第24話 試練

「後継者ができて、シスター・ラファエルもさぞお喜びだろう」


 昨晩、ピンク色の子のステッキを修理し終えたばかりの私を眺めた後、お客様は面白そうにそう仰った。

 シスター・ラファエルとドルチェティンカーの関係は既に押さえている、そんな意味合いもそこには含まれている。この町の事情に鼻をきかせていた方だもの、どうにご存知だったんでしょう(そういうことを見せつけずにはいられないのが、このお客様の可愛らしいところだ)。

 確かに私は、シスター・ラファエルによってドルチェティンカー製品を支える魔法の仕組み理解できるようになった。だからといって彼女の後継者になるか気持ちなんてない。それとこれとは別の話だ。

 そもそもマリア・ガーネット自身が、ドルチェティンカーの女王として即位することにあまり積極的じゃないんだから、シスター・ラファエルの跡をついだって意味がない。ピンク色の子の前では、さも自分がドルチェティンカーの代表であるかのような口をきいたけれど、あれはただの勢いとなりゆきだもの。 

 ──なんてことは、敢えて口にはすることなく黙っていた。

 でもお客様は私から何か言葉を引き出したかったみたい。私が口を開かずにはいられないように仕向けになる。


「君の腹心の友から頼まれたことがある。それについて訊いても構わないか?」

「頼まれた? マリア・ガーネットから?」


 それを耳にした途端、私の胸がざわついた。

 お客様の本当のお仕事は、ウィッチガールの生体情報や異世界魔法文明の粋である道具の情報を集めることだ。魔法の技術を受け入れ始めたばかりのこの世界では、まだ再現できないマリア・ガーネットの右腕に関する情報。それはきっと、ウィッチガールの墓荒しにまで手を出していたお客様が一番欲しかったものの筈だ。

 やっぱり、まさか、という思いからお客様のシャツの袖をつかんでしまう。

 

「おじさまのことだから、女の子のお願い一つかなえるのもタダではなかったんでしょう? あの子から何を受け取ったの? ねえっ」


 想定外だ、といつも冷たそうな意地悪な目がそう語っているように見えた。 

 でもお客様は何も言わず、ペンと手帳を取り出す。手帳を開くと、さらさらとそこに何かを描きつける。しばらくたってからそのページを破って私に手渡した。

 描かれていたのは、外殻を外したあの子の右腕のスケッチだった。異世界の魔法文字が刻まれた人工骨が、正しく簡潔に描かれている。アスカロンの収まった箇所まで。


「今回は見せるだけ。それ以上のことについてはことが成功すれば、だそうだ。──断っておくがこれは彼女から持ち掛けられた話だ」


 私の手からくしゃくしゃに丸めた紙を奪い、銀色のライターで火を点けてから灰がら入れの中に落とし込む。お客様にもお客様の車にもタバコの匂いはしないのにどうしてライターや灰がら入れなんて必要なのかしら。

 あの子と同じ理由かしら。

 そんなことをふと考えてしまう。


「……マリア・ガーネットは何をお願いしたの?」

「ショーの当日早朝、君を含むホームの少女たちおよびシスターを封鎖区域の外に避難させたいからその手伝いをしろ、だそうだ。準備期間の短さを考えると妥当以上の報酬ではないかな? 相場を考えるとこちらから右手の小指一本請求したってかまわないくらいだ」


 ふーっとお客様はため息を吐かれた。私がマリア・ガーネットの計画を知らなかったのが予想外だったみたい。


「──忠臣殿を傷つけるつもりはなかったんだが。それにしても、女王陛下の独断専行だったとはね」

 

 お客様は意地悪をちくちく挟むのがお好きな方だから、嫌味の一つや二つはいつものこと。でも今回、私をからかって面白がる様子がみられない。よっぽど私が強張った顔をしていたからだろう。


「愁嘆場は勘弁してくれ」


 うつむいて唇を噛む私の隣で、突き放したような声で仰った。


「彼女なりの親切だろう。カテドラルが来たら君たちの命なんて無いも同然だ。特に君はそうだ、元ユスティナアルケミー。君が単なる無邪気なウィッチガールではなかったことを連中は当然把握しているよ。他の少女たちは万一助かっても、君だけは絶対助からない。ここの妖精たちを処分したあとに君も同じような目に遭うよ。この世界に髪の毛一本残すことを許しはしないはずだ」


 甘ったれた女の子が虫唾が走るくらい嫌いなくせに、さっきに比べてやや柔らかい声を出すお客様にちょっと驚いてしまう。しかもマリア・ガーネットを気遣い私の身を案じていらっしゃる。

