第37話 スノードーム
「強くて恐ろしい使い魔の作り方、あなた知ってる?」
足元がひどくふわふわして頼りない。何かと思って下をみると、細かく切り刻まれた銀紙のようなものが積もった地面の上に私は立っている。
銀紙の積もった地面の彼方をみれば、遊園地の模型が見えた。意識が切りかわる寸前にみたものよりずっと大きく、まるで映画やドラマの書割みたい。
体を取り巻いているのは空気ではなく水で、身じろぎすると足元に積もった細かな銀紙がふわっと舞い上がる。なのにちっとも苦しくはない。浮力に弄ばれるようなこともなく、足は不安定ながらもちゃんと地に足がついている。
ここは一体どこなのか? 戸惑う私の耳に、あの悪魔みたいな格好をしたウィッチガールの声は響く。
「ヘビだとかムカデだとかカエルだとか――身の毛もよだつ毒虫を同じ容器に入れて、共食いをさせるの。するといずれ最後の一匹だけが残るでしょう? 共食いの果てに生き残ったその蟲には強い呪いの力が備わっているというわけ。――これ、何かによく似てるでしょう?」
「興味深いお話ですけど一旦姿を見せてくださる? あとこの状況についても説明していただきたいわ」
雪を模した銀紙を蹴散らして私は歩く。ここがあのスノードームの中なのは見当がついていた。おそらくあの忌々しい女の子の魔法で囚われてしまったのだ。
魔法が使えない地下室の筈なのに、自在に魔法を使いこなす彼女の反則行為への憤りと、「地下室では魔法を使えない」という先入観ゆえに遅れをとってしまった自分への怒りで歩みははかどる。
「神父様はあの時、この世界に伝わる古臭くて野蛮な呪術を面白半分で試してみる気になったんですって。結果、生き残った私は魔法の力を蘇らせたの。──でも神父様の使い魔として生きざるを得なくなった」
どこからか聞こえてくる声に涙が混じる。
「使い魔になった私が何をやってきたか教えてあげましょうか? マルガリタ・アメジスト。あなたみたいな悪い子のお仕置きにはぴったりですもの」
「痛くて怖くて可哀想なお話は大嫌いだから遠慮します! とはいえ地下室であなただけ魔法が使える理由はそれでわかりましたので、その点だけは感謝申し上げます!」
どうせ犬耳の子が示唆したように、あの地下室で神父様の敵をいたぶるようなことでもやってたってだけでしょうから。聞くだけ無駄。耳が汚れる。
ウィッチガールには一時的に魔法の力を失くしたり、一旦失くしたそれをふとしたきっかけで取り戻したりすることがある(私がまさにそうだ)。イブリス・ルキファだった女の子にとってのそれは、ずいぶん荒っぽく血なまぐさいものだったってだけ。珍しくもなんともない。
七年前の事件で呪われた地下室は、ルーシーと呼ばれていた女の子がシスター・ガブリエルに生まれ直す母体の役目も果たしていた。いわば地下室は彼女の魔力の源。あそこさえ無事なら、自分以外のウィッチガールの魔法を封じるのも、反対に自分だけ自在に魔法を使うのも、自分の裁量しだい。そういうことかしら。
──なにそれ、ずいぶんずるいじゃない? 自分が絶対有利な場所に私を閉じ込めたんだから。
歩いているうちに銀紙が降り積もる地面の端にたどりつく。なんとなく予想していたとおり、地面の端は弧を描き、半球状にたわんでいるガラスの壁とと接している。ためしにガラス壁を拳でこつこつと叩いてみたけれど、私の椀力では内側から割るなんてことはできなさそう。
レンズのようにゆがんだガラスの壁の向こうの景色は、めまぐるしく揺れ動いていた。ときおりぴたりと動きが止まり、その瞬間だけ向こう側の光景が見えた。
ドアを背にしてぐったり横たわる女の子の姿が見える。栗色の髪、セルリアンブルーのTシャツに悪趣味なスカート。どう見てもそれは私だ。だとすると今スノードームにいる私は一体なんだろう? 肉体から引きはがされ、スノードームの中に囚われた魂かなにかといったところかしら。
人造ウィッチガールの私に魂なんてものがあるのが驚きだけど、まあ99.9%は人間なわけだからあってもおかしくはないのかも。
「あなたって本当に手を焼かせる子だったわ。地下室を全然怖がらないんだもの」
背後から声がしたので振り向く。
「地下室は常に瘴気でいっぱいだったのよ、魔力を一かけらでも残している女の子ならなるべく近寄りたくないって感じるくらい。それなのにあなただけが全く無反応だったのは。きっとあなたの持つ魔法の質のせいね。ユスティナアルケミーの魔法は物質にしか作用しないみたいだから」
