第16話 ドルチェティンカープリンセス

「──こうして、ものづくりが得意な妖精の国・ドルチェティンカーのお姫様は、様々なコネクションをもつ業界大手の妖精の国・ピーチバレーパラダイスと手を組み、順調にウィッチガール活動を続けてゆきました」


 院長室のデスクの上で、人形劇の続きがやっと語られたのは、ピンク色のウィッチガールに襲われる数日前。

 私は編み物に四苦八苦しながら、見た目だけはかわいらしい人形劇を見ていた。 

 お姫様の人形はフェアリーの羽根を生やし、夜の街を飛び回る。どんなものでも、例えば空想の世界にしか存在しないようなものだって作り上げるという、彼女だけが使える特別な魔法を駆使して様々なトラブルを解決する。ウィッチガールもののストーリー、お決まりの型にそって彼女は魔法を使い、道具を作って売ってゆく。

 順調に活動する彼女のもとに、ある夜、影が一つ現れて近づいた。その正体は黒いコートを着た危なげな雰囲気の青年。そのコートには銀の十字架の紋章がちゃんと縫い込まれていた。

 

「カテドラル……」

「よく知ってたね、忌々しいカテドラルの騎士のことを。あの医者が教えてくれたのかい? ま、続きを急ぐよ」


 思わず呟いても、黒い羊姿のシスター・ラファエルは必要以上にお構いになることはなかった。


「ところがある日、お姫様の前にある青年があらわれました。ウィッチガールは世界の外からやってくる悪魔の手先他ならない、そんな連中はお供の妖精ともどもこの世界から追い出してやろう。そう躍起になっている石頭どもの団体に所属する騎士の一人です」


 ──お話を語る際、決まった登場人物をどうしても贔屓してしまい、そうじゃないキャラクターとの差が激しくなる。それがシスター・ラファエルの癖みたい。ストーリーテラーとしては失格じゃないかしら。

 ともあれ人形劇は続いた。黒いコートの青年はお姫様を追い詰める。お姫様は逃げながらも時に時にはしっかり反撃する。そんなやり取りが続く間に、距離が徐々に縮まってゆく。

 

「二人は最初は激しく敵対し、何度も戦いました。命のやり取りに発展することすらありました。──ところが、ところがだよ。ああ糞っ、今思い出しても腹が立つったらない!」


 この後のことを思い出すだけで我慢がならないのか、シスター・ラファエルは足を踏み鳴らした。黒い羊のぬいぐるみ姿だから地団駄を踏んでもぽてぽてと小さな音が鳴るだけなのが、ちょっぴり切ないけれど、可愛い。

 それを口にすれば舌が穢れるといわんばかりな彼女に代わって、私は続きを先取りしてみせた。敵対していた男女二人が出会い、戦ううちに行き着く展開なんて一つしかないもの。


「どうせ、お姫様とその騎士がいつしか惹かれあい愛し合うようになったって所でしょう? 嫌いあう二人が顔をあわせるうちに互いのことを愛するようになるなんて、シスター・ラファエルが講義でお話になるロマンス映画や小説の定石通りじゃありません?」

「そういうことだよ! ──ちくしょう、あんなものは物語だけで充分なんだ。現実に起きた結果できたのがこの糞みたいな町だよ」


 口にするのも憚られるようなお話を私が受け持ったからか、シスター・ラファエルは気をお鎮めに。ごほんと咳払いを一つして物語の続きをお話しになった。語り口調を整えるのがもう煩わしいのか、カジュアルな口振りで。


「ま、あたしは止せって言ったのに、そんなこんなで二人は勝手に燃え上がっちまったわけさ。ところがこれが面白くなかったやつがいてね。それがこいつだ、ウチのクソ神父こと現ピーチバレーパラダイスボス。──この時ゃまだピーチバレーパラダイスプリンスだったけどね」


