第8話 地下室(『The Girl Next Door』)
「地下室はね。大きな怪物の口なんだよ」
そういえばいつだったか、カタリナ・ターコイズが地下室を元にした怪談を披露したことがあった。
休日が被った夜の退屈凌ぎに、ふざけた彼女が即興で拵えたお話だ。お世辞にも出来がいいとは言えなかったけれど、あの子は精一杯怖い顔を作って語ってみせた。
「ドアを開けて一歩でも足をふみいれたら最後、パクッと一口で飲み込まれ、気がつくままなく胃袋へまっさかさまってわけ。その子がどこへ消えたのか、それを知るものは誰もいない……。実はね、このホームの正体は大昔からここにいる怪物なんだ。今はこんなお家の形をしてるけど、それは擬態ってやつ。シスターたちは怪物の手下で、天涯孤独になった元ウィッチガールを捕まえては難癖つけて地下室へ放り込ませる。普通の女の子より栄養のあるウィッチガールを食い続けて、そいつは何百年も生きながらえたんだ……」
どう? こういうのって怖くない? と、気味の悪い笑みを作ってみせたカタリナ・ターコイズが感想を求めた。だから私は正直に返した、こんな風に。
「ええそうね、気になる点がないわけではないけれど、怪物の餌になった哀れなその子が跡形もなく消えてしまったというのは確かに恐ろしい話だわ。ねえ、その怪物は捕食したものは全て消化してしまうの? それともここではないどこか別の次元に肛門が存在して、未消化部分はそこへ排泄されることになってるの? その怪物はあなたの中ではどういう設定になってるの?」
「……いや、あのさ。ノリでテキトーに作った話でそんな鬼詰されても困るんだけど?」
「だってどうしても気味が悪いんだもの。頭とお尻が別々の次元に存在する怪物だなんて想像するだけで身の毛がよだつわ。たとえ作り話だとしてもはっきりさせなきゃ気持ちが悪いの。だから、ねえ──」
「ああーっ! 分かった、もういいっ! こんなバカ話二度とあんたに聞かせないって約束するからそのよく回る口をさっさと閉じろ! でないとあんたのこと明日から屁理屈おしゃべりウザ女って呼んでやる!」
とんでもない罵声を浴びせた後、こんなことになるならジャンヌ・トパーズのヤツに聞かせるんだった、失敗した〜……と、あの日のカタリナ・ターコイズはぷりぷり怒りながら盛大に悔やんでいた。
──他愛無い出来事をふと思い出して気付くのは一つ、あの皮肉屋でおふざけ屋のカタリナ・ターコイズもこの地下室を心から怖がっていたってこと。でなければ、こんな話を拵えたりするはずがない。
何の変哲もない、そんな慣用句がぴったりな合板製のドアをシスター・ラファエルは開く。そして私に中へ入るように命じる。
不本意だけど罰を受けることにした私は、素直に地下室の中へ足を踏み入れる。もちろんそこは怪物の口なんかじゃなかった。
しばらく前に塗り直されたペンキの匂いがつんと鼻にささる、白い壁と天井の四角い部屋。古くなった家具や掃除道具が片隅に寄せられている、本当に単なる物置だった。壁には同じ型の整理ケースが整然と並べられた棚もあり、想像していたよりずっと清潔で整頓されていた。きっとシスター二人がよく掃除されているのだろう。
床にはタイルが敷き詰められているのが奇妙といえば奇妙だけど、少々汚れても大丈夫なように水洗いができる仕様になっているのだろう、きっと。寝るにはちょっと痛そうね。
天井の近くには、細長い採光用の窓がある。そのおかげで薄暗くても真っ暗ではない。そもそもドアの側にはスイッチを押せば、ちゃんと灯りだって着くみたい。
カーテンで仕切られたお手洗いまであるのは地下室の構造としてはなんだか奇妙だけど(まるでお菓子たちをここに閉じ込めるのを前提して造られたみたいじゃない?)、これから三日間軟禁される身としては安心したのは事実。
牢獄めいた所はあるけれど、汚らしさははなくて十分清潔。三日間くらいならなんとか我慢できそう。
──なのにどうしてお菓子たちは、この地下室をひどく恐れるのだろう。
「うう~……、今日なんだか生臭くない?」
以前、階段のそばでジャンヌ・トパーズがしかめ面で呻いていたことがあったっけ。私は悪臭なんて感じないのに、あの子は早足でその場を遠ざかってからこう零した。
「たまに地下室からものすごく変な臭いが上ってくることが無くない? そういう時って本当に最悪」
「臭う?」
「ほらぁ、生ごみというか残飯というか、そういうののもっと酷い臭い。──あんた何も感じないの?」
ジャンヌ・トパーズの怪訝そうな表情に応え、鼻をひくひくさせてみたけれど、私の嗅覚が捉えるのはいつものホームの匂いだけだった。
ウィッチガールだった時の記憶や人格を壊されて魔法の使い方すら忘れてしまった彼女だけど、猫耳やしっぽといった動物の特徴は砕かれずに残っている。そのせいで嗅覚も人より敏感なのね、その時はそう解釈していた。でも、本当にそうなのかしら?
