第5話 秘密

「昼間、何かあったのかい?」


 この夜。予想していた通りお客様は私をご指名になった。珍しく診察の前に私を召し上がる。診察に備えて服を脱いだ時点で私の胸が淡く灯っていたのをお認めになるや、決まった手順を一方的に無視された。お客様の表情はいつもと同じ、小麦粉の塊を練って焼いただけのものを咀嚼しているかのような面白みのないものだったけど、たまにはこうやって不意を打たれるのも気分が変わって悪くはない。

 どういう形であっても私の昂ると胸の中の《賢者の石》に光が灯る。私の体がこういうふうにできているのはお客様が一番ご存じだ。だから「何もなかった」なんて嘘は付くだけ無駄。

 お客様の首に抱き着くと、冷たい頬にキスの雨を降らせた。いつも以上に不愉快そうでおかしい。私は昼間からの楽しい気持ちを抑えるのはとても難しくて笑わずにいられない。


「あったの。でもおじさまには教えてあげない。私とあの子の二人だけの秘密だもの」

「なら詮索するのは止すとしよう」


 私の腕を振り解いてベッドの上に置き去りにし、お客様はベッドから降りて早々に衣服をまといだす。

 まるでその辺の女の子みたいに、私がちょっとしたことで笑ったり甘えたりするのがつまらなかったみたい。この方はこういう子供っぽい所があることを、私は知っている。お客様のそういう所が私は嫌いじゃない。だからいい気分のままに可愛い様子を味わう。お菓子扱いになれていないお客様は、私を冷たく見下ろすだけ。

 たまらなくなって、大きな枕を抱きしめてベッドの上を転がる。こんな不作法な真似は普段の私なら決してやらないんだけど、そうしないとキャアキャア声をあげてぴょんぴょん飛び跳ねてしまいそう。それくらい、夕方のガレージで生まれた嬉しさの衝動は強くて激しい。


「おじさま、好きな子と二人だけで共有する秘密って素敵ね。胸がポカポカするわ」

「マリア・ガーネットともうそんな仲になったのかい。ずいぶん早いじゃないか」


 人間の体に詳しいお客様は、お菓子たちの主治医でもある。ある程度はホームや教会の事情に通じていても当たり前。私がマリア・ガーネットに「ご執心」なのもとっくにご存知だ。


「こんな地の果てで腹心の友ごっこが繰り広げられているとは。──これだから、全く」


 甘ったるい小娘なんて見るだけでも虫唾が走る。こんな所にお通いなのにお客様はそんな気持ちを隠そうとはしない。生理的嫌悪が酷いのか、床に唾でも吐きたそう。仮にも紳士だから実行に移すような真似はなさらないけれど。


「あらヤキモチね、おじさま? 私が盗られたから?」

「それ以上つまらない冗談を口にするなら、少々痛みを伴う検査を行うとしよう」

「いいじゃない、偶にはふざけたって」


 わざと拗ねて「手のかかる女の子」を演じていた私の前に、タブレットが突きつけられる。不意打ちされて思わずお客様の顔を見上げる。私に知識を植え付ける時に特有の威圧感を漂わせたお客様が、ご愛用のタブレットに表示されたものを見るようお命じなのだ。

 シャツでは隠せないやせぎすの体の線が、お客様の態度に冷たさを添えている。でも私がタブレットに素早く手を伸ばしたのは、お客様が怖かったからではない。外の世界の情報に触れられるものは、私にとっては何よりの貴重品なのだ。情報端末なんて、触れさせてもらえるならどんなに痛くても恥ずかしいことでも我慢できるって断言できる。

 私に知識と情報への飢えを思い出させたのは、目の前のお客様だ。だから私が目の色を変えて手を伸ばした途端、ひょいと高く持ち上げてしまう。ベッドに寝転んでいたままでは奪えないところへ。なんて初歩的な意地悪だろう。


「ずいぶん幼稚なことをなさるのね」

「今日の君に合わせてみただけだよ」


 皮肉で返しながらも、お客様はタブレットの表面に指を滑らせる。そしてあるページを開くと、また私につきつけた。今度は高い所に持ち上げるなんてマネはなさらない。読みなさい、という指示だ。


