第40話 天国

 こうして私たちは、計画通りとはいかなかったけれどもなんとか無事にシスター・ラファエルたちと合流し、はるか彼方の新天地にたどり着き、末永く幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし。


 ――こうなる予定だったのに、現実は甘くなかった。


 まさか、見知らぬ小さな町の傍に降り立つこと羽目になろうとは。

 その上、二十四時間営業のダイナーが見つかるまで、砂漠のフリーウェイ沿いを延々歩くことになろうとは。



「だからあたしはあの時言ったんですよ? 食える時に食わないとって」


 私の目の前でお説教するのは、ハニードリーム所属の犬耳のあの子だ。口の周りを肉汁まみれにして大きなステーキを手づかみでほおばりながら、感情の読みづらい顔つきで私を責めることはやめない。


「あんなにしつこく念を押してたのも、こうなるのを防ぐためだったのに。ユスティナ相手に仏心出したあたしがバカでした」

「仕方ないでしょう! ユスティナが食事から魔力を得るタイプのウィッチガールだったなんて知らなかったんだから!」


 私は言い返さずにはいられない。

 夜通し歩いた末にやっとの思いでたどり着いたダイナーで、どうして叱られなきゃならないのかしら? 外がしらじらと明るくなりつつあるこんな時間に、大きなお肉の塊をみるみる平らげてゆくような子なんかに。

 それに、私にだってこんな羽目に陥ったことへの言い分はあった。


「大体、あなたが急に現れたりしなければ、私とマリア・ガーネットは今頃みんなと無事に合流できていたのよ?」

「その点は大いに反省しています。ですのでこうやってお詫びに飯をご馳走しているわけです、はい」


 テーブルの上には犬耳の子の食べているお肉の他に、分厚いサンドウィッチと、大きなパンケーキがある。その他飲み物とデザート類も少々。

 パーティーでも開いているみたいに賑やかだけど、日付が変わってまだ数時間しか経っていないような時間によれよれの状態でやってきては夜明けも近いこんな時間まで飲み食いする、そんな十代の女の子達っているものかしら? 私たちに向けられる、ウェイトレスや店主、他のお客の視線が気になる所だ。

 まして、三人のうち一人は丈の合ってないコートから金属の義手の先を覗かせている上に瞳が赤く、一人は異世界出身ですよと宣言しているような犬耳の持ち主という、嫌でも人目をひくトリオだし。外の世界でも一番違和感の少ない女の子は私だろうけれど、華奢な女の子が食べるには大きすぎる上にクリームとシロップがたっぷりかかったパンケーキを平らげてしまう。空になったお皿を下げに来たウェイトレスなんて、わたしのことをジロジロ見てから立ち去る始末。

 夜遊び帰りの無軌道なティーンエイジャーには見えなさそうね、残念ながら。


「――食べる?」

 

 私の異常な食欲に目を瞠ったマリア・ガーネットが、サンドウィッチのお皿を差し出す。

 まさかこの子に食べ物に卑しい意地汚い子だと思われてる……⁉ 恥ずかしさとショックと私は言い訳を重ねた

 

「違うのよ、普段の私はこんなに食べないの! さっき使い果たした魔力を補いうためだけに食べてるの! だからこんなに食べるのは今だけなの! 信じて!」

「いいよいいよ、気にしなくても。あたし美味しそうにたくさん食べる子を見るのが好きなんだなって気づけたから」

「嘘ついていませんから! 本当なんだから!」


 ああ今ここにジャンヌ・トパーズかカタリナ・ターコイズでもいてくれたら、私が普段いかに小食なのかを証言してくれるのに……! 

 心の中で嘆いていても、彼女たちが今いるのは、ここからしばらく先にある町のモーテルだ。ああもう、今頃はとっくにみんなと一緒にいて、マリア・ガーネットの前でこんなみっともない姿を晒さなくたってすんだのに……。

 こんな事態を引き起こした原因を作った犬耳の子を、私は軽くにらむ。きょとんとした表情ではあっても、彼女は私の言いたい意味をくんでくれたらしい。口の中にあった肉の塊をごくんと飲み込み、淡々と答える。


「最前から説明しています通り、あたし達の目的地は同じですし、なら同行するのが合理的であると判断したまでです。旅は道連れと申しますし、はい」


 犬耳の子が地下室を飛び出した後、すぐさま怪談を駆けあがり、ホームから中庭を一気に突っ切った。魔法が使えない地下室を脱した彼女には、虚を突かれたカテドラルの包囲網を突破することなんて造作もなかったらしい。単距離瞬間移動魔法を駆使しながらそのままピーチバレーパラダイスを後にして、ピンク色のウィッチガールが待っている地点を目指して砂漠を横断していたところ。夜空を漂う未確認飛行物体の存在に気づく。 

 それがユスティナ――つまり私だと察した彼女は、燃費の悪い瞬間移動魔法で砂漠をよこぎるよりもずっと効率のいい移動法を思いついた。

 空を飛ぶ私の力を借りたらいい、と。

 

 犬耳の子が、そんな虫のいいアイディアを実行に移そうとしていたことなんて当然知る由もない私は、マリア・ガーネットを腕に抱えて翼を羽ばたかせていた。

 考えていることはこれからのこと、それに、空から振り落とされないように強めにしがみつくこの子ってば可愛いんだからとか、そんなこと。

 大仕事を終えたばかりだったんだもの、注意がおろそかになっても仕方ないじゃない。経験値がゼロになって、ようやく再出発したばかりのウィッチガールなんだから。


「どうしたの? 怖い? 高度と速度をさげる?」

「……いやそれは大丈夫なんだけど……」

 

 体を密着している関係で、マリア・ガーネットのの顔が私の顔のすごく近くにあった。

 封鎖区域の外にある街の灯りを見下ろしていたあの子は、私が顔を覗き込むと少し照れたように視線をそらした。


「あんまりこういう風に抱きかかえられたことがなかったから……なんていうか、慣れないっていうか……」


 落ちればまず命なんて助からない高い空の上で、お姫様のように抱きかかえられているという状況にとまどってはにかんでいる。私の女王様の可愛らしさに胸が高鳴った。

 私は断然自分がエスコートされるのが好きな方だから、新天地で落ち着いたら毎日でもこの子にこんな風に抱っこしてもらうつもりだったけど、たまにはこうやってお姫様扱いしてあげるのもいいものね。よく考えれば満月の下で二人きりで空を飛ぶなんて、ウィッチガールでしか味わえないロマンチックなシチュエーションよね。

