第4話 右腕

 ショーに出た日、マリア・ガーネットがホームに帰宅するのはいつも明け方ごろ。

 そして私にはお菓子としてのお勤めがある。あの子のショーを毎回リアルタイムで視聴することは叶わない。残念だけどここのルールがそうなっている以上は仕方がない。

 明け方は私たちのお仕事が終わる時間でもある。シャワーで体をさっぱりさせて、ベッドの上に体を投げ出し、とろとろと瞼が落ちてくる。夢とうつつの間でたゆたっていると、自動車の走行音が近づいてくる。それは段々近づいて、タイヤが中庭の砂利を踏みしめる音へと変わる。

 バタンとドアが開く音がして、その後に聴こえるのは複数の足音。たまに神父様の言葉や、それに端的に答えるあの子の不機嫌そうな声も聞こえる。

 何を話しているのか知りたいけれど、耳を澄ませるほど私の体は疲労を訴えて強力な睡魔をつれてくる。

 あの子が無事にかえってきたことだけを受け止めて、私は睡魔に身を任せる。


 

 真夜中にお仕事をする以上、ホームに朝が来るのは遅い。

 お日様がそろそろ天球の一番高いところにたどり着こうかって頃が、シスター・ラファエルの決めた起床時間だ。私たちお菓子は目をさまし、騒々しく身支度を整える。それから、十一人のお菓子と二人のシスターがそろい、外の世界の常識なら呆れるほど遅い朝食を摂る。

 長テーブルの決められた席で、配膳が済むのを静かに待つ。シスター・ガブリエルが用意したパンや卵といったありふれた朝食がみんなに行き渡るのを確認してから、私たちは厳かにお祈りを唱える。

 教会で過ごしているんだもの、ちゃんと形から入らなきゃ。たとえ私たちの教会の名前がピーチバレーパラダイス教会だなんて、いかがわしいものだったとしても。

 

 食事が始まると同時にお菓子たちのおしゃべりも始まる。昨晩にお仕事中に起きた出来事や、この町の中に関する噂話、お勉強の時間にみた甘ったるい映画の感想やなんかを囀りあう。些細な言い合いが口ゲンカに発展することはしょっちゅう。

 姦しい私たちの生活に、マリア・ガーネットは加わらない。

 あの子は食事も一人でガレージで摂る。私達の食事が終わった後に、食事を載せたトレイをガレージまで運ぶのはシスター・ガブリエル。その日も私たちがシスター・ラファエルによるマナーの授業を受けている部屋の窓から、食事を乗せたお盆を運ぶシスター・ガブリエルがガレージへ向かってゆくのが見えた。

 マリア・ガーネットを直接お世話するのは二人いるシスターのうちシスター・ガブリエル専門のお仕事。お二人の中で、どうやらそういう役割分担が決まっているみたい。

 乾燥したこの辺りは日中とても暑くなる。だからガレージのシャッターは常に開けっぱなし。内と外とを仕切るものは、あの子がいつも横になるソファのそばに吊るされたカーテンひとつ。どう考えたってやっぱり不用心。

 シスター・ガブリエルは普段通り、ガレージの中へ入って行く。


「よそ見をしてはいけませんよ、マルガリタ・アメジスト」

 

 窓の外ばかり見ていたから、シスター・ラファエルに叱られた。



 お勉強が終わってお仕事が始まる宵の口までのちょっとした空き時間が休憩時間。その中でも夕飯の前までがお菓子たちに許された完全な自由時間。貴重なその時間を、ここ最近の私はあの子に近づくことに費やしている。

 西の空が燃え上がり始めた頃、シスターたちの目を盗みつつ私はガレージに足を踏み入れる。

 古い機械油と砂埃が混ざったような、いつものガレージの匂い。だけど今日はほんの少しだけ、別の匂いが加わっていた。匂いというより、シンプルな焦げ臭さ。

 煙草かしら? 一瞬気になったけど、タバコ特有の匂いは嗅ぎ取れない。様になりそうだから一度咥えてみせてほしいものだけど、マリア・ガーネットは喫煙しない子だ。

 つまりこの匂いは、ただの紙を燃やしただけのものだ。私はそう見当をつけながら、カーテンの内側へと侵入する。いつもは一言声をかけるのだけれど、寝息のようなものが聞こえたから遠慮した。なるべく音を立てないように用心して、カーテンの内側へ身を滑らせた。

