第39話 飛翔

「せっかくいい子のウィッチガールにしてあげようと思ったのに……」


 私の生意気な態度が気に障ったのか、イブリス・ルキファはまた大げさに嘆いた。


「ジョージナもマイクも、結局そんな悪い子の味方をするのね。大人の言うことも聞かずに勝手なことばかりするような子なのに」

「お生憎様、そんな私がいいってマリア・ガーネットは言ってくれました!」


 嘆く彼女へ言い返し、マリア・ガーネットに抱きついてうんとみせつけてやる。私のこの有様にマリア・ガーネットは呆れたみたいだけれど、三又の鉾が床を滑っているのに素早く気づいた。右腕を伸ばし、柄を床に抑えつけた。

 持ち主の手に戻ろうと暴れる鉾だけど、マリア・ガーネットはそれを許さない。金属製の右腕は鉾の柄をしっかり掴んで体に引き寄せる。


「返して、ジョージナ! いい子だから」


 押し殺した声でイブリス・ルキファは命じた。でも、腕の中に私を抱えたあの子はしっかりした声と態度で向かい合った。


「ダメ、返さない! 返したらルーシーは絶対この子をまた壊そうとするから」

「だってその方が絶対いいもの。ねえお願い、返して――」

「近寄らないで」


 さっきとは反対に、歩きながらこちらへ来ようとするイブリス・ルキファへマリア・ガーネットが鉾先を向ける。まだ涙は乾いていないけれど赤い瞳には力が宿っている。小さな女の子だった状態からいつもの女王様に戻りつつあるらしい。

 自分の魔法道具をつきつけられ動揺しているイブリス・ルキファへ語りかける。


「あたしが何度も何度も許しても、どれだけ言うことを聞いてあげても、ルーシーはどんどん自分から悪いウィッチガールになっていく。まるでこの町と同じだった。それにもっと早く気づかなきゃいけなかったのに。──だからルーシーの言うことはもう聞けない。聞いてあげられない」


 マリア・ガーネットは嘆いてばかりのイブリス・ルキファをしっかり見据えてはっきりと告げる。左手でぐいっと私を抱き寄せて。


「あたしがどこにいってもルーシーが変わろうとしないなら、カテドラルには入らない。あたしはこの子とみんなの所へ行く」

 

 それを聞いてイブリス・ルキファは目を見開く。

 でも彼女より一番驚いたのはだれでもない、私だ。

 この子って、私のことだけど?

 つまり私と一緒に来てくれるって言ってくれてるんですけど⁉︎


「本当っ? 今の本当?  嘘じゃないわねっ? あとで前言撤回とかナシよっ?」

「本当だってば! ──さっきビービー泣きながらあんなこと言ったんだよ? もう自分に嘘は吐けないよ」

 

 この子の言うことが一瞬信じられなくて、私は抱きついたまま何度も何度も尋ねた。だってこの子は私と一緒には行かない行くことができないと、今まで散々手を焼かせたんだもの。たった一言ではなかなか安心できないのだ。

 前のめりになる私から顔を遠ざけながら、マリア・ガーネットは答える。その顔が少し怒った風なのは恥ずかしがっているからだってすぐにわかる。視線はまだ悪いウィッチガールに据えたままだけど、左手は私をさらにぎゅっと抱き寄せた。


「あたしの無駄な我慢のせいであんたにもう二度と会えなくなる。それだけは死んでも嫌だってやっとわかったんだから。──気づくの遅れてごめんね、ほんとにバカで!」


 照れくさいのか、ぶっきらぼうな物言いをするのは、まさにガレージでいた時の普段のあの子だ。あの子がやっと戻って来たって確かさと喜びに満たされて、私は一層ぎゅうぎゅう抱きつく。

 

「じゃあ私と一緒に来てくれるのね! ちゃんと攫われてくれるのね!」

「だからそうだって言ってるじゃない! 行くよ、っていうかあんたに攫われてやるよ! ――せっかくこの町をぶっ壊して妖精達とも縁を切ったんだから、気持ちよく晴れていそうな方へ行かないなんて、そんなのあり得ないから」


 口ではやけっぱちになったのを装っていても、私へ視線を移したマリア・ガーネットの表情には自信が戻りつつある。赤い瞳にも力が宿る。私の瞳をみて浮かべた笑みは、あの敗れた写真に写った女の子の面影がうかがえる明るいものだ。それだけで私の胸はいっぱいになり、光がこぼれる。

