第32話 再会

 奇岩のそびえる元観光地からピーチバレーパラダイスに戻るまで、かかった時間はほんの数分。バスだと半日もかかっていた距離なのに、空を飛ぶと無いも同然。

 素朴な驚きに襲われながら、燃えさかる地上を見下ろして旋回する。予想していた通り、町は大混乱に陥っている。こっそりあの子ともう一人を攫うにはもってこいだ。

 変身した今の姿だと全身が白っぽく輝いている。悪目立ちするのは避けたい。地上に近づきながら体からあふれ出る魔力の量をなんとか調整しつつ、見慣れた給水塔の上に降り立った。そこで変身を解く。地面に突き立てたピンのような形をした給水塔は、爆炎で炙られて熱くなっていそう。金色の杖は手に持って、最低限の魔力を身にまとう。自分の身は自分で守らなきゃ。

 あのみっともないTシャツとスカートは、変身した時に粒子状になってしまったみたい。せっかくだから、着慣れた紺のワンピースの形に再構成する。襟のラインや少し膨らんだ半袖、ウエストの切り替えからほどほどに膨らんだスカートのライン、どこをみても酷い施設だったわりには(酷い施設だったからこそ?)女の子を可愛く見せるこだわりが効いた服だ。


 それにしても、一度上ってみたかったとあの子が憧れていた、ついでにカタリナ・ターコイズがダークヒーローを座らせたい語っていたあの給水塔。その上に私が立つことになるなだなんて。

 そしてこうやって、変わり果てた町を見下ろすことになるだなんて。

 ショーが行われていたエリアの地面はぼこぼことえぐられているし、会場に接していたフェンスは飴細工みたいにひしゃげている。おもちゃみたいにひっくり返って燃えている自動車は観客の乗ってきたものかしら。ショーの前日、キャンピングカーやワゴン車でフェンスの外に押し寄せていた一般のウィッチガールファンたちのことを思い出してしまう。あの方他たちは今、どうしているのかしら。

 地面の上に点々と何かがちらばっている。子ブタ、クマ、ウサギ、アライグマなど小さな動物の形をしたものも。あれは亡骸だ、ピーチバレーパラダイスを支配していた妖精達の骸だ。それにまじって、人の形をしたものも転がっている。今、私の足元で動いている人影は皆黒いコートを身にまとっている。


 あれがカテドラルか。かなり早いタイミングで乱入していたのね。

  

 私が変身してこちらへ飛んでくるまでの間に、カテドラルは一帯をほぼ制圧してしまったみたい。これではショーの勝敗どころではなさそう。

 それにしても、これがかつて大帝国と謳われたというピーチバレーパラダイスの最期とは。あまりにも呆気ない。

 それに、こんなに仕事が早いのに、どうしてカテドラルは今までもたもたしていたのかしら。あの子やそのほかの可愛い女の子達を今の今まで見捨てていたなんて。


 ――嫌味の一つも口にしたくなったけれど、そんなことよりまずマリア・ガーネットをみつけなければ。


 給水塔の上から炎上するピーチバレーパラダイスを全体を眺める。私たちのいたホームや教会はまだ無事みたいで、十字架を頂いた三角屋根が炎に照り返されて浮かんでいる。

 廃屋がいくつも燃え上がり、パンパン銃声が聞こえる。立て続けに爆炎が上がる。

 毎日過ごしていた町が、たった一日で酷い変わり様。胸が痛まないこともないけど、感傷的になっている時間なんてない。私は町全体を眺める。あの子はいないかとじっと目を凝らす。

 魔力のおかげか、隅々まで見通せるようになった視覚がとらえたのは、黒いコートを着た集団と、悪い妖精たちの抗争だ。魔力が込められた武器での殺し合いがいたるところで繰り広げられているけれど、そんなの今はどうでもいい。こんなにも荒んだ場所のどこにマリア・ガーネットがいるのか、それが大事だ。