 マリア・ガーネットはいる。ちゃんといる。

 ショーを終えて明け方に帰ってきた日は大抵、マリア・ガーネットはお日様が一番赤く燃え上がる時までソファの上で眠っている。今日もそう。右側を上にして横向きに眠っている。

 ソファの手前には、逆さにしたワインの木箱がおかれている。サイドボードがわりにしている木箱の上には、布巾をかけた今朝の朝食と、安っぽい陶器の灰皿があった。少しばかりの灰と先端の燃えたマッチの軸がある(マッチって所が素敵)。

 今日のマリア・ガーネットの眠りは格別深いみたい。伸ばされた左腕の先、ページを開いた状態でバイブルがソファの下に敷かれた古いラグの上に落ちていた。

 このバイブルはマリア・ガーネットがよく目を通しているものだ。今日もきっと、眠る前に読んでいたのだ。

 ラグの上からバイブルを拾い上げ、少しだけ目を滑らせてみた。

 神様と預言者のお話は不合理すぎてとても難解。でも、この本を読んでいる時のマリア・ガーネットの表情は、ショーの時の女王様姿とは別人のように柔らかくて幼さすら感じさせるものになる。時々、難しい問題を解こうとしているかのように真剣な顔つきになることもある。

 あんなに真摯な表情を浮かべるくらいなんだから、このバイブルはマリア・ガーネットにとってこの上なく大切なものに違いないのだ。──余白が細々した書き込みに埋め尽くされているのは不思議だけど。

 アルファベットと数字をでたらめに組み合わせているとしか思えない落書きの謎に、知性と創造を司っていたという私の本質が反応しかける。でもこれ以上マリア・ガーネットのプライバシーを侵害したくはなかった。寝顔がみたい、本当なら立ち去るべきなのにそれだけの理由でカーテンの内側に立ち入っただけでもあの子を怒らせるには十分。その上私物の秘密に触れたことが解ったら絶対あの子は私を許さない。ガレージから永久追放を言い渡されてしまう恐れもある。それは嫌、絶対に。

 私はバイブルを閉じ、廃品製のサイドボードの上におく。


 ソファの傍らに跪いて、間近でマリア・ガーネットを観察する。くう、くう、という規則正しい寝息も、あどけない寝顔も、昨晩のショーのいかにもヒール然とした佇まいからかけ離れている。無防備で可愛い。疼いた胸に光が灯りそうになる。

 ──とはいえ、いくらなんでも無防備すぎやしないかしら?

 マリア・ガーネットが不用心で無防備だからこそ、私はラグの上に膝をついて彼女の顔に見いる。意外と長い睫毛や、右側の頰の傷跡、いつもはきりっと閉じられているのに眠っていると少しだけ緩められた唇、ショーで殴られることなんてしょっちゅうなのにすっと通っている形良い鼻筋などを思う存分観察できるわけだけど。でも、残念ながら私みたいに観察だけで満足するような謙虚な人々のみで社会は構成されていない。観察だけでは満足しない邪な人々がガレージに侵入しないとは限らないのに。そしてこの町やこの教会にそんな者はいないだなんて、とてもじゃないけれど断言できないのに。

 不安からそんな考えを遊ばせていた私の目の前で、カタカタとあの子の鋼鉄の右腕が小刻みに揺れ始めた。腕の表面を覆ううろこ状のパーツが揺れてカチャカチャと音をたてただけなのに、マリア・ガーネットは目を開き、ばね仕掛けの人形のように跳ね起きる。そして素早くソファの上を後退して右腕を私の前へ突き出す。

 ──なるほど。この右腕はこの子の体の一部でなお且つ魔法をかける際の杖替わりでもある上に、警報機と防犯装置を兼ねる機能まであったみたい。多機能ぶりに感心してしまうけど、でもちょっと反応が遅すぎやしないかしら?


