第33話 悪い子

 ガラスの破片をぱりぱり踏み割りながら、シスター・ガブリエルがこちらへ近づく。冷たく強張っているのに瞳だけが炎のようにきらめいているその表情から、私に対してどんな感情をいだいているのかがよくわかる。

 怒り、それもとても激しいものだ。


「あのまま逃げていればみんな幸せになれたのに、暴れて目立って。一体何を考えてるの?」


 この人は、私がここに舞い戻ってきたことが不愉快でたまらないらしい。前から私への感情を隠さない方だとは思っていたけれど、ここまで悪意をむき出しにされたのは初めてだ。


「あなたのことですもの、どうせメラニーの言いつけを破って勝手にここへ来たんでしょう?」

「違います。シスター・ラファエルからのご命令で参りました。マリア・ガーネットとシスター・ガブリエルを連れてきなさいと――」


 最後まで言わさず、シスター・ガブリエルは私の腕を掴み、無理やり立たせようとする。窓の外から姿見えてはまずいので、体を跪いたままにせざるを得ない。不安定な姿勢のままでいるのをいいことに、この人は私を部屋の真ん中あたりまで強引に引きずる。

 されるがままの私をマリア・ガーネットは追いかけようとしてくれた。姿勢を低くしたまま腕をのばす。


「ルーシー待って、話がまだ済んでいない!」

「話す時間なんてないのよ、ジョージナ。マイクのお友達があなたを疑っているわ。この子を呼んだのはあなたじゃないかって。。あなたはピーチバレーパラダイスにカテドラルを招き入れた子だもの」


 叩かれたように、マリア・ガーネットの顔が強張った。

 あの子があんな表情になるのは無理もない。だって実際、それはとてつもなく惨い一言だもの。マリア・ガーネットはウィッチガールでもあり、それを狩るウィッチガールスレイヤーでもある。複雑なあの子の立場をあてこすったのだから。家族も同然だっていう、一緒に暮らしてきた女の子に対して、あまりにも思いやりに欠ける言葉だ。

 カッとする私のそばで、この人は冷たい声で続ける。いざという時にはここまで意地悪な声をお出しになるのねって感心してしまうような声で。


「これ以上疑われないうちに戻りなさい。でないとマイクの立場が危うくなる。私たちはこれからマイクと共に生きるのよ、分かってるでしょう?」


 お兄様の名前を出されて、マリア・ガーネットの表情が怯む。

 満足したのか、シスター・ガブリエルはいつもの新米の先生のような声に切り替えた。


「いい子ね、ジョージナ。――あの時の約束を果たしてくれるのよね? あなたは本当にいい子だもの」


 隙をついて、私はシスター・ガブリエルに捕まれていた腕を振り払う。そしてできるだけ早く距離をとり、膝立ちで怯んだままのマリア・ガーネットの手を取った。

 ──シスター・ガブリエルがみせた意地悪な態度で決心がついたのだ。

 この子に向けて、あんな酷い事をを言い放つ人のことなんてもう知らない。それが一見優しそうなシスター・ガブリエルの本性だというなら好都合。私だってこの人のことが以前から気にくわなかった。

 攫うのは一人だけで十分。元々私が連れて行きたいのはマリア・ガーネット一人だけだったんだから。シスター・ガブリエルだけお兄様のいるカテドラルに着いてゆけばいい。


「もう行きましょう、マリア・ガーネット」


 私はマリア・ガーネットの肩を抱く。怯えたように震えるこの子の目をみて言葉を届ける。


「あなたは私たちと神様のいる国へいくのよ。なのにあの人はここに残るって言ってるんでしょ? なら仕方ないわ」


 実際、もう時間が無い。一階付近がドヤドヤと騒がしくなっている。ホームの中が怪しいとカテドラル達だって感づきだしたのだ。

 でもまだ大丈夫。変身した私は空を飛べる。このままユスティナの姿に戻って、あの子を攫って空を飛んで、みんなと合流すればいい……。

 頭の中でプランを組み立てていた私の手に、マリア・ガーネットは触れる。でも自分の肩からそっと外す。

 どうして!? と焦れる私の前で、この子は俯いた。


「ごめん、マルガリタ・アメジスト。あたし、あんたと一緒に行くわけにはいかない――」


 その声には力がなく、響きが虚だ。この子が不安定になっている時特有の声だ。たまらなくて、外されたてを金属で出来た右手に添える。かたかたと小さな音をたてて、鋼鉄製の鱗が震えている。アスカロンも主の心に戸惑っている。

 マリア・ガーネットの声が徐々に苦し気なものになる。それでも堪えて、ぽつぽつと私に教えてくれる。


「ルーシーとは約束してたんだ――あの時酷いことをさせた分、必ず幸せにしてあげるって。ルーシーは誰よりもいいウィッチガールなんだから、そうなる権利があるって。だから」


 ──酷い事って何?

