第31話 変身

「あ、あれ! あれひょっとしてショーの光じゃない!」

 

 バルバラ・サファイアがはしゃいだ声を出したせいで、私の意識は峡谷キャニオンに引きずり戻された。バルバラ・サファイアの指す方向を見ると、確かに地平線の近くで赤や黄色の光がちらちらと瞬いている。

 花火にも似ているけれど、そうではない。あの光は丸く花開いたりしていない。


「絶対そうだ! すごい、すごいよ! こんなに離れていても見えるんだよ! あの子の魔法の光が」


 日も落ちきって足場が悪くなったというのに、バルバラ・サファイアはぴょんぴょん飛び跳ねる。危ない! と、アグネス・ルビーに諫められてもお構いなしだ。

 ピクニックブランケットの上にいる私たちも、釣られて光が瞬くあたりを眺めた。弾ける赤い光、立ち上る爆炎。時々見える火柱。予想されていた通り、ショーはずいぶん大規模なものになった様子。

 あの近くはきっと、魔力のもたらす衝撃は破裂の音に、観客や関係者たちやヤジや歓声でずいぶん賑やかな筈。でもここまでそんな賑やかさは届かない。遠くで繰り広げられているお祭以外のなにものでもない。


「外の連中があれを目撃していたら宇宙人の怪光線ってことにされるよね、絶対」


 カタリナ・ターコイズが皮肉るのが聞こえた。


 赤い星の雨のような光の束を、私は見つめる。あの光はマリア・ガーネットが放っているものだ。それをおもうと胸がきりきりと苦しくなる。

 今、あの子は戦っているのだ。お兄様が来るまでたった一人で。

 シスター・ガブリエルがそばにいたって、本物の戦場で生き抜いてきたことを匂わせているあの犬耳の女の子と戦っているのはたった一人だけ。 

 今朝まで一緒にいた女の子があんな遠くにいる。

 あの子のもう一つ右腕になると言った私は、今どうしてここにいるのだろう。

 

 そんな気持ちに塗りつぶされかけて、慌てて頭を左右に振る。

 

 右腕だから、ホームの子たちの命とドルチェティンカーの将来とあの子の思い出を託されたから、今私はここにいる。右腕じゃなきゃ、こんな大役を任されたりしない。

 魔法が使えない私があんな戦場にいても、足手まといになるだけだもの。

 何もかも分かっているのに、分かっている筈なのに、鼻の奥がつんと痛んだ。勝手にこぼれた涙を見られないように膝の上にもう一度顔を伏せたけど、鼻をすすったせいでジャンヌ・トパーズを振り向かせてしまう。誰が見ても様子がおかしい私へ、「どうかした?」なんて声をかける。

 人前で感傷的になってしまうなんて……と恥じ入ったその瞬間、私の背中に何かがぶつけられた。お陰で涙は引っ込んだけど、正直なところ、かなり痛い。

 忌々しさにかられながらあたりを調べると、私のそばに例のソールの高いサンダルが落ちていた。これが、私めがけて投げつけられたことは明らかだ。

 サンダルの持ち主がいるあたりを睨めば、案の定、その通りだと言わんばかりのテレジア・オパールが立っている。素足で岩を踏みしめて脚を肩幅に開き、腕を組み、尊大な女王様として膝を抱えている私を見下している。

 サンダルを投げつけられたことへの抗議も込めていっそう強く睨み返すと、受けて立つと言わんばかりに彼女はきっとまなじりを吊り上げた。甲高い声で怒鳴ってくる。


「あんたは泣かないでよ! 悲しみに浸らないでよ! そんな権利あんたには無いんだから!」


 一方的に怒鳴りつけたあと、テレジア・オパールは裸足でこっちまで速足で駆け寄る。砂煙がたちそうな結構な勢いで。

 ブランケットに座ったままの私の前で、改めて仁王立ちになると、腰に手を当てててぐいっと背中をそらした。そうしてこちらを見下してくれる。


「泣いたところで、あんたはあの子を戦場に置き去りにしたって事実は変わりようがないし、許されないんだから! なのにこんなところで可哀想ぶらないでよ、見苦しいったらないわ!」