 この方、そういう些細な気遣いができる方だったのね──なんて考えると、張り裂けそうだった胸が少し落ち着いた。


「……私が処分されてもお客様も困らないんじゃなくて? 私の生体データならもう既に入手済みでしょ、お金儲けにはそれで十分じゃないかしら?」

「私が本当に欲しいのはね、君の≪賢者の石≫だよ」

「そのためには私の奇麗な死体が必要ということね」

「それが手に入るまでは、気長に待つし力も貸すさ」


 お客様は要するに、マリア・ガーネットの計画に協力するべきだと仰りたいのだ。私の身を安全圏へ移すことになるから。

 カテドラルが来ることを知らされていないホームの子たちを移動させるにも、私の協力があった方がやりやすいとお考えの筈。なにせショーの日はもう目前だもの、無駄な混乱は遠慮なさりたい筈。

 欲得ずくであるとはいえ、お客様ですら私の身を案じてくださっている。

 マリア・ガーネットなら尚のことだ。今まで秘めていた右腕を最も警戒していた相手にみせたのだって、私たちを逃がすためだ。

 ──ここは、うんと自惚れ屋になってしまおう。私たちじゃない。ためだ。

 お兄様が帰ってきた時、万に一つも助からないのは私だけ。あの子はこのことを知っていたから。

 考えればちゃんと理屈は通る。あの子の優しさだってしっかり伝わる計画だ。

 でも感情の針が悲しみの方へ傾いてゆくのを止められない。一人でそんな勝手な計画たてて、バカねって詰りたくなるのも抑えられない。

 本当にムードを解さない女の子なんだから、マリア・ガーネットったら。

 



「──ごめん。あんたに黙って話を進めて」


 全ての洗濯物を取り込み終わったマリア・ガーネットは、憤る私をみて謝った。


「兄さんが帰ってきた後、ホームのみんなの安全だけは保障する方向で話を進めていたんだけど。でも状況から判断する限り何か策を打った方が安心できる気がしてさ」


 状況ってつまり私の身柄のことだろう。でも、自惚れ屋からひとたび冷静に戻ると他の事だって見えてくる。マリア・ガーネットが心配しているのは私の身柄だけではない。元々カテドラルはウィッチガールには優しくない人たちだもの。いくらスクラップ状態だったとしても一度悪い妖精の国と関わりを持ったような子たちをそのまま見逃してくれるとは限らない。


「だからドクターに診察されてる時に、思い付きで話を持ち掛けてみたってわけ。計画なんて大層なもんじゃない、ただの閃きだよ。だから前金をかなりふっかけられたけどね」

 

 急な仕事の報酬に小指を一本欲しいだなんて皮肉られていたことを知らないこの子は、冗談めかして笑ってみせた。


「──あたしね、もうホームの子たちが酷い目に遭うのをみたくないんだ。今のホームの子たちとはあんた以外あんまり仲良くはしてこなかったけど、亡骸も残らないお別れっていうのは一生に一度経験すれば十分だし」

「――」

「あんたは根性腐っててずるくて生き汚いから、ホームの子やメラニーを任せられるって判断した。みんな死なずに元気に生き延びられるって。で、さっきの話を聞いて確信したよ。あんたがいたら絶対大丈夫だって」


 ついに「根性腐ってる」に「ずるい」と「生き汚い」までプラスされてしまっている。そのどれもが人を、特に天使やお人形みたいな女の子を誉める時に用いる言葉じゃないと思うんだけど。

 でも、マリア・ガーネットが私を信頼してくれているというのは嫌でもわかる。私の目をみてまっすぐに告げるから。

 

「一人で勝手に決めたことだから、あんたが怒るのはわかる。でも、頼まれてほしい」

 

 ずるい。

 私なんかよりマリア・ガーネットの方が数倍ずるい。

 私はマリア・ガーネットの右腕なんだから、本当はこの子と一緒にいたいのに。私の体を粉々にするだけでは飽き足らないだろうカテドラルは怖いけど、でもできるだけこの子と一緒にいたい。だってお兄様が帰ってきた後、マリア・ガーネット自身はどうなるの? カテドラルの下で今までと同じように生活は出来ない筈だし、このまま一生二度と会えなくなる可能性が高い。