 シスター・ラファエルがかぎ針で糸を操ると、たちどころにピンク色の小豚のお人形が出来上がる。

 つぶらな瞳のかわいらしい子豚ちゃんなのに、遊び人らしい派手な服装を着こんでいる。これが若いころの神父様を摸したお人形。

 小豚はお姫様に言い寄る。お姫様が嫌がるそぶりを見せてもしつこく付き纏う。そうやって、愛し合う恋人のうち片方に横恋慕をして困らせる、よくあるキャラクターを演じる。


「先代のピーチバレーパラダイスボスは、このド辺境に早くから進出してあらゆる国の高官のあいだにコネクションを作り、地球全体を覆い尽くすネットワークをたったの一代で築きあげた傑物の大親分だったけどねえ、その息子であるこいつは典型的なボンクラ坊ちゃんだったのさ。親の威光をかさにきてやりたい放題の悪ったれ。そいつがよりにもよってうちのお姫様に恋をした」


 シスター・ラファエルはお悔しそうにぶるぶる震える。この後の展開もとても語れたものではないらしい。

 しかたなく私がまた続きを語ってみせた。


「お姫様はそのろくでもないプリンスと結婚しなきゃならなくなったんじゃありません?」

「……先代のピーチバレーパラダイスボスに一つだけ大きな欠点があるとすりゃあ、地上制覇の抗争の結果たった一人生き残ったこの息子にとことん甘かったってことだね。しかもうちのベルのことを大きく買ってくださっていたのが裏目に出ちまった」


 ベル、というのはドルチェティンカーのお姫様の名前だということはとっくに把握済み。あまり腕のよくないストーリーテラーのシスター・ラファエルは、時々うっかりお姫様のことを「うちのベル」とお呼びだったんだもの。

 「うちのベル」か。きっとシスター・ラファエルはお姫様のことが大好きだったのだろう。

 ごほんとまた咳払いをして、シスター・ラファエルは人形劇に戻られる。


「自分の国を大きく豊かにするために自らウィッチガールになりにきたお姫様の丹力と野心を、先代のピーチバレーパラダイスバスは大いに気にってくださいました。それだけならよかったのですが、勢い余ってこのようにもお考えになったのです、──この娘は自分のドラ息子の嫁に最適だ。この娘を妻にすればドラ息子もすこしはまともになるだろう。自分が一代で築き上げたピーチバレーパラダイスも安泰だ、と。お姫様にも直々にお話を持ち掛けました。──うちの倅と結婚してやってくれないか。そうすればあんたはこの世界で一番大きい妖精の国のクイーンになれる。ドルチェティンカーはあんたと倅の間にできる子供に継がせりゃあ問題ない。何、うちは生来夜は強ぇ方だからガキはいくつでもすぐできるはずだ、なんも問題はねえ。とまあ、そんな塩梅でした」

「……神父様のお父様、ご立派な方だったのかもしれませんけれど紳士からは程遠い方でしたのね」

「これでなんであたしが日頃あんたたちにマナーをとやかく言うのか分かったろ。品ってもんがないとまとまる話もまとまらなくなるんだよ。──ま、話を続けるよ」


 自分に言い寄る小豚のプリンスから逃れるように、お姫様は愛し合う騎士に手を伸ばす。しかし、騎士も騎士でなにやら苦悩していた。


「一方、騎士は騎士で苦悩しておりました。ウィッチガールと恋に落ちるなんてもってのほか、そんなことが明るみにでたらたちどころに破門され、天国の門をくぐることはできない身になる。──こいつは組織の中でずっとそう教えられたことを疑うことなく頭からまるっと信じていたからです」


 騎士についてのお話は、早口の棒読みであっという間におしまいに。


「お姫様も悩んでいました。自分の心を殺してでもプリンスと結婚する、ドルチェティンカーにとってはそれが一番だ。そうすれば騎士はカテドラルから破門されずに済む。世話になったピーチバレーパラダイスボスの恩を仇で返さずに済む。大体もともと祝福されようがない仲なんだ。自分ひとり、我慢しさえすれば丸く収まる……。そう頭で考えれば考える程、ボンクラなプリンスへの嫌悪感が募っていきます。──本当に見ちゃいられなかったよ、この時のベルは」


