第36話 喧嘩


「飯もそうですけど、眠れる時に寝といた方がいいです、はい」


 いい具合にお腹が満たされたらしく、犬耳のウィッチガールはそう宣言するなり堅い床の上に直接横になった。

 あおむけになって手足をまっすぐ伸ばした格好で、目を閉じる。

 私が前に地下室に入れられた時には古いマットレスがあったけれど、もう捨てられてしまったのか、影も形もみあたらない。堅い上に血なまぐさいいわれのある床の上でねむれるものかしら? といぶかしむ私をよそに、彼女はものの数分で寝息を立て始めた。見るからに健やかな寝姿だ。

 お喋り相手だった犬耳の子が眠ってしまえば、私にもすることはない。眠れるかどうかはともかく、休めるうちに体を休めておくことには賛成だ。

 犬耳の子から少し離れた場所で、私も床の上に横になった。彼女みたいに大らかに眠るのには抵抗があり、体の左側を下にして軽く膝を丸めてから目を閉じた。

 でも、私にはなかなか眠りが訪れない。

 私が変身して峡谷を飛び立ったのは、ショーが始まってしばらく後。 

 あの子を攫うためにピーチバレーパラダイスに戻り、シスター・ガブリエルに地下室に入れられたのはそれからまた数十分後って所。

 私より先に地下室へ入れられていた犬耳ウィッチガールとおしゃべりをしていたのもまた数十分。

 夜更けとはいえ、夜にお仕事をしていた私にとっては、なかなか眠気も訪れないような時間だ。

 加えて、頭と体が緊張状態にあって横になっていても神経が高ぶりがおさまらない。無理もない、今日一日だけで色々とありすぎたもの。

 それに、私はまだ今日の日をまだ終わらせたくない。私はあの子を攫いにきたのだ。なのにまだそれを果たしていない。

 かといって今、私たちにできることなんて無いも同然。

 魔法が使えないこの地下室で、私たちはただの女の子だ。下手に動くとカテドラルの騎士たちやシスター・ガブリエルにここまで乗り込まれ、この地下室から消えていった犠牲者の仲間にされてしまう。さすがにそれはバカらしいので避けたい。

 あの人達の間で私たちの身の振り方が決まるまでは大人しくしておく、そこからチャンスをうかがうべき。私はそう結論づけていた。でなけりゃ初対面も同然な女の子の隣で横になったりしない。


 目だけをつぶった私は考える。マリア・ガーネットは今頃どこで何をしているのかしら。

 あの子はきっと、シスター・ガブリエルかお兄様、もしくはその二人と一緒にいるのだろう。あの子は地下室に近寄れないから、きっとホームか教会のどこかにいるはず。

 そう、マリア・ガーネットは地下室には近寄れない。攫うとなれば、私がここを出てあの子の所へ駆けつけるしかない。なら、どうやって?

 目を閉じたまま、地下室を含むこのホームの造りを頭に思い浮かべる。地下室の階段に通じるドアは、合板で出来たごく普通のドアだけど、外側から鍵がかけられている。それにきっと私たちが悪さをしないよう、階段のそばで誰かが見張っているはずだ。

 少しだけ目をあけて採光用の窓の外をみれば、相変わらず花壇のそばで見張りを続ける騎士の足が見える。その向こうの中にはよりたくさんの騎士たちがいるはずだ。まだ何か作戦について伝達しあってるみたいで話し声が聞こえるけれど、私がここに戻ってきた時に比べれば随分静かだ。そういえばピーチバレーパラダイスで鳴り響いていた銃声もさっきから聞こえなくなった。悪い妖精たちの抵抗も終わったのかしら。

 

 今ここで下手に動くべきではない。シスター・ガブリエルなりカテドラルなり、一度は必ず誰かがあのドアを開けてこの中に入ってくる筈。

  うっすら目を開けたまま、犬耳の子のそばを見る。そこには空になったお皿とボトル、それに灰皿をのせたお盆があった。シスター・ガブリエルはこれを回収しに来る筈。それに運が良ければ私たちをこんな所から移してくれるかもしれないし、最悪──というかこっちの方が可能性は高いけれど──外に出られなかった十一人の少女やマリア・ガーネットのお父様みたいに、この地下室で処刑されるかもしれない。どっちにしろ、最低一回はあのドアを開けてこの中に足を踏み入れる必要がある。