 見苦しい。

 その一言が私の怒りに火を点けた。

 確かに、うっかり涙ぐんでしまったことはみっともなかったけれど、さっきまで一人離れてこれみよがしに悲嘆にくれていた彼女にだけは言われたくない。

 やめなって、と、ジャンヌ・トパーズが私の腕を引いて諫めたけれど、この際無視。立ち上がって正面からテレジア・オパールとにらみ合う。


「あなたにだけは言われたくないわね、テレジア・オパール。いつもいつも世界で一番可哀そうな女の子みたいな顔をして不貞腐れて迷惑かけて――見苦しいってそういうのを言うんじゃないかしら?」

 

 女王様の気位を刺激して羞恥心を高め、戦意をくじいてしまおう。そういう作戦だったのだけれど、私の目論見は外れた。テレジア・オパールは腕を組み、フンっと鼻息を荒げて胸をはり、堂々と開き直ったのだから。


「私はいいのよ、だって実際、今この世界で一番可哀想な女の子は私なんだから!」


 テレジア・オパールがぬけぬけとこう返す。そんなパターンは私の中にはなかった。

 しん、とあたり一帯が突然静まりかえったことから察するに、私以外のみんなも彼女の言葉にあっけにとられたみたいだ。無茶苦茶を口走るテレジア・オパールにみんなの視線が集中する。

 それに気づいているのかいないのか、ぎらぎら輝く目で私を睨みつけながら、テレジア・オパールはわめきちらす。


「ずーっとずーっとずぅぅぅーっとと好きだった女の子をあんたみたいに破廉恥で頭がおかしい女の子に盗られたのよ!? これ以上酷いことってある? あるなら言ってごらんなさい


 テレジア・オパールの失恋より酷いこと、そんなのあるに決まってるじゃない。

 マリア・ガーネットの身におきたことがそうだし、それでなくても貧困とか差別だとか戦争だとか不治の病だとか社会格差だとか、とにかくテレジア・オパールのちょったした失恋より可哀想なことなんて、この世の中にあふれかえって珍しくもないはずだ。あんな町に閉じ込められていた私だってそれくらいのことは知っている。

 だというのに、テレジア・オパールの言葉があまりに無茶苦茶すぎて、何一つ言い返せない。

 ――そもそも「破廉恥で頭がおかしい」って私のこと? 混乱して、口をみっともなくぱくぱくさせてしまう。こんな言葉に黙らされるなんて、ああ、マルガリタ・アメジスト一生の不覚。

 なんとか態勢を整えようとしたけれど、奇襲に面食らった私へテレジア・オパールは地団駄を踏んでたたみかけてくる。


「しかも何よ! 頭のおかしさと同じ程度にはあの子のことが好きな筈だって信じてたのに、絶対危ない目に遭わせたり一人きりにしないって、絶対絶対あの子に寂しい思いをさせたりしない奴だって信じてたのに! なのになんでここにきて急に物分かり良くなってるの? なんで一番頭がおかしくならなきゃいけない時に、急にお利口さんになるのよ!? 普段あれだけ問題児なのに!」


 散々な言われように、口をあんぐり開いたままにさせてしまう。「開いた口がふさがらない」という言い回しの見本みたいに。

 でも、テレジア・オパールの無茶苦茶な言葉の中に、「信じていた」なんて耳を疑うような言葉が混ぜられていたことを無視できない。肩をいからせて顔を真っ赤にして駄々をこねているようにしかみえない、尊大でわがままな彼女がまさか私を認めてくれていたなんて。

 危うく心を打たれそうになった所で、私はなんとか自分を取り戻した。こんなところで、こんな無茶苦茶で、言葉を失ってしまうなんて私ではない。

 激昂するテレジア・オパールに言い聞かせるために、私はつとめて冷静に言い返す。


「だってマリア・ガーネットに頼まれたんだもの。封鎖区域の外までみんなを連れ出してって。そこでみんなで幸せになってって──。私はあの子から願いを直接託されたの。だからそれを全うしなきゃいけないの。そのために今ここにいるの。分かった?」


