第十七話 『ガラパゴス携帯』④ 津口岳則
「やめろ…… いやだ、もう」
震える手で取り出したガラパゴス携帯を開け、ディスプレイを確認する。
『ミノガミサゲスヨヘタヘオサマ』
そう表示されているメール画面が目に入り、恐怖のあまり携帯を握る手に力が入る。ボタンを押してしまい、ディスプレイの表示が変わる。
『23:59』
恐怖に喘ぎながらスクーターのエンジンをかけた。
この携帯は呪われている。
所持者に時報の音声を繋げたメッセージを送り、メールで送られてきた呪いの言葉を二十四時間以内に誰かに言わせなければならない。呪いの言葉を言った人間がどうなってしまうのか。健太郎の両親の反応を見る限り、健太郎はただでは済まないだろう。最悪、死……。
誰かが呪いの言葉を口にすれば携帯に表示されたカウントダウンが止まり、電源が一旦オフになるが、すぐにまた次の呪いの言葉がメールで届き、カウントダウンが始まる。
時報のメッセージが示すように、この携帯を壊すと所持者、つまり僕が死ぬ事になる。カウントダウンがゼロになった時もおそらく同じ結果になるに違いない。
死にたくない。だが、死を回避する為に誰かを殺しても、すぐにメールが届いて永遠に殺人を繰り返さなければならない。そもそも、もうこれ以上誰かに呪いの言葉を言わせたくない。
アクセルを握り、無我夢中で山へ向かう。
山奥の公園にある池のほとりにこの携帯電話を返し、ひたすら許しを請うしかない。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
呟きながら夜の街を駆け抜ける。
やがて山道に入り、黒く塗り潰された山々へ伸びる細い道が地獄への入口に見えた。
池に携帯電話を戻して、本当に呪いが解かれるのだろうかと考える。どれだけ許しを請うたところで、ディスプレイに表示されたカウントダウンが無慈悲に時を刻み続けたら……。
猶予はまだ二十時間以上あるはずだ。池に携帯を戻してもカウントダウンが止まらなかったら、他に方法を探さなければ。もう犠牲者は出したくない。
スクーターのヘッドライトが、突然現れた公衆トイレを照らした。
公園の駐車場だ。
明かりのない公衆トイレの前には、車が一台停まっている。ヘッドライトが運転席を照らしたが、人の姿は見えない。
おかしい。携帯を拾った時にここへ来た時は、この道を進めば池に辿り着いたはずだ。
そう考えて、混乱するあまり自分がミスを犯した事に気が付いた。
駐車場に入り、スクーターのエンジンを停止させる。
途中、道が二手に分かれている事を忘れていた。おそらくここへ来る途中、池に向かう道とは別の道を進んで来てしまったのだ。
一秒も無駄に出来ないこの状況で、致命的なミスをしてしまった。
ヘルメットを脱ぐと、額に汗が滲んでいるのが解った。
自分の携帯電話を取り出しGPSで現在地を確認しようとしたが、電源がオフになっている。
なんてことだ。バッテリーが切れてしまったのだろう。
数時間前にこの山に来た時、自殺者が耐えないと噂される池に行くために携帯のGPSをずっと起動していた。ガラパゴス携帯を拾った事で気分が高揚し、帰宅した後もライブ配信の事ばかり考えて充電をしていなかった。
ここまで来る道の途中にある分かれ道が一箇所だけなら問題無いが、もし他に分かれ道があれば迷ってしまい池に辿り着けなくなってしまう。
こうしている間にも制限時間は刻一刻と減り続けている。焦る気持ちを抑えて、もう一度ゆっくり来た道を戻るしかない。
そう思い、携帯電話をポケットにしまった時だった。
強く、車のドアが閉まる音が背後から聞こえた。
公衆トイレのあった方向からだ。トイレの前に停まっていた車に、誰か乗っていたのだろうか。
そう思った直後、深夜の山奥には不釣合いな音が鳴り響く。
ハイヒールの音だ。
ハイヒールを履いた女性だろうか。コツ、コツ、と舗装された駐車場の地面をヒールが打ち付ける音が聞こえる。
こんな時間、こんな場所で、何故。
ヒールが鳴らす音は、僕の背後で左から右へ移動した後、次は右から左へと移動し、それを繰り返していた。
時に音が大きく鳴り近付いてきたのかと思えば、また元の位置へ戻り、背後を往復している。
一体、何をやっているんだ?
その時、思い出すべき事ではなかったであろう記憶が頭に浮かび、寒気が襲う。
ドール配信者の配信で知った噂だ。
『この山には誰からも愛されずに自殺した女の幽霊が出る』
間違いなく呪われている携帯電話を拾ってしまった僕への裁きなのだろうか。今、背後で彷徨っているこの女性は、まさか、人間ではない……?
ヒールの音が大きくなってくる。
自殺した女性の霊が、今まさに迫ってきている。
スクーターに跨ったまま、呼吸の音すら抑え、じっとする事しか出来なかった。
ヘルメットを掴んだ両手が、僅かに震えている。
心の中で唱えるのは念仏を混ぜた慈悲を請う懺悔の言葉だ。額から、汗が滝の様に流れ落ちてくる。
後ろを振り向く事は出来ない。出来るはずがない。
振り向いたが最後、地獄へと連れて行かれてしまう。そんな気がしていた。
恐怖に打ちのめされる中、唐突にヒール音が鳴り止んだ。
何かを考える前に体が先に動いた。
即座にエンジンを掛け、全速力で駐車場を飛び出す。
膝の上に乗せていたヘルメットが地面に転がり落ちた事も気にせず、細く暗い下り坂を無心で突き抜ける。
もし今、前から車でも来たら正面衝突は免れない。それでも、スピードを落とす気にはなれなかった。今まさに、自分の背後から女の霊が追いかけてきているのではないかという妄想が拭えない。
逃げなければ。とにかく、ここから一旦離れなければ。
別れ道に戻って来た。スピードを緩める事なく池に続いているはずの道へ曲がる。
サイドミラーを確認するつもりはない。見てはいけない物が映っているとしか思えないからだ。
急カーブに差し掛かる。
僅かにアクセルを緩め、少しだけブレーキレバーを握る。急いで体を傾けると、スクーターはガードレールに接触しようとするギリギリの位置で方向を変えた。
これが現実が夢なのかが曖昧になってくる。
暗闇に覆われた山全体が死神となって、自分を飲み込もうとしている様に感じた。
僕は呪われた携帯電話を所持している。実際に山が死神となって襲い掛かってきてももう、不思議ではないのだ。
不意に視界を遮った『梟』が、幻覚ではない事を悟ったのは数秒後の事だ。
突然現れたそのメンフクロウは、大きな羽を広げて僕の顔にぶつかった。
衝撃で、体が大きく仰け反る。
最後に見えたのは、ガードレールに衝突するスクーターと、真っ暗な斜面に放り出された自分の体だった。
『いやだ。まだ、死にたくない』
声に出す暇はなかった。
バッテリーが切れた携帯電話の様に、僕の意識は唐突に遮断された。
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