第14話 フェアリーテイル

 ホームの院長室前でノックを二回。すると中からシスター・ラファエルの声がする。


「お入りなさい」


 かすれたアルトの声で許可が出たので、院長室の中に入る。

 いかめしい机の向こうにいるシスター・ラファエルの手は、休みなくせっせと動いている。かぎ針で編み物をされているのだ。

 それを見るだけで逃げ出したくなるけれど、厳しい院長先生は許してくださらない。


「いつまでも立っていないで早くこちらへ、マルガリタ・アメジスト。今日こそ基本の工程を身につけないとなりません」

「あの、シスター・ラファエル。先日も申しあげた通り、私の手や指は針や糸を操るようにはできていません。ですからご期待にはこたえかね──」

「つべこべ言わずにいらっしゃい」


 シスター・ラファエルは私はお命じ。と同時に、デスクの前に置かれたものを私の方へずい、と押し出す。

 それは厚紙製のトランクだ。部屋のクローゼットに隠していた、ウィッチガールの遺産(とマリア・ガーネットからもらったチェリー・ソーダの瓶)を入れたあのトランク。

 この教会、特にホームに関することならすみずみまで管理されているシスター・ラファエルは、私が地下室で何をしていたのか、全てお見通しだったというわけ。

 地下室のものには不用意に触ってはならない、その言いつけを破ったお前に私の命令に背く権利があるのか? と、紙製トランクを突きつけながら圧をお放ちになる。

 尻尾を握られている以上、従わざるを得ない。

 あきらめて、院長室の片隅にある古い椅子を運んだ。そうしてデスクを挟んで座り、シスター・ラファエルと向かい合う。死刑執行前ってこんな気分じゃないかしら。

 椅子に座ると、シスター・ラファエルは私の前に毛糸にしか見えない糸の束とかぎ針を一本お出しになる。私はしぶしぶそれを手に取った。

 そして、先週教わった通りに糸を編んでゆく。


 私が針と糸に悪戦苦闘している間に、作品が一つできあがる。女の子が好きそうなハートのモチーフ。シスター・ラファエルがそれにふっと息を吹きかけると、ピンクのハートの形をした樹脂製のブローチになった。きらきらした模造宝石が嵌った、いかにもウィッチガールの持ち物のようなブローチ。糸で編まれたにも関わらず、デスクの上に置かれるとこつんと硬質な音がする。

 私の前で彼女がこの魔法を披露するのはおおよそ三度目。何度見ても見事で、つい小さくぱちぱちと拍手をしてしまう。

 でも生産者である彼女はどこまでも冷静だ。


「拍手などしている場合ですか、あなたがこの魔法を継承せねばならないのに」

「──あの、私その話を受け入れた覚えは……」

「うるさいね」

 

 かすれたアルトの声が一気に甲高くなり、口調も一気にくだけたものへ。

 変わったのは声だけではない。褐色の肌で尼僧服を纏った堂々とした体躯を持つ女性は、デスクの上にちんまり座ったぬいぐるみのようになった。頭も足もふわふわの毛も全部真っ黒の小さな羊。

 

 ──この可愛い姿こそ、シスター・ラファエルの本当の姿だと知った時の衝撃ときたら。きっとまた壊される時まで忘れられない。


「あたしのこの姿を見た以上、あんたに選択肢はないんだよ。つべこべ言わずに手を動かしな」


 シスター・ラファエルだった黒い羊姿の妖精は、無茶な理屈を振りかざしながら私相手に凄んでみせるけれど、外見がぬいぐるみだからあまり怖くない。だからいつものように構えなくて済む。


「お言葉ですが、私は一度も先生にその姿を見せてくださいと頼んだ覚えはありません。そもそも先生の姿がこんなに可愛らしいものだったなんなて知る由もなかったのに。勝手にご自分の正体をお明かしになった上にそのように仰るだなんて。筋がまるで通りません」

「よーしよーし、その減らず口いよいよ気に入った。ドルチェティンカーの再興も早いねこりゃ」

 

 満足げに黒い羊のぬいぐるみ姿になった(なったというより〝戻った″?)シスター・ラファエルは、抜け目なくニヤリと笑う。どうやら私は知らない間に、彼女に後継者として目をつけられていたみたい。