そこにいたのはイブリス・ルキファだ。ただしあの悪いウィッチガールとしてのコスチューム姿ではない。綿のような素材のブラウスと膝下まであるスカートとエプロンを着けた、カントリー調ファッションを纏っている。スカートの下から覗く足だけはトカゲを思わせて、そういう仕様のブーツにも見える。
まるで「これが本当の私」と言わんばかり。というより、実際そう仰りたいんでしょうけれど。この素朴で可憐なカントリーガールこそ本当の私なんだって。
「──どこの乳しぼり娘かと思いました」
「そうよ、実際乳しぼりが私の仕事だったもの。故郷で戦争が起きて農場を取り上げられるまでは。家族と知らない土地に逃げ延びて困り果てたタイミングよ、ウィッチガールにならないかって声をかけられたのは」
「何度も申し上げますけれど、あなたのお可哀想なライフストーリーには興味ありませんから!」
素朴な女の子だったと言い張る厚かましい女の子の自分語りになんて、いちいち付き合っていられない。
ガラスのドームに手をついてなんとか外の様子を見ようとするけれど、ガラスの向こう側はめまぐるしく動いて把握しづらい。じっと見ていると酔ってしまいそう。それでも時折、犬耳の子がこちらにむけてとびかかってくる様子や、その腕や足が大写しになるときがある。
そういえば、意識が切り替わる前、イブリス・ルキファはスノードームを手のひらに乗せていた。ガラスの向こう側が上下左右に激しく揺れるのは、今私の背後にいる乳搾り娘の本体が犬耳の子と格闘中のため激しく動いているということか。
正解、と言わんばかりにぴたりと外の世界の動きが止まる。ガラスの向こう側では、犬耳の子が黒い縄で拘束されて床に転がされていた。それでも尚じたばたもがく彼女の鼻先に三又の矛の先が突き付けられる。
『巻き込んでしまってごめんなさいね。しばらく大人しくして頂戴』
戦場慣れしている犬耳の子も、相手に有利な空間での戦いには苦戦を強いられたみたい。拘束を逃れようとする彼女は眉をしかめている。
ガラスの向こうの光景が変わり、あおむけに倒れてぴくりともしない私が映し出される。スノードームを持つイブリス・ルキファの本体が、私の腕をつかみ上げる。意識の無い私の体はぐったりとぶら下がり、引きずられながらドアの前から動かされた。──もうちょっと丁重に扱ったらどうなのよ、埃を引きずっちゃってるじゃない。
『ジョージナ、安心して。あなたを惑わす悪いお友達を懲らしめてあげたから』
『懲らしめたって、あの子に何かしたの⁉︎』
ドアの向こうからマリア・ガーネットの声が聞こえる。そしてドアを叩く音も。
でも私の目の前にいる厚かましい女の子は、それを無視して採光用の窓を見上げる。
『マイクも。あなた達が危険視していた悪いウィッチガールは、この通り私が無力化したわ。ここにあるのは単なる抜け殻。魂を捕獲したからこの子は二度と動けない。このままここに肉体を放置すれば、飲まず食わずで自然に朽ち果てるでしょう』
「──本当にあなたのどこが優しいお姉さんなのよ?」
私は背後をふりかえり、緑色の目をした乳しぼり娘を睨んでやる。よくまあ悪趣味な無力化の方法を思いつくこと。
ガラスの向こう側では、採光用の窓の縁に立つ見張りの騎士が身をかがめた。こちらを覗こうとしているのだ。すると本体のイブリス・ルキファは可憐な声を出す。
『こっちを見ないで。今の私の姿はとてもあなたに見せられない。とっても悪いウィッチガールの姿なんですもの』
『どんな格好をしていても君はきれいだと思うけど?』
窓の外から見張りは話しかけてくる。こんな状況だというのに大らかなその声は、あの子のお兄様のものだ。
『もうしばらくあっちを向いていようか、ルーシー?』
『そうしてくれると嬉しいわ、マイク』
私は後ろにいる乳しぼり娘をより強くにらんでやる。彼女の本体が放つ猫なで声にうんざりしたからだ。
――大体、マリア・ガーネットを縛り付けているくせにどうしてあの子のお兄様にまで縋るのだ。節操がないったら。
すると乳しぼり娘だった女の子の姿は一変して、勿忘草色のロングドレスを着たハイティーンの少女に変わる。
「マイクがこの町を出る前に、パートナーとしてプロムに出席したのは私よ? まだこの町がこんな風になる前、普通の田舎町だったころ。マイクが町をでて休暇で帰ってくるのを楽しみに待ってたの」
「で、お兄様が帰ってくるより先に神父様たちが来たってわけね。それであなたは悪いウィッチガールになってしまって、ボーイフレンドの帰郷を楽しみに待つ可憐な乙女ではいられなくなったと。あー可哀想可哀想っ、本当にもういい加減にして!」
