第13話 神様

 今日の夕方もガレージには紙を燃やした匂いがたちこめている。昨晩もショーがあったから。

 

 よっぽど疲れたのか、マリア・ガーネットはソファーの上でくうくう寝ている。あちこちに包帯をまいたり絆創膏を貼ったり、いつもとは違ってずいぶん痛ましい。

 それもこれも、昨日のショーの対戦相手はとんでもない強敵だったせい。これまで無敗だったウィッチガールスレイヤーに膝をつかせた相手がついに出てきたのだ。

 あの子と闘って引き分けに持ち込ませた挑戦者の出現に、私も含む談話室にいたお菓子たちは言葉を失った。

 

 あの子と引き分けたのは、セーラー服とショートパンツを組み合わせたコスチュームの、小柄でやせっぽちの女の子。黒髪を短く切って、頭の両脇から子犬みたいな三角の耳を飛び出させていた、いかにも東アジア系の元気で快活そうなローティーンの子。セーラー服の裾からちらちら覗くおへそや、ショートパンツからのびた細い脚。きょとん、というか、ぽかん、という擬態語の似合うあどけない表情には庇護欲をそそるものがあった。まるで魔法にかけられて人間に変身したような、稚い女の子。なのにその戦いぶりの凄まじさったら無かった。

 なにせ、バニーガールの号令とともに手のひらから魔法陣を展開させて機関銃によく似た魔法道具を呼び出すなり、まったく躊躇うことなく撃ち始めたのだから。


「ちょ……! 反則じゃんあんなの!」

 

 お休みが重なっていたジャンヌ・トパーズが、前のめりになって叫んだ。それはみんな同じ気持ちだった筈。画面の向こうでも観客たちがドヤドヤと騒いでいたけれど、レフェリー兼実況のウィッチガールは止めない。ショーは続行。挑戦者の子は、木琴を叩いたような音を響かせて小さな光弾を撃ち込んでいる。着弾箇所からもうもうと煙が上がる──。


「反則じゃないわよ、ショーのルール上、キャストは魔力を媒介する道具ならなんでも一つもちこんでいいことになってるんだから! あの子のあれだって魔法の道具だよ、撃ちだしてるのだって物理じゃなく魔力の弾だし、ほら」


 顔面蒼白になっているテレジア・オパールの隣でバルバラ・サファイアが冷静に解説し、画面に向かって指をさした。目を凝らせば、挑戦者の子が浴びせ続けているのが淡く金色に輝く魔力の弾であることが分かる。マリア・ガーネットは右腕を盾に半透明の赤いシールドを出してしのぐしかない。当たり前だけど、リング上には魔力の弾幕を防げるような遮蔽物なんてありはしない。これじゃあの子は挑戦者に近づけない。


「ルール上問題はないったって……バトルショーになってないよ、これじゃあ。ガチに殺しにかかるのはなんか違くない……?」


 ジャンヌ・トパーズが呆然としながらこぼした言葉、これはその時いたみんなの気持ちを表していた筈。実際その通りだもの。子犬みたいな見た目のあの子はどうみてもマリア・ガーネットを殺そうとしている。観客を盛り上げることなんて考えず、ただただ一直線に。

 その表情がやっぱり、ぽかん、や、きょとん、がしっくりくるあどけないもので、私たちの不安に拍車をかけた。

 挑戦者の子はまるで、ウィッチガールスレイヤーに壊される間でもなく、もうとっくに壊されているのでは? そんな想像をして身震いをする。

 

 カメラはマリア・ガーネットの表情をとらえる。目を見開いて少なからず驚いている。それはなんだか、ここには無いようなものを見てしまった様子を思わせる。

 でもヒヤリとしたのは私の方、あの子の瞳にはすぐ生気がともった。対戦相手が魔力の弾を撃ち続けるんだもの。あの子はリングの上でぼうっとなんかしてはいない。シールドに弾かれた魔力の弾が、闘技場の床に激突してもうもうと砂埃をふきあげる。