 

 神父様がピーチバレーパラダイスという悪い妖精の国のボスである以上、神父様に支えるシスター・ラファエルやシスター・ガブリエルの正体も悪い妖精か関係者なんだろう──、そこまでは誰だって見当がつく。

 ただ、シスター・ラファエルがピーチバレーパラダイスとは別の国から来た妖精だと知らされた時は心の底から驚かされた。

 その国の名前がドルチェティンカー。シスター・ラファエルの口ぶりから察すると、文明圏の中でもあまり知られていないくらい小さい上に今にも滅びかけている国みたいだけど。



 シスター・ラファエルがその出自も含めて本当の姿をお明かしになったのは、地下室に閉じ込められた先週のこと。

 地下室から勝手に逃げ出したことについてマリアガーネットと一緒に叱られて、罰として二人で一週間洗濯をしなさいとお仕置きを言い渡されたその後、私ひとりだけ院長室に残されたのだ。

 二人きりになった院長室で、その時はまだ厳しい二層姿を保っていたシスター・ラファエルは、私の前にあの紙製トランクをお出しになったのだ。


「マルガリタ・アメジスト、これはいったい何ですか?」


 留め金を下ろされトランクが開く。中にはもちろん、地下室から持ち出したウィッチガール達の遺産とチェリーソーダの瓶が。

 シャワーを浴びる前にクローゼットに隠していたそれが、どうしてシスター・ラファエルの前に……! という驚きと恐怖を抑えることなんて無理だった。

 と、同時に「触ってはなりません」だなんて、あれはやっぱり敢えてあのケースの中身を私に改めさせるがための言葉だったのだ、と確信する。

 つまりシスター・ラファエルは私を罠へさそったのだ。でないといくらなんでも早すぎる行動の説明がつかない。私がこう動くことをお読みだったと考えら方がずっと自然。

 この状況でしらを切っても仕方がない。私は両手のひらで顔を覆い、わざとらしく泣きまねをした。


「そんな、シスター・ラファエルが私たちのプライバシーを侵すだなんて……! あんまりです!」

「そっちこそ、あたしの言いつけを破った上にこうして居直るなんて、やれやれ大したタマじゃあないか。その上あのドクターにこいつを横流しするつもりだったんだろ? 見上げた根性だよ、マルガリタ・アメジスト。あたしはずっとあんたみたいな駒がほしかったんだよ」


 その時初めて、シスター・ラファエルは口調を崩し、見た目は愛らしい正体を現した。


「この七年間、コンベアで流されてくるスクラップの山を片し続けた中でやっと拾った逸材があんただ。せいぜい協力してもらうからね、ドルチェティンカー再興のために」


 金色の眼を光らせた黒い羊のシスター・ラファエルからは、私のことを離すものかという気迫がみなぎっていた。


「その話、お断りしたらどうなります?」

「じゃあ仕方がないね、あんたをバラしてその胸の≪賢者の石≫を取り出すまでさ。憎ったらしいライバル社の技術を解析して盗むのもウチの仕事だからね、元ユスティナアルケミー?」


 実際私は廃品の山に運よく紛れていた掘り出し物だったのだって、私はその事実を突きつけられ、飲み込まされる。

 とはいえなんといっても、私はこの世界ではたった一人だけのウィッチガール、その事実は変わらない。正確には元ウィッチガール、だけど。

 だから多少生意気な態度を見せた程度のことで、本当に私をバラバラに分解したりはしない筈。私はここでは貴重品、いざという時の切り札になり得る存在。そのことを強く意識する。

 従順で素直なお菓子として振る舞うのは得策じゃない、そう読んで私は反抗してみせた。


「だからって、シスター・ラファエルにご協力しなければならない謂れはありません。大体そのなんとかって妖精の国、私は聞いたことありません。この町に支社の一つすらないだなんて余程小さな国なんでしょうね」

「──そりゃあほんの少し前まで赤ん坊同然だったあんたが知らなくて当然さ。認めるのも癪だが、あたしらの国は小さくて力もなかったのは本当だからね。そのせいで、七年前にピーチバレーパラダイスの豚共に滅ぼされちまったのさ。だよ?」