 急かして訊ねたかったけれど、それは憚られた。マリア・ガーネットの目が見開かれている。全身も震え、左手を口にあて、叫びだしたいのを堪えている。

 地下室に私を助けに来てくれた、その時に見せた反応と同じだ。

 あの子の意識が地下室に飛んでいる。おそらく七年前の、事件が起きたその時に。

 それが正解だと示したのは、マリア・ガーネットではない。シスター・ガブリエルだ。


「そうよね、ジョージナ。あなたはあの時、私達を地下室に置き去りにしたんですものね。それで私はあなたのお父様と十一人人の姉妹を手にかけた。――だからもう二度と、私はいい子のウィッチガールにはなれないの」


 マリア・ガーネットは左手をぐっと口におしあてる。こみ上げるものを抑えるように。

 私はこの子の背中をさすりながら、シスター・ガブリエルを睨んだ。どうしてさっきからこんなにもこの子に辛くあたるのか、ありったけの怒りを込めて。


 でもそこにシスター・ガブリエルはいない。

 少なくとも、私の知っているシスター・ガブリエルはいなかった。


 尼僧服姿の新米の先生みたいな女性は消えて、代わりに私達と同じ年頃の女の子がいた。

 痩せた体を際立たせる、露出度の高い水着のような鱗状のボディースーツという尼僧服からほど遠い装いの女の子だ。背中には皮膜のついた羽があり、長い黒髪を左右二つに分けてくるくると大きく縦に巻いている。

 両脚はボディスーツと同じ色のサイファイブーツを履いているように見えたけれど、爪先からは大きくて尖った爪が生えそろっている。爬虫類や鳥類を思わせるそれそのものが、どうやら彼女の脚なのだ。

 彼女の手には、先が三つに分かれた大きな鉾がある。

 元の姿との共通点は緑色の瞳しかなくなった彼女の姿は、私の語彙だと「悪魔」って呼び表す他ない。

 でも違う。この子は悪魔なんかじゃない。こちらの世界では「悪魔」って呼ばれているキャラクターに似た特徴を持ち、それを引き立てるようなコスチュームを身に着けた異形の、おそらくこの世界の外からやってきた女の子だ。 

 異世界からやってきた先天性のウィッチガール。それがシスター・ガブリエルの正体だった。


「なんて名前だったかしらね――もう思い出せないけれど、どこかの妖精の国に誘われたの。こっちの世界でウィッチガールにならないかって。奇麗な服着て可愛い恰好してちゃらちゃら遊んでるだけで、家族を養える楽な商売だからって」


 窓の外からの照り返しを浴びて、目の前の女の子は微笑んだ。弱々しく、悲しそうに。


「そんなの嘘だって分かってたけど、でもずっと憧れていたのよ? 可愛くて綺麗な魔法少女ウィッチガールになるの。でも私は見た目がこうだからいい子の役は向いてないっていわれて、悪い子役ばっかりやらされて。何度も何度も騙されて――やっといい子のウィッチガールになれるって夢が叶う直前にここに連れてこられて、その上誰からも許されない、一番悪いことに手を染めることになってしまったわ」


 異形の少女の姿になったシスター・ガブリエルは、外見に似合った幼い口調で語り続ける。同情を誘うように語り掛けるくせに、三又の鉾を私達の前につきつけた。


「あの時あの地下室で、この鉾を使って、この子ののお父様や姉妹たちを一人ずつ殺して砕くことになったんだもの。そうしなきゃここから出さない、ここから出すのは生き残った一人だけって、小豚のプリンスが言ったから。――そんなこと許される? そんな悪いことをした私を許せる? 生き延びたいから、助かりたいから、いつか故郷に帰りたいから、そんな身勝手な理由でたった一人だけ助かった子なんかを、ねえ許せる? あなたはどう? 無理でしょう、ねえマルガリタ・アメジスト。だってあなたは心の狭いとっても悪い子だもの」


