第25話 激昂
ドアのむこうでは、シスター・ラファエルがいらっしゃる。
尼僧姿で、デスクに両肘を突き、こちらをじっとお睨みに。その目から尋常ではない怒気が漏れ出ている。気をぬくと一瞬でくじけてしまいそう。私は彼女に対して清らかであるとは言えない身だもの。
でも、マリア・ガーネットはひるむことなく歩を進める。私はその少し後をついてゆく。
「――私があなたたちを呼んだ理由はわかっていますね」
「まあね。こっちもちゃんと説明しなきゃって頃だったし。ちょうどよかった」
デスクの上にはリボンでまとめられた手紙の束があった。それを見たマリア・ガーネットの顔色がさっと変わる。
「それルーシーあての手紙だよね? 悪趣味だよメラニー、他人宛の手紙を読むだなんて」
「急を要しましたから」
シスター・ラファエルは悪びれる様子もなくそう仰いながら、ため息を吐かれる。予期しない事態の連続に打ちひしがれたような、そんな仕草だ。
「これだけあっても書いてあることは、あの子への愛の囁きと私たちを気遣うことばかり――あなたのお兄様は相変わらずお優しいこと」
皮肉がまぶされた言葉に、マリア・ガーネットは反応しない。デスクに両肘をついて頭を支えるような姿勢をとりながら、シスター・ラファエルはお尋ねになる。
「私も知るべきだった情報はあなた宛の手紙にしか書かれていなかった、そしてあなたは自己判断でそれを堰き止めた。この私に秘密を作った。そういうことになりますね?」
「伝えなかったことは謝る。でも読ませてあげられない。もうこの世のどこにも存在しないから」
灰皿の上で燃やされた後ですものね――って、もちろん口にしたりはしない。
マリア・ガーネットがショーに出続けていた理由、それはいつかこの子が語った通り、お母様の遺した魔法の右腕とお父様の使い魔をできるだけ早くつかいこなせるようになりたかったのが一番大きい理由だったに違いない。でも、きっとそれだけじゃない。なぜならショーのリングはこの町の外にあるどこかにある。ショーに出場する機会は、神父様の許可つきでこの町の外に出る貴重な機会なのだから。
異世界からやってくる悪魔や悪い妖精達を追い返す騎士たちだなんて高潔な組織の振りをしていても、カテドラルなんて結局、悪い妖精に支配された小さな町一つ取り戻すことを何年も何年も躊躇うような団体だもの。表向き反目しあっているように見せかけながら情報を共有しあうなんて訳はない、二枚舌の上手な方々も多いに違いない。現にその仲介をはたしたのはマリア・ガーネットで、そのせいで彼女は言いがかりをつけられた。
どう考えたってリスクが大きい、そして自分の住んでいた町を徹底的に破壊しつくした神父様たちに与するような役目を、あの子はこれまで負ってきた。町の外に出られるチャンスを不意にしたくない一心で、あの子は従順になったように見せかけていた。
いい子を演じて信用を買って、うんと辛抱強くなれば、神父様の目を盗んだ手紙のやり取りを行う機会だって作れる。用心深く振舞えば、お兄様と連絡だってとれるようになる。何年もかければ、神父様たちに知らせるわけにはいかない情報を記したお手紙だって交わせるようになる。
大事な手紙はガレージで読まれ、灰皿の上で燃やされる。あの子がショーから帰ってきた日のガレージには煙の匂いが立ち込めていたのはそういうわけ。
――それにしても教会の敷地内で起きていることは全て把握していると思っていたシスター・ラファエルなのに、こんな素朴な手紙のやりとりを見落としていたなんて。
それだけマリア・ガーネットを信じていたということだったのかしら。
肘をついて頭を支えるシスター・ラファエルは、時折私にみせる黒い羊のぬいぐるみ姿くらい小さくおなり遊ばされたように見える。まるで、信じていた子供に裏切られていたと知らされてすぐの母親みたいに。
「マルガリタ・アメジスト。あなたは知っていたんじゃありませんか? この子の兄が帰ってくると」
もちろん知っていた。ミスターがこの町から出て行く前に、マリア・ガーネット本人から教えてもらっていたんだもの。
