第19話 亡命
殺気が漲っていつ爆発してもおかしくなかったのが先日までのピーチバレーパラダイス。
ここしばらくは、うって変わってお祭の前のような期待と熱気に覆われている。
ウィッチガールバトルショーの特別興行が正式に決まってから町の空気はすっかり変わってしまった。ピーチバレーパラダイスとハニードリーム、お互いの意地と野心がぶつかりあうと煽りに煽られたそのショーの開催日はあと二週間後に迫っている。
ウィッチガールスレイヤーにして無敗の女王のマリア・ガーネットと、容赦の無い闘い方で女王とドローまで持ち込むという鮮烈なデビューを飾った犬耳のウィッチガール。因縁の二人が勝敗がつくまで徹底的にやるという触れ込みで宣伝されているから、それはそれは大盛り上がりだ。
メインストリートを歩くだけで、あちこちに貼られたポスターが目に付くし。フェンスの外仮名には世界各地に潜んでいるウィッチガールファンのトレーラーが目に付くようになる。トレーラーの数は日に日に増えて行く。
できる限り目立ちたくない、外の世界からの注目を集めたくない。そうお考えであらせられるシスター・ラファエルのご機嫌はこのところずっと芳しくない。ハニードリームが仕掛けて神父様が乗った形で生まれたお祭騒ぎへの不信感もさることながら、マリア・ガーネットがショーに出るのを承知したことがとにかくお気に召さないのだ。
「犬みたいな耳をしたあのウィッチガールともう一度やれるなら、ショーに出てもかまわない」
自分のあずかり知らない場所で決まったショーに出場するためにマリア・ガーネットが出した条件、それはこの立った一つだけだった。
例えあの子が泣こうが喚こうが力づくでもショーには引きずり出してやると意気込んでいらした神父様は、それを聞いて大層お喜びになったらしい。
マリア・ガーネットがリベンジに燃えている。ピーチバレーパラダイスの為に、その長である自分の為に尽くしてくれている、そのように都合よく解釈して士気を高めていらっしゃるのだそう。
「そいつをてめえの首に嵌めてから七年になるが、ようやく忠誠心ってもんが身について来たな」
夜明け前の中庭から、そんな言葉が聞こえたこともあった。マリア・ガーネットが嵌めている首輪についての雑談だ。
「根気よく躾けていりゃあそのうち誰が主人かを飲みこむ瞬間ってのが訪れる。どれだけ気位が高かろうが、鎖の片方を握ってる方にいずれ必ず頭を垂れる。犬コロみたいに従順に。その瞬間の、達成感と喜びで全身ビリビリ痺れる瞬間がたまらなく好きなんだよ、昔から。──お前は七年も待たせた分、痺れの大きさも桁違いだ。まだ収まらねえ」
こんな台詞を聞かされたあの子はきっと、冷め切った目をしていたんじゃないかしら。
「どうしてあんな条件をだしたの? あの犬耳の子のこと、怖かったって言ってたじゃない」
「うーん……、怖かったからこそ、かな」
中庭の花壇に水を撒きながら、マリア・ガーネットは答える。
ショーの開催が二週間後に決まったその日、あの子は中庭の花たちに水をやっていた。水やり当番の子からわざわざ如雨露を借りて丁寧に。
シスター・ラファエルが手掛けたこの花壇は、乾いた気候に抗おうとするように色とりどりの草花が植えられている。そんなに珍しい花々ではないけれど、女の子たちの住まいの彩りとしての役目は十分果たしている。
「ショーに出てくるウィッチガールはさ、基本的にみんなエンターテイナーなんだ。戦闘が専門って言ったって、戦う時に一番意識するのは観客の視線なんだよね。あたしだってそうだし。連中が何を期待して何が見たいのか、それを読んでその場でストーリーを作る。対戦相手の子だってそうしてる。あたしたちはリングでストーリーをぶつけ合っている。──でも、あの子は違ったから。最初から観客なんて無視してまっすぐに殺しにきた。プランはあってもストーリーが無かったんだよ、あの子の闘い方には」
マリア・ガーネットは花壇を見つめたまま語り出す。
如雨露から撒かれた水はすぐに乾燥してしまう花壇の土に吸い込まれてゆく。
「頭を狙われた瞬間、あ、ヤバイな、この子本気だな、ショーのことを理解する気がないなって感じて。そしたらさ、ピンときたんだよね。この子相当キツイ体験してきてるなって。そしたらなんかこの子のこともっと知りたいなってなっちゃって──何、痛いっ」
話を聞いているうちに不意に憎たらしくなって、この子の耳たぶを摘んで軽く引っ張った。
この私がすぐ隣にいるのに、他の子の話をされるなんて。そんなの面白いわけがないじゃない?