 ドルチェティンカーを引き継ぐこと等その他の事情は伏せたままだけど、ともかくテレジア・オパールは、目をぎらぎらさせたままでもふーっと長く息を吐く。

 私がここにいるのがマリア・ガーネットの指示故だということは飲みこんでくれたのか、ぶすっとふくれた顔でこう吐き捨てる。


「――、分かった」


 ここでうっかり安心するだなんて、私も甘かった。


「っていうと思った⁉ このくそビッチ!」

 

 おそらく彼女の中で一番力の込められた平手打ちが、私の頬を打った。彼女の返事に力をぬいてしまった私は、まともにそれを食らってしまう。なすすべなくブランケットの上に倒れこむ私をジャンヌ・トパーズとカタリナ・ターコイズが助け起こしてくれる。事の成り行きを厳しい顔つきで見守っていたシスター・ラファエルもついにお立ちになった。


「テレジア・オパール、いい加減になさい! それから下品な言動は慎むこと」

「言葉遣いに関しては反省します! でも断じて私は黙ったり致しません! 私はこの子に言わなきゃいけないことがありますのでっ!」


 シスター・ラファエルにまでくってかかるテレジア・オパールの目は、完全に据わっていた。再びその場で足を肩幅に開いて、腰に両手をあてて、女王様然とふんぞりかえる。というよりももう女王様を通り越して暴君だ。誰にだって手が付けられないのは明らかだ。

 じんじん痛む頬を抑えている私の襟首をつかむなり、無理やり立ち上がらせるた彼女は、真上から私の目をのぞき込む。

 

「あんたとあの子が二人でこっそりどんな計画してたのか知らないけれど、あんたなんかの世話にならないくちゃいけないほど落ちぶれてはいませんからね、こっちは!」

「……っ!」

 

 封鎖区域外でのお菓子たちの生活は、私とお客様との間で交わした約束が担保になってるわけだけど――。説明したいところだけど、無理そうだ。真実を告げた所で、頭に血がのぼっているこの子の耳に入りそうにない。

 私の言葉を奪うように、テレジア・オパールは怒鳴り続ける。


「それになによっ! 最後の晩に一緒にすごして別れ別れになって二度と会えないって……! そういうの物語によくあるのよね、死地に赴く男と愛する女が一晩契りを結んで、男は死ぬんだけど女は身ごもっていてその子供たちが増えて遺伝子は引き継がれる――みたいなの!」


 すうっとテレジア・オパールは息を吸い込み、気合をため込んだ後、一気に吐き出した。


「私そういうの大っっっっ嫌いなの! 死期が迫って性欲が高まってるだけの話をキレイに言い換えてるのも気に入らないし、たかだか一晩盛り上がっただけの話だっていうのに子供が授かったらキレイな印象になるっていう物語のシステムにも納得いかないし、大体女も遺伝子もらったからって大人しく引き下がるなよってて思うの! 遺伝子なんかいらないから男さらって逃げるくらいのことしたらどうなのってああいうのを見るとずーっとずーっとイライラしてたの! そんな大っっっっ嫌いな物語をなんであたしの至近距離で演じてくれてんのよ! よりにもよってあんたが……!」


 長い黒髪が逆立ちそうな勢いで、テレジア・オパールは喚き散らす。

 その言い分は相変わらず無茶苦茶だ。彼女が毛嫌いする物語のパターンにあてはまるような一夜をすごしたからって、私が責められる謂れなんてないもの。そもそも私とあの子とでは遺伝子の授受はできないし。大体、テレジア・オパールの好みなんて知ったことじゃない。

 反論しようとすればいくらでもできる。なのに、私はそれができなかった。  

 彼女の言い分に筋が通ったところが何もなくて、一体どこから手を付けたらいいのかわからなかったのもある。でも、私が理屈を口にできなかったのはもっとシンプルな理由からだった。


