第六話 『軍手』柳隆也
追い詰めた標的を見ていつも思う事は、何故すぐに諦めて命乞いをしてしまうのか、という事だ。
いくら銃を向けられているからと言っても、手を伸ばせば届く距離にある拳銃を奪って反撃に転じようとは考えないのか。
そうだ。銃も、俺の腕も捻じ伏せる事の出来る手があるのに、どうしてそうしようとしない。
十年以上、殺し屋として様々な人間を始末して来たが、歯向かってきた者は一人しかいなかった。目の前で腰を抜かしているこの中年男、黒木も例外ではない。
高級マンションのバスルームで全裸でへたり込みながら、銃を突き付けられる気分はどんなものなのかと気になった。
「今、どんな気分だ?」
「頼む、頼む見逃してくれ! いくら貰ったんだ? 倍額払う、だから殺さないでくれ」
「それは出来ねぇ。もう前金でいくらか貰ってるんだ。依頼主は裏切らない。それより今どんな気分か教えてくれよ」
「誰に頼まれた? ユキか? サヤカか? さっきの声は二人のうちのどっちかだ」
『さっきの声』というのは、マンションの入口のインターホンに向けて再生したボイスレコーダーの事だ。依頼主であるユキの猫撫で声を録音してある。
インターホン越しに愛人の声を聞いた黒木は、マンションロビーへのドアのロックをすぐに解除した。そしてユキから聞いていた部屋番号を入力してドアを開き、ロビーへ侵入する。
「あんたなぁ、毎日毎日とっかえひっかえ女連れ込んでるから、警戒もせずにすんなり殺し屋なんか入れちまうんだよ」
「鍵は? 部屋の鍵はどうした? あの二人に合鍵は渡してないぞ」
「部屋の鍵なんてどうにでもなんだよ」
「ピッキングか? ムリだ。最新型のロックだぞ。チェーンもそんなに簡単に切ることなんて……」
「どんな気分なのか話す気がないんなら、もう殺しちまうが、いいか?」
動揺の極みに達して震えている黒木を見下ろし、額に銃口を押し付ける。
「待て! わかったぞ! ユキだな。そうだろ? ユキに頼まれたんだな」
「さあ、どうだろうな」
「あのクソ女…… 殺してやる! 絶対許さんぞ、あの女も、おまえも、ぶっ殺してやる!」
「今からおまえが死ぬことになるんだが、死んだ後でどうやって俺と依頼主を殺すんだ?」
煽ったつもりはない。ただ、この質問になんと答えるのか、純粋に興味があった。
「……呪ってやる。あの世から、おまえ達を呪い殺してやる」
「呪い殺す? 呪い殺すっていうのは、あれか? 念力みたいなのでやんのか?」
「そうだな…… 亡霊になって、直接おまえの首を絞めてじっくり苦しみを味あわせて殺してやるよ。その馬鹿面が真っ青になるのを拝みながらな」
それを聞いて溜息が出た。呆れた訳ではない。また首を絞められている自分を想像して、辟易したのだ。
「おまえらは首絞めるのが好きなんだな」
「おまえ『ら』? 『ら』ってどういう事だ」
「いやなんでもない。まぁ、やれるもんならやってみろよ。楽しみに待ってるぜ」
そう言った直後に引き金を引いた。
発砲音と共に黒木の後頭部から血が噴き出す。
最後の俺の言葉は、黒木に届いていたのだろうか。そう考えながら拳銃を黒木の右手に掴ませ、部屋を出た。
午後11時のマンション。銃声が鳴り響いたというのに、誰一人部屋から出てこない。何事もなかったかの様に静寂が廊下を包んでいる。
マンションから少し離れた道の路肩に停車している車に辿り着く。
運転席で携帯電話を弄っている三原が見えた。
甥である三原は、ギャンブルで多額の借金を作り俺に泣き付いてきた。どうしようもないクズだが運転の腕前だけはあったので、去年から俺専属の運転手にさせている。
「出せ」
助手席に乗り込むと三原がエンジンをかけた。
「
「いいや」
「でもなんかいつもより時間かかってましたよ」
「そうだな」
適当にあしらいながらズボンのポケットから携帯電話を取り出す。依頼者であるユキに仕事が完了した報告を済ませて、報酬を受け取らなければならない。
携帯電話を取り出した拍子に、ポケットに引っ掛けていた軍手が落ちた。
「それいつもポケットに掛けてますね。仕事する時は皮手袋はめてるのに、その軍手、何に使うんすか? 死体処理用っすか?」
軍手を拾ったと同時に、ユキが電話に出た。
