第2話 ユスティナ

 赤い砂漠を突っ切るフリーウェイ沿いの小さな町にある、一見何の変哲もない教会。

 私たちが暮らしてるホームはこの教会の敷地内、中庭を挟んだ教会の裏手にある。

 お祈りにくる人は少ないけれど信徒の方はよくお見えになる、私たちの教会はそういった類の教会。

 品のいい紺色のワンピース姿のお菓子たちが、澄んだ声を合わせて神様を讃える歌をうたう。

 お行儀よく一列に並んだお菓子の中から、信徒の方はそこから気に入った子を指名する。そして神父様のお住まいへつれてゆく。甘いものには興味のなさそうな信徒の方々だけど、実は甘味をご所望というわけ。

 つまり、本当に神様がいらっしゃるならお怒りになるような教会だってこと。本当にいらっしゃるのなら、だけど。


 当然、私もお菓子としてのお勤めを果たしている。

 ご所望されると、本物よりお菓子みたいなドレスに着替える。ふわふわして可愛いけれどおへそがでていたり、胸元のカッティングが深すぎる上にスカートが短かったりする、そんなドレス。以前私が着ていたものをもとに作った偽のドレスらしい。本物はもうこの世界に存在しない。


 指名したお客様たちは大抵、私を見るなり舞い降りた天使を見るような表情を浮かべる。その瞬間だけはシスターの言いつけ通り、天使になった気持ちで決まった台詞を口にする。


「今宵はあなたと真理の探求 錬金天使ユスティナアルケミー見参!」


 これを見た信徒の方の反応は、概ねこの二つに分かれる。


「ユスティナ! 本当にいたんだね、ああ噂は本当だったんだ」

 

 歓喜に震える方。


「嘘だ、お前なんかユスティナじゃない!」

 

 目の前にいる私が直視できない方、その二つ。

 その後やることはどうせ一緒だから、私からすると喜んで下さる方が対応は楽。後者の場合、私がお菓子としての仕事を進めようとすると、ぐずぐず泣き続けた上に拒絶して暴力を振るったり、そのくせ「ごめん」と謝りながら抱きしめたり、とにかく面倒。お世話をするのが私のお仕事だけど、今の私の人格は正直あまりケア向きではない。

 一度こうするのが夢だったんだと、偽のドレスをびりびり破かれたり、妙な格好で体を縛り付けられたり、リクエストと通りの台詞や表情を浮かべてくれる方の方がずっといい。考え事ができるもの。顔に出したりはしないけど。


 ユスティナっていうのは私の昔の名前、だったみたい。

 正確にいうと、ウィッチガールだった時の名前。

 もう一つ、私には名前があった。動画番組の中でだけ使われたアルミ・ユズハラなんて、記憶に留めておく価値がまるで無い名前。

 真実の名前はなんだったのかは分からない。

 「錬金天使ユスティナアルケミー」は、胸に《賢者の石》を宿した人造少女って設定だった。番組の中ではそういうことになっていたけど、本当にそうだったらいいのに。

 他の番組に出ていたウィッチガールみたいに、どこかの幸せな家庭で育った普通の女の子が魔法の力なんて授けられてなければいい。魔法の力で世界を救っていたせいで、人格を壊された記憶を奪われた挙句こんなところにつれてこられるなんて。そんなの家族がかわいそうじゃない。


 お仕事に必要なので、「錬金天使ユスティナアルケミー」の動画は一応目を通している。

 魔法を使う時にはブロンドになる栗色の髪に、水色のふち取りのある白いドレス姿の女の子。かかとの高いブーツは金色で踝には羽が生えている。ユスティナのトレードマークでもある魔法の道具、先端に二匹の蛇が絡みついた杖も金色一色。最大の特徴は胸の真ん中に埋め込まれた《賢者の石》、魔力の回路でもあるこの石は私の感情が高ぶると肌を通して淡く輝く。

 ユスティナアルケミーは、知性と創造と発展を守護する錬金天使を名乗るウィッチガール。地上にある様々なものを合成して武器にしたり元素まで分解することができる魔法の力で、悪い魔物と戦っている。

 質の悪い動画を何度見ていても、これが過去の私だなんてとても思えない。

 ユスティナアルケミーは知の守護者らしいのに、戦い方は転んだり悲鳴をあげたり、時には涙を浮かべたりしてあまりにも鈍臭い。とっても頭が悪そうだから、視聴していても嫌悪感しか湧かない。

 この子は私ではないまったくの別人、そうできるならそうしたい。


 ──飛んだり跳ねたり怒ったり笑ったり、表情ゆたかなこの子がかつての私だったの、本当に?


