第29話 黒猫と森の民




 それは凡そ2時間ほど前に遡る。


 オルタラットの港に海賊船を止め、アトスの背中に腰掛けて新大陸の大地へと降り立った黒猫だったのだが、そんな黒猫を待っていたのは、片膝をつき平伏の姿勢をとるクロエだった。


 その姿はさながら王に忠誠を誓う臣下。礼服でも鎧でもなく、ただの何処にでもある様な外套だというのに、様になっており。

 それは、一種の『慣れ』を他者に感じさせる程のものだった。


 しかし、それはそれ。黒猫からして見ればクロエが自分に平伏する意図が不明な為、思わず首を傾げ、問いかける。


「何をしておるのだ。クロエ殿」


「…………はっ、我等が王よ。王の臣民として敬意を欠いてはいけないと思い、こうして片膝をつき、お待ちしておりました」


 ……えっ何言ってんのこいつ。


 黒猫の脳内は激しい混乱に襲われたが、それも一瞬の事。慣れたように懐から煙草を取り出し、咥えて火をつけ煙を肺に入れる。


 そうして落ち着いた黒猫は、煙を一息吐くと、引っかかりを覚えた単語の意味を聞くために口を開いた。


「…………ほう、それは結構。ただ質問がある。君の言う我等が王とはなんだ?我等とは誰を指している」


「……我等は、この国の友好国である多民族国家。ラジウス森林連邦の民達の事でございます」


「ラジウス森林連邦。ふむ……あぁ、思い出しだぞ、アレか」


 ラジウスの名を聞き、黒猫はシルバから頂いた地図に載っていた事を思い出した。


(ふむ。たしかエイラットより北北西に存在し、国土の6割が山脈、残りの4割の平地はほぼ森に覆われているという自然豊かな国家群だったはずだ……が)


「なぜ、そのラジウスの民らが吾輩の臣民となる。吾輩は流離の身。吾輩を知る者は、この大陸には1人として居らぬはずだ」


 黒猫の最もな意見。クロエはこの言葉に同意する様にゆっくりと頷き返事をする。


「はい。ですが、『森の民』である我々には分かるのです」


『森の民』。この単語を聞いた黒猫は、興味深そうにピクリと眉を動かした。


「ほう、君は今、ラジウスの民の事を『森の民』と呼んだな?」


「はい」


「そうか、ラジウスについて興味が湧いた。……アトス!ラジウスについて詳細を吾輩に聞かせてくれ」


『む?……なぜ我なのだ?』


「吾輩が欲しいのは主観的な目ではなく、客観的な目だ。それに、周りが騒がしい。詳しい事は後で聞く故、今は掻い摘んで頼む」


『…………承知した。そうだな、簡単に纏めると、この大陸の約8分の1を占める領土を持つ亜人による多民族国家というのが大まかに説明できる所だろうか?』


 亜人。その言葉を聞いた黒猫の耳と尻尾がピンッと逆立った。


 宝玉の如き瞳には興味の色が滲み出ており、それは黒猫にとってアトスの返答が黒猫の大好物の話題だったという事を物語っていた。


「…………ほう、亜人の国とな」


『そうだ。森精種エルフ山精種ドワーフ獣人種ワー・ビーストの三種族が外来の敵に対抗するために組んだ同盟。森山三州同盟と呼ばれるものが、ラジウス森山連邦の元型……らしい』


「……姿形が違う者同士が共存していると言うのか?」


 そして、黒猫はアトスの言葉に、素直に驚きの表情を浮かべた。


『ああ、今では三種族以外にも様々な亜人種が連邦に加盟していると聞く。元々は文化、思想が違う者同士が互いに理解し合い、手を取り助け合い生きている国は、世界中何処を探しても他にないだろう』


「ほう……………………そうか。いや、素晴らしきかなラジウス森山連邦。亜人の国か、いいぞ気に入った。さぞ険しき道を辿って来たのだろうな、かの国は」


 黒猫はアトスの背中から降りると頭を垂れるクロエへと近づいた。


「ラジウス森林連邦。吾輩は君の祖国に俄然興味が湧いたぞクロエよ」


「はい、嬉しい限りであります。我等が王よ」


「そして、だ。吾輩はどうしても確かめなければならぬ事がある。それは、君の事だ。君は何らかの能力を使い素顔を隠しているな。そのフードを下ろし、吾輩に素顔を晒して見せよ」


「はい」


 拒否する理由は無かった。クロエは言われた通りに、フードを下ろし……そして、その透き通る様な白い肌を、絹の如く煌めく髪を、木の葉状に尖った耳を黒猫へとさらけ出した。


「───!」


 それを目にした黒猫は口元を手で覆った。だが、それは忌避感からでも、驚きからでも、ましてや見惚れてしまったからでもなかった。


 そこにあるのは純然たる狂喜。その手は、嬉しさのあまりに酷く釣り上がってしまっている口角を隠すためのものであった。


「…………クッ……クックッククックック。クックッククックック」


 だが、その狂喜は黒猫でもさえも抑えの効かぬ程のものだった。

 エルフ、それは黒猫が本の中でのみ知っていた元の実在しない生命。だがこの世界に存在し、こうして会話をしているという事実が、黒猫の心を大きく揺さぶった。


 そして、口を抑えるのを辞めた黒猫は両手で顔を覆い、しばらく堪えるように笑った後、両手を広げ天を仰いで叫んだ。


「何と素晴らしき事か!これこそ王道!これこそ正道!!コイツはたまらぬ!心躍る!好きだ!素敵だ!大好きだ!!ハッーハッハッハハハハハ!!!!」


 そう言って暫く高らかと笑い続けたのち、黒猫は煙草を加えて落ち着くとアトスに首を回し視線を向ける。


「スー……ハァ…………。すまんな、少し、はしゃいでしまった。アトス、大きな方針が決まったぞ!次はラジウス森林連邦に向かう」


 高校生たちを探すにしても、虱潰しに各地を黒猫が飛び回っても効率は悪い、ならば、己を『王』と呼ぶ『森の民』ならば協力を仰げるかもしれない。この出会いはきっと運命だと、そう感じた黒猫は次の目的地をラジウス森林連邦に決めた。


『承知した』


「うむ。そしてクロエよ、君はこれからどうするのだね」


「元々、わたしの旅の目的は王を見つける事にありました。王について行きたいと、わたしは思っております」


「よろしい。ならばラジウスまで案内をするが良い。吾輩は君を歓迎する。さて、今は会長殿の元へと行くとするか」


 黒猫はそう言うと、トランクからコートを取り出し肩にかけると煙草片手にアニノス商会の元へと歩き出す。人の姿に変化したアトスとクロエと共に。


 こうして黒猫は新しい従者を迎えたのだった。

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