 つうっと真横に移動して、私の鼻先に突きつけられた鉾の先から、どろりと血が滲んであふれる。ぽた、ぽた、とゆっくり床の上に血のしずくが落ちた。

 こんなの、所詮まやかしだ。今の私にはそれが分かる。だけどマリア・ガーネットは、背中を丸めてあふれ出そうなものを堪えようとして必死で耐えている。


「ジョージナはね、許してくれたのよ。ルーシーだけでも生きてあそこから出てきてくれたから良かったって。あんなひどい状況だったんだから、だれもルーシーを責めたりしないって。魔法が使えなくなったウィッチガールに、どうこうできる状況じゃなかったことをあたしは知ってるからって。異世界から一人やってきて辛い仕事をしながら家族に仕送りしていた優しい姉さんだって、あたしは知ってるからって。だから自分を責めないでって。――本当にいい子、私がお父様を手にかけたのに」


 シスター・ガブリエルだった女の子の頬を、涙が流れて伝い落ちる。

 七年前の地下室で起きたことを告白しながら、あの人は心底悲しそうにつうっと涙を流している。自分自身が生き延びるために何人もの人を手にかけた子の癖に、一番の被害者であるかのように。

 全くだ。彼女自身が言うように、目の前にいるのは身勝手極まりない女の子だ。

 しかも自分を憐れんで泣くなんて。マリア・ガーネットが怖い思いをすることが分かっていて血なまぐさい過去をわざわざ口にする嫌な子のくせに被害者ぶってみせる、恥知らずで唾棄すべき女の子だ。仰るとおり、私はこの子が許せない。

 突き付けられた三又の鉾を金色の杖で払いのけて、マリア・ガーネットの体を抱える。


「聞いちゃダメ。お願い。あの人の言うことは筋が通っていないわ」

 

 筋の通っていない話が人の心に与える影響が馬鹿にできないことを、テレジア・オパールのお陰で私は思い知ったばかりだ。おまけにマリア・ガーネットは、筋の通らない話に人一倍感応しやすい子だ。私はよく知っている。

 ぐっと息を飲み込んだマリア・ガーネットが、絞り出すようにして言葉を吐く。それは、私が悪い方に予想していた通りものだった。


「――おかしくなんかないよ。ルーシーはシェルターで一番、大人しくて優しい姉さんだったんだから。いつか故郷に帰って家族に元気に暮らしてるって伝えたい、残してきた小さい弟や妹に会いたいって、いつもそう言ってた――」


 はあ、はあ、と息を荒げるマリア・ガーネットは、髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。


「そんな姉さんが人を殺さなきゃいけない羽目になったそもそもの原因は、父さんに保護されてここに連れて来られたせいだもの……。ここになんて来なければあんなことしなくて済んだのに……。あたしがあいつらに捕まらなきゃ、こんな風にならなかったのに……。なのにあたしだけのうのうと助かって……。あたしだけ助かったのに何にもできなかったせいで、そんな羽目になって……だから」

「だから? だからあなたは人殺しをさせた償いをしなきゃいけないから、あの人と一緒に行くっていうのっ? 私とではなく?」


 無言でマリア・ガーネットは頷く。


「ルーシーは兄さんの帰りをずっと待っていたんだ。だから、そうしなきゃ──」

「そんなことない! あの方一人お兄様に引き取ってもらえばいいじゃない! あなたまで一緒に行く必要はない!」

「それじゃダメなんだよ! ルーシーはウィッチガールなんだよ? しかもやむを得ない理由があったとはいえ人に深刻な危害を加えたんだよ? カテドラルからしてみれば抹殺対象なんだ。兄さんががんばって交渉してくれたから命があるけれど、本来今すぐ撃ち殺されても文句が言えない身なんだよ」


 マリア・ガーネットは声を張り上げたけれど、その声からすぐに力がなくなる。


「でも、あたしがカテドラルに入るなら、もしくはアスカロンを返するなら、特例であたしと一緒にカテドラルの監視下に置くって……。だから……」


 私は言葉を失う。

 唖然としている間にも怒りが激しい勢いで膨らみだす。──神様にお仕えしていることを掲げている組織にしてはずいぶんやり口が汚いじゃないの。

 マリア・ガーネットの右腕を診ていた立場だから、私はよく分かっている。

 廃材を糧にしてあの子のお母様が命と引き換えに造った右腕は、最初は異物だった赤い宝石を組み込む形で成長している。アスカロンも、右腕が取り込む魔力を食らうことで使い魔としての形を保っている。今、マリア・ガーネットの右腕とアスカロンは共生関係にある。この世界から去ったご両親が、右腕の外殻の中で寄り添い慈しみあっているがごとく。

