第17話 黒猫とゴブリンと演説


「おいおい、これから俺たちゃどうなるんだ」

「しらねぇよ俺に聞くなって」

「魔獣様を誰が怒らせたんだか…………」

「死にたかねぇ……死にたかねぇよ」


 集落の開けた場所にて紫族しぞくのゴブリン達はザワザワと、ガヤガヤと好き勝手に喋っていた。

 秩序なく、彼らは暗い顔で俯いている。だが、それも仕方がない事なのだろう、この森の支配者、恐ろしき魔獣がクグロを通じて告げた言葉が彼等の心をがっちりと掴み恐怖で蝕んでいるのだから。


「わ、若頭俺らどうなるんですか」

「若!」

「若頭」


 彼らが救いを求めるのは族長ではなく、クグロだった。それもそうだろう。彼は今まで村の危機を幾度も救った信頼性と実績がある。


「若頭!」

「若様」

「……………………」


 だがそのクグロも腕を組み仁王立ちのままで何も話さない。

 何か考え込んでいる様にも、はたまた、何かを待っているその様にも見える。


「…………おい、クグロ。オメェさん、何か考えはねぇのか」


 そんな不動のクグロに話しかけたのはクグロ程ではないが大柄なゴブリンだった。

 痩せ細ってはいるがその体は筋肉で引き締まっており、古傷のある肉体は元々厳つい彼を更に厳つくさせている。顔には深い皺を刻んでおり、彼が老年なのを察する事ができた。


 その老ゴブリンの声に初めてクグロは反応をしめした。


「なんだ、親父」

「なんだ、じゃねえ。皆が怯えている、ここはオメェが皆を落ち着かせなならん所だ」


 クグロが親父と言った相手、紫族の族長シジロはそう言ってクグロの肩を力強く掴む。


「馬鹿な俺なんかよりもウン倍も賢いぞオメェだ。この状況を理解してんだろ?」

「まぁ……とは言ってもちょっとしかしか分かっていねぇよ。俺はあの方の御言葉を聞くだけだ」

「あの方?あの末恐ろしい魔獣の事か」


 怪訝そうに己の息子の顔を覗きみるシジロ。そのシジロの様子にクグロは肩を竦める。


「まぁ、そう思うのも無理はないか。あの方は魔獣じゃないよ、その魔獣……アトス様を配下とする御方だ」

「なんだと!?そ、そんな奴がいるのか!」


 クグロの言葉に更に戦慄するシジロ。クグロはそこに追い討ちをかけるかのように更に言葉を重ねた。


「いる。そして俺とヒビセ、そしてシジキとサザネも昨日その方に会った」

「なっ!……お、お前達は大丈夫なんだな!何もされてないんだな!」


 大慌てでクグロの両肩を持ち体を揺さぶりだすシジロ。それに対しクグロもあまりに頭を揺らされ過ぎて少しキレた。


「何かされてたらここに居ないってぇの!だから親父、俺の体を揺らすなって」


「すまん。……俺ぁクグロに何かあったらと思うと……………」


 頭を冷やし反省するシジロ。そこには確かに親の情が垣間見え、クグロも頭を冷やした。


「いや、まぁ俺こそすまん親父。心配してくれたんだよな。…………大丈夫だ。あの方は無闇矢鱈に周囲に害を及ぼす事など絶対にしないから」

「絶対に、だと?」

「あぁ、絶対だ」


 自信満々に断言するクグロにシジロは目を丸くする。


「オメェをがそこまで言うなんてな。いったいどんな方なんだ」

「どんな…………か。正直言うと俺にも上手く語れねぇよ。あの方、黒猫様は俺の語彙力では語れない程に尊いお方だからな」

「はぁ?なんじゃそりゃ……」


 訳わかんねぇ、としかめっ面でぶつくさと呟いく父の姿にクグロが少し笑んだ。


「まぁ、黒猫様を直に───」


「────諸君、静まりたまえ」


 クグロの言葉を遮り、ざわざわと騒がしい中でも透き通るようにゴブリン達の耳に響く声がした。


 その声は深窓の令嬢をも思わせる程に可憐さをも持ち合わせていながら、まるで軍人の様に重厚で芯を震わせるほどだった。

