第15話 ジョージナ

 嵐でも来ない限り、ピーチバレーパラダイスの空は青く晴れている。


 午後の日差しの中を、私とジャンヌ・トパーズは並んで歩いている。またミスターのお店までお菓子を買いに行く所。

 このところずっと自由時間はシスター・ラファエルとの編み物をしてばかりだったから、ジャンヌ・トパーズにお誘いに喜んで乗ることにしたというわけ。

 でも、外に出るのは普段より時間がかかってしまった。


「……あなたたち、今日くらい外出は控えなさい。こんな時期なのよ、分かるでしょう?」

 

 いつもの通り外出のお許しをもらおうとしたら、キッチンで夕食を準備している真っ最中のシスター・ガブリエルったら不安そうに仰ったんだもの。

 とはいえ、シスター・ガブリエルがご心配なさるのはご最もなこと。この前のウィッチガールバトルショーのことで怒りがおさまらない神父様の意向を勝手に汲み取った宣教師の一人が無断でハニードリームの支社に怒鳴り込み、その際に暴力も振るった──なんて、大事件がおきたばかりなんだもの。

 ピーチバレーパラダイスは、まがりなりにも神父様ことピーチバレーパラダイスボスの領地だけど、町のあちこちにハニードリームや悪い妖精の国の支社がある。支社の皆様方も町の繁栄に対して熱心だから、町の運営に対する意見は自然と活発になる。

 つまり、この町は神父様の専制国ではなく、色んな世界から来た悪い妖精たちと足並みを揃える必要があるというわけ。──それって、仮にもこの町の王様である神父様にとっては到底我慢なんてできたものではない、ということみたい。

 そんな町だもの、支社同士の小競り合いなんて珍しくはないけれど、でも教会の前にピンクの小豚の生首が置かれているだなんて所まで事態が進んでいたなら流石に少しは警戒レベルをあげなきゃいけない。

 それにしても、殴り込みなんてかけるものじゃないわね。


「最悪、小豚の血ってば磨いても磨いても全然とれないんだもん」


 こんな日に教会の掃除当番になった不運な子が、ぷりぷり怒っていたもの。せっかく誰かに命を捧げても、これじゃあ全く浮かばれない。


 そんなわけで今日は、ピーチバレーパラダイス教会のお菓子たちとしては、お家の中でいい子にしているべき日なのだ。だけど、お菓子を切らしてしまったジャンヌ・トパーズは引き退らない。ストリートを歩いてミスターのお店まで行って帰ってくるだけだから、と頼み込む。


「メインストリートとミスターのお店は非武装中立地帯でしょ? そこからは一歩も外には出ませんからぁ〜」

「いけません! 数日お菓子が食べられないくらいガマンなさい。甘いものくらい作ってあげますから」

「……うーん、お気持ちはありがたいんですけどぉ〜……」


 ジャンヌ・トパーズはもごもごと言い淀む。お菓子が欲しいのは勿論だけど、それだけが目的じゃないのが伝わらなくて焦れている。

 ミスターのお店でのお買い物すること、それそのものがジャンヌ・トパーズにとって大切な楽しみなんだから、彼女がむくれるのも当然。甘いものさえあればいいとかそういう話じゃあないのに。

 そんなことすら分かろうとしない、お料理中の手を止めないシスター・ガブリエルを不意に凹ませたい気持ちにかられて、私は口を開いた。


「御言葉ですがシスター・ガブリエル……」

「ついていってあげようか」


 でも、私の言葉は中で断ち切られた。思わぬ声に、驚いてしまったから。

 声がした方、調理台の陰になっていて私たちのいる場所から見えない位置から、私の好きな声がした。急いでそちらを覗き込むと、やっぱりマリア・ガーネットが。あの子はキッチンの床に座り、大量のジャガイモの皮を剥いていた。エプロンなんて着けちゃって、もう!