そういえば、地下室から悲鳴が聞こえるだとか、気味の悪い笑い声が聞こえただとか、カタリナ・ターコイズごのみの怪現象を噂し合うお菓子たちはわりといた。
問題をおこした為に罰を受け、今の私のように地下室でしばらく過ごすことになった子の中には、階段を泣きながら上がってきた子もいたっけ。
「二度とあそこにはいたくない! あんなのと一緒にいるのは嫌……!」
──あんなのと一緒に、なんて。
恐怖心から影や何かを怪物と見間違えた子が、混乱したまま曖昧なことを口走った。それが、地下室に苦手意識を持っていたお菓子たちの恐怖心を煽り、お菓子たちは一層地下室を不気味がる。そんな悪循環に振り回されてるだけでしょう? って、今の今までそう考えていた。でももう少しまじめに考えるべきかしら?
気になったけれど、シスター・ラファエルは私が上の空になることを許してくださらない。
「水と食事は差し入れましょう。でもこの期間はあなたの自己都合による休業だと神父様には報告します。よろしいですね?」
「はい、シスター・ラファエル」
私はしおらしく返事をする。
こちらの言い分に耳を貸さず一方的にお仕置きを命じたのは貴方なのに、ずいぶんな寛大であらせられますこと……なんて、胸の内を素直に口にしたりはしない。だって、シスター・ラファエルには逆らうのはあまり賢いとはいえないもの。
この方は神父様にお菓子の素行を報告する役目も任されている。これ以上反抗的な真似をすれば、あのお菓子はもう腐っているから廃棄するのが相当です等と神父様のお耳に入れるかもしれない。そうなったら最後、行く宛のない私はどこかで朽ち果てるまでこの世界をさすらう身に堕ちてしまう。私はそれが怖い。この地下室なんかよりよっぽど。
従順さをみせつけても、シスター・ラファエルの声は厳しく冷静なままだった。
「では、静かに反省すること。それからここにあるものには不用意に触れないように」
「はい、シスター・ラファエル」
「言いつけに背いた結果、あなたの身に何かが起きたとしても、三日を過ぎるまではここから出すことはありませんので。おかしな策を弄したりはしないこと。わかりましたね、マルガリタ・アメジスト?」
「承知しました、シスター・ラファエル」
私はうつむき、反省しているポーズをとる。
そんな私へ何か言いたげではあったけれど、シスター・ラファエルは私に背を向けて、すぐに部屋をお出になる。ホームの代表として教会の運営にも携わっているシスター・ラファエル、彼女はとてもご多忙なのだ。
とっとっとっ……と、階段を上る足音が遠ざかる。足音が完全に聞こえなくなるまで待ってから、私は箱型のケースが並べられた棚の前に立った。
ここにあるものには不用意に触らないように、先程シスター・ラファエルはそう仰った。彼女は以前、お勉強の時間にこのような知恵をお与えくださった。
「いいですか? お客様の全てが本心を素直に打ち明けなさるわけではありません。むしろ、生来の内気さゆえに、本心とはまるで異なる言葉を口になさる方の方がはるかに多い、そう考えるべきでしょう。あなた達に求められているものは、その意をいかに汲み取りお客様の要求に応えるか、その技量です」
見るなと言われれば人は見る、行くなと言われればついていく、押すなといわれれば熱湯にコメディアンを突き落とす。シスター・ラファエルほど聡明な方が、人間の哀しい生態を御存じない筈がない。
私は、朋輩とつまらないいさかいを起こすような愚かな娘、マルガリタ・アメジスト。反省し、悔い改めたことを示す為にも、シスター・ラファエルの教えを実践することに致しましょう。