「闘いの最中に気持ちが通じ合うだとかカタリナ・ターコイズが好きそうなお話、私は好きじゃないの」
「気持ちが通じ合わなかったから気になったんだけど……あーもう分かったよ。あの子の話はもうしない」
そっち側にも水を撒いてくれる? とマリア・ガーネットは私に如雨露を渡して頼んだ。花壇は地下室の前、ちょうど採光用の窓のそばにある。マリア・ガーネットは、だから、そちら側へは近づけない。
私は如雨露をうけとり、地下室側の花たちにも水を撒く。
花壇の周りを半周して、私はマリア・ガーネットの隣に戻る。この子は何かを考えるような目つきで、花壇の花を見つめていた。黄色いマリーゴールドの花びらの一つ一つを見極めるように。
ひょっとしたらその向こうの地下室から、七年前の出来事から、意識をそらせなくなってるのかもしれない。不安に駆られて金属製の右腕を引くと、この子の体から緊張が解けた。
我に帰ったこの子は、私へはにかんでみせる。
「あのさ、マルガリタ・アメジスト」
「なあに、マリア・ガーネット?」
赤い瞳がだんだん真剣みを帯びていく。私は何を打ち明けられてもいいように身構えながら、とっておきの笑顔を浮かべた。
天使のように見える筈の笑顔に安心してくれたのか、マリア・ガーネットは私の髪に右手でそっと触れてくれた。この子はどうも私の髪を触るのが好きみたい。
私の髪に触りながら、マリア・ガーネットは何かを言いたげにじっと見つめる。赤い瞳が、まっすぐ、私へ。
──こういう胸が高鳴るようなシチュエーションに馴染みがあるような。そうだ、ホームのお菓子たちが勉強と娯楽を兼ねて読んでいるティーン向けのグラフィックノベルにこんなシーンがあったわ、と気がついた瞬間、マリア・ガーネットはもどかしそうに目を伏せた。同じタイミングで右手も下ろす。
「……ごめん、言いたかったこと忘れた」
「……そう」
胸から溢れた紫色の光が、その拍子にしゅんと消えた。私の体は恥ずかしいくらい正直にできている。
でも、その有様を目の当たりにしたマリア・ガーネットはおかしそうに、にっと笑った。
「あんた本当に助平だよね」
「……せめて感じやすいって言ってほしいわ」
私は本気で抗議したのに、マリア・ガーネットったら、あははと声を上げて笑う。何がそんなにおかしいのかしら?
私を憮然とさせたまま笑った後、息を整えてこの子は告げた。
「あのさ、もうしばらくしたらおじさんがこの町を出て行くんだ。今度のショーに合わせて兄さんが帰ってくるから」
そんな大事なことを、全くなんでもないかのように。
「……それと、これからしばらく会えなくなると思う。あいつの社交につきあわなくちゃいけなくて」
そう言いながら、とんとんと自分のチョーカーを右手の指先でつついてみせた。あいつ、とは、もちろん神父様のこと。
「バカみたいな予定を山ほど入れられたから、きっと、おじさんの出発にも立ち会えない。さようならすら言えない。だからあんたに私の分までありがとうって伝えてほしいんだ。おじさんがいてくれたからあたしは頑張ってこれたって──。お願い」
マリア・ガーネットのお兄様が帰ってくる。だからミスターはこの町を出て行く。
その因果が意味するものを読み解いてしまい、私は言葉を失ってしまう。
そんな様子がよっぽど不安そうだったのか、マリア・ガーネットは微笑んだ。小さい子に年上の子が向けるような微笑みだった。
「これから不安になるようなことを見たり聞いたりするかもしれないけど、心配しなくていいから。あたしは大丈夫だから」
その時、マリア・ガーネットの両手が私の肩にそっと置かれたのに。抱き寄せるためにそっと力を込められたのに。ああそれなのに。
顔を上向けて目を閉じたて、唇が近づく気配を肌で感じた瞬間、ばん! と二階の窓が乱暴に開け放たれた音が降ってきた。
そのせいで肩におかれた両手はぱっと離れてしまう。
──そういえば私たちが今いるこの場所は、テレジア・オパールの部屋のちょうど真下だった。
二人で同時に見上げた先で、ツインテールをやめたテレジア・オパールが頬杖をつきこちらを見下ろしていた。不機嫌そうにむくれた、愛らしさのかけらもない表情で。今日の彼女のヘアスタイルは三つ編みのおさげを輪っかにしたおかしなもの。あの一件があってからテレジア・オパールは新しいヘアスタイルを模索中。気分を変えたいけれど髪は切りたくなさそうなのが、まったく我儘な彼女らしい。
「……まだ怒ってるんだ、あの子。どうしよう……」
「放っておけばいいわよ。あの子がまた私たちに絡みでもするか、みんなに迷惑をかけた時に『あの時のあなたったらとてもユニークなヘアスタイルしてたわね』って言い返してやれるもの」
「よかった。普段通りあんたの根性腐ってる。安心した」
私の根性は断じて腐ってなどいない。仮に腐っていたとしても、どうしてそれでこの子が安心するのか? そのつながりだけはなかなか読み解けない。
評判のビッグマッチに対するお祭り騒ぎのお陰で、私たちは再び安全にメインストリートを歩けるようになった。ミスターのお店で安全にお買い物もできる。
ハニードリーム支社に居座っているピンク色の子は相変わらず町中を飛び回っているけれど、あんな子無視してしまえばいい。
そんな中、事前に情報を手に入れていた私以外のお菓子たちにとっては極めて残酷な事実をミスターがお明かしになる。
封鎖地区の外にある高齢者向けアパートに引っ越すことを決めた。そこでお過ごしの戦友に、お前もどうかと誘われた。だから数日のうちにこの店を閉めることになる、と。
「ええー、やだやだ! 行っちゃヤダ! ミスターがいなきゃ誰からお菓子買えばいいのか分かんないじゃない!」
在庫一掃サービスと称してセールでお菓子を山のように買い集めつつも、ジャンヌ・トパーズは叫んだ。飛び出した猫耳としっぽがぺたんと垂れる。一緒にお店を訪れたカタリナ・ターコイズも、カウンター越しにミスターに迫る。
「そうだよ。いなきゃ困るよ。ねえ、もう二度とコミックの入荷が遅いとかあたしが好きなアイス間違えてばっかりとか文句言わないからぁ……!」
孫みたいな年齢の女の子二人に嘆かれて、ミスターは老眼鏡を外して涙を拭われる。
「わしも死ぬまでここで店をやるつもりだったが、マイクがやっと帰ってくるとジョージナがいうもんでなあ……。そうなるとわしがいては二人の足手まといになってしまう、分かっておくれ」
「ええ~、やだよ~! なんだよそのマイクってやつ。そいつがミスターの店を継いでくれんの? そうじゃないなら帰ってこないでほしいんだけど、もぉ~! しゃしゃるなよ~、マイクのやつ~!」
マイクが誰なのかを知るよしもないカタリナ・ターコイズは、そう嘆いてミスターに抱きついた。
ミスターのお店が閉まるというニュースは、あっという間にホームの隅々に行き渡った。それ以来、お菓子たちは足しげくお店に訪れる。あんなお店に行ったって仕方がないわって態度を貫いていた子(例えばテレジア・オパール等)も、ストリートを歩いてお店へ向かう。
悪い妖精たちが治める封鎖された町の外から出られない。そんな女の子達が可哀そうだから、とお店を続けてくださったミスター。
みかじめ料を徴収しにきた神父様の部下を「このベーコン共が!」「チョリソーになりたいやつから出てこい!」と怒鳴りながら散弾銃で追い返したという逸話を持つミスター。その後の度重なる嫌がらせに負けなかった不屈のミスター。
注文したアイスを間違えたり、戸惑う私たちにお構いなしにマイクとジョージナの話を語り続けたミスターは、ホームのお菓子たちみんなからしっかりと愛されていたのだ。
こうして雑貨店は、ものの数日でからっぽ同然になる。ミスターが町を去る前日にも、私とジャンヌ・トパーズは再びお店まで出かけた。ジャンヌ・トパーズなんて、ミスターの引退を知ったその日から毎日お店に通い続けている。
「わたしもミスターについていきたい。ミスターと一緒に高齢者アパートで暮らしたい。なんなら終身介護してあげたい」
このところのジャンヌ・トパーズは、せっかく買ったお菓子を食べるのを忘れた様子でベッドに突っ伏し、涙を浮かべながらこんなことをこぼすまでになっていた。突然の別れの報せが情緒を大きく乱したみたい。
でもジャンヌ・トパーズの切なる願いは叶えられることはない。彼女だけでなく、それはお菓子たちみんなにとってのかなわぬ夢だ。私たちはホームから離れて暮らせない。
「これをジョージナに渡しておくれ」
やっぱり行っちゃ嫌だ~……と、号泣するジャンヌ・トパーズのふわふわの髪をよしよしと撫でつつ、ミスターは私へチェリーソーダを手渡される。ボトルの首に赤いリボンが巻いてあった。
「最後の一本になってしもうた……。あの子に直接渡したかったが、あの子はどうも最近忙しいようなじゃないか」
ジョージナ──マリア・ガーネットは、本人が伝えてくれた通りここ最近ひどく忙しそうだった。
ウィッチガールバトルショー史上最大級だとかなんとか大きく煽られたショーのために、神父様にあちこち連れまわされているのだ。悪い妖精の支社との会合に付き合わされたり、業界誌の取材に引っ張り出されたり、神父様の所有物としての仕事を粛々とこなしていた。
マリア・ガーネットが憎っくきハニードリームのウィッチガールと戦うと宣言してくれたことが、神父様にはよっぽど嬉しかったみたい。そんな所はお可愛らしいけれど、それが却って恐ろしさを引き立てる。
今現在のマリア・ガーネットには、洗濯を手伝ったりガレージで横になる時間もない。私とお喋りを楽しむ時間がないなら、長い間お世話になったミスターにお別れを言う時間すらない。そもそも姿だってたまにしか見かけなくなっていた。
ただ、夜明けの頃に車のエンジン音や言い争う声が聞こえるあたり、教会の中に帰ってきていることは分かるくらい。ショーの出番もないのに夜にすら、あの子は神父様に連れ回されている。
マリア・ガーネットはいないと分かっていてもガレージを訪れ、のソファに横になっているうちに眠ってしまったことが何度かあった。どんなに待ってもあの子は姿を現さなかった。ただ、サイドボードの上に綺麗に洗った灰皿とバイブルが置かれているばかり。
本人が望んでいる以上、このおかしな状況を受け入れざるを得ないシスター・ラファエルのご機嫌はすこぶる悪い。とてもじゃないけれど、あの子が今どこで何をしてるのかだなんて訊くに訊けない。
シスター・ガブリエルに訊いたところで、「あの子も今忙しいのよ。わかってちょうだい」と嗜められるだけ。
「ええ……本当に忙しいみたいなの。あの子」
ここ数日のことを思い浮かべて苦笑いしながら、私はミスターからチェリーソーダを受け取った。
「その代わりお別れを言付かっているの。ありがとうって、ミスターがいてくれたから自分は頑張れたって」
ミスターはそれを聞いてまた色付きの老眼鏡を外し、目元を拭われる。
いつまでも名残惜しがって離れようとしないジャンヌ・トパーズをなんとか引きはがし、私はさようならを告げる。
「明日のいつ発たれるんです?」
「いやいや、見送りはいいぞ。決心が鈍っちまう」
笑い皴が刻まれるミスターのお顔はとてもチャーミングだ。奥様だったスーザンはこの笑顔が大好きだったのかしら、なんてことを考える。
「嬢ちゃんや、マイクが帰ってきてもジョージナと仲良くしておくれ。あの子は小さい時から一人でよく頑張ってきたからなあ」
「……もちろんよ、ミスター」
差し出されたミスターの手を私は両手で包む。かさかさに乾いていた、温かい手。
妖精の国にと囚われた女の子たちに親切にしてくれたあなたがずっと幸せでありますように。
神様を信じることができない私は、自分の中に残されている魔力の塊に願った。それはただ胸の中で静かに温まる。
「……げっ、あの子だ」
帰り道でもまだ鼻をすんすんすすり上げていたジャンヌ・トパーズが不意に呻いた。猫耳をぴくっと反応させると同時に、ある一点を見つめる。
別れの涙が一瞬で乾いたような、嫌悪感をひとつも隠さない声を出す彼女が視線は、ある廃屋の屋根に向けられている。そこにはこの荒れ果てた町ではとにかく目立つパウダーピンクの塊が。あのピンク色の子が、屋根の上に座って通りを見下ろしていた。
なるほど、これじゃあ涙も乾いてしまう。
ハニードリーム所属のこのウィッチガール――アサクラサクラとか言う名前――はまだ支社に居座っている。三日で帰るなんて大ウソもいいところ。
彼女は退屈していたのか、私たちの姿をみるとひゅんっと宙に身を躍らせた。こっちに来る気らしい。