 ナイフで手早くジャガイモの皮を剥く手を止めず、あの子はなんでもなさそうにさらりと言った。


「護衛って言ったら、まあ大袈裟だけど。あたしが一緒なら支社の連中も迂闊に手出したりはしないでしょ、よほどのバカでもない限り」

 

 その時、シスター・ガブリエルの目に動揺が走ったのを私はちゃあんと見ていた。


「! ダメと言ったらダメ、あなたもここにいなさい」

「そ、そうですそうです! あなたにわたしたちの護衛とか、そんなの頼めないしっ!」

 

 それまでお願いだからお店まで行かせてほしいと熱心に頼み込んでいたジャンヌ・トパーズなのに、首をぶんぶん左右に振ってあの子の申し出を断った。

 その間にマリア・ガーネットは立ち上がってエプロンを外し、ウエストで結んでるつなぎの袖をほどいた。そして左手だけを袖に通す。一応これが彼女の外出スタイルなのだ。


「遠慮しないで、ジャガイモの皮剥くのもそろそろ飽きたし。──今日の夕飯に必要な分はもう剥いたから、いいよね?」

 

 マリア・ガーネットはそう言って、大きなボールにいっぱいのジャガイモを調理台に置いた。シスター・ガブリエルもそれを見たらため息を吐くしかなかったみたい。


「早く帰っていらっしゃいね。何が起きるか分からないんだから」


心配そうな声に見送られ、私たちはホームを後にした。


 ──というわけで、私とジャンヌ・トパーズの数歩後ろをマリア・ガーネットがついて来ている。

 この子の言う通り、ウィッチガールバトルショー無敗の女王、ウィッチガールスレイヤーことマリア・ガーネットに襲い掛かろうと考える愚か者はピーチバレーパラダイスにはいないはず。でも、ジャンヌ・トパーズはあからさまに強張っていた。ずっと出しっぱなしの猫耳をピンと立て、尻尾も膨らませている。

 そうして隣を歩く私にひそひそと耳打ちした。


「どうしよう……っ、あの子と一体何話したらいいのか分からないんだけど!

「いつも通りにおしゃべりしたらいいじゃない。第一、本人の前でヒソヒソ内緒話するのは失礼よ。ねえ、マリア・ガーネット?」

 

 首をひねって後ろを見る。マリア・ガーネットも歩きながら頷いた。


「ジャンヌ・トパーズだっけ? 気なんて使わなくて全然構わないから。緊張されるとこっちが困る。あと、この前頼まれてくれてありがとう。助かった」


 私が地下室に入れられた際にチェリーソーダを届けてくれたこと、それへのお礼だと気が付くのにジャンヌ・トパーズは少しの間を要したみたい。気づいてから振り返り、またぶるぶる首を左右に振った。


「あ、あれぐらいのこと別になんでも……! ていうかなんでさっきジャガイモの皮剥いてたのっ? あなたうちの女王様だよね⁉」

 

 それは私も気になっていた。シスター・ガブリエルがマリア・ガーネットに頼む雑用の中にジャガイモの皮剥きなんてものまで含まれていたなんて! 

 なのに当の本人だけが、私たちが慄く理由を絶対わかっていないきょとんとした表情を浮かべて答えるのだ。


「なんでって……。今日の夕飯がマッシュポテトだからだけど」

「げっ、嘘。テンション下がる~」


 ジャンヌ・トパーズの関心は食い気の方に流れて行ってしまったけれど、私は歯がゆいままだ。マリア・ガーネットの右隣へ素早く移動する。


「あのね、マリア・ガーネット。あなたが毎日大変なシスター・ガブリエルのお手伝いを買って出てるのってとっても素晴らしいことだと思うわ。でも、あなたは私たちの女王様なのよ。無敗のウィッチガールスレイヤーなのよ! なのに洗濯してみたりジャガイモの皮剥いたり……! みんなあなたに憧れてるのよ? その意味をよく考えてもらいたいわ」

「はあ? じゃああんたは毎日臭いシーツにくるまって、ひもじい思いをしても全然平気ってわけ? ──つか、さっきから気になってんだけど何その女王様って? あたしいつそんなもんに就任したんだよ?」


