第29話 マイク
シスター・ラファエルが私達をバトントワリングチームのメンバーに擬態させたのはただの思いつきではない。
ウィッチガールはバトンやステッキを扱うのが基本。まさに嗜み。記憶や人格が壊されても、その動作を体で覚えている子が少なくない。
万一の時があってもしらを切り通せる可能性が高いから、一見とっぴなその案を採用なさってるのだ。
それなのに、ああなんてこと。この場にいない誰かさんがまさかバトントワリング大嫌いだったなんて……。
私は頭を抱えた。そういえばその誰かさんは言葉につまるとよく髪の毛をくしゃくしゃさせていたけど、こういう心境だったからなのね。
あの子のお兄様はサングラスをかけ直す。外の世界では目立つ瞳の色だから隠す必要があるのだろう。刈り込んだブロンドにライダースジャケットとジーンズ姿は、ツーリングを楽しんでいる若者そのもの。当たり前だけど、あの十四歳の子供好みなコートは今は着ていない。
落ち着け落ち着け、と私は自分に言い聞かせる。
目の前にいるのはマリア・ガーネットのお兄様だ。それはもう間違いない。口ぶりから察するに、私たちが何者であるかは既に把握済み。求めているのは「女王様」についてのお話のみ。
この方は私がピーチバレーパラダイスのお菓子であることは気づいてはいても、私がこの方がカテドラルの関係者であると存じ上げていることまではまだ知らない。その筈だ。
私と「女王様」は同じ施設で生活を共にしていたけれど、接点がなくてそんなにおしゃべりもしたことがない。そんな関係だったと嘯いて、当たり障りなく無難な会話で切りぬけよう。私は方針を決めた。
「女王様は強くて素敵でみんなの憧れの的でした」
「そっか、強くて素敵でみんなの憧れの的ね――それはよかった」
お兄様は私の言葉をそのまま繰り返される。安堵の混ざった、柔らかな声だ。
優しい記憶に浸っておられる間にバスに戻ろうとするも、人懐っこい態度でぬかりなく私との距離を詰められる。
「あ、ごめんあと少しだけ──」
距離を保つため、私は半歩退く。
気さくな好青年に見えても、目の前にいるのはカテドラルの騎士だ。悪い妖精と手を結んだウィッチガールを狩ってきた人の一人だ。警戒しすぎるくらいでちょうどいい。だって私たちはいまから今から
現にほら、ジェイクと呼ばれたお兄様のお友達が携帯端末を手に、どこかと連絡を取り合っている。
「他にも何かないかな? 悪い大人から意地悪されてなかった? 痛い目には遭ってない? 食事と寝床は? あ、あとそれから──」
「申し訳ありません。急いでいるので失礼します」
店内からこちらを伺っていたシスター・ラファエルが、売店の扉をあけて私の方へ歩まれる。大股で素早く私の隣に立たれると、肩に手を置かれた。助かった。
「もう出発の時間ですよ」
「はい、先生」
私たちはそのままバスへ向かう筈だった。あの子のお兄様から逃げる為に。
しかしお兄様は不意打ちで私達を引き止める。
「久しぶり、メラニー」
私の肩に置かれたままのシスター・ラファエルの手に、ほんの少し力が加わった。この青年がただの行きずりの旅人ではないとお気づきになったのだろう。
「失礼ですが、人違いをされていませんか?」
捕まれた肩から、シスター・ラファエルのお気持ちが注ぎ込まれそうな思いがする。
それに反して、お兄様は洒脱な調子を崩さない。振り向かれたシスター・ラファエルの射るような視線を穏やかな様子で受けとめる。声には思い出を共有する者へのなつかしさが滲んでいた。
「ここで顔を見られて良かった。──今までどうも、ありがとう」
シスター・ラファエルの呼吸から激しいお怒りを私は感じる。それをぶつけられているお兄様は、いたって落ち着いた調子を崩されない。