勿忘草色のドレスの女の子に私は詰め寄る。
「あなたが頼るべきなのはあの子のお兄様でしょう! なのにどうしてあの子を巻き込むのよ! あの子を解放しなさい、今すぐ!」
「──そうね。ジョージナはもう自由にしてあげなきゃいけないわね」
勿忘草色のドレス姿から見慣れた尼僧服姿に彼女の姿は変わった。いちいち姿を変えなきゃしゃべれないのかしらこの人。ああもう、イライラするったら。
「あの子は本当にいい子よ。――あの忌まわしい首輪も、本当は私に着けられたものだったのよ? 神父様の使い魔の証としての首輪。でもルーシーにはもうこれ以上酷いことさせられないからって自分が変わりにつけてくれたの」
「──そういう話を私に聞かせてどういうおつもり?」
「あの子がいかにいい子なのかって話、あなたも好きなんじゃないかって思っただけ。この地下室が棺になるあなたへ私からの餞よ。──どう、嬉しい?」
──本当にこの方のどこが優しいお姉さんなんだか──。
今、私をみて浮かべた彼女の微笑みは実に実に意地悪だった。彼女を悪いウィッチガールにってスカウトにきた妖精はかなりの目利きだったんでしょうね。褒めて差し上げたいくらいだわ、きっとこの世にはいらっしゃらないでしょうけれど。
怒りで奥歯を噛みしめる私だけど、ガラスの外にある本体はせっかく蘇った魔法も使えない完全な木偶状態。物体に作用する魔法しか使えない私は、魂のみの状態だと完全に魔法がつかえなくなるみたい。なにそれ、普通反対じゃない?
シスター・ガブリエル姿のイブリス・ルキファは、どこか歌うような調子で告げた。
「ジョージナはカテドラルっていう新しいおうちが見つかった。私もマイクとようやく一緒に過ごせる。ここではない別の場所で二人、ありきたりで平凡な日々を過ごすのよ。ああこのうんざりする悪夢ももうおしまい、私たちはようやく幸せになれる──こんなに小さくてささやかな幸せを手に入れるだけなのに、どうしてこんなに遠回りを強いられたのかしら?」
虚ろな声による独り言を私は無視する。もっと重大な一言を彼女は漏らしていたからだ。
「……二人?」
聞き違いではなかったかと、私は訊き返す。彼女の考えるくだらない未来予想図の登場人物がどうして二人なのか? 三人じゃなきゃおかしいじゃない。
そんな疑問を、いつものシスター・ガブリエルらしい柔和な笑顔で答える。
「二人で正しいのよ? だってジョージナがカテドラルに入るかわりにマイクは退団するの。マイクがカテドラルに入った理由は
囀るようなイブリス・ルキファの言葉を聞いている私は、呆気にとられて口をぱくぱくと開け閉めしていた。信じられない、信じたくない話だった。
そして怒りが一気に頂点に達する。
これまで散々あの子の罪悪感に散々付け入っていた癖に、さらにこれからも利用しようとするのか。
あの子は私のことをずっとずっと根性が悪い悪いって評していたけれど、目の前にいるこの人の方がずっとずっと根性が悪いじゃない。まさにド腐れ根性悪女じゃない! ああもうこういう悪い言葉は使いたくないって言うのにっ。
たぎるばかりの怒りは言葉にならず、私は見慣れた尼僧姿のイブリス・ルキファの胸倉をつかむ。目の前の悪いウィッチガールは、おそらく酷いことになっている私の顔を見て余裕気に微笑むだけだ。
「ジョージナはいい子よ? 家族や仲間の幸せのために進んで身を捧げられる子。誰かのためになら自分の身は惜しくない、そんな美しい気持ち、あなたには分からないわよね?」
「――ええ。でもそれはお互い様じゃないかしら、シスター・ガブリエル?」
「あら怖い。天使みたいなお顔が台無し」
そう言った瞬間、あの憎らしい人の姿は消える。きっとガラスの外の本体に帰ったのだろう。皮肉が空ぶった私はスノードームの中に取り残された。
雪に似せた銀紙が降り積もる、この空間で一人きり。
怒りに任せるまま、ガラスの壁に向き直ってどんどんと拳をぶつける。ガラスが割れるより私の拳が砕けるのが先そうだけど、そうしなければいられない。
馬鹿、馬鹿、と、湾曲したているせいで魚眼レンズのように歪んでみえるドアの向こうにいるはずの女の子へ向けて叫ぶ。
あなたが許してあげた女の子は、いい子どころかとっても酷い子だったのよ。あなたを利用するだけ利用していた、とっても悪い子だったのよ。そんな子をいい子だって言い張って、罪悪感も肩代わりしてあげて、あなたって本当にお馬鹿さんなんだから。マリア・ガーネット!