 その時こそ唯一のチャンスだ。殺されないように気を付けながら、逃げる機会を作らなきゃ。まあ、隣で今ぐうぐう寝ている女の子は魔法が使えなくても戦闘能力には自信があるみたいだし、その時が来たらしっかり働いてもらおう。晩御飯とお仕事相談のお礼に、これくらい期待したっていい筈だもの。


 ──それにしても。

 考え事が一段落したため、やっとあの子のことを考えるゆとりが生まれた。

 マリア・ガーネットは今どこにいるんだろう? ホームじゃなくガレージかしら。やっぱりそばにはシスター・ガブリエルがいるのかしら?

 再び目を閉じると、シスター・ガブリエルが変身したウィッチガールの姿が蘇る。小悪魔というよりサキュバスって言葉がぴったりな扇情的なコスチュームがよく似合うサディスティックなキャラクターで、今でも一部界隈では高い人気を誇るという、イブリス・ルキファという名の女の子。


「……」

 

 そして何より、事件のあった七年前よりずっと以前からマリア・ガーネットと家族同然に暮らしてきた女の子。私よりもずっと気心がしれてるようだった女の子。魔法の先生でもあって、日ごろからよくお手伝いをしてあげていた、お姉さんみたいな存在。

 そんな人が、あの子の傍にいる。かもしれない。

 ──不安だ。なんだかとてつもなく不安だ。


「……っ」


 胸が苦しくなってきて、床の上で寝返りをうつ。

 大体、シスター・ガブリエルにはまだ分からないことが多い。どうしてカテドラルに捕まったのにどうして記憶や人格を壊されることがなかったのか? カテドラルに襲われたウィッチガールなのに今でも魔法が使えるのか? ショーの時にあの子の首輪を外したのが、どうしてこの人なのか?

 ――やっぱりなんなのあの人! 

 考えれば考える程むしゃくしゃするしかなくなってしまう。そのせいで無駄に寝返りをうったり、うつ伏せになって手足をバタバタさせたり、反対に膝を抱えて体を丸めてみたり、嫌な考えが脳裏を過ぎるたびに小さくて短い声をあげてみたり、胸がざわつくたびに感情をおかしな形で発散してしまう。

 私一人で騒がしかったせいか、誰かが咳払いをした。窓の外にいる見張りの騎士だ。

 えへん、ともう一度咳払いが聞こえる。

 慌てて体を起こし、寝返りのせいで乱れたスカートの裾を整えた。

 いくらなんでもお行儀が悪すぎた──と反省していると、ドアの向こうからゆっくり、一歩一歩踏みしめるような足音が聞こえることに気づく。


「!」


 その後にすぐ、とんとんとノックが響いた途端、私は立ち上がった。それまで眠っていた犬耳ウィッチガールも素早く跳ね起きる。大した反射神経だと驚いたけれど、今はそれどころじゃない。


「マルガリタ・アメジスト、起きてる?」


 低めでちょっと掠れたあの声は、誰のものでもない。マリア・ガーネットの声だ。あの子が苦手な地下室のドアの前にいるせいか、少し声が震えている。

 私はドアへ向けて駆け寄る(犬耳の子もついてきたけれど今は無視)。

 気が急いたせいで、返事より先にドアノブを掴んでガチャガチャ回してしまう。金属音の向こうから小さく息をのんだ声が聞こえた。どうやらあの子を怖がらせてしまったらしい。


「違うの、マリア・ガーネット。私よ、私だから。安心して!」


 防音も何もなっていないただのドアのお陰で、その向こうにいるマリア・ガーネットが深々と安堵の息を吐いたのがわかった。


「……良かった……」

「来てくれてありがとう。でもあなた、大丈夫? 平気?」


 私はもう一度ドアノブに手をかけてみる。マリア・ガーネットの顔を見たいし、地下室の前に立つあの子の状態も心配だった。ドアノブがガチャガチャいうくらいのことで強張るくらいだもの。やっぱりまだここが怖いのだ。

