第44話 ポルトス② それと、黒猫と本音



 それは、練り蠢く巨大な汚泥の塊だった。


 何処から現れたのか、どの程度の知性を持っているのか、何の為に存在しているのか、生態も分類も、その身を構成する物質も、そもそも生き物であるのかさえも不明。

 ただ、その汚泥は人口密集地、王都や都市部を率先して狙い渡り歩くという恐ろしい習性を持っており、襲われた人々は街ごとの飲み込まれ、汚泥の一部にされていった。


 故に付けられた名は『国喰くにぐらい


 この世の憎悪と悪意を混ぜ固めて作られた煮凝りのような姿をした、生命に対し明確な敵意を向け襲いかかる大災害であった。


「オルタラットに早馬が着いた時には既に隣国、アイタール王国の主要部を滅ぼしエイラット王国へと迫りつつあった。そこから現場へと急行出来たのはポルトスしかいなかったさね」



 国の一大事の報せを受け、ポルトスは一も二もなく刀一本身一つでオルタラットから飛び出した。


 ポルトスただ一人が全力をもって現場に向かえば、まだ国境よりほど近い都市へたどり着く前に接敵が可能であったからだ。


 勿論、『薄明の雫』であるラウロやマウラを筆頭に、この頃には冒険者を引退していたアドリアーナや他のオルタラット冒険者もポルトスの後を追った。


 だが、アドリアーナ達が駆けつけた時には既に全てが終わっていたのだ。


 破壊された国境要塞に、抉れ吹き飛んだ森と山。辺りに散らばる『国喰』のものと思われる大量の黒い液体からは酷い腐臭がし、そこに重傷者の呻き声がそこかしこから聞こえてきて、まさに地獄絵図の様な風景が広がっていた。


 アドリアーナは、ポルトスを探した。


 あの男が誰よりも強い事は、その妻である彼女が誰よりも知っていた。

 だから、死ぬはずがない。いつものように、ケロッとした顔でひょっこりと帰ってくると信じていたし、そう確信していた。


 そして、見つけた。いや、アドリアーナの心情を表すのであれば、見つけてしまったというのが正しいのだろう。


 汚泥に塗れ、苦しんでいるポルトスを。



「生き残った奴が言うには、ポルトスが到着した頃にはすでに守備隊は壊滅状態してて、そこから単騎『国喰』に挑んだらしい。そんな不利な状況下でもポルトスはボロボロになりながら『国喰』をあと一歩まで追い詰めたんさね』


 アドリアーナは苦虫を噛み潰した様に顔を酷く顰める。辛そうに、思い出したくも無いと言いたげに言葉を吐く。


「そして、体を切り刻まれ窮地に追い込まれた『国喰』は瀕死のポルトスの体に潜り込んだんだ。人質としてか、自分よりも強い生物の体を乗っ取る為か…………だが、それは奴にとって最善手だった事は確かだ。ウチらではもうどうしようも無くなったんだからね……………………」


 無論、アドリアーナ達も手を尽くした。汚泥を剥がそうとしたが完全に体内に入り込み不可能に、せめて苦しまないように介錯しようとしたがポルトスの力を手に入れた『国喰』を残存する戦力のみで殺す事など出来るはずがなかった。


 最強となった『国喰』。だが、ポルトスが最後にしてあまりにも永い意地を見せた。


「『国喰』はウチらを殺さなかった。ポルトスが守ってくれたんだ。そして、奴は最後に笑って言ったんだ、すまん、アイツを呼んでくれってさ」


 そして、ポルトスはその場から去った。誰もいない場所、イルイフ高原へと。


「イルイフか………」


 それを改めて聞いたアトスはゆっくりと息を吐く。それもそのはずだ、その場所はアトスとポルトスが決闘をした思い出の場所なのだから。



 『国喰』はイルイフへと移動して以降、その場から動く事はなかった。

 手を上げるのは、イルイフ高原へ侵入した生物のみ。元々土地は痩せて農地に向かず、取れる資源も無い無用の土地であった為、国は砦を築き、『国喰』の動向を監視するに留めた。下手に刺激すれば『国喰』が暴走し、悲劇の再来を招く可能性が高かったからだ。