 ──なんて、甘い気持ちを味わっている時に、背中に急にとんでもなく重たいものが、どさっと加わったのだった。

 それが十二、三歳くらいの女の子の体重一人分だとすぐにわかったのは、私の背中に誰かが無断でおぶさった誰かが、舌ったらずで抑揚に欠ける独特の口調でこう告げたから。


「ユスティナ、ちょうどよかった。目的地も一緒だし、あたしも乗せてってください」

「⁉ あなた何? どこからどうやって……っ⁉」


 ここしばらくの生活で何度も何度もいろんなことに驚かされっぱなしだったけど、これ以上に驚いたことはかつて無かった。それどころか、きっとマルガリタ・アメジストって人格になって一番驚いた筈。

 それはマリア・ガーネットも一緒だったみたいで、急に私の背中に現れしがみつく彼女をみて目を丸くした。


「あんた、ハニードリームの……! なんでここに?」

「あ、どうもです、ウィッチガールスレイヤー。まさかこんなところで再会できると思ってなかったので心の準備ができてませんが、とにかくショーの時はお世話になりましたです。あんたとのことは今後の活動の参考にいたしますです、はい」

「私を挟んで関係ないお話するの、やめてくださるっ?」


 その時に気が付いたことがいくつかあった。

 ユスティナに変身した時は腕力を魔力がサポートしてくれる。でもそれにはどうやら限度があるということ。人を抱えて空を飛ぶのはどうやら一人が限界ということ。二人以上のサポートは難しいということ(いくら燃費がいいとはいえ、建物を半分音もなく消し去るような魔法を使った後だとなおのこと)。

 そして、思い出すことが一つ。本来の私には、華奢で可憐で天使やお人形みたいな女の子の外見相応の力しかないこと。

 つまり二人の女の子を抱えて空を飛ぶのは難しかった。

 じりじりと高度が下がってゆくことに気づいたマリア・ガーネットが、私を気遣ってくれる。


「大丈夫? 一旦地上に降りた方がよくないっ?」

「……ここではまだ駄目……っ、封鎖区域内だもの……っ。私たち通行許可証がないからせめて外には出ないと……っ」

「でもあんた見るからにやばいよっ? 一旦下に降りて休憩した方がいいって!」

「……それは、ダメ……っ!」


 空を飛ぶ私は気づいていた。魔力があともう少しで尽きると本能が叫んでいることを。疲労と眠気と空腹という形で魔力切れを訴えていることを。

 一旦地上に降り立つと、眠るなり疲れをいやすなり、ものを食べるなり魔力の回復活動に走ってしまい、しばらく動けなくなる。それが簡単によどうがついた。それではまた封鎖区域内で足止めを食らうことになってしまう。


「なんとしてでも……封鎖区域の外にだけは……出ないと……!」

「っていうけど、あんた明らかに限界だって!  無理するなってば!」

「大丈夫……っ、外に出たら……、出られさえすれば……っ」


 言ってる間にもガクンと高度が下がり、あの子が私に抱きつく腕に力が入った。

 この急降下がかなり恐ろしかったのか、言葉を失くしてしばらくしてから叫ぶ。


「魔力の補給方法ってなんか無いのっ?」

 

 あるにはある。それもとても簡単な方法が。

 

「私のことが世界で一番……可愛いとか……っ大好きとか……っ愛してるとか……っ言ってくれたら何とかなる……っ筈……っ」

「⁉ あんたこんな時にふざけんなってば!」

「ふざけてません……! 私は本気だから……っ!」


 私は愛情の爆発で魔力が増加するタイプのウィッチガールだから、何も間違ったことは言っていない。ふざけてなどいない。

 なのにマリア・ガーネットは恥ずかしがってまともにとりあってくれなかった。その上私の背中におぶさっている犬耳の子が、舌ったらずな口調でしゃしゃり出た。

 

「了解しました。ユスティナは世界で一番かわいいです。大好きです。愛してますです、はい」

「あなたはちょっと黙っててくださる……っ⁉」


 そうこうしているうちにまた高度がまた一気にガクンと下がる。魔力切れがこれ以上進むのはは命に関わると判断したのかどうか、マリア・ガーネットは「ああもうっ」と叫んでから投げやりに続けた。


「分かった分かった、あんたは世界一可愛いし大好きだし愛してるっ!」

「ダメっ……! 気持が入ってないっ! 本心からじゃないと駄目っ」

「今そんなこと言ってる場合っ⁉︎」


 騒いでいるとまたガクンと高度が下がる。三回目の落下時間が今まで一番長かった。

 そこでこの子もようやく腹をくくったのか、それともやけっぱちになったのか、とにかく叫んだ。


「マルガリタ・アメジスト、こっち向きな!」

 

 怒ったような口ぶりに反応してあの子の方を向くと、あの子は身を起こして私に顔を近づけるとそのまま唇を重ねた。

 不安定な場所、不安定な状態だから勢いが止まらず歯がぶつかってしまったけれど、あの子は首を抱く腕に力を込めて私の頭を抱き寄せる。そしてやや強引に舌をねじ込む。

 いつになく強引で余裕がない(そりゃあ失敗すると墜落するしかない状況ですから)仕草から、温かいものがじんわりと私に伝わってくる。口を通して私の体にじんわり染み通り、限界に近づいていた体の疲労を消してゆく。


 あの子が口移しで注いでくれる魔力を私は必死で舐めあげ吸い上げた。お陰で翼を羽ばたかせる力を得ることができる。夢中で何度も翼を動かす。

 それでなんとか前方へぐんぐんと推進することができた。


「──どう? これでなんとかなった?」

「なったみたい」


 酸欠になりかけたマリア・ガーネットが、唇を離してはあはああと荒く呼吸をしたころ、足元をみると下には小さな町がみえた。道路沿いの街灯に照らされ、まだ眠らない住民のいる窓から明かりが漏れる小さな家の集まりが。

