第20話 首輪

 マリア・ガーネットは神父様に連れ回されてばかりで私と会う暇もない。ミスターが町を去ってからジャンヌ・トパーズも元気がなくて、おしゃべりも弾まない。


 ショーに向けて盛り上がるピーチバレーパラダイスとは反対に、私の生活は淡々としていた。

 ご指名があればお仕事をこなし、院長室でシスター・ラファエルに編み物を仕込まれつつ愚痴のお相手に努める。

 このショーそのものに批判的なシスター・ラファエルは、今回のことに自分は一切関知しないと宣言なさっている。我関せずなご姿勢でホームの通常業務にお取り組みだけど、どうしたって心穏やかにすごすわけにはいかないみたい。

 黒い羊のぬいぐるみ姿でウィッチガールの遺産の贋作を編み上げながら、際限なく愚痴をお吐きなさる。


「……大体、あの子もあの子だよ。最近なんて、一丁前にあたしに隠し事なんかしやがるようになってきてさ……。昔はメラニーメラニーってずいぶん懐いてくれてたってのに……」


 ショーの日が一週間後に迫っても、シスター・ラファエルの愚痴は止まない。マリア・ガーネットがショーに出ると決断したことがまだ受け入れられないご様子だ。あの子がみすみすハニードリームの挑発に乗ったのが悔しくてたまらない模様。

 二人の関係はまるで、お互いのことを大切に思うが故にすれ違う親子みたい。反抗期を迎えた子供と母親の仲を思わせる愚痴は、二人が七年間の間に築き上げた関係を思わせる。母親代わりという立場がはっきりしているから、シスター・ガブリエルを前にした時のような子供っぽい嫉妬は覚えずに済んだ。だから私も軽口が叩ける。


「マリア・ガーネットだってお年頃ですもの。大人に内緒にしておきたいことの一つや二つあって当たり前じゃありません?」

「それを仕入れてあたしにさりげなく報告するのがあんたの仕事だろっ。なんのためにあんたがあの子にベタベタするのを見逃してやってると思ってるのさ?」

「プリンセスだろうとクイーンだろうと、あの子は私の大切なお友達です。お友達の秘密を勝手に明かしてしまうなんて、神様がお許しになりません」

「なにが〝お友達″だよ、このあばずれがいけしゃあしゃあと」


 お気持ちを抑えられないシスター・ラファエルの口ぶりがおかしくて、ついクスクス笑ってしまう。悩みの種が次から次へと出てしまう状況にお冠なシスター・ラファエルは、私のことを目でお叱りになる。でも、小さな黒い羊の姿ではそれすら可愛らしい。

 編み物はちっとも楽しくないけれど、愚痴のお相手は私にとってもいい気晴らしになっていた。だって、マリア・ガーネットは未だにガレージに姿を現さない。

 お仕事の日、お仕事ではない日、それぞれ夜明けに神父様の騒々しい声に耳を澄ます日が続いているけれど、以前のように神父様にたてつくマリア・ガーネットの声は聞こえない。

 ただ、ガレージには時々帰っていることを示す跡が残されていた。ミスターから贈られたリボンを巻いたチェリーソーダの空き瓶が、今ではチェストの上に飾ってある。

 そんな事柄からあの子のことを想像するしかない状況だから、シスター・ラファエルの愚痴は尽きることがない。


「ハニードリームのやつら、マリア・ガーネットにカテドラルの血が流れてるのが気に入らないんだよ。まったく、誰のおかげでこの町が七年もこの状態を維持できてるのかよく考えもしないで……」


 遅かれ早かれ、神父様が引退したあとのこの町はマリア・ガーネットを女王に据える。表向きは女王を擁するドルチェティンカーを代表とした連合制を敷く。そんな話を水面下では進めていたのに、ハニードリームが突然全てを反故にするような動きをみせだした。無意味な挑発を繰り返し、抗議ものらりくらりと躱して神父様の怒りを煽り、挙句の果てにバトルショーというくだらない戦争まで演じる羽目になった。筋書きを台無しにしたハニードリームに合わせる必要なんてないのに。──シスター・ラファエルはそのようにお考えだ。

 ただでさえ認め難い状況だというのに、親友の忘れ形見で可愛い娘とも言っていい女の子すら自分の意思に背いてみせる。それが歯がゆく苛立たしく、我慢がならない。公私ともにお悩みが尽きない日々の鬱憤が、彼女の言葉を荒れさせる。


