第10話 黒猫と魔獣
黒猫がシルバの家を出た丁度その頃、森の中で眠りから目を覚ました者がいた。
尾を合わせると全長5mは行きそうな巨体に背は赤銅色に黒の縦縞模様、腹と顎付近は白の毛並みの猫科の魔獣。
そう、それはまさに黒猫の前世でいう虎に近い見た目だった。
魔獣は立ち上がると猫科特有の背伸びを行う。
これから行動を始めるために全身の筋肉をほぐしているのだ。
すると突然魔獣が顔を上げた。その顔には驚きと彩られている。
魔獣はスンスン、と鼻を鳴らす。そして魔獣は縄張りの中に自分達とは関係ない獣の匂いを感じ取ると、徐々に顔を歪ませ敵対心を
そしてそのままその匂いの方角へ駆け出した。木々の乱雑した森の中であっても魔獣は自動車並みのスピードを維持したまま風の如き勢いで走り抜ける。
その知性溢れる力強い瞳に、本気の殺意を滾らせて。
ーーーーーーーーー
「むっ!?」
ほぼ同時刻、黒猫もまた異変を感じ取った。
黒猫は軍帽をとると、その猫耳をピクピクさせながら音に集中する。
聞こえてきたのは風を切る音、激しく揺れる草木の音、そして獣の呼吸音だ。
そして、それはこちらへと真っ直ぐに。それも、かなりのスピードで向かってくる。
明らかに自分の存在を認識している。黒猫は本能的にそう感じ取った。
発見された理由は恐らく匂いか音、ならば隠れるのは愚策。
されど逃げるのも相手の速度を考えて不可能だろう。
そう考えた黒猫は胸ポケットから煙草を1本取り出すと火をつけ咥える。
そして、なんと逃げも隠れもせずにその場で仁王立ちになった。黒猫は接近者を迎え撃つつもりなのだ。
もちろん驕りや傲慢ではない。黒猫は先程の音で大まかな
どれだけ低く見積もっても、どれだけ足掻いたって勝てない相手だ。だが、黒猫の目的は生き延びることなのだ。ならば幾らかやりようがあると考えた。
煙草で己の緊張を打ち消し無理やり思考を冷静にさせ、その時を待つ。
そして、十秒も経たずに『獣』は来た。
虎に似た魔獣はジロリと黒猫の全身を見回すかのようにを一瞥するとフンと鼻を鳴らし、殺意を軽く抑えた。
『何かと思えばまだ生まれて間もなき子猫であるか。ならば縄張りに迷い込んでしまうのもまた道理というものか、だが、この匂いは…………』
(…………喋ったか)
それは驚き。確かに黒猫は『動物言語』を使っているうえ、シルバからこの辺りに住む魔獣は賢く強いとは聞いていた。
そして、この魔獣は黒猫の事を『子猫』と言った。そこに比喩的意味は込められていない。とするならば本当の姿を見破られているという事だろう。
強靭な肉体のみならず、高い知性と観察眼をもっている。ただの畜生ならやりようが幾らかあったのだが、これは厄介に他ならない。
だが、言葉がわかると言う事は黒猫にとって言葉を返せるという意味でもあり、つまり話し合いができる。
暗闇の中で少しばかり見えた生存への光に多少昂った気持ち。それを直ぐに理性で押さえ付けると、黒猫は魔獣に対し優雅に挨拶をする。
「初めまして、吾輩の名は………シャルルだ。吾輩は貴殿はここを縄張りとする獣の長とお見受けした。吾輩は貴殿の縄張りの中で暮らしているゴブリン達に用があって参った次第であり、この場を荒らす気は毛頭ありませぬ。どうか、その牙を、爪を収めて頂けませんかな?」
すると、黒猫の態度に魔獣は何か感心したように、そして納得した表情になる。
『ほう、
「王だと?」
黒猫は内心で首を傾げる。それはそうだろう。黒猫は別に領民も領土も持っていない。
黒猫は生まれは自然発生した魔物だ。実は高貴な血筋でした、という事には絶対に有り得ない。故に黒猫にとって心当たりはたった一つ。
「関係あるかわからんが、確かに吾輩の能力に『森の王』というものがあるのは確かであるな」
『『森の王』だと?…………そうか、貴様がか』
魔獣は考え込むためか、目を瞑りそして直ぐに開ける。
『ならばシャルルよ。我と闘い、我を認めさせてみよ。できぬなら貴様は『王』などではなく只の肉塊だ。一切の躊躇いもなく貴様をただ獲物として殺す、そして我が血肉となれ』
「なっ…………貴殿の意図が吾輩にとってあまりにも不鮮明だ…………たが貴殿の様子を見る限り闘わぬ以外の選択は無し、か」
『然り。ただの赤子ならば見逃しただろう。ただの獣ならば話しかける前に八つ裂きにしていただろう。だが貴様が『王』ならば別だ。我は、『深林公』として貴様を試さなければならない。そして貴様が『王』足り得ぬのならば殺す』
どうやら、この魔獣にとって、『森の王』とはそれ程までのものらしい。
「神よ、全く貴殿はとても素敵な能力をくれた。感謝の極みだ」
黒猫はニヒルな笑みを浮かべ皮肉気に呟く。
そして直ぐに気持ちを切り替え、真剣な面持ちになると腰の軍刀を引き抜き、その剣先を魔獣へ向ける。
「ならば、認めさせるのみ。それが吾輩の唯一の生存への道ならばな。…………やれやれ先程までは楽しくお茶を飲んでいたのだがなぁ。だが、致し方あるまい」
『覚悟は決まったか』
「無論だ。しかし、この闘いは形式としては決闘に近いかもしれんな。ならば再度名乗らせてもらおうか。我が名はシャルル!」
『貴様を試させてもおう。我は『深林公』アトス』
「アトス殿であるか。これは出会うべくして出会うという運命的な何かなのだろうな…………ではアトス殿、推して参る!」
『さて、シャルルよ!かかってくるがよい!』
二匹の獣、シャルルとアトスは紅い空の下、森の何処かで衝突し合う。
こうして黒猫にとって理由の不鮮明な闘いが始まったのだった。
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