 なんの変哲もない小さな町があるということは、封鎖区域の外に出たということ。


 ああもう、安心だ。

 ここはもう外の世界だ。


 安堵から一気に魔力がぬけてゆく。私たちは徐々に徐々に地上へ近づいてゆき、砂漠を横切るフリーウェイの傍でなんとか無事着地したのだった。──どさっと砂の上に突っ込むような形ではあったけれど。

 地上に降り立った瞬間、私は変身した姿を保っていられなくなり、ただのマルガリタ・アメジストの姿に戻った。悲しいことにまたあのセルリアン・ブルーのTシャツと趣味の悪いスカート姿だ。そしてそのままうずくまってしまう。

 今度こそ本当に魔力を使い果たしてしまって、立ち上がることすらできなくなる。

 もう抱っこしてあげれれなくなったマリア・ガーネットは、地上に降り立つとうずくまる私をのぞき込む。


「お疲れ様、マルガリタ・アメジスト。――どっか痛いの? 大丈夫っ?」

「どういたしまして、マリア・ガーネット。――どこも痛くないわ。安心して」 


 そう、痛くはない。痛くはなかった。痛くはなかったのだけれど。ある事情からうずくまったまま動けなかった。

 心配げにのぞき込もうとしたところから顔を背けてしまうから、あの子はますます心配して私の肩をつかみ強引にのぞき込む。


「じゃあどうしたのっ? 気分が悪いの? 苦しいのっ?」

 

 どちらもある意味正解だった。私が答えるより先におなかの虫が返事をしていしまう。ぐううう~……っと。

 ──ただの生理現象だっていうのに、お腹の音って、絶対聞かれたくない相手がそばにいる時に限って大きな音で鳴るのかしら?

 居たたまれなくなって私は膝に顔をうずめた。ああもう恥ずかしい。あんな音聞かれたら生きていけない。穴があったら入りたい。数秒前の記憶をあの子から消してほしい。

 そんな気持ちで混乱していたというのに、あの子ったら、はあっと大きなため息をついただけだった。


「なんだ……お腹が空いてるんならそういいなよ。どこか怪我でもしたのかって焦ったじゃない」

「言えるわけないじゃない。私は食いしん坊さんじゃありませんからっ」

「半裸でウロウロしたり人の裸をジロジロみたりするのはセーフで、腹の虫聞かれるのはアウトなの? ……あたしやっぱりあんたの恥の感覚がよくわかんないわ……」


 あの子は呆れていたけれど、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。恥ずかしい上に魔力切れが深刻で立ち上がれないのだ。そういう状態は人を心細くさせてしまうらしく、私はうずくまったままべそべそ泣き出してしまう。


「やだもう……せっかくここまで来たのに……っ、私たちこのまま動けなくて死んじゃうんだわ……っ。お腹が空いて動けなくなって私はあなたに恥ずかしい姿をさらしたまま……っ」

「ちょっともう、どうしたんだよ。空腹ごときでなくことないだろ!」


 私だってどうしてこんなことで泣くのかわからない。ただ暴力的といっていいほど激しい空腹が私を大いに混乱させていた。恥ずかしくて、痛いほどお腹が空いているのが悲しくて、とにかく辛くて仕方なかった。

 私本人よりもユスティナに詳しい犬耳ウィッチガールが、きょとん、ぽかんとした顔つきで私をみるなり説明した。


「ウィッチガールスレイヤー、ユスティナに今すぐ何か食わせた方がいいです。兵糧攻め対策で、大抵のユスティナは空腹になると暴走して敵味方関係なく攻撃します。対ユスティナマニュアルにも絶対空腹にするなって記されていますから、はい」

「食わせるったって――どこで、何を?」


 あの子はあたりを見回す。ここはフリーウェイの傍。周りにあるのは砂漠。最寄りの町まであと数マイルはあるという一帯。そして時間は真夜中だ。

 考えている時間はなかった。とりあえず目指すは最寄りの町で、とりあえず私のお腹を満たさなければいけない。

 呆れるあの子におぶわれて(顔を見られたくないのでお姫様みたいに抱かれるのは遠慮した)、犬耳の子がくれた携行食をかじりながら、私たちは真夜中のフリーウェイを歩き出した。時々通過する長距離トラックが私たちを追い越しすれ違う。


 ──そういうやりとりの果てにダイナーにたどり着いたわけだから、犬耳の彼女には文句の一つや二つ言ったっていいと思う。好きな子の前でかかなくていい恥をかかされたんだから。


「本当にもう! あなたのお陰でみっともない姿をみせることになっちゃったんだから。その点どう考えてるの?」

「まあでも、あたしがついてきたお陰でユスティナがユスティナ自身に関して勉強できたと思えばかいた恥の分の元はとれたんじゃないですかね? 己の力と体質を自覚しないのは今後おっかないです。はい」


 何を言っても、経験豊富な犬耳ウィッチガールはきょとん、ぽかんとした顔つきで受け流してしまう(それにしても、たどたどしくあどけない口調に反して減らず口が達者な子だ)。


 おなかが満たされてしまうと、ダイナー内のいろんなことがいよいよ気になってくる。 

 そんな季節でもないのにハロウィンみたいな恰好を私たちを、店主やウェイトレス、長距離ドライバーらしきお客たちがじっとこちらを御覧になっている。

 ――無理もない。まだまだ異世界人はまだまだ珍しい存在であるにもかかわらず、ここは曰くある封鎖区域のごく近く。

 あの子達はひょっとして封鎖区域の……? と疑われた所で、あまりいいことにはならなさそう。

 これ以上の長居は無用、という空気が私たちの間に流れる。お互い顔を見合わせたあと、犬耳ウィッチガールが、藍色のもっさりしたブレザーの内側から厚い封筒を取り出した。

 シスター・ガブリエルから回収した借金だ。

 本当は手をつけてはいけない類のお金だろうけれど、私はお菓子を買えるくらいのお小遣いしか所持していないし、着の身着のままのマリア・ガーネットに至っては無一文だ。この子の持っている現金に頼るしか術がない。お詫びと運賃のためにご馳走するって言ったのはこの子だし、ご厚意には甘えなくちゃ。