「大体あの子は小なりとはいえ王族の血を引いてるんだ。その辺の成り上がりたぁ出が違うんだよ、出が! それをあの貧民窟あがりどもが図に乗りやがって……」

「シスター・ラファエル、お言葉を返すようですけれど、王族の血を引いていることがマリア・ガーネットを次期女王に据えるにふさわしい根拠であるとするならば、カテドラルの血を引くことで次期女王にふさわしくないとするハニードリームの意見にもある程度の理があることを認めないと筋が通りません。不愉快でもそこは認めませんと」

「うるっさいねえ、理屈は今はいいんだよ! 大体あんたどっちの味方なんだい、ええっ?」

「私はマリア・ガーネットの味方です」


 冗談めかしてそう結んだ。

 実際、私の中にはハニードリームに味方する気持ちなんてかけらもない。教会に属するお菓子という立場だからなんて事情なんて関係なく、私はマリア・ガーネットが好きなんだもの。

 大体、あのピンク色のウィッチガールの件もあってハニードリームの印象は私にとっても最悪な所へ落ちている。

 でも、それだけじゃない。

 シスター・ラファエルがハニードリームの不誠実さをなじるのも、ごもっともだからだ。


 そもそもの話、異世界から来る悪魔や悪い妖精をこの世界から追放するのが存在意義のカテドラルが、これほど酷い有様になっている町を見捨てているのか。

 私みたいなお菓子たちが、カテドラルに所属する本物のウィッチガールスレイヤーに壊された元ウィッチガールたちが、どうして悪い妖精が治めるこんな町に流れ着いて生き延びているのか。

 そこから考えて見えてきた関係は、私には馴染み深いものだ。

  マリア・ガーネットのご両親の時代から、ドルチェティンカーはカテドラルと共犯関係にある。そしてそれは今なお継続中。

 

 本物のウィッチガールスレイヤーに殺されたはずの私たちが、悪い妖精の治めるこの町で第二の人生を過ごしている。そんな奇妙なことが示すのは、表向き敵対しあっているこの両者が陰では馴れ合っているということ。両者を結びつける秘密のパイプの一端を握っているのは、かろうじて生き延びている小国であるドルチェティンカー。だからこそ、ピーチバレーパラダイの奴隷みたいな身分であってもドルチェティンカーの末裔にはそれなりの発言権が認められている。──役割を終えたスクラップだったとしても、私たちには窓辺に飾っておくくらいの価値はあったというわけね。

 ただし、それは万能の切り札ではない。カテドラルとドルチェティンカーの共犯関係は、何かがあれば真っ先に裏切り者として疑いの目にさらされる危険なカードでもある。この点はこの町ではどうにもなりようがない。

 でも、その関係の下で甘い汁を吸ってきたはずのハニードリームが、このタイミングでそれを根拠に挑発を繰り返すのはまったく筋が通らない。

 シスター・ラファエルのご不快の大元はここだ。この方は筋や義を尊ぶ方だから。

 

 機械のように魔法の糸を編みながら、マリア・ガーネットが着けているチョーカーを思い浮かべる。

 強がりもうそぶきもせず、神父様なんて怖くないと言い切るあの子。なのにあの子は律義に首に拘束具を巻いている。

 金属の右腕とはちがい、犬の首輪によく似たあのチョーカーは成長に応じて大きさを調節するものだ。九歳からの七年間、その気になればいつでも外せるチャンスがあったのにもかかわらず、あの子は敢えて身に着けている。

 恐怖で支配されているわけではない。あの子なりに理由があって自ら着けて、見せつけているのだ。

 そうやって、神父様に身も心も隷従しているポーズをとるためだろう。きっと。

 

「……おや、ちょっと見せてごらん」

 

 私の手元をのぞき込んだシスター・ラファエルは、編み上げている途中だった作品を前脚でお取りになる。考え事から我に帰った私の手から取り上げて、持ち上げたり目に近づけたり、しげしげとお確かめに。今日編んでいたそれは、ちょっといびつだけどきちんと星の形をしていた。

 

