第12話 カテドラル

「〝大聖堂カテドラル″?」


 お客様が口にした耳慣れない言葉をそのまま繰り返す。

 神様にまつわる言葉であることは察する。でも、

私が求めた情報がこんな言葉一つだけだなんて。これじゃあ地下室で頑張った甲斐がないじゃない。

 そんな気持ちが表情に出たのかしら、私を見下ろすお客様の目は珍しく優越感に浸っていた。ちなみに私は今組み敷かれている。子供っぽいところがある方だと気づいてはいたけれど、全く、ここまでだったとは。


「通称だ。この世界が魔法文明圏との交流を公にせざるを得なかった前世紀末よりも昔から存在したという、退治屋の大元締めだよ」

「退治屋?」

「悪魔や妖精、魔女、魔法使いといった存在を狩るのを生業としている連中を業界内ではそう呼ぶ。もっとも、連中が武力を行使するのは飽くまでも神の名の下による悪魔の手先の討伐だ。獲物の対象も人間を堕落する目的でこの世界に訪れた異世界出身者に限られている、そうだ」

 

 そうだ、だなんて歯切れが悪い。それを目だけで指摘すると、お客様は愉しげに説明なさる。


「カテドラルの騎士についてはある一定のところまでしか情報が探れない。私ができたのは荒唐無稽な都市伝説を読み漁って篩にかけ、信憑性のある情報を残すこととぐらいだ」

「本当にそれだけ?」

「そうだな。連中の同業他社にそれとなく探りをいれてみた結果、人ならざるモノを手にかけることを商売にしている連中からは鼻持ちならない奴等だと煙たがられていたように思えたね。──これ以上のことになると〝ひっそり″というわけにはいかなくなる」

「子供のお使いだってもう少し詳しいお話を聞かせてくれたんじゃないかしら? ともあれ、カタリナ・ターコイズ好みな方々ってこの世の中には案外たくさんいらっしゃるのね。勉強になったわ」


 組み敷かれていても、私はついクスクス笑ってしまう。だってあまりに荒唐無稽なんだもの。

 笑い声をたてるのはくすぐったさ故とでも勘違いなさったのか、私の体を弄るのをおやめになる。そのまま私をうつ伏せになさると、両手首を背中の上でお纏めに。手荒さについ身を捩った拍子に、ベッドの上に置いていた紙がかさかさ音を立てた。ノートの切れ端に、例のコートのイラストが描かれたものだ。カタリナ・ターコイズに頼んで描いてもらったイラストは、コートの特徴を寸分たがわず捕らえている。マジカルファッショニスタと呼ばれたウィッチガールじゃなくなっても、芸術的なセンスのかけらだけは彼女の中に残っているみたい。


「確かに一般レベルでは都市伝説じみた存在として見なされているが、異世界との交流が密な業界でその存在は半ば常識だ。妖精の国との紛争地域には必ず彼らが姿を現わす。やり口の徹底ぶりでも有名だ。それゆえなかなか表には出てこない」

「妖精の国との紛争地域ねえ……まるでここみたいな?」


 お客様は無言。鼻で笑うことすらなさらない。

 それだけで、このピーチバレーパラダイスが外の世界でどう見られどう語られているのかが解ってしまう。


「……こんな変な場所が世界にあちこちにあるなんて、考えたくなかったわ」

「妖精だの魔法使いだの、異世界からのバックアップを受けた武装集団の狼藉はもう珍しくないからね。だが、妖精の国が町をのっとり住民の大半を虐殺した後も居座り続けているような場所は流石にここぐらいのものだろう。──読むかい?」


 口だけは紳士のように、お客様は私に尋ねつつ、また目の前にタブレットをちらつかせる。両腕をねじり上げて押さえつけているから、当然受け取ることなんて出来ない。うつ伏せの私に跨って、鼻先にタブレットを置くお客様の声はいつになく楽しそう。

 当然よね、お仕置きする方はそりゃあ愉快でしょうとも。

 地下室から出て初めてお客様にお会いするや否や、有無を言わさず跪かされ、それからずっと仕返しをされっぱなし。私に奉仕を強いた時に見せた、お客様の勝ち誇った顔ときたら。

