第37話 アトスと旧友



 アトス視点





「どうした、何か言うべき事があるんじゃないかい?」




 ………………正直に言えば、この都市に来た時からこうなる予感はあった。我、窮奇アトスが冒険者としてこのオルタラットで生活していた時の数少ない友と呼べる人間、アドリアーナ・アキツシマが我々の元に押しかけてくる予感が。


 いや、予感と言うには少し違う。確かに港湾都市オルタラットは、我が五年間を過ごした島から一番近隣にあった大都市だ。この辺りの海域を航海していた船を助けた場合、この都市を訪れる事になるのは必然だった。


 アドリアーナとの接触を回避するだけなら、いくらでもやり様はあったのだ。我が翼であればこの世界の何処へたりとでも行ける。エイラット近海を飛ばず、『森の民』らの住まうラジウス森林連邦へ飛ぶ事もできたのだ。だが、我から動く事はせず、シャルルの気の向くままに共に行動した。


 だから、心の奥底で願っていたのだろう。生きているのかどうかさえ知らなかった旧友と再び相まみえる事を。


「ああ、久しいな、アドリアーナ」


「ふん、久しいな、じゃないさね。アンタがウチらの前からいなくなってから六十年だ、六十年。ウチはもう皺くちゃのババアだよ」


 やれやれ、と手を振り肩を竦めたアドリアーナは、シングルソファにドカリと座り込み、長い脚を組んで背もたれに腕を回す。昔から変わらない、彼女が椅子に座る時のいつもの姿勢だ。


「それに、その姿は何さ。ウチには、クロエがオッドアイの美人さんと爺を連れて来たって情報が入って来たが、昔のままじゃないか」


「我は魔物だ。人間体の年齢など簡単に変えられる。それに、この姿の方が分かりやすかっただろ?」


「ふん、ウチには当て付けにしか感じないがね」


 確かに、彼女はこの六十年で老いてしまっていた。深く刻まれた皺もそうだが、声はしわがれ、手足は枝の様に細くなっている、もう冒険者として戦い抜いていた昔の様には動けないのだろう。だが、同時になに一つ変らない事もある。


「アドリアーナ、貴様は今も昔も変わらんさ、その豪胆な性格も、若々しく輝く瞳も、身に纏う覇気も、何もかも昔のままだ」


「だといいがね」


 懐かしさ、哀愁、昔の我であれば感じなかったはずの感情が胸の奥底よりあふれ出てくる。どうやら、我もこの六十年の間に精神的に年を取ってしまったらしい。


 すると、我の肩にシャルルが後ろから優しく手を置てきた。振り返り、目線を下げると、シャルルは今までのギラギラと輝いていた瞳とは違い、その瞳に優しくも僅かに鈍い光を湛え我を見上げていた。


「アトス、積る話もあるのだろう。吾輩は支配人とクロエを連れて部屋を出る故ゆっくりと話し合うがよい」


「………………シャルルよ、すまんな」


「かまわん、貴様に助けられてばかりであるからな、このくらい気を回させろ。クロエ、行くぞ!」


「はい」


 黒猫はクスッと微笑んだのちに、応接間の入り口で狼狽える支配人とクロエを連れて出て行った。我はその背中を見届けるとアドリアーナの方を向いた。すると、彼女は何処から持ってきたのか、ワインボトルをラッパ飲みしていた。



「おい、アンタも突っ立ってないで、さっさと座んな」


「ああ、そうだな」


 我は先ほどまでシャルルが座っていたソファに腰を下ろし、背もたれに体を預ける。アドリアーナはボトルをテーブルに置き、懐から葉巻を取り出し、吸い口をカットして火を着けた。煙の臭いが鼻の奥をツンッと突く、昔は喫煙はしていなかったはずだが我の知らぬ間に趣味が増えたのだろう。