「動くな! ちょっとでも近づいたら捻りつぶすからね、この助平女!」

「おはようマリア・ガーネット。よく眠っていたようだけど体はどう?」

「近づくなって言ったの、聞こえなかった? 大体あんたどこからここに──ッ」

「どこからも何も、私が見る限りここのガレージのシャッターが下ろされたことは一度も無いわ。今ちょうど不用心じゃないかしらって心配していたところよ?」


 私の答えを聞いたマリア・ガーネットの顔が、虚を突かれたようにぽかんとなる。せっかくの可愛い顔だったのに、次の瞬間には彼女はもう真っ赤になりながら怖い顔をつくってみせた。珍しく本気で狼狽えているみたい。

 そんな顔も可愛いくて、私はついつい微笑んでしまう。目が合うなりマリア・ガーネットはぷいっと顔をそむけてしまった。

 右腕と共生している使い魔が警告するまで無防備に熟睡してしまい、私に無防備に寝姿を見られたの(と、シャッターを開けっ放しにしているのに「どこからここに?」だなんて間の抜けた詰問をしたこと)がよっぽど恥ずかしかったらしい。

 可愛い。その拗ねたような態度がたまらなく可愛い。ショーの時とのギャップが激しくて体の内側や頬がじんわり熱くなる。熱は私の顔を蕩けさせる。可愛いものにときめくと、人は自然に微笑んでしまうものみたい。

 ラグから膝を浮かせ、ソファの上に乗る。マリア・ガーネットは許可していないけれど、私は彼女に身を寄せる。ときめきから生じた衝動に身を任せると、甘えん坊の飼い猫みたいになるみたい。


「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。ショーのリングの上ではあんなに強くて冷徹なあなたなのに、眠っている時はまるで赤ちゃんみたいでとても可愛いかったんだから。今でも胸の奥がちりちり疼いて苦しいのよ? 痺れる程甘い多幸感に満たされるなんて今日が初めて。これが噂にきく母性本能ってやつかしら?」


 まあもっとも私は赤ちゃんってものを見た記憶がないけれど──と付け足そうとした所、私はずるずると引きずられてカーテンの外へつまみ出されていた。

 怒って立ち上がったマリア・ガーネットが、生身の方の左手で私の首根っこをつかみ、ガレージの外へ追い出そうとしているのだ。普段より動作が荒々しいことから、気持に余裕がないことがよくわかる。


「やだ、待って! 私あなたに用があって来たのよ、追い出さないで」

「るっさい黙れ、それから出てけ、この窃視魔の助平女!」


 マリア・ガーネットは本気で腹を立てているらしく、早口で吐き捨てる。

 窃視魔という不名誉な言葉にちょっぴり傷つきつつ、私は思わず感心する。いつも半裸も同然な格好でいるマリア・ガーネットが、お菓子たちが自分へ向ける視線にどういった意味がこめられているのかをちゃあんと把握しているみたい。自覚がないからこそ、目のやり場に困るようなあんな恰好してるのかと思っていたのに。

 それはそうと、引きずられまいと私は足を踏ん張った。今日はいつもみたいに、仲良くなりたいだけでガレージを訪ずれたわけじゃないのだ。ちゃんとした用事があるのは嘘じゃない。 

 なんとか踏みとどまって、マリア・ガーネットの左手をつかみ、背の高い彼女の赤い瞳をまっすぐ見つめる。大切なお話をするときはお相手の目を見なさい、マナーの講義の時間でシスター・ラファエルも仰っていた。


