第28話 出発

 ぎりぎり封鎖区域内にある渓谷キャニオンでピクニック――というのは逃げ出すための口実や建前、なんかではない。そこで私たちはお弁当を食べることになっている。

 約束通りお客様が手配してくださった小型バスの中、いつもの尼僧服姿ではないシスター・ラファエルと私は計画を確認する。一番前の席にお座りになったシスター・ラファエルはこのあたりの地図を広げ、ハイウェイ沿いのある地点を指さされる。彼女の真後ろの席で立ち上がり、私は地図をのぞき込む。


「あそこに行くためにはここのインターチェンジで降りなきゃいけない。でも手前にはウチの支社のやつらが関わってるレストエリアがあるからね。一応顔をみせとかないといけない」


 つまりそのレストエリアは、ピーチバレーパラダイスに出入りする人の検問所も兼ねているということ。

 それに加えて、封鎖区域の外に出る為の正規の検問所もあるはずだ。


「ま、あんたたちもうちにきてからずーっとあのシケた町の外より先を知らなかったんだ。弁当でも食いながら雄大な景色っつうものを眺めるのもオツってもんだろ?」

「お心遣い感謝いたします、シスター・ラファエル」

「このナリの時はメラニー先生だよ」

「承知いたしました。メラニー先生」


 シスター・ラファエルは、やぼったいセルリアンブルーのTシャツに白いジャージの上下というスタイルでカーリーヘアを後頭部でまとめていらっしゃる。黒ぶちの眼鏡をかけているけれど、戦士みたいな立派な体つきと相まってどこからどうみても立派なスポーツチームの引率者だった。

 そして私はおそろいのセルリアンブルーのTシャツにひどく派手な花柄ののスカート姿。まるで垢抜けないスクールガールみたい。

 ちなみにバスに乗っているお菓子たち全員セルリアンブルーのTシャツ姿だ。私達が普段着ている紺色のワンピース姿だとどこから着たのか一目瞭然だから、封鎖区域の外でも違和感の少ない格好をしなければならない。そのために、砂漠の果ての都会で行われるバトントワリングの大会に出場する少女たちのふりをすることになったのだ。つまりこの格好は一種の変装で、お洒落なんかではない。

 でも、用意されたボトムの中から出来るだけ可愛いものか無難なものを選ぶためにお菓子たちは争奪戦を繰り広げたとのこと。だって、みんなお揃いのセルリアンブルーのTシャツがあまりにも野暮ったいんだもの。架空のバトントワリングチームの名前がプリントされていて芸は細かいんだけど、可愛くないのはいただけない。

 そして、一番遅れてホームに戻ってきた私には、お菓子たちの誰からも敬遠された悪趣味なスカートしか残されていなかったというわけ。

 ――まあ仕方がないのだけれど。時間が許すまでガレージにいたわけだから。


「……あんたひょっとしてシャワー浴びてないんじゃない?」

 

 集合場所に遅れてやってきた私を隣の席に座らせたジャンヌ・トパーズは、欠伸を噛み殺しながら尋ねてきた。ちなみに彼女は手際よくチュールのスカートを手に入れていた模様。


「だって仕方がないじゃない。時間が無かったんだもの」

「時間が無かったねえ……」


 呆れた顔でジャンヌ・トパーズは一番後ろの席を目くばせする。そこに陣取っていたのは案の定テレジア・オパールで、いつものようにサイドキック二人を両脇に侍らせていた。ビジューで飾られたミニスカートと高いソールのサンダルを見せびらかすように足を組んで座り、野暮ったいスカートの私をみてふふんと笑う。

 あの子今からどこへ行くのかわかってるのかしら? ピクニックだって言ってるのに……。


「遅れた理由、あの子にだけは教えちゃダメだよ。絶対面倒なことになるから」


 ひそひそとジャンヌ・トパーズは私に耳打ちする。私もうなずく。長距離移動中に機嫌を損ねられたら大変だ。本当に気位が高いだけの女王様は面倒なんだから。


 シスター・ラファエルが座る席とは通路を挟んだ反対側には、派手なスーツの男性がいる。小娘たちの引率なんて馬鹿らしくてやっていられない、そう言いたげにふんぞりかえっているのは彼は宣教師だ。