 本当のことを言えば、私はこの子の二人だけでここから逃げだしたって全然構わない。

 ジャンヌ・トパーズやカタリナ・ターコイズが助かる為にはちょっとは頑張ってあげてもいいけれど、ホームの子たちよりマリア・ガーネットの方が正直うんと大事だもの。ドルチェティンカーのことだってマリア・ガーネットがどうでもいいというなら放っておける。シスター・ラファエルの悲願に私がつきあう義理はないわけだもの。

 でも、ずるいじゃない。

 あんたがいたら絶対大丈夫、とか、頼まれてほしい、とか、そういうことを真顔で言われたらその希望に沿いたくなるじゃない。二度と会えなくなってしまうのなんて嫌だなんて我儘、後回しにしたくなるじゃない。

 それに私は、知っているもの。マリア・ガーネットは自分へ陰口叩いていたような女の子たちもみんな助けたいと願う子だって。その為には、隠さねばならない大切な宝物を悪い大人に見せてあげられるような子で、私たちだけ逃げだそうって誘っても絶対首を縦に振らない子だって。誰よりもよく知っている。


 神様とともにあるマリア・ガーネット、私はそんなあの子のもう一つの右腕なんだから。


 胸が光をこぼすので、私はそれを隠す。本当に困った体だ。悲しいのか嬉しいのかよくわからないのに自然にこうなってしまう。

 だから私が返事をする前に、マリア・ガーネットが胸の光を了承の意だと受け取ってしまう。そっと抱きしめて、耳元でささやく。


「……ありがとう、マルガリタ・アメジスト」

「何度もいうけれど、『根性腐ってる』っていうのは誉め言葉じゃないのよ? マリア・ガーネット。私の中に何か美質があるなら別の言葉で褒めてちょうだい」


 せめてそれだけは念をおす。



 奇麗に乾いて畳まれた衣類やリネンでいっぱいの洗濯籠を、マリア・ガーネットは抱えて歩く。そしてそのままホームへ向かう。私はその後に続いた。


「私のこと、知ってたの? 誰から聞いたの?」

「メラニーだよ。他にいないじゃん。あの人、あんたにも私のことあれこれ教えたりしてたでしょ。それと一緒。──マルガリタ・アメジストはいずれ魔法の力を取り戻す、そうしたら怖い者なんてないから二人で協力してこの町の女王になってドルチェティンカーを再興しろってさ」


 うんざりだよ、とマリア・ガーネットは呟いた。

 彼女にしては珍しく、捨て鉢な響きの漂う声で。

 以前のマリア・ガーネットはいつも不機嫌そうな仏頂面だった。気に食わないことがあったらすぐに殴り飛ばす用意ができているような気迫がみなぎっていた(そこが素敵だったわけだけど)。

 私がガレージに勝手に出入りするようになってすぐの頃も愛想はなかったけれど、こんなに虚な声はださなった。

 私は不安を覚える。マリア・ガーネットは神様を信じている子なのに。あんなことがあっても神様はいるって言うような子なのに。

 心配だけど時間は待ってくれない。これから洗濯物を片付けたり、シーツを交換したり、うんざりするような仕事にかからなきゃ。両手が塞がっているマリア・ガーネットの代わりにホームの裏口のドアを開く。


「――」


 ドアの向こうに立っていたのは誰あろう、テレジア・オパールだった。いつものように、アグネス・ルビーとバルバラ・サファイアの二人を連れている。

 彼女は未だに新しい髪型を決めかねている。ここ数日は髪色を元々の黒にもどし、カールもかけずにまっすぐ背中に垂らしていた。まっすぐに切りそろえた前髪が、彼女を前より大人びて見せていた。三つ編みをわっかにしたこの前のヘアスタイルよりはマシになってる(これくらいは言ってあげてもいい)。

 腕を組んでふんぞり返って、私たち二人を尊大に見下ろす。私と身長がそう変わらないくらい小柄だから背中をうんとそらさなきゃならないのに馬鹿みたい。髪形がまともだから、女王様じみた態度もをれなりに板についてはいるんだけど。

 テレジア・オパールを前に、マリア・ガーネットはちょっと動揺している。負い目があるから気まずくなるのは分かるんだけど、こんなことで普段の自分にもどらなくてもいいのに。

 テレジア・オパールは、偉そうに私たちを見下ろすまま、むっつり口をつぐんでいる。マリア・ガーネットは気まずさからかける言葉が見つけられないでいる。こんなことで時間を無駄遣いしたくない。仕方がないので私から折れてあげることにした。