重大な情報を、シスター・ラファエルに報告しなかった理由はたった一つ。花壇の前でマリア・ガーネットが「内緒にしてほしい」という顔をしていたから。それで私はなんのかんのと理由をつけてはぐらかしていた。
目を伏せることで答えた私を、シスター・ラファエルはねめつけになる。知っていたなら何故報告しない、お前の仕事はそれだろう、刺すような視線でそう仰る。だから私はしらを切る。
「確かにお伝えいたしませんでした。なぜって、貴方ほどの方ならとうにご存知だと思い込んでしまったんですもの。雑貨屋のミスターですら知っていたような情報だったんですから、私が伝えるまでも無いと早合点したんです。申し訳ございません」
シスター・ラファエルは私の顔を忌々しそうに睨んだあとに呟く。
「……雑貨屋が町を去った時になんとしてでもあなた達を問いただすべきでした」
シスター・ラファエルのことだから、ミスターが町を去った時点でマリア・ガーネットが何かを企んでいることはきっとお察しだった筈だ。でもその理由を問い正そうにも、マリア・ガーネットは神父様の広報活動に振り回されてつかまえられずにいた。
あの子が心底軽蔑している神父様と行動をともにしていたのは、シスラー・ラファエルから距離をとりたかったのもあったのだろう。そして諜報係を期待されていた私は、水を向けられてものらくらとはぐらかしていた。
シスター・ラファエルは手のひらで顔を覆う。
「……ねえ、ジョージナ。どうして私に教えてくれなかったの? マイクが帰ってくることを。私たちがここで生き延びるには情報の共有が不可欠でしょう? なのに、どうして」
「生き延びる為になら言ったよ? でも今はもうその段階じゃない。メラニーは今、あたしをここの女王にすることで頭がいっぱいじゃない。だから黙ってた。言ったら絶対妨害したでしょ? 場合によってはこの町にいる支社の連中に声をかけてでも」
マリア・ガーネットはシスター・ラファエルから目をそらす。母親代わりだった妖精の悄然とした姿なんて、見たくなかったのかもしれない。
お互いに黙りこくったあと、ぽつんとこの子は言い切った。
「メラニー、しばらく考えていたんだけどあたしやっぱりここの女王になんてなりたくない」
視線を合わそうとしない二人を、私は見ている。
院長室は静まり返る。二人の息遣いと身じろぎするときの衣擦れだけが聞こえる。
「母さんの夢を叶えたいっていうメラニーの気持ちはあたしなりに理解してるつもりだし、今まであたしたちの為にしたくもない仕事を受け持ってくれたことも感謝してる。でも、やっぱり無理。あたしはこんなところの、あいつらの、女王になんてならない」
視線をそらしていたマリア・ガーネットの声が次第に震えだす。
耐えられない、と言いたげに。
「ここはもう、どうにもならないよ。気づいてた、メラニー? 昨日の真夜中、マルガリタ・アメジストを外に連れ出したんだって。教会の十字架の上に立っていたっていたっていうのに、よその支社が殴り込みをかけてるのに、みんな全然気づきも騒ぎもしていなかったんだから。終わってるよ、あいつら」
マリア・ガーネットの声には自嘲が滲む。私があのピンク色の子に襲われていたことに気づかなかったのが許せなかったみたい。
反対にシスター・ラファエルは私を御覧なさる。その目つきで私はぴんときた。彼女は私がピンク色のウィッチガールに外へ連れ出されたことに気づいて見逃されたのだ。あの時、シスター・ラファエルは神父様のお住まいで長いお話中だった。神父様たちが異変に気付かないよう、骨を折ってくださったのかもしれない。
でも、この方は私相手にはそうお優しくはない。それよりも、私が魔法の力をとりもどす荒療治のために敢えて放っておかれたって考えた方が腑に落ちる。だって私はユスティナの力を再び解き放つ寸前までこぎつけていたんだもの、シスター・ラファエルのご希望通り。
マリア・ガーネットも似たような結論にたどり着いたらしい。シスター・ラファエルの表情を前に顔色を変える。答え合わせが済んでさっぱりしたような心地でいる私とは反対に、憤りをその顔に浮かべる。
「……メラニー、全部分かっててマルガリタ・アメジストを危険に晒したの?」
「あんな三下ウィッチガールすら一人で対処できないなら、この娘はあんたの右腕として力不足だったってことだよ」