 でも犬耳の子が封筒から引き抜いたお金を目にして、マリア・ガーネットがストップをかける。店内を流れる古い音楽に紛れるような小さな声で、ヒソヒソと詰め寄った。


「ちょっと待って。──それ、この国のお金じゃないけど」

「?」

「だからそれ、ここじゃ使えないやつだって!」


 目をぱちくりさせた犬耳ウィッチガールの手元を私ものぞき込む。薄い茶色でキモノの男性が刻印されているお札は確かにこの国の紙幣ではなかった。

 おそらくシスター・ガブリエルがピンク色のウィッチガールに返すつもりで用意していたこの紙幣を、不慮の事態で渡せなくなった今でも長らく持ち続けていたのだろう。

 あの人、こんな義理堅いところもある方だったのね……と、憎らしい人の思いがけない一面に感動しながらも、やっぱり意地悪のお上手な方だという思いも強くする。

 狙ったことではないとはいえこのタイミングで外国の紙幣だなんて。本当になかなかできることではないわよ、イブリス・ルキファ。


「この金、使えないんですか? この世界は通貨が統一されてないんですか? あれっぱかしの陸地にしがみついて生きてる癖にローカル通貨乱立状態ってさすがド辺境です、文明圏加入も今頃になるわけです。はい」

「言ってる場合じゃないよ! クレジット持ってる? 電子マネーは?」

「あるわけないです」


 ああ~……、とうなってマリア・ガーネットは左手で髪をかき回した。私も似たような気持だ。せっかく外の世界に出てきたというのに、無銭飲食で前科一犯、そして補導という結末は冴えなさすぎる。大体私たちは三人ともここでの国籍をもっていない。前科者にならないかわりに、異世界文明を研究する国の機関に一生囚われるという、カタリナ・ターコイズの妄想を笑えない事態になってしまうかもしれない。


「どうする? 私がお仕事でお支払いすることにする?」

「やめなよ。せっかく外に出てきてまでそんなことしなくたっていいし、それこそ通報案件――」


 ひそひそこそこそと相談を始めたその時、パシャっとカメラのシャッターを切るような音が聞こえた。

 カウンター席にいた見知らぬ若い男性が、私たちのいるボックス席に向けて携帯端末のカメラを向けている。

 ……こういうのはあまり気分のいいものじゃない。

 一番見た目に威圧感があるマリア・ガーネットが、私達を代表してその方を睨む。彼は悪びれもせず、カウンターのスツールから立ち上がると、私たちの前に近寄ってくる。


「お嬢さんたち、ちょっといいかな」


 あの子が睨みつけているというのに、手にはまだ携帯端末が。私たちを動画でも撮っているのかしら。それとも配信? 外の世界には失礼な方もいるものね。


「君たちどこから来たのかな? それからこんな時間に何してるの? 教えてもらってもいい?」


 携帯端末のレンズは順にマリア・ガーネット、犬耳の子、そして私の順に移動する。

 男性の意図を知るため、カメラに向かって微笑み小さく手を振ってみせると、彼は私に端末を向けた。一番害がないと思われたのかしら。

 ダイナーの中にいる方々の多くは、彼のこの振る舞いをうるさそうに、または苦々しそうに見つめている。胡散臭い私達よりこの男性の方がこの場に相応しくないと思われているらしい。これは助かる。

 マリア・ガーネットが威圧感をにじませながら返答する。


「こっちに訊きたいことがあるなら、まずそれ、停めてくれない?」

「ああよかった、口をきいてくれた。実は僕、封鎖区域について調べてるんだ。君たち知ってる? この先に七年前から封鎖されてる町があることを。知ってるよね? 知らないわけがないよね?」


 男性は撮影を止めるそぶりすら見せず、自分の質問ばかりを矢継ぎ早に続ける。

 その様子を見て腑に落ちた。よくピーチバレーパラダイスに潜入しようと試みては、神父様および他の支社の方から袋叩きにあった末、二度とフェンスの外の世界へ出ることが叶わなくなった命知らずの方々が現れたものだ。この男性もその類の方なのだろう。


「どんな些細なことでもいいから、あの町や君たちについて教えてほしいんだけど? 昨晩なんか、謎の発光現象や飛行物体が見られたって言うし――そういうの気にならない?」

「話すことは構いませんがタダというわけにはいきません。情報料をいただきますが、よろしいですか?」


 あの町への好奇心をあらわにされて閉口する私たちとは違い、単なる部外者でしかない犬耳の子の反応は素早い。そして、的確な仕事ぶりに驚く。あの悪辣なピンク色のウィッチガールが餌付けしている理由が飲み込めた。

 私もマリア・ガーネットも、犬耳の子が仕掛けた芝居に乗ることにする。


「とりあえず、あたしたちの食事代を支払ってください。それが条件です」

「……う~ん、じゃあ交渉成立。なんならデザートも追加で注文しようか」


 テーブルいっぱいの料理を飲み食いしていた私たちだけれど、ダイナーの料理だから総額でも目を剥くほどの高額ではない。男性は笑顔で私たちの向かい側の席に座ろうとする。犬耳の子の隣に、一人分座れるスペースがあるのだ。

 でも、マリア・ガーネットがそれを制した。

 ショーのスイッチを入れたあの子が、あえて男性の目の前に右手をつきつける。私たちの正体を隠すなら、出来る限り見せないほうがいい方の手。男性の目が一瞬輝いたのが分かる。

 それを見越したように、にやりとあの子は笑う。何かを企てる女王様の悪っぽい表情だ。本当にこういう挑発的な表情がよく似合うのだ、私の女王様は。


「――些細なことでも構わないの? たとえばあたし達の個人情報とか」


 マリア・ガーネットがちらつかせる疑似餌に、男性はまんまと引っかかる。


「それはもちろん。君たちのことならどんな小さいことでも……」

「そっか、じゃあ」


 マリア・ガーネットは右手の指を男性の額に突き付け。おもむろにぐっと突き刺す。

 見た目はショッキングだったけれど、金属の指が吸い込まれた額から血が出るでも男性が痛がるでもない。ただ男性の顔に、自分の身に何がおきているのか分からない表情が浮かんでいるだけ。

 右手で男性の額の中をかき回しながら、あの子は左手で携帯端末を取り上げて私に寄越す。

 

