第9話 盗掘
女の子が一人、縛られている。
手首を頭の上に結びつけられた上、吊るされて。
女の子は裸で、体のあちこちにむごたらしい傷がある。熱いものを押し当てられてできたとしか思えない、焼け焦げすらみえる酷い火傷まで。
裸で吊るされた女の子の周囲には彼女を取り囲むような黒い人影がいくつも。黒い影は道具で彼女を殴ったり、刺したり、挿入しようとしたりしている。彼らのはやし立てる声や笑い声に耳を塞ぎたくなる。でも両腕が固められたように動かない。
──やめなさいよ。あの子、もう十分ひどい有様じゃない? これ以上どうしようっていうの?
私は声をだそうとしてるのに、口の中で言葉がくぐもる。黒い影たちは愉快そうに騒ぐばかりで、私のことにすら気がつかない。
なのに暴力を受け入れざるを得ないその子だけ、伏せていた顔をゆっくり上げた。虎刈りにされた無残な髪の隙間から覗くその目。瞳の色が赤い。
「⁉」
思わず飛び起きて、大きく跳ねた胸を抑えた。手のひらを透して、薄紫色の光が溢れる。
怖い夢をみて飛び起きるなんてまるで子供みたい。でも、赤い瞳の女の子なんて出てきたんだもの。悲鳴を上げなかっただけマシだ。
こんな酷い夢をみてしまったのも、昨日の夕方、お客様のくだらないおしゃべりに耳を傾けてしまったせいだ。なぜか誤解されやすいけれど、私は痛くて怖くて可愛そうなお話なんて好きじゃないのに。ああもう、もっと意地悪すればよかった。
ここは地下室。時計がないから目覚めた時刻はよくわからないけれど、窓から差し込む陽の光から考えて午前中。お菓子たちはもう少し夢の中にいる時間のはず。眠り足りないから欠伸が出てしまう。
夜は冷えるけど地下室はもう暑い。たまらなく暑い。
窓といえるものは、天井近くにある横長の窓だけ。採光と換気のために用意された窓らしく、垂れ下がるロープをくるくる回して開け閉めするタイプの窓を開けたところで、風なんてほとんど入ってこない。
古い家電の中から冷房や扇風機がないかと探してみたけれど、気の利いたものは見当たらない。
たまらないからワンピースを脱いでまた下着一枚に。はしたないけれど暑いんだから仕方がない。
目覚めてしばらく、まるで見計らっていたようなタイミングでシスター・ガブリエルがお見えになる。水と食事を差し入れで下さったのだ。喉の渇きには勝てなくて水をたくさん飲んでひと心地ついた後、涼をとれるものを下さいって頼んでみる。でも「それでは反省になりません」ですって! 熱中症にでもなったらどう責任を取ってくれるのかしら。
廃品の中に古いマットレスがあったことだけは不幸中の幸い。スプリングがうるさい上にカビ臭さいけど、タイル張りの床の上に直接毛布を敷いて寝ることだけは避けられた。あと二晩はここで過ごさなきゃいけないんだもの、居心地は少しでも良くしなきゃ。
それを思えば、「盗掘」ってお仕事ができたのはもっけの幸い。退屈は軟禁生活の大敵だもの。
ケースの並んだ棚の前に立ち、まず下段からⅫの札がかかったケースを取り出す。外した蓋から出てきたのはもちろん、マジカルファッショニスタ・パルフェクローゼだったころのカタリナ・ターコイズの遺品。デザインを書き溜めていたスケッチブックにファッション誌、自作のものらしいドレスなどが収められている。それにしても昔のあの子の攻撃的なファッションと、こちらを睨む野心に満ちた力強い目ときたら。
ここにいるお菓子たちの棺を暴きながら、彼女らの遺品と遺産をじっと見つめて記憶する。人格と記憶は壊されても、知恵と創造の天使ユスティナアルケミーの能力はのかけらは細々と生きている。情報はするする頭に入るし、カメラになったつもりで目に映るものを記憶することもできる。
お菓子たちのプライバシーを暴くことへの後ろめたさが無いわけじゃない。でも未知の情報の塊に触れるのはあまりにも心地よくて楽しい。憎たらしいお客さまのお願いだったことも忘れ、私は盗掘に夢中になる。
だけど夢中になりすぎるのはよくない。予告なしに階段を降りてくるシスターの足音には常に注意していなくちゃいけないのだ。
だってシスター達が私の様子を見にくるタイミングが全く読めないんだもの。差し入れの時間が過ぎたからもう当分こない筈だって予想していたら、神父様からのお達しだの生活上の注意事項などの伝達のためにふらっとお立ち寄りになる。
こんな罪深い真似をしてる現場を見られてしまえば、マルガリタ・アメジストは一巻の終わり。それは嫌だから、ドアの向こうには常に神経をくばっていなければいけなかった。