「あんたは一晩一緒に過ごせたからってそれで満足できるような、物分かりのいい健気でお行儀しか取り柄の無い小賢しい女じゃないでしょう⁉ 好きだから、やりたいからって理由で相手をさらって逃げてくるような頭がおかしいヤツでしょう⁉ 少なくとも私の知ってるあんたはそうだった!」

 

 一体私はテレジア・オパールの中でどういうイメージだったのかしら、それじゃろくでもない悪女か淫魔じゃない。

 確かに私は欲望に正直なところはあるけれど、見極めるべきところは見極めていた筈だし、悪さはするけれど物事の分別はわきまえている方だった。呆れていいのか怒っていいのかどうしたらいいのかすら分からない中で、不思議なことに、私はテレジア・オパールの怒鳴り声に耳をかたむけていた。鼓膜がきーんとしびれるのに、彼女の言葉が胸に響いたのだ。

 何もかもが無茶苦茶で、まともな理屈が一つも無いって言うのに。どうしてだろう?

 そんなこと考えてみるまでもなかった。


「あんた頭がおかしいんだからまともな判断なんかしないでよ! あんなとこから今すぐあの子を攫ってきなさいよ、馬鹿ぁーっ!」


 すぐに手を出すあの子がまた平手を振りかざす。どういうわけだか、私の目にはスローモーションでそれが見える。ゆっくり振り下ろされるそれをかわして、私の手を振り上げる。


「やってるわよ、できるなら!」


 今まで散々やられたお返しも込めて、空振りして隙だらけになったテレジア・オパールの頰を引っぱたく。

 扇子のように髪を乱して、彼女は崩れた。それでも足を踏ん張って、倒れるのだけは防いだ。くさっても女王様、土壇場の馬力はあるんだから。

 叩かれていよいよ燃え上がり、ぎらぎらした彼女の目が私を睨む。私は肩を怒らせて、無茶苦茶な理屈で今まで溜め込んでいた分の気持ちを一気に高ぶらせた。

 私だって、マリア・ガーネットを攫えるのなら攫いたい。もっとシンプルに言うなら、あの子のそばに居続けたい。今までと同じように、あの子と一緒に生活したいのに。


「でも無理なんだもの。私には魔法が使えないし、あの子にはお兄様がいるし……。お兄様は私と暮らすわけにはいかないし……っ」


 頰を伝う濡れた感触で、また涙が出ていることに気がつく。全くもう、最近の私は本当に激しやすい。

 女王様の一大事とばかりにバラバラ・サファイアとアグネス・ルビーの二人が慌ててかけとんでくる。どう反応していいのか分からなさそうなジャンヌ・トパーズとカタリナ・ターコイズがオロオロしているのが見える。河川敷のケンカ番長かよ、とピンク色のウィッチガールがニヤニヤしながらなんだかよくわからないことを呟くのも聞こえる。

 でも周りの騒ぎは私から遠のく。正面に立つテレジア・オパールに向かって声を張り上げながら、彼女の姿すら徐々に小さくなってゆくような奇妙な感覚にとらわれてゆく。その流れに自分の全てを運ばれないように、私はとにかくテレジア・オパールにむけてどなる。