「君の体を調べるために文明圏のデータベースにアクセスしていた所、興味深い情報に遭遇してね」


 魔法文明圏の中には私たちが今いる世界と文化・文明がある程度共通している世界がいくつかある。

 私たちが今いる世界は元々はとても小さな種のようなもので、ある時にそれがポン! と弾けた。種は一気に枝を伸ばし根を広げて大木へと成長する。この枝や根の先端に文化や文明というものを築き上げた人間(もしくはそれに相当する何か)が作り上げた世界があるのだそう。

 枝と根は位置や見た目がずいぶん異なるけれど、元々は同じ種から生まれたもの。一見全く異なるように見えても文化や文明に共通点が多い。そんな兄弟みたいな関係から情報や知識を集めることはわりと簡単。電脳に関する技術の進化に共通点が多ければなおのこと、手元の情報端末にちょっとした改造を施すだけで検閲されていない界外の知識に触れられる。──これはお客様の受け売り。以前教えてくださったのだ。

 この世界は文明圏の仲間入りをしたばかり。魔法技術を取り入れ始めて間もない後進圏。言わばこの世界そのものが、魔法の力を与えられたばかりの普通の女の子みたいなもの。この子はなるべく早く魔法の使い方をマスターしなきゃならない使命がある。だって、自分に対して敵意を持つ大魔法使いに遭ったときに太刀打ちできないから。

 がむしゃらで見苦しくっても、魔法技術を取り入れて発展させる。そして文明圏の大国と渡り合える力をつける。これがこの世界を導く偉い人たちやお金持ちの総意なんだそう。だから、この世界に持ち込まれる異世界の知識は、基礎的なものや役に立つものが最優先。すぐには役に立たないようなニュースやゴシップは、この世界に紹介されることは少ない。

 でも、そういったガラクタの山の中にこそ本当に価値のある情報がある。──これは私がこっそり考えていること。だって、お客様が本当に人間の体を診るだけのお医者様なら異世界の医療情報なんて知る必要が無いもの。

 本当にお医者様なのかしら、この方? そんな疑問にはいつものように蓋をして、私は液晶に視線を落とす。


「界外の動向を伝える情報のようだ。使用言語は文明圏の第三公用語だ。それだけの記事でも我々が訳すには丸一日は必要になる」


 つまり、私が目にしている文章らしきものは、こちらの世界とまだ交流機会の少ない異世界の文字で記されたものだってこと。お客様に読めないのなら、私に読める筈がない。

 でも、添付された画像はきちんと再現されている。白地に青と金のラインが入ったドレスに羽の生えた金のサンダルに、先端に二匹の蛇が巻き付いた杖を持った、見覚えのある少女の全身像が。

 どうみてもその子は錬金天使ユスティナアルケミーだ。

 でもその子は昔の私ではない。髪はポニーテールで、おまけに瞳の色は淡いスカイブルーだ。昔の私によく似た、別の子だ。

 さっきまで心地よく温かった胸が一気冷えていくのを感じながら、液晶の上で指を滑らせる。

 次々に表示される画像はどれもこれも私の胸を冷やすものばかりだった。破壊された都市、抉れた森、ひどい怪我をした人、そんな人を抱き抱える人──。どれもこれも可愛いウィッチガールの全身像には不似合いなものばかり。少なくとも、私が新しく身につけた常識の中にいるウィッチガールにはそぐわない、酷いものばかり。


「この記事を第一公用語に訳したものがある。君なら大意を理解することくらいは可能だが?」

「訳したものがあるの? なら最初からそちらを見せて頂きたかったわ」

「──ああ、君のように生意気な跳ねっ返りの女の子には最初からそうするべきだったと今まさに悔いている所だよ。柄にもなく情にかられたせいで、折角の機会を一つ失った。君にはきっと鞭より効いただろうに」


 意地の悪さを隠そうともせず、お客様は薄く笑う。何を仰りたいの? と、私が軽く睨むと、お客様は薄い唇の端を吊り上げる。憎らしい。

 タブレットを一旦取り上げて液晶を数回タップしてすぐ、お客様は再度私にそれを手渡す。


「この件の当事者が君以外の女の子だったら、まず間違いなくショックを受けていただろうね。中には自己憐憫からめそめそ泣く者もいるだろう。さて、君はどうかな?」

「──ねえ、私に嫌われたらおじさまには友達が一人もいなくなるのよ? それでも意地悪なさるおつもり?」

「私は君の客であって友達ではない筈だが?」


 私の嫌味と抵抗を、お客様は事実をたった一言口にすることで切り捨てる。そして私にタブレットを押し付ける。記事を読みなさい、読んだ後は泣いたり騒いだりせず静かにしなさい、私の体と時間を好きにするための対価を払った方らしい指示だ。従う他ない。

 とてつもなく不愉快なものを読まされる、そう確信していたのに私は文字の列を目で追う。お客様の指示だから仕方なくという形にしたいのに、するすると視線はこの世界には存在しない文字の上を滑ってゆく。私の頭が文意を理解する。案の定、それはぞっとするような内容だ。読みたくないって私の全身が叫ぶ。なのに読むことがやめられない。記事を拒否しているのに、心のどこかは新しい情報や知識に触れることに喜んでいる。きっと頭の中に残された、壊される前のかけらだ。知性と想像を司るウィッチガールだったという、以前の私の一欠片は、嬉々として異世界のニュースにくらいつく。

 大きな文字で目立つように「戦略兵器ユスティナアルケミー拡散防止条約締結」って伝えているのに。


「……戦略兵器……?」


 泣くことだけはせずに済んだけど、ショックを受け流すのは無理だった。この教会の子が普通なら口にする機会なんてないはずの言葉が、ぽろりと口から零れ落ちる。

 異世界で大発展した錬金術を駆使して活躍するのが壊される前の私、それが錬金天使ユスティナアルケミー。少なくとも、くだらない動画番組の中での設定はそうだった。

 たったの13回しか活動せず、地球を救ったのかも片想いの相手に告白することも、何もかも決着していないのに消えてしまったアーカイブ上の私。不可解な形で消えてしまったのに一部の酔狂なウィッチガールファンにしか記憶されていない、とるに足らない存在の私。この世界では全然めずらしくもないから噂にさえならず、この町でお菓子に変えられたただの元ウィッチガール、それが私だった筈だ。

 そんな私に、戦略兵器なんて言葉はまるで似合ってない。不釣り合いもいい所だ。しかも拡散防止条約って。

 お客様がこっそり持ち込む新聞のおかげで、今の私は、難しい言葉の内容もなんとなく見当がつけられるようになった。兵器、それも「拡散防止条約」なんてものが必要になるようなものがどれほど恐ろしいものか、ある程度イメージすることだってできる。それはきっと、たくさんの人の命や財産を消してしまい、どんな生き物も住めなくなるくらい環境を損ねてしまいかねないほど危険なものの筈だ。

 まだ自由に読みこなせない文字の連なりを、私はゆっくり理解してゆく。 

 ──近年各地で甚大な被害を出している魔法少女型戦略兵器の使用と拡散を防止する条約が各国間で結ばれた。ショコラポイジー社がユスティナアルケミーの開発に成功して以降、魔法道具開発大手各社がユスティナ型の戦略魔法少女の開発競争が激化がもたらしたものは、平和ではなく新たな危機である。生産も簡単、廉価で量産も可能、強力な魔法を扱えるユスティナアルケミーを代表とする戦略魔法兵器は人間を戦場から遠ざけることに成功したが、武装地帯の拡大に伴うショコラポイジー社他魔法道具開発大手の躍進を許すことに繋がった。今や地表の全てが戦場であり平和と安全は各社から戦略魔法兵器を購入する形で保障される、不自然な状態化されて久しい。ユスティナアルケミー以下戦略魔法少女の開発から販売、購入や保持をようやく禁じられたとはいえ、遅きに失したのではないか──。

 異世界の重大ニュースに関するコラムらしき記事を、上へスライドさせる。そして現れたのは、地面に大きく穿たれた穴の中に、私と同タイプの女の子たちがたくさん投げ入れられている写真だ。

 大量のきせかえ人形を無造作に投げ入れた所、それをみた瞬間はそう錯覚してしまう。でも、目を通したばかりの記事のせいで、そうじゃないのだと瞬時に理解してしまう。

 投げ捨てられたその子たちの目、そこには一欠片の生気もない。みんな可愛くて綺麗で一見無傷で、でも皆あきらかにこときれている。

 その中で一番めだつのは、金色のロングヘアの女の子。色調には個人差はあるけれど瞳の色はどの子も青系統で白いドレスを纏っている。誰かに面立ちがよくにたその子たちは、穴の中にうじゃうじゃ沢山折り重なっていた。


 数日前、おそらく人造のウィッチガールだろうというお客さまによる推察は冷静に受け止められた。なんなら、異世界の魔法技術を用いて製造された限りなく人間に近いお人形だと聞いても、昂ると胸が光るおかしな体質の謎が解けてちょっと面白かったぐらいだ。

 そんな私でも、この画像を直視するのは難しい。私とよく似た女の子達が大量に殺されて、乱雑に埋葬されている。ううん、殺されて埋葬されたんじゃない。機能停止の上廃棄処分されたのだ。そしてそれは概ね賀ぐべきニュースとして報道されている。

 99.9%は人間だという私の感受性は、そんな事実を面白がれない程度には繊細みたい。ユスティナアルケミーを開発したっていうショコラなんとかって会社、なるほど優秀なんだろう。兵器産業でトップシェアを誇るみたいだし。

 私の胸の光は、いつの間にかすっかり消えている。


「その記事にショコラポイジー社なる企業が出てくるだろう? そこは文明圏内ではかなりの悪名高いようだ。主産業はあくまでも魔法道具の生産と販売だが、その中には武器や兵器も含まれる。場合によっては攻撃に特化した魔法使いの戦闘員も寄越すことすらする、相当悪質な妖精が経営する死の商人だ。さしずめユスティナアルケミーは彼らの主力商品だったという所だろうね」

 

 お客様はこっちを見ないでしゃべり続ける。


「文明圏内ではトップシェアを誇るショコラポイジー社だが、この世界近辺ではライバル社の後塵に甘んじていた。この世界など彼らにとっては辺境だからね、本来なら進出する予定なんてなかった筈だが、世論の高まりで主力製品の製造販売を禁じられてしまった。動揺せざるを得ないそのタイミングで、この世界が文明圏に属することになったわけだ。幸いここはまだ厄介な条約には批准していない、そもそもユスティナの存在すら知らないわけだからね。ピンチをチャンスに換えるついでに、ライバル企業のシェアを奪う。その意気込みで彼らは主力商品ユスティナアルケミーを売り込みにかかった。──大昔からこの世界がウィッチガール産業の激戦区だとも知らないで」


 お客様は皮肉っぽくつぶやく。


「廉価で大量生産も可能、有害な副産物も出さず自律機動する。何よりも従順で人類愛に溢れた生体兵器。客観的に見ても、君の姉妹は商品としてかなり優秀だったようだ。古い記事をいくらか漁れば、条約締結後も地下で戦略魔法少女を売買する業者が摘発されたニュースなどいくらも見つかる。この子はこの世界でも間違いなく愛される、そう信じて疑わなかった看板商品のショコラポイジー社が宣伝を兼ねて制作した番組こそが『錬金天使ユスティナアルケミー』。君はその番組の出演者兼この世界の住民の好みに合わせて新たに開発されたプロトタイプ。──おそらくそんなところだったんだろう」


 異世界にいくつも存在する妖精の国が、この世界にやってきては普通の女の子達に魔法を授ける。あるいは魔法の使える可愛い女の子を寄越す。そんな行いには全て彼らなりの目的がある。

 たとえば、自分達の開発した魔法技術を売り込みたいとか、女の子を応援する純粋なパワーをエネルギーに変換したいとかか、自分たちの国のピンチを代わりに救ってもらいたいとか、その種のものが特に有名。

 でも、異世界の妖精が何の目的も無しに魔法を授けたりなんかしないことは小さな子供だった知っている。ウィッチガールの物語なんてこの世界では珍しくないもの。毎週どこか新しいエピソードが配信され、ファンはそれを楽しく視聴する。