 ゴブリン達は思わず一斉に口を閉ざし、声の方向へと顔を向け、そして絶句した。


 そこには恐ろしき赤銅の魔獣がいた。

 尾を合わせると全長4mは行きそうな巨体に背は赤銅色に黒の縦縞模様、腹と顎付近は白の毛並みの猫科の魔獣だ。

 だが、彼らが視線を取られたのはそちらではなかった。

 彼らの視線の先は魔獣の背中そこに腰掛ける銃士服を着た人間種の女。


 彼女は足を組み、その太股の上に肘を乗せて腕を組んでいるようにしている。

 彼女が纏っているのはまさに王者の気配。何者をも屈服させる支配者としての品格だ。


 そしてゴブリン達をゆるりと見回すと口角を釣り上げ深い笑みを浮かべた。


「よろしい、吾輩の言葉が届いて何よりだ。利口な者は好きだぞ、吾輩は」


 クスリと美しく妖艶に笑い魔獣の背から飛び降りる。


「さて、初めまして紫族のゴブリン諸君。吾輩の名はシャルル。クグロの様に黒猫でもよいぞ」


 以後お見知り置きを、彼女は優雅に一礼しそう告げた。


 あまりに突飛な出来事に惚けたまま固まってしまうゴブリン達。ただその中で1人だけ真剣な眼差しの浮かべているのはクグロだ。


 これから黒猫が何をするのかを興味津々なのだろう。

 

 すると、そんなクグロの横を通り過ぎ黒猫へと近寄るゴブリンがいた。全身に古傷のある老年の大柄なゴブリン、シジロだ。

 彼はズンズンと進んでいくと黒猫との距離わずか2メートル程で立ち止まり、目を逸らさずに族長としての矜持を持って黒猫に言い放つ。


「あんたが息子が言ってた黒猫様か、確かにこの雰囲気は言葉に表しようがねぇや。あんたにひとつ聞かせてもらいてぇ事がある!」


 皆が固まる中、内心はどうであれていは臆せず面と向かって言ったシジロの様子に、黒猫は興味を示したのか顎に手を添え、少し歩み寄る。


「ほう、と言う事はクグロの父君つまるところ族長殿かね。……吾輩に質問であるか、なんだね言って見せよ」


 その一言に黒猫の目が研ぎ澄まされた刃の如く鋭くなり、放つ空気に更に重みが増す。凄まじい気迫に押されシジロは思わず半歩下り、その額に脂汗が伝った。


「あ、あんた……いや、あなたは俺達にいったい何をするんだ。そんな恐ろしい魔獣を連れて何を起こすつもりだ」


「ふむ、その事か。よろしい、元々話す気でいた故に教えてやらんこともない。が、その前にまず諸君らに一つ絶対に聞かねばならぬ事があるのだ」


 黒猫は人差し指をピンと立て、静かにゴブリン達に問う。


「諸君らは現状に、今の生活環境に不満はないのかね?」


「…………は?」


 黒猫が何故それを問うのかが一切わからないシジロは思わず首を傾げた。そして黒猫はそれに対し、真剣な面持ちで説明を始める。


「そうだな。例えば食、例えば服、例えば家。そういった常日頃、諸君らが扱う物に対して不満はないのかと聞いているのだ。……食べ物についてはどうだね、諸君らは見た所40名弱いるがそれをすべて養う量が足りているか?」


「え、あ……いや。全然……です」


「で、あろうな。見渡すだけで分かる。諸君らは栄養失調の者達がいるな……この前の冬は無事にこせたかね」


 その黒猫の言葉にシジロは目を見開くと直ぐに顔を俯かせる。その表情には罪悪感が滲み出ており、体に力が入り震えていた。


「……食料が足りず、幾人か働けない老人達、俺の親父も含めて南の森に捨てた」


「いわゆる姥捨山か、飢餓に苦しむ村では良くあると聞くが……だからと言って聞いて心地の良いものではないな……」


 黒猫はそう言ってシジロから視線をそらす、そして空を見上げながらシジロに重ねて問う。


「今年はどうだね、冬は無事に越せるか?」


「それは!…………その、難しい。そもそも備蓄する量なんてないんだ。その日その日がやっとで冬を越せるかどうか…………」

 