「ねえ、あなたの右腕、ここ最近様子がおかしくないかしら」

「……っ」


 驚いたようにこちらをみるだけ、言葉の類はない。正解だと私は判断する。


「昨夜のショーを見ていて思ったの。あなた、少し右腕に引っ張られ気味じゃなかった? 連携のリズムがいつもに比べて冴えなかったもの。違う?」


 黄色いレオタード姿のサイエンス風ウィッチガールとのショーの最中、マリア・ガーネットの右腕は黄色い子が容赦なく繰り出す魔法の熱線を吸収することに気をとられていた。そのせいなのか、いつもならカウンターで対戦相手をしとめている筈の場面をチャンスをみのがしているように見える瞬間が二度ほどあった。私はそれが少し引っかかっていた。

 鋼鉄の右腕に宿る使い魔は、普段はもう少し主に忠実だ。なのに昨晩のショーではひどく興奮しているようでとてもやんちゃできかん坊だった。マリア・ガーネットも苛立たしそうに左腕をさすって何かを言い聞かせる場面だってあった。

 マリア・ガーネットの右腕は、今でもカタカタと金属を触れ合わせている。せわしないその音は、臆病な人が歯をカチカチならしているものともよく似合う。

 私がマリア・ガーネットのことを見つめるようになってしばらく経つけれど、彼女の右腕がこんな現象を起こしているところを見るのは初めてだ。

 この状態はマリア・ガーネットにとっても思わしくないものみたいで、落ち着きな、と小声で囁く。でも反抗するように金属の鱗は逆立つ。マリア・ガーネットは舌を打ち、私は確信を強めた。


「その右腕じゃ次のショーが危ういわ。メンテナンスはしてる?」

「あんたに関係――」

「ないことなんてないわ。私あなたのファンだもの。ファンは好きな人には活躍してほしいって願うものよ?」


 本当は「好きなのよ」って言いたかったのをこらえて伝える。だって今のこのタイミングじゃ、絶対タチの悪い冗談だってあの子は受け取るに違いないもの。

 だからとっさにファンって言い換えた。この策はどうやら成功だったみたい。マリア・ガーネットが戸惑いをみせたその隙に、私はすっと回り込み距離をつめ、金属の右腕と生身の体の境い目にあたる右肩に手を添える。

 ショーでは接近戦最強と謳われるマリア・ガーネット。そんな子の間合いに飛び込んだ女の子は私が初めて、だったらいいんだけど。


「ちょ、何?」


 袖の無いインナーだから当然肌が出ているマリア・ガーネットの右肩に、私は手を添える。そして両目を見開き、瞬きをせずに鋼鉄製の右腕を凝視する。彼女に比べて背の低い私を見下ろして、マリア・ガーネットは怪訝そうな声をあげた。

 私は構わず、彼女の右腕をただただ無言で見つめる。瞬きもしないまま一分近くが立ち、ぼんやりとした状態から右腕の中身は徐々に形を明らかにしてゆく。

 黒いうろこを重ねたような右腕は、堅くいかつい鋼鉄の外殻で、中身は空洞。でも完全な空洞ではない。人間のそれより幾分か華奢そうな人工の骨の気配がしたのだ。

 そして、右手の甲あたりに強く輝く赤い光が雇っている。ひょっとしてこれが使い魔だろうか。

 あまりに私の視線が不躾だったからか、次の瞬間、赤い光は目が眩むほど強い光を放った。その凶暴さに思わず瞬きをしてしまう。


「!」


 私が目を閉じてしまうその瞬間。マリア・ガーネットの右腕は私の胸元をまっすぐ一突きにしようとしていた。とっさに身をひねってギリギリかわしたけれど、それでも服の胸元が斜め上から下へと切り裂かれる。


「やめな、こら、アスカロン!」


 一連の動作はマリア・ガーネットにとっても予想外の動きだったみたい。自分の右腕に左手を添えて優しく撫でさする。


「鎮まれ、大人しくしな……。ほら、いい子だから……」


 よしよし……と、暴れる愛犬をなだめるようにマリア・ガーネットは声を出す。それで彼女の右手の甲に座する使い魔の輝きは少し弱まった。でも私のことは警戒し続けている。

 使い魔というよりも主人を守る忠実な番犬みたい。うなりながら歯をむき出しにする様子を思わせる、荒々しい気配は静まりそうにない。

 やっぱりだ。私は確信を強めた。

 マリア・ガーネットの使い魔がすこぶる不安定だ。魔法技術製の人工骨に根を行き渡らせてる使い魔と、彼女の肉体から伸びた魔力の道筋が上手く結びついていない。だからマリア・ガーネットの制御から逃れて右腕は自分の思い通りに動こうとする。対戦相手を倒すという目的よりも餌でもある魔力を吸い上げる方に夢中になる、なんて事態も起きてしまうのだ。まちがいなく、昨晩のショーに感じた違和感の正体はこれだ。

