第9話 老人と黒猫と名前




「…………そうか、なるほどのう。君の事情はわかった。詰まる所、君はあの世界の神を名乗る者に記憶を保持されたまま転生された。そして連れ去られた者達を地球へ連れ戻すのが使命だというわけじゃな」


「使命…………とはまた違いますな。なにせ吾輩は願われ、そして頼まれただけの事。そこに強制力は無く、吾輩は吾輩の意思で動いているだけです」


 つい先程互いが『同郷』の者だったと知った彼等。

 黒猫は最初は誤魔化そうか、という考えが頭を一瞬過よぎったが、あまりにも自分の態度が露骨だった事を思い出し観念して身の上話を始めたのだ。


 シルバはそれ黙って聞いていた。戯言や、狂言だと言って馬鹿にはしなかった。彼自身が昔に事故に遭い、天に召され、そして転生した事があったからだ。


 その経験上この世界の神を名乗る者がクズで碌でなしな事を知っている。


 連れ去られた同郷の者達を助けるという黒猫の転生理由はシルバの中では何ら不自然ではなかったが、シルバは少し体勢を前屈みにして、黒猫へと何か確認するかの様にある質問をする。


「一つ失礼な事を聞くが質問させくれ、…………君は本当に己の意思の元で行動しているのかね?」


 その声と表情に、黒猫は僅かに警戒の色を読み取る。シルバは黒猫が神に操られている可能性を考えているのかもしれない。


 それに対し、『彼はそんな奴ではない』と声を荒げようとするが、だが直ぐにそれでは逆効果だと思い止まる。

 そして、黒猫は特技の一つである気持ちの切り替えをし、余裕を持った態度でシルバの質問に答えた。


「ええ、それは絶対に。それに、かの神からの『頼み』は吾輩にとっても都合が良かったのです。何せ行き先は地形や文化どころか世界の法則すら違う異世界。その中で一番最初にやるべき『目標』ができた故、こうして道に迷わず生きていけるのです」


「ほう…………」


 シルバは黒猫と目線を合わせ顔中の皺を寄せてジッと見つめた。

 まるで何かを探さぐっているかの様な視線に緊張のためか、黒猫の背中が汗で濡れる。

 無言の圧力が続き、そして10秒ほど経った時、シルバの表情がふと和らぎ、黒猫に頭を下げた。


「そうか………………嘘はついていないようじゃな。そして、確かに催眠魔術の気配も感じない、すまぬ疑って悪かったの。………………ふむ、ということは地球の管理者はあのクソ野郎とは別個体なのじゃな……」


 頭をあげる際にシルバのボソリと呟いた言葉。

 ただの人間、もしくは難聴系主人公ならば聞こえていないだろうその言葉は、残念ながら文字通り猫並みの聴覚を持つ黒猫にはハッキリと聞こえていた。


 あの好々爺然としたシルバがクソ野郎と言う。どうやらシルバはこの世界の神によっぽど腹を立てているらしい。

 表情は全く変わらず微笑を浮かべたままなのだが、その呟き声に黒猫が身震いしかねない程の殺気と怒気をはらんでいたからだ。


「いえ、もう気にしておりませんゆえ、大丈夫です。……むしろその事より貴殿がこの世界でその書籍を持っているのかが吾輩からして見れば興味惹かれる事なのですが」


 黒猫はさっさと話を変えるためには動く。このままシルバにとっての不快な話題をいつまで続けていても良い事など無いと考えたからだ。

 何よりも黒猫の精神が磨り減ったのも、この行動の最大の要因とも言えよう。

 もしくは移り気な猫としての本能も混じっているのかもしれないが、これについては何も確証がないので憶測の域をでない。


「あぁ、それは儂がこの世に生まれた際にあのク……もといこの世界の管理者が儂に授けた能力じゃ。君も持っているのではないか?」


「えぇ、確かに幾つか……」

「ほう、複数とはなるほど、確かに別の者の可能性が高くなったのう。あやつは転生者、もしくは転移者には必ず一つしか能力を渡さなかった。無闇矢鱈に強化した後に反旗を翻されるのを恐れたのじゃよ」