「ここには数日前に到着していたんだ。そこにいる彼とね、殺人鬼と少女誘拐犯がいそうなモーテルでしばらく過ごしていたわけだ。前のりってやつだよ」
私の肩を掴む手から力が抜ける。お兄様のお友達が、こっちに不審な目を向けているのに気づいたからだろう。それに売店のご主人もドアの中から訝し気な目を向けている。あまり緊張しているとかえって不自然だ。
それがわかっているのか、お兄様は世間話をするような調子を崩さない。
私たちへの警戒心をかくそうともしない真面目そうなお友達を親指で指し、いたずらっこのように笑う。サングラスの下でウィンクでもしていそうだ。
「で、そろそろ妹の所へ行こうかって時に女の子達がピクニックにへ出かけるって情報が入ってきたんだ、なんでもその子たちは
どこからどうやって――と気になったけれどすぐに答えが見つかった。
売店のご主人が、シスター・ラファエルにピーチバレーパラダイスの様子を堂々と尋ねた時の様子を思い出す。新聞を購入する際に私の身を案じてくださったり、ピーチバレーパラダイスの関係者にしては悪い人ではなさそうだけれど、その分、情報を厳しく管理することに関する適性は無さそうな方だ。抜け目のない方ならあの町で何が起きているのかを読みとることくらい、容易いに違いない。
「それで君たちを待っていた。──どうしても妹の友達と話がしたかったんだ。できれば瞳が青いのにアメジストって名前で、理屈っぽいしゃべり方をする子と」
こういう時にこそ知らんぷりをしなければいけないのだけれど、私は99.9パーセントは人間だ。しかも十五になるかどうかっていう年齢相当に感受性が固定されている。無視することがどうしてもできない。
動揺は表情に出てしまい、たたみかけるようにお兄様は続ける。
「ああやっぱり君がマルガリタ・アメジストか。――女王様が手紙で君のことをよく報告してくれたから初めて会う気がしなかったよ。見た目は天使みたいで奇麗で可愛いのに理屈屋で突拍子もないことばかり言う面白い子だって」
肩をつかむシスター・ラファエルの手に力がこもる。相手にするなの合図だ。わかってはいる。でも、それはかなり難しい。
だってあの子が私のことを手紙に書いていてくれたって言うのだから。
「ホームの子たちの名前を手紙に出したのは君が初めてだったんだよ、しかもここ最近になってようやくだ。マルガリタ・アメジスト、だから君と話がしたかった」
動揺の抑えるために、バスの方を見る。長々と行きずりの青年と立ち話をしている私たちをお菓子たちがバスの中から不思議そうな顔で見ているし、バスの昇降口にいた宣教師がしびれをきらしたのかつかつかと大股でこっちへやってくるのが見える。助かった。
「──失礼ですけれどもう出発の時間ですので。お互い長居は無用でしょう?」
シスター・ラファエルは私の背中に手をそえる。もう行きましょうの合図だ。私はそれに従う。
そのつもりだったのに。
「嘘はお止めください」
気が付けば口が勝手に動いている。
「あの子は普段私のことを散々に言っていましたから、奇麗や可愛いだなんてあり得ません」
お兄様は私の反応をみて愉快そうに笑顔をみせた。こういう茶目っ気を覗かせた表情が、似合っているだけに小憎らしい。
「知らないのかい? 手紙では誰しも素直になるものさ。――黙っていれば天使みたいなのに、理屈っぽくておしゃべりで、根性の腐った面白い子のことが出てくるようになった手紙を読むのが、実は結構楽しみだったんだよ。マルガリタ・アメジスト」
いたずらっ子のような調子でお兄様は答える。手紙のことで私の気を引いてまんまと足をとめさせたあたり、女の子の機微にある程度お詳しいのかもしれない。
そうこうしているうちに、宣教師がガラの悪い声を張り上げて私たちを呼ぶ。