 はあっと、ため息をおつきになった。


「あんまり見ちゃいられなかったので、お姫様のお供の妖精はある決断を下しました。それはその後長い間、何度も何度も悔やむことになる決断でした」

 

 かきわりの背景が教会を描いたものに切り替わり、お姫様の姿は白いウェディングドレスを着たものへ変わる。どうやらお姫様はプリンスとの結婚を受け入れたみたい。隣には白いタキシードを着た小豚がいる。 

 二人が誓いのキスを交わそうとした時、教会の扉が開く。乱入してきたのは黒いコートの騎士。そのそばには黒くて小さな羊が控えていた。


「お供の妖精は考えに考えた結果、お姫様の心の幸せを優先しました。お姫様は何をおいてもこの騎士と一緒になるべきだ。ドルチェティンカーを大きくする夢は遠のくけれど、だからといって無くなるわけじゃあない。何よりあの下衆のボンクラプリンスと一緒になって泣き暮らすお姫様は見たくない。それにあの騎士が天国へいけなくなるなんてことはもとよりしったこっちゃない。──その結果」


 騎士は列席している妖精を倒しに倒し、白いドレス姿のお姫様を抱きかかえチャペルを後にしてゆく。

 これもまた、よくみかけるロマンティックな映画のよう。


「こうして、逃亡の旅に出たお姫様と騎士は、流れ流れてこの砂漠の真ん中のちいさな町までたどり着きました。二人はそれまでの素性を隠し、ベル・ブラッディとピーター・ブラッディという若夫婦として暮らしてゆくことになりマイクとジョージナという息子と娘を授かり、末永く幸せに暮らしていく筈でした、が──続きはまた今度」


 デスクの上で自由自在に動いていた人形たちは、ぽひゅん、というような音と白い煙を立てて消え去った。つややかなデスクの天板は急に静かになる。

 天板に映る私の影、しばらくそこから目が離せなかった。

 編み物をする手のほか、視線も体もそのほかの部分も全て、その瞬間に固まってしまう。

 マイクとジョージナ。

 頭の中で繰り返した瞬間、ミスターのしわがれ声のおしゃべりが蘇る。チェリーソーダが好きな可愛い女の子のジョージナと、都会の大学に行ったっきり戻ってこない兄のマイク。

 ジョージナは元気か、この前わしはジョージナに会った、ジョージナが買い物にきた──。ミスターのしわがれ声が頭の中で繰り返される。


「──マイクと、ジョージナ?」


 シスター・ラファエルの目をみて私は繰り返した。

 この人形劇は、なんの変哲もない赤い砂漠の小さな町がピーチバレーパラダイスと呼ばれるようになったかを語る神話だ。同時に、マリア・ガーネットの身にかつて何が起きたのかを語る物語でもある。

 自ら創り上げた魔法の道具を売り込むためにウィッチガールに変身したお姫様。そのお姫様と敵対しながら恋に溺れたカテドラルの騎士。その二人がマリア・ガーネットのお母様とお父様であることは聞いているうちに掴める。

 その二人から生まれた子供がマイクとジョージナなら、マリア・ガーネットの本名は……。

 私の視線を受けて、シスター・ラファエルは頷かれた。


「ジョージナ・ブラッディ、それがあの子の本名。七年前の事件の犠牲者の一人で享年九歳。そういうことになってるはずさ、外のリストじゃあね」


 私は瞬きしかできなかった。外のリストでは享年九歳。

 マリア・ガーネットには七年前の記憶もある、体だってある。でも公的には死んだことになっている。

 つまりは、悪い妖精たちが治めるこの町の外では生きていけない身にされているのだ。




「……」


 ピンク色のウィッチガールがどこかへ去った後、がれきの上でミスターのくれたチェリーソーダを飲む。飴玉を溶かしたような甘さ感じながら、私はシスター・ラファエルから聞いた話を思い返していた。

