第四十六話 『天命』由良貴信
登山道を越えて展望台に辿り着いた私が見た光景は、筆舌に尽くしがたいものだった。
直径五メートルほどの円から放たれる神々しい光が辺りを照らしている。
『天』への入口はまだ閉じ切ってはいない。
展望台の地面から上空に向けて、暗雲のような黒い霧の綱が伸びている。二本の綱はそれぞれ逆方向に回転しながら二重螺旋を描き、遥か上空で結びついていた。
夕焼け色の空を覆った漆黒の雲から、強い風が吹きつけてくる。
空を浮遊して展望台に集まってくる無数の黒い人影が、地上から伸びる螺旋の黒綱に次々と入り込み、暗雲を拡大させていく。
折山姉妹の姿はない。
だが、展望台広場の隅に倒れ込む
「先生!」
左手で八芒星のネックレスを握ったまま息絶える先生を抱き、全身を震わせて叫んだ。
間に合わなかった。
『天』への入口を閉じようとする亡者たちの呪いに抵抗し、力尽きてしまったのだろうか。
震えを抑える事の出来ない手で狐面を掴み、先生の記憶を辿る。
祐里先生によって意識を取り戻した折山姉妹は、亡者の手から逃れ浄化される事を望んだ。
そして折山姉妹を拘束する亡者を退ける為に、力を使い果たしてしまった事を理解する。
現世と楽園を繋ぐ『扉』と『鍵』を失ったのに、楽園が現世から引き離されない。
公園に集まる呪いの力が強大過ぎるせいだろう。
先生を失った今、私のやるべき事はひとつしかない。『天』への入口が閉じる前に、手に入れた呪物を放り込み浄化するのだ。
呪いの力を弱めて楽園を現世から引き離すには、呪いの源である呪物を消し去る必要がある。
震える手でそっと先生の肩を地面に降ろす。
軍手を脱いでガラパゴス携帯と狐面を強く掴み、光へ接近する。
眩く光る円に向かって呪物を投げ込もうとした時、それは目の前に現れた。
「これは……」
大きな青白い手の平が、私を制止するように光の前に佇んでいた。
私の脳内で記憶が遡る。
これを目にしたのは二度目だ。
幼い頃、父と母の間で眠りにつこうとした私の前に現れた青白い手。
今、私の前に現れたそれは間違いなくあの時と同じものだった。
「父さん…… なのか?」
直感だった。
最初に見た時は、この手の正体までは掴めなかった。
ただ、この手が醸し出す雰囲気が『父に似ている』と薄らと思ったのを覚えている。
そして今、はっきりと解った。
この手が父に似ているのではなく、父の意志そのものである事に。
「父さん! 何故止めるんだ。どいてくれ!」
青白い手は、あの時と同じように毅然として警告を放っていた。
私を叱るように、同時に優しく私を守るように。
透き通る手の向こうに見える、『天』への入口に目を凝らす。
光る円の中に、何かが蠢いているのが見えた。
青白い手と初めて出会った日、寝室の電球を太陽に見立て、その中に動く物がないかイメージした。
あの時、私が想像していた『太陽の住人』と同じように動く何かを、眩しい光の中に捉えたのだ。
「そんな……」
やがてはっきりとその姿を目撃した時、私は驚愕の声を上げた。
円の淵を隙間なく掴む無数の亡者の手。
亡者たちは互いに絡み合い、自らが蓋になるように入口を塞いでいた。
これでは、呪物を投げ込む事が出来ない。
円の中心から私に向かって伸びる亡者の手は、私の持つ呪物を求めているのか。
軍手を使って亡者を押しのけ、隙間を作る事は出来そうにない。
入口を塞ぐ亡者の体を一体ずつ押しのけている間に伸びてくる無数の手が、あっという間に私の命を刈り取るだろう。
ここから呪物を投げても、亡者に奪われてしまう。
いつの間にか青白い手は消えていた。
先生の遺体を見つめ、膝をつく。
もう、亡者たちを止める事は出来ないのか。
絶望に暮れる私に、ある考えが閃く。
先生は現世を救う為に命を投げ売った。
呪物を使用して現世に戻れない私に出来る事は、先生と同じように命を差し出す事だ。
「お互い、困った事になったな」
意を決して立ち上がった私に、聞き覚えのある声が届く。
私と光の間を遮るように現れた
「このままじゃ、誰も助からない。亡者どもの思う壺だぞ。なぁ、俺と取引しよう」
「取引?」
「『天』への入口を塞いでいるこいつらが邪魔だろう? こいつらは俺の言う事を聞く。だから、こいつらを消して呪物を投げ込めるようにしてやる」
「……望みはなんだ?」
「狐面を返してくれ。それはもともと俺の物だ」
「さっき、あんたの記憶がこの狐面から流れ込んできた。これはあんたが不倫相手の女性を殺して奪った物だろう」
「そうだ。俺は人を殺している。だから、人として生きる為にはそれが必要なんだ。あんたに言われて目が覚めたんだ。考え直した。俺は人として生きたいんだよ」
「意味を履き違えているな。これで誰かに成り変わって、罪から逃れようとしているのか」
「おまえと一緒にいた女も呪物をいくつか持っている。俺から奪った物だ。こいつらの呪いを弱めてこの公園から楽園を引き離すには、狐面以外の呪物を浄化すれば十分だ。だからそれだけは返してくれ。頼む」
『扉』と『鍵』を失ってもなお、現世と楽園を繋ぎ止めるほどに膨れ上がった呪いの力。最早、ここに存在する全ての呪物を浄化しなければ、現世の全てが飲み込まれてしまうだろう。
それに、覇気を失い懇願するこの男に、亡者を支配する力などない事は明白だ。
おそらく、この男の欲望を支配していた亡者の呪力は、『天』への入口を塞ぐ為に移行したのだろう。
亡者に役立たずの烙印を押され抜け殻となった五田俊は、私から狐面を奪い返して現世に帰ろうとしている。
「さっさと渡せ、時間がないぞ」
「渡すつもりはない。呪物を使ったあんたはもう現世には戻れない。そこをどいてくれ」
「ならばここで現世が飲み込まれるのを眺めてろ。おまえが狐面を渡すまで、俺はここから動かない。おまえの考えは解っている。呪物を抱えたまま自分ごと『天』に突っ込むつもりだろう。だが、そうはさせない」
図星だった。
入口を塞ぐ亡者たちに呪物を奪われないよう、抱きかかえたまま『天』への入口に身を投げるつもりでいた。
しかし、この男がいる限りそれを実行出来ない。
亡者が集まり、入口が塞がっていく。
地上から伸びていた黒い霧の綱はその濃さを増し、巨大な渦となって展望台を囲んでいた。
もう、時間がない。覚悟を決めなくては。
「そこをどいてくれないなら、あんたを殺さなきゃいけない」
「おまえにそんな事が出来るなら、さっきそうしていたはずだ。だが、おまえは俺を殺さなかった。おまえには出来ない」
そうだ。私には、出来ない。だが、やるしかない。
軍手をはめた私が一歩前に踏み出すと、五田俊の様子に異変が起きた。
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