「あたしの好きなアイスのフレーバーはチェリーなんだけど」

「私はチョコミント」

「あたしは甘いものは好きじゃないです、はい」


 手渡された携帯端末に、回復したばかりの魔力を電力に変えて流し込んで、手っ取り早く壊してしまう。真っ暗になった画面が何も反応しなくなったのを確認してから、マリア・ガーネットに手渡す。あの子はそれを男性の手に戻し、右手を額からすっと抜き取った。勿論血やなんかがついているわけでもない。男性の額には傷跡一つもない。そしてこの短いやりとりを、店内にいる人たちは誰も気づいていない。


「それじゃあご馳走さま、お兄さん」

「……え、あ、うん……? ええと……ごめん、誰だっけ?」

「私たちがおしゃべりをしていたら、あなたがやってきてご馳走してくださったの。お陰で楽しいひと時をすごせたわ。ありがとうございます」


 マリア・ガーネットの魔法を補強する意味を込めて、お仕事用の笑顔によりをかけた。おかげで男性は少々の疑問はお腹に収めてくれる気になったみたい。

 記憶をいじられた男性が事態を飲み込めていない間に私たちは立ち上がる。

 お店を出る際にカウンターの奥にいる店主の方に目くばせをしてみた所、まるで共犯者かいたずらっ子のように肩をすくめて笑ってくだった。

 そのお心遣いに感謝して私は微笑みを返し、外に出た。



 地平線の向こうから太陽が顔を出し始めて、東の空が眩しい。世界が色づいてゆく中、マリア・ガーネットは額に左手を当てながら歩いている。魔力を含むエネルギーを補給した私はその隣を歩いていた。

 犬耳ウィッチガールはというと、私たちより少し前を歩いている。


「ウィッチガールスレイヤーはあんな魔法も使えたんですか。びびりました」


 地下室を途中で飛び出したあの子は、あの魔法がもともと誰のものか知らないのだ。素直に驚き感心しているらしい。


「ああいう魔法は心得ておくに越したことはないですね。色々役に立ちますので、はい」


 一人でうなずく犬耳の子の後ろ姿を見てから、私は左隣を歩くマリア・ガーネットの顔をのぞき込む。あの子は自分が車道側に立とうとしたけれど、私が右側に立つことを譲らなかった。

 

「さっきの魔法、シスター・ガブリエルのものよね?」

「……見様見真似だけどね。ルーシーじゃないから数時間から数日間しか効果はない筈だけど、でもぶっつけ本番だったから……」

 

 さっきのたくらみに満ちた悪い笑みはどこへいったのか、マリア・ガーネットは頭を抱えながら明け方の道を歩く。初めて使う魔法、しかも人間の記憶を操作するような魔法が万一失敗していたら――というプレッシャーに時間差で襲われているみたい。

 夜明けのフリーウェイ沿いを歩きながら、一つ気になっていたことを左隣を歩くあの子に尋ねた。


「あの時、どうしてシスター・ガブリエルにあの魔法をかけてあげたの?」


 地下室が崩壊し、イブリス・ルキファの姿からシスター・ガブリエルに戻ろうとしていたあの人に、三又の鉾を突き立てて記憶と人格を壊したマリア・ガーネット。

 あの人がお兄様の銃を奪って自害しようとしたことに気づいて阻止しようとしたようにも見えるけれど、それだけなら何もそんな魔法をかけてあげることもない。

 この子のことだから、今までの恨みを込めてあの魔法をかけたわけでもないだろう。

 むしろどちらかというとあの人を救ってあげるためとか、解放するためとか、そんな理由のはず。

 そんな風に答えるんでしょ、どうせ――という思いが顔に浮かんでいたみたいで、歩きながら私の顔を見降ろしたあの子は「正解」と言いたげにため息を吐いた。


「……あんたはどうせ信じやしないけど、ルーシーは本当に優しい姉さんだったんだよ。あの魔法だって、みんなによかれと思ってかけてたんだ。以前の幸せだった記憶があるままで、あそこで暮らすのは辛いだろうからって」


 そういうのを独善って言うんじゃないかしら? という言葉を私は辛うじて飲み込んだ。マリア・ガーネットが、さっきあの人と同じ魔法をかけた自分の手を見ていたから。


「だって、あの魔法はルーシーが一番かけてもらいたい魔法だったんだから」


 家族のために悪いウィッチガールを演じて、その結果知らない町に連れてこられて、なんとか幸せになれそうだった矢先に、酷い悪事に手を染めることになった女の子。辛い記憶はもちろん楽しかった記憶も全て失くしてしまいたい――。あの魔法はそんな気持ちの所産だった。それがこの子の見立てらしい。


「でもルーシーはあの魔法は自分にはかけなかったんだよ、多分あたしやメラニーがいたから。自分一人だけ今までのことを忘れたらあたし達が寂しくなるから。──最後の最後になるまで気づいてあげられなかったけど」


 それで最後の最後にマリア・ガーネットは、あの人が自分自身にかけてほしかったであろう魔法をかけたというのか。地下室のこともそれ以前のことも、何もかも忘れていいという意味で。

 歩きながら私は振り返る。私の記憶と人格をもう一度書き換えることを善いことだと疑わなかった、あの人の異様な様子を思い出す。

 ピーチバレーパラダイスで起きたことは、あの人にとっては何もかも全て忘れた方がいいこと。だから一切合切の記憶を消すことはすなわち善いこと。

 だから一応私の記憶と人格を書き換えようとしたことは、あの人の中では善い行いなわけで、いい子のウィッチガールになろうとした証ってことなのね。

 ──でもやっぱりそれって独善って言うんじゃないかしら?