 わかった以上はのんびりしていられない。


「今すぐ治さなきゃダメよ。早くお医者さまにお診せしましょう。今晩あたり私のお客さまがお見えになるはずだからお願いしておくわ」


 真剣さは私の表情から笑みを消す。そして彼女の赤い目をまっすぐ見つめた。

 視線をそらさないことから、冗談を言ってるのでもからかっているのでもないのだと、マリア・ガーネットはわかってくれたみたい。なのにふっと視線を顔をそむけた。


「気持ちだけ受け取っておくよ。あの医者にはこの腕は触れさせたくないんだ」

「呆れた! あなたまであの人が怖がるの? あのね、誤解されやすいけどあの方そんなに悪い方じゃ……」

「そうじゃない!」


 マリア・ガーネットの声が私の声を打ち消す。まるで悲鳴みたいな声だった。今度はこっちが虚を突かれる。


「……そうじゃない。あんな奴、怖くなんかない。ただどうしてもアイツに貸しを作りたくないんだ。それだけだよ」


 思いのほか必死さが出てしまったことが、本人にとっても予想外だったらしい。戸惑う私の顔をみて悔やむような表情を見せる。でもやっぱりそれはほんの一瞬だった。

 目を閉じて、私をまっすぐ見下ろす。意を決したようなまじめな眼差し。悪人顔だって口さがない子達から陰口をたたかれるマリア・ガーネットのきつめで鋭く整った顔が、真剣な表情を浮かべると一種の威圧感が出る。彼女の為になにもかも差し出しても惜しく無いと思わせる、たまらなく綺麗な顔。