 金属製の右腕、ショーの時の衣装、ユニコーンのたてがみみたいな髪――それらを手掛かりにしてみたけれど見つからない。黒いコートの集団はすぐに見つかるのに。

 まさか……! と、不吉な考えが頭をかすめる中、視線を懐かしいホームへ向けた。そのあたりはもうカテドラルに落とされているのか、黒いコートの集団が蠢いている。

 見慣れた中庭の片隅、花壇のへりのブロックに腰をおろし、膝に肘をついて額を支えている人影を見つける。規律のとれた集団からはぐれているその人影をもっとよく見ようとして、私は身を乗り出した。右腕に、アッシュピンクの髪。そばにいる尼僧服姿の女性。


 あの子だ。あそこにあの子がいる。


 私のはるか足元が急に騒がしくなり、やむを得なく視覚を切り替えた。

 給水塔の根元をみると、黒い服の男たちがこちらを見上げて騒いでいる。射程距離の長そうな銃を持ち出す人もいる。ああもう、面倒な。

 可愛くない杖を一振りする。体を構成していた粒子がほどけて夜空に解けた。

 空を飛んだ時から、体がなんとなく魔法の使い方を思い出してくれている。それがこんなにも嬉しい。

 とっさに頭に思い浮かべた場所がそこだったから、私の体は慣れ知った場所で再構成された。あのガレージで。今朝までいたあのソファの上で。

 いつものネオンの代わりに窓から指しこむ炎の輝きが照らし出すガレージは、すっかりきれいに片付いていた。あの子がサイドボード代わりにしていたワイン箱は端に寄せられているし、チェストに飾っていた空き瓶も姿を消して、まるで人気がない。二度とここには戻らない、そんな決意が漂っている。

 

 ここはしんと静かなのに、中庭のあたりは騒がしい。教会の敷地ではきびきびとした男の人たちの声が響く。私たちには縁が無かった種類の声や口調だ。

 目立たないようそーっとガレージの出入り口から外を覗くと、黒いコートの集団がホームや教会に出入りしているのが見える。どうやらカテドラルはここを占領して基地に選んだみたいだ。

 中庭の片隅で、彼らの宇一の一人がピーチバレーパラダイスの住人を一列に並ばせ、跪かせているのが見える。そうして動きを奪った妖精達の頭を、続けざまにぱんぱんと頭を撃ちぬく様子も。地面に倒れた亡骸は小ブタやクマやウサギやアライグマのぬいぐるみのようなマスコットの形態に戻る。

 惨たらしくて、それでいてどこか滑稽な刑を執り行った黒いコートの人物に、歩み寄る影がある。ここを占領した集団のように黒く、でもシルエットが異なる衣装を身にまとったのは女性だ。それも尼僧服の。

 シスター・ガブリエルだ。

 私がガレージにいることなんて知る由もないシスター・ガブリエルは、妖精たちを処刑したカテドラルの騎士の胸にもたれかかる。というよりも、しなだれかかるといった方がふさわしいような動きを見せる。カテドラルの騎士は銃をコートの内側に仕舞い、シスター・ガブリエルの細い肩を抱く。これもまた親しみを感じさせる動きだ。

 カテドラルの騎士はそのままシスター・ガブリエルを抱きしめ、ベールのかかった頭の後ろに手を回し、彼女の耳元で何かを囁いて、そしてもう一度抱きしめる。サングラスはもうかけていなかったけれど、シルエットから判断するに、彼は昼間にレストエリアで出会った青年だった。あの子のお兄様だ。

 ほんの一瞬の抱擁だった。でも二人がどんな関係なのかはそれだけで明らか。院長室でシスター・ラファエルも仰っていた、シスター・ガブリエルあてにマイクが送った手紙に書かれていたのは愛の囁きだけだって。


 マリア・ガーネットが座っているはずの花壇は、ガレージの中からは死角になっているので見えない。ホームの建物の陰になっているのだ。 

 もっと中庭の様子がよく見える位置に移動しようかと杖を振るおうとした時、お兄様が移動する。しなだれかかる前のシスター・ガブリエルがいた場所へ。腰をかがめたお兄様の様子からして、そこにしゃがみこんでいる誰かに話しかけているらしい。誰かって、ひとりしかいないわけだけど。