 この子と親しくなって気が付いたけれど、マリア・ガーネットったら自分が私たちにどういう風にみられているのかわかっているようで実はよくわかっていないのだ。

 自分たちとは違う特別で孤高の女の子なんだから、いつも超然としていてほしい。そんなお菓子たちの切なる願いに対し、悲しいくらい鈍感なのだ。

 なんだか陰口叩かれたり、そのくせ物欲しげな目で見られたり、まるで意味が分からない。こんな風に戸惑い首を傾げてるだけなのだ。

 ショーの時はいつだって、誰ともなれ合わないし愛想なんて振りまかない、絶対無比の女王ぶりを演じているのに……! ホームにいる時のこの無防備さときたら……!

 ああもう、可愛い。本当に可愛い。

 たまらなくなって、マリア・ガーネットの右腕に抱き着いてぎゅーっと抱きしめる。そもそもここしばらく、私はシスター・ラファエルに捕まりっぱなしだったんだもの。ガレージを訪ねることすらできなかったんだから、ちょっとくらいはベタベタしたい。


「ちょ……! やめなってこんな所でっ。あんた本当に脈絡なさすぎるんだけど!」


 マリア・ガーネットは私を引きはがそうとするけれど、私は負けない。恋人がするように右腕を独り占めしてやる。

 前をゆくジャンヌ・トパーズは振り向き、呆れたようにため息をついた。


「わたしは何も見てないから、どうぞお好きになさいまし」


 いつのまにか、その頭とお尻から猫耳と尻尾が引っ込んでいた。


 

 そんな風にじゃれついている間にミスターのお店へ到着した。

 マリア・ガーネットは店の中には入らず、テラスで待つという。私はジャンヌ・トパーズと一緒に店の中へ。

 珍しいことに、店の中には私たちホームのお菓子以外のお客がいて、ミスターからアイスを手渡されている。

 見た目は十三、四歳。ツインテールにしたピンク色の髪にスカートの短すぎるセーラー服って姿が、まるでちょっと古い東アジア産フィクションから出てきたみたいな女の子。ミックスベリーソースのかかったアイスを受け取って、甲高い声と愛くるしい笑顔でミスターにありがとうを伝えている。ミスターもニコニコ顔だ。

 その子はすれ違いざま、私とジャンヌ・トパーズを一瞥する。瞳の色まで濃いピンク。そこから私たち二人はピンと来る。

 この子もウィッチガールだ。しかも現役の。


 ピーチバレーパラダイスには悪い妖精の国の支社がある。ならそこに所属するウィッチガールがいたって当たり前。最も、この町で一体どんな仕事をしているのかはわからないけれど(少なくとも世界の平和やみんなの日常を守ってはいなさそう)。

 ただ、私たちお菓子は教会の敷地で暮らしているから、よそのウィッチガールに出会う機会はほとんど無い。ピンク色が鮮やかすぎて、つい目で追ってしまう。


「嬢ちゃんたちや、よく来たね。ジョージナは元気かい?」

 