 動画を見ていても悪い冗談だとしか思えなくて、ただただ疑わしい。

 でも「不幸な事故」に遭って以来、表舞台から姿を消した私を求めてやってきた信徒の方は皆、私をユスティナだと確信する。胸の中にある《賢者の石》は、肉体的に高ぶるだけでも肌を通して輝きを放つから。青みの勝った紫色の光、それを見ると、信徒の皆様は間違いなく喜び、いよいよ私の体を高ぶらせようとやっきになる。

 

 ──私がユスティナっていうウィッチガールじゃなくて、ただ単に興奮すると胸が紫色に光がこぼれるだけの細工を施しただけのお菓子だったら、この人たちはどう思うのかしら?


 気になるけれど、そういうことは表情に出さない。



「伝承通りの《賢者の石》がどんな世界にも存在する思えないが、君の胸に宿るものが何らかの魔法の装置であるのは確かだろうな」


 道具で私を喘がせながら、馴染みのお客様が光がともる胸を触れる。私の膨らみはそんなに大きいものではないから、お客様の指は皮膚越しの硬い骨に触れる。


「出来れば切り開いて取り出してみたいものだ」


 このお客様は元ユスティナである可能性が極めて高いお菓子ではなく、純粋に私の体に興味を持っている珍しい方だ。ご職業はお医者様で、いつも大きなカバンを持ち歩いている。

 お客様は私の体をすみずみまで調べるのがお好きだ。

 まぶたを裏返したり、突き出させた舌をみたり、心臓の音を聞くことを飽きずにくりかえす。時には髪や頰の内側の粘膜に排泄物などを持ち帰って、検査結果を次の機会に教えてくれる。


「君の体は99.9パーセントは人間だけれど、どこかわずかに人間と異なる。その僅かな違いを我々の知識では説き明かすことがまだできない。人造少女だったという君の設定は事実だったのかもしれないね。まず間違いなく異世界の魔法技術の粋だよ。君は」


 道具を体から引き抜かれたばかりの私はベッドの上でぐったりしている。99.9パーセントは人間らしい私なので、長時間責められると普通に疲れてしまう。


「そのこと、神父様やシスターはご存知ではないのね。きっと」


 息をつけるようになった後、お客様に話しかける。


「私がそんな大層なものだと分かったら、限られた信徒様の前にだけ目にしてもいいように庫裡の中にお仕舞いになるわ。──そうでなくてよかった」

「私に会えなくなるから、か?」


 お客様は鼻で嗤う。普段からお菓子の手練手管をバカにしている人らしい笑い方。

 私は頷く。

 このお客様に会えなくなると困る、それは本当のことだもの。


「客のフリをするのも煩わしくなってきたからね、君を養女として引き取ってもいいんだが?」

「お家が建てられるくらいの浄財とあなたの社会的信用を失わせるリスク、その二つと釣り合うような価値なんて私にはないわ」

「家庭と社会的信用について心配する必要はない。私にはどちらもないからね。なお懐の心配も不要だ」


 あのような口を叩いて「生意気だ!」といちいち憤慨しないのは、このお客様くらいなのだ。普通に会話ができるお客様はとっても貴重。


「でも君は私とこの関係を続けるのがいいのだろう?」

「ええ」

「私も同じだよ。ここの神父を怒らせるのは面倒だ。――では今日はこの本の続きを読みなさい」


 お客様は鞄から古い本を取り出す。お医者様になりたい人が読むことになっている、ベーシックな教科書らしい。そのあとに取り出したのは新聞の束だ。私は思わず笑顔になる。これでお客様が来なかった間、町の外で何がおきたのかがやっと分かるんだもの。