「いつまで油売ってやがる。そろそろ出んぞコラ」
シスター・ラファエルがそれに応じるように、私の肩を押される。視界の隅では、お兄様のお友達が私の方を睨みながらこっちに近づいてくるのが見えた。
私たちはバスへ向けて歩き出す。これ以上はもたもたしてられない。
それでも振り返って、お兄様へ向けて言わずにはいられなかった。
「こんなおしゃべりをする時間があったなら、早くマリア・ガーネットの所へ行ってあげて。あの子、ずっとあなたを待ってるんだから」
心得たという風に、お兄様は片手をあげる。そこへお友達が駆け寄る。焦った様子で、どうして私を行かせるのだという内容の言葉をぶつけている。
苛立った足取りで近づいた宣教師が、バスの出入り口へむけて顎をしゃくった。早く乗れ、の合図。その右手首にブレスレットが揺れている。
お兄様の制止を振り切ったのか、お友達が私たちのあとを追いかけてきた。でも宣教師に阻まれる。もみ合いになりながら、お友達は私へ向けて警告する。
「ちょっと待って、そこの子。君はここから向こうへは行かせられない! 君は……!」
駆け足になるシスター・ラファエルに促されて私も小走りになり、バスのステップに足をのせた。シスター・ラファエルもそのあとに続く。
誰あの人、ナンパ? というジャンヌ・トパーズの質問や、おっそーい、というテレジア・オパールの嫌味が渦巻く狭い車内で、シスター・ラファエルは運転手にバスを出すようにお命じになった。ドアが閉まり、エンジンが入れられ、バスはゆっくりと動き出す──。
その間、私たちが後にした方を見やれば、ちょうど宣教師がお友達を殴りつけていた。
拳ではなくハートのオーブのついたステッキで。
外の様子を見物していたみんなが表情を一変させる中、宣教師だった男の全身が花びら状の魔力のかけらに包まれた。一瞬で消える花吹雪が消えた後に姿を現したのは、馬鹿馬鹿しいツインテールに下品なドレスに身を包んだピンク色のウィッチガール。ハニードリームの、彼女だ。
ウィッチガール姿に変身した彼女は、昏倒したお友達の背中を踏みつけ、その手から悠々と拳銃をもぎ取っている。動き出したバスの中から見えるのは彼女の後姿だけだけど、こちらが頼んだ仕事はきっちりこなしてくれていることに、ほんの少しだけ安堵した。
だけれどその間、駐車場のそこかしこに潜んでいた無数の男たちが現れて、ピンク色の彼女を取り囲む――。
「えっ、ちょ、なんであのハニードリームのウィッチガールがここにいんの⁉」
私の座った籍の後ろで、窓ガラスに張り付いたカタリナ・ターコイズが大きな声をあげた。
「どういうこと⁉ あたしらやっぱりハニードリームに売られるのっ?」
驚きと不安に満ちた声は、徐々にスピードをあげるバスの中で思いのほか強く響く。
「売られる」の一言にみんな反応して、突然のトラブルに浮足立った社内の様子が一変した。この不自然なピクニックに対してうすうす何かを察していた子たちは悲鳴をあげるし、そうでない子もざわつきだす。
「売られるって……! じゃああたしたち二度とホームに帰れないのっ⁉ ショーの配信が見られないの……⁉」
「それどころじゃないんだってば、バルバラ~」
後部座席の方から若干呑気なやり取りがとんできたけれど、バスの中も外もそれどころではない。みるみる遠ざかるレストエリアの駐車場では、ピンク色の彼女が銃だの刃物だのをちらつかせた大人数名に包囲されている。ほどなくしてパンパンという銃声も聞こえる。恐ろしい騒ぎに悲鳴をあげつつ、みんなとっさに窓より下に身をかがめた。このあたりは治安の悪い町で一時を過ごしたお菓子らしい。
「何々なんなのこれ、どういうことぉっ?」