 ピンクの髪のウィッチガールが店を出て行ったあと、ミスターは私たちに話しかける。またジョージナの話だ。ミスターはどれだけジョージナのことを可愛がっていたんだろう。


「この前ジョージナが来てな、チェリーソーダを買った後兄さんのマイクの近況を離してくれたよ。もう少ししたら帰ってくると手紙に書いてあったとな」

「そっかあ、よかったね。ミスターも安心だ」


 かご一杯のお菓子を差し出しながら、笑顔のジャンヌ・トパーズは嬉しそうに話を合わせる。

 古い映画でしか見たこと無いようなレジスターのキーを押しながら、ミスターはお会計を始める。

 ジャンヌ・トパーズが紙袋いっぱいに詰まった菓子を受け取ったあと、私はチョコバー二つを台の上に出した。

 その途端、テラスの向こうが騒がしくなった。悲鳴だか怒鳴り声だか分からない声がする。

 魔力をはらんだピンク色の光が店の中に差し込んでだのは、その直後。私とジャンヌ・トパーズは外の出来事を一瞬で悟る。

 すぐさま、ごっ、と何かが抉れるような音がして空気の塊が一気に押し寄せる。


「⁉」


 普段お菓子ばかり食べている怠惰な姿からは想像できない素早さでジャンヌ・トパーズはカウンターの中に飛び込みミスターの体の上に覆いかぶさった。私もとっさに身を伏せる。次の瞬間、大砲を思わせる衝撃波が私たちの頭上を通り過ぎた。そして、耳をつんざく音が轟いて、ガラスの砕ける音や店の棚が倒れる音が続く。私たちの体にも何かの破片がバラバラと降り注ぐ。

 衝撃波が去ったことを肌で感じて顔をあげた時には、こじんんまりとしたミスターのお店はすっかり無残な姿に変わり果てていた。

 カウンターから顔をのぞかせたジャンヌ・トパーズが私に目くばせをする。私はうなずいて、吹き飛ばずに済んだ壁まで駆け寄り、陰に隠れながら外の様子を伺った。

 壁一枚挟んだすぐそばには、マリア・ガーネットの後ろ姿がある。向かい合う視線の先には、さっき店を出て行ったピンクの髪のウィッチガールがいる。

 ただしその恰好はもうセーラー服じゃない。フリルが満載のひらひらした幼稚なデザインのわりに胸元が大きく開いている、パウダーピンクのドレス姿に変わっている。その上右手には、先端に大きなハートのオーブが乗ったステッキを持っている。ピンクの瞳には異様にきらめいている。

 変身済み、完全に戦闘形態。

 私の位置からは横顔と背中しか見えないマリア・ガーネットのこめかみから、血がじわじわと流れている。頭を殴られたのだと分かり、私の体がかっと熱くなった。でもそれに身を任せたりしない。壁越しに尋ねる。


「何があったの?」

「さあね。何が何だか」


 私に気づいても赤い瞳を何から何までピンクのウィッチガールに据えたまま、マリア・ガーネットは答えた。軽く冗談めかしていたけれど、眦は吊り上がっている。

 壁の内側から出て、この子のこめかみに手を当てる。右腕とその中にいるアスカロンのおかげで大ダメージにはなっていないけれど、傷の抉れぐあいから相当の力で殴られたことが分かる。魔法を使えていなければ頭蓋骨を粉々にされていたっておかしくない力で。

 マリア・ガーネットを殴ったのはあのハートのステッキで。だってオーブには血がべったりついている。

 

「〝何が何だか″ぁ? なにそれひっどー。人にぶつかってアイス台無しにしたくせにその言種はなくない?」


 ピンクのウィッチガールはステッキを振り回しながら、甘ったるい声でマリア・ガーネットを挑発する。ドレスの胸のあたりをぐいっと引っ張りながら。そこは赤と白の混ざった液状のものでべったり汚れていた。


「あんたがよそ見してぶつかってくれたおかげでさー、あたしのコスチュームが汚れちゃったんだけどー? だから抗議しただけなんだけどぉ、謝ってくんないからさー」


 愛くるしいウィッチガールの顔が卑しくゆがむ。こういう表情にはなじみがあった。悪い妖精の国に馴染んでいるウィッチガールの表情だ。

 変身の効果なのか、瞳にまでハート色の輝きが浮かんでいる。おかしな具合に目が輝いてると思ったら。


「つーわけで、とりま誠意ってもんを見せてくれない? ピーチバレーパラダイスのウィッチガールスレイヤーちゃん」

 