 その顔でまっすぐ見つめてから、ほんの少し唇の端を上向けて彼女は微笑んだ。

 微笑む。マリア・ガーネットが私に向けて。にこっと。

 もうそれだけで、私の提案をはねのけた際にみせた心細そうな様子への戸惑いなんて、一瞬で吹っ飛んでしまう。


「ただの助平女じゃなかったんだ、マルガリタ・アメジスト」


 名前を憶えてくれていたことは舞い上がるくらい嬉しいけれど、助平女呼ばわりはあんまりだと思う……。



 カーテンの内側へ戻ったマリア・ガーネットは、おもむろにかがむとソファの下から何かを引っ張り出した。年季の入った工具箱だ。

 金属製のボックスからスパナを取り出して、右腕の肘関節にあるボルトを外してゆく。

 でも利き手じゃない左手で、それも不自然な角度にひねりながらの作業は難しそうだ。思わず手を伸ばすと、マリア・ガーネットは苦笑して私にスパナを手渡した。


「……っ!」


 手を添え、スパナをあてているだけでも、マリア・ガーネットの右腕は私の魔力をじわじわと吸い上げる。弱い電流を流されるような感触に私は身をよじる。


「やめなったら、アスカロン。大人しくしな」


 マリア・ガーネットは使い魔をいさめるけれど、この子はとてもやんちゃだ。私への警戒心を解かないし、主人の言うこともきいてくれない。

 じりじりとした痺れがなんだか恥ずかしいだけであまり痛くないのをいいことに、私はお喋りを開始する。


「その、アスカロンっていうのがこの子の名前なの?」

「……まあね」

「どういう意味なのか、教えてもらってもかまわない?」

「──」


 まだそこまで打ち解けたくないってことかしら。マリア・ガーネットは右腕を私にさしだしたまま黙ってしまった。

 まあいい、今は目の前のことに集中するべきだ。焙られるのに似た痺れによる息を一つ吐いて、私は合図を出す。


「外すわよ」


 鋼鉄製の右腕、その肘から指先までの外殻を慎重に取り外す。外殻に直接触れる時、一瞬びりっと痺れたけど痛みはすぐに消えた。

 外気と私の視線にさらされた、マリア・ガーネットの右腕の内側。見たことも無い魔法道具のその根源。あの子の秘密。それを目の当たりにしていると思うとたまらなくなる。

 人間のそれとそっくりな形状の人工骨に、魔力の波動で出来た筋線維が繊維の束を纏わせている。それは見惚れるほど美しかった。人工骨は真珠のようにつやつやと輝いて、よく見れば見知らぬ文字が細かく刻まれている。魔力の波動は赤いネオンみたい。人間の腕と手の骨格をコピーした、魔法技術で出来た骨。一体どこの世界の魔法技術だろう。

 できればもう少しだけ観察させてほしかったけれど、マリア・ガーネットが急かすように咳ばらいをした。私なんかに秘密を明かして居たたまれないみたいだ。

 優越感をちょっぴり抱きながら、私は彼女の右手部分の骨にそっと手を添えた。握りつぶさないように慎重に、甲の部分を表に向ける。

 使い魔のアスカロン、その核はすぐに見つかった。甲のあたりに赤い宝石が一つ、埋まっていたのだ。私が見つめてすぐ、赤い宝石はめらめらと炎のように輝きだす。主人でもない何者かに鎧を奪われた屈辱から威嚇する、この宝石が魔法を宿したものであることは明白だ。

 使い魔は私に見つめられていきり立っている。でも外殻を外され、華奢な骨組みを晒した自分はとてつもなく非力だという自覚はあるみたい。私にむけて攻撃の意志だけを放ちつづける。


「初めまして、アスカロン。仲良くしてね」


 使い魔をを怖がらせないように、私は笑顔で挨拶をする。シスター・ラファエルに及第点をもらった笑顔だ。

 そおっと宝石の表面に指を近づける。その瞬間、ばちっと大きな指がちぎれそうなくらい痛んだ。思わず手を引っ込めて痛む指先を咥えた。強烈な静電気じみた音にはマリア・ガーネットも驚いたらしく、大丈夫? と気遣ってくれた。それだけで痛みが吹っ飛ぶ。

 唇から指を話し、たくさんのお菓子たちの体を診てきた経験が導きだした原因を語る。


「この子を正しい場所に埋め直せば治るはずなんだけど……」

「正しい場所?」

「そう。今、この子はあなたのパフォーマンスにとってベストではない位置に強引にねじ込まれてるの。それがあなたとアスカロンとの連結に不備をもたらしている。あなたの制御から外れるだけでも大変なのに、この状態では出せるはずの力も発揮できていないわ。しかも間違った場所に設置されたものだから、ショーの度に衝撃でちょっとずつ位置がズレちゃって。ますます連携がとりづらくなってる……」


 人工骨の表面をゆらゆらと不安げにまたたく赤い波動の筋繊維の様子を見つめながら、私はマリア・ガーネットに伝えた。


「つまり、この子を正しい場所に設置できれば、あなたは今よりもうんと強くなれるの」


 使い魔・アスカロンの核であるこの赤い宝石を正しい場所に設置する、それさえすれば彼女の不調は解決する。

 そのためにはまず、アスカロンを今埋まっている場所から取り外さなきゃいけない。でも、私が触れようとするとこのきかん坊は容赦なく噛みつく。

 困ってしまった私の意図を汲んだのか、マリア・ガーネットの左手が伸びた。そしてなんなく宝石を取り外す。異世界の魔法文字が彫り込まれた真珠色の人工骨の表面を覆っていた、魔力の筋線維がすっと消える。


「これでいい?」


 そうやって私に確認するマリア・ガーネットを思わずじっと見つめる。

 まるで手助けをしてくれたみたい、そう感じて有頂天になりかけた。でも、そうじゃない。実態は私が好きでこの子にお節介をやいているのだ。それを勘違いしちゃダメだと言い聞かせたあとで微笑んでみせる。