黒い羊の姿を顕したシスター・ラファエルを前に、マリア・ガーネットは眦をつりあげた。感情的に拳でデスクをたたく。
「そういうのは汚いよ、メラニー!」
「あんたがそれを言うのかい? 兄貴が連中をつれて帰ってくることを伏せていたあんたが!」
シスター・ラファエルは声をはりあげ、そのあと再び俯かれる。そこから絞り出される言葉はあまりにも苦し気で、聞いていている私の胸を少し痛ませる。
「――ジョージナ、あんたあの時言ったじゃないか。『あたしはいつかこの町を取り戻す』って? なのにあんたが今やろうとしていることはなんだい? 派手な自殺じゃないか」
「違うよ! 断じてそうじゃない。メラニーだって本当はわかってる癖に!」
マリア・ガーネットは声を張る。そうして、うなだれてばかりのシスター・ラファエルに迫る。
「あたしが取り戻したかった町は、七年前のあの町だ。もう地上のどこにもないあの町なんだ。ここじゃないんだってば!」
声を荒げてマリア・ガーネットはシスター・ラファエルに顔を近づける。赤い瞳に怒と悲しさと悔しさが滲んでいる。デスクに叩きつけられた両腕が細かに震えている。
「ここはもうおしまいだよ、メラニー。ここに拘った所であの町は二度と戻らないんだから。どんなに頑張っても元通りになるどころか、悪い妖精ばかり増えてどうしようもなくなるばっかりだ。こんな分かり切ったことに気が付くまで、七年もかかったんだよ? 馬鹿みたいじゃない。──ねえ、せっかく兄さんが帰ってくるんだよ? やっとチャンスがきたんだ。これを活かさなきゃ、あたしたちは死ぬまでここに縛られる。この世で一番嫌いな連中と、もうこれ以上馴れ合って生きていくなんて嫌なんだ、あたしは」
マリア・ガーネットは左手で髪をかき回す。私のいる場所からだと、涙をぬぐうのをごまかしている風にも見える。声は冗談めかすよう笑い飛ばそうとしているけれど。
「メラニーはしょっちゅう言っていたじゃない。母さんや父さんとあいつらの話はドルチェティンカーの建国神話にぴったりだって。それに倣うならこの前あたしに起きたことも神話向きだよ。滅亡する方の神話だけど」
マリア・ガーネットの声に捨て鉢な調子が滲む。いつになく声が荒んでいる。
「あたしもホームの一員なんだから、ただでやられはしない。お代はちゃんといただかないと。恥と引き換えに反撃の口実を手に入れたんだ。洪水を起こしたり硫黄や火の雨を降らすのは無理だとしても、徹底的に叩きつぶさないと気が済まない」
怒りに満ちているのに冷え冷えとした声だ。私が初めて聞くあの子の声。普段バイブルの文句を唱えることでコントロールしている、七年前から積もり積もった怨嗟の声。
気が付くと私はあの子の背中にくっついて、右肩に、金属も右腕と肉体のつなぎ目に、手を当てていた。
ぴりぴりひりひりした怨嗟を逃してあげなければ、咄嗟にそう思ったら体が勝手に動いていたのだ。
マリア・ガーネットは、こちらを見ずに身じろぎをする。私の手をはらいのけようとする仕草だ。触れるな、と背中で彼女は語っている。
かたかたと右腕が小刻みに震えている。この子の怒りに使い魔のアスカロンが反応しているのだろう。
「道理はこっちにあるんだよ、メラニー? あたし達にはこの町をおしまいにできるっていう大きな道理が。なのにどうしてこんな町にこだわるの? 終わらせた方がいいんだよ。終わらせようよ、ねえ、メラニー!」
マリア・ガーネットの声は震えている。今まで抑えに抑えた怒りに飲み込まれそうな声。
この子が今、怒りに飲まれるのももっともだ。むしろ今までよく怒りと恨みに飲まれずにやっていけたのが不思議な生き方を強いられてきた子なんだから。怒りで固く強張り緊張する背中から私は手のひらを遠ざける。
マリア・ガーネットの右手の爪がデスクの表面をガリガリと引っ掻き傷をつける。爪跡は深く刻み込まれる。
七年もの間、この子がためにためた怒りの片鱗を私は見つめる。
「……マルガリタ・アメジスト」
俯くシスター・ラファエルが私の名前をお呼びになった。私は体を緊張させた。
