第23話 演技
助走をつけてとびつく私を、マリア・ガーネットはしっかり受け止める。
その際、洗濯籠を一旦足元に置く余裕があったのがちょっぴり不満だし、こういう時はミュージカル映画みたいにくるくる回るとか、プリンスがプリンセスにするように抱き上げるとか、つい期待したくなるサービスは一切してくれない。かじりついた私の背中を腕で支えるだけ。そういうムードをあまりわかってくれないマリア・ガーネットって子だから。
それが嬉しい。硬い右腕柔らかい左腕、どちらも感触も優しくてあたたかくて、嬉しい。
つま先立ちのままぎゅうっとマリア・ガーネットの背中をだきしめていると、ゆっくりと金属の右腕が動く気配がした。私の頭を撫でようとしてくれていたみたい。なのに、私の額に巻かれた包帯に気づくやいなや、腕の動きが止まって目も見開かれる。
「あんたどうしたのその怪我っ⁉ 寝間着も泥まみれだったし今度は何やらかしたの?」
──確かにあればかりは「やらかした」に相当する事柄には違いない。でも、心配の仕方というものがあるのじゃないかしら? どうして私が問題を起こしたこと前提で尋ねるのかしら? 仮にも天使とかお人形とか評されることの多い女の子を心配する言葉として、それはあまりにも不適切というものじゃないかしら?
そんな思いも含めて、私は腕に力をこめる。
「私のことなんてどうでもいいの! だってあなたまだ怪我してるもの。あちこち傷があるもの」
また聞き分けの無い子供みたいになっていると自分でも呆れてしまうけれど、どうしても困らせるようなことを言いたくて仕方が無かった。だって、あの日花壇で別れて以来やっとマリア・ガーネットの顔をみたんだから。
「あなたここしばらくずーっと姿を見せないし、やっと姿を見せたと思ったらあんなひどい状態だったし……。客間にもいないしガレージも空っぽで不安だったのに、まるで何もなかったような顔でお洗濯なんかして……!」
「だったら今すぐ死にますーって
ちょっと意地悪な物言いがまた憎らしくて、抱きしめる両腕に一層の力を籠めた。私がどれだけ力を振り絞った所でこの子は痛がりはしないのに。ああもうこんなにでたらめなことをするなんて、理屈屋のマルガリタ・アメジストはどこにいったのかしら? それからどうして私はこんなに甘ったれになってしまったのかしら? 以前の私にはもう少し自制心というものがあった筈なのに。
「あたしの体は人より頑丈だってあんたが一番知ってるでしょ。だからもう大丈夫だって」
私に合わせて屈んだマリア・ガーネットは頭をよしよしと撫でてくれる。完全な子供扱いで悔しいのに、あやされるのがたまらなく嬉しい。泣けて泣けて仕方がないくらい。
「心配してくれてありがとう、マルガリタ・アメジスト」
きついって言われがちな赤い瞳が優しく和らいで、勝手に涙が出てくるしまりのない私の目元をぬぐう手つきにも焦らされて。つま先立つと再びあの子の首の後ろに腕を回し、唇を合わせる。
さっきした意地悪へのお返しだ。涙をぬぐうために少し屈んでくれたのがこの子の敗因。
「おはよう、マリア・ガーネット。今度こそ本当にお帰りなさい」
「……ああ、うん。あのさ、マルガリタ・アメジスト……」
あの子は左手で自分の髪をくしゃくしゃかき混ぜる。そのあと視線をホームの方へさっと動かした。
「みんな見てる」
確かに、みんながホームの窓から身を乗り出していた。いくつもの視線がこっちに向けられている。でも、この子に言われる前から、みんながこっちに興味津々なのをちゃあんと知っている。だからこその仕返しだったわけ。
楽しくなって、つま先立ちで耳打ちした。
「みんなあなたのことを心配しているのよ、うちの女王様は元気になったのかって」
「ああそう」
左手で赤くなった顔を隠そうとするところが可愛いけれど、私はその手を抑えて耳元でささやく。
「みんなを安心させるためにも期待に応えてあげなきゃ。うちの女王様は堂々として誰よりも強くって奇麗で素敵じゃないとみんな納得しないんだから」
「……何それ」
マリア・ガーネットは呆れていたけれど、ホームから投げかけられる視線の束に込められた意味はちゃあんとわかってくれている。バトルショーのリングに立つエンターテイナーだもの、観客の期待に応えなきゃって反射神経は鋭いのだ。
はあっと小さくため息を吐き一拍ほど間を置くと、左腕で私の体を強引に抱き寄せるた。さっき自分自身の顔を隠そうとしていた左手は私の腰に添えて、金属製の右手で私の顎を上向かせる。
すべての動作をいつもより少し強引に。女の子の妄想に登場する悪くてきれいな悪魔の王子様みたいに自信たっぷりで。
「……これで満足?」
ショーの時に見せる無敗の女王様風の顔つきで、私にだけ聞こえる声で囁く。
「その前にあの子たちの方をちらっと見てあげて。うんと悪くて色っぽくよ」
「……ったくもう」
マリア・ガーネットが心の中でどう思ってるのかはわからないけれど、私の言った通りにしてくれる。胸を騒がせずにいられないような挑発的な流し目をホームへ向けると、余裕たっぷりに笑って悠々と私の唇を吸う。
合わせて私も目を閉じる。
その直前に見えたのは、ホームの窓から身を乗り出したジャンヌ・トパーズの呆れ顔とカタリナ・ターコイズのしらけ顔。テレジア・オパールの顔は見かけなかったけれど、どうせ「私は興味ありませんけど!」っていう徹底無視のポーズを取ってるんでしょ、部屋の中で。
きゃあ、とか、ひゃあ、とか、そんな声がホームから聞こえてきたところで、マリア・ガーネットは唇を離す。足元に置いていた洗濯籠をさっさと拾い、物干し場へ向かった。ホームの子たちからは見えない位置にくると急に足速に。私はその後を追いかける。
近づくなりあの子は歩きながら振り向いた。怒ったような顔が真っ赤に染まっている。
「今日だけだからねっ、もう二度とこういうことはやらないから!」
「はあい」
私は素直ないい返事をしてみせる。
マリア・ガーネットは恥ずかしそうな様子を隠さないけれど、でもこの子は元々私を挑発するためにテレジア・オパールにキスするような所もある子だ。口ではこんな風にいうけど結構乗り気だったんじゃないかしら? この子は絶対認めないでしょうけど。
本当は心の中でこんなことを考えてることを、締まりなくゆるんでしまう顔が上手くごまかしてくれている、筈。
──いくら体が頑丈だからって、あんなことが起きた明くる日に洗濯物の取り込みなんてしなくていいんじゃないかしら?
湧き出た疑問は、洗濯物を取り込むマリア・ガーネットのきびきびした動作を見て飲み込んだ。絆創膏を貼った横顔が、この前よりもはりつめている。この子はきっと、こうやって気持ちを立て直しているのだ。
私はそばで、マリア・ガーネットを見つめている。手伝いはしない。この子も「手伝って」なんて言わない。私が手を出すと却って仕事が増えることが骨身に染みているに違いない。
黙っていると強張ってゆきそうになるマリア・ガーネットの横顔に視線をすえたまま、私は尋ねた。
「……本当に体は大丈夫なの?」
「さっきも言ったじゃん。あたしの体は人より頑丈なのはあんたが一番よく知ってるって。一晩寝たし、ドクターも診てくれた。だから平気」
乾いたシーツや衣類を取り込む手を止めず、マリア・ガーネットは答える。返事をしてくれた時は、横顔から強張りが解ける。
「ドクター」って聞くと、どうしたって昨晩のお客様を思い浮かべないわけにはいかない。
「お客様、あなたに何かしたでしょ?」
「診察と怪我の処置以外のことはさせなかったよ」
シーツをたたみながらあの子はさらりと嘘を吐く。こういう嘘を吐くのは上手いのね。
せっかくだからその嘘にしばらく合わせてあげる。
「御存じでしょうけど、あの方はウィッチガールの生体データを集めてるのよ? いやらしいんだから」
「ああ、だから助平同士で気があうんだ」
「……どういう意味かしら?」
気に食わない内容だったけれど、軽口を叩く余裕があるくらいには気持ちが回復しているみたい。少し安心した。
私は話を切り出すタイミングを探す。昨夜に起きたことはいつまでも黙っているわけにはいかないもの。
しばらくするとまた張り詰めてしまうこの子の横顔を目にして、決心する。
「ねえ、マリア・ガーネット」
「何? マルガリタ・アメジスト」
手を止めずにあの子は私の名前を呼び返す。私はその流れに乗った。
「ハニードリームのピンク色のウィッチガールがね、昨晩、教会の十字架の上に風見鶏みたいに立っていたのよ。気づいて睨み返したら、そのまま外に連れ出されてケンカになっちゃった。今日のこの怪我と、今朝寝巻きが汚れていたのはそのせいよ」
マリア・ガーネットは手を止めて私をみる。きっと眦を釣り上げて怒りを露わにしながら、私の両肩を掴んだ。真剣な表情と声で𠮟ってくれる。
「馬鹿っ、あの子にはかなわないってあんたならわかるだろ? なんでそんなこと――」
「だって、あなたに酷いことをした子だもの。許せなかったのよ」
「だからって……」
わざとふてくされてみせる私に毒気を抜かれたのか、あの子ははあっとため息をついて苦笑いを浮かべる。
「理屈屋のくせに理屈にあわないことばっかりしてるよね、あんたって」
「自分でもそう思うわ。特に昨日は私らしくもない馬鹿な真似に出てしまったって。──でも結果的にはよかったのよ。得たものも多かったんだから」
ワンピースのポケットから、あるものを取り出してみせた。天使の羽根とピンク色のハートのチャームをチェーンでつないだ甘めのデザインのブレスレット。
ただの可愛いアクセサリーにしか見えないのに、マリア・ガーネットはそれを見て嫌そうに眉をしかめる。
「……なんかそれ、嫌な感じがするんだけど」
「ごめんなさい。一瞬だけ我慢して」
ピンクのメッキを施されたチェーンに右手首を通すと、私の魔力がハートのチャームに流れ込むよう意識する。それだけでブレスレットは輝きを放ち、一瞬で形を変えた。
ピンク色の子が持っていた、あのハート型のステッキに。
もう少し詳しく言うと、ピンク色の子の手にあった時よりずっときれいになっている。新品みたいにぴかぴかに。
彼女の手の中にあったときよりもずっと可愛くなったそれから、マリア・ガーネットがふっと目をそらす。それを見て私は右手から力をぬくと、ステッキは再びブレスレットに戻った。私はこのステッキの持ち主ではないし、そもそも魔法が使えない。長時間ステッキの状態を維持できないことは、すでに確かめていた。
手首からブレスレットを外すと、チェーンをつまんでかざして見せる。
「魔法や腕力ではあのピンクの子には歯が立たなかったわ。でも私は、彼女が持ってたステッキだけは壊せたの。シスター・ラファエルの編み物特訓のお陰よ。喧嘩の後、バラバラになったステッキを拾って修理をしたの。彼女、これがハニードリームボスからの支給品だって言ってたから」
一つは異世界からやってきた先天的に魔法の力をもつ女の子、もう一つは妖精の国と契約して魔法の力を授かった女の子。
後者のウィッチガールにとって、妖精との契約と、その時に渡される魔法の道具はなくてはならないものだ。元々魔力なんて持っていない女の子は、妖精との契約を結ぶことで魔力をわけてもらい、ようやく魔法を使えるようになる。そしてその魔力は、魔法の道具を介してウィッチガールたちに分配されるのだ。
このステッキはピンクの子と彼女が契約を結んだ相手・ハニードリームボスから与えられたもの。必然的に彼女は後天的なウィッチガールということになる。つまり、このステッキはあの憎たらしい子の命も同然ってわけ。
ウィッチガールに選ばれるくらいだから、潜在的に高い魔力の持ち主だった可能性はある。でも、並みの人間よりちょっと多いくらいの魔力をぼんやり体に宿しているだけの女の子なんて敵としてはお話にならない。妖精と契約して道具をもらったウィッチガールとでは怖さの桁が違うのだ。
後天的なウィッチガールは、魔法の道具が無ければまともな魔法が使えないのだから。
「結構したたかそうな子だったのに、私が壊したステッキのパーツをそのままにしちゃったのは後で回収するつもりだったのか、それとも修復は不可能だって早合点しちゃったんでしょうね。──意地悪なくせに詰めの甘い子」
昨夜、お客様の車の中。
助手席を陣取った私は、バラバラになったステッキの修復を試みていた。
パーツの一つ一つを手に取ってまず分かったのは、ピンクの子が随分手荒にこのステッキを使っていたこと。私たちと初めて会った時だって、マリア・ガーネットを殴るのに使ったくらいだもの。日ごろから鈍器としても大いに活用していたみたい。本当に可愛いステッキなのに、間近で見れば傷だらけだし、あちこち凹んだり欠けたりしている。おまけにテープや接着剤で雑に補修していた跡まで見つかった。
「魔法の道具なのにテープだなんて……! 何考えてるのかしら? ちゃんとメンテナンスに出しなさいよ。ビンテージが聞いて呆れるわ」
「文句を言いながら何故修理してあげるんだい?」
怒りながらステッキを修理する私を、お客様は面白そうに見ていた。
バラバラになったステッキをまず元通りに組み立てて、接着する。私にはこのステッキを思う通りに加工することができた。ステッキの素材があの編み物に使っていた糸と同じ材質でできていたんだもの。
指先に魔力を込めると樹脂が粘土のように形を変える。元々の姿を想像しながら欠けた場所や凹んだ場所を膨らませる。傷も汚れも指でなぞって魔力を通すと新品のように輝き出した。
外側を綺麗に整えたあとは、じっと目を凝らしてステッキの構造と仕組みを読みとる。どうやらハート型のオーブの中心にある樹脂で出来たピンク色の石が、魔力を集めて持ち主の思う通りの作用を周りにもたらす回路でもあったみたい。ここの調子を整えさえすれば修理は終わると私は確信する。伊達にマリア・ガーネットの右腕を診ていたわけではない。私は今この地上でドルチェティンカー製品の修理や補修について一番通じた存在のうち一人の筈だ。こんなステッキを元どおりにすることなんて難しくもなんともない。
組み立ても終わって表面も磨かれて、あとは仕上げだけ。表面をさっと指先で撫でてから、魔力の源でもあるハート型の石に息を吹きかける。その瞬間まで完全に死んでいたステッキは、見る間に息を吹き返した。
再び魔力を宿したステッキは、今から新しくウィッチガールになる女の子に手渡される寸前のような輝きを取り戻す。即席にしては我ながらいい出来栄え。
思わず惚れ惚れと眺めていると、ステッキは自らの体を震わせた。私の手の中でピンク色の粒子を散らしてブレスレットに形を変え、命令を待つように静まり返る。膝に落ちたブレスレットをつまみあげ、目の前にかざしてみた。
「……これが待機状態の姿ってわけね」
あの子は変身前も後も終始ステッキの形態で振り回していたけれど、本当はきっと、変身しない時はブレスレットの形で魔法を使う瞬間を待っていた筈。命令があるまではあの子の手首で揺れていたのだ。そして、いざウィッチガールとして活動する瞬間に呪文を唱えれば、持ち主の石に合わせてステッキに変形する。本来はきっとそういうシステムだった筈だ。
でもいつしかその機能が壊れてしまいステッキの状態からブレスレットへ戻せなくなったに違いない。テープや接着剤で補修していれば、そりゃあね。
ステッキの状態に負けず劣らず、アクセサリーとしても見惚れるくらい愛らしい。よくまあこれを粗雑に扱えるものだわって、私は改めてピンク色の子への悪感情を募らせた。
七年前よりずっと昔、東アジア圏で活動している妖精の国の王様・ハニードリームボスが、とある女の子をウィッチガールにするためにこのブレスレットを授けた。ハニードリームはウィッチガールビジネスの大手だから、魔法の道具の製造や生産を請け負うドルチェティンカーと取引があったとしても不思議ではない。この両者の仲立ちをしたのが、シスターラファエルが尊敬していた先代ピーチバレーパラダイスボスだったのかも。
そんなことを考えていた所、お客様の声で現実に引き戻されてしまった。
「大したものじゃないか。あのイミテーションを作ったのも君かい?」
「あら、お気づきだったのね」
「調べればすぐわかる。──まあ、今は不門にしよう。頃合いを見計らって市場に流せば端金くらいにはなるだろうから」
渡すと約束していたウィッチガールの遺産を贋作でごまかしていたにもかかわらず、お客様は私を責めない。それはひょっとして、マリア・ガーネットの右腕に関する情報を手に入れたからだろうか。その余裕のせいだろうか。
私が一瞬咎めるような目で見たからか、お客様は話題をお変えになった。