 マリア・ガーネットは目を閉じる。再び瞼を開いた時には、さっきまで暴れていた怒りが随分鎮まっていた。

 そうじゃない、より熱い炎のように怒りの純度を高めたのだ。

 こめかみの傷が早く治るように魔力の流れを促す私の手をそっと払いながら、静かな口ぶりであの子に尋ねた。


「クリーニング代なら出すけど、いくら?」

「……はいはいなーるほど、穏便に済ませようとしちゃうんだ~? 大人じゃーん? ――でもさあ、その返し方、エンターテイナーとしては失格だよ? こうやって見え見えのケンカを売られた時は買うの一択! 決まってんじゃん。わかってんだろ、ショーの女王様とかやってんだからさー?」


 ちょいちょい、とピンク色の子はステッキを持たない方の指先を自分の方へ動かす。


「ちょっとやってみ? ……ほらー、そこにあんたのファンいんじゃん? ろくすっぽ活躍できないままこーんな所に流されてきちゃった無能なお仲間の期待に応えてさあ、鬱憤晴らしの手伝いしてやんなきゃあ。ねー? 無敗無双のウィッチガールスレイヤーちゃん」

「やめとく。バカにつきあってあげられるほど暇でも優しくもないから」


 マリア・ガーネットの放った言葉をピンク色のウィッチガールはにやっと笑って受け止めて、くるくるとステッキを振り回す。


「……はーん。噂のウィッチガールスレイヤーちゃんは無駄なケンカはしない主義かあ。うちの後輩とドローにまで持ち込んだっていうからどんなバケモンかと思ってわざわざ地球の裏っかわからやってきてキャラじゃない悪モンまで買ってでてやったってのに、つっまんな! ヒールが舞台裏じゃあ礼儀正しい超いい子とか、そーいうのシケるし」


 マリア・ガーネットとドローに持ち込んだウィッチガールなんて、勿論ハニードリーム所属の犬耳の子しかいない。ということはこのウィッチガールもハニードリーム所属の子、自然にそういうことになる。

 つまりは、ハニードリームは「所属するウィッチガールたちのちょっとしたトラブル」という形でピーチバレーパラダイスに落とし前をつけさせたい、と。メンツにこだわると喧嘩ってややこしくなるのね、くだらないったら。


「気が合ったね。あたしも正統派アイドルが舞台裏だと腹黒いとか、そういうのダサいしつまんないと思う」


 マリア・ガーネットは立ち上がった。その声は不安になるほど静かだった。


「……地球の裏側からあんたをここに招いたのは誰? 支社の連中? それともハニードリームボス?」

「は? 因縁つけないでもらえるー、単なる観光客にさー?」

「観光?」

「そーだよ、だって誰だって興味わくじゃん! 七年前に人間の住民大虐殺して出来上がった魔法の国ピーチバレーパラダイスだよ? ダークツーリズムっつーじゃん、それだよそれ」


 ピンク色の女の子の口はペラペラとよく動く。汚い言葉を吐き散らかす。


「しっかし、なーんもないとこだね。店だってこんなぼろっちい雑貨屋しかないとかさあ。あんたらよくこんなところで暮らしてられるね。あたしなら三日で逃げてるわ」


 ストラップのついた靴を履いた足で、ピンク色のウィッチガールは足元に転がった瓶の破片を蹴る。ギザギザに割れたチェリーソーダの瓶のかけらを。


「……ああ〜、逃げられないんだっけ? ウィッチガールスレイヤーちゃんと魔法がつかえなくなって帰るところもないポンコツくず鉄な元ウィッチガールちゃんたちは。こーんな砂漠のクソみたいな町に、死ぬまでずーっといなきゃいけないんだっけー? うーわ悲惨、かっわいそ」

  

 ピンク色のウィッチガールはマリア・ガーネットをしきりに挑発しようとする。きっと私たちを怒らせろと上の妖精に命令されているんだろう、感心するほど正確に彼女は私たちの芯を攻撃してくる。……ひょっとしたら、本当にただ観光にやってきて面白半分に私たちを挑発しているって線もなくも無いけど。

 私は胸に手を当てた。

 テレジア・オパールをひっぱたいた時よりもずっとずっと、激しい怒りが私の胸で渦巻いていた。

 怒りだって感情だもの、私の胸から紫色の光が溢れる。それはワンピースからこぼれている。

 それに気がついたのか、ピンク色のウィッチガールは初めて私に目をとめた。


「あ、何? そこのポンコツ、何発光してんの? ホタルかよ? くっそウケる」

 

