第20話 黒猫と森の住人。そして、虎の……
南の森にポツリとあるチューダー式の一軒家に住む老人、シルバはこの日もいつもの様に本を読みながら静かに穏やかに過ごしていた。
彼の持つ本は現代ライトノベル。
この老人、そして黒猫もだがジャンルを問わず読める為ライトノベルにも精通しているのだ。
すると、玄関の方からノック音が鳴った。本にお手製の栞を挟み、毛布を畳むと立ち上がり玄関へと向かう。
「どちらさんかね?」
シルバはロックを外し、そう言いながら扉を開けた。
そして……扉の先にいたのは軍服姿の青年だった。碧と紅のオッドアイに異国情緒漂う美しい顔。
青年は短く刈り上げた黒髪を微風に揺らされながら軍帽を胸に当て老人へお辞儀をする。
「お久しぶりですな御老人」
その青年の様子にシルバは何か合点がいったのか驚いた表情で何度も頷いた。
「あ、あぁ君はシャルルか!いやーまさか今度は男の姿で現れるとは思わなかったぞ」
「驚いてくれたようですな。サプライズは成功ということで」
「うむ、ここ5年で一番じゃった。しかし、今日は何か用があってきたのかね?とりあえず中に……」
悪戯が成功した子供のような笑みを湛えている黒猫にシルバはとりあえず中に入るように促す。
すると黒猫は右手を胸元近くまで上げ
「いえ、それには及びません。吾輩は今日、お別れの挨拶をしに来たのですから」
自分にそこまでしなくて良い、という旨を暗に伝え柔らかく断った。シルバもそれを理解し引き下がる。
「そうか。それにしても、もう別れか……ここ最近では君と話し合いほど楽しかった事は無かったのだがな」
「それは吾輩も、です。貴殿との別れは寂しさすら感じます」
黒猫の言葉はシルバに本心であると感じさせるには十分の感情をはらんでいた。
それもそうだろう黒猫にとってシルバは前世でも合えなかった趣味友なのだから。
「うむ、だが人は別れも真摯に向き合っていかなければならぬ。死別にしろ離別にしろ……何事もな」
「確かにそうでありますな……ですが吾輩は必ずもう一度貴殿に会いに来ますので、その際はよろしくお願いします」
島を出ると言ったばかりなのにまた来るという。
シルバは冗談じゃろ?と言いたくなったが、黒猫は本気の目をしていた。必ず来るつもりなのだ。
もう一度……それが果たして何年後になるか分からないがシルバはその時が来る事を楽しみする。
「そうか、そうじゃのう。次は儂のオススメ本でも纏めておくとするかの」
それは有難い、黒猫は満面の笑みで手袋を外した右手を差し出す。
握手の誘いである。もちろんシルバはそれに応じた。
その皺だらけでゴツゴツの大きな手で黒猫の手を握る。黒猫はその手に老人とは思えない程の力強さを感じた。
これが本気のアトスを捻り伏せる実力者の手かと黒猫は簡単の息を思わず漏らす。
「では、御老人……達者で」
「お主もな…………儂に会いに来るまでに死ぬでないぞ」
「肝に銘じておきます」
シルバの激励を受け黒猫は軍人の様な素晴らしい敬礼をし、森へと戻っていったのだった。
その時、黒猫が消えていった方角の木々の隙間に赤銅色の影がシルバを伺っていた。
「アトスよ…………我らが『王』を頼んだぞ」
影はその声を聞き届けるとゆっくりと頷き、黒猫を追うように森へと消えていく。
そして、この場には何か祈る様に天を仰ぎ見る一人の老人だけが残るのだった。
ーーーーーーーーー
シルバと会った後、黒猫はアトスと合流し北西の森にいた。
そこは黒猫にとっての始まり地。この世界に生まれ落ちた場所だ。
別段そこに思い入れがある訳でもない。ただ、何となくここを離れる前に一度来たかったのだ。