「――」


 不意に、挑戦者の子は持っていた機関銃状の魔法道具を無造作に放り捨て、体の向きを変えた。一瞬で腰を軽く落とし、顔の近くで細い腕を交叉させた瞬間、マリア・ガーネットの右こぶしがそこに叩き込まれた。観客席が揺れる。

 弾幕を掻い潜ったあの子が、巻き上がる砂煙を利用しながら素早く距離を詰め、思わぬ方向から攻撃してくると完全に読んだ行動だった。躊躇わずに頭部を狙ってくる所まで完璧に。

 子犬みたいな犬耳を生やした挑戦者の子はどこまでもあどけないままで、なんてことなくマリア・ガーネットの右手首をつかむ。そのまま素早く背後へ回り込んで腕を捻りあげてしまう。膝をつかされたあの子を床へくみしいて背中を空けさせる。犬耳の挑戦者はごつめのブーツを履いた足で、どん、と踏んだ。

 無敗の女王、ウィッチガールスレイヤーのマリア・ガーネットがなんなく取り押さえられた。そんな場面に観客席は騒然とする。


「いや……っ!」


 悲鳴をあげたのは私じゃなくて、テレジア・オパール。私はショックで喉を詰まらせていた。うちの横暴な女王様はは忠実なサイドキック、バルバラ・サファイアの肩をつかんでぐらぐらゆすぶる。


「ちょっと、何よ。なんであの子があんなちびっ子にいいようにあしらわれてるのっ? あっちゃダメじゃない、そういうことはぁっ!」

「あ、あたしに言わないでよぉ……っ」

 

 その間にも、画面の中で犬耳の子はちょいちょいと指先を動かす。そんな動作だけで、さっき放り捨てた機関銃のような道具が再びその手に握られる。銃口にあたる部分を、マリア・ガーネットの後頭部に突きつける。

 処刑を思わせるシーンに、画面の向こうでは歓声が、画面のこちらでは悲鳴が響き渡る中、突きつけられた銃身がバラっと両断された。


「!」


 道具が壊されてようやく、犬耳の挑戦者に表情に変化が現れた。その間にマリア・ガーネットは拘束から抜け出して転がり、距離をとる。立ち上がったあの子の右腕が大きく変わっている。手の甲から肘にかけて大きな刃が斜めに現れていたのだ。魔法の機関銃をスライスしたものはどうやらこの刃らしい。

 マリア・ガーネットの右腕は状況に応じて変化する。でもこれまでのショーでも数回しか見せたことがない。本当に身の危険を感じないと起きないレアな魔法だと知っている観客たちは、いよいよ激しく盛り上がった。あの無敗の女王が、ウィッチガールスレイヤーがついに本気になった、と。


 結局、その日の試合はまれにみる激闘になり、観客席にまで魔法の銃弾やら赤い光線だのが撃ち込まれてもなかなか決着がつかず、大荒れに荒れた末に引き分けとなった。

 このショーに少なくないお金を賭けていた観客たちはしまらない結末に激しく怒り、単純にウィッチガール達の惨い闘いが見たいだけの観客たちは興奮する中、談話室の私たちはというと皆言葉を失っていた。ショーが終わるや否やその場に跪くマリア・ガーネットを見て、何かを言える子なんていなかった。

 体のあちこちから血が流れ全身で呼吸するマリア・ガーネットは、今にもその場に倒れてしまいそうだった。でもあの子は、ぐっと力を込めて立ち上がり、いつものように堂々と歩いてリングを降りてゆく。


「……さあ、もう消灯ですよ」


 シスター・ラファエルが動画を止めても、私たちはなかなか動けなかった。



 そんなショーを演じたばかりのあの子は今、一体どんな気持ちなんだろう。ショック? 怒ってる? 恐怖してる? またあの時みたいに脅えてない?

