合を見た夜から、みんな漠然と不安を抱えている。

 このショーが、この町の代表である神父様の後継人を決めるための戦争だってことは、お菓子たちだって薄々わかっている。


「そんな大切なこと、私が知ってるわけないじゃない」

「いっつもシスター・ラファエルとこそこそ何か話し合ってる癖に? ──ま、いいけど。じゃあ質問を変えるわ。もしハニードリームの子がショーに勝ったらあたしらはどうなるか、それについてあんたはどう考えてるの?」

「別に、今までと同じじゃないかしら? 町の代表が変わるだけで私たちは今まで通り変わらずホームで生活する、それだけよ」


 カタリナ・ターコイズの目に険が含まれる。ごまかすなと視線で咎める。

 彼女の不安はもっともだ。ピーチバレーパラダイスの商品として不自由な生活は強いられてはいるけれど、最低限の身の安全と衣食住は保証されている。でも、ルールを軽視するハニードリームがこの町の代表になればそれすらどうなってしまうのか。待遇が良くなるなんてことは期待しづらい。情報を欲しがる気持ちは痛いくらいわかる。

 でも現状、私には何も言えない。私にだってどうなるかわからないんだもの、答えようがない。

 そもそも、ショーの日にはマリア・ガーネットのお兄様がショーの日に帰ってくるのだ。そうなったらこの町はどうなるんだろう。

 私だって誰かに訊きたい。

 はぐらかすつもりはではないが、わざと明るく言ってみた。


「心配ご無用よ、私の女王様は絶対負けたりいたしませんから」

「……そういう惚気みたいなの、今はいいから」


 むっとした様子のカタリナ・ターコイズはベッドから下りて部屋から出ていく。彼女にしては珍しく、冗談を受け止める余裕がなかったみたいだ。

 

 ため息を吐き窓から外を覗き、中庭を見下ろす。ちょうどシスター・ガブリエルがホームへ誰かを案内している所だった。

 ひょろひょろの細身に白衣を纏い、大きなカバンをさげたメガネの男性。それは私のお客様だ。ホームのかかりつけ医としてのお仕事を全うするために来られたのだろう。

 そして今日、診察される子はひとりしかいない。

 マリア・ガーネットは私のお客様に体を診られることを警戒していた。でも緊急事態だもの、今日はそんなことを言っていられない。

 お客様は私に気づかれた。目が合うとにやりと笑う。

 あの方からすれば、それは愉快で仕方ないだろう。マリア・ガーネットの生体情報はホームの子たちの中でもいっとう貴重なものだもの。異世界の妖精のプリンセスと、この世界を異世界の魔の手から守る騎士、両者の血を引く上に魔法の右腕まで持つ女の子。データを欲しがる研究機関はいくらでもあるはずだ。だからこそあの子は身を守っていたのに。

 珍しい宝物が弄せずに手に入り、笑いが止まらないに違いない。

 私は不意にお客様のことが憎らしくなり、カーテンを閉めた。

 

 

 


「ねえ、シスター・ラファエル。人形劇の続きをお忘れじゃありませんか? ドルチェティンカーのお姫様とカテドラルの騎士は結婚して、男の子と女の子が生まれてそのあとどうなったんです?」

「……そうだったね。まあでも楽しい話じゃあないよ。分かってるだろうけどさ」

 

 

 ショーの一週間前にあたるあの日。

 院長室で、シスター・ラファエルの人形劇が始まった。

 まず初めに、お姫様と騎士の人形をそれぞれ一つ、こどもの人形を二つ、魔法の糸で編み上げる。もちろん黒い羊である自分の分身も忘れずに。


「あの結婚式の夜から十数年経ちました。ドルチェティンカーのお姫様とカテドラルの騎士は、正体を隠し、赤い砂漠の小さい町で幸せに暮らしておりました。メンツをつぶされて怒り心頭のピーチバレーパラダイスプリンスの目から逃れるために、こんな地の果ての町で、表向きはただの人間として生活していたのです」


 かきわりの背景は、赤い砂漠に変わる。可愛らしい小さな家に、四人の家族が仲良く勢ぞろいする。


「お姫様は商売の規模をうんと小さくし、信用できる魔法使いにだけ相手にするようになりました。カテドラルから破門された騎士はというと、悪い妖精の国と契約しているウィッチガールを救う活動を始めました。──なんか殊勝にも思うところがあったみたいでね」