「最初のことを思えばずいぶん上達したもんじゃないか」

「そりゃあ、こうやって毎日練習させられていますもの」


 ちょっとした皮肉をまぶしたつもりだったのに、シスター・ラファエルは大きく頷かれた。


「だから言ったろ、日々の練習があんたの中の≪賢者の石≫を活性化させているんだよ。創造力が上がってるのがその証拠さ」


 ──またこれだ。

 シスター・ラファエルはご自分の見立てに対してい自信満々でいらっしゃる。でも、私自身はどうしてもそれを信じられない。壊しきれなかった魔力のかけらは、確かに私の体の中に残されているようだけど、それをどう駆使すればいいのか。あいにく頭も体も思い出してくれそうにない。

 でもシスター・ラファエルは、自分のことなんて信じられない私のことなど気にもとめない。何故かこの方は、私がいずれ魔法の力を取り戻すのだと固くお信じだ。私はその強さを前にしては途方にくれるばかり。

 

 ──気分を変える為にも、そして以前から知りたかったことを確かめるためにも、一つおねだりをした。


「ねえ、シスター・ラファエル。この所の騒動で、いつか人形劇の続きをお忘れじゃありません? ドルチェティンカーのお姫様とカテドラルの騎士は結婚して、男の子と女の子が生まれた。そしてそのあとどうなったんです?」


 あの子がいないこの場所で、マリア・ガーネットの過去を訊くことに抵抗を覚えないわけではない。でも、最近のこの町の状況はどう考えてもおかしい。あの子の準備が整うまで待っていては手遅れになりかねない。

 私のおねだりに、シスター・ラファエルは一呼吸の間を置かれる。


「……そうだったね。まあでも楽しい話じゃあないよ。分かってるだろうけどさ」


 私は頷く。

 突然やってきた悪い妖精に、無関係の人々を巻き添えに幸せにくらしていた女の子の未来が断たれたお話なんだもの。楽しい内容になりようがない。

 


 

 マリア・ガーネットはきっと今日もいない。

 そう予想はしていても、すっかり習慣づいてしまった足はガレージに向かってしまう。

 ショーまであと三日に迫った日だった。

 もうそろそろあの子も広報活動から解放されないと、肝心のショーでベストなパフォーマンスができないんじゃないかしら? そんな心配をしながらいつものように開けっぱなしのシャッターをくぐった。

 今日のガレージには久しぶりに人の気配がある。ここしばらく無人のガレージに慣れていたから、わずかな空気の変化にだって気づけた。


 カーテンの陰、ソファの肘置きの上にのびたものが見えた。あの子の金属製の右腕だ。

 手の甲が上向いている。ということは、あの子は今うつぶせに寝ている。いつも体の右側を上にして体を丸めて寝ることが多いのに。なんにせよマリア・ガーネットがガレージにいる。何日ぶりのことだろう!

 それだけでも胸から光がこぼれそうになった。

 いつものようにソファのそばに駆け寄ろうとしてすぐ、床の上に投げ出されたものに気づいた。黒い布の塊だ。形から衣類だとわかる。

 何気なく拾い上げると、それはさらさらと腕にまとわりついた。思わずうっとりしてしまうような肌触り。でも男物の香水や煙草、アルコールの匂いがひどくしみついている。両端を摘まんで広げると、それは案の定それはドレスだった。 

 オフショルダーでシンプルだけど、ウェストの細さや足の美しさを引き立てるようにデザインされた、誰の目にもかなり高価で質のいいものだとわかるドレスだ。マリア・ガーネットはこういうドレスが似合うんじゃないかって、何度か思い浮かべたこともある、私にとってはそんなドレス。

 エレガントな服飾品に無関心で、私が知る限りはつなぎばっかり着ているあの子のガレージに、どうしてドレスが落ちているのか? そんなことを不思議に思うよりも早く、全身から血の気が引いた。それが酷く汚れていた上に、所々引き裂かれていたせいで。

 息を飲んでいたせいで、ソファからのびた右腕がぴくぴく動いているのに気づくのに遅れる。ん……と気だるそうに、寝起きらしいあの子は軽く唸る。


「……誰? ルーシー?」


 半覚醒状態の頼りない声で。


「……ごめん、悪いけれどそこの、持って行ってくれる……?」


 マリア・ガーネットは、今ガレージにいるのが私だと気づいていない。そのまま話を進める。けれど、私が黙っているせいか、ここにいるのが〝ルーシー〟ではないと気がついたみたい。