「これを読んでいいのは勉強がすんでからだよ?」

「ありがとう、マルガリタ・アメジストはおじさまのそう言う所が大好き」


 お菓子っぽく甘ったるく笑うと、お客様は苦虫をかみつぶしたような顔になる。ほんの冗談だったのに。


 裸のままでベッドにうつ伏せになり私は文字の列を読む。素読では理解できなさそうなところは口を動かしてみる。ただし声は出さない。勉強しているとバレるとまずいから。

 お菓子たちは、シスターに一通り読み書きや簡単な計算を教えられる。恋愛に関する小説やお芝居の内容やなんかが楽しめる程度の教養と、お育ちのいい女の子に見られるような行儀作法に、どこをどうすればお客様がご機嫌になるのかといったことを。

 でも、簡単じゃない読み書きや数学、世の中の仕組みや宇宙の成り立ち、そしてこの町が一体どこにあるのか、外の世界に出るにはどうすればいいのか、そういった知識につながるお勉強はかたく禁じられている。動画をみるための装置だって、シスターが管理して私たちには絶対触れさせない。

 お菓子がそういったことを知ってしまうと質が落ちる、そういうことなんだと思う。

 だから、お医者様になるための教科書や新聞は、本当はこの教会に持ち込んではいけないものなのだ。もし神父様やシスターにバレたらただでは済まない。神父様からの信頼の厚いお客様だけど、このことがバレたらきっとただではすまない。破門は確定、破門されたあと野辺をあてもなく彷徨うだけですんだら幸運。だって命は奪われていないもの。

 そして味の落ちたお菓子の私は、再び記憶と人格を壊される。腐ってしまったと判断されたら、肉体そのものを壊されてしまう。

 そんな体験は一回でたくさん。マルガリタ・アメジストとして生きてる私は、マリア・ガーネットのことを忘れたくないもの。


 教科書を読み、お客様の質問にちゃんと正解してみせてから、私はここ数日の新聞を受け取る。新聞は楽しい。重要なことそうでないこと、様々なニュースが並んでいる。外の世界では毎日、町の外には出られないお菓子には想像もつかないようなことが起きている。


「信じられないな、ここに来たばかりの頃は文字も読めない有様だったのに」

 

 いつも淡々としているお客様の声には、ほんの少し嬉しさが滲んでいる。教えただけの知識を吸収してゆく理想の生徒、それを形にしたようや私という存在のことがほんのちょっぴり誇らしいらしい。


「きっと昔の私の名残なんでしょうね。知性と創造と発展を守護するウィッチガールだったそうだもの、ユスティナアルケミーは」


 お客様がお帰りになる時間まで、私は新聞を読みふける。国際情勢、株の動向、地域の情報、悩み相談、連載小説、各種ゴシップにいたるまで。

 新聞には、世界のどこかで行われているスポーツの試合の結果載っている。


 でも毎週マリア・ガーネットが出場しているウィッチガールバトルショーの結果は報じられない。それが伝えられるのは一部の動画サイトだけ。

 非合法のショーなんだから新聞に載るわけがない、それが分かった時は心底がっかりした。もしマリア・ガーネットの写真が載っていたら、切り抜いてとっておきたかったんだもの。


 


「……あんたまた来たの?」

 

 ガレージを訪れると、ソファの上で横になっていたマリア・ガーネットがうるさそうに目を開いた。彼女の頭の傍には、ページが開いたままの分厚いバイブルがある。読んでいたのかしら。


 初めてガレージを訪れて追い返された日から何度か、私はマリア・ガーネットに会いにガレージを訪れていた。そしておしゃべりをする。あの日のショーは素敵だったとか、こんな変な客が来ただとか、もう一回腕を見せてとか。その都度追い返されてきたけれど、邪険なあつかいにはなれているから平気。

 言いつけを破ったからシスターに叱られ、みっともないってお菓子仲間たちから陰でクスクス笑われたけど、そんなのだってへっちゃらだ。


「……あんたの目的、一体なんなの?」

「あなたと仲良くなりたいだけよ」


 マリア・ガーネットの眉間にしわが寄り、そのあと寝返りをうつ。そして私に背を向ける。


「冗談はやめてくれない?」

「どうして冗談って決めつけるの? 悲しいわ」


 本心から私はそう言った。嘘偽りない言葉を述べているのに。


「あたしはウィッチガールスレイヤーだよ? いわばあんたたちの天敵だ」

「確かにあなたはウィッチガールスレイヤーだけど、それがどうして、あなたと友達になりたいって私の思いを無下にする根拠になるの? それが分からないわ。説明してしてもらってもいい?」


