後編
第二十六話 『公園』星野魁
恐怖か後悔か。今の気持ちを漢字二文字で表すならどっちが良いだろう、なんて事を考えながら気を紛らわす。
深夜にこんな山奥の公園に肝試しに行こうと
大学のサークル仲間である四人は、昌樹の運転する軽自動車に乗ってここへやって来た。
出発して九十分ほど経つと街頭が完全になくなり、宇宙に飛び出てしまったのかと思うほどの暗闇に突入した。その光景が醸し出す不気味な雰囲気に心を躍らせた昌樹は、後部座席に座る二人と会話をしながらはしゃいでいた。
昌樹の彼女である
全く、理解出来ない。
自殺の名所だとか、有名な心霊スポットだとか、深夜にそんな場所へ赴いて一体どんな得があると言うのか。
遭難の危険や、凶暴な野生動物や変質者に襲われたり、良からぬ事ばかりじゃないか。それに、万が一、いや、僕は幽霊が本当にいるとは思っていないが、万が一、幽霊に遭遇したら、みんなどうするつもりなのだろう。
そんな事を考えているうちに、僕らを乗せた車は山中にある公園の駐車場に到着した。そこから公園の中にある大きな池を目指して歩き始め、もうどれくらいの時間が経っただろう。
先頭の昌樹が照らすペンライトの明かりは、とても頼りなく感じる。ここへ来る途中に寄ったチェーンストアで、半額コーナーのカゴに埋もれていた物だ。 ペンライトを購入した時の昌樹の表情は見ていられなかった。まるで、これさえあれば世界中を踏破出来るぞと言ったような得意気な感じだった。
そんなバカな。
単四電池二本が生み出せる明かりなんて持って三時間が限界だろう。食べ物も何も持ってきていないし、もし遭難でもしたら終わりだ。
そういう僕も何も用意などしてきていないので、手ぶらで夜の山道を突き進む昌樹と陽子を責められない。
僕の横にいる成海だけが、唯一、小さな身体に不釣合いな大きめのリュックサックを背負っているが、遭難した時に役立つ物は入ってないと考えられる。
オカルト好きな成海がリュックに詰めてそうな物と言えば、魔除けグッズとか幽霊図鑑だとか、そんなところだろう。まぁ、本当に幽霊と遭遇する事になったら役に立つかもしれないけれど。
それにしても、寒い。八月だというのに、風が異常に冷たい。近くに池があるせいだろうか。
駐車場から遠ざかる程、不安が増す。異様な寒さも相まって気が滅入ってくる。昌樹のペンライトの光に照らされて見える木々が、地中から伸びる無数の腕の様に見えてきた。
今にも暗闇から何かが飛び出して来そうな気がしてならない。
車を降りてからこの山の不気味さに圧倒され続けている僕とは対照的に、昌樹と陽子は『やばい、やばい』と声に出してはしゃぎなら、舗装されていない道をひたすら進んでいる。
成海に至っては、携帯電話に『圏外』という文字が表示されたのを見て高揚したのか、笑い出す始末だ。
帰りたくてたまらない。だけど、皆が楽しんでいるところに水を差したくはないという気持ちがある。こんな事になるなら来なければ良かった。
「もう、帰ろうよ」
そう声に出して驚いた。
どうやら、空気が読めないヤツだと思われたくないという気持ちが恐怖心に食われてしまったようだ。
無意識に僕の口から出た言葉に、昌樹たちは足を止めて振り返った。
「いやいやいや、ここからでしょ。とりあえず池まで行かないとさ。あと少しで着くはずだから」
昌樹がそう返してくる事は予測していた。
「水死体が何度も発見される池に行って、一体何するんだよ」
「写真撮るんだよ。何か映っちゃうかも。
昌樹はそう言って携帯電話を取り出して笑った。
それを見た陽子も一緒になって笑うのだろうと思ったが、その予測は外れた。
「……成海は?」
僕の顔を見て陽子がそう言った時、さっきまで横にいたはずの成海がいない事に気が付いた。
昌樹がペンライトを森の中に向ける。
「え? いないじゃん。どこ行ったの?」