──さて。
棚にべられているのは、樹脂製のケース。量販店で売られていそうなありふれたものだ。不透明で中は見えない。
ケースは全部で十二個あり、それぞれⅠからⅫのナンバーカードが貼り付けられている。このホームで十二に関するものといえば、ここにいるお菓子たちの数にほかならない。ホームでくらすお菓子の定員は十二人なのだ。私たちと同じところで寝起きはしていないけれど、マリア・ガーネットもこの十二のうちに含まれる。
推測が正しいかどうか確かめるために、Ⅹのラベルが張られたケースの取手を掴んで床の上に降ろす(本当はⅡのケースを取るべきなんだけど、棚の最上段に置かれているので手が届かない。ああ残念、本当に残念)。
蓋を外してまず目についたのは、極東方面でよく見かけそうな女子学生の制服と通学バック。物語の本が数冊と、片方のレンズがわれたメガネ。そして鍵の形をしたペンダント──まるで手入れを怠った貴金属のようにくすんでいる。そういった雑多な小物が、整理されて中に収められていた。
それらの一番上には、一枚のカードが置かれている。メガネをかけた黒髪の大人しそうな女の子がこちらにむかってはにかんでいる写真、鍵の形をした大きなステッキと分厚い本を手にした黄色い髪の女の子が何かと戦っている最中の写真、カードには二枚の写真が貼られていた。彼女ものらしきプロフィールも添えられている、「シオリ・フミムラ Age.14 ノベルガーディアン・イエローとして主にアジア圏で活動」ですって。知ってるわ、以前お勉強の時間にこの子の動画を見たことがあるもの。シオリ・フミムラ、ウィッチガールとしての名前はノベルガーディアン・イエローと呼ばれていたこのカードの子は、私の嫌いな彼女の昔の姿だ。
他人とまともに会話もできずお友達は本だけっていう、引っ込み思案な女の子。粉々にされて零れ落ちた昔の人格が営む日常生活がたっぷり収められた動画を目にしたテレジア・オパールは、怒りで顔を真っ赤にしながら喚き散らしたっけ。
「こんなダサい子なんか、昔のあたしの筈がない! こんな子のマネをしなきゃならないなんて絶対イヤ!」
私がこのホームに連れてこられたのは二月、与えられたラストネームは二月の誕生石のアメジスト。
かつてシオリ・フミムラという名前の子が連れてこられたのは十月だったから、ここの規則に従ってテレジア・オパールと新たに命名された。
つまり、私の推測は正解。
このケースは、ここにいるお菓子たち──元ウィッチガール達の棺だ。
Ⅹのケースに蓋をして棚に戻すと、次にⅦのケースに手をかける。
この中にあるのは、チアリーディングの衣装とお化粧道具の入ったポーチ、もう動かない携帯電話、雑誌の切り抜きやカラーペンで派手に飾り立てられたノート、男女問わず様々な友達と一緒に映った写真が納まった小さなアルバム(これもラメやシールでゴテゴテ飾られている)、そしてやっぱり輝きを失ったカメオの指輪が。
Ⅹのケースと同じように、一番上にはアグネス・ルビーの昔の姿「ニッキー 不思議の国のエイジェント」のプロフィールカードが添えられていた。
とある魔法の国の諜報員として、こちらの世界で悪事をはたらくヴィランの活動を未然に防いでいたニコールことニッキー。普段はチアリーディング部に所属する人気者のハイスクールガールだった彼女の日常生活の痕跡は、カラフルでとても賑やかだ。──そんな華々しい過去をもった子が、第二の人生で高慢ちきな女王様のお取り巻きになっただなんて。これが人生の妙味ってものかしら?
