第三十九話 『襲撃』由良貴信

 煉瓦で造られた長方形の花壇が棺桶に見えた。


 長期間手入れされずに放置されたフラワーエリア。


 森に囲まれたこの場所に辿り着いた時、花壇の枯れ枝に埋もれる昌樹まさきの死体を発見した。


 鬱血して腫れた顔が、亡者の恐ろしさを訴えている。


 亡者は絞殺を最も好むというのは、先生から聞いた事がある。おそらく、生ある者のもがき苦しむ表情を求めているからだろうか。


 もうこの公園の中に安全な場所などないのかもしれない。池から離れている管理小屋も例外ではないだろう。


 『写真』の力を発動して楽園が公園を飲み込んだ後、おそらく折山おりやま陽子ようこは姉である折山おりやま夕子ゆうこのいる場所へと向かった。それは先生が『天』の入口が塞がるのを阻止している、あの展望台だろう。


 折山夕子と陽子は、先生が力尽きた時すぐに『天』への入口を塞げるように展望台にいるに違いない。


 突然夕焼けになった公園の中、展望台に向かって歩き出した陽子を追いかけていた昌樹はここで亡者に襲われた。そんなとこだろう。 


「そんな…… 昌樹……」


 変わり果てた恋人の姿を目の当たりにした事で成海なるみは泣き出し、かいは激しく動揺するあまり嘔吐を止める事が出来ないでいる。


 二人にとって辛い状況だが、昌樹の死体は亡者が近くにいる事を意味している。この場所で感傷に浸っている余裕はない。


 私は取り出した煙草に火をつけた。


 煙の匂いを確かめて、亡者の接近を感知しようとしている私に気が付いたあかねが話しかけてくる。


由良ゆらさん、そのカバン私が持ちます」


「頼む」


 日本人形が入っている成海のリュックを茜に渡した私は、煙草の香りに集中した。


 僅かだが、匂いが薄い。


「早くここを離れよう。亡者が来る」


「私のせいだ…… 私がこんなとこに来ようって、みんなを誘ったせいで」


 その場に泣き崩れそうになった成海を、茜が支える。


「あなたのせいじゃない。ここにいたら私たちも危ないから、今は頑張って歩こう。ね?」


「あ……」


 成海が顔を上げたと同時に、煙草の香りが完全に消えた。


 成海の視線の先にある東の森から姿を現した白い靄は、私たちに一刻の猶予もない事を知らしめている。


 人の形に変化した亡者がゆっくりと近付いてくる。


「なに…… あれ」


「成海? どうした?」


 この世ならざる者を目撃して怯える成海を見て、魁が困惑する。


 魁と同じく、茜にも亡者の姿は見えない。だが、私と成海の視線の先に何がいるのかを察した茜が指示を仰ぐ。


「由良さん!」


 闇雲に逃げても追いつかれてしまう。


 周囲を見渡すと、北と南の方向からも亡者が接近しているのが解った。


 囲まれてしまったのか。


 いや、西側に亡者の姿はない。やはり亡者は池の方からやって来ている。


 携帯灰皿を取り出して煙草をねじ込んだ。


「茜ちゃん、二人を連れて西の森に走るんだ。無事に亡者から逃げ切れたら、管理小屋で落ち合おう」


「由良さんはどうするんですか!?」


「亡者を引き付ける」


「ダメです! 危険過ぎます!」


「全員で逃げても追いつかれてしまうだけだよ」


「じゃあ私のネックレスも渡しておきます」


 茜が渡そうとしたのは先生からもらった八芒星のネックレスだ。


 本来、呪物の呪いを反射して身を守る為の物だが、接近して来た亡者を少しだけ怯ませる効果もあるらしい。


 茜は私がネックレスを上手く使いながら亡者を引き付けるつもりなのを察している。


「逃げた先にも亡者がいるかもしれない。二人を守る為にもそのネックレスは茜ちゃんが持っていた方がいい。自分のネックレスだけでなんとかする」


「解りました。みんな! あっちの森の中へ走って!」


 茜の指示に従って成海と魁が走り出すと、北から来た亡者が一瞬動きを止めた後、茜たちの方へ移動し始める。


 亡者の進路を妨害する様に立ちはだかると、東から来た亡者と共に白い腕を伸ばして来た。


 咄嗟に八芒星のネックレスを掲げるが、全く怯む様子はない。


 公園全体が楽園に飲み込まれた事によって、亡者の呪いの力が強大になっているせいなのだろうか。


 腰を屈めた後、亡者の腕を回避する為に転がる。


 南から来ていた亡者がいない事に気付く。


「一人逃がしたか」


 姿を消した亡者は茜達を追いかけていったのだろう。


 今、自分を狙っている二体の亡者を引き連れて茜達を追いかけるのは危険だ。


 それよりも、この二体を出来るだけ茜達から引き離さねばならない。


「こっちだ。こっちに来い」


 二体の亡者と一定の距離を保ちながら、少しずつ東の森へと足を踏み入れていく。