「いつもの減らず口で、今あたしの目の前にいる反抗期の我儘娘に正しい道理ってヤツを説いてやりな。外の世界じゃ死んだことになっている上にタチの悪い研究機関が鵜の目鷹の目で狙っている、唯一無二の右腕を抱えているあんたが平穏に暮らせる場所はここしかないって。ここの汚辱が嫌いなら、あんたが女王になってクリーンにやってけばいいってだけの話だって!」
デスクに手をついた状態で、マリア・ガーネットは私を見る。瞳孔のすぼまった赤い瞳は肉食獣を思わせた。反対にシスター・ラファエルは私を御覧にならないまま、悲鳴じみた声をお上げになる。
「支社の奴らにされたことが許せないなら、女王になって後に気が済むまで大粛清でもなんでもすりゃあいいって言ってるんだよ! ──マルガリタ・アメジスト、あんたならわかるだろ? ヤケをおこしてカテドラルなんざ招き入れてこの辺一帯火の海にしちまうより、その方がずっと賢いって! 勝手なことして勝手にひどい目に遭って自暴自棄になっている可哀そうな友達をいさめて冷静にさせるのもあんたの仕事だ。そら!」
私のことをけしかける声が、きんきんと耳に刺さった。
マリア・ガーネットは瞬きをする。肉食獣のようだった瞳から漲った力がすこし抜けたけど、それでもまだどこか捨て鉢だった。確かにマリア・ガーネットは自暴自棄になっている。神様が好きなあの子らしくないその目に、胸の中が荒れ狂う。
マリア・ガーネットとシスター・ラファエル、私はどちらの味方なのか。どちらの意向を優先するべきか。そんなの考えるまでもない。
根性が腐ってるだとか助平だとか言いたい放題いう癖に、ここぞという時は何かと頼ってくる。体に触れることを許すくらい打ち解けたように見せかけて、やっぱり自分の引いた線の内側には立ち入らせず、何もかも結局一人で決めてしまう。
強くて可愛くてずるいマリア・ガーネット、私はこの子の味方なんだもの。もう一つの右腕なんだもの。
この子が女王になりたくないというなら、それを叶えるために全力を出すだけだ。
大体私が一番この子はこの町にふさわしくないって思っているんだから。お日様と青い空と洗濯したばかりの白いシーツと、ちょっとしたおしゃべりや何か、優しく暖かく快いものであふれるところに居なきゃいけないんだから、マリア・ガーネットは。
捨て鉢な態度だってふさわしく無い。マリア・ガーネットは神様を信じる子なんだから。神様に見捨てられたこんな町で神様を信じると言い切ったこの子が、私は好きなのだから。
一呼吸吐いてから、マリア・ガーネットの背中に手をそえる。今度は払いのけられることはない。だから、怒りで強張ったあの子の背中に手のひらをもっとぴったりくっつける。
しばらくそのままにしてあの子の体に漲る怨嗟が逃げることを願う。それから手を離した。慇懃さを崩さない様にしてシスター・ラファエルに向き合う。
「シスター・ラファエル、私の気持ちは以前申し上げた時から変わっていません。私はマリア・ガーネットが幸福になりさえすれば、あとできれば私にもうちょっと心を開いてくれさえすれば、それで十分なのですから。この町の女王になりたくないとマリア・ガーネットが言うなら私もそれを支持するまでです。――というよりも」
分かれ、理解しろ、この石頭。
ここは、少なくとも悪い妖精たちが仕切っているこのピーチバレーパラダイスは、この子にふさわしい町ではないんだ。
出せる限りの力を、私の青い瞳にこめて私はシスター・ラファエルを正面から睨んだ。
「私もマリア・ガーネットがここの女王になるのは反対します。ここには神様がいませんから」
「神様ァ?」
黒い羊姿のシスター・ラファエルのお声が裏返る。そのあと喉をのけぞらせてケラケラとお笑いになる。乾いた虚しい笑い声だ。
「笑わすんじゃないよ、このあばずれ娘。こんなところに神様なんぞハナっからいやしないことなんざ、あんたが一番わかってるだろうが。それなのに何が神様だ」
「ええ、神様を信じるようにできていない私でも、この町が神様から見放されている町であることはわかります。でもマリア・ガーネットには神様がいます。マリア・ガーネットは彼女の信じる神様とともにあらねばなりません。神様も見捨てたこんな町の女王に据えるだなんて、とんでもない!」