 こういう時ほど反抗的になってみせた方がお喜びになる方だから、なんとか顔を後ろに向けてむくれた顔を作ってみせた。


「離してくれなきゃ読めないわ」

「しばらくそのままで居なさい」

「沽券に拘るなんておじさまも男の子なのね、可愛いわ」


 サービスと仲直りの意味も込めて生意気な口を叩いてみせたのが効いたのか、それとも一度は種をお出しになった後で気持ちにゆとりがあったのか、お客様は私を押さえつける力を緩めた。鼻でお笑いになった後、タブレットの位置を少しずらした。うつ伏せのままでも読めるように。


 液晶に映し出されていたのはニュースサイトの記事。日付は七年前。

 某州の小さな町で疫病が発生して政府が半径数マイルを封鎖したとかなんとか。初動の判断が功を奏してパンデミックは免れたけれど該当箇所の立ち入りは当分禁止する云々……といった内容が書かれている。当時は相応のパニックを引き起こしたみたい。

 この小さな町が今のピーチバレーパラダイスで亡くなった方々の死因が疫病なんかじゃないことは、ここの住人ならみんな知っている。外の世界でもウィッチガールに興味津々な一部の方達なご存じみたいだけど、それ以外の方々はどうなのかしら?

 お客様が操作するタブレットの文字を、いい子の態度で読んでゆく。

 封鎖地区は宇宙人に支配されているという噂を検証に来た若者が問題をおこしたという三面記事、動画サイトへ投稿しようと封鎖地区に侵入した人物を逮捕したというニュース、近隣の町で開催された命を落とした住民たちを追悼するイベントを報じた地方記事、真相を伏せ続ける政府への不信感を露わにしたコラム、雑多な情報を私は飲まされる。──七年前のあの事件は異世界のマフィアが戦争をしかけてきたせいだ、なんていう、アンダーグラウンドな掲示板の書き込みが一番真相に近いわね。

 外の世界にお住まいの健やかなる皆様方が、このピーチバレーパラダイスをどう見ているかがよく解った。自分達の営みにはまるで関係ない曰く付きの町のことなんて興味ない、怪しい噂が囁かれるような場所ならいよいよ関わりたくないってことね。

 外の人が目を逸らしたがるような場所、きっと珍しくないんでしょうけれど。


「でも、ここにはお見えにならないじゃない? 悪い妖精を狩っているっていう大聖堂の騎士様達は」


 異世界からの来た悪い妖精に侵略された町だなんて、神様にお仕えする者を名乗るなら見捨てるわけにはいかない土地なんじゃないかしら?


「連中がここのことを黙認しているのかというと、そうでもなさそうだ。アグネス・ルビーが錯乱するきっかけになったそのコートだが、大聖堂に所属する掃討部隊の制服の可能性は低くはない」

「――」

「連中の狩に巻き込まれて運よく生還したものは皆、彼らが銀の十字架の紋章が入った黒いコートを身に着けていたと語っている。アグネス・ルビーもその中の一人、そう考えるのが自然だろう」


 皮肉っぽくお客様は笑った。

 つまり私たちを壊して記憶を奪った「本物の」ウィッチガールスレイヤーは、カテドラルなんて呼ばれている、十四歳の妄想じみた方々の線が濃厚ってこと。

 私はつい無言になる。

 魔法文明圏との接触でなし崩しに異世界の存在がオープンになり、界外との交流がめずらしくなくなったこの時代よりうんと昔から、悪魔や妖精、魔女や魔法使いなど悪意をもってこの世界にやってきた存在を葬ってきたというカテドラルの騎士。神様の名の下に武力を用いる騎士の討伐対象に、悪い妖精の国にさそわれたウィッチガールがいたって不思議じゃない。

 でもならどうして、私たちみたいなウィッチガールの残骸が悪い妖精の治めるこのピーチバレーパラダイスなんて町へ連れてこられたのだろう。変じゃない? カテドラルと悪い妖精の国は対立してなきゃいけないのに。