 自分を追いかけてくる亡者を確認しながら森の中をしばらく進んだ後、一気に引き離す為に全力で走った。


 これだけ茜達から引き離せば十分なはずだ。


 息を切らしながら煙草に火をつける。


 強い煙の香りを吸い込み、亡者が近くにいない事を確認して安堵した直後、微かに耳鳴りが聞こえた。


 まだ息も整わないうちに立ち上がり、煙草を掴んだ手を前方に掲げる。


 霊煙は北東の方角を示していた。


 近くで呪物が発動している。


 霊煙を辿って歩くと、やがて森を抜けた。耳鳴りが一層強さを増す。


 二階建ての建物が見え、駐車場で見た案内図を思い浮かべる。


 あれはパークセンターだ。あの中に、呪いを発している呪物がある。


 パークセンターに近付くと、徐々に激しくなるはずの耳鳴りが弱まった。しかし、霊煙は相変わらずあの建物を指している。


 呪物の呪いが弱まっているのだろうか。


 ドアが開いたままになっている入口を抜け、中へ進入する。


 霊煙を辿り奥へ進むと、息耐えた青年の死体を発見した。


 昌樹と同じく鬱血して腫れた顔と首の痣。亡者に殺されたのは一目瞭然だった。


 しかし霊煙はさらに建物の奥を示している。


 ガラスが割れた窓際に横たわるスーツ姿の男性が見えた。


 亡者に襲われて激しく動き回ったのか、男性の胸元には割れた窓ガラスの破片が突き刺さっていた。


「う……」


 閉じていた目を開き、僅かに呻き声を上げた男性に駆け寄る。


 まだ息はある。


「しっかりしてください」


 声をかけた私を見上げる男性は力無く息を吸い込んだ後、軍手をはめた手で私の左手を握った。


「あの子は…… 無事に逃げられましたか?」


「あの子?」


「女の子です。高校生くらいの……」


「見ていません。この建物の近くにはいないようですが」


「そうですか…… きっと逃げてくれたんだな。良かった。本当に」


「ここで一体何が?」


「化物に襲われたんですよ。この建物から女の子の悲鳴が聞こえて…… 私が来た時にはもう、そこの青年はやられていました。あなたも気をつけてください」


 亡者の襲撃を受けたのは間違いない。この男性が亡者を引き付けて女の子を逃がした。

しかし、だとすれば亡者は一体何処へ?


「その化物はどこに?」


「やっつけましたよ。全部、私が退治しました。あぁ、本当は私だけじゃないですが。二人で、なんとか頑張りました」


 ありえるはずがない。生きている者では触れる事すら出来ない亡者を一体どうやって退けたのか。


 そう考えた時、私の右手から伸びる霊煙が、私の左手を握る男性の手に伸びている事に気が付いた。


 男性が手を離し、軍手を脱ぎ始める。


「これを受け取ってください。これがあれば、あの化物に触る事が出来るんですよ」


 男性は激しく吐血しながら軍手を差し出した。


「もう、喋らない方がいいです」


 軍手を受け取りながら男性の身を案じたが、胸に深く刺さったガラスが致命傷である事を物語っている。


「私はここで終わりのようです。でも、最後に目標を果たす事が出来た。そして愛する人と一緒に眠りにつける。本当に良い…… 人生でし…… た」


 人が事切れる瞬間を見たのは、病室のベッドに横たわる父を見て以来だった。


 不幸中の幸いなのは、この男性の死因が亡者でも呪物でもない事だ。


 この男性が亡者になる事なく、安らかに眠れますようにと願う。


 私の知る限り、既に三人の犠牲者が出てしまっている。


 この男性が救出したという女の子の行方も気になる。


 先生が力尽きる前に呪物を出来るだけ集めて浄化せねば、より多くの犠牲者が出る事は必至だ。


 軍手を握り締め、目を閉じる。


 こうする事で、私は呪物の大まかな性質を知る事が出来る。


 男性の言っていた事は事実だ。


 この軍手は『誘導型』の呪物で、死者の魂を亡者に献上する事を使用者に強制させるタイプの物だ。


 亡者に触れる事の出来るこの呪物の特性は驚異的だ。しかし、これを使用すれば除呪しない限り現世に戻る事は出来ない。


 除呪が可能なのは先生と茜だけだが、先生は『天』の入口が塞がるのを阻止するのに全身全霊を込めているだろう。茜の力では、呪いが渦巻く楽園の中での除呪は茜自身の命が危ない。


 既に呪物を使用してしまった成海を救う方法を考えなければ。


 パークセンターを出て、展望台の光を見つめる。


 光が弱まっている事に気が付く。もう、時間がない。


 茜たちは無事に管理小屋へ辿り着けただろうか。

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