「それにしてもわざわざどうして敗北動画の女王を助けるようなことをする? そのまま捨てておけば彼女はウィッチガールとして使い物にならなかった筈だろう? 少なくともしばらくは」
「教会の子ですもの、どれだけ嫌な相手でも困っている人には手を差し伸べなさいって教えられていますから」
「――」
「どうして黙るの? おじさま」
「君にしては冴えない冗談だな」
そう仰る癖に、お客様は愉快気に薄い唇の両端を少しあげていた。この方を楽しませたつもりはなかったので軽く睨んでから、説明して差し上げる。
「後天的なウィッチガールにとって、契約時に渡される魔法の道具が魔力の源のようなものよ。いわばこれはあの子のウィッチガールとしての命なの」
しかも雑に補修しながらでも最低七年は使い続けていたのだ。あの子の中では相当に大切なものだった筈。ウィッチガールと魔法の道具はとにかく相性が大事だもの。
「別にそのまま捨ててしまってもよかったのよ? どうせあの子はきっとあちらのボスと再契約して新しい道具を手に入れていたんでしょうし。──でもきっと、新しい道具はこのステッキにかなわないわ。馴染んだ道具である以上に、ドルチェティンカー製だもの。これじゃなきゃダメだって今頃歯噛みでもしてる筈よ」
ピンク色のあの子は、マリア・ガーネットの右腕にかけた魔法の気配を察知したといっていた。多分、自分にかかわりの深い魔法の気配に敏いのだ。
私がステッキを修理した気配を感知している可能性だって無くはない。できればそうあってほしい。話が早く済むもの。
「私なんかを相手に油断したことをボスに叱られた上に、性能の劣る大量生産品の魔法道具で再契約するだなんて、二重三重につまらない思いをすることは決定しているも同然よ? それなら、私がこうやって修理して新品同然になったお気に入りのステッキを受け取る方が賢いって考えるんじゃないかしら? ショーには干渉しないとか、地べたにおでこ擦り付けてあの子と私にごめんなさいもうしませんからって謝るとか、多少の条件をのんだとしても」
ブレスレットを指先で回して弄ぶ。あの憎たらしい子がどこか遠くで地団駄でも踏んでいればいいなと考えながら。
「これからも荒事主体のウィッチガール活動をできるだけ長く続けたいなら私と仲良くするこべきだって、彼女、今頃身に染みているといいんだけど。だって、最高に使い心地がよくて地上に一つしかない魔法のステッキを修理できるのは現状私だけだもの」
つまり今現在、あの子の命の尻尾を握っているのは私だっていうこと。
正確に言えばシスター・ラファエルもいらっしゃるけれど、あの方よりも私相手の方がお願いもしやすい筈。なんといっても女の子同士だから。
「このステッキをこれからも使い続けたいのなら、あの子は永遠に
真夜中にお客様相手にしたのと同じことを、マリア・ガーネットに話した。
「腹が立つし下品だしあんな子大嫌いだけど、彼女が強いのは確かだもの。それにベテランだけあって私たちより世間知に長けているみたいだからおしゃべり相手としてはまあ申し分ないわね。だから売れるべきところで恩は売っておいた方がいいわ。私たちの未来に厄介ごとは少ない方がいいもの──そう思わない?」
マリア・ガーネットは最初、目を丸くしていた。突拍子もない話を聞かされたかのように、この子らしからぬお茶目な表情になる。そしてそのあと口元を抑えて私に背を向けた。その肩のあたりがひくひく震えている。
私は不安になってしまう。また何か変なことを言ってしまったのかしら?
「――どうしたの? マリア・ガーネット」
心配で彼女の正面に回り込むと、マリア・ガーネットはこらえきれなかったようにククッと声を漏らした。そうするともうこらえきれなくなったのか、お腹を押さえて派手に笑いだした。アハハハって。大爆笑というやつ。
「
今まで見たことないくらいの勢いで笑うマリア・ガーネットだけど、私は複雑。
私は断じてふざけてないし、真面目だし、あの子への嫌がらせを果たしつつ私たちのよりよい未来のためにはこうするのがベストだと判断しただけだ。なのにどうしてそれを笑うのかしら?