 怖いけれど、私を助けに来てくれたのだ。あの時みたいに。

 でも鍵はかかったままだ。あの時みたいにノブは回ってくれない。


「ごめん、マルガリタ・アメジスト。鍵はルーシーが持ってるから開けてあげられないんだ。それにあたし一人じゃなくて。階段の上で兄さんの友達が待ってる」

「……そう」 


 お兄様のお友達ということは、あのジェイクって方だろうか。そうなら多分、私を助けに来てくれたわけでもなさそう。つい期待してしまった分、反動は大きくなる。

 がっかりしたのが伝わってしまったからか、マリア・ガーネットの声に自嘲めいたものが混じった。


「でもあの人あれでいい人だから。今まであたしと兄さんの我儘につきあって手紙のやりとりを仲介してくれていたんだ。――あんたはあたしの大事な子だって言ったら、こうやって時間をくれるくらいだし」


 あたしの大事な子……!

 ほんのちょっと前まで嫉妬一色だった体に、甘すぎるその言葉は一気に滲みとおる。しかもユスティナを危険視する騎士相手に私のことをそうやって紹介してくれたなんて。ああもう魔法も使えないのに胸が光りそう。

 ちょっと離れた所から何かを言う男性の声が聞こえた。きっとお兄様のお友達だろう。実際あの方は結構お人好しなのかもしれない。インターチェンジでお兄様の行動をギリギリまでみのがしていたわけだし。そんなお人好しが、世の中を動かす大きな力に従うあんな組織でうまくやっていけるものなのかしら? まあ私が心配する筋合いもないわけだけど。

 それにあまり浮かれてばかりもいられない。


「で、どうして会いに来てくれたの?」


 本題はこれだ。

 鍵も持たず、私を破壊するのを躊躇わないカテドラルの騎士を伴ってやってきたマリア・ガーネットがここにきた理由。それは私が望んだものじゃなさそう。

 悪い予感しかしないけれど、冗談めかして明るく水を向けてみる。


「ちゃんとしたお別れの挨拶、だったらイヤよ。私、怒るから」

「……っ」


 返事は息遣いのみ、やっぱりそうか。

 合板製のドアがこちら側へ押された。どういう姿勢かわからないけどあの子が体重をかけたのだ。

 私はドアに手のひらと額をくっつける。みるからに安普請のドアはあの子の重みを私に伝える。ああもう邪魔なドアだ。


「──封鎖区域の外に界通トンネルがあるの知ってる?」

「耳にしたことだけはあるわ」

「ユスティナは隙をみてカテドラルの拘束を解いて脱走、先行させたホームの女の子たちと一緒に界通トンネルへ向けて逃走した。あのトンネルの向こうは管轄外の異世界だからカテドラルは追いかけられない。あんたたちはそこで自由を得る。──そういう筋書きに乗ることってできる?」


 体が瞬時に凍りついたような気さえする。

 それくらいマリア・ガーネットの言葉は私を打ち据えた。

 一旦ドアから離れて、すうっと深呼吸をして、つとめて冷静な声をだした。


「気のせいかしら。今、とっても酷い冗談が聞こえたわ」

「……ああもうっ」


 きっとあの子がまた髪をくしゃくしゃさせたんだろう。そんな気配があった。


「ほらね! 分かってたよ、あんたがこんな筋書きに乗るわけがないって! でもあんたが助かるためにはそれしかないんだってば!」

「違うわね。私があなたを攫うのが最善の策よ。それ以外無いわ」


 腹が立っているのでたとえあの子が相手でも冷たい声が出てしまう。


「それは無理だってさっきも言ったじゃない。あたしはカテドラルに入ることにしたんだから。──そうして妖精の国と戦うことに決めたから。ルーシーやほかの子みたいに可哀想な子を生みださないために」


 ──でたわね、ルーシー、もといシスター・ガブリエル。

 何かと罪悪感に引き寄せられやすいこの子の性格を利用してつけ込んで、よくもまあ思考をここまで歪ませてくれたわね。あのクソビッチシスターめ(ああもうこんな悪い言葉が出ちゃうじゃない)。

 怒りといら立ちを抑えても、口調はどうしても刺々しく可愛くないものになる。でも取り繕っていられない。


「ああそうだったわね。お可哀想なシスター・ガブリエルと交わした約束の為に生涯をカテドラルにささげることに決めたのよね。あなたの神様はきっと献身とか殉教とかそういう麗しい言葉をもちいて褒めてくださるのね、そういうのって私の語彙では人質とか奴隷拘束って呼ぶけれど」