 七年前、シスター・ラファエルはそこを強調する。

 この方はホームで起きてることをすべて把握していらっしゃる。私がマリア・ガーネットの過去に関心を抱いていることなんて、とうにご存じなのだろう。

 おなかを減らした犬の鼻先に肉の切れ端をぶら下げる、そんな風に勿体ぶって彼女は私と向かい合う。

 物々しい圧を放っても、やっぱり見た目は黒い羊のぬいぐるみさんだけど。


「──あんた、地下室であの子のケースを見たろ?」


 頷きも返事もこらえたけれど、目に浮かんだ動揺までは隠せなかったらしい。シスター・ラファエルはそれを見抜いて話を続ける。


「……痛ましかっただろ、あの子の遺品を収めたのはあたしさ。ピーチバレーパラダイスの豚共は、やってくるなりあの子の持っていたものをすべて奪って目を覆うようなやり方で壊しちまった。酷いもんだったよ。かき集められたのはあれきり、ただ幸せに暮らしていただけの九歳の女の子の持ち物が、さ」


 そう呟くシスター・ラファエルの声に、この時ばかりは哀悼を思わせる念がこもる。その瞬間のことを思い出しているのか、ぽてぽてした黒い前脚をひたと見つめていた。

 その時、思い出していた。ランドリーでシスター・ガブリエルに呼びかけられた時、あの子は二人のシスターのことを「家族みたいなもの」だと言っていた。

 シスター・ラファエルがおっしゃったことが真実なら、確かに家族か、それに近い関係だったとは言えそう。真実なら、だけど。


「……」

 

 七年前に何が起きたのか、あの子の身の上になにがあったのか。知りたい。

 でも、私が何を欲しているかを見抜いた上で交渉材料にしてくるシスター・ラファエルのなさり方は、正直私の気に触る。

 それにあの子がいない場所で、身の上に関する話を勝手に訊くことへの後ろめたさだって覚える。

 どう返答したものか考えあぐねている私をみて、シスター・ラファエルは苦笑いをなさった。


「──やれやれ、これだから小娘は。小さいことで潔癖になりやがって……、困ったもんだよ」


 あんたはもうちょっとクレバーな考え方ができる娘だと思ってたんだけどね……と呟きながら、シスター・ラファエルは机の上にぴょこんと後脚でお立ちになった。


「どらちょっと、おとぎ話でも聞かせてやろうか。──これを聞いたらあんただって、こっちについてあたしに大人しく従ってりゃあ、まわりまわってマリア・ガーネットの幸せにつながるんだってよーくわかるはずだからさ」

 

 黒い羊のぬいぐるみ姿のシスター・ラファエルは、毛糸の玉と一本のかぎ針をどこからかお出しになる。そして素早く糸を編み上げて、一瞬で出来上がったのは一体のお人形だった。

 金髪に作業着のような変わったデザインの青いつなぎを着た女の子。作業着姿なのに頭にはエレガントなティアラがある載っているのがなんともミスマッチ。

 個性的なファッションが可愛いといえなくもない、そんなお人形に注目していると、えへん、咳払いが。そしてシスター・ラファエルはお話を始める。


「昔々、ものを作るのが得意な妖精たちが暮らす国がありました。その国の名前はドルチェティンカーと言いました――」


 シスター・ラファエルの魔法なのか、お人形は机の上でちょこちょこと動き回る。毛糸でできたお人形たちはふえる。豆粒みたいな黒い羊の人形たちが無数に生まれて、女の子の人形のあとをぴょこぴょこ跳ねるようについてまわる。

 小さな子供なら喜びそうな、ピーチバレーパラダイスには全く似合わない愛らしい人形劇。私もうっかり見いってしまい、まんまと観客になってしまう。

 女の子の人形は槌をふるったり、工具を使いこなして、様々なものを作り出す。杖にアクセサリー、剣に盾、銃に兵器のようなものまで……。


「ドルチェティンカーのお姫様はとりわけものをつくる才能に秀でていました。お姫様の作る魔法の道具は耐久性に優れて使い心地もよく、色んな世界のいろんな国の魔法使いの間で評判になりました。が、残念ながらドルチェティンカ―という国は変わらず小さく、貧しいままでした」