 反対にイブリス・ルキファは、見開いた眼から涙を流している。自分は酷い意地悪をされたのだと、全身で厚かましく言い張る。


「私を一人にするの、ジョージナ? 私は悪いウィッチガールなのよ? 一人にされたら殺されるかもしれないのに?」

「そんなのあたしもマルガリタ・アメジストも一緒だよ。あいつらにしてみれば、あたし達全員胡散臭いウィッチガールだ。自分たちの思想に合致するいい子のウィッチガールだけより分けるような連中の顔色をうかがう必要なんてないんだよ、ルーシー! 母さんだって、好きなようにやってしぶとく生きていたんだ。あたし達だってそうやって生きていいんだ」


 ただただ嘆くだけの悪いウィッチガールへ、マリア・ガーネットは訴えかける。


「この町も無くなったし、悪い妖精たちとの縁も切った。ルーシーはもう使い魔じゃないんだよ? だからあたしたちはこれでお終いにしなきゃ。あたしたち二人とも、この地下室から自由にならなきゃ。──それにルーシーは一人じゃないし」

 

 マリア・ガーネットはそれからすぐに視線を窓へ向け、ねえ! と呼びかける。


「兄さん、聞いてる? とにかくそういうわけで、あたしはもうカテドラルには入らないことにしたから! ルーシーをお願い」


 スノードームに囚われていた私を助けてくださったお兄様は、まだ窓の外にいらっしゃる。

 返事を促すように、マリア・ガーネットは少し焦れた声で呼びかけた。


「いつまでもそんなところにいないで、いい加減中に入って来てよ、兄さん! 人が泣いたり叫んだりしてるのを立ち聞きしながら高みの見物だとか、趣味が悪いにもほどがある」

「人聞きが悪いな、タイミングをはかっていたただけなのに」


 荒れる中庭、修羅場の地下室。とてもくつろげるような状況じゃないのに、返ってきた声はまるでリビングにいるかのようにくつろいだものだった。


「それに、ルーシーが僕に今の姿を見せたくないって言ってるんだ。仕方ないだろう」

「――本当に兄さんはカテドラルに入ってやることが汚くなった!」


 マリア・ガーネットは、ぷりぷりした口調でお兄様を軽く詰る。さっき子供のみたいに泣きながら抵抗したことが、今更恥ずかしくなったみたい。案外この子には弱くてもろい所を見せたがらない、格好つけ屋さんなところがあるもの。そこが可愛いんだけれど、私の女王様は。

 妹に促されたためか、お兄様は窓の外から泣き虫の悪いウィッチガールへ呼びかける。それはとても優しい声だ。昔いっしょにプロムに誘った女の子を思いやる、柔らかな声だ。


「ルーシー、もう中に入ってもいいかい? 準備ができたら返事をしてほしいんだけど」

 

 お兄様の声に、イブリス・ルキファはしくしく泣くばかりで答えない。カテドラルに入らない、とマリア・ガーネットに宣言されてから立ちすくんでいた彼女は、顔を覆う手のひらを涙で濡らしながら、嘆き続けているのだ。

 窓の外のお兄様は辛抱強く呼びかける。


「君の返事を待つ間に意見を一つ言わせてもらうよ?  僕もジョージナの言うことに賛成だ。君とジョージナは離れた方がいい」


 イブリス・ルキファは無言だ。涙を指で拭う仕草に私はイライラする。

 マリア・ガーネットが私と一緒に行くといった以上、ここにはもう用はない。本当ならこんな人とっとと無視して旅立ってもいいのだ。でも、この子がきちんとお別れをしたそうだから、待ってあげているだけだ。

 悲しい再会をした恋人たちの語らいなんてどうでもいいのだ、私にとっては。


「……ごめんよ。君を迎えにくるのにこんなに時間がかかってしまって」

「ええ……本当に。何もかも遅かった。私はもう二度とあの頃の私に戻れない」

 

 力なく嘆きながら微笑む様子は可憐ともいえなくもないけれど、いい加減私は腹が立っているのでいちいち構いたくない。

 それでもその哀れっぽい泣き声は、私の耳に入ってくる。


「マイク……ジョージナがカテドラルに入らないって言う以上、私もうあなたと一緒になれないわ。私みたいな悪いウィッチガールと一緒に居れば、あなたにも災いが降りかかるもの。私はただ静かに暮らしたいだけなのに、きっとそれすらままならなくなる」