跳びださせた猫耳を倒してジャンヌ・トパーズは体を縮める。
「絶対そうじゃないとは思ってたけど、でもただのピクニックだって信じたかったのに~! やだあもう~」
「おねがいだから説明しなよ マルガリタ・アメジスト! あんたなんか知ってるんでしょ⁉」
背もたれの向こうでカタリナ・ターコイズが叫んでいる。私も座席に伏せながら叫び返す。
「説明してあげたいけど長くなっちゃうのよ!」
「長くなってもいいからしなってば! あたしらみんなの人生がかかってるんだぞ。やっとあんなごみ溜めみたいな町の外に出られると思ったのに、また別の似たような町に売り飛ばされるとか勘弁してよマジで~! しかもハニードリームって絶対うちよりブラックじゃん~!」
あたしの人生を返せー! とやけになったように叫ぶカタリナ・ターコイズを筆頭に金切声や叫び声で騒がしくなるバスはスピードをあげてハイウェイを走り出す。
その間、ドオン、という派手な音が。さっきまで私たちがいた駐車場からは小規模な爆風とピンク色の爆炎が発生し、衝撃でバスの車体も揺れた。お菓子たちは悲鳴をあげる。
この状況でもお客様が手配してくださった運転手はプロなのか、スピードをあげて道を突き進む。たまに右へ左へ激しく蛇行したり、いかめしいエンジン音や軋るタイヤの走行音が聞こえてくるあたり、私たちを追撃する車の存在が感じられたけれど、座席に伏せている以上外の様子はうかがえない。
でもその種の荒々しい音は、ピンク色の閃光を放つ衝撃波が車体を襲った後に眩しい先行と耳をつんざく爆音が炸裂したすぐ後から次第に遠ざかってゆく。静かになるバスの外とは反対に、車内はまさに阿鼻叫喚。
「やだあ~、売られるのはやだあ~! あたしは二度とウィッチガールになんてならないんだから~!」
「皆さん静かに! 落ち着きなさい、誰もあなたたちを売り飛ばしたりはしません!」
カタリナ・ターコイズの取り乱しっぷりが酷いのか、シスター・ラファエルもついにするどくご一喝なされる。でも今回ばかりはあまり効果がない。カタリナ・ターコイズがとっさに叫んだ「売られるの⁉」という言葉が、お菓子たちにパニックを引き起こしている。
ウィッチガールなんかになってしまったせいでとつぜん十数年分の人生をまるごと奪われて、何が何だか分からない間にこんな砂漠の真ん中にある悪い妖精の国へ連れて来られた子たちだけが乗っているバスの中だもの。押し殺していた不安を爆発させて当たり前なのだ。手が付けられなくなってもしかたない。
混乱した女の子たちでぎゅう詰めのバスの天井が、不意に大きくドスンとゆれた。その衝撃がバスの車内を鎮める。みんな息をつめて、音がした方に視線をむける。
ちょうどそのタイミングで、ぶらんと上からピンク色の塊が皆が注目している窓の外にぶらさがった。
よくみればそれは、ピンク色の彼女の逆さになった上半身だった。とてつもなく不機嫌そうに顔をゆがめた彼女は、ステッキを握りしめたままガラスをごんごん叩きつける。中へ入れろの合図だろう。その窓の傍にいた子はひいっと息をのんで身をすくませた。無理もない。一瞬死体か何かがぶら下がってきたようにみえたもの。
タチの悪いホラー映画の演出めいた彼女の登場は、結果的にバスの中のパニックを鎮めるのに一役買ってくれたのだった。
ところどころ煤けた様子の彼女だけど無事だったのだろう。ごんごん、ごんごん、とバスの外からガラスをこぶしで叩きつづける。舌打ちでもしたのか、口が大きくゆがんでいた。運悪くそのそばにいた子が慌ててバスの窓をあけると、体操選手のような身軽な動作でくるりと車内に侵入する。
なにが起きているのかわからずに棒立ちになった子たちを乱暴におしのけ、かき分けて、ピンク色の叶は私の元にたどり着く。そして、乱暴にぐいっと私のTシャツの襟首をつかんだ。一応笑顔をうかべていたけれど、ピンク色の瞳は獰猛にぎらついている。
