マリア・ガーネットとマルガリタ・アメジスト、天国を奪い取る。

ピクルズジンジャー

第1話 お菓子

 このホームで一番奇麗な子は誰か?

 そう訊かれたら、私は迷わずマリア・ガーネットだと答える。


 赤い砂漠の町にある教会が運営するホーム、ここに集められてくる子供たちはみんな一様にお菓子みたい。

 したてのいい紺色のワンピースを着て、ブロンドやブルネットの髪をさらさらなびかせたりくるくる巻いてみたり、リボンやレースをあしらって外見を愛らしく装った女の子たち。小鳥みたいな声でさえずり笑いさんざめく、見映えのいい子達のあつまりはまるでお菓子屋のショーケースみたい。

 私たちはこの教会につれてこられて、みんなお菓子にされてしまった。私もそう。


 マリア・ガーネットは違う。この子だけはお菓子じゃない。

 顔には大きな傷があるし、頭の両サイドの髪を刈り上げてトップの髪を馬のたてがみみたいに立ち上げている。

 歯をたてればくしゃっと潰れたりくにゃっと歯に絡みついて中身を溢れ出したり、私たちみたいな歯ごたえのない体つきをしていない。重いものも持ち上げるし、腹がたつ相手は殴りつける。どれだけ叩きのめされても立ち上がる、そんな体に柔らかそうな所はない。まるでよくしなる鞭みたい。

 赤い瞳の特徴的な目も鋭くて、いつも神経がぴんと張り詰めている。合図があればすぐに敵にとびかかりそうな好戦的な雰囲気は私たちにはないものだ。


 私たちはホームでシスターたちと一緒に生活している。でも、マリア・ガーネットは違う。

 最初はホームに入れられたけれど、じきに自分から出て行って、今は神父様公認でガレージで寝泊まりしている。あなたたちは真似をしてはいけませんよ、とシスターは私たちに言い聞かせている。

 私たちとは違って一人で動くし、ホームにも入らないマリア・ガーネット。

 でも教会の外には出ていかない。出ていけないのだ。マリア・ガーネットの首には革製の首輪が巻かれている。

 ここに連れられた時に対抗して暴れるマリア・ガーネットに神父様が取り付けたって噂だだけど、本当はどうかしら? 確かなのは、首輪に結びついた目に見えない鎖の端は、いつも神父様が握っているってことだけ。


「あれも今では従順な番犬ですよ」

 

 一度だけ、神父様が信徒の方達に語った席にに立ち会ったことがある。従順? 本当にそうかしら? マリア・ガーネットの赤い瞳は、いつも神父様なんて怖くもなんとも無さそうな感情を湛えているようにみえるけれど。こっちの方が強いんだから、お前の言うことくらい聞いてやってる。そう言いたげだけど。

 そんな冷めた目で神父様を見る子、このホームにはマリア・ガーネット以外にいないんだから。


 お菓子にされた女の子たちは噂しあう。マリア・ガーネットも、昔はお菓子にされかけたことがあったけれど、それを拒んでみずから不良品になったのだと。

 あの顔の傷は自分からつけたもの。

 頭の両脇の髪をわざと髪を刈り上げてお菓子向きじゃない髪形をしているのも、お菓子になりたくなかったらら。


「そんなことしなくたって、買っていくお客なんていないのに。あんな不味そうな子」


 砂糖衣をかけたシュー菓子みたいなテレジア・オパールは、いつもそう言ってクスクス笑う。


「お菓子はお菓子でも犬用のお菓子じゃない。ガチガチに固そうで見た目も悪いし」

「笑いもしないし、何あの目つき」

「あたしたちとは違います、なんて顔しちゃってさ」


 ムースみたいなアグネス・ルビーも、フルーツケーキみたいなバルバラ・サファイアも、テレジア・オパールの尻馬に乗って笑う。でもおそらくバルバラ・サファイアの言うことが正解。あの子は私たちとは違う。きっとマリア・ガーネットは私たちの区別がついていない。

 あの子はきっと甘いものが嫌いだ。

 ホームにいる時はお化粧もしないし、いつも作業着みたいなつなぎの服を着ている。ショーの時は格好良く立たせている髪も寝かせたままにする。もしくは時々前髪を邪魔そうに縛っている(可愛い)。シャワーは浴びているみたいだけど香水はつけていそうじゃない。

 そんなマリア・ガーネットが私たちの区別がつくはずがない。だってお菓子に興味がないんだもの。


 だからみんなマリア・ガーネットの悪口を言う。

 不味そうな子。不細工な子。乱暴な子。あんな子がどうしてこのホームにいるの?