『ジョージナ、お部屋に戻りましょう? 今日からはもうガレージで寝泊まりしなくていいわ。マイクとジェイクさんと一緒にホームでしばらく過ごしましょう。ね、そうしましょう? 私お夜食作るわ』
スノードームの外のイブリス・ルキファは、優しい声でドアの向こうに呼びかける。
マリア・ガーネットはそのまま帰ってしまうんだろうか。そう考えると、ガラスをどんどん殴りつけた拳が止まってしまう。あの子は地下室が恐ろしくて仕方ない子だ。そして優しいお姉さんだったルーシーが見捨てられない女の子だ。私のことを見捨ててそのまま階段を上がってしまうかもしれない。
でもすぐに私は首を左右に振った。そんなことはない、マリア・ガーネットは神様を信じる子だ。あの子の神様は女の子がこんなところで飢死するのを決してよしとはしない神様だ。
ましてそれが、あの子の大事な子だったなら。大事な子って、それはつまり私だもの。
そう信じて私はガラスを叩く。あのドアを壊して、破ってと、あの子に対して祈りながら叩く。そんなドア、本当にただのドアなんだから。鉄でできた魔法の右腕を持つあなたには叩き壊すことなんて、悪い妖精の胸を貫くよりずっと簡単なことなんだから!
『──ダメだよ、ルーシー』
私の祈りが通じたのか、ドアの向こうから落ち着いたマリア・ガーネットの声が聞こえた。
『マルガリタ・アメジストをここから出して。あの子は自由にしなきゃだめだ。あの子はメラニーたちと一緒にならなきゃいけないんだから』
喜び一色に染まりそうだった私の体が冷静になる。
――確かに私はシスター・ラファエルやホームの子たちと合流しなきゃいけない立場だけど、それ以前に言うことがあるじゃないの、もう!
『何言ってるの? この子はとっても悪いウィッチガールなのよ? 外に出すわけにはいかないじゃない。そんなことしたらマイクが困っちゃうわ。あなただってここから先やりづらくなる』
『だからさっき、あの子が無事生き延びられるような筋書きを用意したから。あの子もそれは知ってる。きっとその通り動いてくれるから、マルガリタ・アメジストを逃がしてあげて!』
どん、とドアが叩かれる。もっと力を出して叩けばいいのに。歯がゆいったらない。後、私はあの逃走計画通りに動くつもりはありませんから!
『――筋書き?』
イブリス・ルキファの本体は訝し気な声を出す。さっきマリア・ガーネットが持ち出した私の逃走計画は、彼女のいない所で練られたものだったのだろう。それを悟ったからか、優し気な声に険が滲む。
『筋書きってなあに? 私そんなの聞いてないわ。ジョージナったら私の知らないところでそんな話を進めていたの?』
『ルーシー、マルガリタ・アメジストには大事な仕事があるんだ。だからここで死なせるわけにはいかない』
泣き脅すような声に対しても、マリア・ガーネットは冷静だった。つとめて冷静であろうとしている声だった。
反対にイブリス・ルキファの声には哀れっぽい調子が滲む。
『酷いわジョージナ。それってあなた一人では決められない話よね。あなたとマイクで話し合ったってこと? 私を仲間外れにして』
『――なんで怒るの、ルーシー? マルガリタ・アメジストを助けるのが嫌なの? あの子がいないとメラニー達が困るんだよ、分かるよね?』
『私はあなたたちに仲間はずれにされたのが悲しいって言ってるのよ』
マリア・ガーネットの質問にイブリス・ルキファは答えない。きっと私を助けたく無いことを気取られたくなかったのだろう。何せ窓の外に立つ歩哨はあの子のお兄様だもの。イメージの悪くなるようなことはしたくないのだ。
――小賢しい計算のできる人じゃないの、この人のどこが優しい姉さんなのよまったくもう。大体なんでこの人は私のことをこんなに嫌うのかしら?