 まぁ、それだけ後ろめたい事をしているという証拠じゃ。シルバはそう言うと、掌を上にした状態で右腕を肩ほどの高さまで上げる。


「前振りはこの位にして君の問いについて答えよう。儂の能力は『物質召喚』という。その名の通り儂が望んだものを何処から別の次元から呼びたすという能力じゃ。…………例えばこの様にな」


 するとシルバの手に光や音が発生するなどの前振りも無く、突如とし島崎藤村の『破戒』が現れた。


「なっ!?」

「……これが『吾輩は猫である』を持っている理由じゃよ。儂の記憶にある空想の物以外ならほぼ呼び出せる。この家も、家具も、そして日々の嗜好品や食料に至るまで全て儂が呼び出したておるのじゃ」


 シルバは驚いている黒猫に『破戒』を渡す。そして黒猫はページを捲った。そこには確かにちゃんと中身のある本だった。


「魔力の消費は召喚物の大きさや物の内包する魔力によって変わる。本程度の大きさ、さらに魔力など無い物なぞ、儂の魔力であれば一日中召喚したところで魔力は尽きんよ」

「てなるほど、理解しました。しかし素晴らしい能力ですな、吾輩もそれがあれば好きなだけ前世の本が読めるのですが……」


 黒猫は素直に羨ましそうな表情で手元の『吾輩も猫である』の表紙を見つめた。というのも黒猫の小さな頃から趣味が読書だったからである。


 この世界に来て本を読む事は半ば諦めていたが目の前には悠々自適な読書ライフを送っている人間がいる。これが羨ましくない訳が無かった。


「むっ、君もかなりの読書家なのかの?」

「ええ、吾輩も前世ではよく本を嗜んでおりました。それこそジャンルを問わず様々な物を」

「…………ほう、どれほどじゃ?」

「…………むっ」


 瞬間、シルバは眉尻を上げ品定めする様に。そして黒猫は瞳を縦に細くし真剣な面持ちになる。


 どうやらシルバは真の本好きとして、黒猫が生半可な気持ちで『趣味は読書です』と言っていないか試すようだ。趣味人としての面がその様な半端者を許さない。

 そして、黒猫もそれを分かっていて迎え撃つつもりなのだ。


 攻撃はシルバ、防衛黒猫。本好きとしての決闘が始まる。


それは、著者の名前を言い、これに対し作品名を答えるという簡単な質問合戦だった。

 ………………こうして、妙なやりと取りが暫く続いた。確かめ合っているのだ互いの本に対する知識量を。詰まる所最初に言葉が詰まった者の負け。


 だが、両者は一歩も引かずQ&Aを延々と繰り返した。その内容は多岐にわたった。教科書に載るレベルのメジャーな作者から、古本屋の隅に埋もれてる知る人ぞ知るマイナーな名作まで、そして両者は暫く経った時に、何か噛み締める様に目と口を閉ざす。