 その誰かの腕をとり、お兄様が背中を伸ばす。建物の陰から、しゃがんでいたあの子が立ち上がる。私には背中を向けている格好のその子はお兄様の首をかき抱く。私がいつもやってるように。 

 給水塔で見ていた通り、マリア・ガーネットはカテドラルのコートを着ていた。でも特徴のある髪はあの子のものだ。たてがみみたいなその髪に、お兄様は手を添える。そのまま優し気によしよしとあやされているのは、私のあの子、マリア・ガーネットだった。


 ピーチバレーパラダイスを制圧したカテドラルの騎士たちは何事か報告しあってやかましいし、外では何かが燃えたり炸裂したり、そんな音で溢れている。

 

 七年ぶりに再会した二人が何を語らっているのかはわからない。

 ただマリア・ガーネットが、兄さん、兄さん、と何度も繰り返すのは途切れ途切れに聞こえる。伝えたいことはたくさんあるのに、一つも言葉にならない、そんな様子だ。

 お兄様はマリア・ガーネットの頭を撫でて、両手で顔を挟んで額をくっつけあう。さっき無慈悲に銃の引き金を弾いていた人とは思えない、慈しみに満ちた態度で。

 今までよく頑張った、もう大丈夫だ、おそらくそういったことを言った後、マリア・ガーネットの体を抱きしめる。ホームのお菓子たちの中では一番背の高いマリア・ガーネットだったけれど、お兄様はあの子より上背がある。こうしてみるとあの子は完全に小さな妹だった。

 

 ――こういった再会の場所にのこのこ現れるほど、私は無粋ではない。今、この場を邪魔すれば、たとえこのまま無事にマリア・ガーネットを攫ってこられても絶対あの子に恨まれる。根性が腐ってないことの証明のためにも、ここはじっと待たなければ。

 必要もないのに外の様子をのぞきこんでいれば、そのうち誰かに見つかってしまう。頭をガレージの中に引っ込めて、壁にもたれた。

 それにしても、不思議なのはマリア・ガーネットがカテドラルのコートを着ていたこと。

 あれは多分、アグネス・ルビーを混乱させた原因になったもののはず。丈の大きい男物だから、あの子の右腕もすっぽり収まっていた。

 あの子はどうしてあれを着ているのだろう。どうしてショーの衣装は着ていないのかしら。――確かにコート姿なら絶対背中は見えないけれど。でも、それってつまり、あの子は最初からショーにはカテドラルのコートを着て出るつもりだったってことになる。

 不意にバタバタと急いたように駆け込む足音が聞こえたので我に返った。なんだか中庭が緊迫感に包まれている。なにか変わったことがおきたみた。

 再びそーっと首をガレージの外にだして様子を伺う。賭け飛んできた誰かが、マリア・ガーネットを抱き寄せたままでいるお兄様に怒鳴るように何かを伝えている。

 給水塔、女の子、という単語が聞こえた。つまり、私のことだ。

 もう少し詳しくきくため、出入口からもう少し首を伸ばそうとした瞬間、あわてて全身をガレージの中に引っ込めた。

 

「――」


 シスター・ガブリエルがガレージを、つまり私のいる方をじっと見ていたから。

 いつものどこか気弱そうな様子とはまるで違う、どこか超然とした眼差しで。

 気づかれたかもしれない。というよりも絶対気づかれた。一度頭を引っ込めても、シスター・ガブリエルの目は揺るぎもせずにこちらを見つめている。まるで壁を透かしているかのように。

 マリア・ガーネットより先にシスター・ガブリエルに見つかるだなんて――という、残念さを私は振り払いながら頭を少しだけ覗かせて目配せする。彼女もいっしょに連れて帰るというのがシスター・ラファエルのご要望だ。それに、カテドラルの騎士より先に私を見つけたのがあの人だったのは運が良かったと言えなくもない。