黒猫は静かに手をかざすと『森の家』を発動し扉を出現させる。
そして、黒猫は扉に手を当て、さらに言葉を続けた。
「座標固定、汝の色は緑なり」
その言葉を言い終わると同時に扉はまるで吸い込まれるかのように黒猫の手へと集まっていき、そして扉が跡形も無くると黒猫の手の中には緑色の石が埋め込まれた1本の鍵があった。
黒猫はその鍵を腰のチェーンへと付けると、身を翻しアトスへと歩み寄り、その頬を撫でる。
「待たせてすまんな」
『よい、貴様に付き合う事は何も苦痛ではないのでな』
我を程よくこき使うが良い。アトスはそう言って気持ち良さげに目を閉じる。その一言に黒猫は思わず苦笑を漏らし、ならば、と命令を下す。
「吾輩が七日前に聞いたこの島を出る方法なのだが……いい加減に詳細を教えてくれんかね?」
そう黒猫は、この島を出る方法を知らないのだ。何故ならその時、黒猫は黒族の件で忙しく、アトスに丸投げしていたからである。
アトスの言は、確実に出れる、の一言しか聞いておらず、今の今まで気にもしていなかった。
だが、己の忠臣アトスに全面的に信頼を置いていたゆえの行動だったが、今になって不安になってきたのだ。
数百キロメートルを泳いで渡るなど嫌だぞ、と黒猫は心中焦っていた。
そんな黒猫をそよにアトスは自信満々に獰猛な笑みを浮かべる。
『なんだ、その事か良いだろう。教えてやる』
そして、アトスがおこした次の行動は黒猫の想像の範囲外の事だった。
『────限定解放』
瞬間、アトスの体が大きく鼓動し、その体を中心に木々すら押し倒さんとする暴風が吹き荒れる。
「ぬぅっ!?」
黒猫は浮きそうになる体を慌てて『大地操作』と『植物操作』を併用し大地に固定する。
そして黒軍帽が飛びそうになるのをどうにか押さえつけながら禍々しい黒い霧に覆われたアトスをしかめっ面で見詰めた。
『我、風神の
一言一句、アトスが言葉を紡ぐ度に霧が鼓動し暴風は激しさを増していく。
そして、あまりにも予兆のなく唐突な出来事に混乱していながらも黒猫の思考は的確にアトスの正体を見破った。
古来、中国神話において『四凶』とされる悪神の一柱にして風神ともされる翼を持つ虎。
その名を───────。
「ま、まさか、貴様!」
『そして告ごう、我が種の名を』
そして、呼応する様に黒い霧の中から翼が現れ、さらに凄まじい風が辺りに猛威を振るう。
『───我は窮奇なり』
…………そして、そこにいたのは翼を生やした白銀の虎。体長はおおよそ1.5倍にまで大きくなり尻尾を含めて6メートル。耳は鋭く尖り、
『久しぶりの肉体だ。擬似とはいえ二年ぶりの種族名解放……あぁ、どうだシャルルよ我が肉体は?』
アトスは喜色満面でその巨躯を素早く動かし、黒猫が先程までいた方向を向いた……のだが、こそには誰もいなかった。
かわりにその奥の茂みから聞こえてくる怒気を孕んだ呻き声が聞こえ、次の瞬間その位置から黒猫が飛び出してきた。
「ぬぁぁぁあぁあぁアトス、貴様ぁぁあぁあぁあぁぁぁ!!!!」
怒気をはらんだ叫び声と共に、まるで冥府から蘇った悪鬼の如き形相でズンズンとアトスへ迫る葉っぱと土埃まみれの黒猫。
その様子を見たアトスは思わず黒猫が一歩前進する度に一歩後退してしまう。
「貴様…………事前に何故説明しなかったか説明しろ」
『い、いや?その……アレだ。貴様も好きなサプライズというヤツだ』
「これはサプライズにするべき事ではないわ!この馬鹿者め!サプライズというのはだな、相手を驚かすと同時にささやかな喜びを与える事を言うのだ。相手を吹き飛ばすサプライズだと?舐めておるのか貴様は!」
