第五話 『呪物』④ 由良貴信

 二十歳になった頃、父が大事な話があると言って部屋に入って来た。


「気分どうだ?」


「別にどうもしないけど」


 おそらく気力の欠片もなく抜け殻のようになっていた私を見て、父は座った。


貴信たかのぶ、小さいとき、熱が出て入院した事あっただろう。三日くらい」


 父が何故急にその時の話をし出したのか、その時は解らなかった。ただ、私にとってもう思い出したくもない事だと鬱陶しく思った。


「言ってなかったんだけどな、あの時、おまえを助けてくれた人がいるんだ」


 あの時、私を助けてくれたのは医者だろうと考えていた。そうしてまた、病院に行けと言われるのかと思っていた。


「俺も随分お世話になった事のある人なんだけどな、あの時、貴信を助けて欲しいってその人にお願いしに行ったんだ。そしたらな、おまえあの時、墓からハンカチ持って帰ってきただろう。あれが原因だってその先生が言ったんだ」


 父の言葉に、私は少なからず動揺していた。父が突然そんな事を話し出した事に驚きを隠せなかった。目の前で話しているのが本当に父なのか疑ったほどだ。


「それで父さんな、墓に行って、あの紫色のハンカチを探したんだよ。それで見つけて、先生に渡しに行ったんだ。それで……『除呪じょじゅ』って言うらしんだけどな、お祓いしてもらってからハンカチをまた返しに行ったんだ。そしたら、貴信の熱が下がったって病院から連絡来てな。あの時はほんとに、ホっとしたなぁ」


 父は淡々と話し続けたが、私の頭にはほとんど入っていなかった。


 引き篭もった私を部屋から出す為に、突拍子も無い作り話をしているのかとさえ思っていた。


「あのハンカチは『呪物じゅぶつ』だったそうだ。呪物ってのは本来、良い神様が作った神聖な物らしいんだがな、中には悪霊が怨念で作り出した悪い呪物があるそうだ」


「父さん、一体何の話をしてるんだ?」


 父の話が全て嘘であるとは思っていなかった。ただ、今更そんな事を知らされたところで一体何になるんだと出所の不明な苛立ちをぶつけた。


 私の言葉に特に驚く事なく、父はとても悲しい表情を浮かべた。


「すまないな。とぼけられるのは辛いもんだな」


 父が涙を流しているのを見たのはそれが初めてだった。


「すまない。ずっと辛かったんだろう。おまえに霊が見える事は知っていたんだ。父さんも同じだからだ。おまえには、普通の人として生きて欲しかった。だから知らないふりをしていたんだが、それは間違いだった。ちゃんと貴信に向き合うべきだったんだ。許してくれ、貴信。本当に、すまない」


 父が話し終える前に、私は床に吐瀉物を撒き散らした。この世に生まれてから二十年経って知らされた事実。胃の中の物を全て吐き出しても治まる事のない衝撃だった。


「俺にはどうしても普通の人間として暮らしたいという想いがあった。だから、なんとか社会に馴染めたんだけどな。普通の人と同じ生き方が出来ないのなら、人と違った生き方もある」