「マルガリタ・アメジスト。なんです、その恰好は?」
Ⅸのケースを取り出そうとした時に、階段から足音が聞こえた。慌ててケースを戻し、マットレスの上でひざまずいた直後、シスター・ラファエルがドアを開けて姿をお見せになる。そして、私の下着姿をみるなり眉をお顰めに。
「はしたない! 誰も見ていないからと言って無作法にふるまってもよいというものではありませんよ?」
「体調管理のためにはやむを得ません。──こんな場所で私が体調を崩しでもすれは私のお客様をここにお招きすることになりかねませんけれど?」
「ええ、そうですね。それがドクターのお仕事ですから」
カマをかけた後にちらっとシスター・ラファエルの顔色をうかがってみる。彼女は眉一つ動かさず、冷静さを保っていた。やっぱりお客様なんかより彼女の方が一枚上手みたい。
シスター・ラファエルは棚へむけて、ちらっと視線を送る。私は努めて何もないような表情を浮かべる。
「……私の言いつけを守っていますね? マルガリタ・アメジスト」
「ええ。シスター・ラファエル」
私はにっこり笑顔で答える。ケースの位置がずれていないかとか、内心はとてもヒヤヒヤしていたけれど。
「よろしい。ではこのまま静かにしていなさい」
こうしてシスター・ラファエルは地下室を後にして、足音が遠ざかるのを確認してから、私はくたっとマットレスに突っ伏した。彼女の威圧感に屈さずにいるため、気力を使いすぎたのだ。力が戻るまでは一休み。
地下室には時計はない。だから時間は採光用の窓から差し込む陽の傾きや、シスター・ガブリエルが差し入れを運んできてくれる時間、天井の向こうでお菓子たちが静かにしている時や反対に騒々しくしている時間など憶測で測るしかない。あと自分の体内時計を信じるのみ(あてにならなさそう)。
お昼の時間、シスター二人はお菓子達と食事を一緒に摂る。それが終わればシスター・ラファエルのお勉強の時間が始まる。
つまり、一番油断ならなくて警戒すべきシスター・ラファエルは午後の数時間はこちらには来られない。つまり、ウィッチガール達の棺を暴くのに向いている時間は午後の数時間。
そう結論づけて、少し前にシスター・ガブリエルが運んで来た差し入れの残りを食べて、水を飲む。
食堂はこの地下室のちょうど真上だから、天井の向こうがどやどやと騒がしくなる。ジャンヌ・トパーズやカタリナ・ターコイズ、それに忌々しいテレジア・オパールの声も聞こえた。みんなご機嫌そうでなにより。
残った水を飲み干して、念のために採光用の窓をしめ、早速棺を暴きだす。
ⅠからⅫのケースは、三つずつ四段の棚に並べられている。つまりⅠからⅢ、ⅣからⅥ、ⅦからⅨ、ⅩからⅫが同じ棚。
最下段から調査を始め、下二段の棚に並んでいるⅦからⅫまではスムーズに中身を記憶することができた。そして彼女たちの使っていた魔法のアイテムをこっそり抜き取り、脱いで畳んだワンピースの下に隠す。
問題は上の二段。ⅣからⅥのケースが並んでいる上から二段目の棚は私の目の高さだからまだいいけど、最上段のⅠからⅢが厄介だった。棚の位置が私の頭より高いんだもの。見渡したところ、この地下室に脚立やはしごのようなものがない。しかたがないので古い椅子を踏み台にして、結構重たいケースを床の上におろす。
……締め切って蒸し暑い地下室で、汗まみれの埃まみれになりながら小さくはないケースを開けたり閉めたり……。最初は単純に楽しかったお仕事も十二回もくりかえせば単なる作業と変わらなくなってしまう。後半なんて立派な重労働だ。
流れる汗をぬぐってⅢのケースを暴いて元の位置に戻し、それからⅡのケースに手をかける。
これはもちろん、アメジストというラストネームを与えられた私の、より正確に言うなら錬金天使ユスティナアルケミーだった少女の棺。
中には、中学校の制服と白衣、可愛らしい封筒が一通。これは同じクラスの男の子に渡そうと思って渡せずいつも持ち歩いているという設定の手紙。
錬金術が発展した異世界で生まれた人造少女という正体を隠し、普通の中学生としてアルミ・ユズハラという仮の名を名乗りながら送っているユスティナ。彼女の目的は本物の人間になること。そのために異世界の錬金術を駆使して人々を助けることで「人間とは何か」を学んでいる。