「……マルガリタ・アメジスト?」


 完全に目の覚めたはっきりした声で、私の名前を呼んだ。これでもう、ドレスを投げ捨ててなにも見なかったことも、逃げ去ることも出来なくなる。


「……おはよう、マリア・ガーネット。お帰りなさい」


 カーテンの影に腕が引っ込んだ。体を起こしたのか、ソファのクッションが軋む音がする。

 はあ、とカーテンの陰でため息がこぼされた。髪をいつものようにかき混ぜる音や、参ったな、と呟く声もする。


「……見た?」


 ドレスのことを指している。


「触んない方がいいよ。手が汚れるから」

 

 マリア・ガーネットの声は、いつものお喋りする時と同じ調子だった。落ち込みも傷つきもしていない。

 ドレスをつまみあげている私の口は、乾いてしまって声すら出てこない。理屈屋のマルガリタ・アメジストなのに、なんてざま。


「……やめてよ。あんたが黙ってると調子が狂う。なんでもいいからなんか言ってよ」


 その声も明るい。元気のない友達をいたわるような声だった。

 何か言わなきゃ、と私は自分に命じる。なんでもいいから何か。

 泳いだ視線はチェリーソーダの空き瓶に目をとめる。


「……ソーダ、飲んでくれたのね。よかった」

「最後の一本だからとっておこうかと思ったんだけどね。──おじさんはどうだった?」

「ジョージナとずっと仲良くしてやってくれって」

「そっか」


 話はそこで終わってしまう。


「そっちへ──」


 行っても大丈夫? 

 そうつづけたかったのに、言葉は途切れてしまう。

 あの子が寝ているソファの上に馴れ馴れしく近づけた、いつもの図々しい私はどこへいったのだろう。今一番、あの子のそばへ行かなければ、そしてあの子の体を診なきゃいけない時なのに。

 マリア・ガーネットは私の言いたいことを汲んでくれる。


「悪いけど、今かなり酷い恰好だから、カーテンのこっち側には来てほしくない。──ああでも」


 立ち往生してる私へ、マリア・ガーネットは促す。右腕をカーテンの陰から出して。

 その腕は幅広のピンクのリボンでがんじがらめにされていた。

 プレゼントのラッピングのような華やかさだけど、魔力を封じる一種の魔法だ。じりじりする胸の痛みと肌の戦慄きが教えてくれる。

 右腕の魔力を封じるための魔法だ。


「これ、ほどいてほしいんだ。左手一本ではどうしても難しくて。お願い」

 

 ドレスを投げ捨て、私はかけよる。跪いて右腕をとる。

 格子状に編み上げられたリボンは花の形で結ばれていた。それは本当に見事な結び方で、思わず見惚れてしまいそうだった。リボンに抑え込まれたアスカロンが歯噛みするようにカタカタ震えていなければ。

 一見ただのリボンなのに、触れると指先がぴりっと痺れた。魔力でできたリボンだ。ウィッチガールが戦闘の時にステッキから放つような、見栄えのいい魔法だ。

 今このピーチバレーパラダイスでピンク色の魔力を放つ子なんて、私は一人しか知らない。

 リボンの先端を摘んで引っ張る。一見ひらひらとした布切れでしかないのに、針金の芯でも入ってるみたいな硬さがある。

 ここにハサミがあったらいいのに、この魔力の塊を引きちぎる力が私にあればいいのに。歯を食いしばってリボンを解く。



「……ただの余興だよ」

 

 カーテンの向こうで、マリア・ガーネットは語る。さもなんでもないことのように。


 神父様はもともと遊び人のおぼっちゃまだ。綺麗に磨いた女の子を隣に侍らせるのがお好きな方だ。 

 目元がきついって言われがちだし、傷だらけだし、髪は刈り上げてるし、普段はつなぎばかり着てるけど、マリア・ガーネットは綺麗な子だ。颯爽として力強くて、手足がすらっと長くって、鞭のようなしなやかな体から魔力を放つ、赤い瞳に鉄の腕を持つ私たちの女王様だ。

 でも神父様にとっては、初めて恋をしたお姫様の忘れ形見で、激しく憎んだ騎士の血を引く憎悪の対象だ。

 そんな女の子にハイブランドのドレスを着せて、悪い大人が出入りするような秘密の社交場に連れ出す。そして、気が荒くて少々手なづけるのに時間と手間暇のかかったペットだと紹介もする。だって神父様は恐ろしいほど愚かで軽率な方だから。

 マリア・ガーネットはその役割をこなす。ショーの女王様だって言われたって、他の子たちとは違う所で寝泊まりしていたって、公的な立場は所詮ホームのお菓子の一つだ。甘ったるいアソートの中で味が塩気とスパイスが効いているだけ。