ニッキーと呼ばれていた女の子のアルバムをパラパラ捲りながら、勉強用に流し見した動画を思い出す。彼女はとても優秀なウィッチガールのエイジェントだった。たった一人で悪い魔法使いに立ち向かっても、最後には必ず勝利を収める、知恵と勇気と戦闘力を有する元ウィッチガール。
アグネス・ルビーと今では呼ばれている彼女は、凡百のウィッチガールだった私たちとは違って、過去の記憶を一部だけ残していたという。テレジア・オパールが私に言っていたことが本当なら、それはきっと過去の彼女がとても優秀だったからに違いない。ウィッチガールたちを罰する存在と戦った際、彼女自身が持っていた賢さと力が完全な破壊を食い止めたのだ。
──でも、それってよかったのかしら。
耳を塞ぎたくなるようなアグネス・ルビーの絶叫と、舌を噛まないように口に突っ込まれたタオルに縛られた手足を、ついつい思い出してしまう。しかもあんな姿で、マリア・ガーネットに抱き上げられていた。あんなみっともない姿を晒す羽目になるくらいなら、私たちみたいに記憶も人格も粉々に砕かれた方が断然マシ。
マリア・ガーネットに初めて抱き抱えられた時の姿があんなのだなんて、私ならその後一生悔やんですごしそう。とりとめのないことを思いながら、私はケースを棚にしまう。
──それにしても。
マリア・ガーネットから借りたあの黒いコート、あれがどうしてアグネス・ルビーの中に残されていた、最悪な瞬間に関する記憶を刺激したのかしら。
黒地に銀の十字架なんて、あのコートの意匠は「神様の教えに背いて」「魔法を使う」「悪い」ウィッチガールを懲らしめる側っぽくはあったけれど(あとカタリナ・ターコイズが言ったように、拗ねている反面、万能感にあふれた中学生好みっぽくもある)。
コートを私に貸してくれたマリア・ガーネット、あの子は非合法のショーでウィッチガールを叩きのめしている。そこからつけられた二つ名がウィッチガールスレイヤー。
マリア・ガーネットは、リング上で闘うウィッチガールの魔力を奪い、その源を破壊する。対戦相手はしばらく活動できなくなるのが普通だし、ウィッチガールとして再起不能になった子だって少なくない。でも記憶や人格を破壊するだなんて、そこまで苛烈なことはしない。少なくとも、私の知ってるあの子はそんなことをよしとしない。
でも、あの子の身内、もしくは親しい人のなかに、あのコートを着てショーとしではなくウィッチガールの記憶と人格を破壊して罰を与える、本物のウィッチガールスレイヤー(おそらく男)がいたとしたら?
ふいに閃いた仮定だけど、無くはない。
お菓子の中でもたった一人、マリア・ガーネットだけここに来るまでの記憶も人格も保持している。
魔法を使うのにバイブルを大切にしているのも珍しければ、あの鋼鉄の右腕の中にいる使い魔のアスカロンや核でもある赤い宝石は元々お父様だったって言う。当然だけど、私たちのほとんどは両親のことすら一欠片も覚えていない。
何から何まで、あの子はしょせん凡百のウィッチガールだった私たちとは違う──特に私は大量生産品だったみたいだし。
私たちは、(テレジア・オパールが発した憎まれ口を肯定するようで癪だけど)マリア・ガーネットを「ウィッチガールスレイヤーと呼ばれているウィッチガール」だとみなしている。
Q……どうしてあの子は、そういう変わり種のウィッチガールになったのか?
A……それは彼女が本物のウィッチガールスレイヤーの血を引いているから。
突拍子はないけれど、それなりに筋は通っているんじゃないかしら?
そう考えると、あの子が私たちとはできる限り関わらないようにしようとしている理由にもある程度見当がつく。自身がショーでウィッチガールを叩き潰してるのもある上に、私たちをここに送り込んだ何者かと自分の血縁である事実に。苦しんでいるのかもしれない。──やだ、そうだったらどうしよう! 仮定の話にすぎないのに小憎らしいくらい可愛い!
ちょっぴりはしゃぎながら、Ⅰの札がついたケースを見上げる。Ⅰは一月にここにやってきたとされる子の棺。一月の誕生石はガーネット。あの子の棺だ。
「……」
地下室はしんと静まり返っていた。こうも静かだと、よくない考えにとらわれてしまう。
折良くノックの音がして、私は我に帰った。もう食事の時間なのかしら?
「マルガリタ・アメジスト、私だよ。聞こえるかい?」
その声は私のお客様のものだった。アグネス・ルビーを診察してついでに、ここにお立ち寄りになったのだろう。
恥ずかしいけれど、私はものすごくがっかりしてしまう。ああ、食事の時間だと早合点してしまうなんて! こんな卑しい間違いをするだなんて、自分の空腹が憎たらしいったらない。人造の魔法少女兵器だなんて酔狂なものを拵えるくらいなら、食事や排泄にまつわる一切の機能をなんとかしてもらいたかったものだわ、もう。
──大体、先日の私に対するお客様の仕打ちを私はまだ許していませんから。
黙っていると、お客様は再びコンコンとノックをされる。
「ドア越しでいい。返事をしてくれないか? 話がしたい」
「――」
「君の懲罰期間を縮めるよう、シスター・ラファエルにかけあってもいいんだが?」
「――」
ドアの向こうで、お客様がため息をつく気配があった。
されたことをいつまでも根に持ち、すねて強情をはる、私のお客さまは面倒で手を焼かせる小娘が大嫌い。それがわかっているからこそ、私は思い切り無視を楽しむ。──それにしてもあの人もずいぶん下手にでること。一体どんな魂胆があるのかしら?
