第四話 『呪物』③ 由良貴信

 二ヵ月後、夏休みに入っていた私は友達数人と一緒にとある墓地へ肝試しに行く事になった。

 また良からぬものが見えてしまうのではないかと思いあまり気乗りはしなかったが、強引に連れて行かれた。


 いつもは家族と夕食を始める時間に黙って家を出たのは、その時が初めてだった。


 すっかり暗くなった墓地に辿り着いた私たちは、肝試しのルールを決めた。


 墓地の一番奥にある墓に一人ずつ線香を持って向かい、線香に火をつけて皿に刺して来る。制限時間までに帰って来れなかった者には罰ゲームが与えられる事になった。


 次々に肝試しを終えて帰ってくる友達を見ながら、悪い予感が拭えなかった。


 私の番になり、前を見ない様にゆっくりと墓地を進み始めた。


 やがて線香の香りが漂い始め、一番奥の墓に到着し、とりあえずここまで何事もなかった事に安堵する。


 友達が刺した線香から煙が立ち昇っている。


 墓の前に座り込み、ライターで線香に火をつけた。


 線香を刺した後、線香皿の横に供えられている物体に視線を奪われた。


 柄のない、紫色のハンカチだ。


 早く帰ろう。そう思って立ち上がろうとした時だった。


 線香の香りが突然、消えた。


 火が消えた訳ではない。皿に刺された数本の線香は、変わらず煙を立ち昇らせていた。


 呼吸が苦しくなる。心臓が胸から飛び出るほどに激しく脈打つ。


 座った状態のまま首を少し横に振った時、自分のすぐ後ろに立つ二本の足が見えた。


 正確には、人の足の形をした白い靄の様なものだった。


 音もなく、気配もなく、いつの間にか背後に立っていたそれがこの世の者ではない事を理解し、俯いたまま目を閉じた。


 それからの時間がどれだけ長く感じたかは形容し難い。実際には数分間、いや、数秒間の出来事だったのかもしれないが、一晩中目を閉じたままじっとしていた様にさえ感じた。


 顔から垂れ落ち続ける水が、汗なのか涙なのかも解らなかった。


 やがて、私を呼ぶ友達の声が遠くから聞こえると同時に、線香の香りが戻ってきた。


 目を開けて振り向くと、白い足は消えていた。


 安堵したのも束の間、悶絶する程の耳鳴りに襲われる。


 両耳を押さえながら耳鳴りが治まるのを待っていると、とても奇妙な光景を目にした。


 目の前の線香から立ち昇る煙が、不自然に動いたのだ。


 煙はぐるりと螺旋状に変化した後、線香皿の隣に供えられたハンカチに向かってゆっくりと移動し始めた。


 今度は目を閉じる事なく、不思議な挙動をするその煙を見つめていた。


 煙が通常の動きに戻ると同時に耳鳴りが鳴り止んだ頃、友達が近付いてきた。


 制限時間を過ぎても帰還出来なかった私に与えられた罰は、供えられている紫色のハンカチを家に持ち帰る事だった。


 嫌がる私のズボンのポケットに無理矢理ハンカチを突っ込んだ友達は、私が勝手にハンカチを手放さない様に見張りながら自宅まで着いてきた。


 帰宅が遅くなった私は両親に叱られた後、いつもより遅い夕食を食べた。


 帰りの遅い私の身を心配して夕食に手をつけていなかった父と母と一緒にテーブルを囲みながら、ポケットの中にあるハンカチの事を考えていた。


 落ち着く事が出来ずにろくに味も感じられないまま夕食を口に運んでいると、玄関のドアが開く音が聞こえた。


 お客さんが来たのだと思ったが、父も母も何も聞こえていないかの様に黙々と食事を続けている。


 確かにはっきりと聞こえたドアの音に全く反応しない父と母を見て、気分が悪くなり箸を止めた。


「ねえ。誰か来たよ」


 空耳ではない事を確認したかった。


「え?」


 母も箸を止め、不思議そうな顔で私を見つめた。


「ドア、開く音したよ?」


「今? したかしら?」


「いや、聞こえなかったぞ」


 食事を続ける父を見て母が立ち上がろうとした時、重量のある何かが廊下の床に落ちる様な音がした。


 父と母が黙って目を見合わせたのを見ても、自分だけの空耳ではないのだと安堵する事はなかった。


 もう一度同じ音が聞こえ、それが『足音』であると全員が理解した時、母が小さな声で呟いた。


「ちょっと…… あなた」


 誰かが家に入って来た。その『誰か』が強盗の類だと母は思っているだろう。しかし私の考えではそうではない。


 ポケットの上からハンカチを押さえた。


「だれだ?」


 父が廊下の方へ向かって声を出した。沈黙の後、再び足音が鳴ると、父は立ち上がってキッチンの隅に置いてあったゴルフバッグからゴルフクラブを取り出した。


 勢い良く廊下へ出た父の後を追った。


 廊下には誰もいなかった。ドアも閉まっていた。


「たぬきかしら」


 様子を見に来た母は混乱していた。


「今のは人間の足音だったろう」


 父がそう答えたのを見て、私は全てを白状しようと決めた。


 今の足音の正体が一体何なのか、おそらくその答えを自分だけが知っている。自分だけが正体を知っているという、その事実が生み出す不安に耐え切れなかったのだ。


「きっと、これを取り返しに来たんだと思う」


「なんだそれ?」


 私がポケットから出したハンカチを見る父の目は鋭く、また叱られると思った。


「さっき、お墓からこれを持って帰ってきた。たぶんそのせいで、幽霊が」


「鍵かかってるわよね? 何処から入ったの? 泥棒とかだったら一応、警察に連絡した方がいいかしら」


 溜息をついてから母が話し始めた。私の告白を虚言であると聞き流している母に返事をせず、父が口を開いた。


「明日、元の場所に返して来なさい」


 強く怒鳴られるのを覚悟していたが、父は静かにそう言った後、食事の続きを始めた。


 それから三日間の記憶はない。


 覚えているのは、翌日朝すぐに墓地へ行き、ハンカチを元の場所へ返して帰宅した事だ。そして酷い耳鳴りの後に意識を失った。


 高熱にうなされ、容態が回復するまで三日間入院していたそうだ。


 体調が急に悪くなったのは、墓地で肝試しをしてふざけ、あのハンカチを勝手に持って帰ったせいだと思った。私の身に『祟り』が起きたのだ。


 ハンカチをすぐに返したが許して貰えず、呪いの力で三日間苦しんだ。だが命まで奪う事はなく、許してくれたのだと私はそう思っていた。


 この高熱をきっかけにして私の特殊な力も消えてくれないかと期待したが、それからも相変わらず幽霊を見かける事があった。


 毎年お盆にやって来る親戚の叔母さんはいつも肩に生首を乗せていて、会うのが辛かった。


 中学二年生の時に同じクラスになった男子はいつも背後に老婆を連れていたが、やはりその老婆も私にしか見えていない様だった。


 私は自分が他の人間と違う事にストレスを感じ、学校生活に馴染めず休みがちになり、見たくないものが見え続けるせいで次第に精神を病んでいった。


 母に連れられて心療内科に行った事もあった。


 飲むと妙に眠くなる薬があるという事と、正常ではない人間をまとめる便利な病名があるという事を知った以外、特に意味はなかった。


 高校を卒業してから進学も就職もせず、自室に篭る様になった。

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