「ありがとう」


 宝石を取り外したマリア・ガーネットの腕に触れても、もうびりびり痺れるようなことはない。折れそうに繊細な人工骨にそっと触れ、アスカロンを据えるのにふさわしい場所を探した。

 上から斜めから、腕を持ち上げて下から、さまざまな角度から手首周辺の人工骨を観察した末に候補をみつける。手首あたりがいいかもしれない。


「ねえ、ここにはめてみて?」

 

 さっきまでアスカロンが据えられていた場所から数センチ下、手首の関節のやや下を指さす。マリア・ガーネットは私の指示通り赤い宝石をそこへ近づける。その途端、真珠色の人工骨がぐにゃりと歪みわずかな窪みを作った。マリア・ガーネットは動揺することもなく、小さな窪みに宝石を埋め込んだ。ボタンでも嵌めたみたいにぴったりと収まる。

 その衝撃が人工骨を伝いでもしたのか、マリア・ガーネットは小さく呻く。その声が思いのほか高くて儚い。思わずぞくっとしてしまう。

 私が提案した馬車が宝石の設置場所に最適なのは間違いなかったみたい。骨の隙間にしっかりと宝石が馴染んですぐ、魔力で筋繊維が人工骨を覆うようにぴんと伸びてゆく。そしてすぐマリア・ガーネットの神経と連結されたらしく、彼女は一瞬身をよじる。

 くぅっ……という、苦痛と紙一重の快楽を押し殺すような声。こんな時だけどたまらない。

 マリア・ガーネットはしばらく身を縮め、きゅっと強く目を閉じていた。そのまま少し耐え、一呼吸おいてからゆっくりと目を開いた。目尻が少し赤らんでいる。

 信じられないという表情で、彼女は骨格がむき出しになった自分の手を握りしめては開いたり、無意味に上下にゆっくり振って見せる。その後、信じられないと言いたげに安定して輝く魔力製の筋繊維を見つめた。


「治った? それならよかった」


 私はゆっくりと鉄の外殻をかぶせ、外したボルトを締め直す。

 正しい場所に収まった使い魔のアスカロンは、すっかり大人しくなったみたい。私が彼女の右腕に触れたというのに凶暴になったりしなかった。マリア・ガーネットの体から、必要な分だけの魔力が供給されるようになったからだろう。


「……それにしても、誰かしら? あんな場所に無造作に使い魔をねじ込んだの」

 

 安心したから、手の甲の骨にまさしくむりやりねじ込んでいた、雑な仕上がりを思い出す。あんなことをやっていては、なかなか正しい力が発揮できないはずだ。


「あんな相応しくない場所に使い魔を設置して、あなたが今まで無敗でやれてこれたのも奇跡に近いわ」

「時間がなかったんだよ」


 最後のボルトを締め終わった。マリア・ガーネットの右腕が見慣れた形に戻った時、彼女はぽつんと呟いた。


「アスカロンを託された時は……なんて言うのか、まあ結構な取り込み中だったんだ。アスカロンの見た目はああだから、あたしからとりあげようとするバカも少なくなくてさ、この腕の中に隠したんだ。でもそれだとカラカラって間抜けな音がするじゃない? だから手の甲にああやってねじ込んで、そこからずっと考え無しにそうしていた」