 そのシジロの絞り出すような言葉にクグロ以外のゴブリン達はざわめいた。

 まさか食糧難がそこまで深刻な事だとは思いもよらなかったのだ。


「そうか。……クグロから聞いたのだが昔、諸君の先祖の時代は食料豊かな北の森にいたのではないか?なぜ、この様な南の森へと南下したのだね」


 この問に意味などない。黒猫はその答えを知っているからだ。ではなぜ聞いたのか、それはシジロ、そして黒族のゴブリン達に己が置かれている状況を再認識してもらうためだ。


 己の口で、その現実を言わせるために。


「それは…………俺達紫族は劣等種とされているんだ。他のゴブリンからすれば俺達は目障りな存在以外の何者でもない。迫害に迫害を重ねられ逃げる様に、南へ南へと移動し、親父の代でここにに移り住んだと聞いています」


「つまり、君たちは他族のゴブリンに自分達の生活を、土地を、住処を、矜持を全て奪われ、今ではその影響である飢餓により家族すら奪われたのだな」


 その重くのしかかる言葉にゴブリン達は一斉に苦々しい表情になり俯く。

 その結果、己の肋骨のクッキリとした窶れた体が、ボロボロの手が視界に入った。


 そして思う。自分達はなんと哀れな姿なのだと…………。


「…………そうだそれが、その瘦せ細った己の肉体こそが諸君らが略奪され続け、そしてそれを良しとした結果だ。哀れだな、実に哀れだ。……そして何より情けない!!」


 黒猫は腕を振る。


「諸君らの祖先がおこなってきた事は未来を省みぬその場しのぎに過ぎなかった!事実どうだ!故郷を食料を誇りを……全てを奪われた今、何が残っているというのだ!諸君らは緩やかな衰退の真っ只中だ。そこに未来はなく絶滅への道しかないと知れ!」


 黒猫は高々に怒声に似た声をあげる。そしてここから本当の演説が始まった。


「諸君らは抵抗せずに略奪され搾取されるようになった。諸君らに貼られた『劣等種』というレッテルを見て調子にのったハイエナ共そう彼ら、他族のゴブリン達によって!」


「彼らは諸君らが苦しもうが全く気にも止めないぞ、なぜなら諸君らは劣等種。ゴミ以下と見なされた存在だからだ!」


「劣等種だと?馬鹿馬鹿しいにも程がある。そんなものはただの戯言だ!そこにいるクグロを見ろ!肌の色ですべて決まるなら彼の肌は赤いはずだ。だが違う!それが証明するのは諸君らは戯言に惑わされていたに過ぎないという事だ!」


 黒族のゴブリン達は黒猫を見上げその演説に心を奪われている。何も黒猫の言葉に間違いはないと全員が思っているのだ。

 そしてもし自分達が劣等種などではないとしたら……そんなプラスの思考。希望が彼らの中に芽生え始める。


「吾輩は諸君らに再度問おう!略奪を受け入れるのか!略奪されるのを見過ごすに諸君らは愚かなのか!」


 黒猫の声が彼らの頭の中で木霊する。

 ここま抵抗せず、滅びへの道を歩むのか、それとも滅ぶ可能性があっても栄光を手にしたいかと。


 ………………すると、あるゴブリンがポツリと呟いた。


「い、嫌だ。このまま一生飢えて苦しんで、ひもじい思いをするだけなんて嫌だ」


 心からの、泣き咽びく様なその言葉に他のゴブリン達も追うように呟き始める。


「お、俺のひい爺さんは他族のゴブリンになぶり殺されたんだ!」

「私の息子は飢えて苦しそうに死んでいった……」

「冬は寒くて寒くて……それにくそ不味い虫しか食ってねぇ!」


 その呟きはいつしか怒号へと変わっていった。皆が叫び始める。嫌だと、このまま紫族が滅びるのは真っ平御免だと。


「な、なんだ。これは」


 シジロは混乱していた。畏怖の目で見ていたはずの黒猫に皆の心が鷲掴みにされたからだ。

 そんな中クグロは笑っていた。嬉しそうに、楽しそうに笑っていた。


 そして黒猫はその助けの声を一身に受け悪鬼羅刹の如き表情で握り拳を振り上げる。


「ならば上座にふんぞり返っている奴らに反旗を翻すのだ!自由や幸福や生活が突然空から降ってくると思ってはならない。全ては諸君ら自身の意志と行動にかかっているのである!」