 心配でガレージを覗いてみたのに、ソファの上でぐっすり眠っているだけだった。包帯や絆創膏が酷いけど、寝顔そのものは安らかで苦痛からは程遠い。

 ──いいのよ、それで。良いんだけど。でも、談話室で私やほかの子たちの胸によぎった不安はなんだったのかしら? 私は良い子ではないから、ホッとすると同時に理不尽な感情にも囚われる。

 でも、あの子の怪我の跡を見ているうちに、酷いことを思った今の自分を責めたくなる。魔力のおかげであんな攻撃を受けたにしてはダメージが軽くで済んだとはいえ、きっと痛くて怖い思いをした筈なのに。特に顔についた青あざが見ていられない。ショーの時にはダメージを受けなかった顔についたあざが。

 でもきっとそういうことを、この子は私には言わず黙っている筈だ。


 ソファの下にはページの開いたバイブルが投げ出されている。きっと眠る前に読んでいたんだろう。そばには細いボールペンも転がっている。

 拾い上げたバイブルをパラパラ捲れば、余白に書き込まれた落書きがすぐに目に飛び込む。アルファベットと数字を組み合わせた文字の羅列が細かに書き込まれている。もちろん、マリア・ガーネットが書き込んだもの。

 以前からこの子がバイブルの余白に何かを書き込んでるのが気になってはいたけれど、どうしてそんなことをするのかって尋ねたことは一度もない。とても大切な行為なのだろうなって推測するだけで済ませている。


「ノートを買えば? 本に書き込みするのってお行儀が悪いのよ」

 

 前にそう提案してみたんだけど、マリア・ガーネットは首を振った。


「ノートじゃダメなんだ。危ないから」


 ノートじゃどうして危険なのか、この子はきっと、まだ教えてくれない。

 すぐ教えてくれたら話が早く済むのに。私ならそうするけれど、マリア・ガーネットは大事なことの周りに関することだけ教えて終わってしまう。そこより内側には決して立ち入らせないのだ。

 正直、何度だって歯がゆい思いをさせられた。でもこの子の中ではまだ話すタイミングじゃないのだから仕方がない。大事なことを伝える相手としてはまだまだ信用が足りないということだもの。

 自覚してしまうと、ほんの少しは悲しくなってしまう。


「……ん……」


 ようやく私の気配を察したのか、マリア・ガーネットは軽く体をゆする。そしてゆっくりと目を開けた。寝起きだから、瞳の焦点がぼんやりしていて可愛い。


「おはよう、マリア・ガーネット」

「……おはよう、マルガリタ・アメジスト」


 一晩一緒に過ごした上に一週間一緒に洗濯をしていた甲斐もあって、この子は私がそばに近寄りすぎても邪険にはねのけたりはしなくなった。それだけでも意地悪なシーツと格闘した甲斐がある。悔しいけれど、シスター・ラファエルに感謝しなければ。

 包帯と絆創膏だらけのマリア・ガーネットが、起き上がろうとして顔をしかめる。体のどこかが痛んだみたいだ。


「無理しないで。休んでくれいていたらいいから」

「……じゃあ、そうさせてもらうね。多分、もう少し寝たら体力戻るから」


 あれだけのショーで出来た体の痛みを、まるで筋肉痛か何かのように言うものだから、ちょっと呆れた。

 でも、胸の中が穏やかに温まる。

 私が右腕を診るまでは魔力の燃費が悪かったけれど、今はすこし眠っただけでちょっとした怪我くらいなら一晩眠っただけで治るくらい調子がいいみたいだから。この子が元気なのは単純に嬉しい。

 マリア・ガーネットもこのことは感謝してくれているらしく、右腕に関しては私に踏み込むことを許してくれる。

 ソファに座って、金属製の右手をとっても何も言わない。マッサージをするようにひんやり冷たくて硬い表面を撫でても、あの子はされるがままになっている。

 初めは手のひら、それから手の甲。手首。上腕……。外殻の内側で魔力が正しく流れていることを確かめながら、私はこの子の右腕を手のひらでさする。少しでも疲れや痛みが薄まるように、念じながら。