 地平線を遮る奇岩の向こうに、お日様は沈みかけている。

 そういえばマリア・ガーネットはジャガイモの皮剥きをしていたっけ。あの子の剥いたジャガイモの山は、今頃シスター・ガブリエルによって茹でられ、潰されているのかしら? 今この時に全く必要じゃないことをふと考える。

 マリア・ガーネットも、私のそばで少しずつソーダを飲む。飲み慣れた味のお陰で落ち着いてきたのか、涙も止まり、すぎた緊張が顔から消えた。どこか遠くをみるような目つきが儚くてたよりない。


「……なーんていうか、とんでもない日だったね」


 私たちとは少し下の位置に座っているジャンヌ・トパーズが、つとめて軽い口調で言う。その足元にはお菓子の入った紙袋が。あんな騒ぎの中でも無事だったのか、それともあのピンク色の子が魔法をかけた際に元に戻ったのか。なんにせよ、こんな時でもジャンヌ・トパーズがジャンヌ・トパーズらしくあることに安心する。

 元通りになったお店からミスターが、アイスを食べていくかと声をかけてくださった。私たちは遠慮した、もういい加減帰らないといけないもの。でも、


「チェリーソーダ、好きなの?」


 帰りましょう、と言い出せなくて、私はマリア・ガーネットに尋ねる。


「私への差し入れもこれだったもの」


 マリア・ガーネットは左手で髪をくしゃくしゃかき混ぜる。今回のこの仕草には気合をいれて気分を切り替える意味があったみたいで、私に向けて頼りなく笑って見せた。


「──小さい時からこればっかり飲んでたから、つい習慣で。嫌いだった?」

「あなたがくれるものなら何でも好きよ」


 冗談めかしてそう返す。

 本当のことを言えば、私はただの炭酸水の方が好きだけど。それにマリア・ガーネットがくれたチェリーソーダは封を切らないまま、院長室にあるけれど(だってシスター・ラファエルが返してくださらないんだもの)。


「……なにそれ、主体性がないのはあんたらしくないよ」

 

 マリア・ガーネットはやっと笑って、立ち上がった。ホームへ帰る心持になれたみたい。

 瓦礫の山からおりて、ミスターへ三人分の瓶を返す。別れ際にマリア・ガーネットはミスターとハグをする。まるでおじいちゃんに甘えている孫のよう。実際、マリア・ガーネットにとってミスターはそういう方だのだろう。


「気にせんでいい。なんも気にすることないぞ、ジョージナ。おまえさんはよう頑張っとる」

 

 マリア・ガーネットのことを唯一ジョージナと呼ぶミスターは、あやすようにあの子の頭と背中を撫でた。

 水を差さないように大人しくしている私の隣で、すん、とジャンヌとパーズは鼻を鳴らした。


「……こういう場面に弱いんだよね、わたし」



 日が暮れる中、メインストリートを歩いて戻った私たちを真っ先に迎えてくださったのはシスター・ガブリエル。教会の前で私たちを待ち構え、ほらご覧なさい! と精一杯の怖い顔を作ってお叱りに。

 お行儀の悪いピンク色のウィッチガールとの一件が、

もうホームにまで伝えられていたみたい。あれだけ大騒ぎしたんですもの、甘んじて叱られるしかない。

 でも、今日はいつもと違う。私たちを迎えてくださったのはシスターお二人ではない。シスター・ガブリエルの後ろには、黒い祭服姿の神父様がお控えに。この時間、教会の外に出ていらっしゃることなんて滅多にないのに。

 神父様はなかなかの美男子だ。均斉のとれた体つきに、後ろに撫でつけた黒い髪。柔和な笑顔や甘く低い声によるお説教。ここの教会が男性のみに門戸が開かれているのがもったいなく思える程。

 でも私たちは知っている。この神父様が本当は人間ではないことも、些細なことで激しくお怒りになることも。

 私とジャンヌ・トパーズはその場で固まってしまう。神父様の大声や暴力を見聞きしているから、お姿を目にするとどうしても身がすくんでしまう。でも、神父様は震え出す寸前の私たちのことなど気にもされない。