 ──シスターラファエルはどうしても、あの子のお父様へは意地悪を織り交ぜないと気が済まないらしい。

 そして小さな家の後ろに、少し大きい家が出来上がる。今私たちが暮らしているホームの前身である、シェルターだろう。


「お姫様は自分たちと同じ時期に活動していたウィッチガールたちが、カテドラルの騎士に狩られるのを何回もみていました。それは何度見ても辛くて悲しいものでした。そこで夫となった騎士と相談し、夫が救った元ウィッチガールを保護するシェルターを作りました」

 

 ずらり、髪の色も肌の色も目の色も様々な女の子の人形が現れる。その数は十二体。


「タチの悪い妖精の国による見通しのあまいウィッチガールビジネスの犠牲になった女の子を保護した結果、シェルターは大所帯になりました」

「なかなかの事業を展開されていたのね、マリア・ガーネットのご両親は。お志は立派でも、これではわざわざ砂漠の町に姿を隠した意味がないんじゃないのでは?」

「そう、そこだよ!」

 

 私の感想にシスター・ラファエルは素早く反応なさる(やっぱりストーリーテラーとしての腕は今ひとつな方だ)。


「あたしは何度もベルに忠告したのさ、ほとぼりが冷めるまであんまり目立つような真似はするなって! あの小豚のプリンスがメンツをつぶされてこのまま黙っているわけがないだろって。なのにあの子ときたら『ほとぼりっていつ冷めるの? 妖精は人間より長寿なんだよ』ときたもんだ」


 あくまであの子の夢は自分の作った動画を売ってドルチェティンカーを大きくすることだったからね──と、シスターラファエルはため息をつく。


「あたしらなりにできる対策はしたさ。目くらましの魔法は怠らなかったし、どこかの国が異世界侵攻用の魔法戦闘部隊が作りたいっつったらウチの武器を無償提供もした。いつプリンスに攻め込まれてもいいように他の妖精連中と同盟を組んだこともあった。──そういう話をしょっちゅうしていたせいだろうね、マイクが賢しらな口を叩くようになったんだ。自分が父さんの跡を継ぐってね」

 

 兄の人形がぴょこんと跳ねて自己主張をする。


「カテドラルに入って騎士になり、悪い妖精を倒せるようになってくる。母さんも父さんもジョージナも、シェルターの子たちもみんなこの町でいつまでも幸せに暮らせるように。小豚のプリンスなんて気にしなくてもいいように──ときたもんだ。どうだい、あの子の兄さんってのはね、十二か十三で大真面目にこんなことを言いやがるようなしゃらくさいガキだったのさ」


 シスター・ラファエルはフンっと鼻を鳴らして嘲笑う。その評価は手厳しすぎるように思えた。


「ご立派なお兄様ではありませんか。さすがあの子のお兄様だわ」

「ああご立派だよ。マイクってのは立派なガキだった。──そういう立派で可愛げのない所があの子らの親父にそっくりだったんだよ」


 何をどうしても、シスター・ラファエルはマリア・ガーネットのお父様には優しい気持ちになれないみたい。あきれる程に心が狭いシスター・ラファエル、でも私は彼女のそういう所が嫌いではない。


「それからマイクはハイスクールを卒業すると同時にカテドラルの総本山へ旅立っちまった。──そっから数年後だよ。あの小豚の糞神父が手下を何人も引き連れてこの町へ攻め込んで来やがったのは」


 牧歌的な人形劇の背景が不吉な赤色に染まる。忍び寄る小豚妖精の黒い影……。

 そこで一旦、シスター・ラファエルは人形劇をぴたりと停止する。


「どうする? 詳細なバージョンとかいつまんだバージョンがあるけれど、選ばせてやるよ。どっちがいい?」

「かいつまんだバージョンでお願いします。私、痛くて怖くて可哀想なお話があまり得意ではありませんから」

「そうかい。なんか意外だね」


 心外だ。私のことを、血の匂いを嗅ぐと陶然とするような女の子だと誤解する方は昔から後を絶たない。とても心外だ。本当に痛くて怖くて可愛そうな話は苦手なのに。

 むくれる私を置いて、シスター・ラファエルはかいつまんだ話を聞かせてくださる。


「先代ボスの跡を継いだばかりのピーチバレーパラダイスプリンスの初仕事、それはベルとピーターにほえ面かかせることだった。予告もなしに郎党ひきつれて町に乗り込み、友達と遊んでいたジョージナを捕まえて、それから以降は有無を言わさぬ大殺戮さ。さっきまで一緒にローラースケートで遊んでいた幼友達の頭がバッファローみたいな猪に食いちぎられる様子を見せながら、こう囁いたっていう。『怖いかい? お嬢ちゃん? お友達や町のみんながバケモノ豚に食い殺されてるが、でもそれもみんなあんんたのママとパパのせいだ。ママとパパがおじさんを怒らせさえしなければ、この町はこんな有様にならなかった』」