「アイツは、あの場で50年、今もアンタを待ってるんだ。苦しいだろうに辛いだろうに、意地でも『国喰』をあの場所に繋ぎ止めてるんさね………………」


 だから、アトスがこの街に再び姿を現した事実はアドリアーナにとって正に福音だった。彼女は現在87歳、同年代の友人にお迎えがくる中、ポルトスを置いて一人逝けるものかと、気を張って生きて来た。


 アドリアーナは頭を下げる。


「国喰』への接触はつまり、エイラット王国への反逆行為に等しい。仕留めきれなかったらどうなるか、誰にもわからないからだ…………だからこんな事、アンタ達に頼むのは間違いだってのはわかってる………でも、どうかお願いさね……アイツを楽にしてやってくれ………」




 それは、一人の男を唯一心に愛し続けた老婆の悲痛な願いだった。




 ————————————



 黒猫達は依頼を考えるまでも無く受諾した。たとえ国から追われる者になったとしてもアドリアーナの願いを無下にする選択肢を黒猫は持ち合わせていなかったからだ。


 依頼の内容、報酬、作戦の話を終えた黒猫達は組合長室を出た。そして、ずっと難しい顔をしているアトスを見て、「はぁ」と短くため息を吐くと、彼の胸に裏拳を軽く当てる。


「アトス、少し付き合え」



 ————————————




「ああぁぁあ……………負けたー!」



 40分後、黒猫は悔しさ満点の叫びを上げながら顔を腕で隠し泥だらけの擦り傷まみれ状態で地面に倒れ伏していた。

 場所は闘技場、沈んだ顔のアトスを見かねた黒猫が気分転換と日課も兼ねて試合を申し込んだのだ。


「はっはっは、進化後の肉体も使いこなしていたな!流石シャルルだ」


 アトスは笑顔を作り、息を荒くさせている黒猫に手を差し伸べる。だが、黒猫はアトスをジトッと文句ありげに半目に睨むと、その手を取らず四肢を伸ばし、大の字で寝そべった。



「いつもより早くのされたな……手加減、下手になっておるぞ貴様」


 その言葉に笑顔が凍る。


「……………すまん、少し考え事をしていた」


「であろうな」


「すまない、貴様には落ち込んだ顔をするなと言われたばかりなのに」


「それについては吾輩から謝罪させて欲しい、ポルトス殿の事を知った今、あの様な事を言うべきでは無かったな」


 アトスは親友が化け物に体を乗っ取られて苦しんでいるという悍ましい事実をホテルの時点で知っていた。ならば、あの時の言動でアトスは内心傷ついていたのでは無いかと黒猫はヒヤヒヤしていた。