「勝手に言わないで、何にも知らない癖に……!」

「そりゃそうでしょう、知ってるわけないんだから! あたし達になんっにも言わないであんた達だけで勝手になんでも決めちゃったんだから……!」


 この前カタリナ・ターコイズにも言われたのと同じことを、テレジア・オパールは叫ぶ。

 説明不足については謝りたい気持ちが無いわけではなかったけれど、今はそんなことどうだっていい。今の私には言いたいことがある。


「攫えるものならとっくにやってるわよ! ……でもあの子に任されたんだから……! 任された以上はちゃんとやり遂げたたいんだから……!」


 全身に力がみなぎる。この全身が燃える感じにはなじみがある。

 ──ああそうだ、ピンク色のウィッチガールと喧嘩して大負けした日に感じた、あの時の感覚だ。

 視線を下にやると、胸元から紫色の光が強く溢れていた。ああ、やっぱりあの時と一緒だ。

 髪が、趣味の悪いスカートが、内側からあふれる魔力の渦にあおられてはためく。

 もう遠くのショーを見ているお菓子たちはいない。光を放ち、砂埃を巻き上げる私を見ている。見ざるを得なくなる。


「私はあの子の右腕なんだから……! そうなるって決めたんだから……!」


 シスター・ラファエルが煙草を口から離してお命じになる。


「マルガリタ・アメジスト、そのままだよ!」


 言われるでもない。私は胸の光に右手を近づける。手がそのまま光の中へ潜り込む。その中に隠れている杖がある。金属に似たような質感のその柄をぎゅっと掴む。今はあの時みたいな邪魔が入らない。ピンク色の子も野次馬丸出しの顔で私を見ている。


「だから決めたのに……! 本当はあの子とずっと一緒にいたいのに……!」


 掴んだ柄を徐々に光の中から引き出す。栓をしていたものが引き抜かれ、体のなかで眠っていた様々なものが轟く。蠢く。ざわめく。あふれ出る。その感覚は私の体を芯から震わせる。譫言でもなんでもいい、何かを口にして叫んでいないと、意識が保っていられない。体の中で暴れ狂う波が私を振り回す。


「決めたのに……! あの子を神様のいる国につれていってあげるって決めたのに……! あの子に頼まれたからあきらめて……! そういうことを知らない癖に勝手なこと言わないでよ……!」

「だったらやりとげなさいよね、一度は決めたことなんでしょう!」

 

 テレジア・オパールはそこに立ち続けている。

 魔力の旋風にあおられて黒髪を逆立たせても、負けずにその場から怒鳴り返す。


「こんなとこでグズグズ言ってないで、さっさとあの子を連れてきなさいよ……! 私はあの子に言わなきゃいけないことがあるんだから! 私よりこんなクレイジー女選ぶとかありえないって、文句言ってやらなきゃいけないんだからああ!」


 内から溢れる波に煽られるまま叫ぶ私に合わせるように、テレジア・オパールが煽り返す。しかもどさくさにまぎれて聞き捨てならないことを叫んでる。つられて私も普段なら絶対口しないことを叫んでやる。


「馬鹿言わないでよ、あなたみたいな我儘勝手な女の子なんてあの子には全然ふさわしく無い! あの子の隣に立っていいのは私だけ! その場所をあなたなんかに渡してあげない! 頭のてっぺんから爪先まであの子の全てだって全部わたしのものなんだから、あなただけじゃなく誰にも渡してあげないの! 神父様にもシスター・ガブリエルにもあの子のお兄様にも誰にも絶対渡さない……っ!」


 胸に突き刺さっている杖を引きずりだすのに合わせて、口から言葉が、感情が迸る。めりめりと胸が張り裂け燃え上がりそうだ。


「あの子を神様の所へ連れて行くのはこの私なんだからあああッ……!」

 

 感情の堰がこれで全て決壊したのか、どうどうと体から魔力が溢れ出る。どうにとできない絶頂で、全身が燃えるんじゃないかと思うほど。それに任せるまま私は杖の柄を引っ張る。口からひどくはしたない声が出てしまうがかまっていられない。

 杖が引き出され形を顕すのと同時に、私の髪が一気に伸びて金髪に変わる。

 馬鹿みたいなTシャツと悪趣味なスカートも紫色の光の中で粒子になり青い縁取りのある白いドレスの形に再構成されてゆく。肩甲骨の付近から力がほとばしり出て大きな白い翼に変わる。

 金色の杖が完全に姿を顕した時、全身にまで魔力は行き渡る。足元のやぼったいスニーカーも、小さな翼の生えた白いブーツになった。

 胸から引き出した杖を、私はぶんっと振り払う。そうすることで、今まで封印されていた魔力は体の隅々に定着した。絶頂が引いて、さっきまで荒れ狂っていた意識が、すん、と鎮まった。


「……」

 