そんな彼女は、日常生活パートでサッカーが得意な男の子に片思いを続けている。でも初めての恋愛感情に戸惑ってばかりで想いを伝えられない。わざわざお聞かせするでもない初々しくも陳腐な恋模様が「錬金天使ユスティナアルケミー」のサブストーリーだった。
お勉強のために動画を見る都度、私はいつもうんざりさせられていた。
化学部員のアルミ・ユズハラ相手に「よお化学オタク!」ってからかってくる頭の悪そうな男子のことを、一時だって好きだったことがあっただなんて。今でも考えるだけで身震いしてしまう。彼が好きだって気持ちをしたためた手紙をいつもいつも持ち歩くところなんて、本当に最悪。
こんな気持ちの悪い子なんて今の私は願い下げだ。テレジア・オパール感情だって、この点に関してはよくわかる。
この忌々しい手紙を破ってやりたくなったけれど、そのままケースに戻した。
ユスティナアルケミーには他の子のような魔法のアイテムはない。錬金術を使う時に必要な杖──先端にヘビが巻き付いている金色をした、全く可愛くないデザイン──は、私の胸の≪賢者の石≫から直接引き出す仕様になっていた。
≪賢者の石≫と称される胸の光源、異世界の死の商人ショコラポイジー社が作った魔法の回路は、今でも壊されることなく私の胸の中にありつづける。もしかすると、やろうと思いさえすれば今でもあの杖を外へひっぱり出せるのかもしれない。
でも残念、今の私はその方法をわすれているし、そもそもあんな可愛くない杖を出してみる気持ちになんてなれるわけがない。
──さて、と。
昔の私、というよりもユスティナ乃至アルミ・ユズハラという設定だった魔法少女型兵器さんの棺を棚にしまってから、踏み台代わりの古い椅子の上で膝を抱えて迷うことになった。
ここまでは順調だった。問題は最後の棺、Ⅰのケースについて。これはマリア・ガーネット、あの子のものだ。とはいえ、あの子は私たちのように壊されていないから棺と呼ぶには相応しくないように思えるけれど、あの中にはあの子の過去が詰められている。
「……」
知りたい。正直、とても知りたい。
あの子の身内に私たちに手をかけた「本物の」ウィッチガールスレイヤーがいるんじゃないかって私の仮定を検証したい気持ちは大きい。でも、そんなことよりも。
あの子が小さい時どんな子だったとか、どこで誰と暮らしていたのかとか、いつから両サイド刈り上げてアッシュ混じりのピンクにそめたユニコーンのたてがみみたいなヘアスタイルにしていたのかとか、今はバイカーとかパンクスみたいな恰好を好んでいるけど昔は案外可愛い恰好がお好みだったのかも、とか、そういうシンプルながとても気になるじゃない?
とはいえお行儀のいいお菓子としては当然、慎みからのためらいだって感じずにはいられない。他の子はともかくあの子の過去を勝手に覗き見ちゃっていいものかしら? ほら、お菓子とはいえレディーですもの。レディーは基本的に人のプライバシーをあさったりしないものだもの。基本的には、ええ、基本的には、だけど。
椅子の上で膝を抱えること数十秒。
あともう少しでシスター・ラファエルの講義が終わるはず! そう気づいたのが決め手になり、立ち上がってⅠのケースに手をかける。
「っと……」
小さい掛け声とともに、両手で支えたケースを斜めに傾ける。
その時、ごとん、という音を伴った重量のった感触が手に伝わる。傾いたケースの中で内容物が滑ったのだろう。そのあとすぐに、ざらざら、ぱさぱさ、という乾いた砂がすべりおちるような音と振動が手のひらを微かに震わせた。
私はゾッとした。せずにはいられなかった。
暑さを忘れ総毛立ったまま、ケースを降ろそうとしたた格好で固まってしまう。
ごとん、と重たげなものが転がったり、ざらざらぱさぱさ、と砂や紙切れが滑り落ちるような感触が伝わったケースはこのⅠのものだけ。魔法の道具と一緒に仕舞われていた衣類や思い出の小物達がきちんと収められていたⅡからⅫの棺では感じなかった。
あんな不穏な手ごたえの棺はⅠがナンバリングされた、あの子のものであるこの棺だけ。
ほんの少し浮かれていた気持ちは、その時消滅する。
今朝見た夢の内容がフラッシュバックし、この地下室に入って初めて心から怖いと思う。
「……」
さっきまでとても暑かったのに、今、私の全身には鳥肌が立っている。
ぱっと見は量販店で売ってるものでしかない樹脂製のケースを見つめてから、一旦それをもとの位置に戻した。
恐怖心を落ち着かせたかったことも大きいけれど、お菓子たちの賑やかな声が二階から降りてくる気配を察したのもまた大きい。なんにせよ仕切り直しが必要。