 人形劇の舞台は大きな怪物豚に蹂躙される。おとぎ話のパロディーで狼を逆に食べてしまうような怖い豚のお人形が、逃げ惑う小さな人形たちを襲ってまわる。


「ベルとピーターも戦ったさ。でも所詮多勢に無勢だ。あいつらはシェルターを乗っ取って、十二人の娘とジョージナを地下室に閉じ込めた。あそこは元々ベルの工房でもあったからね、怯えきった女の子たちをさらに震え上がらせる道具には事欠かなかった。かいつまむバージョンだから細かいことは省略するがね、あの子の元々の右腕が胴体からちぎり取られたのはこの時だよ」


 人形たちの演技が停まっている。魔法で作り上げられた人形はデスクの上で指示を待ち、笑顔で固まっている。

 シスター・ラファエルにはもう、劇をお続けになる気力はないみたい。


「連中、採光用の窓からあの子の右腕を放り投げて、外で戦っていたベルを呼んだのさ。お前が来なけりゃ今度は左腕、次は脚だってな具合にさ。ジョージナを迎えにいったのはピーターだよ。ベルにはあの子に新しい腕を作らなきゃって仕事が出来ちまったから。ピーターが地下室に入って代わりに出てきたジョージナはよろよろ歩いて出てきたんだよ。左手であの赤い石握りしめてさ」


 黒い羊の姿でシスター・ラファエルはうつむいた。


「あの赤い石、なんとかって言ったろ?」

「──アスカロン」

「そうそれ。カテドラルの聖石だ、神の軍勢の奇跡の力だなんだと田舎もんどもがえらっそうに言いやがるが、あたしらに言わせりゃあれも一種の魔法だよ。あの石の魔法があの子の命を守ってくれた。丸腰で地下室に入っていったピーターのやつはそれっきりだったけどね」


 うなだれたシスター・ラファエルの声には恨みと悲しみが滲みだす。


「ピーターのバカだけじゃない、十二人もいた娘たちの殆どもみんな帰ってこなかった。残ったのは一人だけ、その他はみんな地下室から出られなかった。みんな助けてくるんだよって約束させたのに、期待を裏切りやがって、だから嫌いなんだカテドラルの騎士は。口ばっか奇麗なことばかり言いやがって」


 ――早くしないと、中からあれが……! あんたもあれに飲み込まれる!


 地下室に閉じ込められていた私を迎えに来てくれたマリア・ガーネットは、あの時確かにそう叫んだ。

 お父様と十一人のお姉さまが地下室に飲まれてしまったから、あの子はあの時そんな風に叫んだのか。 

 だからあの子は、地下室が怖くて近寄れない。

 些細なことで激高しやすい神父様も怖くない、たった一人で屈辱にも耐えられるあの子なのに。

 頭ではただの物置でしかないと分かっていても、そばに近づくとバイブルの文句を唱えなくてはいられなくなる。

 あの夜私を抱きしめて、遊園地に行った思い出を呟き続けたマリア・ガーネット。その時の頼りなさを全身で思い出す。


「ピーターの持っていた石のお陰であの子はなんとか生きていた。ベルはね、歯を食いしばってあの子の腕を作ったんだよ。糞プリンスの部下が持ってきた武器を元に新しい腕を作った。材料の足りない分は自分の体と命を注いでね。これからあの子が何年も何年も強く生きていけるように、それだけの願いをこめられて出来上がったのがあの腕さ。──九歳の女の子の腕にしちゃゴツいがありもので作ったにしてはまあまあの出来だろ?」

 

 シスター・ラファエルは乾いた笑いを付け足される。


「ジョージナの腕を作るのに自分の魔力と体の全てをささげちまったから、腕の完成と同時にベルはこの世から消えちまった。あたしはそれ以降ジョージナと一緒にいたさ。最後に地下室から出されたガブリエルといっしょにね。ピーチバレーパラダイスの奴隷みたいな身分だけどドルチェティンカーの名を絶やさないためにはなんとしてでも生き延びるってベルに約束したからね」

「……」

「たった九つでそんな目に遭ったせいか、あの子はしばらく人形みたいだったよ。左手であの赤い石を握りしめてさ。目の前で醜いやり方で面白半分にあの子の宝物が壊されても、家が燃やされても、子豚に首輪をつけられても逆らえやしなかった。でもね、あの石がこっちの世界で目の玉が飛び出るくらい高価な宝石だって知った豚どもがそれを取り上げようとした時にあの子は何日かぶりに動いてね……。自分で右腕を開いてその中に隠した」