 そんな状態だから、アスカロンだけとりだして返却するわけにはいかない。分かちがたく結びあっているこの二つをバラバラにすれば、この子の右腕は壊れてしまう。カテドラルにしてみれば異世界の魔法を宿した女の子なんてどうでもいいものかもしれない。でも、ここまで育って手懐けられたアスカロンに瑕を与えるような真似はしたくないはず。


 貴重な使い魔を中に宿した、異世界の魔法技術の粋。

 その右腕を使えるのは、世界中見渡してもマリア・ガーネットただ一人だ。


 アスカロンだけを取り戻すのが叶わないなら、所有者であるあの子ごと抱きこんでしまおう。 

 毛色の変わったウィッチガールだった過去は、特例として水に流してやろう。

 それで首を縦にふらないようなら、脛に傷を持つ身内に甘い汁を吸わせてやればいい。過去の悲惨な事件による古傷も罪悪感もとことん利用すればいい。そういうことに違いない。

 

 ああ汚い。何もかもが汚い。こんなところに神様なんていやしない。


 そんな汚い魂胆に、抱く必要のない贖罪意識から自ら身を寄せようとするマリア・ガーネットが歯がゆくて仕方がない。肩をつかんでゆさぶりながら、しっかりして! と叫びたくなる。

 どこからどう見てもマリア・ガーネットは悲惨な事件の被害者だ。九歳で右腕を奪われて辛うじて生還した子だ。自分だけ助かったと罪悪感を抱く必要なんて全く無い子だ。そもそも半死半生の九歳の女の子が、極限状態にいる女の子たちや大人の男性を助けられるわけがないじゃない。

 なのにどうして、シスター・ガブリエルが生き延びるために罪を犯したことを責めもせず、わざわざ背負い込もうとするのかしら。犠牲者の中には自身のお父様だって含まれるのに。


 許さなくていいのに。あんな人責めて罵って、生きたまま苛んだっていいのに……。


 本当はそう言って説得したかった。

 あなたの傷を弄りまわす、悪い大人の言葉に流されないでと言いたかった。

 でもこれ以上、地下室やお父様の最後を連想させる言葉をマリア・ガーネットの耳に入れたくなかった。見るからにこの子は限界だ。ただでさえ今日はこの子にとって負担の多い一日だったのに。

 それに、たとえ私がどんなに喉を嗄らして、言葉を尽くして説得しても、マリア・ガーネットは受け入れてくれてないだろう。私の言葉なんかより、この悪いウィッチガールに意地悪されることを選ぶはずだ。優しくて大人しかったという昔の「ルーシー」の思い出を共有しているせいか、それとも同じ体験から生き抜いてきたもの同士だからか、理由はどうあれわざわざ理屈にあわない方を選ぶのがマリア・ガーネットという子だ。

 この子の中にいる神様は、「ルーシー」は救う価値などない酷い女の子であると断罪することをよしとしないはずだ。この子だけが信じる神様の前では私の理屈は悲しいけれど無力だ。


 私は焦れる


 こんな人この場に捨ておいて、早くみんなと合流したい。自分のためだけに私の大事な子を利用しようとするこの人なんて、カテドラルに撃ち殺されてしまえばいい。私の心はちっとも痛まない。

 それでも今にもポロポロとバイブルの文句を唱えそうなこの子を見ていると、その気持ちも失われる。この状況で攫っても、マリア・ガーネットは地下室に一生縛られる。私たちの目の前で、静かに涙を流す異世界からきた先天性のウィッチガールに、その後の人生を奪われる。


 今、私がこの子を攫っても、きっとすぐ地下室に囚われる。

 それは嫌だ。どうしても。


 重たげな靴を履いた足が階段を駆け上がる音が、私を現実に引き戻した。と同時に、悪魔みたいな姿の女の子はシスター・ガブリエルの姿にもどる。三又の矛は消えて、黒い尼僧服の新米の先生みたいな女の人に。