 その癖みんなガーネットを見ている。 

 名前の通りの赤い瞳と、無駄な所の一つもない体と、ショーの時についた傷だらけの肌を。マリア・ガーネットは基本的に肌をあまり隠さないのだ。暑い時はつなぎのそでを腰で結び、上半身インナー一つでうろつきまわる。くびれた腰や割れた腹筋を堂々と晒している。

 

 私たちはそれを目で追わずにはいられない。


 マリア・ガーネットを初めて見た人は、まずその右腕に注目する。

左腕は普通の人間の手なのに、片方の腕は鋼鉄製。黒い金属で出来ていて、五本の指先には尖った爪がある。まるでお伽話に出てくる恐ろしい龍の前脚みたい。

 このホームへお客様としてやってきた信徒の方たちは、大抵早合点をする。こんな物騒な右腕の子だからお菓子になれなかったんだって。

 魔法文明圏の不思議な技術が少しずつ馴染んできた現代社会では、着脱可能なフワフワの毛皮や模造宝石の並んだ魚の鰭に変えることも出来る。人間の手足と見た目の変わらない、精巧な絡繰でできた手脚を取り付けることただってできる。なのに好き好んで不格好な鋼鉄の腕を着けている。まるで商品にならない変わった娘。


 でも本当はそうじゃない。ホームにつれて来られた時からマリア・ガーネットの腕はこうだった。小さい頃に遭った事故か事件が原因で、あの子の腕はああなった──それ以上のことは知らない。


 マリア・ガーネットの体は確かに私たちのようなお菓子みたいではない。でもみんなの目はガーネットを食べたくて仕方が無さそうだった。だって私たちとあまりに違いすぎるから。

 みんな本当はマリア・ガーネットのことを、甘ったるいだけの私たちなんかよりずっと美味しそうだと認めている。だけどそれじゃ悔しいから不味そうだなんて悪口を言う。



 だから私は先に動いた。

 私はマリア・ガーネットが食べてみたかったから。

 私の口は塩気を求めていた。

 シスターの目を盗んでガレージに忍び込んだ時、マリア・ガーネットは古いソファの上で横になっていた。


「腕、見せてもらっていい?」


 廃品みたいなソファの上で寝ているあの子は、うるさそうに目を開けただけだった。ありったけの勇気を奮い立たせて声をかけたのに。その上、寝返りをうってこちらに背を向ける。


 私はソファのへりに腰を下ろし、逃げられないように彼女の体の両脇に手の平をつく。マリア・ガーネットは左側を下にしているから、私のすぐ真下に鋼鉄の腕がくる。ショーの時に、私たちみたいなお菓子めいた子を叩き潰したり引き裂いたりする腕だ。

 普通の人間にはまず無理な力を生み出す、魔法文明圏の先端技術で出来た腕。恐ろしいけれど惹かれずにいられない右腕。そっと触れようとするとバチっと火花が散った。痛くて涙が出る。


「触れてもいいって許可は出した覚えはないけど」


 火花は彼女にとっても煩わしいものだったのか、うるさそうに私をひと睨みした。これが私に初めてかけられた声。

 指先が痛むのを忘れて、マリア・ガーネットに食い下がる。だって初めて声をかけられたんだもの。


「私はマルガリタ・アメジスト」


 お相手から訊かれるまで自ら名乗らないこと。シスターのマナー講座の教えを無視して、自ら名前を明かした。本当の名前じゃないけれど、マリア・ガーネットには私のことを覚えて欲しかった。


「眠いんだけど。そこどいてくれない?」


 マリア・ガーネットはそう言って瞼を閉じる。

 うるさそうだけど、鋼鉄の腕で私を払いのけたりはしない。


「昨晩のショー、素敵だったわ。ウィッチガールスレイヤーのマリア・ガーネット。動画で見たのよ、あなたがフィニッシュを決める所でシスターにベッドへ連れていかれたけ――」