 シスター・ラファエルは、なにかきっかけがあれば私が再び魔法が使えるようになるはずだと仰っていた。でもやっぱりそんなの嘘じゃない。私は胸に手をあてているけれど、あの忌々しい動画の女の子のように、先端に二匹のヘビが巻き付いた趣味の悪い金色の杖を胸から取り出せそうにない。

 私の胸からこぼれる光がよほど強かったのか、マリア・ガーネットも私を見る。怒りで歯を食いしばって酷い顔をしているはずの私の頬に、金属製の右手をそっと添える。


「……マルガリタ・アメジスト。おちついて」


 その声はやっぱり静かで、冷え冷えとしている。私は無言でうなずく。あの子は涙でべたべたになっている頬を右手の親指でそっとこすって、私に言い聞かせる。


「ジャンヌ・トパーズと一緒におじさんを守っててほしいんだけど、できる?」

「──それくらいなら」


 私はうなずく。マリア・ガーネットはミスターのことを「おじさん」って呼ぶんだって気づける余裕があることに少し安心しながら。

 

「じゃあ、任せたよ」


 マリア・ガーネットは笑う。そのあと、右腕をぶるっと震わせる。

 金属製の右腕の中にいる使い魔・アスカロンがそれに応え、右腕の表面を覆う鱗状のパーツがざわざわと蠢き伝い落ちてゆく。

 一瞬右腕全体が溶けているのかと焦ったけれど、そうではない。龍の鱗を思わせる右腕の外殻部分がマリア・ガーネットの感情にあわせて武器の形をつくっている。

 赤い光を纏わせた身長ほどある円錐形の槍へ、大昔の騎士が持っていそうなランスの形でおちつく。その柄を右手で軽々と掴み、構えた。

 槍に宿る赤い輝きと同じ赤い目は、かっと見開かれてピンク色のウィッチガールへ向けられる。


「……っ!」


 その様子から何かを察したのか、ウィッチガールは空へ跳んだ。あの子は動かず、槍の先でどんと地面を突き刺す。

 放置されて久しい歩道に罅が入り、そこから赤い魔力の波が一気あふれ出て、踊る炎のような形で鉱石のように固まる。空へ逃げたウィッチガールを刺し貫こうと、地面から魔力は盛り上がってその先を伸ばす。

 宙にいるウィッチガールの背中から翼が現れると、そのまま浮き続けて遠慮なく魔力の光線をを放つ。

 あちこちでピンク色の光と衝撃が弾ける中、私は店の中に駆け込んだ。

 カウンターの中ではジャンヌ・トパーズがミスターに呼びかけていた。


「ミスター! ねえミスター返事して!」


 店の外ではバリバリといくつもの落雷が降り注ぐような音がして外が赤色に染まった。その音に驚いたのか、気を失っていたミスターの瞼がぴくぴく痙攣した。どこか怪我をしてないか私は急いで調べる。


「どうしよう、どうしよう……あたしが買い物に行きたいなって言わなきゃこんなことにならなかったのに……!」

「安心してちょうだい。ミスターは無事よ。驚いて気を失っただけ。それにきっと、あのピンクの子は遅かれ早かれ奇襲をかけにきてたわ、マリア・ガーネット目当てに」

「でも、ミスターのお店がこんなことになっちゃって……」


 ミスターのしわしわでカサカサの手を握りながら、ジャンヌ・トパーズはぽろぽろ涙をこぼした。

 彼女の涙が乾いた手の甲に落ちる。気付薬になったのか、ミスターは呻きながら目をさました。その目はいつものように優しい。私がほっとした以上にジャンヌ・トパーズの喜びは大きかったみたいで、ごめんなさいごめんなさいと繰り返しながらミスターにだきついて謝った。