「ジョージナがユスティナを捕らえた、そういう筋書きにするの。協力してちょうだい、この子の安寧を願うなら」


 冷静な声で、シスター・ガブリエルは告げる。さっきまではらはらと涙をながしていたはかなげな女の子とは、いろんな意味で同一人物とは思えない。

 足音が廊下を駆けている。攫うべき瞬間は今しかない。

 それが分かっていたのに、私はマリア・ガーネットの右手を自分の胸にあていた。そして、床の上にあおむけに倒れる。その直後にドアが大きな音をたてて開き、誰かが部屋の中に飛び込んでくる。この人には、マリア・ガーネットが私を捕まえた風に見える筈。

 私の勝手な振舞で、マリア・ガーネットの瞳に生気が戻った。ようやく心が七年前の地下室から現実に引き戻されたみたい。それを見て私は薄く微笑みかけた。

 この子を説き伏せたい時は、理屈を解いても無駄なのだ。理屈じゃない説得の方がよーく効く。やっと私はそれがつかめてきた。

 こうなった以上、マリア・ガーネットを完全に地下室から解放しなければ。シスター・ガブリエルの呪縛を解かなきゃ。でないと神様の住まう国へはきっとたどり着けない。予定より時間はかかってしまうけど仕方ない。


 荒々しい靴音が部屋の中央へむけてずんずんと進む。視線だけを動かして、どんな人が入ってきたのかを確かめた。案の定、黒いコートを身にまとったカテドラルの騎士だ。シスター・ガブリエルとマリア・ガーネットを見るなり険しい声を出す。


「急にいなくなったりするから一体どうしたのかと……!」

「ごめんなさい。でも、ジョージナがユスティナを見つけたんです」


 のしのしと床を響かせながら、カテドラルの騎士はあおむけに取り押さえられている私と動きを封じている風に見せているマリア・ガーネットに近づく。そして私を真上からのぞき込んだ。──どこかで見覚えのある人だと思っていたら、この人、レストハウスであの子のお兄様と一緒にいた方だ。確かジェイクと呼ばれていたっけ。ピンク色の子にステッキで殴られた頭は、包帯がぐるぐる巻かれている。

 断りもせずに私の頬を掴んで頭を左右に傾かせながら、彼は眉をひそめる。


「やっぱり君がユスティナか……! だからあの時行かせるなって言ったのに」


 忌々しそうに呟きながら、手にしていた拳銃を私の眉間に突き付ける。マリア・ガーネットの表情がさっと変わったのが嬉しいけれど、いら立ちを隠さないカテドラルの騎士は私を問い詰める。


「どうしてここに戻ってきた? 理由は?」

「マリア・ガーネットとお別れをしたかっただけ。私たちとっても仲良しだったから」


 あどけなく見えるように笑いかけ、いつもより幼い口調で答えた。出来るだけ無垢で無邪気な女の子に見えるよう(お仕事への研鑽が役に立った)。


「本当はね、私たちと一緒に封鎖区域の外に出ましょうってこの子を迎えにきたのよ? なのに、それは無理だって断られたの。マリア・ガーネットったらお兄様や皆さんと一緒にカテドラルに入るんですって。そんなのイヤって我儘言ったらケンカになって、この有様よ」

 

 無垢で無邪気な女の子のふりをすれば、ほだされて眉間につきつけた銃口をはなしてくれるんじゃないかと期待したけれど、儚い希望に終わってしまう。カテドラルの騎士は、禍々しいものを見る目で私を睨んだ。今にも引き金にかけた指に力をこめそうだ。

 それを察したのか、マリア・ガーネットが彼へ向けて頼んでくれる。


「銃を離して。この子はもう何にもしないから」

「女の子の口約束を真に受けるわけにはいかない、悪いね」

 

 銃口の冷たさを感じながら、ここに着いてすぐに見た光景を思い出す。あちこちに転がる妖精や人間達の死体、跪かせた妖精達をぱんぱんとリズミカルに処刑するお兄様。

 カテドラルにとって、私は悪い妖精と大差ない存在だ。目の前にいる彼も、見た目が無垢で無邪気で天使みたいだからって心惑わされたりしない人だ。私を見下ろす厳しい目つきでよくわかる。