 それはいい。そこにとやかく言ったりしない。可愛いウィッチガールに変身することで夢をかなえる女の子達だってたくさんいるんだから。

 でも、妖精の国すべてがこちらの世界にとってもプラスになる、よりよい関係を築こうって善良な所ばかりじゃない。そんな残念な事実にだって、大人になりさえすれば誰だって気づく。

 可愛いウィッチガールに変身する魔法をあげるよ、と囁いて、骨の髄まで酷使する。そんな悪質な妖精の国が野放しされている事実が知れ渡って既に十年は経っている。以前、お客様が読ませてくれた新聞にもそんなことが書かれていたもの。

 そもそもわざわざ教えてもらうまでも無い。だって、お菓子として過ごしている私を含めた子達がみんな悪い妖精に捕まった元ウィッチガールなんだもの。

 マリア・ガーネットが出ているウィッチガールバトルショーのキャストの子達だって、みんな悪い妖精の国につかまった子たちだ。

 記憶や人格を壊されても、それはみんなわかっている。だからこそわざわざ口にする子なんていない。

 この教会を運営しているピーチバレーパラダイスだって、そんな妖精の国の一つだもの。

 私は無言で枕を抱えた。もうさっきまでの高揚は体のどこにもない。ウィッチガールの人生、どこまでも悪い妖精がついてまわるみたい。そうやって笑い飛ばせる元気すらない。

 元ウィッチガールでも、戦略魔法少女なんて呼ばれる物々しい存在だったとしても、私は99.9パーセントは人間らしいもの。悲しいことには落ち込んじゃうのだ。

 泣いてしまいそうになるのを私はぐっとこらえる。泣いたり喚いたりするなってお客様から指示されていたもの。──意地悪なこの方のことだから実を言うと私を泣かせてみたかったのかもしれない。それなら一層、泣くのなんて癪だ。

 悔しくて憎らしくて、枕に顔を埋めたまま、生意気な口を叩いてやる。


「おじさまって好きな子には意地悪をしちゃう男の子だったんでしょう?」

「いや、好きな子には声もかけられない陰気なガキだったよ」


 なんだか楽し気にな声だ。強がってみせたのがお気に召したみたい。偏屈な方だ。泣いた方が嫌がらせになったのかしら。ううん、きっとそんなことはない。

 お客様に背を向けて、一度深呼吸をする。そうすると悲しさや悔しさは少しの間抑え込める。皮肉や嫌味も少しなら口にする余裕も生まれる。


「私、異世界技術の粋なんかじゃなくて単なる大量生産品だったのね」

「そうでもないさ。この世界でのウィッチガール商戦の苛烈さを思い知った上に、君を不幸な事故で失ったショコラポイジー社は現在一時撤退中だ。この一帯に限定すれば、君は変わらず世界に一つだけの貴重なウィッチガールだよ」

「元よ、元ウィッチガール」


 意地悪に応じるために、私はそこを強調した。

 お客様はスーツを着込む。身につけているものの一つ一つは立派なのに、姿勢も悪くてヒョロヒョロだからどうしても風采が上がらない人に見えてしまう、そんな方。

 ふと、今日に限って珍しくこの方が私とごくありきたりな遊びに耽った意味を理解してしまう。そのまま出てゆこうとしたお客様へ、背中を向けたまま尋ねてみた。


「世界にたった一つの戦略魔法少女、その抱き心地はいかがでした?」

「他の小娘とそう変わらないよ。ショコラポイジー社とやらの生体加工技術はなかなかのものだ」

「その会社、きっと性産業でもシェア争いをしているんでしょうね」


 お客様はこの返答に満足したらしい。フン、と鼻で笑った気配があった。背中を向ける私の髪を一度だけ撫でて、そのまま部屋を出て行く。

 本も新聞もお忘れになったのか、お客様が今日くださったのは嫌な情報だけ。

 ──天国と地獄がやってきた、記憶と人格を失う前だったこんなに今日みたいに激しい一日はそうそうなかった筈。

 そうであってほしい。こんな日は一度だけでもう十分。

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