 そのふわふわの髪を、ミスターはかさかさの手でよしよしと撫でてあやした。


「大丈夫大丈夫、お嬢ちゃんや。心配せんでもいい。あんたがマメにお菓子を買いに来てくれからこの店はこの町でやっていけてるようなもんだ」


 それはそうね、と私はうっかり笑ってしまいそうになる。


「……それはそうと、外で何が起きとる? またあの小豚どもが戦争しとるのか」


 よろよろしながら立ち上がったミスターは、吹き飛んだドアや窓から外を覗いた。

 見えたのは、ステッキとヤリでつばぜり合いをしている二人の女の子。その周囲の舗装がすっかり砕け散って地面をむき出しにしている。


「……戦争しとるのは小豚じゃなく嬢ちゃんたちか」

 

 ミスターは呆れかえったように呟く。本当の戦争から生還しているミスターだからか、殺気をみなぎらせたウィッチガールの戦いを目にしてもどこかピントがずれている。

 鍔迫り合いのシンプルな力比べではマリア・ガーネットに分があったみたい。槍の先を巧みに操って、ステッキごとウィッチガールを弾き飛ばす。ピンクの体は廃墟へ勢いよく突っ込み、もうもうと砂煙をあげた。

 マリア・ガーネットが左手を薙ぎ払うと、天から巨大な赤い槍が一振り降ってきて瓦礫の上を串刺しにした。魔力でできた赤い槍が。


「……」


 赤い槍は暫くして粉々に砕けて消えてゆく。

 それに合わせるかのように、マリア・ガーネットが持つ槍も再び形を変えながら右腕と一体化し、また元の鱗状のパーツへ戻る。それをなすすままにしながら、あの子は瓦礫の山を登る。その山から不意に、人間の腕が突き出る。赤い槍に串刺しにされそこなったピンク色の子の腕が。

 ホラー映画の演出みたいにマリア・ガーネットの足をつかもうとしたけれど、あの子はこんな手になんか動じない。馬鹿げた反撃に出た腕を左手で掴み、一気に引っ張り上げた。ピンク色の子が目を見開くのにも構わず、右手でまっすぐ胸を貫く。いつもショーでしているみたいに──。


「やめなさい、ジョージナ!」


 ミスターが声を張り上げた。

 と、同時にあのウィッチガールの体は風船のように弾けた。ひらひらとピンクをした魔力の欠片が花びらの様に宙に舞う。ダミーを潜ませるだなんて、やることがどこまでも汚い。


「はーい、残念でしたぁ〜」


 いつのまにか、ピンク色の子は隣の廃屋の屋根の上にいた。一見余裕ありげだったけど、コスチュームは汚れて所々破れているし晒された素肌をには無数の傷がついている。惨憺たる有様。


「ったくさあ、わかってんの? 顔は魔法少女の命っつーじゃん? まー言ってんのあたしだけだけどさあ……っ」


 ハート型の輝きを灯した瞳をギラギラと輝かせながら、あの子は軽口をたたく。その間に無数の傷はみるみるうちに治ってゆく。大した治癒力だ、あの子には劣るけど。

 瓦礫の山に立つマリア・ガーネットは、全身に赤い火花をパチパチとまといつかせていた。理性が飛ぶ瞬間のように瞳が輝いている。怒りに共鳴しているのか、カチカチと右腕がわなないていた。あの中でアスカロンが魔力を求めている。

 ピンク色の子はこの状態がいかに危険か、すぐに悟ったみたいだ。顔色を変えるなり、また軽口を叩き出した。


「っ! ……あーもうハイハイ、わかりました! あたしがわるかったですごめんなさいさーせんでしたあ〜……ったく、田舎もん相手のケンカに地元ディスは厳禁だわやっぱ」


 憎たらしい言葉を吐きながら、ピンク色の子はくるくるとバトンを回した。そのあと一呼吸間を置いて、正統派のウィッチガールのように愛らしくステッキを一振りする。

 空からきらきら降り注ぐ花びらみたいなピンク色の魔力のかけらが降り注ぎ、ミスターのお店は時間が巻き戻るように元どおり綺麗になった。この子はこういう、正統派のウィッチガールみたいな芸当もできるらしい。