 バチっと私の体に火花が散った。マリア・ガーネットが機械の右腕で私をソファから叩き落としたから。どうやらおしゃべりがすぎたらしい。


「あのさあ、眠いって言ってるんだけど」


 私の体はまだバチバチいっている。まるで感電したみたいだ。


「昨日のあの子みたいになりたくないなら、とっとと出て行ってくれない?」


 昨日のショーでガーネットと対戦した女の子は、マリア・ガーネットの右腕に罰を下されて、床の上にたたきつけられていた。可愛いフリルのいっぱいついたスカートの下から伸びた両脚が痙攣してその間からおしっこが漏れて(うわ汚ぁ……って言ったのは、私のそばにいたカタリナ・ターコイズ)、シスターがさあもう眠りなさいって私たちを部屋に戻したのだった。

 あの子はきっと、ウィッチガールとしては再起不能だろう。マリア・ガーネットの機械の腕はウィッチガールの魔力の源をえぐりとって吸収してしまう。

 あの腕は魔力の燃費が凄まじいんだって、お菓子の中でも噂好きな子が言ってた。

 私の体がバチバチ痺れたのも、魔力を食べられてしまったからだろう。


 魔力を持つ子に触れただけでもこうなるのか。私はマリア・ガーネットの鉄の腕を見つめる。黒くて重たげでなのに本当の腕と同じように動く腕。その中には別の何かの気配がある。まるで唸る猛獣みたいな、何か。


 不意に鉄の腕が伸び私の頭を掴む。鋼鉄の爪が頭に食い込み、全身がしびれる、魔力を吸われて目がクラクラした。頭も揺さぶられ、ここに来る前のことを思い出しそうになる。もう頭の中にはその時の記憶がひとかけらだってないはずなのに。


「やめな、アスカロン」


 マリア・ガーネットが左手で右手を抑えてくれなければ私は多分、マルガリタ・アメジストという名前を与えられたお菓子だったことも忘れていただろう。

 ガレージの泥まみれな床にへたり込んだ私を生身の左腕で立たせると、ガレージの外までひきずってそのまま押し出した。


「あんた名前なんつったっけ?」

 

 不機嫌そうに仁王立ちのマリア・ガーネットがそう訊く。ちょっと嬉しい。


「マルガリタ・アメジスト」

「じゃあマルガリタ・アメジスト、あたしに不用意に近寄るとどうなるか分かったよね? もう二度と勝手にここには入って来るな!」


 それだけ言うと、マリア・ガーネットは私をガレージの外へ追い出して、出入り口とソファを隔てるカーテンをしゃっと引いた。赤い砂漠のこの町はいつも暑いから、シャッターを下ろしっぱなしにすると中は蒸し焼きになってしまう。

 でも、不用心じゃないかしら? マリア・ガーネットは強い子だけどこの町の治安は最高とは言えないのだ。残念ながら。


 へたり込んだ私の体から痺れがとれてから立ち上がり、服についた砂や埃をパンパン払う。その間に、マリア・ガーネットが私を左手で掴んで立たせたことや、他人の魔力を不随意に吸い上げてしまう自分に不用意に近づくんじゃないという言葉から、彼女が一人ガレージで寝ている理由に思い巡らせる。


 ホームで生活している子達は、みんな元々はウィッチガールだった。 

 悪い妖精に騙されてウィッチガールに変身し夜な夜な遊び歩いていたから、罰をくらって記憶と人格を粉々にされた女の子たち。

 そんな哀れな女の子を保護し、お菓子に作り変えたのがこのホーム。そのお菓子の一つが私。


 記憶や人格を砕かれて魔法の使い方を忘れてしまっても、魔力は体の中にある。

 マリア・ガーネットの右腕は勝手にその魔力を食べてしまうのだ。

 あの右腕が、私みたいなお菓子たちを傷つけないように。

 そんな気持ちから、マリア・ガーネットは自ら進んでガレージにいるのかもしれない。

 私の願望の入り混じった虫のいい推測だけど、それは私のは心を楽しくさせた。ホームにやってきてから初めて、胸の奥がくすぐられるような気持ちになった気がする。


 私はもう一度スカートの土埃をはらい、柄にもなくスキップでホームにもどった。もうそろそろ目敏いシスターが、私がいないことに気がつく頃だったから。

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