 ううん、しっかりと幸運だ。

 シスター・ガブリエルが一点を見つめているのに気づいたマリア・ガーネットが、お兄様に抱き着いたままあの人の視線をたどったから。 

 もちろん、その先には私がいる。いつものように紺色のワンピース姿の私が。


「!」


 マリア・ガーネットは目を見開いて、私をじっと見る。まるで幽霊に遭ったような顔で。

 あの子(とシスター・ガブリエル)だけが気づくことを願って、私は小さく手を振った。合図を送った後、改めて全身をガレージに引っ込める。

 お兄様たちはまだ何かを話し合っている(「あの時お前が見逃したから……!」と怒鳴り声が聞こえる)。二人の視線がどこにあるか、まだ気づく余裕がないみたい。

 お兄様達がそばにいては、あの子も動き辛いだろう。

 私は髪を一本引き抜いて小さく杖をふるい、魔法をかける。髪は紫色の粒子をまとって大きく膨らみ、白いドレスのウィッチガールの形になった。即席の人形だから作りは粗いのだけど、おとりにはこれで十分。

 さらに魔法をかけ、人形を教会の十字架の上へ移動させる。あの上にすらり立って現れるウィッチガール、その演出効果の高さを私はよーく知っている。

 案の定、教会の異変に中庭一帯は一気に殺気立つ。

 給水塔に怪しい女の子が現れたという報告の後に、ウィッチガールが堂々と現れたのだから当然大騒ぎになる。お兄様達が教会の方へ移動したのを確かめるた後、もう一度ガレージから頭をのぞかせた。


「……!」


 教会の十字架の立つウィッチガールに気を取られかけたマリア・ガーネットだけど、私がガレージから手招きをしているのにすぐ気づいてくれた。

 不審なウィッチガールを撃ち墜とそうとする銃声が鳴り響く中、素早くこちらに駆けてくる。

 ガレージに飛び込んできた足音、息遣い、衣摺れ、汗の混ざった肌の匂い。その全てが嬉しい。


「……っ!」


 いるはずのない私がここにいる驚きで叫び声をあげられてはたまらない。あの子に有無を言わせることなく抱きついた後、声を出そうと半開きになったあの子の唇を自分の唇で塞ぐ。

 んーっんーっ、とこの子は口の中で何かを叫び、背伸びをする私の両肩に手を添えて遠ざけようとする。叫び声がしずまるまではその動きに逆らいつづける。少し静かになってから、口を解放してあげる。

 はあっと息が荒げたマリア・ガーネットが濡れた唇を指先で拭う。戸惑う目が、なぜどうして私がここにいるのかと問いかけている。でもすぐには答えない。


「ただいま、マリア・ガーネット。そのコート似合ってるわね。あなたに似合いそうだと思ってたけれど予想していた通りだわ」

「ああおかえりマルガリタ・アメジスト――じゃなくて」


 壁に体を密着させて外の連中に気づかれないようにしながら、この子は声の大きさをうんと絞って怒鳴りつけた。


「あんたなんでここにいるの⁉︎ みんなは⁉︎ それよりもどうしてどうやってここまで来たの⁉︎」


 私は例の可愛くない杖を、あの子の前で振って見せる。


「色々あって魔法の力が戻ったの。だからあなたを攫いに来たの」

「……色々あったって……っ」


 中庭はまだ騒がしい。おとりの人形には適当に動くように指示を与えていたから、ひらひら飛び回って中庭の騎士たちの相手を努めてくれている筈だ。

 マリア・ガーネットは左手を額にあて、そのまま髪をくしゃくしゃする。説明してほしそうな態度だったけれど、残念ながらそんな時間はない。ガレージに駆け寄る足音が聞こえたんだもの。猛々しい足音はシスター・ガブリエルのものではない。マリア・ガーネットがガレージに駆けこんでいたことに不信感を覚えた人がいたのかもしれない。