ドアの向こうで衣擦れの音がする。階段に腰をおかけになったのかしら。いやに粘ること。
「昔話をしてもいいかい? 地下室にはちょっとした思い出があってね」
「……」
「私はね、子供の頃この町と同じようなありふれた町に暮らしていたんだよ。その中にごまんといる、好きな女の子に想いも伝えられないような、いじけて陰気なガキの一人だった」
つまらない昔話なんて聞きたくないけれど、こうも静かだと耳は勝手にお客様の言葉を拾ってしまう。
「私の隣の家に、ある時女の子がやってきたんだ。詳しい理由かは覚えていないが、両親のもとで暮らせなくなった事情があったらしくてね。女手一つでで兄弟を育てている隣の家のおばさんの元で、幼い妹ともに生活することになった。私はその姉妹の姉と仲良くなった。私より二つほど年上でね、奇麗な女の子だったよ。町に移動遊園地が来たときは一緒に観覧車に乗った際には。喜びと緊張で吐きそうになった」
我ながら情けない、と自嘲するようにお客様はつけたす。
「その女の子だが、どういうわけだか次第に体に傷を生じさせるようになってね、一体どうしたのかと理由をきいても転んだだのぶつけただのと答えるだけで埒があかない。明らかに器具を使ってつけられた傷もあったのに、だ。暴力を受けているのだと彼女が頑として認めないのに、私の家にまで隣家のおばさんの常軌を逸したような怒鳴り声が聞こえだす。そのうち、おばさんの息子たちが庭でその子を責めさいなむ姿がみられるようになった。私は見ていたんだよ、その子が裸に剥かれてホースで水をかけられる様を」
抑揚のないお客様の声は、ドアを通しても私の耳にひたひた入り込む。
「私は隣家のクソガキと幼馴染という立場だったから、気が付けば彼らの事態にまきこまれることになっていた。共犯者さ。夏には一緒に観覧車に乗っていたあの子が、淫売だと罵られ、酷い暴力を振るわれ、辱めを受ける様を共に見ていたんだよ。時には彼らと一緒に責め苛むことすらした。その子はね、それに黙って耐えていたよ。自分が耐えなければ彼らの暴力は幼い妹に向かうと知っていたんだろうね」
この合板ドアは防音機能がいまいちみたい。お客様のつらそうな吐息の音まで聞こえる。
「ついにその子は、隣の家の地下室に閉じ込められることになった。何をされても文句ひとつ言わない、そんな女の子がいると地下室にいると近所のガキどもに知れ渡ったらどうなると思う? 隣の家には次第にガキを通じてタチの悪い連中が入れ替わり立ち代わり出入りするようになったよ。猿以下の自制心しか持たない箍の外れた連中のがもたらす暴力と汚辱を、そんなものよりもはるかに悪辣な行為を隣家の糞婆から振るわれても、その子はずっと生きていたよ。最期まで自我を保って、妹の安全を心配して、そして私を気遣って。あれほど気高い娘は他に知らない」
──そろそろ真面目に聞いているのがバカらしくなった。
「お忘れになったの、おじさま。そのお話、以前貸してくださった小説にそっくりよ?」
ホームの検閲で撥ねられる類の小説だからお仕事中にのみ読むように、そんな理由で貸してくださったご本の中に実に趣味の悪いものがあったのだ。その筋書きと昔話が寸分たがわない。
そう指摘すると、お客様は平然と口調を変えた。
「ああ、やっと口を開いたね。なら要件に入ろう」
──つまらない嘘で私の口を開かせるだなんて、卑怯な真似が板についていること! お客様がそんな態度をとるから、どうしたって嫌味の一つも口にしたくなる。
「そんなお戯れを口にされるお茶目な方だったなんて、おじさま、マルガリタ・アメジストはびっくりしちゃったわ」
「なんとでも言うがいい。そこに十二個の箱のようなものがないかい?」