 マリア・ガーネットは愛おしそうに自分の右腕を撫でる。懐かしむように、赤い瞳が柔らかくなる。


「この腕はあたしだけじゃなくアスカロンも護ってくれていたのに──まさか設置場所が全然ちがっていたのに。今まで気がつかなかったなんて。傑作だよ」


 悪かったな、アスカロン。居心地悪い思いをさせて。

自嘲しながら優しく笑う。

 その言葉で、不用意な自分の呟きがマリア・ガーネットに気まずさを味合わせたことを思い知る。ああいやだ、ちょっと調子にのったらこんな結果を招いてしまう。


「ごめんなさい、私――」

「謝る必要なんてないよ。どうしてこいつがここにいたのか、あんたは知らなかったんだから」


 うつむいた私の頭を、彼女は自分の左手でそうっと撫でる。するすると、肩の少し下で切ったまっすぐな私の髪の表面を柔らかい手のひらが上下する。

 それはさっき、自分の右腕を撫でたのと同じような手つきだったけど、私の体はまた痺れた。痛みはないけど苦しくて、なのに甘く心地いい。


「アスカロンは元々父さんのものだったんだ。さっき言ったような事情があって、今はあたしが預かってる」

「お父様から託された時のこと、詳しく尋ねても構わない?」

「遠慮してくれたらありがたいかな。聞いた所で楽しくなるような話じゃないし」


 私はうなずいた。

 この教会のメンバーなのに、ここに来るまでの記憶と人格を破壊されていないなんて異例中の異例だ。例えそれがお菓子たちとは違い、一人だけ別行動をしているマリア・ガーネットだとしても。どうやらこの子、見た目以上に秘密が多いみたい。

 アスカロンやお父様のお話は、今日の私の仕事に対する彼女なりの報酬だったのだろう。きっと彼女にとっては重要な内緒ごとなのだ。

 それなら私も口をつぐまなくちゃ。

 彼女が秘密をうちあけてくれたことがとても嬉しいし、秘密を共有しあうのはもっと嬉しい。嬉しさは電流になり、私の全身を駆け巡る。



「……あれ?」


 マリア・ガーネットがぱちぱちと瞬きをする。そして自分の胸元をとんとんと指さした。


「あんた、ここ、なんか光ってるけど?」

「……あ」


 アスカロンが暴れたせいで敗れたワンピースの裂け目から、紫色の光がこぼれていた。

 私の体は、はしたないほど正直にできている。マリア・ガーネットと秘密を共有できた喜びに《賢者の石》が反応したのだ。手のひらで隠しても指の隙間から光はこぼれる。

 

「アメジスト、か……」


 隠せない光にぽうっと輝く私の胸元を見つめ、マリア・ガーネットは宝石の名前を口にした。


「たまたまよ。ここに来たのが二月だったから、そんな名前を付けられちゃった」


 自分で言うのもなんだけど、私の瞳はきれいなブルーだ。どうせならサファイアかラピスラズリって名前にしたかった。なのに「規則だから」って理由でマルガリタ・アメジストって名前になってしまった。

 瑠璃色の瞳なのにアメジストなんて名前、紛らわしいったらない。常時こうやって胸を光らせているわけにはいかないし。

 それを思うと、マリア・ガーネットの瞳は澄んだ赤だし、使い魔のアスカロンの核も赤い宝石だ。何もかも「ガーネット」って名前にぴったり一致していている。うらやましい。


 そんな彼女の視線はまだ私の胸元にある。

 感情の昂りに合わせて光る身体が珍しくて、ついつい見てしまう。そんな様子だった。

 ちょっとからかってみたくなり、私は姿勢を変えた。四つん這いになり、胸を突き付けるようにしてみせる。


「見たい?」

「……っ!」


 それでやっと、マリア・ガーネットは、自分が見ていたのが私の薄っぺらい胸だと気付いたみたい。あわてて視線をそらした。その様子が可愛かったので、悪ふざけしてみたくなる。


「見せてあげてもいいけど、マリア・ガーネットも同じようにしてね。私一人だけ見られるのは恥ずかしいわ」


 次の瞬間、私は首根っこをつかまれて引き摺られ、シャッターの外に放り出されていた。

 西の地平線にお日様が沈むところで、空はいよいよ真っ赤に燃え上がっている。 

 素早くソファの内側まで戻り、シャッと乱暴に音を立ててカーテンを引いたあの子の顔みたいに。


「さっきはありがとう、マルガリタ・アメジスト!」


 やけっぱちみたいなお礼だったけど、嬉しくてたまらない。そのせいで、お仕事の時間直前になるまで胸の光は消えなかった。

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