「お帰り、マリア・ガーネット。話は聞いたよ、ハニードリームの客人を丁重にもてなしてやったそうじゃないか」


 今日の神父様は柔和さを崩さない。でも、せっかく緊張が解けていたマリア・ガーネットの体がふたたび強張った。

 

「連中の増長ぶりは目に余ったが、我らの良き隣人としての分を弁えるようになるだろう。――本当に今日のお前はよくやったよ。進んで先日の礼をしてくれるとは」

 

 神父様がマリア・ガーネットに手を伸ばす。今度は殴ろうとしたわけではない。頭を撫でようとされたのだ。

 その瞬間、マリア・ガーネットの右腕が閃く。裏拳でその手を払い落し、全身から殺気を漲らせて神父さまを睨む。


「触るな」


 押し殺した声で、あの子は一言だけ告げた。威嚇するようにガチガチと右腕を震わせて。


「──これ以上あたしを怒らせるな」


 神父様の後ろに控えている宣教師たちが動き出す。あの子を押えようとした部下の動きを神父様は制する。牙を剥き出して唸り声をあげているけれど首に繋がれた鎖のせいで自由になれない、おそろしいけど哀れな犬を揶揄うように笑みを湛えて。


「今日は気分がいいからね。お前の態度は無かったことにしよう」


 打たれた手を撫でながら、神父様は笑う。先日あれほど激しく怒りながらこの子を殴っていた人なのに。

 私は神父様が怖い。

 シスター・ラファエルのお話を聞いてからは一層怖くなった。

 愛し合う二人に横恋慕した結果、自分の望みが永遠に叶わなくなったことで我を失って町を一つ壊し尽くした妖精の王子様。自分の顔に泥を塗った二人だけでは気が収まらずなんの関係もない人間たちを殺して回り、その場に自分の王国を打ち立てたピーチバレーパラダイスボス。

 いくら悪い妖精だからといって、そんな無茶苦茶をするボスは他にいない。

 シスター・ラファエルが尊敬していた先代のピーチバレーパラダイスボスが亡くなり、当時のプリンスだった神父様が後を継いで以降、大帝国とまで称されたピーチバレーパラダイスは次第にバラバラになった。そんなボスの下で国を支えるのは嫌だと、ただの手下だけでなく忠臣たちまでみんな逃げだしたからだという。 

 今、ピーチバレーパラダイスと名の付く神父様の直轄領はこの町だけ。かつての帝国は見る影もない。

 そのせいか、笑顔の裏で神父様は常に苛立っている。ささいなことで激高し、誰かを殴りつけるチャンスを探している。

 だから私たちお菓子は、神父様の視界に入らないようお仕事の時以外はホームで過ごす。息苦しくて不愉快なことが多くても、なんだかんだでホームの中はとても安心。




「──今のままじゃあピーチバレーパラダイスはあと一年ももちやしないよ。だれだってあの糞神父を神輿にかつぐのなんか嫌だからね。糞が手につくのは勘弁だろ?」


 マリア・ガーネットがジョージナ・ブラッディという女の子だったことを教えられた同じ日、シスター・ラファエルは私に打ち明けた。どれもこれも、私を信用しなければ明かすはずのない重要な話だ。

 それが私を落ち着かないくさせた。どうしてシスター・ラファエルは、私をそこまで買ってくださるのか。私が彼女なら絶対信用しないのに。


「だから今、あの糞神父がうずたかくそびえる糞の山の一つに帰った後のこの町をどうするかについて、支社の連中との間で話を進めているのさ。ここはロクでもない場所だけどね、そのままこのど辺境の人間どもに譲り渡すには危ないものがありすぎる」