 それにマリア・ガーネットは知っている。次期女王なんて持ち上げられていても、カテドラルの騎士の血をひく自分の立場が、いつ一変するか分からない不安定な身分であることも知っている。

 今はまだピーチバレーパラダイスの大人たちを信用させなきゃいけない。

 首輪をつけて神父様の飼い犬だということを見せつけて、悪い妖精の国の掟に従っていると見せかけなきゃいけない。

 反抗的に見えても所詮それはポーズで、本当は従順でこんな狭っ苦しい町で生き抜くための賢さを身につけた、ちょっと変わったウィッチガールだと思わせなきゃいけない。


 今日の未明までは、自分のショーで作りあげたイメージにあわせて澄ましていればよかった。

 誰にも媚びない孤高の女の子が、ニコリともせず、なのに大人しく隣にいる。

 飲めと言われれば酒も飲む、踊れと言われれば踊りもする。リクエストにされれば大人を舐めた生意気な口も叩く。そういうシチュエーションも神父様はお気に召していた。あんまり生意気だと家に帰ってから面倒なことになったけど。


 あとしばらく、兄さんが帰ってくるまでの辛抱だ。それくらいなんでもない。

 自分は七年耐え抜いた。右腕も思い出も宝物も過去も町も両親も壊されたけど、でも自分自身は壊れずに七年間やってきた。


 マリア・ガーネットはそうやって神父様の隣に座る。ひとかけらの骨も残すことなくお父様を消し去った相手の隣で、獰猛だけど忠実でみてくれのいい番犬のフリをする。

 でも、昨日は社交場にハニードリームの支社長がいた。

 お供にあのウィッチガールを連れている。

 あの子は愛らしい顔で囀ったのだという。


「あの雑貨屋のおじいちゃん、なんでこのタイミングでこの町を出ていったの? 不自然じゃない? なんか誰かが逃してやったみたいじゃん。普通出て行く? だって掻きいれ時だよ? おかしくない? なんかさ、逃がしてやったみたい」


 マリア・ガーネットは取り合わない。甘ったるい童顔の少女による突拍子もない言葉だと、大人たちが片付けるように仕向ける。

 でも、ピンク色の子とハニードリームの支社長は執拗だった。何かが来るから、マリア・ガーネットが手引きして逃がしたのだと匂わせる。

 最初は笑っていた大人たちの空気も徐々に変わる。マリア・ガーネットがカテドラルの血を引いているのも、太いパイプを持っているのも周知の事実だ。その気になれば、カテドラルに関する情報を町中に流すも握りつぶすも胸先三寸でどうにかできる立場だ。

 神父様はその空気を察する。

 人一倍メンツにこだわる神父様はすぐさま臨戦態勢になり、マリア・ガーネットをけしかける。

 マリア・ガーネットはそれに応じなければならない。


 兄さんが帰ってくるのはまだ先だ。あのピンク色のウィッチガールが口走っているのは、こちらを挑発したがいための面白半分の与太だと思わせなければならないから。

 挑発にのって、お望み通り闘犬の真似事でもしてやろう。どういう形になってもいいから、とにかくもりあげてやれ。そうすればお祭り気分で頭のゆるんだ大人たちはどうせ、あのウィッチガールが何を言ったかなんかすぐに忘れる。この町にただの人間が営業する雑貨屋があったことなんて覚えもしなけりゃ最初から知りもしなかった連中ばかりなんだから。

 

 ヒールの高い靴を脱ぐと、ハートのオーブのついたステッキを構えている見た目が十三、四歳のウィッチガールと向かい合う。



「──で、結果はこのザマなんだけどね」


 さばさばとマリア・ガーネットは口にした。

 右腕のリボンはまだほどけきれない。見た目よりもずっと複雑に絡みついているのだ。

 それでも手首から肘の中ほどまでのリボンはほどいた。枷から放たれたアスカロンが暴れるため、鋭く尖った指がソファの肘置きをバキバキと握りつぶす。


「油断してた。あの子とはこの前やりあったばっかだし、って。だから反撃くらって腕封じられて、この通り。ざまあないよ」


 右手のコントロールを取り戻したマリア・ガーネットは苦笑する。

 本来なら自分を攻撃した魔力を食らいつくすアスカロンなのに、なすすべもなく封じられたなんて。あの子の持ってる杖がマリア・ガーネットの右腕と同じドルチェティンカー製だったからだろうか。その上で魔法を使うのがこの子よりも上手で闘い慣れている子だったからだろうか。リボンをほどきながら私は考える。そうやって、その後マリア・ガーネットの受難のことを思い浮かべまいとする。金属の腕からは体液の臭気がひどく漂う。仕事柄なじみのある臭いだ。