 目を凝らせば、正しい位置にきちんと収まっているアスカロンの赤い光が見えた。ずいぶん気持ちよさそうにリラックスしている。


「……あ……」


 マリア・ガーネットの口から気持ちよさそうな声が漏れる。ただのマッサージだと思っているのか、素直な反応を無防備に見せてくれる。


「……それ、もうちょっと続けて……気持ちいい……」


 ──ここでやめてみたら、この子は一体どういう反応をするのかしら? 気持ちよくなりたがってる体が寸止めされて辛くなったりするかしら? もしこの子が涙目になったりしたら、お預けがイヤならおねだりしてごらんなさいって意地悪をしてみようかしら?

 悪魔が不埒なことをささやいたけれど、子供みたいな顔で再び寝入った姿を見ていると、柄にもない天使みたいな気持ちに胸が満たされてしまう。


 結局マリア・ガーネットは再びくうくう眠ってしまい、取り残された私は手持無沙汰になる。時間を潰すために拾ったバイブルをめくった。


 神様や預言者の言葉はやっぱりぴんと来ない。どうしてこんな落書きをしているのかの意図もまだ読めない。

 ただ、書き込みの法則性は分かる。一見適当に記されているように見える数字は日付だ。過去の日付がランダムに記されている。

 となると、数字に交えられているアルファベットの文字列の意味にも想像がつく。たとえば、その日に起きた出来事を記しているだとか……。 

 それに思い至って、私はバイブルを閉じた。

 読み解いた日付の一番新しいものは七年前のものだったから。マリア・ガーネットは七年前より昔のことをバイブルに書き込んでいる。

 さっと目を通しただけでは分からない形で。

 その意味を考え出すと、地下室でみた屈託のない昔のあの子の笑顔がどうしても頭に浮かんでしまう。

 深く眠るマリア・ガーネットの右腕を、私はそっと撫でる。



 昨夜のショーの挑戦者だったウィッチガールは、極東方面で活動している妖精の国・ハニードリームが送り出した秘蔵っ子という触れ込みだった。確かに番狂わせを演じてみせて、ショーは大いに盛り上がった。ハニードリームの偉い方々はきっと今頃大喜びしているはず。

 でも、うちの神父様は掟破りな闘い方をした新人や、彼女になんのペナルティもない引き分けという結果にご立腹だったみたい。ウィッチガールバトルショーは悪い妖精の国数か国の協定で行われてるのに、暗黙の了解を無視するような新人を出してきてどういうつもりだ――とった趣旨のことを怒鳴り散らす声が、ショーが終わってすぐ神父様のお住まいから聞こえてきたくらいだから。その声の激しさにご逗留中のお客様がおびえて、そそくさとお帰りになる。

 夜が明けても神父様はずっとお怒りだったみたい。この町の中にあるハニードリームの支社に乗り込んでいきかねない勢いだったけれど、手下の宣教師たちに必死にとめられている気配がしていた。


 業界内ではピーチバレーパラダイスボスという通称で呼ばれることが多い私たちの神父様。かの方は日ごろ「神父」という言葉から浮かぶイメージを守ることを気にかけていらっしゃる方だ。私たちやお客様がいる前では決して言葉を荒げないし、柔和な笑みを絶やさない。

 でも、そんなものアイシングよりも剥がれやすい仮面だってことをお菓子たちならみんな知っている。ご自身の思い通りにことが運ばなかった時の怒りはすさまじく、その都度怒鳴り声がホームまで届いてくるのだから。

 一体きっかけは何だったのか秘されて語られないけれど、昔この町に住んでいた誰かが神父様を怒らせた為に起きたのが七年前の大虐殺。それだってここにいる子ならみんな知っている。

 だから、明け方近くに中庭や教会の裏で神父様が怒鳴ったり、宣教師のだれかを殴りつけている音を耳にしてしまうと、私たちはベッドの中で息を顰めて身を固くしている。あんな怒鳴り声を聞いていて大人しく眠っていられない。