 それでもできるだけ哀れっぽい声を出し、とっさに浮かんだ嘘を並べ立てた。だって私は今、こんな所で死ぬわけにはいかないもの。


「待ってお願い。撃たないで。私を撃ったら、周りにいる人たちみんな死んじゃうんだから」


 何を世迷言を言うのか、そう言いたげなカテドラルの騎士の目を見つめ、私は哀れっぽい涙声を出す。


「私文明圏の危険な兵器であることはご存じでしょう? 恐れられているのには理由があるのよ。不用意に攻撃して生命維持活動が強引に停止されると、辺り一帯まきこんで大爆発する魔法が仕掛けられているの。本当よ? ――私、いやなの。マリア・ガーネットもシスター・ガブリエルも、たくさん思い出のあるこのホームも、全部ぜんぶ吹き飛ばしちゃうのは嫌。だから撃たないで。約束します。もう何もしませんから。お願い」

 

 勿論、そんな魔法がかけられているのかいないのか、私自身知る由もない。

 ──ユスティナを下手に刺激するとドカンとなる──、ピンク色の子とケンカして大負けしたあの夜、私の覚醒を阻んだ犬耳の子がそんな台詞を口にしていた。それをもとに吐いた大嘘だ。

 でも、ユスティナに関する情報が無いも同然なこの世界では、「ひょっとしたら」という疑いを催させて煽るにはには十分な嘘の筈だった(私自身「ありうるな」ってなって思ったくらいだもの)。

 カテドラルの騎士はぎりぎりと歯噛みしたのち、悔しそうに銃を引っ込めた。下手に刺激してドカンとなってはたまりませんものね。


「この子もさっきの子と同じ場所に拘束するように」


 悔し気にシスター・ガブリエルにそう命じるカテドラルの騎士が気づかないように、ちらっとマリア・ガーネットを見やる。

 私のわざとらしい哀れっぽい声と嘘によるお芝居に、少しくらい緊張をほぐしてくれているんじゃないかしら。そんな風に期待したから。


「……」


 狙った通り、マリア・ガーネットが私を見降ろす目はすっかり呆れていた。こんな時に、とか、あいかわらず根性腐ってる、とか言いたそうな顔つきを見て安心する。この子の意識が地下室から離れたのならもう安心だ。こういう表情ができるなら、私にはまだチャンスがある。

 銃口から解放されるやいなや、シスター・ガブリエルが私の腕をつかみ、立ち上がらせた。


「いらっしゃい、マルガリタ・アメジスト」

「了解しました。私がここに長居をすれば、あなたの立場が悪くなってしまいますものね」


 シスター・ガブリエルは緑色の瞳で私を憎々し気ににらんだけれど、これくらいの嫌味は許される筈。

 

 


 

 廊下を引きずられ、階段を降り、連れてこられたのは馴染のある場所だった。

 鼻にささるペンキの残り香、乾いた埃の匂い、そっけない天井、タイル張りの床。

 灯りはついていないが、採光用の窓から差し込む揺らめく炎による明かりが、壁に目を向ければ十二個の樹脂製ケースの並んだ棚を浮かび上がらせている。


 地下室だ。


 さっき散々、かつて地下室で起きた痛くて怖くて可愛そうな話を聞かせた上でここに連れてくるなんて、やっぱり意地悪のセンスのある方だ。誉めて差し上げたいくらい(マリア・ガーネットは大人しくて優しい姉さんって評しているけれど、一体どこが?)。

 ここに連れてきたシスター・ガブリエルは、私を地下室内に突き放す。

 その瞬間、変身してからずっと手に持っていたあの可愛くない杖の感触が消えた。

 倒れかけたところを足を踏ん張ってこらえ、消えた杖を顕現させようと腕を伸ばした。でも何も反応がない。指先は空を掴むばかり。

 中庭で燃え盛る炎の輝きが、採光用の細長い窓からも差し込む。それで今の自分の姿がどんな格好なのかを教えられた。白い天使のような姿でも、紺色のワンピース姿でもない。セルリアンブルーのTシャツと趣味の悪い花柄スカートだ。ユスティナに変身する前に着ていた、あの冴えない姿に戻っている。


「以前のあなたは気づけなかったでしょうけれど、ここでは魔法が使えないのよ。ここはそういう部屋なの。マルガリタ・アメジスト」


 みっともな服装にもどって慌てる私を見たシスター・ガブリエルは、そう言って意地悪く笑う。狼狽する様子がおかしかったらしい。流石にムッとしてしまうけど、それにいよいよ彼女は気をよくしたらしい。澄んだ声で囁いてくれる。


「ようやくいい子になりましたね」

「急なピクニックに合わせて美味しいお弁当をたくさんご用意してくださったことへの感謝の気持ちが少しはあったのに、さっきの出来事できれいさっぱり無くなりました。それでもいい子でしょうか?」