「──私みたいに?」


 シスター・ラファエルがどうして私を信じてくださるのか、その理由は今一つ分からない。

 でも、マリア・ガーネットの昔の名前やほかの大事な情報を打ち明けてくださったのだ。それへの敬意がない訳じゃない。

 だからいかにも悪い子のように笑ってみせた。共犯者になるのは得意だもの。


「言うねえ」


 私の態度が気に入ってくださったのか、黒い羊のぬいぐるみ姿のシスター・ラファエルも同じように笑い返してくださった。

 

「今進んでるのは、支社の連中の誰もが認める神輿をかついで連合で統治って形にする案だ。ここ数年は実質そういう形で町を動かしていたからね、移行がしやすい。神父よりも綺麗で、見栄えがして、カリスマ性のある神輿をすえるだけ。血統もついてりゃいうこともない。どうだい、簡単だろ?」


 カリスマ性があって、奇麗で、見栄えがいい神輿。

 血統もついてりゃいうこともない。

 シスター・ラファエルは金色の目でぐっと私を睨む。もう分かってるだろうと仰いたげに。

 マリア・ガーネットは無敗のウィッチガールスレイヤーで、私たちの女王様だ。

 そして、ドルチェティンカーなる妖精の国のお姫様の娘だ。つまりプリンセスだ。


「ドルチェティンカープリンセス……?」


 私が呟くと、よくできましたと言いたげにシスター・ラファエルはにたりとお笑いになる。


「どうだい、これ以上ない神輿だろ? うちのマリア・ガーネットは多少クセはあるが別嬪だ、それでいて強い。あの糞神父との因縁も建国神話にもってこいだ。何から何までこの町の次期女王向きじゃないか。あの子を女王にして、ここはこんな糞みたいな町じゃなくピーチバレーパラダイスじゃなくドルチェティンカーって国に描き変えるんだ」


 シスター・ラファエルはデスクの上で小躍りをする。まるでマリア・ガーネットが今まさに女王になったかのように。


「たとえお飾りの女王だとしても、あたしらの国の名を轟かせるって悲願が果たせるんだよ。ベルとふたり、この世界にやってきた時の悲願がさ……! あたしは嬉しくて堪らないんだよ、それが」


 シスター・ラファエルの自分自身を鼓舞するような歓喜に、私はついていけない。だって彼女のプランには肝心のマリア・ガーネットの気持ちが考慮されていない。

 この世界にいないことにされこの町でしか暮らせない身にされた女の子、ジョージナ・ブラッディことマリア・ガーネット。

 あの子はこんな町の女王様になりたがるだろうか。

 大体、シスター・ラファエルが、ご自身の目的のためにあの子を死んだことにして、この町に閉じ込めたんじゃないかしら。

 そんな疑いが視線に浮かんでいたらしい。ダンスをやめて、シスター・ラファエルはふんと笑う。 


「──あたしらの悲願のためにあの子の人生を犠牲にしたんじゃないかって目だね。結構結構、あの子思いなのは大いに結構。あんたはまるで昔のあたしみたいだ。だからあんたには女王になったあの子を補佐してもらいたいんだよ、マルガリタ・アメジスト。参謀ってやつさ」

 

 あんたはまるで昔のあたしみたい。

 それがシスター・ラファエルが私を一方的に信じてくださった理由なのか。理由がどうあれ、あの子がこの町の女王になる話も私がその補佐を務める話も、おそろしく現実感がない。

 どういう顔を浮かべていいのかわからない私に、シスター・ラファエルは話をお続けに。


「あたしは何も自分のためにあの子をここから出さないわけじゃない。あの子の右腕、あれで外の世界を今まで通り普通の女の子として生きていけると思うかい? いくら異世界との交流がさかんになったっていっても、あの腕はこのど辺境にはまだんだよ。他人からじろじろ見られて嫌だとかそういうレベルじゃない。──あんたなら意味がわかる筈だけど、あの子はね、七年前にあの腕になってから一度も取り換えてないんだ。取り換えずにすんでいるんだよ、あの腕を」