「俺だ。終わった。例の場所で」
「ありがとう。少し遅くなりそう。1時頃でいい?」
「構わない。金を忘れるな」
「あいつ、最後になんて言ってた?」
「死んだら亡霊になって、俺を絞め殺すと」
「なにそれ、あいつらしいわね。じゃあ後で」
通話を終えると三原がアクセルを踏んだ。
黒木が依頼者も殺すと言っていた事を、ユキには言わなかった。言ったところでどうにもならないだろうと思ったからだ。
「1時に商店街近くのコンビニの駐車場だ」
「1時っすか。後2時間もありますよ。ちょっと時間空きますね」
「つべこべ言わず行けよ」
「コンビニの駐車場って、大丈夫っすか? なんか目立ちそうなんすけど」
「返って人気のあるとこの方が怪しまれないもんなんだよ」
「そうっすか。それよりさっきの、なんすか? 死んだら亡霊になって、とか」
「怖いだろ。殺す直前にそんな事言いやがるんだ」
「マジウケますよ隆さん、ビビってんすか。オレからしたら隆さんの方が怖いっすよ。あれっす、おばけより人間の方が怖いってやつ」
三原がハンドルを切りながらケタケタと笑う。こいつはいつでも幸せそうな顔をしている。羨ましい限りだ。
「幽霊なんかより人間の方が怖いって言ってるやつはなぁ、そりゃ何もわかっちゃいねぇんだ。人間なんざ、どんなやつでも殺せば死ぬ」
「隆さんが言うと説得力ありますね」
「幽霊に襲われた事のない人間が言うことなんだよ」
「今日テンション高いっすね。マジウケるんすけど。隆さん、幽霊に襲われた事あるんすか?」
俺はこの手の質問は黙殺する事にしている。『ない』とも言いたくないし、『ある』と答えたところで俺の味わった恐怖が伝わる事はないからだ。ましてや、こんなクソガキに鼻で笑われたら、黒木の様に頭を吹き飛ばしたくなるだろう。
「呪われた日本人形、知ってるか?」
「隆さん、そういうの好きですよね。怖い話とか幽霊とか」
「持ってたんだよ。もうネットオークションで売っちまったけどな」
「殺し屋がネットでオークションやるんですね」
「あの手のやつはな、結構高く売れんだよ」
「やっぱり持ってるの怖かったんすか?」
「使ってみたんだがな、どうも効率が悪いんだ。俺には必要ねぇ」
「使った……って、隆さん、そんな性癖あったんすか」
「ぶっ殺すぞ」
「はいすんません」
「そうじゃねぇよ。その人形には腹のとこに裂け目があって、そこに恨んでるやつの体の一部、髪の毛とか爪とかを入れるんだ。そして人形を掴みながら強く念じると、本当に相手に苦痛を与えることが出来る。腹の中に入れる体の一部の量と念じる強さによっては、殺すことも出来るんだ」
「なんで売っちゃったんですか。隆さんにちょうどいいアイテムじゃないっすか」
「手順がめんどくせぇだろ。頭撃ち抜いた方が早い」
「確かにそうっすね」
相変わらず馬鹿みたいに笑う三原が交差点に差し掛かった時、商店街とは逆方向にハンドルを切ったのを見逃さなかった。
こいつが何処に行こうとしているのかは大方予想はつくが、一応、聞いてやる事にする。
「どこに行くんだ。道、逆だぞ」
「今日オレ、誕生日なんすよ」
「だからなんだ」
「1時までまだ時間あるでしょ。みかん行きましょうよ。奢って下さい」
『みかん』というのは、俺の知り合いが経営しているツーショットキャバクラ店『蜜柑色』の事だ。俺から金を借りている折山夕子が『ハナ』という源氏名で働いている。
三原はギャンブルだけでは飽き足らず、数ヶ月前からハナに入れ込んでいる。
「奢る訳ねぇだろ。ああいう店はな、自分で金出して行くもんだ」
「まぁまぁ、じゃあ奢らなくていいんで、ちょっと行きましょうよ。隆さん、最近ハナちゃんに会ってないんじゃないすか? この前オレ行った時、最近指名増えたって言ってましたよ。なんか毎日来る中年のおっさんがいるって」
「いい事じゃねぇか。早く金返してもらわねぇと困るからな」
「そうでしょそうでしょ。オレらも行きましょうよ」
三原はそう言いながら有料駐車場に車を停めた。
こいつに借金を返す気が本当にあるのか疑問に感じながら、歩いて店へと向かう。
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