「ええ、今までで一番いい子だわ」


 シスター・ガブリエルはここにきて、いつものごとく新米の先生のように微笑んだ。


「お友達がいるから、おしゃべりでもして過ごしていなさい。マイクの仲間から呼び出しがかかるまで」

「?」


 意味のわからないことを言うと思った端から、地下室の奥の方でもそりと動く影がみえた。光の当たらない場所で、壁にもたれ床に座っていた誰かがいたのだ。


「食事の時間ですか?」


 どこかで聞いた覚えのある、ちょっと舌ったらずであどけない声だった。暗がりになれた目をこらすと、徐々に小柄な女の子の姿が浮かび上がる。ショートカットの頭から、子犬のような犬耳を生やした女の子、ハニードリーム所属のウィッチガールだ。

 ショーでマリア・ガーネットと対戦する予定だった、あの子だ。

 昨日ここに挨拶に来ていた時と同じ、東アジアの農村と相性のよさそうな藍色のブレザーとプリーツスカートという、野暮ったい姿で胡坐をかいていた。

 ──どうしてこの子がここに?


「文明圏に属して間もないここの世界が戦闘従事者保護条約に批准しているとは期待しておりません。しかし、ごく一般的な人道的感覚でもって捕虜に対し接していただきたいのです」

「――食事ね。そうだったわね。忘れていてごめんなさい。すぐ用意するわ」

「頼みます。あとそれからさっき言った例の件に関してもどうか一つ、はい」

「……分かったわ」


 いぶかしむ私を放って、犬耳のウィッチガールと新米の先生に戻ったシスター・ガブリエルは言葉を交わす。

 そしてこの人はするするとタイルの床を滑るように移動し、ドアを開けて出てゆく。ドアノブががちゃりと鳴った。鍵をかけられたのだ。

 シスター・ガブリエルが階段を上りきるあたりまでの間を読んでから、私はふうっと息を吐く。

 同じように犬耳の子も、ふう、と息を吐いた。

 お互い無意味に顔を合わせる。

 中庭で燃え盛る炎の光が、採光用の窓からさしこんで室内を照らす。

 犬耳の子は昨日見かけた時と同じように、きょとん、とか、ぽかん、という顔つきをしている。でも、眉間に寄せられた皴のぐあいから「なんでお前がここにいるのか」と説いたげな雰囲気を出している。私もきっと似たような表情をしている筈。 

 口火を切ったのは犬耳の子だった。


「ユスティナはサクラさんを護衛にやとって封鎖区域外に出ていくという話でしたが」

「……ちょっと事情が変わったのよ。あなたこそどうしてここにいるの? ショーはどうなったの?」


 犬耳の子は無言で頭上を指さす。


「あんな状況でショーもクソもないでしょう」

「……それは確かにそうね」

「あと、サクラさんに野暮用を頼まれてたんです。ショーのついでに、どんな手使ってでもいいからイブリス・ルキファから昔貸した金を取り立てて来いっていう」

「……? 誰その、イブリスなんとかって。そんな方ここにはいないわよ」


 私の言葉に犬耳の子はぎゅっと眉根を寄せる。私の言葉がよっぽど以外だったみたいだ。 


「さっきの尼さんがそうだって話でしたが? 元々は魔界少女イブリス・ルキファっていう悪もんの魔法少女だったって。あたしらとは所属先は違うんですが、サクラさんとは昔何度か一緒に仕事をしたことがある仲だと伺っています」


 その流れでサクラさん金を貸したら数日後に失踪って形で踏み倒されたらしいんですよね、それがよっぽど悔しかったらしくて――と、犬耳のウィッチガールは淡々と教えてくれた。


「今でも人気あるらしいですよ、イブリス・ルキファ。光堕ち回前で突然失踪したって所が特に興味をそそるみたいで。サクラさんと共演してる動画ならハニードリームのサイトから有料でダウンロードできます」

「──」

「えぐいのに興味あるなら後々にでも見るといいです。正直あたしはお勧めしませんが、はい」


 あどけない口調で犬耳のウィッチガールが話す内容は、あまりにも人を喰っていた。彼女が語る女の子が、さっきまであの子に意地悪をして私を怒らせた、自分自身を憐れんでばかりいるどうしようもないあの人と同じだととっさには呑み込めない。


 クラクラする頭を私は抱える。

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