 そして数秒の無言の間が入り…………彼等は動き出した。



「「同志よ!」」


 彼等は満面の笑みで右手で握手し、左手で相手の肩を優しく叩く。まるで親友に再開したかの如き仕草だ。


「いや中々じゃった!全てを答えるとはな!」


「いえいえ、貴殿こそ素晴らしいです。まさか日本文豪からSF、哲学にいったと思いきや、聖書、神話に入りまさか現代ラノベまで行くとは…………」


「いや、それら全てを答えられた貴殿こそじゃ!まさかイラストレーターまで答えるとは思わなんかったぞ」


 いやいやと謙遜の横行。互いが互いを認め合った故の発言だ。

 こうして話は本来の道筋を外れ、あらぬ方向に向かっていく。だが、それも良いのかもしれない。なぜなら本人達はそれを楽しんでいるのだから。


 ーーーーーーーーー


「いや!確かにあれは傑作でしたな!」

「確かにのう。あの作品をラストは驚きの一言じゃったのう。まさか山小屋の彼が……」


 あれから2時間後。2人はまだ語り合っていた。

 やはり両者かなり渋めの趣味である。人が人なら理解できない域に達していると言っても過言ではない。

 黒猫も前世では比較的田舎の方に住んでいた為、周りに同じ趣味の人間というのがいなかった。


 だが、目の前には同じ趣味を持つ『同志』がいる。

 まるで日頃の鬱憤を晴らすかの如く趣味について語り合う2人。


 一人の有名文豪の名を出せばそこから派生し、そして派生し、連鎖が始まるの止まることは無かった。

 そして、暫く経った時。ふと黒猫が正気に戻った。窓を見てみれば空の端が仄かに赤くなっている。


「あぁ…………しかし、かなり脱線しましたな」

「そうじゃな」

「ええ、しかしどこから趣味の話になったのやら………」

「うむ、実は儂も覚えておらん」


 苦笑し合う2人。どうやら時間を忘れるほど白熱していたようだ。黒猫は隣に畳み置いていたコートを持ち、軍帽を被ると立ち上がる。


「すみませんな、どうやら長居しすぎたようで。これからクグロの元へ行かねばならんので、これにて失敬させて頂きます」

「いやいや、儂も楽しかった。黒猫さんは…………む?あぁ……そういえば君は名前がないんじゃったのう」

「えぇ、自分に名前を付ける、というのは……何とも気恥ずかしく躊躇うので」


 それに名無しの権兵衛にも慣れましたからな。と肩を竦める黒猫。すると、シルバが意外な事を言った。


「そうか、ならば儂に君の名を付けさせては貰えぬかの」

「ほう?」


 黒猫は目を丸くする。確かにいつか名前が必要になる時が必ず来るとは思っていたのだが、まさかこんなに早く訪れるとは思っていなかったからだ。


「え、えぇ、むしろお願いできますかな。貴殿ならまともな名前をつけてくれるはずですし。しかし、何故名前を?」


 黒猫の質問はもっともだ

 仮に目の前に無名の人間(猫だが)が居たとしよう。だが、無名だからと言って犬猫の様に(猫だが)安易に名前をつけるだろうというか?

 そんな素直な疑問からの質問だった。


「まぁ、何じゃ。閃くものがあっての。君にも絶対に似合う名じゃ」


 シルバはその疑問に対し自信満々な笑みで答えた。どうやらかなり、その名前に自信があるようだ。


「では、言わせてもらおうかの。君の新しき名、その名は『シャルル』じゃ」

「シャ、ルル?」


 何だろうか。そう思ったその時、あるものが黒猫の瞬間ある思いが過ぎった。それは『シャルル』。その名前を黒猫は昔に読んだ事があったという事実。

 その事に何の本だったか思い出す為に黒猫は顎に手を当て考え込む。彼は一度見た本の登場者はほぼ覚えているのだ。


「シャルル?誰だ……シャルル、シャルル、シャル……シャ…………はっ!……ぷっ、くはははは!いや、なるほど!そういう事か!!」


 黒猫は直ぐにシャルルが何か分かった。


 そして、その名前を付けようとするシルバのセンス満載で茶目っ気溢れる考えに笑いが混みがってきた。


「わかったようじゃな」


 理解してもらい少し嬉しそうなシルバ。それに黒猫シャルルは大きく笑いながら答えた。


「ええ!まさか『ダルタニアン』。いや『ダンタニャン』とは!良い、良いですな、とても気に入りました」


 そう、なぜシルバが『シャルル』という名前にしたのか。それに深い意味など無いと、黒猫は考えた。猫だから『ニャン』、という安直なただの駄洒落だと思ったのだ。


 そんな変な理由から来る名前だとしても黒猫は心底嬉しそうだ。何度も何度も己の名となる名前を反芻するかの如く繰り返している。


「シャルル……シャルルか、良い名ですな、あぁ良い名だ。確かに良い名だ。女体時はシャルロットかシャルロッテとでも名乗りますかな?…………シルバ殿、ありがとうございます」

「よいよいまさかここまで気に入って貰えるとはのう。名付けた甲斐があったわい」


 そして、再び硬い握手を握り合う2人。そこには、何か友情並、もしくはそれ以上の『何か』があった。

 こうして、黒猫はシルバの元を去る。その帰り際、シルバが地図と図鑑の他に大量の『書物』を召喚し黒猫に譲ってくれた。

 これにホクホク顔になった黒猫は腕輪からトランクケースを取り出し、全て収納する。


 どうやらこの腕輪、トランク内の物以外にも、トランク本体も登録できる様でこうして黒猫はその機能を有効活用しているようだ。


「それでは暇ができましたら、またお伺いさせて頂きます」

「うむ、いつでも来るが良い」


 こうして別れの挨拶を済ませ、黒猫は事前に教えてもらったクグロの集落があるという方向へと向かい進み始めたのだった。






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