 ここではこれ以上のことは話しづらい。私は杖を振るう。

 二人の体が目に見えない粒子に換えて、移動した先は真っ暗なホームの中。私とジャンヌ・トパーズが使っていた部屋だ。トランクに入りきらなかった荷物だけそのままになっている、生活感の薄れた部屋のベッドに私とマリア・ガーネットはガレージにいた時の体勢のままで再構成された。。お互いを構成する粒子が混ざりあったまま再構成されたりしないかしらと一瞬こわくなってしまったけれど、幸いカタリナ・ターコイズが好きそうなそんな事故はおきなかった。

 お菓子たちのいなくなったホームはまるでがらんどうだ。中庭の騒がしさとは正反対の静けさに沈んでいる。

 瞬間移動に戸惑っていたマリア・ガーネットだけれど、移動先がホームの中だと気づくと窓の下に身を潜める。私もそれに倣う。

 はあっ、とため息をつくと、この子はとてつもなく不機嫌そうな声をだした。


「とりあえず説明して。一体何がどうしてあんたは今ここにいるの?」

「一言では説明できない事情のお陰で、私の中に潜んでいた魔法の力が蘇ったの。私は異世界では結構恐れられているウィッチガール姉妹のうち一人よね? だからあなたとついでにもう一人くらい攫うなんてわけないんじゃないかと思って、こうやって空を飛んで来たの」

「――その〝一言では説明できない事情″ってやつが知りたいんだけど――」

「みんなと合流したあと、テレジア・オパールにサービスしてあげて。今回だけ特別にゆるしてあげる」


 マリア・ガーネットは詳しく私に説明させたいような顔つきになったけれど、中庭が再び騒がしくなると追及するのをやめた。やや早口の強い口調で吐き捨てだす。


「なんであんた戻ってきたんだよ! ユスティナをカテドラルが見逃してくれるわけないって、あんた分かってただろ?」


 赤い瞳が憤っている。無理もない。

 窓の外で紫色の燐光がはじけた。囮人形が破壊されたのか。まだ近くにいるぞ、探せ、というような号令も聞こえる。

 それをマリア・ガーネットも当然聞いている。はーっとため息をついて左手で顔を覆った。


「……ったくもう、ほらこんなことに……。なんでだよ、もう……。根性腐っててずるくて生き汚いあんたなら、みんなを安全な所へ連れて行ってくれるって信じてたのに……。生き延びる為に必死になる筈だからって信じてたのに……」

「私は必死よ。だって今からあなたとシスター・ガブリエルを攫わなきゃって仕事があるんだから」

 

 ひざに肘をつき、額を支えるマリア・ガーネットは何も言わない。ぴりぴりした雰囲気から、かなり腹を立てていることを察する。口もききたくないほどに。

 確かにマリア・ガーネットからすれば怒りたくもなるだろう。異世界の技術を調べて売り渡しているお客様に大事な右腕の構造を明かしてまで安全圏へ逃がした私が、のうのうと死地に舞い戻ってきたのだから。

 さらにその上、自分とシスター・ガブリエルを攫ってみんな所へ連れてゆくなんて、世迷言を口にしているのだから。

 馬鹿だの阿呆だの、散々に罵ってもいいような愚かな真似でしかないもの。

 そこはわかっていたから、説得のために私は言葉を注ぐ。


「マリア・ガーネット、あなた私が馬鹿なふるまいに及んでるから怒ってるんでしょう? でも私だって全く勝ち目がないのにここまで来たりしないわ。私は魔法の力を取り戻したのよ? それも異世界ではご立派な大人たちが震え上がって、有無を言わさず破壊することになっているほどの大きな力を。でも私、別にカテドラルと戦争しに来たわけじゃないわ。あなた達を攫いに来ただけもの。それだけなら勝算はあるって言えない?」

「あいかわらずよく回る口だね」


 怒りがおさまらない様子のマリア・ガーネットは低い声で呟く。


「それだけ理屈をこねられるくせに、魔法の力を取り戻したことぐらいでカテドラルを出し抜けるって能天気な結論に落ち着くのが理解できない。もう知ってると思うけれど、昔のあんたを倒してここに送り込んだのはカテドラルだよ? 下にいる兄さんの仲間だよ? いくらユスティナに変身できたからって危険なことには変わりはないんだから」