 私はどうしてもあの人のことが許せないからそういう考えになってしまう。でも、まるで形見のようにあの人の魔法を受け継いだマリア・ガーネットを前に、正直に伝えるのを控えるくらいの分別はあった。


「……まあなんにせよ、あの人のお料理がもう二度と食べられないことだけはちょっとした損失ね」


 冗談めかしてそう付け足すだけにしておく。

 茶目っ気をみせてくださったダイナーのご主人には申し訳ないけれど、私達は日頃食べていたあの人の料理はとても美味しいものだったのだとよく分かったものだから。


「それに、あの人のお陰で私が今の私になったことだけは、素直に感謝しないといけないわね。──天使みたいないい子の私より根性腐ってる私がいいのよね? そうじゃないとダメなのよねっ? ねっ?」

 

 それからあの子の右腕にぎゅっと抱き着く。そろそろあの人の話はやめて頂戴の意味も込めて。


「……あー、あんたついに自分が根性腐ってるって認めるんだ」


 露骨に話をそらしたあの子はまだ地下室で泣きながら本音をさらけ出したことが恥ずかしいらしい。可愛い、ああ可愛いんだからもう。

 お日様が上ってあたりが眩しくて、そらが青くて明るくて、そのせいか陽気になって私は歌を口ずさむ。

 

 虹の向こうに夢がかなう国があるっていう、古い映画の挿入歌だ。

   

 あの映画ではその夢の国は結局ペテン師の治めるまやかしの国で、私たちの目指す国はそこではないけれど、でもいいのだ。

 私たちが向かう先にペテン師の国があったなら、そこを乗っ取って、私たちの国を打ち建ててやるのだ。

 夢なんてかなわなくていいけれど、温かくて気持ちよくてできるだけお日様のよく顔をみせる、そんな国にするのだ──というむやみやたらな気概が湧き出てきて、私は歌う。


「いやここカンザスじゃないから」


 そんな風に呆れていたマリア・ガーネットも、そのうちつられて一緒に歌いだす。

 歌いだすうちにこの子も陽気になったのか、歌声に笑いが混ざる。

 私たちの数メートル先をゆく犬耳のウィッチガールが、不思議そうな顔で振り向いた。そして「あ」と口を開いて立ち止まった。


「何? どうしたの、トト?」 


 おかしなテンションのまま、あの物語のヒロインの愛犬の名前であの子を呼ぶと、背後から何度か鋭くクラクションを鳴らされた。

 その直後、あまり聞きたくないキャンディボイスが空の上から降ってくる。


「そぉこかあああああああああああっ!!!」


 上空から舞い降りてくるピンク色の塊に気を取られて、クラクションを鳴らす車を確認している時間はなくなる。 

 私たちの傍に急降下してきたのは、特に会いたくもなかったピンク色のウィッチガールだ。自身の身長と同じくらいに伸ばした杖に跨っている。魔女がまたがるホウキだったなら房がある部分には大きな白い翼が生えていた。

 着地する寸前、ホバリングした翼に巻き上げる砂煙を腕で防ぐ。


 地面に降り立つとピンク色のウィッチガールは私の前に歩みよっては、グイっと襟首をつかんだ。


「女子一人さらってくるのにどんだけ時間かけた上に、なにのんきに迷子になりくさってんだこのドヤクザウィッチガールっ⁉ あたしにいつまであのポンコツどもの引率させる気だよっ、オプション料とるぞっ」


 目を三角に吊り上げて口汚くわめくピンク色のウィッチガールの出現に、私の楽しい気持ちは吹き飛んでしまった。でも、代わりに慇懃無礼な営業用の笑みに切り替える。下手なことをするとステッキは無事ではないという意志表示は忘れない。


「申し訳ありません。のことが起こりましたので少々時間を要しましたの」


 予定外の部分を強調しながら、犬耳ウィッチガールに視線を向ける。

 私たちより少し先にいた犬耳の子は、手を大きく振りながら瞬間移動魔法で私達のそばまで戻ってくる。


「サクラさん、お待たせしました。キリサキキッカ、無事生還しましたです、はい」

おせえ!」


 ぶんっとピンク色のウィッチガールがくらわそうとした鉄拳制裁を、犬耳の子はなんなくかわす。


「ショーはどうなったんだよ! 殺ってこいって話だったのにウィッチガールスレイヤーがここでピンピンしてんじゃん! あんたひょっとして負けたのっ? あたし一人でも余裕で勝てたっていうのに、こいつにっ」

「本人目の前にしてよく平気でそういうこと言えるよね、あんた」

 

 ピンク色のウィッチガールに対していい感情を持てるわけがないマリア・ガーネットが不愉快そうにつぶやく。全くだ。

 その時もう一度背後でクラクションが鳴らされた。ハニードリーム所属のウィッチガールがじゃれあってるところなんて見てたって仕方がない。改めてそっちを見る。

 そこにあったのは、小型のバスだ。交通量がまだ少ないのをいいことに路肩に停められている。

 ところどころぼこぼこ凹んだり、窓ガラスが割れているけれど、あのバスだ。

 私が昨日の朝に乗って、マリア・ガーネットが見送ったあのバス。


「あーもう、やっと気が付いたー!」


 開けた窓から、身を乗り出したのはジャンヌ・トパーズだ。数時間ぶりに会うだけだのに、なんだかとても懐かしい。


「あんた達、なかなか合流場所に来ないんだもん! みんなで迎えに行く所だったんだからね~」

「封鎖区域の検問所まで行ったらさあ、軍っぽい連中がいっぱいいて引返したところ。あんた達なんか派手なことやらかしたっぽいじゃない」


 ジャンヌ・トパーズのそばでカタリナ・ターコイズがニヤニヤ楽しそうに笑っている。

 ハニードリーム所属のふたりがじゃれあっているのになんか、構っていられない、私たちはバスにむかって駆けだす。だって、私たちはみんなと一緒になるために、夜通しここまで歩いていたんだから。

 本当なら私たちが向かう先に待っていてくれるはずのバスが、どういうわけか私たちの背後にいる。その理由を考える前に、バスのステップから誰かが勢いよく降りてきた。疾風のようなその人は、スポーツチームのインストラクター姿のシスター・ラファエルだ。駆け寄るなりマリア・ガーネットの体をぎゅうぎゅう抱きしめなさる。


「ジョージナジョージナジョージナジョージナ……っ! あんたよく無事だったね! よく帰って来たね……っ。もうあんたのことは絶対離したりしないからねっ、あんたはこれからあたしたちと一緒にドルチェティンカーを興すんだよっ。あんたが嫌だって言ってもあたしが許さないよ……っ!」

 

 冷静で沈着なシスター・ラファエルの仮面をかなぐりすてて、泣きながらマリア・ガーネットの頭を撫でたり顔をのぞき込んだりそのあとまたきつくだきしめたり、とにかく母性の大爆発に翻弄されていいらっしゃる。それに巻き込まれたマリア・ガーネットは苦しそうに呻いている。微笑ましいと言っていい光景だ。