「なあに、テレジア・オパール? そんな所に立たれちゃ邪魔だわ。退いてちょうだい」

「──シスター・ラファエルがあんたたちをお呼びよ」

「あらそう。ご丁寧に」

 

 どうやらわざわざ呼び出しに来てくれただけらしい。それだけで何をこんなにふんぞりかえる必要があるのかしら。

 私の視線に込めた意味なんて、テレジア・オパールは気づかない。彼女はマリア・ガーネットばかり見てるもの。それも、「あんたのことなんかもう気にかけていませんけど!」と言わんばかりな目つきで蛇みたいに威圧している。

 自分の心を弄んだ女の子がずっと気まずそうにしているので気が済んだのか、それとも興がそがれたのか、テレジア・オパールは不意にふんっと踵をかえす。黒髪がさっとたなびく。その拍子に、マリア・ガーネットの金縛りは解けたみたい。テレジア・オパールの背へ向けて呼びかけた。

 

「──っと、この前は本当にごめんね、テレジア・オパール!」

 

 サイドキック二人を連れた彼女は足を止めた。そしてくるりと振り向く。わずかな動作からあの子がこの言葉をすごく待ち望んでいたことがわからされた。だって隅々まで活き活きしてるんですもの。振り向いた表情もすごく自慢げだ。

 どうせ「私はなんとも思っていませんけど!」みたいな一言を口にして勝ち誇るつもりなんだろう──と、私は予測する。きっとその通りの偉そうで可愛くない一言を言い放とうと息を吸い込んでいるほんの一瞬、私のマリア・ガーネットを見逃さなかった。


「奇麗だね。その髪型、あんたによく似あってる」

「っ」

 

 タイミング、発声、微笑み、態度。全ての要素がぴったり決まった、ものの見事なカウンター。

 実際のショーでも、この子はよく右腕からのカウンターで無数のウィッチガール達を闘技場の床に沈めてきた。でもこんな局面でも応用可能だったなんて。

 無防備だったところに優しい言葉をかけられたせいで、テレジア・オパールは何を言いたかったのか忘れてしまったみたい。頬が真っ赤になって目が泳ぎだす。全く他愛ないったら。


「わわわっ私がどんな髪形をしようとあなたに関係ないと思うのっ!」

「そう? でもあたしはあんたのその髪、素敵だと思うよ」


 分かりやすく狼狽えているテレジア・オパールとは反対に、落ち着いたマリア・ガーネットはそのまま視線を二人のサイドキックへ移した。女王様への攻撃に巻き込まれ、ぼーっと立ち尽くす二人に洗濯籠を差し出した。


「ごめんね、あとを任しても構わない?」

「か……かまわないけど、そんなこれぐらいのこと全然!」

「それよりも今度はみっともなショーしないでよねっ! ちゃんと勝ってよね!」


 上ずった声で舞い上がる二人に、ありがとう、と微笑みながらお礼を口にしつつ、マリア・ガーネットは洗濯籠を託す。その間も、テレジア・オパールの目はグルグル泳いでいた。――こんなに分かりやすい性分の癖に、どうして素直にならないのかしら?

 ──それよりもどうしてこの子は、こんな我儘放題で手に負えない女王様に対してはこんなにサービス精神旺盛なのかしら? 私の方がうんと素直なのに、素直じゃない彼女がサービスしてもらえるのっておかしくない?

 この子に対する気持ちを惜しまない私のことは根性腐ってる呼ばわりなのに、憎まれ口ばかり叩くテレジア・オパールにはサービスを惜しまないなんて納得いかない。人間関係を結ぶ感情のやりとりは神様の話と同じくらい不可解すぎる。 

 それじゃあ行くね、と三人に言い残して院長室へ向かうマリア・ガーネットの後ろを私は吐いて歩く。そしてこの子の背中をじっと見てやる。後ろの方でドタンと何かが倒れる音と二人分の悲鳴が聞こえたけれど、無視をした。どうせテレジア・オパールが倒れたんでしょう。

 後ろからみてもきゅっとしまったウエストが本当に綺麗だったけど、見ることよりも私は文句を優先した。階段を小声で言ってやる。


「……〝あんたのその髪素敵だと思う″ぅぅ?」

「この前の変な髪形よりは今の髪の方が似合ってたじゃない。実際まっすぐできれいな髪じゃん。前のブロンドよりいいよ」

「私の髪は褒めてくれたことないのに……っ?」


 先をゆくマリア・ガーネットはちらっと振り向いた。私の目をみてやっと、テレジア・オパールにはなにかと気を遣うことに対して不満を持っていることに気がついてくれたみたい。ふーっと息を吐きながら左手で髪をかきあげた。