お客様はの声が珍しく焦り出す帯び出す。
いい気味だけど、それよりも、どうしてお客様がここにある十二個のケースのことを御存じなのだろう? お客様は神父様とは協力関係にはあるけれど、立場としては部外者だ。そんな方がホームの地下室に興味を寄せるだなんて、はっきり言って不自然。
真意が読めない以上、はぐらかすのが賢明ね(まだこの前のことも許してませんから)。
「さあ、どうかしら? 地下室は真っ暗でなんにも見えないの。それに恐ろしい怪物が出るっていうわ。──ねえ、おじさま。マルガリタ・アメジストはとっても怖いの。早くここから出してぇ」
「ドアの隙間から灯りが漏れてるんだが?」
お客様の声から苛立ちが滲みだしたので、ほんのちょっとだけ留飲をさげた。でもまだまだ気は済んでいない。私は悲しげに嘘泣きをしてみせる。
「おじさま、早くぅ……! 早く出してぇ……!」
「ああわかった、マルガリタ・アメジスト。さっきも言ったように後ほどシスター・ラファエルにかけあおう。でもまず、せめて箱のようなものが十二個あるかどうかだけでも先に教えてくれないか?」
「そんな、おじさまは私なんかよりそちらの方が大事なのね……! 酷い……!」
「ああ、いい子だから手を焼かさないでくれ。君と私の仲だろう?」
ご機嫌をとるようなことまで言いだすなんて! 小気味がいいけれど、この人がここまで欲しいものをあらわにすることはとっても珍しい。
興味がそそられはしたけれど、でも私はまだこの前のことを許していない。
「そうね、私は所詮、寄る方のない教会の子供であなたはお客様。買われる身ですもの、理由もなく意地悪を振るわれても文句ひとつ言ってはいけないわよね。でもおじさま、残念ですけど今はお仕事の時間ではないの。お仕置き中でお仕事もお休みしなくちゃいけないから、おじさまのお願いを叶えてあげられないのよ。どうかご理解なさって?」
「……マルガリタ・アメジスト……。君らしくもない。あまり手をやかせるんもんじゃないぞ」
お客さまの声に混ざるいら立ちの分量が増える。あらあら。ちょっと面白くなるじゃない。
「じゃあおじさま、この前のことを謝ってくださる? 私が昔好きだった女の子に似ているから意地悪をしたって。そうしたらお願いをひとつだけきいてあげてもいいわ」
「──そんな事実はどこにもないんだが?」
「本当か嘘かなんてどうでもいいの。おじさまがそう言ってくだされば、私の気は晴れるもの」
「先日のことは済まなかった。我ながら子供っぽい行動に出た。それもこれも君が昔好きだった女の子に似ていたせいだ。許してくれ。──これで満足か?」
「ダメ、誠意が足りないわ」
「……いい加減にしないと君とのことを神父に伝えるぞ?」
「あらいいのかしら、そんなことなさっても? 神父様に破門されたらもう絶対この地下室には近づけないのよ、おじさま。念のために申し上げますけれど、ここのお菓子たちの仲であなたとお友達になれるようなモノ好きは私だけよ? それにみんなこの地下室が怖くて怖くてたまらないんですって」
「……っ」
「おじさまとお友達になってあげられるくらい寛容で、地下室に入ってもガタガタ震えて我を忘れたりしない。そんな私をもっと大切にして、どうぞ仲良くしてくださいとお願いする、賢い方ならそうなさるんじゃないかしら? 場合によっては這いつくばってでも」
苛立って足を踏み鳴らすような音がドア越しに聞こえる。この小娘め……、って歯ぎしりする顔が目に浮かぶ。そこでようやく私の気も晴れた。
それにしても、よっぽどこの中のものにご執心なのね。まるで宝物でもあるみたい。
──宝物?