 考え込みそうになったけれど、お客様は私の腕から手を離した。ベッドを降りて帰り支度をお始めになる。別れやすい空気にするために、私は軽口をたたいた。


「そういうファッションのキャラクター、コミックブックにたくさんいるでしょ? いかにも空想癖のありそうな十四歳の子が考えそうだもの」

「だが今はコミックブックにいるしかなかったキャラクターが地上を跳梁している時代だよ、マルガリタ・アメジスト。君もそうだっただろう」


 人の気遣いを無下にして、お客様は言わずもがななことを仰る。

 無言のまま起き上がり、ベッドから落ちたままのノートの切れ端を拾う。そのままカタリナ・ターコイズが描いたコートのイラストを見つめる。そんな私を見下ろすお客様はとても楽しそう。


「マリア・ガーネットがそのコートを持っていた理由、君はどう考える? 推論でいい。聞かせてくれたまえ」

「さあ? ショー用の衣装だったのかもしれないわね。今の格好もいいけれど、あの子があのコートを無造作に羽織ってみせるだけでも絵になりそうじゃない? 可愛いウィッチガールを叩きのめす冷酷無比なウィッチガールスレイヤー」


 冗談めかして答えたら、お客様は鼻で笑う。

 それが少し、癪に触る。


「おじさまはどうお考えなの? 聞かせてくださらないと不公平だわ」


 私がムッとしてみせると、お客様は案の定とうとうと語ってくれた。私が悔しそうになるとこの方は大抵お喜びになるのだ。

 

「マリア・ガーネットの父親は七年前に他界している。そして神父はその現場に立ち会った者の一人だ。これは確定事項だよ、以前、本人の口から直接聞かされたらからね。──全く、会食の場で愉快そうに語ってくれたよ。テーブルの上に胃の中身をぶちまけてしまいそうな話をね。よければ詳しい内容を伝えるが?」

「結構よ」


 ―― アスカロンを託された時は……なんて言うのか、まあ結構な取り込み中だったんだ。アスカロンの見た目はああだから、あたしからとりあげようとするバカも少なくなくてさ、この腕の中に隠したんだ。でもそれだとカラカラって間抜けな音がするじゃない? だから手の甲にああやってねじ込んで、そこからずっと考え無しにそうしていた。


 マリア・ガーネットの右腕を診てあげた時、あの子ははそんな風に説明した。

 あの子の使い魔を狙っていたのはおそらく神父様達のこと。マリア・ガーネットは神父様たちにお父様を殺されて以降、ずっとここにいる。


 頭の中ではまた、地下室でみたⅠのケースの中身が散らつく。あの無残な中身はマリア・ガーネットのお父様の最期と無関係ではないのだろう。

 恐ろしい想像をを振り払うために目を閉じて、私は尋ねた。


「じゃあやっぱり、あの子のお兄様がカテドラルの騎士なの? 私達がここに連れて来られるきっかけになった、本物のウィッチガールスレイヤーは?」

「さあね。ここから先は調査料が必要だ」


 ――しっかりしていらっしゃること。

 なんにせよ、お客様が私のお願いに応えようとしてくれたことに関しては感謝しなくちゃならない。共犯者なんだから。

 強く抑えられていたせいで少し痺れる腕を軽く振ってから、ソックスの中に手を入れた。

 取り出したのは、鍵の形をしたペンダント。Ⅹのケースに入っていた、テレジア・オパールになる前の子が使っていた魔法のアイテム。この鍵を使って変身し、歪んだ物語を正しい形に直すのがノベルガーディアンというウィッチガールだったあの子の仕事だった。


「今日はこの一つだけよ。一度にたくさんは持ち込めないもの」


 にやりと笑うお客様が差し出した手に、私は盗掘品を握らせる。

 魔法文明と接触したばかりのこの世界で、異世界の魔法技術の結晶であるアイテムがどれくらい貴重で価値のあるものなものなのか。お客様とお話していたら嫌でも理解させられる。

 ウィッチガールのものだった魔法のアイテムを手に入れた後、お客様は一体どうなさるのか。ご自分で新しい装置を開発なさるのか、どこかの国や企業に買い取っていただくお話がついているのか、今の私にはまだわからない。

 とりあえず、あと十一回くらいはお客様とよい関係を築いていかなきゃ。


 ――それにしても、ちょっと妙だ。

 お客様の話によると、 その誉高き騎士さんは極力自分たちのことを公にしない方針を貫いているみたいなのに、どうして機密の塊みたいな制服をわざわざ家族にもたせたのかしら。まあお兄様がカテドラルの騎士であるならって話が前提にはなるけれど。