「……あの子の機嫌をそこねると本っ当に大変だって、骨身にしみたんだってば」

「そうやって女の子の気持ちを弄ぶ所、素敵よ。それでこそ私たちの女王様」

「……また人聞きの悪いことを……」

「責めてないわよ。前にも言ったじゃない、テレジア・オパールの気持ちなんていくらでも弄べばいいのよ。私が言いたいのはどうしてあなたはいつもあの子にばかりサービスしていつも私は後回しにするのかってことよ。順番が違うじゃない」

「──後回しにはしてないと思うけど」


 私の一歩先を行くマリア・ガーネットは階段の踊り場に立ち止まった。そして今度はちゃんと振り向く。


「あたしあんたの髪をよく触ってるつもりだったけど」

「……まあ確かによく触ってるわね」


 私も足を止め、サイドの髪をつまんでくるくると指に巻きつけてみる。栗色、ちょっと癖はあるけど基本的にまっすぐな猫っ毛。絡まりやすいところが悩み。そんな髪に、マリア・ガーネットは確かによく触っている。よっぽど触り心地がいいのね。


「……でも褒めてくれたことはないじゃない」

「だから、触るっていうのはそういう…………もういい」

 

 再び階段を上りだすマリア・ガーネットは、その後の言葉を打ち切ってしまった。

 その先が聞きだしてやろうとした所、上から影がさした。階段の上、二階の廊下とつながる場所にシスター・ガブリエルお姿があった。──おしゃべりがようやく盛り上がってきたところだったのに。

 それにしてもどうして子の方がここにいらっしゃるのだろう。いつもなら夕飯のお支度で忙しい頃なのに。私が不思議に思っていることなんて知らず、シスター・ガブリエルは頼りなげにマリア・ガーネットを見つめる。濃い緑の瞳に縋るようなお気持ちが浮かんでいてまるで子供みたい。どっちが先生なのか分かりやしない。

 マリア・ガーネットはいつものように気安く、シスター・ガブリエルに尋ねた。


「ルーシーも呼び出されたの?」

「……ええ。その手紙のことが……どうしましょう、ジョージナ」


 ジョージナ、初めてシスター・ガブリエルがその名であの子のことを呼ばれた。私というがいるにも関わらず。

 うっかり口でもお滑り遊ばされたのかと思ったけれど、きっとそうじゃない。シスター・ガブリエルが私にむけた見た目つきは確かに私を疎んでいた。──ジョージナにだけ打ち明けたい話がしたいのに私がいるからできないわ、そんな目つきだ。

 頼りないとはいえ私たちを指導する立場の方が、そんな小学生の女の子みたい態度を見せるなんて。正直、いい気はしない。

 気分を損ねる私に気づいているのかどうかわからないけれど、マリア・ガーネットは左手で髪をくしゃくしゃさせた。


「いいよ。あたしがメラニーに話すから。もういい加減説明しなきゃいけないタイミングだったし。ルーシーは戻りなよ。夕飯作りの途中だったんじゃないの?」

「本当? ごめんなさいね、ジョージナ」


 ジョージナ、そしてルーシー。

 私がいるというのに、二人は私の知らない年月の濃さを匂わせる。

 階段を降りる前に、シスター・ガブリエルはマリア・ガーネットの肩をそっと抱いた。家族にするような自然な抱擁。その後でようやく、シスター・ガブリエルは私にやっと声をかける。


「マルガリタ・アメジスト、あなたはどうしてここに?」

「私もシスター・ラファエルに呼び出されました」

「あらそう? きっと夜中に外に出歩いて朝に帰ったりしたせいね。いたずらはほどほどになさいね」


 そう言ってシスター・ガブリエルは私の脇を通り、階段を降りてゆく。私が夜に外に出ていたことをお気づきだったのね。ということはつまり、ハニードリームのウィッチガールと大げんかしていたのに見ていないことにした、と。

 ようやくきちんと認める気になった、私にはシスター・ガブリエルに対して苦手意識がある。そしてそれをなかなか克服できない。マリア・ガーネットととの特別な絆を無自覚に見せつけようとするところが不愉快なのかしら。

 そんなことを感じる自分がなんだか子供っぽすぎる。

 階段をおりてゆくシスター・ガブリエルを見送っている間に、マリア・ガーネットは院長室のドアをノックしていた。


「お入りなさい」


 院長室の主の声は、不機嫌の塊そのものだ。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る