第八話 『軍手』③ 柳隆也

りゅうさん、隆さんってば」


「なんだ?」


「さっきからどうしたんすか。ボーっとして」


「別にどうもしてねぇよ」


「さっきから話しかけてるのに。もう1時半っすよ。依頼主来るの遅くないっすか?」


 三原にそう言われ、腕時計を確認する。随分長い間、昔の事を思い出していたようだ。


「確かに遅いな。何やってんだ」


「オレもう眠いんすけど」


 携帯電話をポケットから取り出す。また軍手が落ちる。


「それ邪魔じゃないんすか?」


 三原の言葉に返事をせず、軍手を拾ってから携帯の番号をプッシュする。


 コール音が六回目を過ぎた時、体に妙な悪寒が走った。


 八回目のコール音が途切れ、通話が開始された。


「おい。何してる。もう1時半だぞ」


 返答はない。


 携帯電話を一度耳から話し、ディスプレイを確認する。


 通話時間は十秒を経過している。間違いなく繋がっている。


 再度、携帯を耳に当てた時、通話の終了を告げる効果音が鳴った。


「どうしたんすか? 電話、出たんすか?」


 黒木の言葉が頭を過ぎった。


『あの女も、おまえも、ぶっ殺してやる』


 やつは死ぬ前にそう言っていた。


「依頼主の家に行くぞ。金を取りに行く」


「あ、家いるんすか。んじゃ早いとこ終わらせましょう」


 ユキは高級住宅街の家に一人で住んでいる。どうせ黒木からせびった金で手に入れた物だろう。


 家の前に車を停め、玄関に近付く。


 後ろから車のドアが閉まる音が聞こえて振り返ると、三原が降車していた。


「車で待ってろ」


「殺しはもう終わったし、いいじゃないすか。見たいんすよ、隆さんが金取り立てるところ」


「報酬もらうだけだぞ。借金取り立てる訳じゃねぇんだ」


「まぁまぁ、いいじゃないっすか。一回だけ」


 三原がそう言ってインターホンに手を伸ばした時、思わず大きい声を出してしまった。


「押すな!」


「え? なんで? 中、いるんでしょ?」


 正直、解らない。


 電話には出たが無言だった。無言だが、自宅の電話に出たのだから家にはいるのだろう。普通ならそう考える。


 だが、電話に出たのが本当にユキなのか。全くふざけている考えが頭に浮かんでくる。だが、それが現実に起こり得る可能性があるのを俺は知っている。


 黒木が亡霊となって現れたのか。あの山奥に埋めた男の様に。


「隆さん?」


「いいか。中に入ってもデカい声出すんじゃねぞ」


 ポケットに引っ掛けている軍手を掴み、手にはめる。ピッキングをする訳ではないが、鍵穴を覗き込む。軍手を使ってドアの鍵を開ける時は、なんとなくいつもこうしている。その方が、上手く行き易い気がするからだ。


「忍び込むんすか? っていうか、その軍手、ピッキングする時に使うんすね。初めて知りました。逆にやり難くないっすか?」


「黙って向こう向いてろ」


「見せて下さいよ。鍵開けるとこ」


「うるせえ早く向こう向け」


 ケチ野郎と声ではなく顔に出しながら車の方を向いた三原を確認してから、そっと鍵穴に触れた。鍵を開けるのを見られたくないのは、軍手の秘密を知られたくないからではない。誰かに見られていると、上手く行かない気がするのだ。


 鍵穴を凝視しながら軍手に向かって念じる。


『通り抜けろ』


 心の中でそう呟いて、指先を鍵穴に突き刺す。


 コツンと、固い感触が指に伝わる。


 すり抜けない。


 一発ですり抜けなかったのは、金縛りにあったあの夜以来だ。


 全身に寒気が走る。最悪のタイミングだ。


 黒木の亡霊が現れてしまったかも知れないこの状況で、軍手の効力が切れてしまう事は死を意味する。


 報酬を諦めてこのままズラかるのが得策だろうか。


 しかし、姿を眩ませた折山夕子がこのまま見つからなかった場合、貸した金が返ってくる可能性は薄い。それだけに、今回の仕事の報酬はなんとしても手に入れたい。


 それに、黒木の亡霊が出現したのであれば、ここでズラかったとしても命を狙われる事に変わりはない。どうせ襲われるのなら、金だけでも入手したい。


「ふざけんなよ、まだいけるだろ」


 今度は心の中ではなく、声に出して呟いた。


「おら、気合い入れろ。次は二人、池に送ってやるからよ。その次は三人送ってやる。だからしっかり働きやがれ」


 声に出すと同時に、心の中でも強く念じた。


 鍵穴に突き刺していた指の感触が消えた。そのままゆっくり腕を伸ばす。軍手が覆っている手首上の部分まで、手がドアをすり抜けた。


 腕を上下に動かし、ドアの向こうのレバーを探す。指の部分だけに意識を集中する。


 やがて指先に感触を捉えた。指をレバーに引っ掛け、少しずつ静かに、レバーを動かす。

 開錠を告げる音が聴こえたのを確認し、腕を引く。汗が全身から吹き出ている事に気付く。


「おい、開いたぞ」


 三原は驚いたようにこちらに振り返る。


「え? カチカチとか、全然音してなかったすけど。どうやって開けたんすか?」


 三原を無視して玄関のドアを開ける。


 中は真っ暗で人の気配はない。


「隆さん、靴脱いだ方がいいっすかね」


「脱ぐな。それと、中の物には一切触れるな」


「了解っす」


 廊下を進み、リビングに入る。


 テーブルが目に入った時、水を踏んだ音が足元から小さく聴こえた。


 ドア横にあるチェストの上に置いてあった花瓶が落下したようだ。花と花瓶の破片が水と一緒に床に散らばっていた。


 破片を踏まないように歩を進める。


 おそらく、テーブルを囲んでいたであろう椅子が散乱している。


 ここで何かが起こったという事実は、最早疑いようもない。


 軍手が包み込む手に力が入る。


 テーブルの向こう側へ周り込もうとした時、テーブルの陰から人の足が見えた。


 最悪の展開だった。


 一歩、横に動いて視界に入るテーブルをずらすと、天井を見上げたまま倒れているユキが姿を現した。


 わざわざ近付いて確認するまでもないだろう。両手を自分の首にあてながら絶命している。


「……死んでるんすか?」


「金を探せ。どっかにあるはずだ」


「残業っすね。オレの報酬、ちょっと上げてくださいよ」


 くだらない悪態をつく三原を怒鳴りつけようとした瞬間だった。


 この感覚は懐かしくもあり、そしてもう二度と感じたくないものだった。


 首が強く締まり、テーブルを押しのけて倒れ込む。


 天井が映る視界に目を凝らした。真っ白な靄が人の形に変化していく。


 次第に濃さを増すその靄から伸びた腕が、俺の首を千切ろうとする勢いで絞めている。


『クルシイカ……サァ、バカヅラヲミセテクレヨ』


 そう聴こえた事で、この亡霊が黒木だと確信する。

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