 九歳の女の子が十六歳になるまで七年間、金属の腕を交換もせずに身に着けたまま成長している。

 私はマリア・ガーネットの姿を思い出す。質は違うけれど両方の腕の長さは違わない。

 鱗状の外殻の中を通っていた、見たこともない魔法文字が刻み込まれた人工骨の様子をおもいだす。あれらはすべて魔法文明の粋だ。

 自然に成長する金属の腕なんて聞いたことがない。そんなものをこの世界の人間が生み出すなんて、まだまだ途方もない時間を必要とするはず。


「あの子の右腕はね、あんなだけどちゃーんと生きているんだ。あれこそがドルチェティンカーの魔法さ。ベルの形見さ。そんな腕をくっつけた女の子をスキあれば異世界の魔法技術をくすねようとする辺境の田舎もん供が優しく世話してくれると思うのかい? あの子はここにいるのが安全なんだよ」

 

 私は嫌でもお客様のことを思い出してしまう。私の体を調査して、ウィッチガールたちの遺品を手に入れようとしている、あのお客様。

 きっと外の世界には、ああいう人たちが大勢いるのだ。

 なら確かにマリア・ガーネットはここにいるのが幸せなのかも、シスター・ラファエルが仰るように──。いえ、そんなことはない。私は軽く首を左右に振った。

 間違えてはダメ、私はあの子の気持ちを確かめていないもの。簡単に納得してはいけない。

 私はまた共犯者の笑みを浮かべた。シスター・ラファエルのお話を信じるか信じないかについて、はっきり答えたりはしない。


「──ごめんなさい、シスター・ラファエルはそんな大きな話をなさる方だとは知らなくて、驚いてしまいました」

「……何も大きいことなんかないよ。ドルチェティンカーって国を大きくしてやるって息巻いてたあたしとベルの夢に比べりゃあ、みみっちくていやんなるくらい現実的さ」


 さっきまでの上ずった調子に比べて、そのシスター・ラファエルの声は自嘲的で乾いて寂しげだった。思わず溢れた本音だったのかしら。


「……大切な方だったんですね。マリア・ガーネットのお母様のこと」

「うるさいね。生意気な口たたくんじゃないよ。編み物一つまともにできゃしないくせにさ」


 ふん、とシスター・ラファエルは照れを隠すように鼻を鳴らした。ああ、ずっとこういう雰囲気なら喜んで共犯者になれるのに。

 その気持ちを隠して、私は笑う。本心を隠すための笑いだ。白か黒かはっきりしたくない時に用いる笑顔。かつてシスター・ラファエルに教えて頂いたものだ。

 おや、と言いたげにシスター・ラファエルは私を見上げる。


「シスター・ラファエル、私に大切なお話をしてくださって感謝いたします」

 

 まずは本心を隠すために、親しげな笑みを浮かべてみせた。


「私が願うことは二つだけ。マリア・ガーネットが幸福になりさえすれば、あとできれば私にもうちょっと心を開いてくれさえば──ただそれのみです。その為には力を惜しまない覚悟でいます。そこはどうかお信じください」


 マリア・ガーネットを女王の座に据えるかどうかはあの子の気持ち次第、そんな意図をこめて私は伝える。

 シスター・ラファエルは面白そうにニヤッと笑ってみせた。そうでなくっちゃ面白くない、そんな表情に救われる。


「……はあん。ま、あの子の幸福を第一に考えるって聞けただけでも収穫さ。ここの女王に収まること以上の幸福なんてありはしないからね」



 その日はこのように午後に過ぎた。今日はその日から数日が経っている。

 神父様はあの子にちょっかいを出すと気が済んだのか、宣教師たちを従えて教会の中へ。私とジャンヌ・トパーズ、そして面を伏せるシスター・ガブリエルのことなんて興味はないらしい。

 マリア・ガーネットはいつものように一人ガレージへ。


 あの子はまた不安になっていないかしら。バイブルの文句を唱えていないかしら。くまちゃんを必要としているかしら?

 思いを巡らせながら、夕飯のマッシュポテトを口にする。

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