 マリア・ガーネットをきつくだきしめたまま、シスター・ラファエルは私を見る。冷静沈着なシスターの仮面を被ろうとした努力されたようだけれど、それは難しかったご様子。もともとこの方は感情過多な方ですもの。


「よくやったよ、マルガリタ・アメジスト。今日はゆっくり休みな」

「そうさせていただきます、メラニー先生」

「――シスター・ガブリエルはやっぱりマイクと一緒に行くことにしたのかい?」

 

 私は無言でうなずくだけにする。それで大体のことは把握されたみたいだ。少し辛そうな顔になって「……そうかい」と小さく呟かれる。

 実際の所、シスター・ラファエルはマリア・ガーネットとシスター・ガブリエルのことをどの程度把握されていたのだろう。気にはなるけれど今推し量ることでもないだろう。


「お兄様が今度は必ず幸せにすると約束してくださいましたから」

「信用できたもんかね。ブラッディ家の男はみんな口だけは達者だからさ」


 この期に及んで、シスター・ラファエルはあの子のお父様とお兄様に対する点が辛い。そこが私には嬉しかった。シスター・ラファエルはこうでなければ。

 ステップから別の足音がしたのでそちらに顔を向け、私はすこし驚いた。

 そこに、昨日の朝にはいなかったはずの方がいらっしゃったから。私のお客様だ。額に青筋をたてた非常に苛立った状態で私を見つめている。

 ──どうも私には、この方が怒っていると反対にからいかいたくなる悪い癖がある。そのせいでわざと甲高い声で囀ってしまう。


「あら、おじさま。どうしてこのバスに?」

「運転手から君がユスティナに変身してピーチバレーパラダイスに戻ったと連絡があった。そのあと深夜には彼女らと合流すると聞いていたのに一向にその様子が無い。その上、どこぞのウィッチガールファンがSNSで封鎖区域外のダイナーにいる君たちの隠し撮りをアップしているのを見つけた。──すべて当初の計画とは異なる行動だな、マルガリタ・アメジスト。一体何を考えている?」


 この方のことだから、ショーがどういう幕切れを迎えたかはきっとある程度はご存じのはず。私のきれいな死体を手に入れたいこの方のことだ。万一のことがあってはたまらないとばかりに、いてもたってもいられずに大嫌いな女の子達がいるバスに同乗して迎えに来てくださったという訳か。


「まあ、それで心配して探しに来てくださったの? ありがとうおじさま。優しいのね」

「本当に悪いと思ってるならそのしゃべり方をやめてもらおう。もう限界だっ」


 本当に限界をお迎えだったみたい、何しろバスの中は女の子の甲高い声やで体臭やデオドランドに香水やお菓子の匂いがぷんぷんしているもの。女の子というものが苦手なお客様にとって、このバスに乗るのは拷問も同然だっただろう。おまけに突然バスの中からけたたましい悲鳴が聞こえてくるし。


「シスター・ラファエル、アグネス・ルビーがマリア・ガーネットをみて発作を起こしましたぁっ!」


 一番後ろの窓が開いて、バルバラ・サファイアが叫ぶ。原因は、マリア・ガーネットが着ているカテドラルのコートのせいだろう。アグネス・ルビーがカテドラルに襲われた時に感じた恐怖は、シスター・ガブリエルの魔法をもってしても消せなかったのね。

 マリア・ガーネットと会えて爆発した気持ちが鎮まったのか、シスター・ラファエルは冷静な引率のコーチに戻ってバスの中へお戻りに。


「わかりました! そんなに騒がずとも結構です。――ドクター、申し訳ありませんが処置をお願いします」

「……承知しました……っ」

 

 ああ見えてお客様は、お医者様という職務には忠実な方だ。青筋の立ったすさまじい顔つきであっても、シスター・ラファエルの後に続いてバスの後部座席にお戻りになる。

 ハチの巣を突いたようなという慣用句にぴったりな騒々しさをさらにダメ押しするのか、テレジア・オパールまで顔を出して女王様らしく尊大にのたまう。


「何やってたのよ、遅いじゃない!」

 

 あの理不尽な女王様は、きっと目を吊り上げて叫ぶ。


「どうしてもっと早くもどらなかったのよ! あなた達を待ち続けて一睡もできなかったのよ⁉ お陰で肌の調子が最悪だわ!」

「仕方ないでしょう、不測の事態が続いたのよ!」


 流石にむっとして言い返す。こっちだって一睡もしてない。私が変身できたのも、あの子を攫いに行けたのも全てはこの子のお陰ではあるけれど、やっぱりむかっ腹の立つ子だわ。


「大体あなた、この子に伝えたいことががあるんじゃないのっ? とっとと仰いなさいよ!」 


 シスター・ラファエルの抱擁から解放されて息を吐いているマリア・ガーネットを。あの子の前に出してやる。

 伝えなきゃいけかいことがあるなんて大口叩いていたくせに、いざマリア・ガーネットを前にするとテレジア・オパールは顔を真っ赤にして目をグルグルさせた。どうせこうなるとは思っていたけれど。


「あ……あなたってばちょっと何考えてるの⁉ 散々待たせた挙句そんな恰好で現れるなんて、アグネス・ルビーがどうなってもいいって言うのねっ⁉」

「ごめん、この格好にはちょっと訳があって――」

「ねえねえそれはそうと、ショーはどうなったの、ショーは⁉ ねえっ」

「黙ってバルバラ、今それどころじゃあないでしょう……っ」


 バスに乗らなきゃいけないのに、私とマリア・ガーネットはそのタイミングを逃してお互い顔を見合わせた。

 その時、私たちの上に影が被さる。

 見上げると、翼を生やしたステッキに跨ったピンク色のウィッチガールが、私たちの真上に大きく縁を描いていたところだった。後ろには、セーラー服にショートパンツというウィッチガールスタイルに変身した犬耳の子を座らせ捕まらせている。


「つうわけで、用が済んだことだしあたしらは帰るからなあっ! もう当分あんたらとは関わりあわないからっ!」

「ユスティナー、それにウィッチガールスレイヤー、お世話になりましたぁー!」

 

 犬耳の子の表情は相変わらずきょとん、ぽかんとしていたけれど、腕をぶんぶん振ってくる様子はかわいらしいと言えなくもない。変な子ではあるけれど、彼女の悪辣な先輩よりは憎めないのは確かだ。だから私とマリア・ガーネットは犬耳の子に向けて手を振る。


