第11話 黒猫と死闘



 まず先に行動を起こしたのはアトスの方だった。

 元々アトスと黒猫の距離は10mと離れていない。それはアトスとって体感にして半歩にも及ばない距離。

 一瞬で距離を縮めるとその鍛え上げられた右前足を振り上げる。


『まずは軽くだ』


 軽く。もちろんそれは本人の体感での話だ。黒猫にとってはまさに前世で自分を死に追いやったトラックを彷彿とさせる程に、その迫力は凄まじかった。

 だが、黒猫は動揺しない。冷静に的確に、まるで機械のようにその攻撃を観察すると、即座に行動に移った。


 黒猫は軍刀の剣先を右手側へ向けるように構えると左斜め横へと跳ぶ。だが、黒猫の今の身体能力ではいくら全力で避けようとも前足に必ず当たってしまう。

 それゆえに黒猫は避けるという選択肢を最初から捨てた。


 前足は軍刀の鍔の上ギリギリの刃へと直撃する。そして腕の各関節を最大限に曲げ前足の衝撃を削ると、そのまま残った衝撃を利用して斜め後方へと跳んだ。

 まるで軽業師の様に空中で回転しながら威力を散らし着地する黒猫。

 黒猫は初撃を避けるばかりでなく同時に距離を稼いだのだ。


『ほう、驚いた。まさか産まれたばかりの子猫がここまでの技術を持っているとは』

「『山椒さんしょうは小粒でもピリリと辛い』と言うことわざがあってな。体は小さくても、中々に侮れないことの例えだ。小さい者には小さい者の戦い方があるという事だよアトス殿。」


 黒猫の前世、日本人は体格が小さく西洋人の様に重たい鎧も、そしてその鎧ごと叩き潰す分厚い剣も持てなかった。

 故に、出来上がった技術が相手の『ごう』を利用する『やわら』。そして小さな力でも相手を斬る事ができる『刀』なのだ。


 しかし聞こえはいいが、黒猫は前世で武術をやったのは小学校の頃のみ。ようするにかじった程度、付け焼き刃だ。

 己の身の小ささを鑑みてここ数日ゴブリン相手に鍛錬を積んできたに過ぎず、その技は『刀術』のアシストがあっても完璧ではないため完全にはダメージは殺せてはいない。


(だが、それで結構。たかが痛みのある程度の事。死なぬなら安いものである。しかし、前足を思い切り斬ったつもりだったのだが、見る限り大してダメージが入っておらぬな)


 そして、黒猫は半歩下がると左腰のホルスターからまるで西部劇の早撃ちの様に素早くマグナムを抜き取り腰の高さでアトスに向って連続で撃ち出す。

 が、亜音速で迫る弾丸をアトスはいとも簡単にそれを全て避けた。猫科特有のしなやかな筋肉はこういった瞬発的な運動こそ本来の性能を発揮する。


『円錐状の何かを飛ばしてくるとはな、それに中々の速さだ』


 アトスの顔にあるは余裕。驚きも失望も何もなく、ただ黒猫の放った弾丸を観察していたのだ。

 だが、黒猫もアトスと全く同じ表情をしている。それは黒猫は最初から避けられる事を見越して撃っていたのだからだ。

 その際にアトスがどの様な反応を見せるかを観察していたのだが…………


(しかし、全く動じておらぬな。あの弾速を、それも連続で避けるのは今の吾輩では逆立ちしても不可能…………だが相手は能力の類を一切使った形跡も無し。底が見えんぞ、これでは……)


 黒猫はそう思いながらも体は既に次の手へと移っていた。

 次の手、それは黒猫の能力の中でも十八番中の十八番『髑髏の灯火』だ。

 慣れた今ではレベリングに伴う魔力量上昇、女体化による燃費向上も手伝いなんと無詠唱で五つ同時に発動できる。


 黒猫の頭上に五つ、まるで雷神の太鼓の様に出現した炎を纏う髑髏はその口を開け火の川を吐き出した。


(相手は素早い。ならば必要なのは弾丸の様な『点』ではなく、広範囲に影響を及ぼす『面』の攻撃だ)


 これもまた黒猫はアトスを殺せるとは到底思っていない。

 ただ、彼がどの様に対処するのかが問題なのだ。その行動によっては弱点となる部分が見えるかもしれない。


 しかし、次にアトスのとった行動は、常に余裕のある表情を作っていた黒猫の口角を僅かに歪めさせた。

 なぜならアトスは迫り来る火の川を相手になんと逃げも隠れもせずにその場に不動のまま受け止めたのだ。

 