 彼女は、ふぅと煙を吐き出し一息つくと、にやけ面で我に言葉をかけた。


「ところで、なんだいあの小娘は?」


「我の主だ。名をシャルルという」


「へえ、アンタに主人ができたのかい!こいつはいい酒の肴だ、暴君も畏怖する剛腕無双『雷撃一閃の猛虎ティーガ』に飼い主ができただなんてね!」


 アドリアーナはワインボトルを掴むと、それを投げ渡してきた。我は、それを掴むとクイッと勢いよく煽る。


「ん………くはぁ美味いな。しかしこの酒……『薄明の雫』か、ふん、粋なことをしよって」

「懐かしいだろう?で、久しぶりに飲んだ感想は?」

「最高だ。皆と酒場で騒いでいた事を思い出す」

「最近飲んで無かったのかい?」

「魔物らしく森で生活していたゆえな」

「はっはっは!そうかい、そうかい。なら、たんと味わいな」


 偶にシルバ殿に誘われて飲んではいたが、余計な事は言わぬが花だろう。アドリアーナは楽しそうに笑い、左手の薬指に着けている指輪からのグラスを二つと未開封の酒、スライス済みの干し肉の取り出しテーブルに置いていく。


「その指輪、まだ持ってたのか」


「当り前さね、結婚指輪だよ。それに、空間魔術が付与された魔導具は貴重品。粗末に扱えるもんかね」


 その指輪は昔、我が冒険者として活動していた頃に、結婚するアドリアーナ達の為、仲間と共に討ち取った空間魔術を扱う魔物の魔石から作った魔導具だ。

 あの頃の我は今ほど強くは無かったうえに人型での戦闘を強いられたので苦労した事を今でも鮮明に覚えている。


「じゃあ、乾杯するか?」

「再会を祝してってかい?傍若無人なアンタにそんな気回しができるなんてね」

「我も大人になったのだよ」

「はん、ガキが何か言ってら」

「これでも、貴様の数倍は生きてるのだがな」


 軽口を叩いた後、我らは乾杯し酒を交わし、塩辛い干し肉を摘みながら昔話に花を咲かせた。我は進化し続けた結果、酒精の分解なぞやろうと思えば一瞬で出来るが、そのような興が醒める様な事はせずに、正気を保つ程度に酔いを回した。


「ウエディングリングといえば、魔導技師のベルダはどうしている?」


「一年前に病で死んださね、今はその孫娘が店を継いでるよ」


「銀貨のアデルモは?」


「そいつは大昔に死んじまったよ、アンタが出て行って直ぐに、酔ったまま海に落ちちまってね、見つかった時には魚の餌になってたさね。同期の冒険者はもう、ほとんど生きちゃいないよ。灼熱のカルロ、陰鬱のブルーナ、砕氷のイラーリオ、死縁のマルチェッラ、猛き旋風のアウレール、酔いどれミレーナ。みんな死んじまった」


「聖雲界のラウロ、死なずのマウラは?」


「いや、そいつらはまだピンピンしてるんじゃないかい?二人とも、もうこの都市には住んじゃいないが、この前、手紙が届いたからね」


「…………そうか、よかった。だが、みな、逝ってしまったのだな」


 やはり、人間の寿命は我と比べると短い。アドリアーナが口にした面々は、友と呼べるほど親密では無かったが、時に一緒に冒険したり酒を飲み交わした仲だった。我が人間と交流していた期間はそう長くない。故に、その事実に我の心に一抹の寂しさが宿った。


 そうして、しばらく経った頃、ふと、ある疑問が頭をよぎり、我はその疑問をそのままアドリアーナに聞いてみた。


「そういえば貴様、どうやって我がオルタラットに来たことを察したのだ?」


「ん?ああ、アンタ、町で噂になってたよ。黒服美人が翼を持つ白い虎を連れて海賊団を引っ捕らえて来たってね」


「我はこの六十年の間に進化した。貴様らと行動を共にしていた際には翼も無ければ毛も赤かっただろ?」


「おや、そうだったかい?年を取ると記憶が曖昧になっちまうね」


「はは、誤魔化すな。本当の理由を言え」


「せっかちだねぇ」


 アドリアーナはケラケラ笑いながら葉巻を咥えて一息吐くと我の疑問に答えた。


「んー…………あーそうだね、アンタ昼間に冒険者組合に登録に来ただろ?。町で噂の二人組、クロエも絡んでいたから気になってカード登録履歴のデータを調べてみたらティーガのカードが再発行された扱いになっててね、それで知ったという訳さね」


「なに、貴様。冒険者組合登録者の閲覧権限を持っているのか?」


 冒険者組合のデータバンク、広くは知られてはないが、それは『機械仕掛けの神』の残した遺物の一つだ。組合メンバーの名簿、過去、現在の依頼内容はもちろん、各地の詳細な気候、地形、風土や魔物の分布、習性、そして開発された魔術や技能の情報が収められており、カードと呼ばれる魔導具はその端末だ。