あの子があんまり派手に笑うものだから、唇がとがって自然にすねたような顔つきになってしまう。
「私の根性は腐ってませんから。純粋にそうした方がいいと思っただけですからっ」
「だから……そういうところだって……っ」
一しきり大笑いして気が済んだのか、目じりに浮かんだ涙をぬぐっている。笑いの発作はなかなか収まらなかったみたいだけど、深呼吸をしてからなんとか鎮めたマリア・ガーネットは笑いすぎてかすれた声で呟いた。
「……あー、お腹痛い……」
「そんなに痛いのならまた私のお客様に診てもらえば?」
私はおへそを曲げたけど、マリア・ガーネットは一人すっきりした顔をしている。それを見てしまうと、私の機嫌はあらかた直ってしまった。この子が少しでも元気を取り戻すお手伝いができたのだからまあいいか、なんて気持ちになってきてしまう。──こんなにお人よしの私が「根性腐ってる」わけないと思うんだけど、だから。
笑いの発作が収まった後、マリア・ガーネットは再び洗濯物を取り込みだす。その横顔はさっきまでの張り詰めたものと違って明るく晴れ晴れしていた。
「そう拗ねないでよ。本当に、あたしあんたのこと最高だって思ったんだから」
「……根性腐ってるのに?」
「そう。根性腐ってるところ」
皮肉のつもりで言ったのに、マリア・ガーネットはそのまま繰り返した。
あまり清らかでない性格であることは自覚していたけれど、断じて私の根性は腐っていない。今後も全世界にむけてそう言い切れる自信はあるけれど、でもマリア・ガーネットは私の中にある資質に価値を見出してくれてはいる。今はそれで十分だということにしておこう。それに、私に向けた笑顔がジョージナ・ブラッディ時代の笑顔そのままだったから、この子に限って私のことを「根性が腐っている」と評してもいいということにしておこう。心の中でそう決めた。
きっと、私の中にあるなんらかの美質をマリア・ガーネットなりに表現しようとした結果「根性が腐ってる」って言葉になってしまうのだ、そういうことにする。この子は基本的にムードをを理解しない子だから。
「私たちの未来ね……」
洗濯物を取り込む作業を再開したマリア・ガーネットは、さっき私が何気なく口にした言葉を繰り返す。
「そういう所だよ、さっきあたしが最高だって言ったの。──あんたがそうやって先のことをちゃんと見ていてくれるなら、これから何があっても大丈夫って信じられるから」
「――」
笑ったせいで気持ちの整理がついたのか、一人すっきりした面持ちのマリア・ガーネットがそう告げる。まるでもう、なにも悔いが無いと言いたげに。
この子はまだ、私が昨晩お客様と一晩過ごしたことをまだ知らない。
だから、自分の生体データと引き換えにある約束を交わしたことを私がすでに知っていることを、まだ知らない。
「あのね、マリア・ガーネット」
一人だけ先へ進もうとするマリア・ガーネットへの憎らしさが急に湧いて、私はちょっと怒った声を出す。
「私たちの未来、なのよ? 私たちっていうのはね、私とあなたのことなのよ。ホームの子もシスターたちもドルチェティンカーのことも、まあその中にいれてあげてもいいんだけど、たちの最小単位はあくまでも私とあなたなの! それを忘れないで」
さっき派手に笑われた腑に落ちなさも手伝ってか、言葉にすると憤りは少しずつ大きくなる。
私の気持ちの変化にマリア・ガーネットが戸惑っているように見えたので、そのまま打ち明ける。
「ハニードリームのあの子とケンカした後に、お客様にあってお話したのよ。あの方グズグズして帰れなくなってたから……。その時聞いたの、あなたと大事な約束をしたって」
それを聞くなり、この子は少し驚いた後で決まり悪そうな表情になる。嘘をついていたのがバレてちょっと恥ずかしかったらしい。
「そっか……。知ってたんだ」
「ああいうサプライズは嫌だわ。私あなたの右腕になるってこの前言ったばかりなのに」
ショーが行われる当日にホームの少女たちとシスターたちをピーチバレーパラダイスから脱出させること。それも封鎖区域の外へ。
それを約束させてから、マリア・ガーネットは右腕を調べることを許したとお客様は語っていた。
ホームの少女たちの中には私は含まれている。でもマリア・ガーネットは含まれていない。
この子はピーチバレーパラダイスに残ってショーに出る、そしてお兄様を迎えるという重要な仕事が残されているから。
お兄様を迎えたあとのピーチバレーパラダイスがどうなってしまうのかが分からないから、私たちは外へ出されてしまう。あの子の独断で。
「……嘘ついてたの分かってたのなら、その時言ってよ。恥ずかしいじゃない」
左腕で髪をくしゃくしゃさせて、マリア・ガーネットは苦笑する。
私は笑えない。だって私はこの前マリア・ガーネットを神様のいる国へ連れて行ってあげると約束したのに。連れて行ってあげるどころか、足手まといだとばかりに外へ出されてしまうだなんて。
そんな中でもマリア・ガーネットはきびきびと洗濯物を取り込んでいる。
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