 デスクの上で舞台の大仕掛けのように背景が立ち上がる。大きくて黒々として不吉な工場の影が。


「すでに文明圏では同業他社が覇権を握っていたのです。やつらは資本にものをいわせ、質が悪く粗悪な道具を大量にうりさばくことで利を稼ぎ、自分達の国を肥やしていったのです。一点一点丁寧にものを作り上げることが身上のドルチェティンカーには悔しいことに勝ち目がありません」


 明らかに私情がまじっているナレーションを交えながら、シスター・ラファエルは人形劇をお続けに。

 悩んでいたお姫様は、いいアイディアがひらめいたという風にぴょんと飛び上がると、とことこと歩き出す。おともに一匹の黒い羊を連れて。


「故郷でこのまま頑張るだけじゃあいずれ自分たちはじり貧だ。ここらで一発勝負してやろう。商売敵どもがひしめく無法地帯の果てにあるウィッチガール産業の激戦区で自らウィッチガールになってやろう。自分の作り出した魔法の道具を宣伝してドルチェティンカー製品の上質さを知らしめようじゃないか──と、お姫様は考えました。お供の妖精は無茶だって止めたんだけどね」


 全くあの子は無鉄砲な娘だったから。

 シスター・ラファエルは物語に関係ないことをため息を交えて付け足される。この呟きから察するに、お姫様人形につきしたがっている黒い羊はかつての彼女にあたるはず。

 舞台装置のような書き割りの背景も変わった。この世界の大都会を見下ろしたきらめく夜景へと。

 お姫様人形がくるりとターンを舞ってみせると、可愛らしいドレス姿へ変身した。典型的なウィッチガールを思わせるコスチューム姿で、背中にはフェアリーのような羽根がある。


「こうしてお姫様はウィッチガールになり、自分の作った魔法の道具のプロモーションを始めたのですが、一つ大きな問題がありました。道具や技術を効果的に宣伝するには、ウィッチガール活動を番組に仕立てるのが鉄板です。しかし、お姫様には物を作る魔法は得意でしたが、番組を作るのは勝手が違ってよくわかりません。あれこれ思案している時に、連中が手を差し伸べてきたのです」


 うーん……と、思案にくれるようなお姫様人形の傍に、陰が一つ忍び寄る。

 ピンク色をした小さな小豚のお人形だ。なかなか可愛らしいのに、首から下はお行儀のよさそうな方ならまず着ない派手な洋服姿だ。


「番組の制作と配信が得意なその国はピーチバレーパラダイスと呼ばれていました。その国の王様が、あろうことかお姫様に目をつけたんです。あんたの番組ならウチがつくってやろう。なんならあんたの生み出す魔法の道具の売り買いの手伝いをしてやってもいい。なに、おじさんには魔法の道具を必要としている友達が何人もいるからね──と」


 ガラの悪そうな小豚のアイディアに喜ぶお姫様。黒い羊はお姫様のドレスの裾を咥えてやめろと忠告するけれど、お姫様は子豚と握手をしてしまう。


「かくしてお姫様の可愛くて楽しいウィッチガール生活に俄然弾みがついたわけですが、これが後にあれほどの悲劇と惨劇を生むことになろうとは。その時誰も予想だにしていなかったのです」


 シスター・ラファエルが盛り上げるナレーションにうっかり引き込まれてしまった所、デスクの上を自由自在に駆け回っていたお人形たちは、ポンっと音を立てて一時に消えてしまった。