『広範囲殲滅には向いているだろうな。低位の魔獣、魔物の者達ならば何かしら効果があったであろう。しかし、この程度で我を害せると思わぬ事だ』


 本来の『髑髏の灯火』は標的とした相手を一瞬で骨まで燃やす業火を発生させる。

 この攻撃は『点』なのだ。まるで槍の突きの様に威力を一点に集中させるため、あの火力を生み出せる。

 だが黒猫が独自に作った『火の川』は命中率を上げるために広範囲に撒き散らす故、その火力は大きく減少する。

 しかし、威力は低いとは言え火は火だ。本来、普通の生物ならこの前のゴブリンの様に全身火傷をおうはずなのだが。アトスは健在。

 毛先すら燃えている様子はなくまるで火の川など無いように涼しげな表情で佇んでいる。


『どうした?これでしまいでか?』


 だとすれば殺すが?。ゆっくりと歩んでくるアトス。黒猫は煙草の火を指の腹で消し潰し、ポケットにしまうと何か覚悟を決めた顔つきでアトスと向き合う。


「……否まだである。使いたくなかったが……まぁ致し方なしだ」

『ふむ?何か隠し玉を持っているのか?』

「まぁな……だが如何せん色々と未調整でな。本当に使いたくなかった」


 黒猫は軍刀を鞘に収め、マグナムをホルスターにしまうと、自由になった右手をかざし、唱える。


「『森の魔女バーバ・ヤガーの吹雪の箒』」


 そして黒猫の右手に現れたのは太い枝に何本もの小枝をただ紐で括っただけの簡素で見窄らしい箒だった。

 

『何を取り出したかと思えばゴミとはな。失望したぞシャルル』


 アトスはわかりやすくガッカリした様子で頭を垂れる。その様子に黒猫は肩を竦め


「見た目に騙されるなよアトス殿。確かに見た目は色々とまぁ……アレだが今の吾輩の魔力で使える技の内では最強格なのだからな」


 不敵に笑うと両手で持ち、箒を構える。


「これは『髑髏の灯火』とは違い周りに大きく影響力を及ぼすが……まぁ、致し方あるまい。いくぞ!アトス!」


 そして満身の力を込めて箒を振るった。それによって生じたものそれは絶大なものだった。

 森の魔女バーバ・ヤガーの本来の箒の使い道は、自分が乗り物として使っている宙を浮かぶ臼を使っている際に地面につく引き摺った跡を消すためのものだ。


 その時に軽く掃く程度の力で大地を凍えさせる吹雪を生む。


 しかし、黒猫は今回それを黒猫が現状で出せる本気・・で振るった。

 アトスを襲ったのは体感にすればマイナス150℃を余裕で超えるであろう猛吹雪だった。


『ぬっ!』


  この島はまだ広葉樹の多くあるが針葉樹も生きていける気候、すなわち温帯、その中でも九州南部などの温暖な部類にはいる。


 人間も含め、生物とはその気候や環境に合わせて進化を繰り返してきた。アトスもそのため暑さ、というのは慣れていると黒猫は考えた。


 そして、それは確かに、この亜熱帯の森の中、目や口内から伝わってくる極寒の外気は完全にアトスの不意を打ち、彼の脳を一瞬混乱させるには十分だった。


『なっ…………!』


「確かに先の『髑髏の灯火』は貴殿の表皮、毛皮に対しては大きな影響はなかっただろうし、この吹雪にも貴殿は耐えるだろう。しかし、その温度差による負荷で貴殿の内蔵及びその他器官は……とも思ったのだが。別に支障はない様だな」


 残念だ。そう言って黒猫は腕輪から貫通力に優れた対物質ライフルを素早く取り出し、撃つ。狙いは眉間、だがアトスは避ける様子もないため的中を黒猫は確信した。


(とったか!)