 アウトドア用のカンテラにぼんやり照らされていたあたりが、白く冴え冴えした光で照らされている。私自身が光源になっているみたい。胸の紫色の輝きは今ではワンポイントのように小さく光るのみ。

 私の変身が済んで、やっと砂塵は収まった。ブランケットは砂まみれになり、お弁当や食器はほうぼうに散らばり悲惨な状態だ。

 突然変身して、金髪と白いドレスの天使じみた姿になった私をみんな呆然とした目で見つめている。まだ興奮している目の前のテレジア・オパールも、目を瞬かせる。

 絶頂と酩酊と疲労が抜けたようにはっきりした意識の中で、私はようやく自分の有様を振り返る気になった。まず自分の両手を確認、白い手袋をはめ、右手に杖をもっている。そのあと自分の周囲をきょろきょろと見回す。

 そして最後に、先端に二匹の蛇が巻き付いた全然可愛くない金色の杖のこともまじまじと。


 ユスティナだ。

 今の私の姿はだれがどう見ても錬金天使ユスティナアルケミーだった。


「――」


 異常な高ぶりが去った後の頭は、悲しくなるくらい冷静だった。どうして今更、ユスティナに変身できたのか。その戸惑いの元そのものについて考えてしまいそうになる。

 その中で感激した声をお上げになったのが、シスター・ラファエルだった。こちらへ駆け寄るなり、ユスティナになった私の肩をぐいっとつかんで揺さぶる。


「でかしたよマルガリタ・アメジスト! 言った通りだろ、あんたはいずれ魔法の力を取り戻すって! ほらごらん、その通りになったじゃないか!」


 ほかのお菓子たちがいるのに、彼女はいつもの冷静なシスター口調をお忘れだ。そのまま私は抱きしめられる。


「しかもこの土壇場でだ、あんた最高だよ! やっぱりあたしの目に狂いはなかった……っ。これでドルチェティンカーも安泰だ……っ」


 しばらくされるがままになりながら、私は周囲を見回す。目を丸くするジャンヌ・トパーズ、眼鏡をずらしたカタリナ・ターコイズ、事態が把握できていないほかのお菓子たち。そんな中、ピンク色の子がブレスレットをステッキに変えながら立ち上がる。


「おっし出たな、人造魔法少女ユスティナ。キッカから聞いたんだよ、あんた遠くの異世界でそうとうやらかしてきたヤバいヤツらしいじゃん」

「それは私の姉妹たちよ。私の方はまともに活躍できないまま、本物のウィッチガールスレイヤーにやられたそうだから」

「知ってるよ。『錬金天使ユスティナアルケミー』、ワンクールで打ち切りになったしょっぱいやつじゃん。つまんなくて二話で切ったけど。まさかそいつの正体が魔法文明圏の自律型生体兵器とか、初めて聞いた時はクソ笑ったし」


 ステッキまで出して挑発するような笑みを浮かべたけれど、彼女に攻撃する意思はなさそうだった。純粋に面白がっているらしい。


「へへへ兵器⁉ あんたが⁉ なにそれどういうことなの?」

「しかも自律型生体兵器⁉ なにそれ、かっこいいんだけど!」


 戸惑うジャンヌ・トパーズとなぜか興奮するカタリナ・ターコイズに、私は微笑んでみせた。

 そうだ、私はこの世界の外で魔法文明を元に発展してきた異世界の一大文化圏で「作らず持たず持ち込ませず」とばかりに危険視されている、恐ろしい力を秘めた人造ウィッチガールだ。

 こちらの世界での活動はまったくパッとしなくって、しかもその期間の記憶は全くないけれど、見つけ次第髪の毛一つ残さないくらい徹底的に処分すると宣告されているくらい、危険視だってされているのだ。