 現れたのは、つやつやとよく輝くデスクだけ。その上には私のものだった紙製のトランクがある。


「……まあ、絶対多少は面倒なことになるって思ってたんだけどね。だから何度も考えろって言ったのに」


 ぽつりとこぼされたシスター・ラファエルの寂しげなお声によって、我に帰った。そのことでうっかり人形劇に引き込まれていたことに気付かされてしまう。

 極まり悪さを誤魔化すのを兼ねて、私は一つ尋ねてみた。


「続きはまた来週、というわけですか? シスター・ラファエル?」

「よくわかってるじゃないか、マルガリタ・アメジスト。──ほらどうする? あたしらの側につくかい?」

「お話を全て聞き終えてから判断いたします」


 しぶしぶそう答えると、シスター・ラファエルは満足気に仰った。


「安心しな。あたしはシェヘラザードとかいう女じゃないんだ、千日もかけるようなかったる真似はしないよ。長い話だから分割しただけさ。だから結論は先延ばしにせず早めに出すこったね」


 

 ──そのような出来事を経て、私はシスター・ラファエルがお呼びになれば、即駆けつけねばならない身になった。呼び出されたあとで何をするのかと思えば、院長室でひたすら編み物の練習をするだけ。辛い。ひたすら辛いったらない。

 その上、先週から何かというとしょっちゅうシスター・ラファエルに呼び出されるようになった私を、ジャンヌ・トパーズもカタリナ・ターコイズも可哀そうな目で見るようになっちゃうし。


「何、まだお仕置きが続いてるの? あんた今度はなにやらかしたの?」

 

 どうしてみんな、私が何かをやらかしたんだと思いこんでから話をはじめるのかしら?

 そんな不満は中々消えないし、編み物ばかりやり続けた日は、夕飯までぐったりベッドで伸びてしまう。


「お仕置きじゃないの……。編み物をしてるの」

「編み物? 何? うちバザーでもやるの?」


 この前なんて、ジャンヌ・トパーズがこんな頓珍漢なことを言って目を丸くした。



「これは……まあ、酷いね」

 

 ガレージであの子から神様について話してもらう、楽しい時間を台無しにされた私がしぶしぶ編み上げたもの。それを見た黒い羊姿のシスター・ラファエルは頭をお抱えになった。

 かぎ針編みでなんとか作り上げた私の努力の結晶に彼女が息を吹きかけると、どろどろに溶けかけた樹脂をそのまま固めたような、気味の悪いものが出来上がってしまった。自分でつくっておいてなんだけど、不気味。


「何度も申し上げていたではありませんか? 私の手は針と糸を扱うようにはできていないって」


 今のシスター・ラファエルは、そのぬいぐるみじみたお姿せいで怖くない。尼僧姿の時ではとても無理な、すねた物言いだって出来てしまう。

 

「だからって言ったって……。あんたは以前は創造をつかさどるウィッチガールだったじゃないか。ものを造るあたしらの魔法とは相性が悪いはずないんだけどね」

「お忘れでしょうか? 私の人格と記憶はウィッチガールスレイヤーに粉々にされました。その際におそらく私の魔法の質も変わったんです。ユスティナのような魔法はもう使えません」

「いや、そんなこたない筈だ。あんたの胸にはまだ≪賢者の石≫がある」


 偶蹄類らしさをのこした前脚でシスター ・ラファエルは私の胸の辺りを指される。


「そこの魔力はまだわずかに生きている。死んじゃない以上、何かのきっかけがあればあんたがまた魔法を使うことはあり得ない話じゃないんだよ。そうなればあたしらは勝ったも同然さ。今すぐあの糞神父を糞壺に叩っ込んでやれる」


 可愛い外見でシスター・ラファエルは憎々し気に神父様を汚いものにお例えに。

 お口が滑りすぎじゃないかと私は少し心配になったけれど、お話の続きを聞かせてくれない上に編み物を強いられたんだから優しい気持ちになんてなれない。腹いせに意地悪をしてしまう。


「あら、そんなこと仰っても構いませんの? 私が神父様に告げ口するかもしれませんのに」

「いや、あんたはしないね。しみったれた理由でマリア・ガーネットをぶん殴るような糞ったれの得になることなんて、あんたは死んでもするはずがない。違うかい?」


 シスター・ラファエルは勝ち誇る。

 確かに私はマリア・ガーネットをガツガツ殴りつけるような神父様が得するようなマネはしたくないし、するつもりもない。でも、こうやって人の気持ちを勝手に決めつけられることにはどうにも癪に触って仕方がない。

