第三十七話 『導く羽』峰川志織
夕焼けの明かりが差し込む寂れたパークセンターの中で膝を抱え、ふたつの事について考えていた。
ひとつは、羽白くんは一体何処に行ってしまったのかと言う事。もうひとつは、万年筆を奪ったあのスーツの男は何者だったのか。
突然現れたメンフクロウが、あの男を橋の下にある池に落とした。
飛んでいく梟を追いかけて走り続け、見失った頃にこのパークセンターを見つけた。
窓の外に広がる池が見える。
もう随分長い間使われていないようで、窓は割れ、埃が積もった木製の床は腐食して剥がれ、廃墟となっている。
あの梟は、羽白くんのガレージによく来ていたという梟と同じメンフクロウなのだろうか。
私を、助けてくれたのだろうか。
自宅を出る前、電話越しに聞いた羽白くんの言葉と、日記の最後に書かれた言葉を思い出す。
『フクロウになりたい』
羽白くんは本当に梟になってしまったのだろうか。
だとしたら、やっぱりあの橋から落ちて……。
「そんな事ない。絶対、生きてるよね」
希望を口に出して、悪い考えを振り払う。
羽白くんは、あの万年筆で
でも、あれは羽白くんのせいなんかじゃない。それを伝えたい。
羽白くんにあの万年筆を渡した悪魔が悪いんだ。
「悪魔……」
そう考えて、ふと思った。
橋に現れたあのスーツの男は、羽白くんに恐ろしい事をさせた超本人なのではないかと。
だから万年筆の事についても知っていたんだ。
あの男は、羽白くんの居場所も知っているかもしれない。
「探しにいかなきゃ」
いつまでもここでじっとしている訳にはいかない。
立ち上がり、入口のドアに近付いた時だった。
割れた窓の向こうに、こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
咄嗟に身を屈めて様子を伺う。
羽白くんじゃない。さっきのスーツの男でもない。
頭を押さえてよろめきながら歩いている。
怪我をしているのだろうか。
そう思った直後、その人物が地面に倒れこんだ。
ドアを開けて外に出る。
うつ伏せで倒れこんだ男に駆け寄り、容態を確認する。
「どうしたんですか!?」
シャツの襟に少し血がついている。頭から血が出ているようだ。
肘も、カーゴパンツから伸びる足からも痛々しい擦り傷が露になっている。
「しっかりしてください。大丈夫ですか?」
肩に手を添えた瞬間、男の手が私の腕を掴んだ。
「今…… 何時ですか」
力無い声で質問された私は咄嗟に携帯電話を取り出そうとしたが、さっきのスーツの男に携帯電話を池に落とされた事を思い出した。
「すみません。わからないです」
「ねぇ、俺の携帯電話知らない? スマホじゃなくて、古いガラパゴス携帯なんだけど。無いんだ。気付いたらなくなってて。どこにもなくて…… あれがないとヤバいんだ。もう時間がない!」
徐々に声を張り上げ、男は嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
「どうしよう」
声を出して泣く傷だらけの男を前にして動揺したが、深呼吸をして自分を落ち着かせる。
パークセンターの中に傷を手当て出来るような物は何もなかったが、体を休める事は出来るだろう。
「あそこの建物の中で休みましょう。立てますか?」
声をかけると、男は咽び泣くのを止めてパークセンターを眺めた。
「……食べ物とかある?」
「多分、ないと思います。廃墟みたいになってるんで」
「そう……」
私の返答に残念そうな表情を浮かべた男は、自力で立ち上がった。
もしかしたら、見た目ほど重症ではないのかもしれない。
「歩けますか?」
「うん、なんとか。っていうか、あれ中入れるの?」
「鍵はかかってませんでした」
さっきと同じように頭を押さてふらつきながら歩く男と一緒に、パークセンターの中へと戻る。
「ほんとに何もないね」
「そう…… ですね」
奥へ進んだ男は壁に背もたれて座り込んだ。
「くそぉ、いてぇ」
顔をしかめて手の平についた血を眺める。
私はカーディガンを脱いで男に差し出した。
「あの、良かったらこれで血を拭いてください」
苦い表情を浮かべていた男が笑顔になる。
「えっ、優しい。いいの? ありがとう」
カーディガンを受け取ると、丸めて頭を押さえた。
「君、女子高生? 名前は?」
「
「事故っちゃってさ、崖から落ちたみたい」
それを聞いて思い浮かんだのは、この公園に来る途中に見たスクーターだ。ガードレールに衝突したであろうあのスクーターに乗っていた人だろう。
無事と言っていいのかは解らないが、とにかく生きていた事に安堵する。
「この夕焼け…… 今4時くらいかなぁ」
そう呟く男を見て察した。おそらくこの人は事故の後、意識を失っていたのだろう。深夜の暗闇に覆われていたこの山が、突然夕焼けに変わった瞬間を見ていない。
「その、多分まだ夜中だと思います」
「え?」
「えっと、よく解らないんですけど、夜だったのに急に明るくなったんです」
口を開けて唖然としながら私を見つめる男を前にして、余計な事を言わない方が良かったと後悔した。
「君はここで何してたの?」
「……友達と逸れちゃって、探してました」
「女の子?」
「いえ、男の子です」
「彼氏?」
「違います」
「そうなんだ。ねぇ、俺の携帯見なかった? ガラパゴス携帯」
この人は、紛失したガラパゴス携帯を探しているらしい。おそらく救急車を呼びたいのだろうけど、今は何故か何処にも繋がらない事を伝えた方がいいだろうか。
「事故した時に落としたんじゃないんですか?」
「いや、気が付いた時にはあったんだよ。その後、とにかく助けを呼ぼうと思って歩いてたらまた気失っちゃったみたいで。次に気が付いた時になくなってたんだ」
「そうですか。でも、今は電話してもどこにも繋がらないみたいですよ」
「なんで?」
「なんでかは…… わからないです」
私にも何が起こっているのかまるで解らないのだ。きっと羽白くんも同じ気持ちだろう。
「あ~あ、あと数時間で死んじゃうのか。つまんない人生だったな」
意外にもよく喋るこの人が、あと数時間で息絶えるほど重症には見えなかった。
「動画配信者なんてやめりゃ良かった。真面目に働いてたらこんな事には……」
血が染み込んだ私のカーディガンを頭から離して、虚ろな目で見つめている。
「死なないですよ。きっと助かります」
「ありがとう。でもダメなんだ。あの携帯がないと俺、死んじゃうんだ」
「私の友達が持ってる携帯電話なら繋がるかもしれないです。もしかしたら、ですけど」
「救急車が呼べたとしてもムダだよ」
「どうしてですか?」
この人が携帯電話を探しているのは、救急車を呼ぶ為ではないのだろうか。
不思議に思ったが、男はそれ以上私の質問に答える事なく俯いた。
「死にたくない…… もう携帯を探してる時間もない。いやだ、死にたくない」
さっきまで元気そうに喋っていた男が、また声をあげて泣き始めた。どうも、かなり情緒不安定のようだ。
何かかけてあげられる言葉がないか考えたが思いつかない。
震えて蹲る男を見て、私は羽白くんを思い浮かべた。
彼もこの公園の何処かで震えているのだろうか。
男の泣き声が不意に止まる。
「時間…… そうだ、時間。カウントダウン。リセットすれば、まだ……」
また急に泣くのを止めた男がそう呟いた後、私の顔を見た。
何か重要な事を思い出したかのように目を見開き、私をじっと見つめている。
そのまま硬直している男を見て、私は少し怖くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます