第七話 『軍手』② 柳隆也

 ビルの階段を上り、待合室へ入る。


 耳がおかしくなりそうな大音量で鳴る曲。それを僅かに遮るカーテンが開き、ボーイが顔を出した。


やなぎさん三原さん、ようこそいらっしゃいました。柳さんお久しぶりですね」


「ハナはいるか?」


 そう聞くと、ボーイは不意を突かれた様な表情を浮かべた。


「どうかしたのか?」


「えぇ、今日ハナちゃんいないんすか?」


 三原は落胆してソファーに座り、煙草に火をつけた。


 ボーイは俯きながらばつが悪そうに黙り込んでいる。


「言ってみろ」


「すみません柳さん、ハナさんなんですが、しばらく来てないんですよ」


「来てない?」


「連絡もつかなくて。それで昨日、様子を見ようと思って、自宅に行ったんです。そしたら……」


「なんだ?」


「なんか、アパートの前に人が数人いて、警察も来てたみたいで。それで、立ってた人に何があったのか聞いてみたんですよ。そしたら、行方不明らしいです。いなくなっちゃったって」


「妹のとこじゃねぇのか」


「家族が捜索願い出してるみたいなんで、妹さんのとこにも実家にもいないんじゃないですかね」


 金を貸したやつが蒸発する事は珍しい事ではない。その度に見つけ出して締め上げてきたが、警察が動いているのでは下手に動く訳にはいかない。


 この店で働かせているには勿体ないほど上玉の女だったが、身を危険に晒して追いかける事もないだろう。


「仕方ねぇな。行くぞ三原」


「えっ? 帰るんすか? オレちょっと考えたんすけど、ハナちゃんじゃなくて他の子でもいいかなって」


「殺されたくなかったら黙って今すぐ車に戻れ」


「冗談っすよ。そんなに怒らなくても、ねぇ」


 怯えを誤魔化す為の歪な笑顔で同意を求める三原に、ボーイは精一杯の愛想笑いで答えた。


「ハナが見つかったらまた連絡くれ」


「はい。柳さん、ほんとすみません」


 車に戻り、商店街近くのコンビニへ向かう。




 コンビニの駐車場でユキが来るのを待っている間、三原は延々とハナについてぼやき続けた。


「ハナちゃんほんとどうしちゃったんですかね。カワイイから、誘拐されちゃったんですかね? オレ、ハナちゃんに何かあったら生きていけないっすよ」


 こいつの言葉には心がない。微塵も思っていないことを何故こんなにすらすらと吐けるのか。そう考えると、次第にこいつは人間ではないんじゃないかと思えてくる。


 もしかしたら三原はもう死んでいて、俺は亡霊が運転する車に乗っているんじゃないかと考えた。そう考えた方がしっくり来るし、本当にそうであったとしてもおかしくはないのだ。俺には幽霊が見えるのだから。


 見えるだけならまだしも、襲われたのだ。そうなったのは、いつも肌身離さず持ち歩いているこの軍手のせいだ。


 しかし、亡霊に襲われてもなんとか生き延びているのも、この軍手のおかげだ。これがなければあっという間にあの世に連れていかれてしまう。この軍手は手放せない。


 まだ殺し屋としての腕が未熟だった頃、標的を追い詰める事に手間取り揉み合いになった挙句、殺しの痕跡が消しきれない死骸が出来上がった。


 死体を車のトランクに入れ、近くの山奥に運んだ。


 埋める為にシャベルで穴を掘っていると、ひどく手の平が痛んだ。


 その時、ふと目に入ったのだ。


 足元に落ちている汚れた軍手が、どうぞ使ってくれと言わんばかりにはっきりと目に入った。山奥の闇の中で、はっきりと。


 拾い上げた軍手をはめて穴を掘った後、死体を埋め終えて安堵した。


 一息つこうと軍手を片方外した瞬間だった。


 死体を埋めた地面から、真っ白な靄が勢い良く飛び出したのだ。


『クタバレ……』


 靄は俺の目の前で人の形になり、恨みの篭った声でそう言った。


 夢でも見ているのかと完全に固まった俺に向かって、二本の腕が伸びてくる。


 俺の首を掴んだ手の冷たさを今でも覚えている。触れた瞬間に感覚がなくなる様な異様な冷たさだった。


 じわじわと手に力が込められ、俺はその場に倒れこんだ。


 情けない声を上げながら両手で亡霊の腕を掴もうとした。かつてないほどに混乱しながらも、生き延びる為に必死で眼前の情報に注視した。


 そして気付いたのだ。


 軍手を外した右手は亡霊の腕をすり抜けているのに、軍手をはめている左手は、しっかりと亡霊の冷たい腕を掴んでいた。


 覆い被さる亡霊の腕に込められた力が、徐々に強まっていく。呼吸が苦しくなり始めた時、倒れこんだ際に落とした軍手が視界の隅に入った。


 左手で亡霊の腕を掴んで呼吸を僅かに確保しながら、右手を伸ばし軍手を掴む。

 全身に力を込め、左手を離し素早く軍手をはめる。


 軍手を装着した両手で、亡霊の首を掴んだ。


 腕の筋肉だけでなく、胸筋や腹筋、全ての肉を奮い立たせ、己の生命欲を手の平に集中させる。


『おまえがくたばりやがれ』


 そう叫んだのを覚えている。


 亡霊が消えてからもしばらくまともに呼吸が出来ないまま、両手を宙に掲げて拳を握り締めていた。


 成仏した訳ではないのだろうと、直感的にそう思った。


 もう一度、亡霊が襲ってきたら……。


 いや、この男だけではない。今まで自分に命を奪われた標的達が亡霊となって現れたら、この軍手がなければなす術がない。そう考え、軍手を持ち帰った。


 やっと殺し屋としての生き方に慣れを感じていた頃だったが、それからの日々は更に現実とは言い難い体験の連続だった。


 この軍手には、物体をすり抜けられる力がある事も解った。


 念じる事で、軍手をはめている手首上の部分までが扉などを通り抜ける。


 これが仕事の効率を格段に上昇させた。わざわざ鍵を用意したりピッキングをしたりせずに、標的の自宅に容易に忍び込む事が可能になったからだ。


 だが、この軍手を使い過ぎたのがまずかったらしい。


 ある日、念じても軍手がドアをすり抜けなくなってしまった。


 初めて亡霊に襲われて以来、再び亡霊が姿を現す事はなかったが、悪夢のようなあの地獄に怯えていた俺は軍手の効力が消えてしまったのではないかと焦りを感じた。


 その夜、自宅で眠っていると突然、金縛りになった。


 目を開けると、あの日、山奥で見たような靄が天井に浮かんでいた。


 眠る時はいつも軍手をはめたままにしていたが、体が動かないのではどうしようもない。


 今にも靄から腕が伸びて俺の首を絞めると、そう思った。だが、そうはならなかった。


 靄が語りかけてきたのだ。


 俺が死体を埋めた山奥にある池のほとりで、誰かの命を奪えと、靄はそう言った。そうすれば、軍手に力が戻ると。


 もう一度あの山に足を運ぶことを考えると気が滅入ったが、既に地獄の釜に片足を突っ込んでいる俺に選択肢はなかった。


 翌日、以前から顔見知りだった男を山奥へ誘い込む事にした。ヤク中だったので、薬をやるからと持ちかけたらすぐに車に乗った。


 男の頭を池に突っ込んで息の根を止めると、すぐに軍手をはめて効力が戻っているか確かめた。


 動かなくなった男の胴体を軍手がすり抜けた時、安堵したと同時にこれからの事を考え、うんざりした。


 あれ以来、もう随分長い間、池で誰かを殺害していない。


 そろそろ軍手の効力が切れてもおかしくない。

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