 その物言いに私はカッとなる。これではまるで、マリア・ガーネットがカテドラルに入らないから、自分はお兄様と一緒になれないと言ってるようなものじゃない。よくまあいつまでも飽きもせず被害者の立場から居直っていられるものだ。

 大体、スノードームの中で、マリア・ガーネットをカテドラルに入れて、自分はカテドラルを退いたお兄様と二人で平穏な暮らしをするっていう計画をぬけぬけと明かされていた癖に。私はそのことを絶対忘れませんから。

 とはいえ、被害者ぶる女の子に極端に弱いのがマリア・ガーネットという子だ。つい心配になってこの子顔を見上げたけれど、酷いことを聞かされた時のような顔はしていない。それには少しほっとする。

 でも泣き虫で仕様のない悪いウィッチガールへ向ける眼差しは、とても真剣なものだ。この子があの人のことを真面目に思いやっていることが、私にだってわかる。


「ルーシーは強いよ。だって、あんな中でもあたしに魔法を教えてくれたじゃない。これからは兄さんだっているんだよ? だからもう、自分の力でいい子のウィッチガールになろうとしてよ!」

「だから今、そうしようとしていたじゃない!」


 人一倍つらそうな表情をして、彼女は金切り声をあげた。そしてマリア・ガーネットの腕の中にいる私を睨みつける。緑色の瞳が燃えるようだ。


「だからだから、だからせっかく、そこの悪い子をいい子にしてあげようしたのに! なのにマイクもジョージナも邪魔をした! いい子になる機会すら私にくれなかった! ──それなのに、そんな風に言うなんて。酷い子ね、ジョージナ」


 イブリス・ルキファが怒りをたぎらせたのは一瞬だけ、その後にまたすぐ涙を流して自分を憐れみだす。哀れっぽい口調はまたマリア・ガーネットを責める。

 またこれだ! どうしてこの人は私の人格と記憶を壊すことを良い事だって強く信じているのだろう。まるでわからない。呆れる私が睨む先で、自分のことをひとしきり嘆き続ける。


「あなたはその子と逃げることができても、私はどうしたってこの地下室から逃れられないのに――本当に酷い子」

 

 ぱちん、と彼女は指を鳴らした後、私たちのうしろでガタンと大きな音がする。

 驚いて振り向く私の目に飛び込んできたのは、ⅠからⅫまでのケースの蓋がひらいる様子だった。その中からごそごそと、何かが這い出ている。洋服、お気に入りの小物、思い出の品、ホームで暮らしていた女の子達の遺産がそれぞれひと固まりになって、人の形を作ったものだ。

 ケースから溢れて床の上に降り立ち、のそのそ、のたのたと歩き出すその動きは、カタリナ・ターコイズの空想から生まれる怪物を連想させて気味が悪い。でも、私には単なる子供だましの魔法に見えた。どうして今更こんなくだらない魔法を見せるのか。

 けれどもマリア・ガーネットの目には違う風に映ったらしい。ひっ、と小さく声を詰まらせる。その目は、自分の棺だったⅠのケースから出てきた人形に据えられている。焼け焦げた写真や壊れたおもちゃの類でできた人形は、十二体の人形の中では一番不吉な見た目をしていた。でも、違う。この子は私のものとは違う、もっと恐ろしいものを視ている。

 人の形をつくって蠢く写真の塊から、目を離せなくなっているマリア・ガーネットの声から呟きが漏れた。


「父さん……⁉」

 

 蠢くものたちが魔力で操られているガラクタ人形にしか見えない私には、あの子が何を見ているのかを飲みこむのに一瞬を要した。 

 私の魂を肉体から引きはがしてスノードームに閉じ込めたり、ウィッチガールの記憶や人格を破壊したりすることから考えても、イブリス・ルキファは人の魂に働きかける魔法がきっと得意。そしてどうやら私は自分の体に宿った魔力の質の問題で、魂に働きかける魔法が効きにくい。不意打ちされて魂を体から引きはがされでもしない限りは、彼女の魔法に惑わされない。

 でも、マリア・ガーネットは違う。この子は今、イブリス・ルキファの魔法にかかって恐ろしい幻を見ている。十二体の人形のうち一体がこの子のお父様だというあたり、おそらくそれはうんとたちの悪い幻だ。

 