古い椅子から飛び降りると、急いで元の位置に戻す。ワンピースの下に隠していた計十一個の魔法のアイテムを廃品の影へ更に隠し、閉めていた採光用の窓を開け、いつシスターがドアを開いてもいいようにひざまずく。
──こんなに準備万端なのに、シスターはなかなか来なかった。
ようやく、とん、とん、とん……と、いやにゆっくりな足音が、階段を下りる気配がある。私は背を伸ばし、来るはずのシスターに備えて両手を組む。
とん、とん、とん。
まるで一歩一歩、ゆっくり足元を確かめるような足音。こちらに近づくにつれてその気配は少しずつ大きくなる。
とん……とん……。
一段一段、じれったくなるくらいゆっくり階段を降りる足音。これはおそらくシスターの足音ではない、と私は気づく。ドアのそばまでその気配が近づいた時、あまり大きくはない声でドアの向こうに問いかけてみた。
「誰? ジャンヌ・トパーズ? カタリナ・ターコイズ?」
返事はなかった。
ただ、さっきまでゆっくりだった足音が嘘みたいにリズミカルな駆け足で階段を上ってゆく音を残し、足音の主は去ってゆく。
……なんだったのだろう。ていうか、誰?
首を傾げている間に、時間が少し経つ。お菓子たちがどやどや騒ぎながら二階から一階へ降りてくる気配とは別に、規則正しく軽い足音がとんとんとんとん……と地下へ降りてきた。ノックもなしにドアノブががちゃりと回る。
姿を見せたのはシスター・ガブリエルだった。両手に古い扇風機を下げて地下室の中に入ってくる。
「どう? マルガリタ・アメジスト。いい子にしていました?」
「はい、シスター・ガブリエル」
「暑さのせいであなたがだらしない恰好をしているとシスター・ラファエルが仰っていたのよ。教会の納戸にこんなものがあったのを思い出したから持ってきたわ。だから早く服を着なさい」
シスター・ガブリエルは扇風機をおろし、コードを差し込む。よどんでぬるい空気がゆっくりかき回され、ほんの少しだけ気分がよくなる。
魔法道具を廃品の陰に隠しておいてよかった、一安心しながら私はワンピースを手に取った。
「ありがとうございます、シスター・ガブリエル。お陰でたすかりました」
「……それにしても、あなたったら何て格好なの? あちこちほこりがくっついてるわよ? 何をしていたの?」
……うかつだった。ケースと踏み台代わりの椅子をしまうことに気を取られていて、自分が汗まみれの上に埃をまといつかせていることはお留守になっていた。しかもその上からワンピースを身に付けなくてはならない。ああ、シャワーを浴びたい!
そんな風に焦ったりうんざりしている内面を、もちろん面には出さない。私はにっこり笑う。
「少々退屈しておりましたので、出来る範囲でお掃除をしておりました。もちろん、シスター・ラファエル仰るものには一切触れてはいません」
「そう? そのわりにはあまり綺麗にはなっていないようだけど」
──こんなことがきっかけで疑われるのも面倒だ。話題を変えるために、さっきの気になる足音について尋ねることにする。
「シスター・ガブリエル、階段の近くで誰かお見かけしました? シスターがお見えになる前に、階段を降りてきた誰かがいた筈なんです、足音しか聞こえませんでしたが」
「……足音?」
「ええ、本当にシスターがお見えになるすぐ前に。階段の出入り口あたりでその人とお会いじゃありません?」
「どうしてそんなことを気にするんです? マルガリタ・アメジスト」
「どうしてって……」
シスター・ガブリエルの返答が予想外で、私は言葉に詰まった。
ああその足音の主は誰それです。もしくは、いいえそれらしき人の姿をみていません。このあたりの答えが返ってくるとばかり思っていた。だってこれ以外答えようがないじゃない。
なのになぜ「どうしてそんなことを気にするんです?」って質問返しに繋がってしまうのか。理解ができず、私は純粋にきょとんとする。
「それは、だって……不審な足音が聞こえたんだから気になります」
「ああ、そうね。そうよね」
狼狽を取り消すように、シスター・ガブリエルは笑った。
「いいえ、誰も見ていないわ。──きっとあの子たちの誰かがいたずらにきたのよ。あとで叱っておくわね」
「……はい」
とりあえず、私は返事をする。
その陰でシスター・ガブリエルの印象を改める──この人、こんなに嘘が下手でよくこの教会でお勤めできるわね?
