第12話黒猫と決着。そして……

 



 黒猫とアトスが闘い始めて既に数時間がたっていた。

 日はとうに暮れており、『吹雪の箒』で凍らせた木々や大地は完全に解けており葉は枯れ果て、丸裸になった枝先から水滴を滴らせている。


 しかし、彼らは月明かりも入り込まぬ暗闇の森の中でもまだ闘い合っていた。

 明かりという明かりはアトスが前足を振り、黒猫がそれを受け流す時に飛び散る火花、そして葉の隙間から漏れる僅かな月明かりのみ。

 だが、黒猫もアトスもまるで昼間の様に明るく見えている為支障はない。

 いや、むしろ夜行性としての本能からか本調子になったとばかりに2人の攻防のスピードは上がって行った。


 最初はややぎこちなかった黒猫の受け流し及び刀術、身のこなしはここ数時間『ミスをすれば死ぬ』という張り詰めた精神でやってきた為か、今ではまるで流水の如く自然的に、流れる様な動作で繰り出している。

 それはもはや素人とは口が裂けても言えない程の達人的な腕前だ。だが、小手先の技が増えたところでアトスの優勢は揺るがない。


 黒猫は全身から汗を滴らせ、疲労困憊の様子で肩で息をしているにが、対照的にアトスは疲れを感じさせない涼し気な顔のままだ。

 黒猫の限界は近いがアトスはまだまだ余裕が有り余っているのが嫌でもわかる光景だ。

 

(くっ、ここまでか…………否だ!まだやれる)


 戦意は十二分だが、体に力が入らない。アトスの攻撃を受け流してきたが、それも少しずつほころびが生じてきている。


 だいたい、既に黒猫は立つことすら出来ない程肉体の負荷は溜まっており、それを魔力で無理やり活性化させている状態だ。

 しかし、その肝心の魔力も尽きかけている。戦闘中に試行錯誤を重ね、効率化に効率化を繰り返してきたが、それも最早ここまでだ。


(もう、駄目か…………)