「無視しよう、無視っ」
ジャンヌ・トパーズが足早になる。当然私も同じ気持ちだ。足早にメインストリートを歩きだす。そんな私たちの傍に舞い降りたピンク色の子は、断りもなくついて回る。
「は~い、これからお店一つなくなる糞田舎のスモールタウンに一生縛り付けられることになっちゃった元ウィッチガールたちぃ? 親切なおじいちゃまとのお別れはすませたみたいじゃん?」
私たちにつきまとう間も、ハートのオーブ付きステッキをくるくる振り回す。先端にハート、細長い柄、アクセントに天使を思わせる羽根をあしらったシンプルかつベーシックなデザインには、作り手の高いセンスと造形力が問われる。この子は大嫌いだけど、このステッキは確かにいいものだ。
マリア・ガーネットのお母様が作ったものが、こんな子の手の中にあるなんて。
「でも妙だよね~。これからこの町じゃあ史上最大級のショーが始まるんだよぉ、ウィッチガール産業関係者大注目の一大イベントがさ〜? 普通なら掻き入れ時だっつーのに、どうしてあのおじいちゃまは急にひっこしちゃうことになったのかなあ? 不思議だなあ~」
ぴょんぴょん飛び跳ねながらアサクラサクラは付きまとう。きっと眦を吊り上げたジャンヌ・トパーズが私の手を掴んで駆けだした。運動嫌いを公言する今の彼女からは想像つかない風のような軽やかさでストリートを走り抜く。きっと体に残った魔力の名残による駆け足で、無事教会の敷地に滑り込む。
「ほんっとヤな子! 早く地球の反対側へ帰っちゃえばいいのに、なんでいつまでもいるんだろ?」
振り向いて睨む私たちを嘲るような目を向けてから、ピンク色の子はぴょんと大きく飛び跳ねて、どこかへ去ってゆく。傍若無人な彼女も、よその国の領土へ手続きなしに侵入するほど世間知らずではないみたい。
並みのウィッチガールよりずっと戦闘巧者って説もあるウィッチガール、魔法少女アサクラサクラ。それを裏付けるような身のこなしだった。
ホームに戻るジャンヌ・トパーズと別れたあと、赤いリボンが巻かれたチェリーソーダの瓶を持ってガレージに立ち寄ってみる。やっぱり今日も誰もいない。マリア・ガーネットがいないガレージはひどくよそよそしい。
サイドボードに瓶を置き、ソファに寝転がって目を閉じる。
誰かがガレージに近づく足音が聞こえたので飛び起きても、そこにいたのはシスター・ガブリエルだった。両腕には綺麗に洗って畳まれた、あの子のつなぎや下着を抱えていらっしゃる。
「またあなたったら──こんなところで何をしてるの? マルガリタ・アメジスト」
「……どうもこうもしてません。あの子に会いたくなっただけです」
期待して跳ね起きた自分がバカみたい。拗ねた私へシスター・ガブリエルは慈愛に満ちた眼差しを向ける。
「あの子は元気よ、心配してくれたことを伝えておくわね」
なんの問題も無いはずなのに、シスター・ガブリエルの言葉は私をかすかに苛立たせた。
あの子って何よ、まるでお姉さんみたいに。
マリア・ガーネットからあのことを打ち明けられてから、ふとした拍子につまらないやきもちを彼女に抱いてしまうようになっていた。七年前の事件から力を合わせて生き抜いてきた、その年月が醸し出す空気に。
全く本当に子供みたい。
ミスターは翌朝、この町を発たれた。
ピーチバレーパラダイスにとっては深夜である午前中、トランク一つだけを提げて歩いて外に出たのだという。見送ったのは、無断でフェンスの中に立ち入るものがいないか、反対に許可なく出ていく者がいないかをとりしまる門番だけ。
封鎖地区に居座る困った民間人の保護を一任されているどこかの機関の車が現れ、ミスターを地平線の外にある封鎖区域外へ運んでいったそう。
その話を門番から聞かされて、ジャンヌ・トパーズはまた泣いた。こんなに泣かれるのを目にしていたなら、ミスターの決心も鈍ってしまったことだろう。
きっともう二度と上がることのないシャッターが下りたお店のテラスに座って、ひたすら悲しむジャンヌ・トパーズへハンカチを差し出す。
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