「きっと昔の私は魔法の使い方が下手だったのよ、無理もないわ。動画を見る限り昔の私は相当なお馬鹿さんだったもの」

「それでも今のあんたよりずっと賢明だよ」


 平然とそう答えると、マリア・ガーネットはいよいよ呆れたみたい。吐き捨ててすぐに黙してしまい、苛立ったように髪をくしゃくしゃかき混ぜる。

 下は騒がしい、マリア・ガーネットの姿がウィッチガールの出現と同時に消えたことも不審がられている頃だろう。

 今、彼らに邪魔をされたくない。

 そおっと窓の下をのぞき込み、カテドラルのものらしい戦闘車両へ向けて杖を振るった。なんでもいいから時間稼ぎをして、という願いを乗せて。

 錬金天使ユスティナアルケミーの得意な魔法は、物質を変化させて別の何かを生み出すというもの。紫色の光の粒につつまれたそれは、見る間に姿を変えた。戦闘車両は鉄製の巨人になり、咆哮をあげながらデモンストレーションとして教会をその拳で打ち壊す。

 カテドラルの騎士たちは、しばらくこの子に構わなきゃいけないだろう。

 ガラガラ……と鉄筋コンクリート製の建物が破壊される音、その下で慌てふためく男たちの動揺、マリア・ガーネットにはそれらすべてが耳に入らないみたい。額を支えてうつむいている。

  

「……どうして……」


 ため息といっしょにマリア・ガーネットは言葉をしぼりだす。


「あんた理屈屋なんだから、逃げた方が賢いってわかってるくせに……。なんでいっつも理屈に合わないことばっかりするんだよ……」


 もどかしそうな言葉に私の胸が締め上げられる。胸がまた光ってしまいそうだ。

 マリア・ガーネットは私の身を案じてくれている。その気持ちが痺れるほど嬉しい。むすっとふくれているこの子の頬に手をあてて、こっちを向かせる。


「あなたを神様のいる国へつれていくことこそが、私の仕事なんだもの」


 マリア・ガーネットの頬に浮かんだ古い傷跡を指でなぞる。肌が少しべたついているのは、お兄様と抱き合っていた時に涙をながしていたせいかしら。

 怒っているということを示すように、マリア・ガーネットは視線をそらす。やっぱりこういう時の表情はティーン向け映画でしか見ないような男の子みたい。

 私が魔法で生み出した鉄の巨人は結構派手に暴れているようだけど、この部屋はとても静かだ。頬に両手をそえてあの子の顔をじっと見つめる。そんな時間はないというのに、怒ってすねた顔がたまらなく愛しくて、ずっと見ていたくなる。

 鉄の巨人の行動を封じるために破壊力の高い火器が使われたらしい。外が一瞬昼間のように明るくなった後、大音響と衝撃でホームの窓ガラスが粉々に砕け散った。

 光りがぱあっと差し込んだ段階でそれを察したマリア・ガーネットが、私を床に押し倒し、覆いかぶさる。そうすることでばらばらと降り注ぐガラスの雨から私を守ってくれた。


「……っ」


 カテドラルの騎士が着るコートは物理的な防御力も高いらしい。ゆっくりと身を起こしたあの子の背中からちゃりちゃりと音を立ててガラスの破片が滑りおてゆく。でも、むき出しの顔や首は無傷では済まなかったみたい。破片でできた小さな傷がめについた。つうっと流れる血をぬぐうために私は指を伸ばす。