 だが、それは黒猫の杞憂である。何せアトスはその黒猫の態度に救われていたのだから。


「大丈夫だ、むしろ元気をもらった」


「本当であるか?」


「我は貴様に嘘をつかんさ」


「そうか」


 その言葉を聞き、黒猫はホッと胸を撫で下ろす。そして、目元見られない様に深く帽子を被り、尻尾でポンポンと隣の地面を叩いた。


「立ち話もなんだ、貴様も座れ」


「了解した」


 尻尾の跡がついた場所に座り込み胡座をかくアトス。そして、しばらく、無言のひと時が流れたのち、ポツリと黒猫が少し呟いた。


「貴様、『国喰』の事知っておったのか?」


「いや、知らなかった。我はその頃別大陸に移動していた。その後に、ラジウスに用があって戻ってきたがエイラットは経由しなかった故、情報が入ってこなかったのだ」


 まさか、ポルトスの身にその様な事が起こっていたとは。そう、アトスは天井を見つめながら「はぁ」と溜め息を吐く。



「大切な奴だったのだな、ポルトス殿は」


「ああ、数百年孤独だった我に初めて出来た友だった。死んだ方が救いになるから殺してほしいと頼まれたからといって、そう簡単に切り捨てられるものか」


 真っ当な意見だ。きっと昨夜からアトスはずっと悩み、苦しんできたのだろう。

 黒猫の判断を仰いだのは背中を押してもらう為でもあったと思われる。事情を聞いた黒猫が依頼を断るはずがないと確信した上での行動だったのだ。



 そして、今、黒猫は心穏やかだった。

 おそらく、この世界に降り立ってから一番と言って良いほどに。

 アトスの心に触れて、今までの苦しみも不安も忘れ、ただ胸の中には前世のが沸々と湧き上がっていた。


 だからだろう。黒猫はアトスにならば言って良いと決断した。


「アトス……にもな大切な人がいたんだ」




 瞬間、黒猫の雰囲気が変わった。



 今までアトスやクロエに見せてきた堅い雰囲気はどこにもないまるで、人並みの青年の様な物言いで穏やかに語りだす。


「お前と会う前、あの島に訪れる前は日本って国に住んでたんだ。そこで、恋人と、友達と妹と楽しく暮らしてた」


「なっ!?貴様恋人がいたのか!!」


「そうだよ、意外だった?」


 悪戯っ子みたいな笑みをアトスに向ける黒猫……否、珠希。

 本人は驚かす事を成功した事に喜んでいるようだが、アトスは恋人がいた事実に驚いた訳ではない。

 それは、年齢と発言の内容の差異。アトスは黒猫が未だ生後一ヶ月前後の子猫である事実を知っている。

 たが、目の前の憑き物が取れた様子の黒猫に嘘をついている様子は無い。

 

 アトスは何か事情があるのだろうと、その疑問を黒猫にぶつける事は野暮だとし、胸の内に秘めた。


「まぁ、な。どのような奴だったのだ?」


「日向の様な子だった。物静かで、本が好きで、面倒見が良くて、諦めが悪くて、俺がどんなに拒絶しても寄り添ってくれて、隣に居てくれるだけで心が自然と温まる、そんな女の子だった」


「愛していたのだな」


「当たり前だろ、大好きに決まってんじゃん。まぁ、もう二度と会えないけどさ」



 珠希は悲しげに呟き肩をすくめた後、ヨッと上体を起こしてアトスの目を見る。

 双玉の瞳は若く、真っ直ぐな感情の色が見えた。



「アトス、俺の場合は色々と唐突で、別れの言葉も言えなかった。でも、お前はポルトスさんと会えるんだよ、例えそれがどんな形であってもさ」


「シャルル……」


 珠希は立ち上がると拳を突き出した。先程のアドリアーナを意識しているのだろう。アトスはそれに気づきハッと笑って拳を合わせた。


「だから、思いの丈を全部ぶつけてこい、俺とクロエが全力でバックアップするから」


「……かたじけない」


「気にすんな。…………は貴様の主人であるからな、これくらいの配慮は当然である」

 

 カチリとスイッチが入った様に珠希は黒猫に戻った。そして、握り拳を解くと突き出されたアトスの腕を掴み、立ち上がらせる。



 黒猫は目を伏せスゥっと深呼吸をする。


 アトスには色々と聞きたい事が山ほどある。何せポルトスはシルバと繋がっている可能性があるからだ。

 シャルル、アトス、ポルトス、この三人が繋がている事を見るに、ここまで来て、名前が三銃士の登場人物で固められているのは偶然だとは思えない。

 となれば、シルバはなぜ黒猫にシャルルの名を付けた理由も気になる。あの時はダジャレの一種か何かだと思ったが、その可能性は低そうだ。何か別の理由があったと思うべきだろう。


 疑問が、違和感が、疑心が湧いて湧いて湧き続けるが、アトスの心を乱してはいけないと、全てを飲み込んだ。


「では、行くとするか。決戦は明日。今日は英気を養うとしよう」



 そして、三人は闘技場を後にしたのだった。













































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黒猫転生〜彼の者、黒猫姿で異世界無双〜 渕ノ上 羽芽 @UmemotoAkira

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