『ま、まて待つのだシャルルよ……我は悪気があったわけでは無いのだ……すまぬ、だから許してくれぬか』
「あぁん?」
若干ヤンキーな口調になっている黒猫にたじろぐ最悪の獣のはずの窮奇たるアトス。
そして、その結果旅立ち、そして仲間の変身という盛り上がるはずのシーンは、まぁ締まらない事になってしまった。
「ちっ、今回は……まぁよい。だが、2度目はないぞわかったか?」
『う、うむ、わかった……』
宜しい、黒猫はそう言ってこの話を締めくくると、眉間に寄せていた皺を解し、いつもの様に笑を作る。
そしてそのまま猫化すると、アトスのその大きな背中に飛び乗った。
「貴様の案とやらは吾輩を背中に乗せて飛び立つ事であろう。ならば先ほどの事は不問にしてやろう。空の旅とは乙なものだ。正直年甲斐もなくワクワクしておる」
黒猫が猫へと戻ったのは単に体重を減らし、空を飛ぶアトスの負担にならぬように、という気遣いからだ。
もちろん鞍や鐙などはないが、卓越した体幹の持ち主である黒猫には必要の無いものである。
『年甲斐……とは。貴様何歳なのだ』
「む?生後1ヶ月未満であるが?」
『は?……いや、何でもない』
アトスは何か言いたげに背中の黒猫から視線をそらし目の前見る。
そして彼は何か能力を使い風を纏うと勢いよく駆け出し助走をつけると枝葉の隙を縫うように空へと躍り出た。
激しい風の衝撃が襲いかかり、目をぎゅっ、と閉じ身をかがめて耐える黒猫。
そして、それが収まりゆっくりと目を開くと…………そこは雲一つと無い青のどこまでも続いていく秋空だった。
「良い、これが空か………素晴らしい光景であるな」
黒猫はひたすらに感動していた。生前でも体験しえなかった空中散歩。
それも空飛ぶ虎へ跨り、新たな大地へと向かうというファンタジーな現実。黒猫の体は高揚感に包まれる。
「なぁ、アトスよ!もっと高く飛んでくれぬか?島の全体を見渡したい」
『……む、良いぞ。だが、寒いのではないのか?』
「吾輩の服は特別性でな、寒さ暑さは心配ご無用だ」
『そうか、では捕まっているがいい!』
アトスは黒猫の願いに従いほぼ垂直に空高く飛び上がる。
アトスの上昇が収まると黒猫はそして下を見た。
そして見えるのは今まで住んでいた島の全体。
4分の1すら探索できず、なかなか広く思えたあの島はこうして見ればちっぽけに思えてしまう。
そして黒猫の目は、直に行けなかった東側へと行ってしまい
そして見た。
島の東北側。そこには計三重にもなる城壁に囲まれた街があった。
中心には立派な白亜の城がそびえ立っており、国の首都と言っていいほどのスケールである。
片や東南。そこには瓦屋根の一軒家が所狭しとならぶ集落があった。所々で煙突から煙が上がっておりそれが廃墟ではないと示していた。そこには確かな人の営みがある。
黒猫の高揚は益々上がった。
この小さな島にこれだけの世界があったのか。なるほど、シルバが内緒にして直接行ってみよと言うだけある、と。
黒猫は笑う高らかに。そして誓う再び戻りあの街を、あの集落を探索すると。
「さらばだ、我が生まれ故郷よ。そして吾輩は再び帰ってくるぞ!待っておるがよい!」
雲一つと無い秋空に黒猫の高笑いは何処までも響き渡る。
こうして、2匹の猫は小さく不思議な島を飛び出し新たな地へと向かうのだった。
神との約束を果たすため、そして新たな出会いに巡り合うために………………。
第一章『黒猫と森の住人』
完
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