 その流れで、今朝あったものがこの子からなくなっていることに気づく。

 首にあったチョーカーが無いのだ。思わず首に指を這わしてしまう。


「首輪、外したのね。おめでとう」

「まあね。あいつらとの縁も切れたわけだから」


 ここだけ日に焼けてなくてみっともないけど、と、今この場ではどうでもいいことをマリア・ガーネットは口にした。


「……ねえ、マリア・ガーネット。早く一緒に行きましょう? みんなあなたを待ってるから」


 ガラスのなくなった窓から入り込む熱い風が、カーテンを巻き上げる。外は明るい、燃え上がっているんだもの。さっきの爆発は鉄の巨人のベースになった戦闘車両のガソリンが引火したものだったのかも。


「このままいくと、あなたのお兄様とも戦わなくちゃいけなくなる。それはちょっと嫌なの」

「――駄目だよ。マルガリタ・アメジスト」


 ガラスの破片がかからないように気をつけながら、マリア・ガーネットは私を抱き起してくれる。コートの袖ごしに鉄の右腕の確かな堅さを感じる。


「あたしはあんた達とは一緒にいけない。ルーシー……シスター・ガブリエルも」

 

 マリア・ガーネットは私から目をそらす。さっきできたばかりの頬の傷から血がとまることなく流れ落ちる。私はそれを再び指先で拭う。

 コートの袖をめくり私に右腕を触れさせる。じんわりあたたかい魔法じかけの見慣れた右腕。触れるとアスカロンの気配がする。今日のこの子はとても状態がいいみたい、いつでもどうぞと言いたげに、マリア・ガーネットの命令を待っている。


「あんた前に、アスカロンってどういう意味って訊いたよね? 龍退治で有名な聖人が持ってた槍の名前なんだよ。こいつはもともとはカテドラルが父さんに支給していたもので、今でも所有権はあっちにあるんだってさ」


 鉄の外殻の下でアスカロンは気力を漲らせている。ぴんとした気配は、主人に忠実で賢い了見を思い浮かばせた。私からみるに、アスカロンはマリア・ガーネットの以外の主を認めていなさそうだけれど、この子の中では違うみたいだ。


「……父さんがカテドラルの教理に反して母さんと結婚したことも、黙ってウィッチガール達を保護していたことも、勝手にアスカロンも私物化したことも全て水に流す。それにあたしと姉さんの生命も保証するから、これからはカテドラルのためにアスカロンの力を振るえって」


 私が指でぬぐったあとから、マリア・ガーネットの頬の傷から血は盛り上がり、また流れそうになる。


「つまりは、本物のウィッチガールスレイヤーになりなさいってこと?」

「──そういうこと。ひょっとしたらウィッチガール以外にも色々倒すことになりそう。悪魔とか怪物とかそれこそ龍やなんかも」


 マリア・ガーネットがカテドラルと合流し本物のウィッチガールスレイヤーになる。

 そういう未来の一つは予想していたものだけど、それが覆りようもないことであるかのように話されると、それなりにショックだ。

 私らしくなく言葉につまっている間にも、カーテンは翻る。ふわふわと大きく煽られていたそれは、やがて大人しくゆらゆらと揺れるだけになる。


 その陰から、この場にいなかった人の姿が現れた。とっさに私はマリア・ガーネットの体にしがみついた。

 そこから現れたのは、黒い尼僧服を着たシスター・ガブリエルだ。音もなく影のようにすうっと現れたのだから、危うく悲鳴をあげそうになった。


「そこで何をしてるんです? ――いえ、どうしてそこにいるんです?」


 普段見慣れていた筈のこの人からは新米教師や若いお母さんみたいな雰囲気はみじんもなかった。緑色の瞳で冷たく私を見下している。


「馬鹿な子、愚かな子。どうしてわざわざ帰ってきたの? あのまま逃げるべきだったのに」

「だってマリア・ガーネットとお別れするなんてやっぱり耐えられませんもの」


 マリア・ガーネットにしがみついた状態からさらに体をぴったりくっつけている。こんな格好じゃきまらないけれど、私は生意気な口をたたいてみせた。幽霊のように姿を現したシスター・ガブリエルに驚かされたことを無かったことにしたくなったから。


 私はやっぱりこの人が苦手だから、少しでも怯んだところを見せたくなかったのだ。

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