第三十三話 『生贄』柳隆也

 迂闊だった。


 公園の駐車場を抜けてそのまま車で池まで行こうとしたが、暗く細い山道を猛スピードで走るべきではなかった。


 舗装されていない地面の起伏で激しく揺れた車体は、道を逸れて木に衝突した。


 衝突の衝撃で膨らんだエアバッグを押しのけて外に出ると、木がめり込んで煙を上げるボンネットが見えた。


 黒木の亡霊がまたいつ襲ってくるか解らない恐怖に駆られ冷静さを欠いていた自分と、動かなくなった車に苛立ちを覚える。


「クソがっ!」


 真夜中だったはずの山が夕焼けに包まれたのは、そう叫んで車体に蹴りを入れた直後の事だ。


 何故突然、夕焼けになったのだ。池の亡霊どもが俺を急かしているのか。早く生贄を連れて来いと。


「だったら黒木をなんとかしやがれクソどもが!」


 誰もいない山道でもう一度叫んでから、軍手を纏った人差し指を車体に押し付ける。


 もう全くすり抜けない。


 黒木の亡霊が現れる前に、誰かを池に連れて行き殺害しなくては。


 ここから歩いて池に向かうのは無謀だろう。


 駐車場を抜けてからまだそんなに進んでいない。


 さっきの駐車場に車はなかっただろうか。


 もし停まっていたら、その車を盗んで池に向かうのが最善だ。


 車の持ち主がこの公園の何処かにいる可能性も高い。そいつを見つけ出して捕え、池に連れて行けたらベストだ。


 山道を引き返しながら神経を研ぎ澄ませた。


 何度も軍手をはめた手を交互に叩き、軍手の力を引き起こすイメージをした。効果があるかどうかは解らないが、やらずにはいられない。


 駐車場に戻って街があったはずの方角を見た時、思わず声に出した。


「なんだこりゃ」


 ありえない事だが、例えるなら砂漠だ。


 夕焼け色に染まった砂漠が地平線の彼方まで広がっている。


「誰かを池に送るまでここから帰さねぇってか。言われなくても帰らねぇよ。黒木をぶっ殺すまではな」


 独り言を口にした後に首を振ると、駐車場の隅で自分と同じように砂漠を眺めて立ち尽くしている男が見えた。


 スーツ姿のやけに姿勢の悪い中年の男だ。


 すぐ近くには、シルバーのセダンが停まっている。


 全く、ツいているのかツいていないのか解らない。まるで自分の為に用意されたかのように『生贄』と『足』が見つかった。そう思いながらあのセダンに乗って中年男を池に連れて行く算段を立てる。


 男が俺の視線に気付き、ゾンビのような足取りでこちらに近付いてくる。


「あの、どうも」


 声をかけてきた男の顔を見て、思い出した。


 こいつは、さっき街で轢き殺しそうになった男だ。


 ヘッドライドに突然照らされたこの死人のようなつらは目に焼きついている。


 こいつを庇った連れの女は俺が完全に轢き殺したはずだ。なのに、何故こいつはこんなところにいるのだ。


「これ、どうなっちゃったんですかね? 今まだ真夜中ですよね。いやあ、不思議な事もあるもんですね。本当に」


 血色の悪い顔で薄ら笑う中年男を見て、実はこいつはもう死んでいるんじゃないかと疑った。


 連れを殺した俺に復讐する為に現れたのか。黒木の様に。だが、黒木みたいに白いもやではない。死体のような面だが、二本の足で俺に近付いて話しかけている。


「あんた、こんなとこで何してんだ?」


「えぇ、その、散歩ですよ」


「こんな時簡にか?」


「はい。この駐車場に車停めようと思ったんですがね、なんか、ここで急にエンジン止まっちゃって。ちょうどその時、空が明るくなったんですよ。はは。いやもうびっくりしてしまいましてね。車降りて、街の方を見たらこれですよ。それにしてもこれ、綺麗な景色ですよねぇ」


 イカれているのだろうと思った。


 連れの女が目の前で轢き殺されて、錯乱したのだろうか。


 この異常な景色を目の当たりにしてへらへらと笑う姿は、正常な人間には見えない。


「あぁ。名乗るのが遅れましたね。私、村寺むらでらと言います。あなたも散歩しに来たんですか?」


「俺は」


 言葉を切ってから思考した。


 イカれているが生きている人間のようだ。出来ればスムーズにこいつを池に連れて行き、軍手の生贄にしたい。


 この男に暴れられた挙句、黒木が襲ってきたらもうどうしようもない。


「俺はここの管理員だ」


 そう言うと、村寺は意外な反応を見せた。


 驚いたように目を丸くした後、視線を切って俯いた。


「そ、そうですか。どうもお疲れ様です」


「とりあえずここは危険なんでね。みんな公園の池の近くに避難してるから、あんたも急いだ方がいい」


「危険? やっぱりこれ危険な状況なんですか?」


「詳しくは解らない。とりあえず、車借りるぜ。あんたも乗れ」


 そう言って車に近付くと、村寺が声を上げた。


「やめてください!」


「あ?」


「ああ、いや、すみません大きな声を出してしまって。車ね、動かないんですよ。さっきも言いましたけどエンジンかからなくて」


 村寺は話しながら車の後部へと移動する。


「長い間乗ってなかったからかなぁ。いや、参りましたよホントに」


 明らかに動揺してトランクを押さえる仕草を見て思った。


 この男は、さっき俺が轢き殺した女の死体をトランクに入れてるんじゃないだろうか。


 この男の不可解な行動理由などどうでもいい。それより、本当に車が動かないのかが重要だ。


「いいから、早くキーかして」


「ええ、ちょっとそれは困りますね」


「あんたなぁ、この状況わかんねぇのか。街が消えて砂漠になってる。深夜なのに急に夕焼けになる。異常事態だ。俺には公園の管理員としての義務があるから」


 男が車のキーを差し出しながら俺の出鱈目でたらめに答える。


「わかりました。でもね、動かないと思いますよ。私も何度も試しましたし」


 村寺の言っている事は本当だった。どれだけキーを回したところでエンジンが音を立てる事はなかった。


「クソ!」


 思わずハンドルを叩く。


「すみませんねほんとに。ほんとに、すみません」


 車の外で頭を下げている村寺を見て考える。


 こいつを連れて歩いて池に向かう。生贄は手に入れた。後は池に行くだけだ。その間に黒木が現れたら、三原のように殺されないよう村寺を守りながら進むしかない。


「仕方ねぇ。歩いていくぞ」


「いえ、あの、私はもう構いませんよ」


「なに?」


「別に助からなくてもいいんですよ。ああ、こう言うと誤解を招くかもしれないんですが。あ、いえ、別に誤解でもないんですがね」


 俺が轢き殺した女はこいつの妻か恋人だったのだろうか。錯乱して後を追うためにこの山へ来たように思えた。


「あんたがそれで良くても、俺が困るんだよ。とにかく一緒に来い」


「ここから離れる訳にはいかないんですよ」


 トランクの中に死体があるからだろう。それが残っていて困るのは俺も同じなんだ。だが今はどうする事も出来ない。こいつの事情など知った事ではない。安心しろ。すぐに同じ場所へ送ってやる。


「いいから。とりあえず一旦、避難して」


「えぇ、えぇ、わかりました」


 重い足取りで歩き出した村寺を急かしながら池に向かう。

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