 だが次の瞬間に状況は一変する。



『ガァァァアアァァァァアァァァァァァアァァァ!!!!』



「なっ!!?」


 アトスが吠えたのだ。そしてその声には魔力が込められており、この時アトスは黒猫との闘いにおいて初めて能力を使った。

 その圧倒的な音圧に黒猫は吹き飛ばし、弾丸はアトスの目の前にポトリと落ちる。


 黒猫は直ぐに立ち上がるが耳をおさえ苦悶の表情を浮かべていた。鼓膜が破れてしまったのだ。


「ぐ…………すさまじい『咆哮』だ。み、耳もやられた、音が何も聞こえん」


 逃げるべきか。その考えが頭をよぎるが不可能だと判断する。

 アトスは既に混乱から立ち直っているからだ。

 だが少し眉間に皺を寄せ黒猫程ではないが苦悶の表情を浮かべている。


『クハハ!!今のは驚いたぞシャルル。まさか、ここまでの技・・・・・・を持っていたとはな』


 そう言ってアトスは首を曲げ、己の後ろを見た。



 そこは一面銀世界。

 地面、木、そこに生息していた黒猫、アトス以外の生物、その全てが凍りついていたのだ。

 まるで絵画の世界。もしくは全てが彫刻と変わった世界でアトスは黒猫を睨む。


『我の森をここまで作り替えるとはな、子猫にしてはやる』


 そこには賞賛があった。しかし、不気味な物を見る目で黒猫を見ていた。

 黒猫は足は震え、耳から血を吹き出し。背中を強打した為呼吸がおぼつかず、しかし顔はやはりいつもの様に笑っていたのだ。


『…………なぜ、笑っている?生存本能が欠如しているのか?』


 アトスは思わず自分の疑問を口にした。しかし、鼓膜の破れた黒猫にはなにを言っているのはわからない。だが、何を言いたいのかは曖昧ながら理解した。


「笑っているのが不思議なのか?…………まぁ確かにな。この様な状況で笑っているのは傍から見れば不思議だろう。だがなアトス殿、吾輩の笑みの理由は別にある」


『なに?』


「吾輩の先の攻撃は貴殿だけを狙った訳では無い。否、本来の目標は貴殿以外の生物だったのだ」



 アトスへそう告げた黒猫。すると黒猫の体が淡く光出したのだ。


『…………ほぅ、進化か!』


「そうだともアトス殿」


 アトスが何を呟いたか予想がついた黒猫はしたり顔で呟いた。


「吾輩は元々、ここ数日で様々な生物を何体も殺してきた。ゆえに上限は近かったという事だ……ぐっがぁ!ガァァァ!!!!」

 

 黒猫の身にまるで内側から肉体が作り替えられる様な激しい痛みが襲い膝を付く。

 だが、黒猫は笑う。不気味な程に笑っている。


「なるほど、これが進化か。作り替えられるごとに魔力が、肉体が回復していく!否、これは強化されているのか?き、興味深い……ぐぁっ!」


 進化は進む。今は女体化している故見た目にそれほど変化は無いがその内部は既にかなり変化を遂げていた。


『……貴様は狂っているのか?進化の痛みは知っている。何度も経験した、故にわかる。だからこそ聞こう、なぜ貴様は笑えるのだ』


「がっあっ…………そ、そうかもしれんな。吾輩も10日程前は不謹慎だ。不真面目だ。そう思っていたが、今この闘いを通じ吾輩の『笑い』の本質を理解し、逆に笑むのを良しとした。………それに良いではないか。否!むしろ笑えぬ人生など、こっちからお断りする!!」


 黒猫がそう言って立ち上がると同時に進化は終えた。

 やはり見た目に変化はない。衣服を着ているため分かりにくいのかもしれない。

 大きく変わった点を上げれば左側の前髪に銀に近い白のメッシュが入った事、二本の尻尾の先が白くなった事だけだろう。


「これが……新たな肉体か。前の体より圧倒的に運動性能が違う。力が込み上がってくる、というやつだ」


 しかし体を見回し満足気な黒猫。アトスはそれを見て冷ややかな口調で黒猫に問う。


『……それで我に勝てるとでも?』

「うむ?無論思っていないが」


 即答だった。アトスに対し、何を当たり前な事を?と言いたそうな目で黒猫は言葉を続ける。


「進化した。そう、ただ進化した程度だ。その程度でこの圧倒的な状況が打破出来る訳が無い。少し考えれば思い至る当然の事であろう」


 進化を遂げたとはいえ圧倒的な差は埋まらない。そんな逆転劇が簡単に事が起きれば世の中苦労しない。


「だが、また闘う事ができるではないか」


 黒猫は軍刀を抜き構えをとる。自らの命を守るため、自ら死地へと再び飛び込む。


「先程は声のみで引っくり返され、虫ケラの如く地べたをはってしまったが、次は持ち堪えてみせよう。さぁ、続きだアトス殿。貴殿を納得させるまで延々と闘おうではないか」


 黒猫は只々笑みをつくる。恐怖と緊張を心の奥底に押し込み傲慢不遜に大胆不敵に圧倒的な強者に対し、ていだけでも余裕があるように見せるために。


 黒猫は『笑う』のだった。

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