第二十四話 『狐面』③ 五田俊

 食事を終え、麻紀まきを自宅まで送る。


 麻紀に道を聞きながら、やがて住宅街に辿り着いた。


「家はこの辺りかな」


「はい。この辺でもう大丈夫です。降りますね」


「家の前まで送るよ」


「いえ、ほんと大丈夫です。そんなに飲んでないですし、もう歩いてすぐですから」


「そうか」


「今日はありがとうございました」


「いえ、こちらこそ。お疲れさま」


 車を降りて自宅へと歩いていく麻紀を見送った後、アクセルを強く踏んだ。江美との待ち合わせ場所へ向かう。


 さて、どうしたものか。


 下手に機嫌を伺いながら別れを切り出すより、今の苛立ちを包み隠さずぶつけた方が効果的な気もする。と言うよりは、麻紀との時間を邪魔された怒りを抑えられる自信がない。


 いつもより運転が荒くなっている事に気付いたが、スピードを落とす事なく江美のもとへと向かった。


 助手席に乗り込んできた江美は開口一番、妙な事を口走った。


「楽しかった?」


「なに?」


「感想を聞いてるのよ」


 私は今まで仕事をしていたという事になっているはずだが、仕事が楽しかったかどうかを聞いているとは思えない。


「どういうことだ」


「昨日行ったホテルがある山奥へ行きましょ」


 江美は困惑する私の質問をはぐらかし、バッグから手鏡とルージュを取り出した。


 車を走らせながら考える。


 まさか、見られていたのか。麻紀と一緒にいるところを。


 だからなんだと言うのだ。江美は私の妻ではない。この女に何かを咎められる筋合いは全くない。これ以上、ストーキングがエスカレートすれば面倒な事になる。


「山奥でドライブするために俺を呼んだのか」


「誰もいないところであなたと過ごしたいのよ」


「そうか。山に着いたら、君に大事な話をしなきゃいけない」


「奇遇ね。私もよ」


 ヘッドライトが照らす景色の中に建物が見えなくなってしばらく、細い山道に入り込んだ。


 前方に黄色のカーディガンを着た女が歩いているのが見えて、少しスピード落とす。


 追い抜き様に窓から女の顔を確認するがよく見えなかった。だが、随分若い子の様に思えた。


 こんな深夜の山奥に一体何の様があるのか。自殺の名所にまた一人分の死体が増えるのかと考え、うんざりした。 


 分かれ道が見え、車を停める。


「どっちに行きたいんだ?」


「この山、大きな公園があるの知ってる?」


 知らない訳はない。昔から自殺の名所らしいが、度々自殺者の死体が発見されるというニュースが流れている。人生を諦めた者達が集まる、私には無縁の場所だ。


「左の道の先に公衆トイレがある駐車場があるの。そこへ行って」


 江美の言う通り、左の道を進むと照明のない公衆トイレがヘッドライトの明かりに映し出された。


 公衆トイレの前で停車すると、江美は後部座席へと移動し、助手席を限界まで前にスライドさせた。


「あなたもこっちに来て」


 私が黙って後部座席へ移動すると、江美は助手席に置いたバッグの中から縄を取り出した。


「縛って」


「何か大事な話があったんじゃなかったのか」


「たまにはこんな場所でするのも興奮しない? 話はヤった後でいいの」


 私の携帯電話が鳴った。沙苗からのメールだった。


『何時くらいに帰ってこれそう? 今日も見たの。昼頃に家の外に立ってた。俊とそっくりな人。こわいよ。早く帰って来て、お願い』


「奥さんから?」


 返信しようとした私の邪魔をするように江美が寄り添ってくる。


「いい加減にしてくれないか」


「ねえいいでしょ? あなたがその携帯の電源を切れば邪魔は入らない。ここは全然人も来なくて、静かなとこなのよ」


 その江美の言葉を嘲笑うかの様に、一台のスクーターが駐車場に入って来た。


 この車の少し離れた場所に停車した様だ。


「そうでもないみたいだな」


「こんな時間に何しに来たの」


「人の事言えないけどな。肝試しにでも来たんじゃないか。ここ、心霊スポットらしいし」


 窓を覗くと、十メートルほど離れた場所に人の背中が薄らと見えた。エンジンを止めたスクーターに跨ったまま動かない。


「目障りだわ。ねぇ、追い返してきて」


「面倒だな。自分でやればいい」


 ふて腐れる様にシートに背を倒した私を見て、江美が車の外へ出た。


 私の態度に苛立ちを感じたのか、車のドアを強く閉める。


 江美が履いているハイヒールがアスファルトを打ち付ける。


 やはり直接文句を言いにいくことはしない様だ。車のすぐ横を何度も往復する江美は、ヒールの音を鳴り響かせてスクーターに跨る人間に事情を察しさせようとアピールしている。


 一向に微動だにしない背中を見て諦めた江美が歩くのを止めると、突然エンジンがかかったスクーターは来訪者を乗せたまま勢い良く山道へと去っていった。


 江美が車に戻ってくる。


「やっといなくなったわ」


「女の幽霊が出たと思ったんじゃないか?」


「幽霊? わたしが? 幽霊なんて目じゃないくらいだわ。すごいのよ。わたしは」


「同感だ。君はすごいよ。不倫相手を付けまわすなんて、相当暇なんだな」


「付けまわす?」


 墓穴を掘ったとは思わない。今日の江美は明らかに様子がおかしい。さっきの言葉といい、私が麻紀と一緒にいたのを何処かから見ていたのは確実だ。


「とぼけるな。見ていたんだろう?」


 そう言った私を見る江美が、ゆっくりと不快な笑みを浮かべた。細く閉じた目が狐のそれに見えたせいで、次の江美の言葉は私の不意を突いた。


「キツネって好き?」

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