 ドアを挟んでいるせいで、我ながら酷い言葉が口から放たれる。

 マリア・ガーネットの傷ついた顔が思い浮かんで胸が痛んだけれど、言ってしまった言葉は取り消せない。それに私はどうしてもこの子の言い分に納得がいかない。

 せっかくあの首輪が外れたのに(外したのが当のシスター・ガブリエルらしいっていうのが腹立たしいけれど)、どうしてもまた新たな首輪を身に着けようとするの(しかもそれを着けるのがまたシスター・ガブリエル)。

 そこが本気でわからなくて、私は言葉を重ねるしかない。


「ねえ、マリア・ガーネット、本当に私わからないの。どうしてそういう考え方になるのか全く理解ができない。大体、あの人の身の安全を考えなきゃいけないのはあなたのお兄様で、あなたじゃないわ」


 窓辺の見張りにも聞こえるくらい程度の大きな声をだす。

 ドアの向こうで、マリア・ガーネットが息を整えた気配がある。この子もこの子で怒りをおさえているのだろう。


「──理屈屋のあんたのことだから、いかなる理由があってもルーシーは大罪を犯したことにかわりはない。だから罰せられるべきだって、そう考えてるんじゃない?」

「罪とか罰とかの話になると難しすぎて私には手に負えないわ。でもそう考えた方が腑に落ちることは確かね。どんな可哀想な事情があるのか知らないけれど、あの子があなたの大切な方々を手にかけたのは紛れもない事実なのに許されようとしているし、あなたも許そうとしているのはただの不条理よ。しかも、それを根拠にあなたをこれ以上しばりつけるというなら、私が私の理によって裁くほかない。そういうことよ」


 だん、とドアが揺れた。マリア・ガーネットがドアに拳をぶつけたのだろう。私に向けられていたかもしれない拳だ。ドアの向こうであの子は今どんな顔をしているのだろう。

 

「あたしが嫌なんだよ、マルガリタ・アメジスト! 家族思いの優しい女の子を騙すみたいにしてよってたかって酷い目に遭わせたのに、その上やむを得ない状況で生き延びるために悪いことをしたんだから死んで償えてっていうのが!  そんなの救いが無さすぎてあたしは受け入れられない。そういうのを許しちゃいけないってあたしの神様はそう仰ってる。――どう? これで腑に落ちたっ?」

「──そう。ご回答感謝するわ」


 深呼吸をして私は言葉を探す。

 マリア・ガーネットの信じる神様は、やっぱり不合理で情に流されやすくてそのくせ融通がきかず潔癖で、他の大きな神様の論理に飲み込まれる非力で、優しくて暖かい神様だ。そういう神様を信じるあの子は、やっぱり私の好きなあの子のままだ。

 だから私は今すぐこの地下室から出てあの子をさらってしまいたいし、ドアを挟んだ向こうにいる女の子にはこの地下室から自由になってほしいのだ。


 ここにはあの子の神様を利用する悪いものばかりいる。


 ぐっと気合を込めて、口にする。

 これを言ってしまえばマリア・ガーネットは私が嫌いになるかもしれない。嫌いになっても仕方がない、覚悟を決めて口にする。


「マリア・ガーネット、あなたのお父様を地下室で手にかけたのは誰?」


 息を飲むような声と、どうした? という男性の声が聞こえる。

 今はドアがあってよかった。マリア・ガーネットの痛ましい顔が見えないもの。

 あの子の顔が見えないおかげで、冷たい言葉も口にできる。


「あなたのお父様は手練れのウィッチガールスレイヤーだったそうだから、シスター・ガブリエル一人が手にかけたとは考えにくいわね。地下室に囚われた十一人と協力して命を奪ったんじゃないかしら。そしてお父様はそれに無抵抗だった。これは推測だけれど、無辜の女の子たちに今まで自分がしてきたことへの贖罪の心があったと考えればみすみす非力な女の子達に殺されたことへの筋が通るわね。なんにせよ、シスター・ガブリエルが手にかけたことは事実には変わりないけれど」