 今日なんか、となりのベッドではジャンヌ・トパーズが、掛け布団を頭からかぶって震えていた。


「てめえもみっともない試合してんじゃねえ、あんな小便くせえガキぶったおせねえで何が不敗の女王だ! 俺の顔に泥塗りくさりやがったくせにすましてんじゃねえ、なんだその面ァ!」


 裏返った怒号を浴びせている相手が、どうやらマリア・ガーネットだと気が付いてしまい、努めて眠ろう、眠ろうとしていた私の神経が冴えてしまう。

 この子は怪我をしていますしそれに疲れていますから……と、つきそいのシスター・ガブリエルがおどおどと口をはさむのを遮ってマリア・ガーネットが言い返している。


「へえ、あんたのメンツが潰せたんだ。じゃああたしにとって今日のショーが今までで一番のショーだ! 最高だよ」


 拳を振るわれる音がして、シスター・ガブリエルの悲鳴が耳に突き刺さる。

 生意気いうな、とか、誰のおかげでここで暮らせてると思ってる、とか、要約するとそういった趣旨のことを卑俗な単語を交えながら神父様が叫ぶ。その合間合間に、人の体のどこかしらを殴りつける音がする。

 殴られているのはマリア・ガーネット。

 がつっ、がつっ、という音は、寝る前にみたショーでマリア・ガーネットが撃ち込まれた魔法の銃弾より殺傷力は低そうなのに、とてつもなく陰惨に響く。やめてください、この子には私からよおく言い聞かせますから! というシスター・ガブリエルの悲鳴の混じった声も響く。

 私はベッドからおきだして、開けっ放しの窓の陰からそっと外を見てみる。教会の裏口で、神父様は黒い服の宣教師に抑えられ、シスター・ガブリエルがマリア・ガーネットの前に立ってかばっている。私の位置からあの子の表情は見えなかった。

 ひとしきり暴力を振るえば神父様の気もお済みになったのか、聞き取れない声で何かを喚いてからのしのしとお住まいへ戻る。これからお休みになるのだろう。

 マリア・ガーネットは顔を押えながら、シスター・ガブリエルに大丈夫と伝えて立ち上がる。

 足元がふらついていてはらはらしたけれど、すぐに足取りはしっかりする。いつものようになんでもなさそうに、あの子はガレージへと戻っていった。

 すべて今日の夜明け前のこと。

 

 

 お日様が傾ききってから、マリア・ガーネットは目を覚ます。

 すっきりしたという風に体を起こして、気持ちよさそうに伸びをした。痛ましかった顔のあざもすっかり目立たなくなっている。


「おはよう、マリア・ガーネット。よく眠れたみたいね」


 本日二度目、私はあの子に微笑みかける。


「おはよう、マルガリタ・アメジスト。お陰ですっごいよく眠れたわ」


 うーん、とあの子がもう一度伸びをした時に、私はその顔を両手で挟んで覗き込んだ。神父様に殴られた痕がどの程度回復したか、ちゃんと見ておきたいから。


「……何? 目ヤニかなんかついてる?」

「目脂よりも自分の顔を心配して頂戴」


 頬のあざの色も薄くなり、何事もなければ数日で問題なく消えそう。大きく口を開けさせて歯の様子も見れば、折れたり出血した様子もない。それにしても虫歯一つない奇麗な歯だ。

 良かった……と安心していると、私の頬にぴたりとマリア・ガーネットの手のひらが添えられた。さっきとは反対に、私の顔がのぞき込まれる。

 寝起きですっきりした様子のマリア・ガーネットが私の顔を間近で見下ろしている。まっすぐに迷いなく。

 いつも自分がしていることをやりかえされるのは、これが初めて。なんだかとてもきまりが悪く私は視線をそらした。こんなに近くで見つめられたら、胸に光がともりそうになりそうになってしまう──。