「さっきまで隣で歩いてたけど……」
「お~い。成海?」
昌樹の声は森の中へと吸い込まれていく。
風に揺れる木々の軋む音だけが聞こえ、三人はしばらく無言になった。
そして昌樹と陽子の表情に焦りの色が見え始めた頃、陽子が沈黙を破った。
「と…… トイレじゃないの?」
「あぁ、そういうことか。仕方ねぇなぁ」
不安を少しでも解消しようと陽子が振り絞った言葉に対して、昌樹は納得して落ち着いてしまった。
自分の彼女が暗い山奥で忽然と姿を消したというのに、何故そんなに悠長でいられるのか。
大体みんな危機感がなさ過ぎる。
日本の行方不明者は年間十万人近いのだ。交通事故による死亡者は一日で凡そ十人に上る。それでもみんな自分だけは大丈夫だと根拠もなく信じている。
昌樹に関しては特にそうだ。この公園の駐車場に辿り着くまでに二回、赤信号の交差点を突っ切った。深夜だから交通量も少ないし、どうせ大丈夫だろうという思考。
だが、それについて昌樹に意見した所で『じゃあおまえが運転しろよ』と言われると僕は何も言い返せない。免許は持っているが、自分の運転に自信がない。どれだけ注意深く運転しても『急に誰かが飛び出してきたら』なんて考えているうちにすっかりペーパードライバーになってしまった。
昌樹と陽子が座り込んだのを見て、僕は口を開いた。
「何も言わずにいきなり消えないでしょ。みんなで成海を探さないと」
昌樹は僕の言葉に何も返す事なく、陽子を凝視していた。
お腹を押さえてうずくまる陽子に異変を感じたのだ。
「陽子? どうした?」
「わかんない。なんか、お腹イタイ」
「寒いから冷えたんじゃない? 待っててやるからおまえもトイレ行って来いよ」
「そんなんじゃない。頭も痛い…… すごくいたい」
やがて陽子は頭を押さえて唸り始めた。
陽子が尋常では無いほどの痛みに耐えている事を察知した昌樹の表情が、再び不安の色に染まっていく。
「おいおい。なんだよ。急にどうした?」
額を地面につけて苦しがる陽子に、返事をする余裕は既にない様だ。
「薬持ってないの? 頭痛薬」
僕がそう言うと、陽子は首を絞められている様な声を発して答えた。
「車の…… あたしのカバン……」
陽子の言葉を微かに聞き取る事が出来た昌樹が立ち上がる。
「カイ、ちょっと陽子見てて。俺、車まで行って陽子の鞄取ってくるわ」
「成海はどうするの?」
「後だろそんなの。これ見ろよ。かなりヤバそうだぞ」
危険度で言えば突然いなくなった成海も相当なものなんじゃないのかと思ったが、目の前で痛みに悶える陽子を見て、僕はそれ以上何か言うのをやめた。
陽子の隣にしゃがみ込んで声をかける。
「陽子、大丈夫だから。昌樹がすぐに薬取って来るから」
呼吸が荒くなり、より一層苦しみだす陽子を見て、僕は確信した。
やっぱりこんな所に面白半分で来るべきじゃなかった。
自分たちだけは大丈夫と思ってはいけないのだ。
僕はずっとそう思っていたのに、どうして『やめた方がいい』と、その一言が言えなかったのだろう。
後悔の念と共に、どうにかみんなで無事に帰りたいという願いが湧き上がる。
果たして昌樹は何事もなく鞄を取って来られるのだろうかと不安に思った時、昌樹の持っていたペンライトの明かりがまだ遠ざかっていない事に気が付いた。
顔を上げると、来た道にペンライトを向けて立ち尽くす昌樹の姿が見えた。
「何やってんだ昌樹。早くしないと陽子が」
「誰かいる」
小さい声でそう答えた昌樹と同じ様に、僕も声の音量を下げた。
「誰かって、誰? 成海じゃないの?」
「違う」
ペンライトの明かりが照らす山道に目を凝らす。
近付いてくる足音と共に影が揺らめいた。
「こっちに来る」
昌樹がそう言ったと同時に、一人の男が光の先から姿を現した。
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