 バン、とドアが叩かれる。叩いたというより腕に体重をかけた感じだろうか。ああもう本気で叩いてよ。そうすればこんな合板のドア壊れてしまうのに。

 やめてよ、ドア越しに小さく震えた声が聞こえた。


「やめて、聞きたくない……っ」

「駄目。今はやめてあげない。それに我慢してよく聞いて。あなたは大切お父様をここで殺されたの! あなたの言う家族思いで大人しくて優しいお姉さんに! あなたそのことに関して怒った? シスター・ガブリエルに対してちゃんと責めた? シスター・ガブリエルはあなたの怒りと悲しみをちゃんと受け止めてくれた? 受け止めてくれないんじゃないの? あの方自分を哀れんでばかりだったもの」


 ドアにかかっていた体重の重心がさがり、慌ただしく階段から駆け下りる足音ののちに「大丈夫か?」という掛け声。本当にあのジェイクという方はお人好しみたいだ。ああでもマリア・ガーネットは今どう言う状況なんだろう。


「ユスティナ、お前さっきから何をやってるんだ! ジョージナは大事な友達だったんだろう⁉︎」

「大事な女の子だからこそです。念のため申し上げますけども、地下室内は忌々しいことに魔法が使えませんので、私があの子に悪い魔法をかけた等誤解ないよう。──ああそれから気分が悪そうにしていたら、優しく介抱してあげて。お願い」


 だったら気分を悪くさせるようなことをするなよ、とお人好しなカテドラルの騎士はつぶやいている。無視をして私は続ける。


「さっきの調子からしたら、あの人、家族もお友達も住んでいたお家も右腕も奪われたばかりのあなたの前で自分を憐れんでみせたんじゃない? あなたのお父様や他の子をこの手にかけてしまった。ああ私は悪い子だ。私は許されちゃいけない、死ぬしかないんだって。優しかったお姉さんがそんな風になったのがつらくって見ていられなくって、たった一人だけ助かったお姉さんがまた死ぬなんて口にするのが悲しくて、あなたは許してあげることにしたんじゃないの? 姉さんは何も悪くないって、父さんもみんなも許してくれるって」


 ばしん、と今までで一番強くドアが叩かれた。人の心を代弁する無礼さへの怒りがこめられた一撃かなり大きい。ひょっとしたら右手を使ったかもしれない。

 ドアが衝撃を和らげたけれど、それでも私は軽く後ろへはじかれる。


 衝撃で体や頭がびいんとしびれたけれど、怯んでいられなかった。


「私が今言ったことが正解だったとして、話を進めさせてもらうわ。マリア・ガーネット、あなたその時たったの九歳だったのよ? しかも家族を殺された上に辛うじて一命をとりとめた事件の被害者よ。あなたにだって怒る権利も悲しむ権利もあったのに、自分が先に嘆くことであなたの怒りや悲しみを封じたシスター・ガブリエルを私は許せない。あなたが許せても、私は許せないの」


 どん、とドアを叩き返す。私の力では安普請のドアはただ大きな音をたてて揺れただけだけど。


「あなたにとっては優しいお姉様だったかもしれないけれど、私に言わせればあなたを今までずっと縛ってつけこんで利用した酷い人だわ、シスター・ガブリエルは。あなたをいじめて苛んだことに関しては神父様と変わらない! だから絶対許さない。あんな人にあなたは渡さない!」

 

 私が叩いたのとは大違いの力で、ドアが叩き返される。ばきっと木材がへしゃげるような音が混ざっていた。あの子の力で向こう側のドアが叩き割られたのか。

 ああ、やっとだ。安普請の合板でできたドアだもの、神父様の胸を貫通するほど力は要らないはずなんだから。

 

「……なんっにも知らないくせによくもまあペラペラ好き勝手に語ってくれたね……っ」  


 マリア・ガーネットの声に怒りがみなぎっている。おいちょっと無理するな、というお兄様のお友達の声が聞こえたけれど当然のように無視されていた。


「あんたがルーシーを許さないのは勝手だよ、でもあの神父と一緒にするのは許さない。今すぐ取り消しな、この理屈屋のド腐れ根性悪女!」


 ああついに「根性腐ってる」から「ド腐れ根性悪女」にまで悪化してしまった――と嘆いている場合ではない。今必要なのはあの子の怒りだ。

 

