第十話 『万年筆』峰川志織

 恋とかじゃない。それでも羽白はねしろ勇人ゆうとの事が気になるのは、きっと私と似ているからだと思う。


 高校二年生になってもう二ヶ月経つというのに未だにクラスに馴染めない。と言うのも、田賀海千重・木戸久実香・倉吉未央の三人が中学生みたいに不良ぶっているせいでクラスの雰囲気があまり良くない。


 特に千重は誰に対しても高圧的な態度で、久実香と未央と一緒に羽白くんをいじめている。


 元々、大人しかった羽白くんはいじめのせいで更に萎縮してしまって学校も休みがちになり、登校しても授業に出ない事が増えた。


 今だってもうすぐ授業が始まるのに、教室に羽白くんの姿はない。


 休み時間にはいつも一人で校舎裏にいる。きっと今もそこにいるんだろうけど、一体あそこで何をしているんだろう。


 気になった私は、先生が来る前に教室を抜け出して校舎裏に向かった。


 校舎裏で一人座ってノートを眺めている色白の小柄な男子を見つけた。羽白くんは遠くにいてもすぐに解る。


「何してるの? もう授業始まってるよ」


 今まで話しかけた事は何度かあったけど、まともに返事をしてくれた事はなかった。でも、今日は私の顔を見た後に視線をノートに戻して返事をした。


「うん。知ってる」


「いつもここにいるよね。それ何見てるの?」


 羽白くんの隣に座って、ノートを覗き込んだ。


 池に架かる橋が描かれていて、私はしばらくその絵を眺めた。とても太い線で丁寧にデッサンされている。


「上手。羽白くんって絵上手いんだね」


 適当に話を繋ごうとした訳じゃなくて、ただ率直な感想を述べた。


「教室、戻らなくていいの?」


「羽白くんいないから。何してるのかなって気になって来てみた」


「そう……」


「それに、なんか教室居辛くて。私もクラスで浮いちゃってるからさ」


『私も』と言ったのは失礼だったと思って、顔をしかめた。羽白くんが返事をしなくなったので気まずくなり、今度は適当に話を繋ごうとした。


「それ、高そうなペン。それでこの絵描いたの?」


 羽白くんの左手に握られている万年筆が目に入った。


「僕のじゃないんだけど。これ、拾ったやつだから」


「拾った? どこで?」


「おじいちゃんの畑の近くに山があるんだけど、そこによく絵を描きにいくんだ。それでこの前行った時、筆箱を家に忘れちゃったんだけど、ちょうどその時近くにこれが落ちてて。この絵はその時に描いたやつだよ」


「ふ~ん。そうなんだ。そんなに上手なんだから、美術部に入ればいいのに」


 余計なお世話だったのか、羽白くんがまた返事をしなくなった。これ以上、話は続けられそうもないし授業をまるまるサボる訳にもいかないので、私は立ち上がった。


「そろそろ教室戻ろ」


 私がそう言うと、羽白くんは少しの間黙って動かなかったけど、しばらくすると立ち上がった。


「行こ」


 歩き出すと、後ろから羽白くんの弱々しい声が聞こえた。


「様子、見に来てくれたの?」


「ん? そだよ」


「ありがとう」


 少しだけ仲良くなれた様な気がする。そう思って久しぶりに嬉しい気持ちになったのも束の間、教室に戻るとすぐに憂鬱な気分が戻ってきた。


 先生に怒られたからじゃない。羽白くんと一緒に教室に戻ってきた私を睨む千重とその取り巻きの視線が不快だった。先生に叱られて席に着く私をひとしきり睨み付けた千重たちは、次に羽白くんの方を向いて何やらひそひそと話しをしていた。この時に感じた嫌な予感が、放課後の私を校舎裏に導いた。


 校舎裏では、座って俯く羽白くんが千重たちに囲まれていた。


「おまえ、なに女子と仲良くしてんだよ」


 千重の罵声が聞こえてくる。『仲良くした女子』とは私の事だろうか。


 私は今まで、羽白くんがいじめられているのを見ても何も出来なかった。それは他のみんなと同様、千重に目を付けられるのが怖かったからだ。


 でも、今まさに自分のせいで羽白くんが苦しめられていると責任を感じた私は、千重が羽白くんの膝に蹴りを入れたのを見て声を上げた。


「ちょっと、やめなよ」


 千重たちが一斉に私を睨んで、少し怖かった。でも、ここで逃げてしまったら羽白くんが余計に酷い目に合ってしまうと考えて強く睨み返した。


「なによ。関係ないのに口出ししないで」


「関係なくないよ。羽白くんが仲良くした女子って私の事でしょ? さっきのは私が勝手に羽白くんを呼びに行っただけだよ。だから文句があるなら羽白くんじゃなくて私に言いなよ」


 我ながら良く言えたと思う。千重たちも私がここまで言い返してくるとは思ってなかった様で、少し驚いた表情をしていた。


「何も知らないくせに」


 すれ違い様にそう言い捨てて去っていく千重を見て、取り巻きの久実香と未央も千重を追っていなくなった。


『何も知らない』とは何のことだろう。羽白くんを蹴ったりする自分の気持ちなんて知らないくせに、という事だろうか。そんなの、別に知りたくもない。


「大丈夫?」


 膝を押さえる羽白くんに駆け寄る。ズボンの裾を上げると膝が赤くなっていた。


「保健室、行く?」


「平気だよ。大丈夫だから」


 羽白くんは立ち上がって歩き出した。


 このまま彼を放っておくのはなんとなく心配だ。私に邪魔された事を鬱陶しく思った千重がまた羽白くんに怒りをぶつけかねない。


 校門まで彼に着いて行くと、駅とは逆の方向に歩き出した。羽白くんは私と同じ電車通学のはずだから、こっちに向かって歩くのは変だ。


「どこいくの? 駅、向こうだよ?」


「おじいちゃんの畑に用があるから」


「ふぅん。何しに行くの?」


 立ち止まる事なく歩き続ける羽白くんは、私の質問に嫌気が差したのか返事をしなくなった。


「ねぇ、私も着いて行っていい? 嫌ならダメって言ってくれたら、すぐ帰るけど」


「別にいいけど、遠いよ。三十分くらい歩かないといけないし」


「それくらい平気だよ」


 二人で歩いているとこを千重たちに見られないか心配だけど、あの三人はバレー部だから今頃は体育館にいるはずだ。


 それから特に会話もないまま歩き続け、やがて広い畑に挟まれた畦道が見えて来た。

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