筋なんて通っていない、理屈も何もあったもんじゃない、むちゃくちゃな理屈だ。神様のことが何一つ分からない私が、神様を盾に説き伏せようとしているんだもの。でも私は声を張り上げる。馬鹿でも愚かでも、黙ってなんかいられない。
それに私は捨て鉢なマリア・ガーネットにも。今まで起きたことに対してはもっと怒ってもいい。むしろ怒るべきだって。でも、あなたには私が信じることができない神様がついてるんだって。それを思い出して欲しかった。
不意にマリア・ガーネットがデスクから手を離し、私を庇うようにして跳びすさる。その直後、小さなぬいぐるみ状だったシスター・ラファエルの黒い体が膨れ上がる。
黒くて厚い毛に覆われた、数メートルはありそうな大きな羊の体。マホガニー材の重いデスクを前肢で蹴倒し、頭を下げて威嚇する。
これがシスター・ラファエルの本当のお姿だったのか。
殺気と闘気をみなぎらせた黒い小さな山のような姿は恐ろしかったけれど、ここで怯むわけにはいかない。
「あなたのご意見がどうであれ、私は認めません。あの子がこの町の女王になるだなんて嫌です。反対です。マリア・ガーネットは神様とともにあるべき女の子ですから」
「神様神様って、いい加減にしな! 天国にでも移住しようってのかい!」
黒い大羊になったシスター・ラファエルは、前脚でデスクを踏みつぶす。年代物の立派なデスクはすぐにただの木片になってしまう。
後ろ足で立ち上がり両の前肢を私に向けて振り上げる。さすがに瞬きなしで凝視し続けるのはむずかしくて目を閉じてしまう。あれで蹴られ踏まれるのは痛いでは済まなさそう。
来るはずの衝撃と痛みに備えて目をつむり、体をこわばらせていたけれど、予測していたものは来なかった。
ゆっくり目を開けると、私の目の前にマリア・ガーネットが立っている。右腕から生じさせた赤い魔力のシールドでシスター・ラファエルの両前肢から守ってくれている。
背後に回した私を見つめて、にっと笑いかけてくれた。
その姿からさっきまでの捨て鉢な様子が消えている。それにわけもなく安堵して、あの子の背中にぴったりくっついた。
神様なんて信じられないくせに身勝手極まりないけれど、私はマリア・ガーネットには神様を信じていて欲しい。捨て鉢になっては嫌なのだ。
この世に無条件の幸福に包まれた世界があることを知っている、そういう子であり続けて欲しいのだ。
「天国か。悪かないけどそんな遠くへいかなくてもきっとほかにもっといい場所があるよ。多分、もっと近くに」
右腕を大きく振って、シスター・ラファエルの両前脚をのせた魔力のシールドを薙ぎ払う。
倒れることなく前肢を床につかせたシスター・ラファエルは後ろへ下がり、私たち、というよりもマリア・ガーネットの背後に隠れた私を睨まれた。癇性に前肢で床を何度も蹴り上げなさる。
「――全く、ようやっとまともに使える娘が来たと思ったのにこれだよ! 神様だなんだ甘っちょろい話に流れやがって、これだから小娘は!」
気が収まらなさそうなシスター・ラファエルにマリア・ガーネットが歩み寄り、その太い首に腕を回した。黒くて見た目がかなりゴワゴワしている羊毛に腕を埋めて、ぎゅっと抱きしめる。
右腕でシスター・ラファエルの背筋を撫でるマリア・ガーネットは、落ち着いて、と何度も繰り返す。撫でられるうちにシスター・ラファエルの気もお済になったのか、いきり立った様子も収まり、前脚で床を踏みつけるような仕草もやめられた。
「……落ち着いてよ、メラニー。あたしは別にヤケになってるわけじゃないから。兄さんが帰ってくるってわかってから、ずっと決めていたことだから。メラニーだって本当は、いつまでもあいつらと一緒に手を組み続けるの嫌でしょ?」
「――」
「ドルチェティンカーはどこでだって再興できるよ。むしろここじゃない方がいいじゃん。母さんだってあいつらと手を切った方が絶対喜ぶよ」
小山のようだったシスター・ラファエルの体が縮み、普段の尼僧姿に戻る。
さっきまでの姿が大きすぎたせいか、人間の姿にお戻りになったシスター・ラファエルはさっきより小さく見える。本当は戦士のような堂々とした体躯をお持ちなのに。
「……あなたたちは簡単にそう言うけれど……、だったらどこでどうやって生きていこうというの?」