「機会があればまたどこかでご一緒しましょう~」

「当分こいつらとは関わりあわないつってんだろ、人の話聞けよ、キッカ! せっかく金回収してきたんだからいい肉食わせてやろうと思ったけど、はーもうナシだナシっ!」

「! それはこまりますっ。撤回しますっ、はい」

「おーしおし、最初からそうしとけっつの。――じゃあな、えーと……なんつった? あんたらの団体名」


 上空でホバリングしながらピンク色のウィッチガールが尋ねる。


「もうピーチバレーパラダイスは無いんだろ? あんたらの名前を直呼びするほど仲良くしたくもないし、かといって何か呼び名がないと不便だし」


 確かにそうだ。実際私もビジネス以外で彼女たちの名前は口にしたくない。犬耳の子はまだしも、このピンク色の子なんて「ハニードリーム所属のピンク色の子」で十分だ。

 お互い同じ気持ちだったのは気楽でいい。


「ドルチェティンカー」


 答えたのは私じゃない。マリア・ガーネットだ。

 宙に浮いているピンク色の子とむきあって、はっきり宣言する。


「それがあたし達の新しい名前。――ていうか、もともとそういう名前だったらしいけどね。これから先どうなるかは分からないけれど、当分はこの名前でやってくわ」

「――ああそう」


 不敵な笑みを浮かべるマリア・ガーネットを見下ろして、ピンク色のウィッチガールはニヤッと笑う。そしてもう一度大きく空の上で円を描いて、ステッキの柄の向きを変えた。


「じゃあね、ドルチェティンカーの女王様とドヤクザウィッチガール、今後一切ステッキのメンテ以外で声かけてくるなよなあっ!」


 最後まで口汚いまま、あの子はステッキから魔力を放ち、凄まじい速さでで飛び去った。ピンク色の軌跡が青空を真一文字に切り裂き、その姿はあっというまに地平線のかなたへ消える。

 私たちの頭上から、ひらひらと花びら状を魔力の欠片が降り注ぐ。見た目だけは可愛らしいそれは、全て砂漠の砂に触れる前に消えていったけれど。


「――あのまま太平洋を突っ切るつもりなのかな?」

「つくづく無茶苦茶な子よね。それにあの子が望もうと望むまいと、あのステッキを使う限りは私たちと仲良くし続けなくちゃいけないし、その際の主導権は私たち側にあるのに」


 私だってあんな子と仲良くはしたくないけれど、新しい国を立ち上げて軌道にのせるまでは戦力は多い方がいい。彼女は性格は最悪だけれど、損得で動いていくれるから話はしやすいもの。


「それにきっとあと数年経てば犬耳の子が独り立ちするでしょうし、そうなったらピンク色の子だけ仲間はずれにして犬耳の子とだけ仲良くするのもいいわね。変な子だけど異世界に関する知識は豊富だし、戦闘に関する経験値は高いから仲良くしない手はないわ。お肉で言いなりになる所も素直だし、あなたのショーにものすごく感激していたみたいだから、ピンク色の子と仲良くし続けるよりはストレスが少なくて済むと思うの。――とりあえずお誕生日やクリスマスのプレゼント交換辺りからお友達づきあいを始めるべきかしら、どう思う? 女王様」

「誰が女王様だよ」


 呆れた目で私を見たあとのマリア・ガーネットは、さっき自分でドルチェティンカーの建国を宣言したことを思い出したみたい。ああ~……とうなりながら、左手で髪をくしゃくしゃさせた。


「さっきは成り行きでああ言ったけど、あたしは女王様とかそういうガラじゃないから。あんたの方が向いてるじゃん。嫌だからね、本当にそういうのっ」


 この子は全く何を言っているのやら。


「もうショーにだってもう出ないから、ウィッチガールスレイヤーも廃業するんだ。今時血統主義なんてのも流行らないし、大体あたしはドルチェティンカーの魔法と相性がよくない以上、あんたやメラニーのサポートに回るよ。だから女王様はあんたの方、あんたに譲る」


 本当に何を言っているのやら。

 私はあの子の右腕をぎゅっと抱きしめ歩き出す。そろそろバスに乗らないと、みんなを待たせすぎている。


「あなたが私たちの女王様。私の仕事は、あなたが神様とともに一生いられるような、そんな国を造ってみせること。私はあくまでもあなたの右腕なのよ」


 人造ウィッチガールの私には理想もビジョンも何もない。神様だって運命だって信じられない。

 信じられることは、私はこの子が時々よくわからないことで頑固になって、被害者意識の強い女の子にとことん弱いこと。私には照れ屋なところを含めても綺麗で可愛いから大好きだってこと。そして、この子の信じる神様がいる国は私にとっても居心地のいい国だろうってことぐらい。他の子たちにとってもいい国であればベストだけれど。

 だから私はマリア・ガーネットの右腕として、今日みたいに空が青く澄み渡っていてお日様の匂いがするような天国をつかみ取ってやるのだ。

 まだ大騒ぎの収まらないバスのステップに足を乗せ、あの子に向かって手を差し伸べる。


「参りましょうか、女王様」


 あの子は不意に感傷に囚われでもしたのか、私たちが後にした町がある方向とその空をじっと眺めていた。しばらくしてから私の方を向く。

 お芝居っぽく手を差し伸べる私を見るなり苦笑して、あの子は自分の足でステップに私の隣に立つ。バスのドアがようやくしまった。


「だから女王様はやめろって言ってるのに……本当にあんたは根性腐ってるよね、マルガリタ・アメジスト」

「そういう私じゃないと嫌なんでしょ、マリア・ガーネット」


 

 女の子が十二人、大人二人、運転手さん一人を乗せた騒々しいバスは、早朝のフリーウェイを走り出す。


 その先にあるのはきっと、荒地だったりペテン師の治める国だったり、ロクでもない場所のはずだ。なにせ私の奇麗な死体を予約済みのお客様が用意してくださる場所だもの、楽園のような場所なわけがない。

 でもかまわない、どんな場所であろうとも私がこの子がこの神様と永久とこしえにすごせる天国にしてみせるのだ。 

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マリア・ガーネットとマルガリタ・アメジスト、天国を奪い取る。 ピクルズジンジャー @amenotou

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