『ルーシーのいないところで話を進めたのは悪かった、謝る。でもさっきも言ったでしょ、もう話はついてるんだからマルガリタ・アメジストを解放して!』
マリア・ガーネットはドアを叩いている。
『あの子、確かに根性腐ってるしいい子じゃないけど、そのぶん無駄な争いごとなんてなるべく避けるやつだよ。みんなが言うような危険なやつなんかじゃない。ルーシーだってずっと一緒にいたんだから知ってる筈じゃない⁉︎』
『――何言ってるの、ジョージナ。あの子はずっと悪い子だったわ。ホームの規則を破ってドクターと通じ合って、ホームの子たちの個人情報や遺産を流そうとしていたそうじゃない。メラニーが気づかなければどうなっていたことか。そんな子外に出したら何をするか分かったもんじゃない。きっとこの世界は破滅するわ』
冷たい声でイブリス・ルキファは言ったのを受けて、誰かがぷっと噴き出した。
『こんな所で妖精達を出し抜こうとするなんて、ずいぶん逞しい子じゃないか』
ガラスの外の景色が変わった所をみると、窓の外にいるお兄様が噴き出した犯人みたいだ。
それがイブリス・ルキファの気に障ったらしい。声にすぐ涙がまざる。
『マイク、笑うなんて酷い。私は真剣なのに――』
『ごめんよルーシー。ただこれは僕の印象だけど、その子が悪いウィッチガールになるかどうかを心配する必要はないよ。その子は酷い悪さをするような子じゃない。少なくとも、ジョージナと一緒にいる限りは安全だ』
お兄様は窓の外にいる。
そのためその言葉はドアの外にいるマリア・ガーネットには聞こえない。でもドームの中にいる私にはしっかり聞こえた。
ジョージナと一緒にいる限り、お兄様はしっかりそう言った。それはつまり、私はマリア・ガーネットと一緒にいるべきだという意味で、であの子はカテドラルに入らなくてもいいって受け取ってもいいのかしら?
たとえそういう意味じゃなくてもそう受け取りますけど、こっちは!
私は再びガラスの壁を叩きだす。魂だけの身とはいえ拳が痛いし、こんなことまったくの無駄だってわかってるけれど、でもこの気持ちを形にしたいのだ。
伝われ伝われ、とドアの向こうに向けて念じる。早くそのドアを破ってこっちに来て!
でも、イブリス・ルキファもお兄様の言った意味を把握したらしく、なんだか酷く腹立たしそうに呟く。
『――そう、マイクまでこの子の味方をするのね。私があなたたちの為にここまでしてあげたのに』
絶妙に恩着せがましい言い方されるわね、とまた腹が立った私の前で、ガラスの向こうの景色が変わる。床の上で倒れる私の体と、その上に振りかざされる三又の鉾だ。
『じゃあ分かった。ならせめて、この子を扱いやすいいい子に変えてあげる。その方がメラニーたちも助かるでしょうから』
そう言うなり、意識を失っているわたしの頭上へ三又の鉾を突き立てようとする。
──まって? どうしてそうなるのかしら? そんなことしたら私の体は無事じゃ済まないのでは?
魂をスノードームに囚われて手も足も出ない私の頭に、鉾の鋭利なその先が突き立てられそうになる。その瞬間、何かが割れてへしゃげるような音がして、めまぐるしくガラスの外の景色が変わった。
何か黒いものがイブリス・ルキファにぶつかって離れてゆく。
ガラスの外の景色が定まって見えたのは、蝶番が外れて内側に倒れたドアと、そのおかげで階段が丸見えになった出入り口、それからぐったりした私の体を抱えて抱きしめるマリア・ガーネットだった。
『マルガリタ・アメジスト、起きて! 目を覚まして!』
マリア・ガーネットが地下室にいる。
今まで近寄れなかったこの地下室に。
ドアをやっと打ち破って。
そしてわたしの体を抱きかかえて、左手で容赦なくべしべしほっぺたを叩いたり派手に揺さぶっている。
『起きなってば、さっきまで言いたい放題ベラベラ喋ってた癖に何だよ! 白目むいて寝るな!』
あの子が地下室のドアを破ってくれたことによる感激と、あの子にせっかく抱き寄せられている体と分離されて魂だけであることの無念さ。確かに私の体がうっすら白目を向いてることへの恥ずかしさや、必死なのはわかるけれど叩いたり揺さぶったり私の体を手荒に扱うあの子へ物申したい気持ち。全てごちゃ混ぜになってスノードームにいる私の中で一つになる。
そのせいで視界が滲んだ。
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