 そもそも、最初からこの方の手のひらの上で踊らされていた末にここにいる、この状況がもう不愉快でたまらない。

 私は編み物の手を止めた。


「シスター・ラファエル、あなたのお言いつけ通り私こうやって苦手な編み物に取り組んでおりますのに、あなたはお話の続きは聞かせてくださいませんのね。お話が違います」

「急くんじゃないよ。順序ってものがあるんだからさ」


 紙製トランクをあけたシスター・ラファエルは、その中から魔法の道具を一つ取り出す。お菓子の誰かの持ち物だった、星形のチャームがついた香水瓶だ。シュッとひとふきするとウィッチガールに変身できるという仕組み。

 黒い羊姿の彼女はそれとそっくり同じものを手早く編み上げて、ふっと息を吹きかける。ぱっと見ではどっちが本物か分からないくらい精巧なそれを、私に手に握らせる。


「今日明日あたりドクターが来るだろう? その時こいつを渡しときな」

「──心得ました」


 私は偽物の香水瓶を受け取る。


「あの不良医者がどことつながりを持ってるのか、ただ単独で動いてるのかは知らないが、ものの価値なんざわからない田舎者にはコイツで十分さ」


 私をだしぬこうたってそうは問屋がおろさないよ、とシスター・ラファエルは鼻でお笑いに。

 つまり、カテドラルについて教えてくださった際にお礼とお代の意味を込めて渡したテレジア・オパールの鍵付きペンダントも、実はこうして作られた偽物だ。お客様がそのことに気が付いていらっしゃるのかどうかはまだわからないけれど、なるべくならずっと気づかないでいて欲しい。


「──シスター・ラファエル、あなたは私がお客様とお話をするのはお許しくださいますのね」

「何のためにあの医者があんたに本だの新聞だの読ませて知恵つけてやってるのを見逃してやってたと思ってるんだい。こういう時のためだよ! あんたはあの医者の動向をこっちに報告してくれりゃあそれでいい。あたしらの悲願を田舎者の墓場泥棒に邪魔されたくはないからね」


 地下室に安置されたウィッチガールの遺産を手に入れるため私たちが手を組んでいることを、彼女はとっくにご存じなのだった。さすが教会の中の出来事をすべて把握していらっしゃる、真の主であらせられること。 

 ──それにしてもこういう状況、二重スパイっていうんじゃないかしら。まあいいけれど。


 

 砂漠の彼方に陽が沈み、ピーチバレーパラダイスのあちこちにネオンがともりだす。そろそろお菓子たちの仕事の時間だ。

 シスター・ラファエルは尼僧姿に戻る。堂々として強そうな体躯。表情は凛々しく、厳しくて、そのお気持ちを慮るのはもう難しい。


「それではもうお下がりなさい、マルガリタ・アメジスト。お話の続きはまた後日」

「かしこまりました、シスター・ラファエル」


 私はワンピースのポケットに偽物の香水瓶を忍ばせ、ひざを曲げて一礼してから院長室を後にした。

 

 ドアをしめてから、ふーっと息をついた。

 できればシスター・ラファエルにはずっとあの黒い羊の姿でいてもらいたい。尼僧姿は威圧感がありすぎるんだもの。


 廊下を歩いていると、シスター・ガブリエルとすれ違う。疲れた表情の私を見て声をかけてくださった。


「あら、随分疲れているようだけど大丈夫? お夕飯は多めにしましょうか?」

「お気遣いありがとうございます。夕飯はいつもの量で結構です」


 ──そういえば彼女は何者なのかしら、こっちの世界でウィッチガール活動を始めたドルチェティンカーのお姫様に付き従っていた妖精はたった一体、黒い羊だったシスター・ラファエルだけ。


 だったらシスター・ガブリエルは何ものなのかしら。

 そういえばあの子はこの人のことを、ルーシーって呼んでいた。

 ルーシーって誰? お話のどこから登場するの?

 

 ──次から次へと疑問がわいてきて、目が回りそう。 

 探れば探るほど謎が出てくるこのホームにピーチバレーパラダイスで、不自由や嫌なことはあってもそれなりに今まで平和で暮らしていただなんて。

 私は一瞬、眩暈を覚えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る