 ソファの縁に腰をおろして私は尋ねた。

 マリア・ガーネットは目だけをこちらに向ける。しばらく間をおいてから答えた。


「ご存じな筈だけど、あたしはあんた達みたいな女の子をショーでぶっ倒してみせている」

「ええ、知ってるわ」

「あたしが倒した女の子の中には、あんたみたいな境遇の子もいたかもしれない」

「そうね。その可能性は高いわね」

「だから、ショーじゃなく本当に倒されて、何もかも壊された果てにこんなところにいるあんたが、どうしてあたしと仲良くなりたがるんだよ? 恨まれるんなら筋が通る」

「マリア・ガーネット、あなたは間違っているわ。確かに私はあなたが今いったような事情でここに来ることになったみたいだけれど、私を倒した相手はあなたじゃない。仮にあなただとしても、私にはその瞬間の記憶はないし、それを保持していた人格だって破壊されてもうどこにもいない。だから私にはあなたを嫌ったり恨んだり憎んだりする理由がない。そういうことよ」


 マリア・ガーネットの赤い瞳はじっとこっちを見つめている。私はそれを受け止める。


「気を悪くしないでほしいんだけど、マリア・ガーネット、私があなたを恨んでいる方が筋が通るって考えは、あなたが私たちみたいな女の子を怖がってるからではないかしら?」


 きっとあの鉄の右腕が飛んでくるはず――、私は身構えた。ケンカを売ったも同然のことを口にしたんだもの。

 案の定、黒い腕がさっと動いたけれど、私を叩き落とすよりさきに空中でぴたっと止まった。そしてそのまま静かに下ろされる。


「……あんた、ムカつくやつだね」

 

 マリア・ガーネットはそう言って、私から目をそらす。膝を胸元の方へ近づけて体をゆるく丸める。無意識に何かから防御するような姿勢だった。

 

「あんたじゃないわ、マルガリタ・アメジストよ。そう呼んで」

「そういうところもムカつくわ」


 さっきの心細い響きの声とはかわって、少し呆れたような声だった。

 ほんの少しは距離が縮まった気がして、私はあの子ににじりよる。これだけは伝えておきたい。


「ねえ、マリア・ガーネット。私があなたと仲良くなりたいのはね、貴方が綺麗な人だからよ」

「はあ?」

「美しいなって感じた人と仲良くなりたいって願うのは、人として当然の欲求じゃないかしら?」

「……からかうのはやめてくれない?」


 世にもつまらない冗談を聞かされたような怪訝な表情でマリア・ガーネットは私を見た。また眉間にしわが寄っている。

 どうしてこんな目で見られなきゃならないのだろう……本心を伝えたのに。


 その悲しさが表情に出てしまったらしい。私も修行が足りない、信徒の方たち相手なら本心なんていくらでも隠せるのに。

 マリア・ガーネットが戸惑ったように視線をそらしてからむくっと起き上がり、あーもう! と声を出して、左手でぽんぽんと私の頭を軽く手を置いた。


「ったく、一人だけ傷ついた顔しやがって……そう言う所もムカつくんだぞ、元ユスティナアルケミー!」


 マリア・ガーネットが私の昔の名前を知っていたことに驚いたけれど、でも嬉しくない。記憶の無い昔の名前でなんて呼んでほしくなかった。気が付けば勝手に目から涙が零れ落ちてる。


「私はマルガリタ・アメジストだってば……」

「だから、こんなことでなんで泣くんだか、意味が全然分からないんだけど!」

 

 焦ったようにマリア・ガーネットが左手の指で私の涙をぬぐう。あーもう面倒くさい! って、じれて毒づいてるマリア・ガーネットの顔がこちらに近づく。

 いつもぴんと張り詰めている表情が私をみて戸惑っている。それが嬉しくてつい笑ってしまう。

 ふふっと声を漏らしてしまったことで、マリア・ガーネットは私の涙をウソ泣きだと判断したみたい。怒って左手であたしの首根っこをつかみ、ずるずる引きずってガレージの外に追い出した。


「あんたの退屈しのぎにつきあってる暇はないんだ、もう二度と来るなよ! マルガリタ・アメジスト!」


 ジャッ! と、乱暴にカーテンをしめたマリア・ガーネットだけど、私には堪えていない。やっぱり左手でつかんで外に出されたからだ。

 

 それにやっと名前を覚えてくれたみたい。なによりもそのことが一番大事。

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