 でも、今日はここまで。一旦頭の中を整理させなきゃならないもの。それに、


「おじさま、お水をくださる? お口の中がまだ気持ち悪いの」

 

 仕返しの意味を込めて、思いっきり甘ったるい声でおねだりをしてやったのに、お客様は冷たく鼻先でお笑いになるだけだった。本当に可愛らしい方だこと。




 ガレージに紙を燃やした匂いがたちこめているのは、必ずショーが行われた次の日。

 なのに、お客様とお話した次の日のガレージには煙の残り香がするのに、あの子はいなかった。ショーの次の日、あの子は大抵お日様が西に傾くまではソファの上で寝ているんだけど。──ああ、それにしてもお仕事の日とマリア・ガーネットのショーが重なるなんて運が悪い。

 右腕を直してからはいよいよあの子は上り調子なのに、その活躍を生で見られなかっただなんて。

 サイドボードの灰皿の中には、何かを燃やした灰と、燃え残ったマッチの軸がある。一体何を燃やしているのかしら。でもそれはまだ訊くべきじゃない。というよりも、訊くのが少し、怖い。

 

「あー、いた。マルガリタ・アメジスト」


 考え事に耽っていたら、私が一番聴きたかった声がした。振り向くと誰でもない、マリア・ガーネットがガレージの入り口から中を覗き込んでいた。

 自然に笑顔になってしまったけれど、あの子が両腕に大きな洗濯籠を抱えているのをみたら嬉しさも半減してしまった。──そうだった。私は新しい罰を受けている真っ最中だった。

 

「今から洗濯物取り込むよ。ほら、こっち来な」

「……行ってらっしゃい。私はここで待ってるから」

「バカ、あんたも来るんだよ。今日こそその減らず口だけじゃなく手も動かしてもらうからね」


 大股で私のそばまで来ると、あの子は左手で私の手首を掴んだ。こんな時じゃなかったら嬉しいのに。

 

 罰の途中で地下室から脱走した私、それを手引きしたマリア・ガーネット。

 悪い子の二人はあの日朝のシャワーを浴びた後、シスター・ラファエルの院長室で仲良くお小言を頂戴した。それはいい。なんでもあの子とお揃いなのは楽しくて胸がソワソワするもの。問題は脱走とその幇助に対する罰の方、一週間ホームの洗濯係をしなきゃならなくなったこと。

 私たちの制服でもあるワンピースだとか、教会を訪ねる信徒の皆様方の前で着る衣装の類の洗濯はピーチバレーパラダイス内の業者に頼むことになっている。でも、お菓子たちが部屋着に下着、シーツやタオルなどのリネン類の洗濯はホーム内で済ませているのだ。毎晩出される大量の洗濯物は、お菓子たちが眠っている午前中の間に洗濯して、乾燥させて、それから取り込むことになっている。さらにその後、シーツを張り替えたりベッドメイクを整えて、衣類はお菓子たちそれぞれのクローゼットへ仕舞う。普段ならホーム内の家政や雑務を担うシスター・ガブリエルに代わって受け持つことになったという訳。

 お仕置きだなんて大袈裟ね、ほとんどお手伝いじゃない。こんな罰なんでもないわって甘く見られたのは実際に手を動かすその直前十二人の女の子が毎日出す洗濯物の量に、私は初日で根をあげた。

 

「私の手はお裁縫をするようにはできてないことは知っていたけど、濡れた衣類を広げてほしたり、乾いた衣類を畳んだりするにも向かないようにもできてないって分かったの。マットレスにシーツを張り替える作業なんて、最初からその才能を与えられずに造られたんだわ。私には分かるのよ」

「ごちゃごちゃ言わない! どれだけ屁理屈こねたって今日は絶対サボらせないからね」


 悲しい声を出して訴えてみたけど、あの子の声はいつもに増して鋭くつれない。


 二人で一緒に居られる時間は楽しいけれど、私以外のお菓子達が呑気に眠ったりお勉強をしたり遊んでいる時間に、労働に励まなきゃならないなんて。そもそも地下室に入れられた原因だってテレジア・オパールなのに、この世はなんて理不尽なのかしら。