 黒猫の脳裏にその言葉がよぎった時。

 アトスは攻撃をやめ、なんと後方へ大きく跳び距離をとった。


「なんだ……怖気づいたか!」


 あくまで滑稽な程余裕たっぷりにみせる黒猫。しかし、アトスは心底真面目な表情で黒猫に静かに語りかける。


『……シャルルよ、我らは長きに渡り語り合った・・・・・。実際、我は貴様に既に奇妙な情を感じる』


 アトスは瞳を閉じ、己の中にある感情を確かめ、そして噛み締めるように呟く。


「っ……はぁはぁ……そうか……そうであるな…………奇遇だな吾輩もである」


 息も絶え絶え。進化を遂げ、増えた体力も魔力も既にその全てを使い切った黒猫は気力で立っている状態だ。

 アトスはその状態の黒猫を賞賛する。自分という絶対的強者を相手にここまで持ち堪えた弱者が今までいただろうか、否である。

 いくら手加減に手加減を加えていたとはいえ、黒猫程度の力の持ち主なら通常は瞬殺できるからだ。


 自分が黒猫の立場なら、相手との相見えた時点で死んでいる。

 例え黒猫の様に不思議な技を持って相手の攻撃をいなし続けられたとしても、その恐怖心から必ず心に罅が入り、そして砕け散るからだ。


 不屈精神に王者の如き気品を持つ小さな黒猫。今はまだか弱いが、その伸び代は凄まじいものを秘めている。


 ならば、認めるしかない…………この者は『王』足り得ると。


『『深林公』として貴様を認めよう。貴様は王に相応しい』


「…………命はとらないと」


『そうだ』


「本当か?」


『疑り深いのはいい事だが、この場では物事を面倒にさせるだけだぞ。良いだろう、我らが偉大な母たる『森』に誓って貴様、否、貴殿・・を認めよう』


 アトスは黒猫に対しこうべを垂れて服従の意思を示す。


『……我が王よ。我は王の牙となり、王の敵を食い散らかそう』


 静寂が辺りを包む。そして黒猫は暫く睨むように見詰めた後。


「……………………そう、か」


 そう力なく呟いた。次の瞬間、黒猫は紐の切れたマリオネットの様に崩れ落ちる。


『……シャルル?』


 アトスは少しばかり動揺するが、吐息の音が聞こえたので死んでいないと判断し歩み寄るのをやめる。


「…………生きてる…………そうか、吾輩は生きているのか…………はは、ははははははははは!!!!」


 黒猫はピクリとも動かない右腕の変わりに左腕を額にあて、笑いながらポロポロと涙を流した。

 感無量、生き延びた喜び。それは前世でも体験した事がない抑えようの無い激しい喜びだった。


「なんだ……なんなのだこの感情は。嬉しくて喜ばしくて涙がでるなんて……うぅぅ…………」


 グジュグジュに顔面を濡らす黒猫。しかし、美人というのは得なもので、本来なら見苦しい表情も美しさすら感じさせた。


『えっと、あー……まぁなんだ。貴殿を追い詰めた張本人としてこう言うのも何だが…………大丈夫か?』


 黒猫の様子に若干の申し訳なさを混じらせ本気で黒猫を心配するアトス。


「だ、大丈夫だ。ヒック、うっ」


 黒猫はどうにか震える左手を動かし胸元から煙草を一本取り出す。そしてそれを咥えると超小型の『髑髏の灯火』を発動し、先に火をつけた。


「スゥゥゥゥゥ…………ハァァァァァ。グスッ、ヒック…………あぁ、やっと落ち着いてきた。…………ヒック」


 喉の痙攣は少し収まっていないが煙草のおかげでかなり気持ちの落ち着いた黒猫。


 そして素に戻った黒猫はアトスに見られていたのか恥ずしいのか、仄かに赤くなった顔をそらす。

 余程恥ずかしかったのたろう。2本の尻尾を激しくブンブン揺らし、崩れ落ちた反動で軍帽がとれて丸見えになった耳を激しくピクピクとさせている。


「グスッ……なんだ物珍しそうに吾輩をジロジロ見おって」


『いや先程の勇ましさと違い、また随分としおらしいと思ってな。素はそれか?』


「違う!ただその、恥ずかしくてな………っだから見るでないわ!」


『すまんすまん、シャルル…………女王陛下?』


「確かに今は、というかここ最近は女の姿が多いが吾輩は基本的に男だ……だいたい貴様・・、全くすまぬと思っておらんだろう!!」


 やめろ!吾輩は見世物ではないのだぞ!。と割と本気の殺気を滲ませてアトスに噛み付く黒猫。

 アトスはそれに対しとても楽しそうにしている。


『ほれシャルル。貴殿はゴブリンの住処へ行く予定だったのだろう?。怪我は無いようだが、体力も魔力ももう無いだろ?ほれ、運んでやる』

「ぬっ、何をするか!」


 アトスは黒猫に近づき襟を噛むとそのまま首をスイングさせ、宙へと放ると落下してきたところを背中で受け止める。


「がっ!」

『痛かったか?すまんな、力加減というのは難しいものだ…………』

「貴様……グフッ」


 アトスはついでに軍帽も、と口に咥え背中の黒猫に投げる。怒鳴ろうと口を開けたところに顔面へと軍帽が降ってきたのだ。黒猫の怒りのボルテージは限界突破する。


「────スマンで済むかぁ!」


 怒っている黒猫に笑っているアトス。先程の殺伐とした空気はどこへ行ったのやら。彼らはまるで旧友の様にじゃれ合うのだった。

 

 ーーーーーー


 決闘から数分がたち、黒猫はアトスの背中で力なく寝そべっておりゆらゆらと揺らされている。アトスの歩みはゆっくりとしたものだ。恐らく黒猫の身を案じての行動なのだろう。

 黒猫はただ運ばれているだけという状況に居心地の悪さを感じたのかアトスに問いかけた。


「なぁアトスよ、貴様がそこまで執着する『王』とはなんだ?それに貴様の言っていた『深林公』とはなんなのだ」


 それは闘う前に気になっていた事。自分がアトスに襲われた根本的な理由で、生かされた最大の理由だ。

 黒猫にとって『森の王』は生まれた頃からある能力の一つとしか認識していなかった。だが今回の件ではその認識が根底から覆されたのだ。『森の王』の事を気にならない訳が無かった。