シスター・ラファエルの心配はごもっともだ。親友の幸福を優先させたことによって生まれた惨事に、ずっと胸を痛めていらっしゃった方だもの。
この方もお辛いのだ。救われなければならないのだ。
柄にもなく神様について語ってしまったからなのか、思い上がった考えが浮かぶ。神様なんて信じられないくせに、救われなければだなんて。
自嘲したいけれど後回しにして、ポケットからブレスレットを取り出す。私が修理したピンク色のウィッチガールの道具で、ドルチェティンカーのビンテージ。
それをご覧になったシスター・ラファエルの目が見開かれる。親友が作った道具だと即座に見抜かれたのだろう。
「これはハニードリームのウィッチガールが持っていたステッキです。一度バラバラに壊したうえで修理を試みました。私、ドルチェティンカー製品の修理ができるようになったんですよ、あなたの編み物教室のお陰で」
シスター・ラファエルはそれを私の手から取り上げると、目の前にかざす。厳しい職人の目でご覧になる。私は邪魔にならないよう心がけながらお伝えした。
「ショーの当日に脱出できるよう、私のお客様にご協力をお願いしました。あの方はあんな方ですけれど、報酬さえ払えばきちんとお仕事はしてくださいます。その点においてはご安心なさってください」
「報酬?」
「私の≪賢者の石≫です。それが手に入るまでは気長にまつと仰ってくださっています」
私たちを逃す為に、マリア・ガーネットが腕の中身を見せたことは明かさない。この子の閃きで進めた計画であることは伏せて、私が主導の計画であるように匂わせる。今のシスター・ラファエルには、これ以上マリア・ガーネットの背信を受け入れる余裕があるようには見えなかったから。
「……ねえシスター・ラファエル、私たちと一緒に封鎖区域の外に出ましょう? そこでドルチェティンカーの再興を目指しましょう? 私もこうしてドルチェティンカーの魔法が少しずつ身についてきたんですから、少しくらいはお役に立てます」
シスター・ラファエルはすぐには何も仰らず、私にブレスレットを突き返された。
「これじゃまだまだだよ。もう少し編み物の練習が必要だ」
「精進いたします」
ブレスレットを受け取りながら、私は心の中で少し泣いた。またあの編み物の日々が続くことにうんざりしたこともあるけれど、ついにシスター・ラファエルの前でドルチェティンカーの魔法を受け継ぐと宣言した形になったから。
こうなった以上、私はみんなと一緒に安全圏へ逃れなければならない。ショーに出るマリア・ガーネットとはお別れだ。お別れがしばらくですむのか、それとも永遠のお別れになるのかはまだ分からない。
マリア・ガーネットは毛色の変わったウィッチガールだけど、カテドラルの騎士の親族でもある。助かる確率は私たちが生き延びられるそれよりは高い。でも、帰ってきたお兄様と一緒に過ごすことになり、私たちとは二度と会えない可能性はうんと高い。
ドルチェティンカーの魔法の命脈は保たれても血統はここで絶たれる、その可能性だってうんと高い。シスター・ラファエルもきっとそれはお気づきだ。
だからこそなのだろう、シスター・ラファエルはマリア・ガーネットを抱きしめる。幼い子供をそうするように、めいいっぱい顔を両手で挟んで顔を覗き込まれる。両の目から涙が溢れてこぼれ落ちる。
「あんたは本当に、無鉄砲な所がベルに似て……っ」
「あと瞳の色と笑った顔と声も似てるんでしょ。目つきと魔法の質が父さん似。もう覚えたから」
「その口が減らない所もベルそっくりだよ……っ」
記憶にとどめようとするようにシスター・ラファエルはマリア・ガーネットの顔をまじまじとご覧になってはさめざめと涙をお流しに。
私も涙を流したい所だったけれど、その機会はお譲りする。なんといってもシスター・ラファエルは長らくマリア・ガーネットの母親がわりをお勤めだったのだから。
ほら見て、私はこんなに利他的なのよ。だから、断じて根性が腐ってなんかないの。
マリア・ガーネットの背中にむけて語りかけて、泣きたくなるのを堪える。
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