 大勢の上に立つものとしての器に疑いの目を向けられ、そして見限られようとしている神父様だけれど、私たちを野放しにしてくださるほどは甘くはなかった。ショーに夢中になられているとはいえそこはやはり悪い妖精を束ねるボスであらせられるのだ、まあもう手遅れだけど。



 ピーチバレーパラダイスの住民にとってはそろそろベッドに入る時間、世間にとっては早朝と呼ばれる明るい空の下、私たちはこうしてお客様が運転手込みで手配してくださった小型のバスに乗り込んだ。 

 見送りにはマリア・ガーネットが来てくれた。シスター・ガブリエルもいらっしゃる。

 バスケットに入ったお弁当をシスター・ラファエルに手渡すシスター・ガブリエルの後ろで、あの子は私たちを眺めている。


「今度は絶対勝ってよね、ドローとかそういうのナシだからね!」


 自分が仕えているテレジア・オパールが無理をしてそっぽを向いているというのに、バルバラ・サファイアが窓にかじりついて激をとばしている。


「あたしが見る限りあの犬耳の子は魔法弾掃射モードから格闘戦に切り替える際にどうしてもコンマ数秒がかかるの。それがウィークポイントで、その瞬間を叩けばなんとか――」

「バルバラ、あんたちょっと最近キモいって。引かれてるってば」


 サイドキック仲間のアグネス・ルビーに席に座る様に促されてもバルバラ・サファイアは叫んでいる。


「今日の試合、帰ってきたら絶対動画で見るんだから! 格好悪い試合したら許さないんだから……!」


 テレジア・オパールはサイドキックに本音を叫ばせて、自分は余裕綽々の体だ。頑張って背を向け続けている。

 小型バスの片側は、ショーの観戦を楽しみにしていたお菓子たちが偏って、マリア・ガーネットに声援を送る。

 頑張って、とか、あんな子やっつけちゃって、とか、そういう他愛もないものだ。

 ジャンヌ・トパーズが確保してくれていた席は、出入口から反対側だった。だから私の席からは立ち上がらないとマリア・ガーネットの姿が見えない。

 窓に群がるお菓子の背後からあの子の様子をうかがうと、これまであまり関わり合いを持たなかった子たちから急に声援を送られて戸惑っているみたいだ。

 これまでひそひそ遠巻きに噂されたり物陰からじろじろ見られたりしていただけだから、まっすぐに応援されて気恥ずかしいらしい。──こういう時こそ自信たっぷりに尊大にふるまわなきゃいけないのに。素になっちゃダメじゃない。

 ようやくあの子は、窓際に群がった女の子の後ろからなんとか顔をのぞかせている私に気付く。何か言いたげな目をしたけれど、私の視線に込めた意味を読みとってくれた。

 ちょっとの間を置いてから、どんな猛者でも自分の敵ではない、その場に跪けと言わんばかりな尊大な表情を作って見せる。左手を腰にあて、右手の甲をこちら側に向けてみせつけた。


「あたしが今までに一度だって、ショボいショーを見せたことがあった?」

 

 窓辺のお菓子たちが色めきたつ。

 よしよし、と頷く私の背後にいつの間に忍び寄っていたカタリナ・ターコイズが「演出家〜」とささやいたけど聞かなかったことにする。


「つまんないこと心配してないで、ピクニック楽しんできなよ。──みんな元気で」


 尊大な女王様にしては優しい一言を贈って、微笑むマリア・ガーネット。できれば無敗無双でお菓子たちのことなんかまったく気にかけない女王様状態を維持してほしかったけれど、みんな喜んでくれたから贅沢は言わない。

 

 これでどう? というあの子からの視線に私は頷く。


 そうこうしているうちに、出発の時間がきてしまう。開け放たれたフェンスのゲートを目指してバスは動きだす。

 出入口側の子たちはまだ窓にかじりついたままだから、私は立ち上がらざるを得ない。去り行くマリア・ガーネットの顔を見て手を振る。

 私と目があったその瞬間、あの子は右手を振った。

 泣くのをこらえるような顔だった――と思う。他の子たちの陰にかくれてよく見えなかったのだ。

 こうなるんだから、やっぱりガレージに時間いっぱいまでいてお別れを済ませておいて正解だった、そう自分に言い聞かせる。私は昨晩マリア・ガーネットを独占したんだから、こんな時ぐらい他の子に時間や機会を譲ってあげるのだ。