「ああそうそう、マリア・ガーネットがね。あなたのことを心配していたわ。自分のせいであなたがこんなことになって申し訳ないって。シスター・ラファエルにも掛け合ってくれたのよ。自分が悪いんだからあなたを早く地下室から出してあげてって」
「本当ですか⁉︎」
これにはつい前のめりになってしまわざるを得ない。だってマリア・ガーネットが私のためにシスター・ラファエルに直談判してくれたっていうんだもの。私のために、直談判……!
「でもシスター・ラファエルは、もう決まった罰だから決定は覆りませんって。あの子は食い下がったんだけど、シスター・ラファエルは頑なで……」
取ってつけたような申し訳なさを見せつけつるシスター・ガブリエルの言葉を私は有頂天で聞き流す。マリア・ガーネット、あの子が私のために骨身をおしんでくれいていたなんて! ああその様子を想像するだけでどうでもよくなりそう……。
「それじゃあマルガリタ・アメジスト。また夕飯をに差し入れに来るわね」
私が夢み心地でいる間に、シスター・ガブリエルは空き食器とトレイを持ってそそくさと地下室を後にしてしまう。
しまった、と気づいた時には彼女は小さな足音を鳴らして階段を上がっていた。
結局、不審な足音の正体は分からずじまい。
でも、シスター・ガブリエルの作家の様子から判断するに、彼女はあの足音の主と階段のそばで角突き合わせている。でも、それが誰なのかを私には教えたくない。
何故? 大して隠すようなことでもないのに。
扇風機の前でしゃがんで風を受けながら考える。シスター・ガブリエルは、どうして私に階段をゆっくりおりてきたのは誰なのか、教えるのを渋るのだろう? 「どうしてそんなこと気にするんです?」だなんて……。
「おーい、マルガリタ・アメジスト~」
天井付近から声がしたのに驚いて振り返る。みると、採光用の窓から地面にぺったりと顔をくっつける形でこちらをのぞき込んでいる二つの顔があった。ジャンヌ・トパーズとカタリナ・ターコイズだ。
「まーたあんたってばそんな恰好して~!」
「どう、地下室生活は? 怪物出てきた?」
採光用の窓のガラスは外に向けて開く、だから二人は中をのぞこうとすると片頬を地面にくっつける形になってしまう。
考え事のせいでワンピースを着るタイミングを逃した私の姿を見下ろした二人が笑っているのを見ると、私もちょっと楽しくなった。
「思っていたよりは快適よ。残念だけど怪物にはお会いしてないわ。──で、どうしたの?」
私が窓の真下までくると、ジャンヌ・トパーズが何かをかるく振って見せる。
ミスターのお店で使用される、茶色い紙袋に入った何かを。
「さっき、マリア・ガーネットがあんたに渡してって。しっかり受け止めなよ。割れ物だから」
「!」
気合を込めて私は畳んだワンピースごと両手を差し出す。ジャンヌ・トパーズは狙いをつけて私の手の上に紙袋を落としてくれた。ぱさ、と音がしてクッション代わりにしたワンピースの上に紙袋は落下する。
受け止めた紙袋の中を見てみると、中には水滴を纏わせたチェリーソーダの小瓶があった。
水滴のせいで、白いメモ用紙が瓶にくっついている。メモには一言、「ありがとう」とだけ。
「…………ッ!」
心臓が止まりかけるくらいの衝撃が、私の胸を襲った。当然、紫色の光がこぼれる。
ぬるい炭酸水とチョコバーに対して、ありがとうって、ありがとうって……っ!
「じゃあもう私たちはいくね。シスターに見つかったら怒られるし」
発光して硬直する私に呆れた二人は、用心深く去ろうとするけれど私は引き留める。
「待って! マリア・ガーネットはまだそばにいる?」
「いないよ。さっきシスター・ガブリエルに呼ばれてガレージの方へ行っちゃった」
「でも、直接渡せばよかったのにね。あんただってその方が嬉しかったでしょ?」
ぶんぶんと首を縦に振る私を見下ろす二人は、「処置なし」と言いたげな表情でお互い顔を見合わせて苦笑した。
「……んじゃあ、そろそろ行くね」
「お勤めがんばれ~」
二人は立ち上がり、どこかへ歩いて去ってゆく。
地下室で一人残された私はチェリーソーダの小瓶を頬にあてた。冷たくて気持ちがいい。
──飲まずにこのままとっておこうかしら。
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