「見ちゃダメ! あれはただの幻だから」


 私はとっさにマリア・ガーネットの目を手のひらで覆う。せっかくこの子が地下室から自由になると言ってくれたのに、また忌まわしい過去に囚われるのはかなわない。

 この段になってお兄様もようやく舞台に上がる決意をされたのか、体を滑らせるようにして窓から地下室に入り込む。大股で歩み寄るとあの人の体を抱きしめた。

 この姿を見せたくないと散々ごねていたのは、本心からのものだったのか。彼女は目を見開いて悲鳴をあげる。来ないで! と叫んで暴れる彼女の体をお兄様は抱きしめる。


「ルーシー、大丈夫だから。僕は君を決して君を嫌いになったりしないから。安心して――」


 錯乱するイブリス・ルキファを抱きしめながら、お兄様はこっちへ向けて片目を瞑って見せる。小憎らしいくらい手慣れていて、以前シスター・ラファエルがお兄様のことを可愛くないガキだったなんて評していたことが頭をよぎるほど。とはいえ、このチャンスを作ってくださったことは有難い。

 私は自分の杖に魔力を込める。

 マリア・ガーネットがさらわれてくれると言ってくれた喜びは、まだ体の中で渦巻いている。

 私は感情や愛情の高ぶりで魔力が増加するタイプのウィッチガールだ。

 だから今怖いものはない。


 この地下室はイブリス・ルキファの魔法の源。

 ならここが地下室でなくなればいい。シンプルにそう考えて杖の先を天井へ向ける。

 

 二匹の蛇が絡まった金色の杖から、紫色の光が放たれた。それは地下室の天井から一階、二階の床を貫いて、天井をも突きとおす。魔法の光線は空へとまっすぐ駆け上る。

 紫色をした光線は糸のように細く、目で見えたのも星が流れるようなほんの一瞬だけ。それが夜空に消えてすぐには、なにも変化が現れない。

 でも、ゆるく温かい風にあおられた瞬間、地下室の天井より上が灰のように吹き飛ばされ、ぼろぼろと崩れ去った。犬耳のウィッチガールが好き放題に暴れてくれたおかげで、あちこち燃え盛る中庭では上昇気流が生まれている。

 さらさらと、ホームを物たちは目に見えないくらい細かな砂になり、吹き飛ばされて砂漠へ流される。

 外から押しつぶすでもなく中から爆発させるでもなく、建物の半分が一瞬で消え去った。私たちの頭にもぱらぱらと砂埃がふりかかったのが、難点といえば難点だったけれど、被害はそれくらい。吹き飛んだ建物の真下にいた私たちは無傷。

 音を一つたてることもなくドールハウスのようになったホームの有様を下から眺めて、自分でも少し驚いてしまった。

 ユスティナ・アルケミーは、燃費もよく環境にも優しい大量破壊兵器だったらしい。なるほどなるほど。確かに私には建物を音もなく壊したという実感がまるで

 ──確かにこれはちょっと怖いかもしれない。便利だけど。

 

「……嘘」


 私の手のひらを目の上からどかせて、マリア・ガーネットは唖然と呟く。地下室の天井より上が消えてしまうという、様変わりどころでは済まない様子を眺めたあと、少し呆れた目つきで問いかける。その目は完全に幻から解き放たれていた。


「これ、あんたがやったの?」

「……久しぶりの魔法にしてはうまくいったと思うの、多分」


 もう少し経てば空の一番高い所にかかろうとしている赤い満月が、地下室をくまなく照らしている。でももうこうなれば地下室だなんて呼び難い。天井より上の部分が無くなった今、ここは地面に空いた四角い穴だ。

 地下室ではなくなった為か、ウィッチガールたちの遺産で出来た塊人形たちは、次々にばらばらと床の上に崩れた。マリア・ガーネットの焼け焦げた写真も、気流に煽られて次々に吹き飛ばされる。

 建物半分が何の前触れもなく消えるという異常事態に、中庭にいたカテドラルの騎士たちもこちらに注目せざるを得なくなる。さっきまで対処していた犬耳ウィッチガールの大暴れどころでは無いということみたい。たくさんの足音がこちらへかけつけてくる気配があった。