 そんな私は根性が腐ってなんかないのだ、だから。



 こうして私たちはピーチバレーパラダイスを後にした。

 一年と少しくらいしか過ごしていないにしても、もう二度と戻らない場所だ。ホームの姿ぐらいはよく見ておくべきだったかもしれない。

 フェンスに囲まれた町が遠ざかるのを感じると、ほんの少しだけ切なくなった。



 分かっていたつもりだけど、フェンスの外はどこまでいっても赤い砂の荒野。

 地平線のそばにある何万年もの歳月が作った奇岩のほかには乾いた大地に灌木が見える、ひたすら単調な景色が広がるだけ。

 ピーチバレーパラダイスにやってきて以降、外の世界に出たことのない哀れなお菓子たちははじめのうちはそんな景色にもいちいち沸き立っていた。でもあまりに変わり映えのない景色にすぐに飽きて、皆次々に眠りだす。一晩中お仕事だったんだもの、眠くなるのも仕方ない。

 赤い砂漠を灰色のフリーウェイが切り裂いている。私たちを乗せた小型バスはその上を走り、目的地を目指す。

 ショー見物のためか対向車線には車が時々通ってゆくけれど、こちら側の車線を通る車は前にも後ろにも私たちのバスだけ。これではすぐ怪しまれそう。ひやひやしてしまうけれど、対向車たちは小さなバスなんか気に留めた様子もない。何事もなくすれ違ってゆく。

 少女たちを引率するコーチ姿のシスター・ラファエルと打ち合わせをしていると、私も猛烈な眠気に襲われた。いつもなら噛み殺す欠伸が出てしまう。


「失礼しました、メラニー先生」

「あんたも寝な。どうせ一睡もしてないんだろ?」


 珍しくお優しい言葉に甘えて、私は腰を下ろして隣のジャンヌ・トパーズにもたれかかる。上下の瞼はすぐにくっついた。

 胸の光はすっかり消えて、私の体は安らかだった。このままずっと大人しくしてほしい、私が奇麗な死体になる日まで。



 

 インターチェンジを降りた先にあるレストエリアへ計画通りに到着したのは、すっかり昼も過ぎた頃だった。そのころになるとお菓子たちもほとんど目を覚ましている。

 ここはまだ封鎖区域内だ。

 とはいえ、外の世界と一番近い場所だから私たちの町ではなかなかお目にかかれないようなものがそこかしこに目につく。お店を覗くとテレビがあるし、新聞や雑誌も普通に置かれている。

 ピーチバレーパラダイスとは異なる空気にお菓子たちは素直に反応する。シスター・ガブリエルが持たせてくれたお弁当を食べたあと(あの方は苦手だけどおかしな時間に大量のお弁当を用意してくださったことには感謝しないと)、外の世界の物珍しさからあちこち探索を始めたり、皆それぞれにはしゃぎだした。無理もない、今まで閉鎖的な場所でずーっと暮らしていた子たちなんだから。

 お手洗い、ガソリンスタンド、小さな食堂とちょっとしたお土産を売る売店しかないような所ですら、ピーチバレーパラダイスにいた私たちには外の世界の文化を十分に感じさせてくれるのだ。ああ、こんなちっぽけな場所に幸せを感じることのできるお菓子たちの不憫さよ。


「こんな日にピクニックなんて何を考えてんだい、あんたは?」


 売店で煙草をお求めになるシスター・ラファエルに、カウンターの中にいるご主人が訝しんでいる。適当に目についた雑誌をぱらぱら捲りながら、私はカウンターの様子を伺った。

 私たちのことを知っているということは、この売店のご主人はピーチバレーパラダイスにかかわりを持つ方なのだろう(そしてシスター・ラファエルは煙草を嗜まれる方だったのか)。