自分の考えにぴんときて、私は振りかえり、十二個のケースをみた。
これは私たち、かつてウィッチガールだった女の子達の棺。つまりここは一種の霊廟、お墓だ。それも特別なお墓。なんといってもウィッチガール達の遺品が収められている。
魔法のアイテムという形で世の女の子達の垂涎の的、それは私たちの世界ではまだ解明できていない異世界の魔法技術の結晶でもある。
するとさしずめ、お客様は墓荒しってとこかしら? すると私は墓守って所ね。
おかしくなってクスクス笑うと、苛立ったお客様が怒りを押し殺した声で呟く。
「何がおかしいのかな?」
「ううん、なんでもないわ。──ごめんなさい、おじさま。この前のことがあんまり悲しくてつい意地悪しちゃったの。許してくださる?」
「ではまずその猫なで声をやめたたまえ。虫唾が走る」
リクエストに応えて、わざと甘ったれていた口調を元に戻した。ドアに身を寄せて声のボリュームを落とす。
「ねえ、おじさまは外の世界にのことについてお詳しいのよね? なら私たちの記憶と人格を壊した本物のウィッチガールスレイヤーについて調べることなんて、お手の物よね?」
私の意図を察したらしいお客様は声のボリュームを落とす。
「……君がそんなことを知っても何もならんだろう?」
「ただの好奇心よ。いけない?」
そう、それは好奇心。
今まで私たちをここにおくりこんだ人間のことなんて、考えたところでどうなるわけでもない。でもそれが、マリア・ガーネットに連なるというなら話は別だ。
こそこそ個人情報を嗅ぎ回るなんてはしたないけれど、あの子には秘密が多すぎるんだもの。
「晴れてお仕置きがすんで、おじさまとまたお会いする時にその答えが聞きたいの」
「……わかった。ではその中にある十二個のケースの詳細について調べておいてくれ給え。いいね?」
「ええ、分かったわ。もっともそんなものが本当にあれば、の話よ?」
衣擦れが激しくなったのは、この状況を大いに利用した私に苛立ったお客様が癇性に身をゆすっているせいかもしれない。何か言いたげな間があったけれど、すぐに共犯者の声になる。
「シスター・ガブリエルだ。私はアグネス・ルビーのついでに君の体調もチェックしにきたんだよ。いいね?」
「はい、おじさま」
とん、とん、とん、とん……足音が近づいてくる。私はその間にタイルの上ひざまずく。膝小僧が痛い。
どうですか、アグネス・ルビーの様子は? ええ、おかげさまで注射がよく効いたみたい……今はよく眠っていますわ。マルガリタ・アメジストはどうでしょう? ああ、大丈夫。元気すぎる程元気ですよ。
大人の二人はそつのない会話をこなしている。
では、失礼。
お客様はそういって、とん、とん、とん、とん……と階段を上っていった。入れ替わりにドアを開け、姿を現したシスター・ガブリエルの手には水とサンドウィッチを乗せたお盆がある。
「食事を持って来たわ。マルガリタ・アメジスト。よく反省しています?」
「ええ、ご覧の通りです」
小一時間前の吊り上がった眼がうそみたいに、シスター・ガブリエルは柔和に微笑んでいる。形だけお祈りのポーズをとっている私の前にお盆をおいた。
「アグネス・ルビーはどうなりました?」
「先生がおっしゃるには、一晩眠れば落ち着くって。大事にいたらなくてよかったわ」
シスター・ガブリエルは食事のほかに古い毛布も私に手渡す。
「夜はそれを使いなさい。こんなところでも地下室は冷えますから」
そういって柔らかく微笑むところは、やっぱり新米の小学校の先生みたいに優しい。
「マリア・ガーネットから事情は聞きました。──ごめんなさい、詳しい事情も聞かずにあなたたちを怒鳴ったりして」
眉を下げた困ったような表情で、シスター・ガブリエルは私に謝る。私は先に水を飲んでいた。
「テレジア・オパールとバルバラ・サファイアには三日間トイレとシャワー室の掃除をする罰を与えましたから……」
「それで手打ちということでしょうか? あの子たちは掃除がヘタだから不満が無いと言えばうそになるけれど、受け入れましょう。私もことを長引かせたくありませんから」
そうだ、と、あることを思い出す。
マリア・ガーネットのために買った炭酸水のボトルとチョコバーは入ってる紙袋をシスター・ガブリエルに手渡した。
「これをマリア・ガーネットに渡してくださいません? あの騒動で渡しそびれてしまいましたから」
「──あなた、本当にあの子のことが好きなのね」
紙袋を受け取ったシスター・ガブリエルは苦笑しする。まるで頑是ない子供を見るような、そんな慈愛に満ちた目つき。
……「あの子」って何よ?
その親しそうなニュアンスにちょっと嫉妬した時にはもう、シスター・ガブリエルは地下室の外に出ていた。
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