「──本日は楽しい楽しいピクニックにご招待くださってありがとうございます、ポンコツドヤクザウィッチガールちゃん」
「お楽しみいただけて光栄です、ハニードリームのアサクラサクラ様」
この子と応対する時にはうかべることにしている慇懃な笑顔で応対すると、彼女はいよいよ怒りで顔をゆがませて口汚くわめきだした。
「あんたあいつらがカテドラルだと知っていてタラッタラくっちゃべってただろ! そういうめんどくせーことすんなってイチイチ言わなきゃわかんないんですか~!」
ベテランなだけあって、彼女はカテドラルの存在を知っていたらしい。このいら立ちをむきだしにした言葉から、かれらとはできれば関わり合いになりたくないとも思っている。この騒ぎでそれが分かったのはまあよかった(それにしても、どうしてこんな邪悪と暴力の権化みたいなウィッチガールをカテドラルは野放しにしているのかしら? 一番とりしまらなきゃいけないような子じゃないの)。
「……あ、何?」
さっきまでのパニックが嘘のように静まったバスの中で、自分が注目を集めていることに気がピンク色の子はやっときづいたみたい。目を眇めると、存分に威嚇する。
「何見てんだよポンコツども。人のことジロジロ見てないで散れ散れ、ほらとっとと解散!」
ステッキを持たない左手で、しっしと犬の子を追い払うよう上下にふりながら、走行中のバスの中では絶対無理なことを言う。
まだまだ不安そうなお菓子たちだけど、凶暴な空気をまとったピンクの子を刺激したくないとおもったらしい。静まったバスの中でそれぞれの座席に着いた。みんなが口を閉じる中、カタリナ・ターコイズだけがメガネの位置を直しながら果敢に彼女に問いかけた。
「あんた、あたしらを買いに来たの?」
「はぁ? 買うわけないじゃん。スカウトはあたしの仕事じゃないし。大体あんたらの処遇はショーの結果で決まってん……――もががっ!」
いつの間にかピンク色の子の後ろへ回り込んでいらしたシスター・ラファエルが、彼女を羽交い絞めにしたあげく荒っぽい口をふさぐ。こうして強引に、ショーの結果次第で私たちの帰属先を決めていた神父様とハニードリームボスのとの密約が漏れるのを防がれた。
むーっむーっ、とピンク色のウィッチガールは唸って騒ぐけれど、戦士みたいな体をもつシスター・ラファエルが相手だと純粋な体力では勝てないようだ。涼しい顔で彼女の動きを封じたままそのままシスター・ラファエルは静かにお告げになった。
「――先ほども申しましたが、私はあなた達を売るようなことはいたしません。根拠もない思い込みでパニックをおこさないこと。わかりましたね? カタリナ・ターコイズ」
静まったバスの中でシスター・ラファエルの低めの声はよく通り、よく響く。いつもと変わらないおちついたその声に、騒ぎもようやく鎮まりをみせた。
叱られたカタリナ・ターコイズも「売られない」と断言されて少しは安心したみたい。でも、それでも不安がぬぐえないのか、すがるような声で尋ねた。
「じゃああたし達は今どこへ向かってるんですか、シスター・ラファエル? ただのピクニックじゃないんでしょう? 本当は外へ出るんでしょう?」
丸眼鏡越しのカタリナ・ターコイズの目は、おびえと期待に滲んでいる。他のお菓子たちも似たような表情で、シスター・ラファエルをひたと見つめている。
「もう二度とあそこへは帰らないんでしょう?」
さっきの荒っぽい運転が嘘のように、安定した速度でバスは峡谷を律義に目指している。
ついに覚悟をお決めになったのか、シスター・ラファエルはふうっと息を吐かれた。