「ええ、バトントワリングの大会に出場するついでに、せっかくだから立ち寄ってみようかと」

「……はいはい」


 そういうことになってるんだね、と目で仰いながら売店のご主人は煙草を手渡される。


「疑うわけじゃねえけどよ、どっかの上院議員が封鎖区域の立ち入り制限解除を検討するとか宣言してんだぜ? そんな時期に目立つような真似をするのは感心しねえな」

「まあ、それは結構なことじゃありませんか?」


 シスター・ラファエルにさらりとかわされて、一瞬さぐるような目をしてみせたご主人もあきれたように肩を上下された。

 私は新聞を一部買い求めた。お菓子たちは外の情報を求めてはいけないと躾けられていたけれど、私達はもうお菓子じゃないのだ。新聞だって、ファッション誌以外の雑誌だって、読んで構わないのだ。

 ──というよりも、こちらから進んで情報を仕入れないと危うい立場になるのだ。ここまで来た以上、不自由と引き換えに安穏を手に入れられていた身ではないのだから。


「あんた、こんなの読んで大丈夫なのかい? お仕置きされてもしらないよ?」

「今日だけは特別って許可をいただいていますから。道中に退屈しなくて済みますもの」


 ピーチバレーパラダイスの規則に通じているらしいご主人は、私にだけ聞こえる声で確認された。私は無邪気さを心がけた笑顔を浮かべる。




「見てよ、モーテルだよ、モーテル!」


 思い思いの形で休憩時間を楽しむ私たちだったけれど、カタリナ・ターコイズの過ごし方はこの子らしくなんともおかしなものだった。レストエリア内のモーテルの看板なんかに興奮するんだもの。指で四角を作っては画になる角度を探している。まったく、彼女の琴線を震わせるものの基準ったらまるでわからない。


「……いいねえ~、シャワーを浴びてる美女を襲う殺人鬼が似合いそうなモーテルだわ~」

「本当にあなたの美意識って独特ね、カタリナ・ターコイズ」


 駐車場のそばでくだらないおしゃべりに花を咲かせながら、集合時間を待つことにした。 

 私は売店で買った新聞に目を通し、カタリナ・ターコイズの美意識の発露を適当に受け流す。ちなみにジャンヌ・トパーズはすかさずお菓子を買っていた(「すごいよ! 見たこともないお菓子がいっぱい売ってる!」って興奮しながら)。 

 

「大体なによ、殺人鬼が似合いそうなモーテルって……。怖くておちおち泊まれないじゃない、そんなモーテル」

「モーテルってものには殺人鬼とロリコンがつきものなんだよ! 分かんないかなぁ~?」

「分からないわよ。大体私、殺人鬼とか怖くて嫌いだし」

「はああ⁉ あんたがそんなこと言う⁉ いかにも猟奇的なものが好きそうな不思議ちゃんキャラなしておいて、そんなこと言う!?」

「――カタリナ・ターコイズ、それは誤解よ。私は血や暴力は嫌いなのよ、怖いし痛そうだし、可哀想だもの」


 再三にわたって私は血なまぐさいものが嫌いだと言っているのに、誰も信じてくれないのはどうしてかしら? 思わずため息をこぼすと、カタリナ・ターコイズったら、まるで嘘つきをみるような目を寄こす。


「……っは~、あんたよくもぬけぬけと。あんたの女王様の流血ショーをうっとりして見ていたくせに!」


 誤解の元はこういう所だったのね。私は納得しながら新聞をめくった(さっき売店のご主人がおっしゃっていた、上院議員のどなたかが封鎖区域の立ち入り制限を解除を検討を宣言したというニュースを探しているのだけれど、なかなか見つからない)。 

 確かに私はマリア・ガーネットがショーの時に少々の血を流すのを見るのは結構好きだった。だって似合うんだもの。流れる血をぬぐった指をなめたりする、そういう中学生の女の子好みな仕草がいちいち似合う子なんだもの。


「でもそれはショーとして許される範囲の血が見るのが好きなだけであって、生命の危機を感じる程の出血表現は苦手なの。分かる?」

「うちじゃなかなか見られないけど、生命の危機を感じる程の出血表現による美ってものがあるじゃん。それに関しては?」

「私の好みの範疇外にあるとだけ言っておくわ」

「――どうでもいいけどよく新聞読みながら話が出来るよね?」

「カタリナ・ターコイズだってコミックブックを読みながらおしゃべりするじゃない。それと一緒」


 雑談を繰り広げながら、私たちは見るともなしに駐車場を眺めている。

 ここのレストエリアに立ち寄っているということは即ち、ピーチバレーパラダイスに用があるってことのはず。神様に見捨てられたあの町に用がある方々は、どうやらそれなりにいる様子。車が数台停められているんだもの。やっぱりショーがあるからかしら。エリアのあちこちでは、今の私達のように立ち話をしたり軽食を食べたり、思い思いに息抜きをしている方たちの姿が見られる。

 ──私たちのいる場所からそう離れていないベンチに座っている二十代半ばくらいの男性が二人、エリア内で目立つセルリアンブルーのTシャツを着た女の子達をさっきから目で負っている。派手な色につい視線を奪われたような何気なさを装いながら、私たちの様子を伺っている。二人の内一人はサングラスをかけていて表情が読みにくい。


「……なんだろ、あいつら?」


 私たちの会話に耳をすまされているらしい気配に、カタリナ・ターコイズも気が付いたらしい。丸眼鏡の奥の目をすがめて声のトーンを落とした。


「年端もいかない女の子がお好きな方じゃないかしら? あなたさっき言ってたじゃない、モーテルにはつきものだって」

「だとしたら絶対あんた目的だね」

「分からないわよ? こんな悪趣味なスカート履いてる女の子より、あなたの方がニンフェットっぽいじゃない。ローラースケートも似合いそうだし」

「だれがニンフェットだよ、やめてよ」


 カタリナ・ターコイズは嫌そうに顔をしかめた。クロップドパンツとスリッポンを手に入れて細い足首や踝をのぞかせているそばかす娘の彼女はファニーでとても可愛いのに、本人がそのことに頓着しないのがとても残念。適当に選んで適当に着こなした風のファッションなのにどことなくセンスよく見せる才能をもっと大事にしてほしいのに。


「──つか、ひょっとしてウィッチガールファンか?」

「ひょっとしなくてもその可能性が高いわね。今日ピーチバレーパラダイスに用がある人なら十中八九そうでしょうから」

「だったらあんまりジロジロ見られない方がいいかもね。なんかあったらめんどいし」


 カタリナ・ターコイズはカンのいい子だから、長居は無用だと察したみたい。ちょうど売店からお菓子を抱えて出てきたジャンヌ・トパーズを呼び止める。


「買い物終わった? バスに戻ろ」

「ええー、まだトイレ済ませてない〜」

「もー! 何してんだよあんたは全く……」


 二人がやり取りを繰り広げながら立ち去る。私もその後へ続こうとしたタイミングで、例の二人がベンチから立ち上がった。

 お手洗いか食事か買い物か、そのどれかであることを期待したのに、二人はまっすぐ私のもとへやってきた。一見人懐っこい笑顔を浮かべて。


「やあ、ちょっといいかな?」

「ごめんなさい、先を急ぎますので」


 私は新聞をたたんで脇に挟んだ。私のことを離れて待ってくれていたカタリナ・ターコイズとジャンヌ・トパーズに目配せをする。お手洗いに行かせてあげなきゃ。


「ああごめんごめん、怖がらなくて大丈夫だから。ちょっと話がしたいだけ」


 サングラスの方が弁解なさるけど、十五歳前後の天使かお人形のような外見の少女に声をかけるような成人男性なんて、警戒しすぎるにこしたことはない。


「君とさっきのメガネの子の会話が面白かったから……。ごめんね、つい耳に挟んで聞き入ってしまった」

「盗み聞きなんて感心いたしませんわ、ミスター」


 サングラスをかけていない方の表情がさっと変わった。私の口調に不信感を抱かれたみたい。

 しまった、と私は舌を打ちたくなる。こういう喋り方は外の世界の女の子っぽくないのだろう。

 手遅れかもしれないけれど、私は口調と態度を変えてみる。


「つうか盗み聞きした上にナンパとかキモいんですけど、オッサン」

 