 不平不満で胸の中がいっぱいの私とは違って、マリア・ガーネットの表情は明るい。リズミカルに洗濯物を干したり畳んだり、ベッドメイクしたり、きびきびと働いている。こういった作業が嫌いじゃないことが一目でわかる。布を傷めてしまいそうな右手も繊細に使いこなしている。──この子のこういう姿を間近で見られるのだけは役得だけど。

 お客様のお相手をしなければならなかったせいで見られなかったのが悔しいけれど、マリア・ガーネットは昨夜もショーに出ていた。そのせいでちょっと眠たげで時々大あくびをしながらも真面目に罰をこなそうとしているところはどこかあどけなくて可愛い。

 この子、やっぱり洗濯が好きなのね。だって鼻歌なんて漏らしているもの。それに、ランドリーの乾燥機を使えば楽なのに、風が弱くてバレーからの砂埃が少ない日には必ず外に洗濯物を干したがるんだもの。


「だって気持ちいいじゃん、太陽で乾かした方がさ。いい匂いもするし」


 口と手を休ませず、マリア・ガーネットは乾いたシーツをさっと畳んで取り込んでゆく。私がもたもたしていや間にタオルなんかも取り込んで、しまいにはみんなの下着類をぽいぽいと籠に投げ入れた。

 ……それにしても何? 何なの? ここ数日、みんないつもより気合の入った下着を身に着けているとか。フリルだのレースだの、お仕事の時にだってこんな上等なの身につけない癖に。全く、マリア・ガーネットが一週間洗濯することになったって知れ渡ったとたん、これなんだから。

 ランドリールームの片隅、つやつやひらひらで色とりどりな下着の山を見て複雑な気持ちになってしまう私とは反対に、マリア・ガーネットはゲームでもこなしているみたいに手早く左手で畳んでゆく。ここではさすがにレースに引っかかりそうな右手は使わないみたい。


「女の子の下着を扱うのに慣れてるのね、マリア・ガーネット」


 ちょっと嫌味を口にしてみても、あの子は顔色一つ変えない。


「まあね、ルーシー……シスター・ガブリエルの手伝いは今までだってよくやってたから、慣れてるっちゃ慣れてるよ」

「……え?」


 私の手が止まる。この子がまたシスター・ガブリエルのことをルーシーって呼んだのが気になるけれども、そんなことより「慣れてるっちゃ慣れてる」? 慣れてる? 下着を洗ったりたたむのが?

 でも、確かに以前からマリア・ガーネットがシスター・ガブリエルを手伝っている姿はよく見ていた。それなら当然、洗濯だって当たり前。別に不思議でも何でもない。だけど、今まで私(達)の出した洗濯物がこんな風にこの子の手に触れていた、とか……。


「これでわかっただろ? ホームの洗濯物の量は尋常じゃないし、一人で何とかするのはまず無理なんだから。これからはシスター・ガブリエルの負担も考えてなるべく服を汚さないとかそう言う所から気をつけるとかして――何? どうしたの?」


 下着を扱う手をとめず、マリア・ガーネットはきょとんとした目でこっちを見つめる。私は全然、そんな場合じゃない。顔が熱くなってゆくのを嫌でも感じてしまう。


「じゃ、じゃあ……今まで洗ったりしたこともあるの? 私の……とか」

「? ああ。そりゃあるけど。何、今更?」


 マリア・ガーネットはわななく私が不思議なようで小首を傾げた。私はそれを、可愛いって愛でることもできない。だって、恥ずかしさで発火しそうになっていたんだもの。

 ほら、私たちの下着はお仕事の事情で酷く汚れることもあったから。あんな状態になったものをマリア・ガーネットに見られていたとか。洗われたり触れられたりしていたこともあったとか──、ああもう考えるのも限界。


「いやあああっ! やだもう、忘れて! 私の下着がどんな風に汚れていたとか早く忘れて!」

「? 言われなくてもいちいち覚えるわけないじゃん、すぐ忘れるよ、そんなの。第一そんなキモいヤツは流石にいないでしょ、いるんならもっとマシなことに頭使えって言ってやるよ」


 ──ああ、こんな特殊な環境でそんなまっすぐな感想が出てくるなんて。この子はなんて可愛いんだろう。でもそれと私の恥ずかしさは別だ。


「もうやだっ、これから私のものは自分で洗うんだから!」

「あー、それはいい心がけなんじゃない? シスター・ガブリエルだって食事だとか掃除だとか他にもやらなきゃならないことが沢山あるんだからね。他の子達にも言っといてよ」