「……今日のあんた、クマが酷いよ? ちゃんと寝てる?」


 ──ああもう。

 お勉強の時間で紹介される甘ったるい恋物語のヒロインみたいにうっかり胸を高鳴らせてしまったのに、この子の口から放たれる言葉はいつも通りムードがない。

 ガッカリはしたけれど、私の体調を気遣ってくれたのは嬉しい。


「ひょっとして、今朝のあれ、聞こえてた? うるさかったよね? ごめんね、起しちゃってさ」

 

 金属の右手の指で、私の頬をそおっとさする。

 殴られていたのは自分なのに、この子はなぜか私なんかに謝る。それがなんだか、悲しい。


「あなたが謝らなくてもいいのに。ショーの後なのにあんなに怒鳴られて……怖かったでしょう?」

「別に。あんなやつキャンキャンうるさくてウザいだけだよ。昨日のショーのあの子の方がよっぽど怖かったし」

「でも、いっぱい殴られてたみたいじゃない」

「そりゃまあね。でも、あの子の銃弾が脇腹かすった時の痛みにくらべりゃどうってことない。だってあいつ、弱いもん。リングで向かい合う子達の方がずっと強くて怖いよ。それに昔っから言うだろ? 弱い奴ほどよく吠えるって」


 そのけろっとした口ぶりからして、マリア・ガーネットは嘘をついてはいなさそう。この子は本当に神父様が怖くない。怖れてなんかはいない。

 この子のそういう所に惹かれたのだ。

 私を安心させるように、左手の人差し指でチョーカーをちょんちょんと突いた。


「こいつがあるからあいつの命令に従わなきゃなんないだけで、怖くて言いなりになってるわけじゃないよ。安心しなって」

 

 犬の首輪に似たそれはずいぶんボロボロで、マリア・ガーネットがそれを着けて生活してきた年数を感じさせた。

 この首輪が何らかの魔法の力を持った拘束具、もしくは契約の結果なのはわかる。でもどうしてマリア・ガーネットがそんな首輪をはめられることになったのか、その上神父様の下でウィッチガールバトルショーに出ることになったのか、その経緯を私は知らない。きっと七年前の出来事と、神父様に殺されたっていうお父様との一件がからんでいるのだろう、そんな風に予想がつくだけ。

 今この瞬間、あなたに何が起こったのって尋ねても、この子は私に全てを教えてくれるだろうか。


「大体、俺のメンツがどうのこうのって言いだす段階であいつはもうバカなんだよ。ショーはただの勝ち負けの場じゃないってことを忘れてるんだから。あんたなら分かるでしょ? ショーはウィッチガールの見本市で――」


 ガレージとはいえここは教会の敷地内、神父様の支配地だ、それでも公然と神父様を批判する。なのにホームの地下室だけは酷く怖がるマリア・ガーネット。

 バイブルの余白に七年前より昔のことを書き記しているマリア・ガーネット。

 秘密をこっそり嗅ぎまわっているのに、結局私はこの子のことを何にもしらない。

 それを改めてつきつけられると、たまらなくって、私はぎゅっとこの子を抱きしめた。私はお菓子たちの中でも小柄な方だから胸に顔をくっつける形になってしまったけれど、マリア・ガーネットは嫌がらなかった。

 私がべそをかいているのに気が付いたから。


「……どうしたの? なんで泣くの? いや本当にあんなやつ怖くないったら」


 本当に女の子に泣かれるのが苦手な子なんだから。

 困ったように私の頭を撫でて慰めようとする手にあやされたせいか、私は少し甘えたくなった。


「マリア・ガーネットは神様を信じてるの?」

「はあ? 何急に」

「先週、シーツを敷き終えたあとに行ったじゃない? こういう時に神様はいるって感じがするって」

「……ああ~……」


 ひそかにずっと気にしていたことなのに、マリア・ガーネットは覚えていなかったみたい。記憶を探るような間をおいてからようやく頷いた。そしてちょっと拗ねたような言葉づかいで答える。