「諸君ら自身の行動に黒族の将来は存する!諸君らが黒族を繁栄させるのだ。そうして始めて、諸君らは祖先と同じ高みへと再び登りつめることができる」


「かつて諸君らの祖先もかつての栄光を無為に手に入れたのではなく、己の力で築き上げたに違いないのだから!」



「「「うぉおおおぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!」」」



 黒猫の言葉に怒号と歓声が入り混じった魂の叫びか追従する。


「諸君らは遂に面を上げ、握り拳を振り上げた!ならば後は振り下ろすのみ!奴らのマヌケ面に諸君らの怒りの鉄拳をかましてやるのだ!諸君らはもう貴様らに迫害されるだけの木偶ではないと思い知らせてやれ!」


「「「うぉぉおおおおぉおおおおおぉおおぉぉおおぉお!!!!」」」


「バックアップはある程度任せたまえよ、食料問題や戦闘能力の課題は解決策が纏まっているので問題はない」


 黒猫は銃を天へと掲げ、そしてバン!と撃つ。その顔は美しく、悍ましく猛々しく、惨たらしいまさに人間の笑みを浮かべている。


「さぁ、諸君戦争だ。そして下克上といこう。何、諸君らは負けんさ。何故なら今回は吾輩がついておる故な。さて、吾輩はこれにて去らばさせてもらうとしよう、では諸君励めよ?」


 黒猫はそう言って身を翻し、アトスを連れて何処かへと行ってしまった。

 だが彼は何処に行ったかなど思わない。何故なら彼らは会場の熱気に酔いしれていたからだ。


 こうして紫族の行く末を決める戦いの狼煙はあがったのたのだった。


 ーーーーーーーーー


 そのまま森へと消えていった黒猫は汗だくの様子で木に寄りかかっていた。

 どうやら緊張していたらしく左手は心臓を押さえるように胸に当てている。

そして幾回か深呼吸を繰り返し、ゆっくりと閉じていた目を開けた。


「はぁ、演説とはこうも疲れるものなのだな……もう気怠くて仕方がない」

『そうか?我は堂に入った素晴らしいものだと思ったが……現にあのゴブリン達は貴様の言葉に心を奪われておったしな』

「先駆者の言葉を借りたに過ぎん。吾輩のみの力ではない」


 黒猫はそう言いうと一拍置いて立ち上がり、顎に手を添え考え込み始めた。


「だが、今回の目論見は成功だな。さて、ではアトスよ質問だ。貴様はこの島を出る手段もっておるか?」


『なに?奴らの戦に参戦するのではないのか?』


「否だ。吾輩は言っただろう『諸君ら』と。『我々』ではないのだよ。確かに戦法や食料に関する問題は全力で取り組み解決しよう。だが吾輩は戦わんよ。彼らの集落を見たがアレでは本格的に行動を起こす為の体制を整えるのに1ヶ月はかかると見たからな」


 残念ながらそんな暇は今の吾輩にはない。そう言って黒猫はぶっきらぼうに手を振った。あまりに身勝手では?と思うかも知れないが、黒猫の行動原理はあくまでも自分の利益となるかどうかである。


 だが、今回、黒猫はクグロのために行動を起こした。黒猫には連れ去られた高校生を探すという目的があり、あまり彼らに時間をかける訳にはいかないが、だからと言って確実な滅びへと進んで行く彼らを見捨てられる程、黒猫は非情になれなかったのだ。



「さて、最長でも1週間で旅立ちたいな。その間に色々と済まさねば……アトスはどう思う?」


『ふむ、かなり少々きついか大丈夫か?』


「であろうな、ま、頑張ってみるしかあるまいて」


 黒猫とアトスは顔を合わせ楽しそうに笑い合いながら集落へと戻るのだった。


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