「ピーチバレーパラダイスには帰りません。というよりも帰れません。あそこはこれから戦場になります」
バスの中は一層静まり返る。
カタリナ・ターコイズのように、これがただのピクニックではなく命をかけた亡命だと分かっていた子たちですら、みんなシスター・ラファエルのお言葉には不意を打たれたのだろう。皆、たった今「戦場になる」という言葉をつきつけられて息を飲んでいる。ここにいる子たちはみんな、カテドラルという組織のことを知らない。だから、戦争と言われたっていまいちピンとこないのだ。
今日はあの町で世紀のイベントが行われる日じゃないのか、お祭りなんじゃなかったのか、そんな顔でお互いの顔を見合わせている。
この話をどう受け止めていいかわからない、そんな表情のお菓子たちを前にシスター・ラファエルは淡々と告げる。
「私たちはこれから峡谷を経て、封鎖区域の外に出ます。外の世界に新たな拠点をつくるのです。──今の今まで皆さんに十分な説明ができなかったことを謝罪しましょう」
一方的にそう宣言した後、思考が追い付かない面々の中カタリナ・ターコイズだけが目をキラキラ輝かせた。売られない、そして外の世界へ出られるという安堵と希望にいち早く反応しているのだ。
それとは反対の感情を乗せて、後ろの席では誰かがたちあがる。テレジア・オパールだ。
信じられない、信じたくないと言いたげに、テレジア・オパールはシスター・ラファエルをひたと見つめる。
「戦場になる、ピーチバレーパラダイスには帰らないってそんな……。じゃあ、あの子はどうなるの⁉」
テレジア・オパールが指す「あの子」は一人しかいない。お菓子たちなら全員知っている。
そして、テレジア・オパールが口にしたこの疑問は、お菓子たちに共通する疑問と不安だったに違いない。
再び緊張する車内の空気を変えたのは、一瞬のスキをついてシスター・ラファエルの拘束から逃れたピンク色の子だった。
彼女は私が招いた部外者だ。「あの子」が誰を指すかのかは抜け目なく察したようだけど、テレジア・オパールにとってはどういう存在なのかについてはまったく頓着をみせず、そっけなく言い切った。
「どうなるもこうなるも、あんたらのウィッチガールスレイヤーちゃんは本物のウィッチガールスレイヤーに迎えに来てもらって、あの糞みたいな町を焼け野っぱらにしたあと気持ちよくサヨナラすんに決まってんじゃん」
私なら言い淀んで絶対に口にできない内容を、彼女はくだらなさそうに短くまとめる。
「まー、無事に運よく生き延びたその後は、お身内と一緒に本物のウィッチガールスレイヤーとして、あんたらみたいポンコツ共をぶっ壊して生きてくんじゃない? つまり今日であんたらとあの子は永遠のお別れだったって訳だ」
テレジア・オパールの顔からみるみる血の気が引いてゆくのを見ながら、ピンク色のウィッチガールは少し面白そうに笑った。きっと彼女は人が弱みを晒している時に攻撃せずにはいられない性格なのだ。開いた傷口を面白半分にいたぶるように、テレジア・オパールをからかう。
「で、そこの黒髪ロングちゃんはお別れをしっかり済ませたの? あのウィッチガールスレイヤーちゃんとさ」
ピンク色の彼女をピクニックに招いたのは私だ。満足に魔法が使えない私たちを、カテドラルなどの追手から無事に逃げのびるために護衛を務めてもらうためだ。
その判断は間違っていなかったと思う。口では散々にわめき散らしながらも、彼女は私たちをしっかり護ってくれた。ステッキの修理代くらいの働きはみせてくれた。
でも糸の切れた操り人形のように座席に座り込むテレジア・オパールを見て、私はすこしだけ悔いた。
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