「嫌、取り消さない。どれだけ可哀想な人だったとしても、あなたは絶対シスター・ガブリエルと一緒にいるべきでもないしカテドラルに入るべきじゃない。そこにはあなたの神様はいない!」


 いい加減にしろユスティナ! とドアの向こうでお兄様のお友達が叫ぶ。ああもう、うるさいったら。


「それに当たり前でしょう! あなた達の間になにがあったのかをその場にいなかった私が知るわけないじゃない。私の解釈が間違ってるって言うならちゃんと説明して。このドアを破って直接私に、早く!」

 

 ドアの向こうが静まる。せっかく沸点に達していたマリア・ガーネットは冷静になってしまったのだろうか。自分が今いるのは地下室の前だって。恐ろしい体験のせいで怖くて近寄れない場所だったって。


「何よもう、説明もできないの! こんなドア一つ破れないの⁉ さっきあなた可哀想な女の子を生み出さないためにカテドラルに入って妖精の国と戦うって言ったばっかりなのに、それでどうやって悪い妖精と戦うって言うのよ! よく御覧なさいよ、タダのドアでしょう⁉ 殴りも噛みつきもしないんだから! ドアのこちら側だってあなたが言っていた通り単なる物置なんだから! 何にも怖くないんだから!」


 ああもう……! と焦れた時、不意に背中を小突かれた。犯人は今まで黙って機を伺っていた犬耳のウィッチガールだ。

 

 このタイミングで何……!

 苛立ってあの子が指差す方向を見る。

 十二人のウィッチガールたちの棺であるケースが並んだ棚があるだけ、そうとしか見えなかった。

 でも、よく見れば違う。Ⅰのケース、マリア・ガーネットのケースかの蓋が少し開き中から一本の影のような黒い腕が突き出て垂れ下がっていた。

 流石に目を疑い、その後悲鳴をあげそうになる。経験値を奪われた私は、残念ながら実戦慣れしていなくて不測の事態にはどうしても弱い。

 反面犬耳の子は素早かった。自分の履いていた野暮ったい白のスニーカーを脱ぎ捨てると、ケースに向けて投げつける。

 かなりの速さで宙を飛ぶスニーカーはケースから垂れ下がった腕に命中した。その拍子に影はズルズルと床に滑り落ちる。肩、頭、背中、腰、脚……と人間の全身を伴って。その拍子に焼け焦げた写真が数枚宙を舞う。

 反応の速い犬耳ウィッチガールはその時にはもう、ケースから現れた妙な存在が現れた場所へ駆けとび、飛び蹴りの体勢に入る。

 けれど影はその時もうそこにはいなかった。


「っ⁉︎」


 攻撃が空振りに終わってそのまま着地した犬耳の子をあざけるように、床を滑って私の目の前までやってくる。

 そしてドアに張り付く私の前で、再び人の、女の子の形になった。

 爬虫類の鱗でできたような露出度の高い衣装に縦に舞た髪、三又の鉾、皮膜のある羽根。三角に尖った尻尾。そして緑色の瞳。

 シスター・ガブリエル、もといイブリス・ルキファというあの女の子だ。

 魔法が使えないはずの空間にこの子は魔法としか思えない方法で侵入した。

 どういうことかとっさには理解できなくて背中をドアにはりつける。

 がたん、とドアが鳴る。会話を途中で打ち切ってなにかドタバタやりだした私たちが気になったのか、マリア・ガーネットが不審な声を出した。


「――何、どうしたの? マルガリタ・アメジスト⁉︎」

「ジョージナ。あなたは本当にいい子ね。こんな悪い子に最後のチャンスをあげようとしたんだもの」


 私をじろじろとねめつけるのに、イブリス・ルキファが話しかけるのはドアを隔てた向こうにいるマリア・ガーネットだ。それにはあの子も驚いたらしい。


「ルーシー? どうして──!」

「最後のお仕事に来ただけよ。だってこの子本当に悪い子なんだから」


 イブリス・ルキファは無表情に私の前に手のひらに乗せた何かを突きつける。

 遊園地のお土産ものみたいなスノードーム。

 ガラスで出来たドームの中でちらちらと銀色の雪が降る遊園地の小さな模型にうっかり見入ってしまったのが、私の敗因だった。

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