 このデータバンクに情報を集積する事が冒険者がランクを上げるためにも大きく関わってくる。依頼をこなすのも大事だが、それ以上に未開の地の詳細な地図、未知の魔物や植物のスケッチや習性、既に知られている魔物であっても新たな発見した場合は高く評価される。


 データバンクの存在が冒険者が傭兵では無く、冒険者と呼ばれる所以なのだ。


 そして、我自身が持つ情報閲覧権限はそこそこ高い。データバンク内の情報はカードを介して見る事が可能だが、カードに刻まれた権限の位階によって閲覧できる情報の範囲が大きく変わる。我のランクはA。第三位の権限を持ってはいたが、組合メンバーの名簿やデータバンクの構造に関する情報までは見る事は出来なかった。


「ああ、何せこのオルタラット冒険者組合の現組合長はウチだからね、結構秘匿性の高い情報もみれるんだよ」


「そうか、出世したな。……………そういえば冒険者組合で思い出したが受付に若い頃の貴様と瓜二つな娘がいたぞ?」


「もしかしてケティの事かい?あの子はウチの孫さね」


「なに?であればロナンドの子か?」


 ロナンドは我が旅経つ一年前に生まれたアドリアーナの息子だ。何度か抱かせてもらったので今でも鮮明にその子のことは覚えた。アドリアーナは我の口からロナンドの名前が出たことに驚いたのか目を丸くした後に、嬉しそうに微笑んだ。


「ほお……よく、長男の名前を憶えていたね。でも残念、外れだ。ケティは長女の娘さね。アンタは会ったことないよ」


「そうか、しかしケティ嬢が孫娘か……という事は貴様もしや、クロエの事を」


「ん?…………あぁ、クロエの正体かい?もちろん知ってるさね」


 今更何聞いてんだいと、アドリアーナはフンッと鼻で笑うとグラスを回しワインを香り立たせる。


「長女が嫁いだ家ってのは代々エルフ族の協力者でね、義理の息子がウチになら話してもいいと教えてくれたのさ。まったく、リスキーな事をするもんさね」


「信頼しているという意志表示だろう。貴様は勘が良いからな、どうせバレるならバラしてしまえとでも思ったのではないか?」


「かもね。まぁ、ウチらがティーガを魔物だとわかったうえで冒険者に誘ったのは当時は有名な噂だったからね。それを知ってたからってのもあるんじゃないかい?」



「ああ、あれか……………………」


 アドリアーナが何気なく付け足した一言。我が冒険者になるきっかけとなった出会い。


 その情景が我の瞼の裏に鮮明に映った。



ー------



『おう、お前、俺達と一緒に冒険ばせんか!!』


『……馬鹿か貴様は。我は魔物、こうして人の姿に化けているのも、人間共を助けたのも気まぐれだ。その我と行動をともにするだと?いつ寝首を搔くかわからんぞ?』


『いや、それは無かな!なんせお前はいい奴だ!いい奴は仲間を襲わん!』


『やはり、バカだろ貴様…………!』





ー-------



 癖の強い訛ったエイラット語、裏表のない屈託の無い笑顔と馬鹿みたいに大きい笑い声、人を引き寄せる魅力と強さをもったを思い出した我は、今奴が何をしているのか、そもそも生きているのか知りたくなった。



 だが、我は口を少し開けて、そしてすぐに閉じた。


 本当の事を言えばアドリアーナと顔を合わせた時に、既にやつの顔が脳裏に浮かんで離れなかった。だが、聞く勇気が無かったのだ。なにせ、あの男は何があろうと仲間の事を一番に優先する。生きていれば、アドリアーナが我の元に訪れて来た時点でその横にいないはずがない。それに、アドリアーナも意図的にやつの話題を避けていた。



 我が唯一、親友と呼べる男。

 アドリアーナの夫でもある男の事を。



 だが、逃げてばかりもいられない、我は意を決した。



「……………………なあ、アドリアーナ」


「…………なにさね」


「…………………ポルトスは………ソウジュローはどうしている」




 ゆっくりと間をおいて、我はポルトス、本名『ソウジュロー・アキツシマ』の名を口にした。すると、アドリアーナは眉間の皺を深め、葉巻の火を灰皿で潰し………。






「……………………アンタに頼みたいことがある」







 何かを覚悟した表情で重く、低い振り絞った声でそう言った。









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