 ――父さんにアスカロンを託された時は……なんて言うのか、まあ結構な取り込み中だったんだ。アスカロンは見た目がああだろ? だからとりあげようとするバカもいてさ、とにかくこの腕の中に隠したんだ。でもそれだとカラカラって間抜けな音がするじゃない? だから手の甲にああやってねじ込んで、そこからずっと考え無しにそうしていた。


「それまで何にも見ていないガラスみたいな目をしていたのに、急にはっきりした目になって言い出したんだ。あたしはいつかこの町をとりもどす、そのためには父さんみたいにこの石の使い方を覚えなきゃいけない。魔法が使えるようになって兄さんが帰ってくるまで待てるようにならなきゃいけないって。頼りになる子だろ? ──以上、これがあの子がいまの姿になったのかとこの町がこんな妙な町になったのかってそもそものお話さ。めでたかないが『めでたしめでたし』」


 こうしないと昔話はしまらないからね、とシスター・ラファエルは笑う。   

 ぽひゅん、とまた間の抜けた音をたてて人形は消えた。人形劇はこれでおしまい。


「こっちにも糞プリンスとの結婚式を踏み倒したっていう不義理もあったからね、その手前今まで大人しくしてきたさ。でもあそこまでやられて七年もガマンしてやったんだ。七年だよ? おつとめは十分果たした筈さ。そう思わないかい?」


 私は何も言えなかった。

 机の上に肘をついて頭を支えるので精いっぱいで。


 だからこそ……! と、シスター・ラファエルはマリア・ガーネットの女王としての正当性を主張なさるが、お声は耳を素通りしてゆく。

 理屈屋でも(認めてはいないけど)根性が腐っていても、私は99.9パーセントは人間だ。ましてウィッチガールとして作られたモノだ。それなりに感受性というものがある。

 残念なことに私は、ごく当たり前な幸せの中で生きていた女の子の無残な話を聞いて顔色を一つも変えずにすませられる、そんな風には出来ていないらしい。人格と記憶を粉々にされても、心なんてとっくに失くしたと思っていても、そこだけはどうしても損なわれないようなのだ。


 ましてその子は私の大切な女王様だもの。


 ウィッチガールはどうやら、人や世界への愛憎に反応しやすくできているみたい。

 それはおそらくウィッチガールの根幹をなすものだから、いくら人格や記憶を壊されてもそこだけは決して変えられない。

 そして兵器として人為的に作られたウィッチガールである私は、魔法の力を与えられた普通の女の子出身のウィッチガールより強く反応するように調整されている。

 思想宗教人種民族国家文明あらゆる世界およびその主権者への愛情に反応し、それらを守って戦うようにあらかじめ設定されている人造ウィッチガールのスクラップ。それが私。

 スクラップの私は、どんな世界なんかより一人の女の子が大好きで、その子が昔とても辛い目に遭っていたことを知り、ただただ悲しかったのだ。


 

 消灯時間が過ぎたベッドの上で、私はあの日の人形劇の内容を振り返っていた。

 まともに眠れなくなるような内容だってわかっているくせに。


 ――自分で言うのもなんだけど、あたし、昔、それなりに悲惨な目に遭ったんだよ。その時に比べたら、昨日のことなんて全然大したことない。


 午後に聞いたあの子の声も蘇る。

 何度寝返りをうっても眠気は一向に訪れない。目を閉じ続けるのも疲れ、瞼を開いてカーテンが夜風をはらむのを見ている。

 不用心だから夜眠るときは窓をしめなさいとシスター・ガブリエルはおっしゃるが、このところ暑い日が続いていて窓は開けっぱなしにしていた。


 しばらくすると玄関のドアが開き、誰かが外へ出てゆく気配がした。ゆったりとした足音。きっと私のお客様だろう。体を診るだけにしてはやや長い時間、ホームに留まられていたご様子。


 私はもう一度目を閉じる。

 

 さすがに肌寒くなり、起き上がって窓を閉めようとした。瞬間、その手が止まる。


 教会の十字架の上に、あの子が立っていたからだ。


 ハニードリーム所属の、ピンク色のウィッチガールが。

 

 私の視線に気が付いて、あの子はにっと笑い、ステッキをくるくる振り回した。

 完全に満ちるには数日足りない月を背負ってポーズを決めるあの子からは、ベテランウィッチガールの風格が漲っている。


 ピンク色の瞳が私を睨む。

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