 ──これはちょっと、というかかなり面倒なことになったわね。まさしく異世界の大量破壊兵器っぽいことをやってしまったのだから。

 マリア・ガーネットの腕から一旦離れて、私は背中から翼を出した。そろそろ行かなきゃいけない頃合いだ。


「マリア・ガーネット、急いで!」

「──待って!」


 伸ばした私の手をあの子は一旦制した。赤い瞳は抱き合うお兄様とイブリス・ルキファに向けられている。

 お兄様の腕の中で、イブリス・ルキファの姿が燐光につつまれる。見慣れたシスター・ガブリエルの姿へ徐々に変わってゆく。地下室が地下室ではなくなった以上、あの人の魔力も失わてしまったらしい。

 淡い光を纏いながら恋人の腕の中で静かに涙を流すシスター・ガブリエルの姿は、そこだけをみるとまるで映画のワンシーンのようでもあった──けれど。

 しばらく抱き合っていた二人の体が離れそうになるとすぐさま、マリア・ガーネットが二人めがけて駆け寄る。手にはあの人のものである、三又の鉾を握りしめて。

 お兄様の体から離れた瞬間のシスター・ガブリエルの体を掴んで引き寄せ、そのこめかみ目掛けてマリア・ガーネットが鉾を突き立てる。何の迷いもなく。

 三又の鉾の先は、ベールをかぶったあの人の頭にすっと吸い込まれていく。とっさに思い描いてしまったように血が飛び散ったりはしない。

 仰向けに倒れるシスター・ガブリエルの右腕が跳ね上がる。右手には拳銃がある。引鉄にかけた指に力が入ったのか、ぱんっと音をたてて銃弾が弾かれる。

 抱き合って離れる際に、お兄様のホルスターから抜き取ったものだろう。

 妖精の残党を処刑した銃で、それで自害でもするつもりだったのか。悪いウィッチガールになってしまった自分は、あとはもう殺されるしかない身だからと儚んだ上で。


「──っ、間に合った……」


 マリア・ガーネットは息を深々と吐きながら三又の鉾を引き抜いた。燐光が消えたシスター・ガブリエルの頭から引き抜かれたそれは、血の一滴のついていない。シスター・ガブリエルの体にも傷一つだって見つけられない。

 白昼夢でも見たような光景だったけれど、でもそうではない。

 口から小さく、あ、あ、と声をもらしているシスター・ガブリエルの体を、マリア・ガーネットは優しく抱き寄せる。彼女の緑色の瞳はうつろに開かれたままだ。

 怪我一つ見られないシスター・ガブリエルだけど、ぐったりと四肢をなげだして、ああ、ああ、とあけっぱなしの口から言葉にならない声を漏らすその人は、どうみても壊れていた。

 ホームにつれて来られたウィッチガール達と同じ魔法にかけられたのだろう、マリア・ガーネットの手によって。

 何も言葉を口にしないまま、マリア・ガーネットはシスター・ガブリエルの芯の無くなった体を抱きしめる。ただ強く抱いている。

 いくら私でも、大好きな子の大切な人――例えとてつもなく意地の悪い人で、大嫌いだったとしても――とのお別れを邪魔するほど、無粋ではないつもり。だから黙ってその様子を見ながら待っている。

 喉をのけぞらし、仰向けにがくんと垂れたスター・ガブリエルの頭。緑色の瞳は真っ赤な月に向けられている。今のあの人はあれは月だって解っているのだろうか。

 少しの間そうした後、マリア・ガーネットはお兄様へ語りかける。


「しばらくは赤ちゃんみたいだけど、ひと月もすると新しい人格が育ってくるから。──きっと元気がよすぎてガサツで品が無くて料理や掃除がへたくそだけど、何があっても泣いたりしない、以前のルーシーとは全然違う女の人になるけれど、でもルーシーはルーシーだから。あとはお願いね、兄さん。今度は必ず幸せにしてあげてね」


 血がだらだらと流れる左の顔面をおさえながら、お兄様は微笑む。最後に撃たれた銃弾が、お兄様の顔を掠めたのだ。


「大遅刻して迷惑かけた分、あの時行けなかったテーマパークのプリンセスなんか目じゃないくらい幸せにしないと許さないんだから。二人で『末永く幸せに暮らしました』をやらなきゃ、あたし怒るからね」