 この姿はあの子を攫うには申し分ない。だから変身できたのか。


 抱きしめるシスター・ラファエルの腕を掴んで一旦遠ざけ、私は膝を軽くまげてみせた。


「おかげさまで魔法の力を取り戻すことができました。感謝申し上げます、シスター・ラファエル。――あなたもね、テレジア・オパール」


 我儘と暴虐が魔法の域に達している女王様は、私の言葉に腕を組んでフンと鼻をならしただけだ。でも、まあいい。私はこの子のむちゃくちゃな魔法にかけられたのだ、それだけは感謝しておこう。この子にお礼を伝えなきゃいけないのはこれで最後にしてほしいけれど。


「だったらとっとと早くあの子を攫ってきなさいよ。さっきも言ったけどあたしはあの子に言わなきゃならないことがあるんだから」


 言われなくてもそうする(でもテレジア・オパールにあんなこと口にはさせない)つもり。だけど私にも段取りというものがある。

 許可を頂こうとすると、シスター・ラファエルは何も言うなとばかりに笑顔になられた。抜かりなくその目に光が宿っている。


「今からあたしらはここを畳んで封鎖区域外へ向かう。おちあう先は分かってるね?」

「心得ています」


 私のお客様から指定された古いモーテルだ(カタリナ・ターコイズが喜びそうな)。


「いいかい、何が何でもジョージナとガブリエルを連れて帰ってくるんだよ。あんたがいなきゃこれからの計画が全て立ち行かなくなるんだからね」


 シスター・ラファエルは私の肩をもう一度抱かれる。

 冷静に考えるまでもない、今この場で私を好きにさせるなんて狂気の沙汰だ。だってドルチェティンカーの再興も、封鎖区域内での安全も、全て私がいるから保障されていることなのだから。

 なのにシスター・ラファエルは、私を見て「行け」と目でお伝えになる。変身した私が必ずマリア・ガーネットとシスター・ガブリエルを連れて必ず帰ると、カテドラルなんかに倒されはしないと、私にはそれぐらい造作もないと信じていらっしゃる。そんな目で私を送り出してくださる。

 冷静さを取り戻した私の頭は、いじましくリスクについつ考えだしてしまう。神父様たちや妖精の国の支社などピーチバレーパラダイス支配者層の抵抗は? それになによりカテドラルの戦力は? 久しぶりに変身した私はユスティナの力を使いこなせる?

 それになによりマリア・ガーネットは私と一緒に来たいって言ってくれる? お兄様より私(達)を選んでくれる?

 ついつい不安になる気持ちを、私の全身に渦巻く息を吹き返したばかりの魔法と逆巻くような魔力が打ち消した。 

 頭はくよくよと小賢しく考え続けている。でも今この瞬間、全身には魔力がみなぎっている。それが私に絶対の自信を与えている。十四歳前後の子どもが抱える万能感かもしれないけれど、それに身を預けるのは案外悪いものではなかった。

 私には今、魔法の力がある。異世界の大人たちも恐れる程の力が。それを信じなくてどうするの。


「承知しました」


 私は翼をはばたかせる。ブーツをはいた足で地面を蹴る。それだけでふわりと体が宙へ舞い上がる。シスター・ラファエル、ジャンヌ・トパーズ、カタリナ・ターコイズ、そのほかホームのお菓子たち、ニヤニヤと面白がっているピンク色のウィッチガール、そしてテレジア・オパール。みんなの顔が徐々に小さくなる。


「必ずあの子を連れて帰ってきますから……!」


 赤い満月の登りつつある東の空飛ぶ、振りそうな星がきらめく西の夜空、日が沈んだため黒々としたシルエットのみを浮かび上がらせる峡谷、大地が球状になっていることがいやでも分かる高さまで私は飛翔する。


 目的地は赤い魔力の光線や、弾ける爆炎で夜なのに煌々と明るいあの町だ。

 

 見慣れた給水塔が今やランドマークだ。宙から私はそこを凝視する。

 比喩でもなんでもなくあの町は火の海で、蟻のようにしか見えない見物客が逃げ惑っている。あの町にいる人々は私が空から見ていることに気が付いているだろうか。


 私は翼をはばたかせる。

 あそこで赤い魔力の光線を放っている、あの子の姿を視認できるようになるまで速度をあげる。

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