「はい、これで貸し借りなし。初戦はあんたらの勝ちってことで」

 

 ピンク色ののウィッチガールは廃屋の屋根から、しゅん、と姿を消した。瞬きよりも疾くミスターと私達の前に姿を現わす。

 目の前に現れたこの子は、今まで見せていた凶悪を表情をきれいさっぱり拭っていた。現れたのは憎たらしいほど愛くるしい表情。それでミスターにぬけぬけと謝った。


「ごめんなさい、おじいちゃん。ご迷惑おかけしちゃって……。サクラまたアイス食べに来るからねっ!」

「おうおう、また来なさい。でもケンカはいかんぞ。仲ようしなさい」


 目の前のウィッチガールをひっぱたいてやろうと手を振り下ろした時にはもう、彼女は姿を消していた。

 きっとハニードリームの支社に帰ったのだろう。――今度遭う機会まで私の怒りはとっておこう。会いたくないけど、次の機会は必ず来る。

 買い物に来る前とすんぶん違わない状態に戻った店の中で、私達は無言で立ちつくす。

 瓦礫の上のマリア・ガーネットから魔力の戦慄きが消えた。赤い火花も消えた。魔力を使い果たしたのかもしれない。ジャンヌ・トパーズにミスターを託して私は瓦礫の山に上る。


「マリア・ガーネット、大丈夫?」


 さっきまで理性が吹き飛びそうだった瞳にはまだ、感情めいたものがない。あまり大丈夫じゃなさそう。まだ殺気立っている右腕を抱きしめる。まだ気が収まらないのか、アスカロンが私の魔力を吸い上げようとしたけれど抱きしめてなだめる。


「……大丈夫、もう大丈夫だから。帰って来て、マリア・ガーネット」


 ぽろぽろと、マリア・ガーネットの口から言葉が漏れた。バイブルの文句。心がここになさそうな状態でそれをつぶやいているうちに、瞳に生気が戻って来る。アスカロンも落ち着きを取り戻し、私から魔力を吸い上げるのをやめてゆく。

 しばらくしてから、マリア・ガーネットは左手で髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。


「……っ」


 俯いて頭を抱えたその横顔に涙が伝いおちてゆく。マリア・ガーネットは無造作に左腕でそれを拭う。まだこの子の神経は興奮状態にあるようだ。私は背中をさする。

 ごめんなさい、ごめんなさい、とマリア・ガーネットはくりかえす。おじさんのお店を守れなくてごめんなさい。まるで叱られた小さい子のように。


「大丈夫よ、あの嫌なウィッチガールがちゃんと直していったから」


 そんな言葉なんてマリア・ガーネットを何も救いやしないとわかってはいたけれど、背中をさすりながら私は声をかける。

 がらがら、と足音がしたので振り向くと、ジャンヌ・トパーズも瓦礫の山を登ってこようとしていた。手にはチェリーソーダの瓶が3つ。


「ミスターが飲みなさいって。飲んで落ち着きなって。わしは大丈夫〜ってさ」


 こんな時にジャンヌ・トパーズがミスターの特徴的な言葉遣いを真似たのがおかしくて、私はつい笑った。


「――所でさあ、ミスターがマリア・ガーネットのことをジョージナって呼ぶんだけど……」


 不安そうなジャンヌ・トパーズを安心させるために、私は嘘をつく。


「きっとよく似てるのよ。その子とマリア・ガーネットが」

「……そっか。そうだよね。うん」


 私の嘘を信じ込もうとするように、ジャンヌ・トパーズも笑って瓶を手渡した。


 

 ミスターは普通の人間の筈なのに、魔法で自分のお店が壊されてもそして何事もなかったように元どおり直されても、何より女の子たちが魔力で闘っていても、目の前の光景を全て受け止めてくださる。


 つくづく稀有な方だ。

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