「その辺は安心して任せてほしいな。曲がりなりにも僕は王子で、しかも騎士だ」


 左目の近くを抑えているにも関わらず、やっぱりお兄様の口調は余裕綽々でちょっと小憎らしい。


「いい男になったね」

「勲章の一つくらいないと格好がつかない。そうだろ?」


 マリア・ガーネットは呆れたように笑ってから、お兄様の腕にシスター・ガブリエルの体を預ける。

 銃弾に抉られた左顔面から手を離し、お兄様は赤く濡れた手で尼僧服の体を抱き上げた。

 地下室だったこの空間のへりを黒い服の集団がぐるりと取り囲んでいる。もう時間がない。

 私は駆け寄ってマリア・ガーネットの手をとった。


「もう行くわよ。──さよならお元気でお兄様!」

「ああさようなら、二人とも」


 新居に落ち着いたら手紙をくれるかな、とつまらない冗談を口にするお兄様に応えてる余裕はない。私は杖を振って移動の魔法に入る。

 

 細かく分解された私たちの体は、半分だけ残ったホームの屋根の上で再び構成される。

 燃え上がり、あちこちで黒い煙がたなびいているピーチバレーパラダイスを見渡した。今朝バスに乗って出ていく時は別れを惜しむ間もなかったけれど、今だって特にどうという気持ちになるわけでもなかった。ただミスターの雑貨屋がまだ無事なことだけは少し安心する。


「……」


 生まれた時からこの町にいるマリア・ガーネットが、私と同じ気持ちかどうかは分からない。

 まだ右手に持っていた三又の鉾を、あの子は私に差し出した。


「あんたの魔法はものを自由に作り変えるんだったよね? ちょっと頼まれてほしいんだけど」

「時間がかかるようなことはダメよ」


 地下室から消えた私たちがホームの屋根に移動していることに、カテドラルの騎士たちが気づいて騒いでいるのだ。


「すぐ済むよ。こいつを十字架にして花壇の傍に建ててほしいだけだから」

「?」

「七年前に町がああなった時、亡骸のほとんどはあそこに葬ったんだ。でもあいつらの手前ずっと墓碑をたてられなかったから――。ここを出る前に、せめて墓碑だけは立てておきたい」

「……」


 お客様の目を楽しませるため、とだけシスター・ラファエルから説明されていた花壇の真相を、こんな形で知らされる。あそこもお墓だったのか。


「知っていればもっと丁寧に、水やりもお花の世話もしていたのに」


 鉾を受け取って、あの子の望んだ通りただのシンプルな十字架に作り変える。鉾はぐにゃりと飴細工のように形を十字架に変わり、花壇のそばに突き刺さる。

 ただ、屋根の上から地面に投げ落とすようにしたものだから、カテドラルの騎士達は攻撃されたと勘違いしたみたい。こちら側に向けて銃口を向けてくる。

 もう全ての用は済んだ。地下室だった穴に残されたお兄様とシスター・ガブリエルの二人に無言で別れを告げている、マリア・ガーネットの体を抱き上げた。普段こうやってプリンセスのポジションに回ることの少ないこの子は目に見えて狼狽えた。


「えっ、ちょ、何っ? 重くないっ?」

「重くはないわ。安心して」


 ユスティナの姿だと普段より力が増すのか、それとも魔力によるサポートが働くのか、私より背も高くて鉄の腕を持っているあの子の体を抱き上げるのが全く苦にならない。でも、本音を言えば私がプリンスの立場になっているのはちょっと納得がいかない。空を飛べる力をもつのが私である以上仕方が無いんだけれど。


「お別れは済んだ? じゃあもう行くわよ」


 背中から天使のような翼を現わして、大きくそれを拡げた。屋根の上を軽く蹴ったのと同時に翼をはばたかせる。マリア・ガーネットは私の首に腕を回す。落下してはいけないので自然に力がこもって体が密着する状態に。

 ふわっと私たちの体は夜空に舞い上がる。銃の射程圏外あたりまで飛翔すると、私が来た峡谷を目指して翼を動かす。

 

 空には赤い月、はるか下には赤い砂漠。燃える町は一瞬で遠ざかった。

 腕の中には私の大事な女の子がいる。悪い妖精の国に悪い魔法使いの国に囚われていたお姫様が。

 ――お姫様っていうより私の中では女王様なんだけれど、とにかくようやく私はこの子を攫うことができたのだ。


 遠い異世界から流されたスクラップだった私は魔法の国の女王様を攫って新しい国を打ち建てて、これから皆で幸せにくらしてやるのだ。

 そこを今腕の中にいるこの子が信じる神様のいる国にして、私がきれいな死体になる際には必ず「めでたしめでたし」で終わるような、そういう日々を過ごすのだ。


 そう決意して翼をはばたかせる。燃え上がる町は暗い砂漠に溶けてゆく。

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