 結局私がなぜそんなに恥ずかしがってるのかピンと来ていないらしいマリア・ガーネットは、ほぼ一人で下着をきっちり畳んで、個人ごとに積み上げてしまった。

 


 こんな懲罰生活を過ごしている間にわかったことはいくつもあるけど、その中でも一等大事なのがこれ。

 こういう作業をしている時、マリア・ガーネットはとてもリラックスしている。

 ガレージにいる時のようなとっつきにくさは無くなって、表情も柔らかくなり笑顔も増える。口数も増えて会話に冗談がまじることがある。

 それくらい洗濯が楽しい……というより、おしゃべりをしながら手を動かしたり、部屋の中を居心地よくするのに気を配ったりするようなことそのものがこの子にとっては快いことなのかもしれない。反抗的なシーツに私が苦心しているところにやってきて、手早くシワをのばしている動作なんかをみていると思う。

 マットレスにぴんとはったシーツを見て「よし!」と満足気に頷くマリア・ガーネットの表情は、飾り気がなくて生き生きしている。本来なら、ごくごく当たり前で幸せな生活をおくるはずだったティーンエイジャーの女の子になるはずだったのにって、どうしても気付かされてしまう。心から気持ちよさそうなその表情は、どうしたって、あの写真の女の子の面影を思い起こさせてしまうものだった。


 最後にシーツを交換したのは、私とジャンヌ・トパーズの部屋。ジャンヌトパーズのベッドからシーツを引き剥がしたら砂みたいにお菓子の屑が舞い散って、思わず悲鳴をあげたり反動で大笑いしているうちにお菓子達全員のシーツ交換は終わってしまった。

 結局、今日も私は足手まといなだけだったけれど、マリア・ガーネットはすごく満足そうだ。待たされると疲れがやってきたのか、大きな欠伸をした。

 お日様は西へ傾いて、ハチミツめいた色が混ざり始めた陽の光が私たちの部屋にさしこむ。

 洗い立てのシーツの白さを浮かび上がらせる部屋の眺めは、確かに奇麗で清々しく、それに、

 

 神々しい。

 

 一瞬、今まで使ったこともないような言葉が浮かんだことに驚いてしまう。ここがどういう所なのか忘れてしまうだなんて。

 不意を突かれたことをごまかすために、冗談めかしてつぶやいた。


「まるで幸福そのものって眺めね」


 我ながらつまらないことを呟いてしまったって、すぐさま恥ずかしくなる。でもマリア・ガーネットはからかうようなこともせず、ただ大きくうなずいた。


「だよね。こういうの見ると神様はいるなって気がする」


 ……神様?

 どうして急に神様って単語が出てくるのか、脈絡が掴めず(カタリナ・ターコイズが私へ向けてよく口にする苦情「前後の流れをぶった切っておかしなことを言う」ってこれだったのね)、マリア・ガーネットの顔を見上げる。

 私の視線がよっぽどまっすぐで不躾だったのか、気まずそうにこの子は視線をそらした。


「ああ、ごめん。わかんないよね、急に神様とか言って。忘れて」


 さてと、とわざとのように声に出し、マリア・ガーネットは大きな洗濯籠を抱えて部屋を出ていく。


「じゃあ、あたし眠いからガレージ戻るわ」


 欠伸まじりに私たちの部屋をでていくあの子を私は見送る。足音が遠ざかるのを感じながら、さっきの彼女の言葉を頭の中で繰り返す。


 ──ああごめん、わかんないよね。


 あの子は苦笑していたけれど、私に向けて壁を作った。

 そりゃあまあ、別に元々あった壁が完全に崩れたわけじゃない。でも、ちょっとずつ削れてきたかなって時にだったのに、心なしか強固になった気がする。


「……」


 苦手な作業が終わった解放感に負けて、私はベッドの上に寝転んだ。

 マリア・ガーネットが奇麗に整えてくれたシーツは、さらさらで快適で、洗剤と太陽の混じったいい匂いがした。


 お日様が出ている間のピーチバレーパラダイスは静かだ。 

 外の世界の人たちから見捨てられている町ってことも忘れてしまうくらいに。

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