「やだ、教えない。あんたみたいな理屈屋は神様のことを絶対バカにするって知ってるんだから」

「……そういう答え方をするってことは信じてるのね、神様」


 マリア・ガーネットは無言になった。図星だったのね。まあ、わかっていたけれど。


「バカにしないから教えて。神様ってどんな方なの? お髭を生やしたおじいさまなの? それに、どこにいらっしゃるの? お空の雲の上なの?」

「……バカにしないって言った端からバカにしてない?」


 声に険が混じりだした。私の訊き方が悪かったせいでからかわれてると思ったらしい。そうじゃないのに。

 マリア・ガーネットの信じている神様なら、私も信じてみたかっただけなのに。

 この子が信じている神様を私も信じることができたら、二人の間にある壁を取り払えるかもしれないと願ってしまっただけなのだ。

 大量生産品らしい私は、多分、神様を信じるようにはできていないけれど。


 黒いインナーに涙をすりつけて泣く私を持て余したのか、ぽん、ぽん、とゆっくり頭を撫でてマリア・ガーネットはなんとか説明しようとしてくれた。

 でもそれはたどたどしくて、おぼつかない。


「なんていうか――神様っていうのは、いるんだよ。いると思う。いるとしか言えない」


 なんなのかしら、この三段活用……。


「いるってどこに? アミニズム式に森羅万象に宿るって意味? それとも各々の心の中にいらっしゃるって意味? バイブルの神様は私には筋が通らないことをなさる不合理な方だとしか思えないけれど、そういう神様でもあなたは信じられるの?」

「……ああ~……っ」


 左手で、マリア・ガーネットは頭をかきまわした。まるで小さな子に質問攻めにされた大人みたい。その子供が私ってことになってしまうけれど。


「あんたみたいに理屈屋じゃないから上手く言えないけど、あたしが今ここにこうしていられるのはあの時からずっと神様がいてくれたからなんだと信じてる……分かる?」


 身振り手振りを加えてこの子は私に伝えようとしてくれる。

 要領は得ないけれど、とにかく私に言葉を割いて説明しようとしてくれる。それが嬉しい。まるで秘密の宝物をみせてくれたみたい。

 だから今はそれで十分。


「……ああ~、もう、やっぱバカにするんでしょ? いいよもう、慣れてるから」


 拗ねた口ぶりのマリア・ガーネットの体を、私はぎゅっと抱きしめる。


「バカになんてしないったら。ありがとう、神様のこと話してくれて」

「……ああそう。じゃあ、良かったけど」


 もごもごとマリア・ガーネットは口ごもる。私の反応が予想していたものと違ったみたい。

 どんなひねくれた答えを返すと思っていたのかしら、この子は? と、ちょっとむっとした所へ、シスター・ガブリエルの声が聞こえた。呼んでいる名前は珍しいことにマリア・ガーネットじゃない。私だ。


「マルガリタ・アメジストー、いませんか? いたら返事なさい〜」


 ガレージのそばまで私の名前を呼ぶ声が聞こえたので、私たちはさっと密着していた体を離した。そしてすぐ、極端に小さい足音が近づきカーテンを無遠慮にざっと開けられた。


「ああやっぱりここにいた。マルガリタ・アメジスト、シスター・ラファエルがお呼びです。いらっしゃい」

「はい、シスター・ガブリエル」


 現れた尼僧服姿の彼女に、私は優等生っぽくにっこり微笑む。なのにマリア・ガーネットときたらシスター・ラファエルの名前をが出てくるなり、怪訝そうに眉をひそめて私を見つめた。


「あんたまた何かやらかしたの?」

「違うわよ、なんにもしてません!」

 

 そんな軽口を交わす私たちを見て、シスター・ガブリエルは呟いた。


「あなた達、最近本当に仲がいいのね……」 

 

 それは少しだけ、私を気分良くさせた。

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