 父の涙が止まり、次は私の目から涙が溢れ出した。


「貴信を助けてくれた先生、去年亡くなったんだけどな、今は娘さんが跡を継いでやってる。おまえ、その人の所で働いてみないか。もう話は通してあるんだ」


 この父の言葉が、私のそれまでの人生を一変させた。


 例え人と違う生き方しか出来ないとしても、それで自分が生まれてきた事に意味が得られるなら。


 幼い私に降りかかった呪いを解き、私の命を助けた亡き先生の様に、誰かを救う事が出来るなら。


 消えかかっていた生命力が僅かに体の中で光った様な気がした。




 数日後、父から知らされた場所に赴いた私は小さな店に辿り着いた。


 木造の建物の入口に『よろず骨董品店』と書かれた看板が立っている。


 ドアを開けると、棚やテーブル、ガラスケースなどに所狭しと様々な骨董品が並んでいた。


 カウンターの奥から、女の子が顔を出した。


「いらっしゃいませ」


 高校生くらいだろうか。屈託のない笑顔で元気にそう言うと、私の目を見ながら近付いてきた。


「あの…… 父が連絡してると思うんですが」


「あっ、祐里ゆり先生のお客さんですか? お名前聞いても良いですか?」


由良ゆらです。『由緒』の由に『良し悪し』の良し」


「由良さんの息子さんですね。初めまして。富士坂ふじさかあかねです」


 茜が挨拶をしながら丁寧にお辞儀をした時、体の前で重ねられている両手が気になった。全ての指の腹に絆創膏が貼られていたからだ。


「どうも。よろしくお願いします」


「こちらこそよろしくです。先生からお話聞いてます。ほんとに嬉しいです。一緒にここで働いてくれる人が来てくれて。私は呪物は見分けられないんですけど、先生に除呪を教わっているんです。これから一緒に頑張りましょうね」


「あ……あぁ、はい」


「ごめんなさい、急にペラペラ喋っちゃって。すぐに先生呼んで来ますね。中、入って下さい」


「失礼します」


「ゆりせんせー! 由良さんの息子さんが来られましたよ」


 カウンターに戻った茜が奥に向かって呼びかけると、眼鏡を掛けた女性が姿を見せる。


 小柄な茜より更に背の低いその女性は、後ろで一つにまとめた長い髪を揺らしながら歩いて来た。


「由良貴信さんですね。初めまして。万祐里よろずゆりです」


 先生はそう言って深くお辞儀をした。とても小さくて落ち着いた声だった。だが、父が怒った時の話し声の様な力強さを感じた。


「どうも初めまして、よろしくお願いします」


「私はこれからお仕事がありますので、少し店を出ます。ここでのお仕事や宿舎については富士坂さんが説明してくれますので」


「そうですか」


 先生はオレンジ色のトートバッグから何かを取り出した。


「これを受け取って下さい。今日という日のお祝いの印です」


 差し出された先生の小さな手の平に、八芒星の形をしたネックレスが乗せられていた。


「これは……?」


「この仕事をしていると、何かと危険が降りかかる事もあります。そんな危険から身を守ってくれるお守りです」


「私も持ってますよ!」 


 茜が嬉しそうに胸元からネックレスを引っ張り出して見せた。


「ありがとうございます」


 ネックレスを受け取ると、先生は入口へ歩き出した。


「帰ってきたら、これからの事についてお話しましょう」


 先生が店を出た後、茜からこの店について教わった。


 当時の先生の年齢は三十歳。茜は十九歳だった。


 私の命を救った亡き先生の跡を継いだ万祐里は、この店で表向き骨董品店を営んでいるが、その本業は『呪物商』である。


 災厄をもたらす呪物を探し出したり、依頼として預けられた呪物に込められた呪いを払う『除呪』を行う。そうして通常の品に戻った物は、必要であれば持ち主や然るべき場所に返却し、その必要がなく骨董品として価値あるものは店内に商品として並べている。


 茜は呪物と持ち主を繋ぐ呪いを断ち切る『除呪』の才能があり、一年前から先生の指南を受けてここで働いていると言う。


 先生が帰ってきた後、私自身についての話を聞かされた。


 普段から霊が見える人間は、呪物を見分ける力があると言う。私が幼い頃、墓地で体験したあの激しい耳鳴りがそれらしい。近くにいる呪物が何らかの呪いを発した時、耳鳴りとしてその呪いを感知するのだ。また、呪物を手にする事でその性質を見抜く事も出来る。


 それから私は、自分の特色を活かし、磨きながら先生の下で働き続けた。


 二年後、父が癌になり、入院して一年後に息を引き取った。




 更に三年の月日が流れた。


 今、私はもう五日も店に戻って来ない祐里先生の帰りを待っている。


 先生がこれほどの期間、店を空けるのはこの六年間で初めての事だ。


 茜もそろそろ心配し始めている。


 カウンターで茜と共に店番をしていた私は、ふと思い立って店の奥にある先生のオフィスに足を運んだ。


 先生の許可なくこの部屋に入る事は禁じられているが、妙な胸騒ぎが私の背中を押した。


 オフィスの机に、封が開いている一枚の封筒が置かれている事に気付く。


 依頼人からの手紙だろうか。封筒を手に取り、中の手紙に目を通した。


 それは『折山陽子おりやまようこ』という女性からの救済を請う手紙だった。

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