 カテドラル由来でウィッチガールスレイヤーの魔法を封じられた女の子。悪い妖精の国の大人たちが一番恐れている力が使えなくなった子。

 そして、気の荒い神父様の面子を潰した格好になった女の子。


「あとから聞いたけど、あのピンクの子、無冠の女王って呼ばれてるんだって。好き好んで敗北動画なんかに出てるけど、その気になればたった一人で地球の一つや二つ救える子なんだって」

「……あんな子がそんな正しい行い、すると思う?」

「言えてる」


 やっと口にした私の屁理屈を、マリア・ガーネットは冗談だと思ったみたいだ。


「……でもよかったよ。あの子とやらなきゃ、あたし、なんの心構えもないまま犬耳の子とショーでやりあう羽目になってた。そうなったら昨日の夜よりずっと酷い目に遭うところだった。いい経験になったよ」

「馬鹿なこと言わないで!」


 我慢が出来なくて私は喚く。堪えていた涙で視界が歪む。

 マリア・ガーネットは泣いてない。カーテンの陰に隠れたあの子の姿は見ないようにしているけれど、泣くのを堪えているような声ではない。恥ずかしくて二度と思い出したくない酷い失敗をあえてオープンにして笑い飛ばそうとする、そんな声。不安定な時のあの子がするように、バイブルの文句も唱えてないしくまちゃんを求めてもいない。


「私そういう『良かったさがし』みたいなの大嫌い……!」


 何も傷ついていない私の方がボロボロ泣いて、みっともないったらなかった。

 溢れた涙が金属の腕にぱたぱた落ちる。

 しまりのない涙腺のおかげでマリア・ガーネットの泣く機会を奪っているのかもしれない。そう思うと悔しかて仕方がない。なのに私は涙を落としてリボンを解いている。


「……ねえ、マルガリタ・アメジスト」


 屈辱的な目に遭ったのは、だらだら泣いているくだらない私なんかではなくマリア・ガーネットだ。なのにやっぱりその声は落ち着いている。

 リボンから解放された膝より先が動き、尖った指先で涙でベタベタする私の頰を傷つけないようにそっとなでる。


「自分で言うのもなんだけど、あたし、昔、それなりに悲惨な目に遭ったんだよ。その時に比べたら、昨日のことなんて全然大したことない」


 私は首を左右に振る。

 マリア・ガーネットがジョージナ・ブラッディだった最後の数日に何を見てどうして生き延びたのか、私は既に知っている。

 だからって、この子が過ごした酷い一夜を「大したことない」だなんて言えるものか。

 そんな思いでいっぱいな私の頰に、右手はぴったり添えられる。親指の腹が、涙をぬぐう。どうして私が慰められてしまうのか。


「……本当だってば、マルガリタ・アメジスト。あたしは平気だから。だってあんたみたいな根性の腐った子があたしのためにこうして泣いて怒ってくれてるんだから」

「……腐ってなんか、いません……っ」


 ははっと、それを聞いてマリア・ガーネットは軽く笑った。私が怒ったのがおかしかったらしい。


「ほら、あんたがいてくれたからこんな最低な日にこうやって笑うことができた。……あのね、マルガリタ・アメジスト。あたし今まで一番、神様っているなって感じがしてるんだよ? だから平気。あたしは大丈夫……言いたいこと、分かる?」


 私は首を左右に振る。だって分かるわけがない。私は神様を信じられないようにできているし、たとえ信じることができていたとしても、今この瞬間で神様のことが大嫌いになっている筈だ。

 でもマリア・ガーネットの声は落ち着いている。精神が不安定になっていそうもない。

 ここはガレージで、この子の好きな青い空の下でも、きちんと整ったものがある場所でもないのに。それでも神様はいるという。本当に理解できない。


「ありがとう、マルガリタ・アメジスト。あたしのところに来てくれて」


 私なんかに感謝するマリア・ガーネットの声に、私はなんて答えていいのかわからない。理屈屋のマルガリタ・アメジストはどこへいったのだろう。


 

 ようやく全てほどき終えたリボンは、その瞬間に細かな花弁になって散った。

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