 ――カタリナ・ターコイズやそのほか言葉遣いのあらっぽい子の真似をしてみたんだけど、ああ、違和感が激しくてストレスがたまる……。

 なのに、サングラスの方が私のお行儀の悪い態度に全く怯まず、それどころかケラケラお笑いになる。


「オッサンはやめて欲しいなあ。ちょっと前まで学生だったんだから」

「はあ?  しんねえし。うちらからしたら十分オッサンだし、つかキモいしあっちいって欲しいんだけど?」


 ──ああ、自分がまるでハニードリームのピンクのウィッチガールになった気がする……。

 忌々しいことにサングラスの男性は話しかけるのをやめてはくださらない。面白そうに笑いながらこう続ける。


「さっきの喋り方で大丈夫だよ。僕は今みたいなの口調もわりと嫌いじゃなかったけど、君にはお友達としゃべっていた時の口調が似合っていた。それにの女の子だってそんな喋り方をする子ばかりじゃないよ?」


 自分が無理をしていたことを見破られることほど恥ずかしいことはない。

 しかもこの方はとおっしゃった。つまりこの二人はショー見物に来たただのウィッチガールファンではない。それが解って恥ずかしさと警戒心が強まる。

 お手洗いの出入り口を見やると、ちょうどジャンヌ・トパーズがお手洗いから出て来た所だった。出入り口のそばで待つカタリナ・ターコイズと合流して、バスへ向かう。バスのそばでは宣教師がお菓子たちが戻ってくるのを待っていた。シスター・ラファエルは売店の中だ。

 位置を把握して私は口調を戻した。


「どういったご用件かしら?」

「いや、さっき一緒にいたメガネの子のモーテル談義が面白かっただけだよ。サスペンス映画が好きなのかい?」

「どうでしょう、あの子の美学は今ひとつ分かりかねる所がありますから。──もうよろしいかしら? バスの出発時間が迫ってますので」

「ああ待って、逃げなくていいから。──悪いけど少し外してくれないか、ジェイク」


 サングラスの方は警戒心を強めているとなりのお友達へ一声かける。お友達は何かを言い募ろうとしたけれど、何も言わずに下がられる。でも私とバスに対する警戒心は隠さない。

 反対にサングラスの方は人懐っこい。笑みをたたえた口元の雰囲気も悪くない。

 なのに次に放たれる言葉で私は全身を緊張させることになる。


「――さっきショーの女王様がどうのって聞こえたんだけど、教えてもらってもいいかな、どういう子だったのか?」

「私達、バトントワリングクラブのメンバーなんですけど、一人だけずば抜けて上手な子がいるんです。その子のあだ名が女王様。地元の人たちを招いて行うショーではいつも拍手喝采を浴びるような子でしたから。でも怪我をして大会に出られなくなったんです」


 とっさに嘘八百を並べ立てながら、私はシスター・ラファエルと宣教師にそれとなく合図を送る。

 そんな私の緊張を嘲笑うように、サングラスの男性は勢いよく噴き出した。


「バトントワリング……! 女王……! あいつが……⁉︎」


 こみ上げる笑いを押し殺そうとされていたようだけれど、笑いの発作には勝てなかったみたい。噴き出されたあとすぐに、アハハハ! と、陽気に大笑いされた。嫌味のないからっとした笑いだったけど、笑われる方は恥ずかしくて居た堪れない。


「用がお済みのようですので失礼いたします」

「ご……ごめんごめん。馬鹿にしたかったわけじゃないんだ……っ。ただ、ここより向こうにいる女王様はね、昔はバトントワリングが大嫌いだったんだよ……! 母親が嗜みとして習わせようとしたんだけど何が気にくわないのか……、あんなチャラチャラしたことは死んでもやらないって頑張って抵抗して……っ。七歳の時だったかな……?」


 笑いの発作がおさまったのか、男性はサングラスを外す。俯いて目尻に浮かんだ涙を拭った。


 

 この人たちは私達とは反対方向からやって来た筈だ。となると、この方が指す女王様は一人しかいない。マリア・ガーネット、あの子しか。


 私の予測が正解だと告げるように、男性はサングラスを持ち上げた。そうして裸眼を覗かせる。


「君たちの女王様はどんな子だった? 元気だったか、泣いてなかったか。そんな時に支えてあげる誰かはいたのか。教えてほしいんだ、バスの時間まででいいから」


 その瞳はあの子と同じ赤い色だった。

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