 すると、アトスはその問いに対して


『…………一つ聞くがシャルル。貴殿はどれ程『王』の事を知っている?』


 そう問い返した。黒猫は『問いを問いで返すな』と言いたくなったが、ここで話が拗らせるのもアレと思いぐっと堪える。

 そして黒猫は『能力閲覧』で確認した『森の王』の説明文を思い出し、アトスに告げる。


「……確かだな、『大地に認められし森の王者にして唯一無二の覇道を行く者』……としか知らんな。主力となりえる能力は今のところ一つ、名は『暗き森ミュルクヴィズ』……あまりにも使用魔力が多すぎて使えないため、試せていない」

『要するに自分の力をあまり理解していないという事か?』

「…………そういう事だ」


 貴様、痛いところを突くな。黒猫は不貞腐ふてくされたように頬を小さく膨らませ額をグリグリとアトスの背中を擦り付ける。

 どうやら張り詰めていた緊張の糸を解いた反動で少々幼児退行しているようだ。


「……そういう貴様はどうなのだ?ほら、早く教えろ」


 そう言いながら黒猫は自分の軍帽を掴み腕を伸ばしてアトスの頭にかぶせる。どこぞの有名猫駅長のパクリが完成した。


『そう急かすな……まぁ我も知っている事といえば少ない。というのも我は五年前に名を与えたらた時に森に認められ『深林公』となったばかりなのだ。……そしてつい先日天啓が降りてきた、『王を導き、王に仕え、王を守れ』との声と『王』の気配い、匂いを知った。故にそれほど多くは知らぬ』


「貴様、何で『守れ』と言われたのに襲ってくる」


 理解に苦しみ頭痛がしているのか黒猫は頭を抱え、低く獣のような唸り声をあげる。

 その声に焦ったのかアトスは言い訳がましく言葉を募らせる。


『いや、そのだな、見た事も中身も知れぬ者を崇めるというのは些か抵抗を覚えてな、ならばその『王』とやらを試そうとしたのだ、本当は殺すつもりは無かったぞ?』


「嘘をつくな、確かに手加減を加えられていたが、あの時貴様は鼠をいたぶる猫の気分であったろうが」


 先の闘いを思い出したのか身震いしだす黒猫。


 あの時は色々と気分が上がって楽しくすらなっていたが、冷静になった今ではかなりのトラウマと化しているようだ。


『…………そういうシャルルも楽しんでいたろうに』


「それとこれとは別である。もう二度と経験したくない……だが、まぁ今回の事は経験して良かったとも思っているのは認めよう」


 それもまた黒猫の本音の一つだった。

 現実の厳しさ、そしてこの世界の理、弱者と強者の差を五体満足で実感できた。

 これは、ある種の幸運とも言っていいだろう。人間は口頭で言い聞かせるだけよりも、己自身が体験させた方が身に染みるのだ。

 黒猫がそんな事を思っていると、ふと疑問が舞い降りた。そう、それはアトスの名に関する事だ。


「……そういえば貴様。名を与えられたと言ったな。誰にだ?」

『ふむ?なんだその事か。我に名を与えたのは『シルバ』殿だ』

「シルバ殿だと?」

『うむ、五年前に我の縄張りに侵入してきた故、殺しにかかったのだ。そして手も足も出せずにコテンパンにやられてな、それから何度も挑んでおったらいつの間にやら友となり名を貰えた訳だ。貴様からも匂うぞ、あの何とも言えぬ匂いが微かにしておる」


 ガッハッハッ!と笑うアトス。黒猫は驚いたが同時に納得した。シルバが名付け親なら『アトス』『シャルル』というダルタニャン物語の関連性もわかるからだ。


 ちなみにシルバの匂いはコーヒーと古本を程よくブレンドした匂いらしい。

 黒猫は甘ったるく無いサッパリとした花の匂いだとアトスは言うが、それは多分それは煙草の匂いだ。真実とはいつも夢の無いものある。


(しかし、アトスを手も足も出させずに倒した?どれほど強いのだシルバ殿は………)


 あの老人と仲良くなってよかったと遠い目をしながらしみじみと思う黒猫。

 世の中には知らぬうちに最善の選択をしている事が時たまにある事を黒猫は知ったのだった。



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